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居留守蓋
幼い手の中にありふれた貯金箱がある。青いリボンをし、つぶらな黒い瞳と肌色よりピンクに近いつやつやの肌。恥ずかしさを覚えつつも大きな尻を見れば、くるりと丸まったしっぽが見える。間違いようもなく、それは豚である。
どことなく震えているように見えるのは、それを見下ろしているのが強面の――有馬だからであろう。貯金箱を持つ文目の見上げる目までも、どこか怯えている。
文目と豚を見下ろし額に手を当て、年季の入った溜息をついた。
「んで、俺になにしろってんだ」
「ぼ、坊兄ぃがね、この子をちょっとだけ預かって、って、言ったの」
それで、と口ごもり、文目は豚を抱きしめる。坊兄ぃというのは、この「開眼凡才亭」に居候している坊主崩れの悪魔払いである。有馬は文目の頭を乱暴に撫でた。
「泣くな泣くな。するとなにか、玉生が文目に」
「うぅん」
首を振って、文目は豚を差し出す。嫌な予感を覚えた。
「これから来る人と、馬さんとで、この豚さんとお留守番してほしいんだって」
「え」
「文目からも、お願い」
豚と一緒に嘆願され、貯金箱の向こうに玉生の企んだ笑顔を見たとしても、文目のために、有馬は頷くしかなかったのである。
「――とまぁ、その仔狐に頼まれたんだが」
「ナルホド」
「一応、協力はしてくれるんだよな」
「エエ、もちろんそのつもりですヨ」
ダークブロンドの髪が揺れる。底知れぬ深い笑いを浮かべたデリクは、握手を求めた有馬の手を握った。満足そうに笑い皺を増やした有馬がいった。
「そりゃよかった。一人じゃ手に余ると思ってたもんだから」
真実そう思っていたらしく、話の中心になるはずの貯金箱は遠くの番台に置き去りにされていた。その上には出所不明の札が乗せられている。
「有馬サン、でいんですよネ」
「ああ。名前には馴染みがないからな」
「面白いですねぇ」
「アンタほどでもないと思うけどなぁ。聞きたいんだが、玉生とは同業なのか」
「彼と同じく、一応人間という職業には就いてると思いますケド。ご想像にお任せしますヨ」
「蛇の道は電子ジャーってか」
懐から取り出した煙草に火もつけずくわえて有馬は皮肉を込めて呟いた。気にもとめず閑散とした店内をぐるりと見回す。等間隔でない棚に並べられたぽっぴんを一瞬珍しそうに眺めて、溜息混じりに言った。
「留守番だけですカ」
「らしいな。文目も詳しいことは聞いていなかったから」
「厄介ですネ」
なにが、と素直に返ってきた返答に大きく肩を落としそうになる。それをどうにか抑えて立ち上がった。番台に乗った貯金箱から札を引き剥がし、両手でつかんでふってみた。
「ナカ、見ました?」
「あけられないんだよ」
背中に投入口はしっかり開いているのに、腹に取り出し口がついていない。カラコロ音が転がって、なにか一つ入っているだけだというのにやけに重く、陶器にしては材質の堅さが違った。
「何が入っているのか、気になりますネェ」
「それはそうだが。割るわけにもいかんしな」
「駄目ですカ」
「駄目だろう」
「ザンネン」
気むずかしい沈黙を背中で感じ取って薄く笑う。どうにも自分は、人で遊ぶことが好きらしい。つぶらな瞳の豚を真っ正面から見つめる。窓がかたかたと鳴った。外では風が吹いているのだ。
会話の間に自然の沈黙が落ちる。
「茶、いらないか」
「遠慮なくいただきまス」
「はいよ」
思いだしたようにいった有馬は立ち上がって、実はすぐ後ろに置いてあった水筒と湯飲みを取り出した。聞けば文目に言われて事前に用意したものらしい。水筒の蓋からは香ばしい香りが漂ってくる。
「その香りはゲンマイチャですネ」
「妖怪の土産だから、普通の茶かどうかは知らんがな」
ぶっきらぼうな手が湯飲みを差し出す。熱い湯飲みを受け取り番台の横に腰を下ろした。味は悪くない。ただもう少し温度が高くても良かったと思った。
視界の端に影がちらついたのは、湯気で視界が揺らいだその時だった。
擦り硝子の向こうにぼやけた影が見える。うろうろと扉の前を立ち往生して体を左右に揺らしては、入ろうかどうか迷っている。見ていた有馬がためらいなく立ち上がる。デリクはふと、違和感を覚えた。
足音のない影と、気配のない人間があるだろうか。なにより風の吹いている場所に立って、あんな黒い服を引きずるようにしている影が一度もなびかない。窓までも五月蠅く揺らす風なのに。もしかしたらただの人間で、入るのを躊躇っているだけなのかも知れなかった。しかし、この違和感を無視していいものだろうか。
否。
「ストップ」
有馬の腕を引き留める。問いかけを発しようと開けられた口を手をふって閉じさせる。影は相変わらずうろうろと落ち着きがない。その影がしぼんで広がって、真横に滲んでいくさまが見えた。
「人でハ、ないですネ」
「なに」
そのさまが、有馬には見えていないらしい。デリクでさえ一度瞬きをしてしまうと真横に広がる影は人間の形に見える。けれども、時がたてばデリクの目には人間でなくうつるのだ。
「妖怪、か」
唸るように有馬が呟く。妖のようなまがまがしいものではない。もっと空虚な、目的だけを遂行するためにつくられたゴーレムのような。
「とりあえず店の中に入れないようですかラ、ほっといても害はないんじゃないですカ」
いまだに揺れている影が一歩遠ざかる。細い、女の声がした。
「ごめんくださいませ」
一言発した声は酷く平凡だ。きっと女の顔は凡庸としているであろう。抑揚というものがまるでなく、個性が何処にも見られないから気味が悪い。有馬もやっと理解したようだった。
「追い返した方がいんじゃねぇか」
「あのお札は、何ですカ」
「ありゃ雑誌見て書いたやつだ。役にゃたたねぇよ」
「ナルホド」
感情も込めずに呟く。迎え撃つ気は更々なかった。背後で、かたりと音がする。
二人でかえりみた先には番台の豚。貯金箱が横になって転がり、まだゆれていた。
有馬が後ずさる。
つぶらな瞳が揺れている。視線の先には真横に広がる影があった。揺れが収まった豚の耳が揺れた。笑ったように開いたままの口が閉じる。
「ごめんくださいませ」
もう一度女の声がする。先程より耳に近かった。その直後豚が、口をきいた。
「こちら留守番サービスです。メッセージの後にピーという音を入れてください」
予想だにしなかった穏やかな男声が豚から流れてきた。二度それを繰り返す。隣で有馬が肩をずりさげていた。笑いそうになった口をとっさに押さえる。扉を見ると、影が遠ざかっていくところだった。外の風が柔らかくしぼんでいく。
「玉生のヤロウ」
「いまのは、玉生さんの、声ですカ」
肩を小刻みに震わせまだ口元から手を離さない。思いがけない笑い所にひとしきり笑ってから手をはずした。
「面白い人ですネェ」
正直に言った言葉は有馬の苦渋顔をさらに歪めた。
「莫迦いってんな。ありゃガキなだけさ」
貯金箱を片手でたたせ頭をぺちんと叩いた有馬が目を丸くした。
こめかみから一筋の汗が流れる。視線の先にある豚の背にはっきりと亀裂が一つ、横一文字に走っていた。幾分悲しそうな豚の目が恨めしそうに有馬を見上げる。
「やっちゃいましたカ」
「お、俺のせいになるのか」
「他に誰がいるのでしょうネェ」
やれやれと両手をあげてポーズをとる。わざとらしいそれが有馬の不安を煽ったようであった。意外に逆境に弱いのかも知れない。
「ま、まずいか」
にやりと笑って人差し指を立てた。有馬が体をのけぞらせる。面白がって体を前に出すとさらにのけぞらせた。
「その豚はですネ――」
「ぶ、豚は」
「留守番の蓋をする役目でス」
「は」
「蓋でス。フタ」
蓋、とは文字通り鍋にする蓋のこと。留守番だけで厄介だと言ったのは、デリクが一目見てこの豚の役割を見抜いたからであった。
待つのみの留守番は外へ出てはいけない。なればこそ中に入ることもできぬようにと、鍋の持ち主のみが顔を出せるようにと蓋をしたのだ。ある意味での結界でもある。
「貯金箱が割れたのハ、蓋を開けようとするつまみ食いサンが執念深かったからであって、有馬サンのバカチカラのせいではけっしてありまセン」
扉に広がった黒い影は上手く隠れていた。隠形や変化の術は本来三下の妖怪や使い魔につかえるものではない。なにしろ、変身にまずいるのは実体であるからだ。精神の塊、俗に言う精霊と同じ形をした彼らにはまず使いこなすことができない。それらをふまえて本性を見られぬように女の声を使い、人の体に見えるよう見かけを変えた時点であれは強力なモノであるのだ。
「そりゃよかったが、どうしてあんな莫迦げた返答で帰るんだ」
「居留守、ですヨ」
「い、るす?」
本当の留守であったなら、あれは変身などせず速やかに店内へと侵入していただろう。玉生が有馬に貯金箱を託したのはこのためだ。誰かがいて、はじめて蓋は役割を果たす。中身を閉じこめなければ、蓋というのはただの丸い金属の板でしかないのだ。
ならばデリクは護衛役と、尻拭いの意味を込めてこの場に呼ばれたのだろう。
「まぁ、玉生サンが帰ってくれば万事解決ですヨ」
期待に応えるつもりはなかった。留守番役として呼ばれたなら、留守番をするだけだ。
「ほら、また来ましたヨ」
相手の反応は早かった。戸口の向こうに今度は三つ分の影がある。なのにそれは随分と小さく子供であった。すぐに揺れが大きくなって、今度は有馬も朧気ながら見えるらしい。
「すいません」
思った通りの子供の声。柔らかいたどたどしい声に抑揚はない。凡庸とした音だけが、デリクと有馬の耳に届く。
「すいません」
間髪入れずに違う子供の声。それが何度も繰り返されるさまは、録音テープのリピートを聞いているようだった。
「ただいま留守にしています。ファックスの方はそのまま停止ボタンを押してください」
これはこれで、きっと追い返す効果があるのだろう。亀裂の音が聞こえる。メッセージを残さず迎え入れない玉生の声は柔らかで、とめどなく流れていく。影が揺らいでは薄くなる。デリクは有馬に椅子を示して、自分もすぐ側に腰掛けた。側の湯飲みをとって口に運ぶ。二人が見守る中で、徐々に影は薄れて消えた。
「……次は、大丈夫か」
「どうしてですカ」
「仏の顔も三度までだろう」
貯金箱を振り返った有馬が眉間にしわを寄せる。つぶらな瞳にかぶせて、大きな亀裂がそこかしこに入っていた。塗料が薄くはがれて落ちている。それだけ、あちら側が強いという証明でもあるのだ。
「やっぱ、貯金箱がほしいのか」
「中身が、でショウ。でなければ二度も来まセン」
貯金箱の中身がどれほど価値があるのか惹かれてならない。が、物欲がものをいうわけでもない。
「訳があるはずでス。一度きいてみたいものですネ」
「きけるかよ」
「人語を解せるといいのですけド」
わざとらしく悩んでみせる。有馬が溜息をついた。大きな風がぶつかった。有馬が見えない空を見るように天井を見上げた。
「嵐でも来るのか」
「時期ではないですヨ」
風が強く窓を揺らしている。湿った臭いが店内まで漂ってくる。雨がふりそうな空模様は、この位置からではよく見えない。体を前に出して空を仰ごうとしたデリクは驚いた。
窓に腕が生えている。
にょろりと生えた腕は無骨で黒く、爪は泥で汚れている。平手で窓を一度叩いた。
「なんだ」
有馬が立ち上がる。静かにするよう手で示す。豚が言った。
「こちら留守番電話サービスです。メッセージの後に、ピーという音を入れてください」
録音されていたのは二つまでらしい。最初と同じ言葉を豚が繰り返す。窓の平手が両手に増えていた。戸口の前に影があふれ出る。やがてゆらゆらと前後に揺れた後いくつかに分かれ、日の光を遮るかの如く扉を叩き始める。虫がそこにいて、一匹残らず叩きつぶしているかのようだ。
実際、悪意があることは否定できない。
叩く音は棘があり、明らかに開けて中に入れろと命令している。豚の声が叩かれる音にかき消された。亀裂の音が幾本も走る。有馬が奥歯を軽く噛んで椅子の縁を掴む。デリクはかまえることもせずに座っている。いまにも硝子が割れそうだ。豚の声が遠のいていく。
氷河が割れるような亀裂が走った。一斉に、影が窓を叩き割った。
「ツブサに叱られるッ!」
扉を押し倒して入ってきた男に有馬が投げた椅子が衝突する。吹き飛ばされて、戸口の外に転がった。男の一人がひるむ。それに有馬がひじ鉄を食らわせ、背負って外へと投げた。デリクは叫ぶ。
「あなたがたは何がほしいんですカ」
「無理だ、わかるわけがないぞ」
「何がほしいんダ」
デリクの問いに先頭の男の足が止まった。踏み出すか踏み出すまいか悩んで、重く項垂れた顔の下から声がする。
「よこせかえせ。それはかえすべきだかえせ」
「誰に返すのですカ」
「かえせ。しるべきのないおんかたがかえせとおっしゃるならおまえたちはそれをかえすべきだ。おあいてでもないしょじするべきでもなおまえたちがもつひつようはない」
「相手がわからなければ、返す道理もありませんネ」
空手の構えで有馬が一人を戸口の外まで蹴り出した。
「それに早口すぎてわかりません。もう少しゆっくり言い分をドウゾ」
「いえることなどなにもないはずだおまえたちにいのちごいもなにもないかえせ」
「言えることはないとは酷いですネ。手荒なことはよしましょう。お互い怪我はしたくないのデ」
「かえせかえせかえせかえせここにあるだろうとられたものはとりかえすのがどうりだかえせ」
「警備体勢を見直したらいかがですカ」
デリクがにっこりと笑う。男が痙攣するように震えた。
「かえせかえせかえすべきものはそこにあるわれらのしごとがそこにあるならおまえたちはそれをかえさなければならないおろかものにはいらぬものだかえせ」
読経のように男達が無心で繰り返す。思い項垂れの顔から聞こえてくるモノだから、地の底からはい上がる亡者のように、声は響く。店の外から雷轟が轟いた。視界が一瞬白くなる。その隙をついて一人の男が忍び寄る。豚を床にたたきつけた。
陶器の割れる音がして、分厚い欠片がそこかしこに転がる。男がはいつくばるようになにかを探した。有馬が引っ張り起こして突き倒す。デリクが大きく指を振って、あたりの男が一気に消えた。目の前の空間が歪んでいる。それでも湧いてくるからキリがない。
「有馬!」
まだ若い声が、男達の背後からあった。玉生かッ、と有馬が声を張り上げる。雷が再び瞬いた。男達のざわめきが聞こえる。急げと声があり、デリクは両手をつきだした。空間の断裂に飲まれて男達が消えていく。有馬が残りを蹴り出して、やはり背後にいた玉生が飛び込んできた。誰かを抱えている。雨がすぐ後ろを追いかけて、玉生の足元で跳ねた。
雨雲が、風に乗ってやってきていた。
男達が力無くその場にぞろぞろと崩れていく。とけだすようにゆらゆらと地面に落ち、ひねったように腕が曲がった。玉生が力任せに扉を閉めた。
「遅くなって悪かった」
息を切らしてが抱きしめていた少年を下ろす。少年は黄色のカッパを着くずして、顔にはニキビをつぶしたようなでこぼこがあいている。汗をかいたのかとけ出すような顔が輝いて、貯金箱の破片の中から銀のピンキーリングを拾い上げた。
嬉しそうな顔が礼を言う。その顔に違和感を覚えて、デリクは首を傾げた。外では雨足が弱まっている。
土砂降りでもなく霧雨でもない。この時期には珍しい爽やかな雨であった。その中を少年がありがとうと駆けていく。有馬が大きな息を吐きながら言った。
「終わったな」
玉生が振り返る。黒眼鏡をかけた顔は見えにくい。
「助かった。ありがとう」
素直な礼の後に間髪入れず有馬の平手が飛んで、玉生の後頭部を強打する。叩かれた場所をさすりながら上げた顔は不満げだ。足で豚の破片を横にやりながら近付いてきた。
「礼は後で指定されたところに振り込んでおく。必要があるなら、坂の下まで送っていくけど」
「大丈夫です。オマケで傘をもらえると嬉しいですネ」
「そうか。そこのを持っていってかまわない」
指差された店の扉には灰色チェックの黒い傘が立てかけられている。手に取ってみれば適度な重さがしっかり雨から身を守ってくれると、気構えているように思えた。
「いい傘ですネ」
「そりゃ、俺のだからよ」
有馬が言った。
「気にせず持っていくといい」
悪びれなく玉生が微笑する。
「なら、私はこれデ」
二人に見送られて店を後にする。軒下で傘を広げ、服が濡れないように頭上にかざす。雲に隠れたはずの太陽がうっすらと見えた。しっとりと濡れた空気はさらさらと肌を撫で、雨の勢いにのせて流れる風に揺れていた。
「興味深い坂だナァ」
ぽつりと呟き坂を下ろうとすれば、風にでも押されたように前に進みづらくなる。少年は元気に坂を下っていったけれども、デリクに同じ事はできなさそうだった。坂の下り方というのはあるのか、それを聞いてくれば良かった。とりあえず下りてみようともう一歩を踏み出す。視界のはしに、上りには気づかなかった斜めの門が目に入った。
坂ノ中児童公園と刻まれた鉄板は見事に錆び、門をくぐった先には廃棄寸前のジャングルジムと高さの違う鉄棒。真ん中の棒だけが折れているのは、本当に誰も遊びに来ないからか。粗い砂の地面は青い草が頭を出し始めている。
公園の端にこぢんまりとした砂場があるのをデリクは見つけた。よってみると先程まで高く積み上げられていたのだろう砂が大きく崩れ、おおよそ原形をとどめていない。栗の巨木の下にあるから奥のものはいくらか残っていたが、雨足が強まれば崩れていくのは目に見えていた。
砂の塊は城のようだった。精巧に作られ、大きな道がある。脇にはそこらの草原で摘んでこられた花が等間隔で置かれ、城のあちこちに散らばっていた。道の真ん中に一つの塊がしょんぼりと突っ立っていた。丸い頭の、それは男のようだ。胸のあたりに花がある。城の反対側は崩れてちいさな塊がぼそぼそと倒れている。腕の曲がり方に見覚えがあった。
取り立て屋達である。
いくつか崩れた先に銀に光るピンキーリングが転がっていた。小さな塊の横に、それより少し大きい塊がある。もしやこれは、結婚式会場だろうか。なら少年は指輪を届ける小姓だったのか。それとも花嫁を攫った略奪愛の張本人だったのか。偽の王子と結婚する姫を助けた本物の王子だったのか。
デリクはふ、と笑みを浮かべる。
雨がふった途端に崩れた取り立て屋。少年の崩れたような着こなしと、溶けたようなつぶれたニキビの痕。玉生がカッパまで着せ連れてきた客と、貯金箱に入れ結界を張ってまで守ったピンキーリングの謎が、解けたような気がする。
彼が一体誰だったのか、それはもう知る余地はない。けれども少年が大切だと言ったピンキーリングだけは本物であったということを、デリクは傘の下からゆっくりと見守っていた。
了
登場人物
■3432 デリク・オーロフ 男 三一歳 魔術師
□NPC 有馬・庸一郎
■NPC 春夏冬・玉生
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