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365日の巣
■些細な無くし物
「妃ちゃん、俺の家の鍵しらへん?」
夕暮れ時のBAR『BLUE』で相変わらず呑気に小型テレビ鑑賞を楽しんでいた店長、暁・遊里は元々客の少ないこの店の客が完全に居なくなったかという頃、少し寝ぼけたような声でサボった感を撒き散らしながら帰宅の用意にいそしんでいた。
「知りません。 大体、今月店長は何回…もう一度言わせていただきます。 何回、カウンターにお出になられましたか?」
「あー、んなちっさい事にこだわらんでぇな妃ちゃん…」
暁の居るテーブルから近くのカウンターではこれまた相変わらず真面目に働いている萩月・妃が店長に向かって立場が逆転したかの如く小言を始めようとしている。
全てが見慣れた風景、変わらない時間、それでも切夜という店長と同じくらいには呑気でどうしょうもないトラブルメーカーが居ないだけ本日の『BLUE』は静かな方と言えるだろう。
暁と萩月の言い合いに店員の朱居・優菜も男性の制服に似せたウェイター姿に少しばかりか笑みをたたえて本日最後の掃除を開始し始めた。
「拘るも何もないではないですか…。 貴方という人は先日も店の鍵を無くしたと騒いで…」
「副店長、そろそろ遊ちゃん店長も反省している事ですし、前の事は言いっこなしにしてあげましょうよ」
そう、ここ数日暁の忘れ物は急増している。店の鍵から始まり萩月から借りたペン、切夜から借りた百円に大好きなヒーロー物のバッチ数個等など、ついには自宅の鍵。
どれもくだらなく、どうにでもなりそうな物ばかりだったが如何せんこれが三日以内に起きた出来事で時折切夜までもが何か無くしたと騒いでいるから細かい性格である萩月にとっては耳がおかしくなりそうな勢いだ。
「あ、それに…私も今日遊ちゃん店長みたいに見つからないものができちゃったんですよ」
悪戯っ子のように微笑んで見せる朱居のそれは萩月がこれ以上忘れ物や無くし物で何かを言わない為のストッパーとして言葉にしたに過ぎないようだ。―――が。
「でも、いっつもしてる指輪だったから無くすと思わなかったんですよね…」
「朱居さん…貴女まで…」
何処か呆れたようにため息をつく萩月に暁と朱居は同時に苦笑し。
「それやったらどっかの探偵さんにでも頼んだらええんとちゃう?」
「痴呆症の治し方を、ですか?」
そな冷たい、と暁が肩を落とす中。確かに萩月はそれもいいかも知れないと心の中で呟いた。
いくら抜けていると認識している店長でもここまで酷い事は無く、朱居に関しては特に指輪といった身を飾るものはあまり持っていないと聞いている為彼女なりに大切にしている筈である。
「わかりました、では今日の帰りにでも最寄の探偵事務所に寄って見ますから」
依頼内容を手っ取り早く纏めるなら、この寒い時期になって何故か無くすとは思えない物の不可解な消失。探偵に話す際、時期までは関係ないとは思うがとりあえずは思考の隅にしまっておく。
暁と違い抜けている所は否めないがあの探偵ならば周りの人物がどうにかしてくれるだろうと興信所へ寄る時間を腕時計で確認しながら残業ばかり続く日々に考え深くため息をついた。
兎にも角にも、失せ物なら適当にあの探偵に相談すればいいと萩月は多少の不安を混じらせながら以前世話になった草間興信所の住所を頭の中に思いふと、考え込む仕草を見せる。
(店長も朱居さんも少しそういう物に引かれる傾向にあるようですしね…ここがある意味無難でしょう)
そういう物というのはとどのつまり霊だのありえない何かだのとそういう類で。何も無いならばそれで良し、けれど人外である萩月の頭は少しだけ嫌な予感に近い小さな影が隅にひっそりと、しかし確実に忍び寄っているのだった。
■ 雑用、それでも…
犬の捜索願い、浮気調査。依頼者本人にはそれらはとても重要な事。それでも、当の依頼された探偵、草間興信所の草間・武彦にとっては正直な話格好良くて、そして名を上げられるようなハードボイルドな依頼。
そのハードボイルドがどういう価値で決められるのかは別として。
恋人であるシュライン・エマは今日もそうやって表立っては気恥ずかしいが大切な恋人の為、愛の鞭と称しながらも武彦を依頼調査へと駆り立て、そしてようやく今日一日を終えようとした、丁度そんな時間だった。
錆びて少々重くなった興信所のドアを叩き入ってきた人物が以前、依頼を持ち込んだ萩月・妃というバーテンダーであり今回もまた雑用に近い依頼を持ち込んで来たと言う事。
そして。
「草間さん? ああ、シュラインさんですか出てくださって良かったです」
「セレスティさん?」
普通の探偵のそれとは違う別の依頼で遭遇し、共に戦線を共有してきた友であるセレスティ・カーニンガムがまるで依頼が今入った事を知っているように相変わらずしっかりと優雅に着こなしたスーツも崩さずに電動式の車椅子で玄関に居たのだから恋人はまた本気で拗ねてしまった。
(本当に子供なんだから…)
男の人って。などと思うのは女性の特権だろうか。
「シュライン、コーヒー。 俺のだけな」
「武彦さん! お客様が居るでしょ!」
もう、とため息を一つ恋人の為のコーヒーとセレスティと妃の為の紅茶。さて自分はどっちにしようと思い矢張り武彦と同じで良いかとキッチンの戸棚を漁りながら手際良くコーヒーと紅茶を取り出し湯を沸かす。
勿論、どちらもそれ程高い品物ではないがあまり儲からないのは草間でなくとも大半の探偵事務所はそうであろう。
(折角の依頼ですものね、受けないと)
妃が持ってきた依頼は失せ物探し。簡単な内容はとりあえず聞いたが矢張り、内容的には大した事ではなく聞こえるし、それでも家の鍵やそれなりのものも混ざってはいて。何よりしっかりと依頼料が払われるというのが嬉しい。
「草間さん、そんなに寂しい事を言わないで下さい。 折角リンスターの方で新装オープンさせたフラワーギャラリーのオープニングセレモニーからそのまま遊びに来たのですから…」
「そんなの俺には関係ない」
「んもう、武彦さんっ!」
コーヒーと紅茶。四つのカップを持って応接間に来てみれば相変わらずの武彦が居て。
「そのセレモニーから食い物をタッパーに詰めて持ってきたと言うなら歓迎するがな…」
「いい加減にしなさい!」
「―――…シュライン」
ここで、ちょっとだけお裾分けも魅力的だと思ってしまう自分に恥じながらシュラインは手の先で武彦の頭を本当に軽く叩く。勿論、本気では無いがそれでも恋人にとっては良い効き目だったのだろう、三十路も過ぎたというのにまだ子犬のような目で自分の方を見返してくる相手に苦笑しながら。季節が幾度巡っても変わらないと少しだけ嬉しくも思った。
「とにかく、引き受けて頂けるのですね?」
一通りシュラインとセレスティの、いや、武彦の依頼への拒否反応を眺めていた妃は三人を静かに見やり、まるで何も無かったようにそう切り出す。
「ええ、引き受けさせて頂きます依頼料は提示していただいたもので結構でしたし…そうですね…」
時計を見やれば夕方から夜に差し掛かっていて、これから出かけてもう一仕事は流石に無理だろう。
「私の方から迎えを寄こしますよ」
「いいの? セレスティさんも…」
ええ、と頷くセレスティは武彦の反応からとりあえずは何かの依頼であると内容を察しているのか手回しが良い。
「それじゃあお願いしたいわ」
了解しました、と告げられる言葉に申し訳無いと思いながらもお願いしてしまうのはひとえに移動が便利であるからでしかない。妃が告げた場所は随分と入り組んだ道の先にある場所であり。
「それでは、明日伺います。 『BLUE』の萩月妃さん」
「…わかったのですか?」
以前の依頼で少し顔も覚えていましたから、と食えない事を言うセレスティの目線の先には確かに仕事場から直接興信所に来た証である制服姿の胸にBAR『BLUE』のプレートとネームが刻まれていて。これでようやくは行き先が両者理解できたと言えるだろうか。
「俺はパスだからな…」
いつもの事ながら、武彦の協力は無いにしろ。
■ 失せ物
朝、興信所にセレスティのリムジンが止まるのは早く、丁度武彦の朝食と彼の妹の零に昼食を作るお願いをした後すぐに車に乗り込んだシュラインは疲労の混ざったため息をついて行きましょうと口にした。
「朝から大変ですね」
「いいえ、いつもの事よ。 それより今回も頑張らなくちゃね」
財閥総帥の地位も波はあっても大変なものだろう、特に午前というセレスティの体質にとっては早起きをしたのだからと、そう二人で笑い合って小型のリムジンが蜘蛛路地を行く様を車窓から眺める。
相変わらずのゴミの違法処理、落書き等の激しい路地を何度も曲がりくねってようやく着いた先には流石にBARと銘打ってある場所か、まだ表から見ても静かな『BLUE』が小ぢんまりと二人の目の前に立ち竦んでいた。
「あ…、シュラインさん? セレスティさん?」
「おはよう御座います」
「みなもちゃん?」
午前のしかもこんな寂れた路地の中にあるBARで出会うには不思議な面子だと互いが互いに思っているだろう。
みなもは大抵はこの時間は学校、確かに時折抜け出してきている場合があるが制服姿で。カウンター席に座りノンアルコールとはいえカクテルを飲んでいる姿も妙と言えば妙。
セレスティは午前に動く事などあまりしないであろうし何より財閥総帥がこの路地をリムジンで進む姿は不思議だ。
シュラインは怪奇事件を草間と共に、或いは代理で請け負う以外で別の人物と二人で出歩くという事は貧乏暇なしの興信所手伝いとしてはあまり無い。ただし、それがセレスティと共に登場した場合多少話は別になってくる。
「いらっしゃいませ、セレスティさんにシュラインさん。 来て頂けて幸いです」
「あの…、何かあったんですか?」
少しばかり深刻な表情でカクテルを飲んでいたみなもは、突然の来訪者に少女らしい青く澄んだ瞳を瞬きさせ妃を見た。
「何かあった…のでしょうね。 ふふ、実はシュラインさん以外依頼内容を聞くのをおあずけして来ましたから」
「セレスティさん…なんだからしい、というかなんというか…」
答えたセレスティは依頼内容を聞かなかったと言ってはいるものの、その様子はどこか全て聞いてきたように悪戯っ子の顔をしていてシュラインとしては微妙な所であろう。
「実はね、失せ物事件の依頼を受けていて、昨日丁度その依頼を受けた時にセレスティさんが来て協力してくれる事になったの」
一人事件があるのか無いのか飲み込めないみなもに優しく、そして簡単ではあるがどんな依頼であるかをシュラインは口にする。
「くだらない件かもしれませんが宜しくお願い致します。 詳細は…―――」
シュラインは端から依頼を引き受けるつもりで、セレスティは殆ど興味本位で、みなもは協力するか考えあぐねているようではあったがとりあえずはと、一通り三人が三人とも互いの顔を知っている事を確認した妃は詳細を機械的に話しはじめた。
そもそもの発端はこのBAR『BLUE』の店長、暁・遊里が家の鍵を無くした事から始まり、そこからその場に居た者が次々に最近無くした物を口にした事から草間興信所への依頼が決まったと。
「うーん…随分曖昧ねぇ…」
流石にカウンター席では顔を突き合わせて話が出来ないとソファが向かい合わせとなった席へ、セレスティとみなもそして妃と移り、昨夜も聞いたという依頼内容を聞きなおしたシュラインが形の良い唇に手を添えながら首を傾げる。
「確かに曖昧ですね…。 気が付いたら物が無くなっているというのがまるで妖精さんのようですが」
「セレスティさんらしい意見ね、確かに小物という点では大きな動物、ないし人間では無いようにも思えるけれど」
そういってふいに皆が皆静かにしているみなもを、あまりにも静かだと見やれば。
「あ…はい。 失せ物ですねお手伝いします」
「みなもさん大丈夫ですか?」
こくり、ただ首を大きく縦に振るだけのみなもは彼女らしくなく何か悩みがあるようであったがそれでもやるのか、やらないのかを律儀に答えるあたりは逆にこの少女らしい。
「えっと、妖怪ないないさん…」
「妖怪? ある意味セレスティさんの妖精のような発想ね」
家、建物に住み着いて何かをするというのは西洋の発想と東洋の発想で多少違うものの、妖精と妖怪が似たような事例を起すというのは確かにありうる話ではある。
「とはいえ、霊能力も探し物をする能力も無いですから…」
「ねぇ、みなもちゃん本当に大丈夫…?」
「はい、すみません。 大丈夫です」
自信が無い。まるでそう言いたげなみなもに今度はシュラインが目を合わせるようにして顔を覗き込みながら問う。
けれど、歳相応に悩むみなもはその真面目な性格もあってか心配するセレスティとシュラインを一度交互に見て深呼吸。今度ははっきりと大丈夫だと告げた。
「ふむ、少しみなもさんが心配ですが…依頼を先に片付けてしまった方がいいのかもしれません…」
「はい、あたしは大丈夫ですから」
力になれなくて申し訳ないという意味合いもこめられているセレスティの言葉だが、じっくりと話をした事は無いとはいえその悩みに人が勝手に踏み込んではいけない事だと察しているらしい。
「そうね…となると気になるのは失せ物を最後に見た時間と無いのに気付いた時間、その間の行動。 こんな所かしら?」
同じ女性という立場から矢張りシュラインもみなもを気にかけてはいたが本人がしっかりしているのだ、一度口元を困ったように顰めさせたが次に的確な情報収集を意見する。
「ええ、同感です。 それに家の鍵が無くなってしまったというのは少し気になりますね…これだけが目的なら暁さんの家の方が危ない」
発端が家の鍵、けれど他の失せ物というのは普段人間が些細な事で無くした。そう考えてもおかしくはなく、セレスティの意見の後皆が皆で一様に思考を巡らせた。
「私は無くし物にはもらい物が多そうだから、もしかしたら物を譲与した人物…も少し考えたのだけれど…」
「どの線も否定は出来ないと思います。 ただ…無くした物の事を考えると置き忘れやすい場所から考えてみるのもありかな…ってあたしは思ったんですけど一度確認を取ってからまず探してみるのはどうですか?」
妖精に妖怪、はたまた人間という説と情報の少ない中ではありとあらゆる可能性が出てしまう。
「そうね、みなもちゃんの言う通り杞憂かもしれないし…。 とにかく先程の確認事項、萩月さんお願いできるかしら?」
今現在『BLUE』の従業員は一人しか居ない。シフトの関係だろうかその辺りまでは流石に口にしなかったシュラインだが多少情報の少なさを覚悟しなければならないと目を細めた。
「了解しました。 優菜さんでも居ればもう少し正確だったかもしれませんが、店長は賑やかな人ですし切夜も意外と五月蝿いですから殆どの事は記憶しています」
詳細、かつ簡潔に。そう考えるとメモにした方が理解しやすいだろう。そう妃は思ったのか『BLUE』の備品チェック用のメモを持ち出し、その一番下の使用していない紙の裏側にある程度の日付と無くした人物がそう言った時刻やシフト等を詳細に書き記していく。
「失せ物ですから、日ごろや一年となるともっと酷いものですが…」
今年の現在に至るまで、冬が二件店長のバッチで一つはあまり大切では無いと主張していた物とレアと騒いだ物が夜中に消失。
冬から春にかけてが五件、切夜の木製の手帳ペンのボールペンタイプとシャープペンタイプの二本と店長のバッチでレアだとこれまた騒いだのが二個に店の合鍵一個。これも全て夜、ないし深夜。
そして春雪も溶けた頃に無くなった物の件数十件、優菜の指輪が一つに萩月から借りた金属のペンポールペンタイプが一本、店長が切夜に借りた百円玉四個にバッチ三個、このうち二つは買ったばかりらしい―――そして最後、この依頼の発端となった鍵が全て夜から夜中にかけて消失している。
「夜が多いんですね」
簡素ではあるが理解は十分可能な程度に書かれたメモを見て一言、みなもは眉を顰めた。
「動物なら鼠か鳥かな、って思ったんですけど夜ってあまり光が目立たないし…」
「お店のライトの光で…って可能性もあるわ。 突き止めてみなければわからないけれど動物の可能性もあるから妙な物音が聞こえたら知らせるわね」
シュラインはとりあえず聴力を研ぎ澄ませ話を進める。人の声も多少は大きく聞こえなくはないが調整はなんとかなるだろう。
折角午前に来たのだ、全て可能性のある時間に試しておくのは当然の事である。
「あとはお店の中で妙な物が無いか調べるだけでしょうか…悪戯なおまじないかもしれませんしそれに―――」
「それに、なんですか? セレスティさん」
意地悪なおまじない、つまりセレスティは呪いの線も考えているらしい。
まるで怪談話でもするかのように密やかな声にみなもは息を呑む。
「萩月さん、無くした物の他に増えた物はありませんか?」
その言葉に一度皆が静かになり、セレスティの考えている呪いについての話だと悟って次には妃を見た。
「増えた物、ですか…特には…無いように思いますがただそうですね、情報として役立つかはわかりませんが掃除が少し大変だ。 と優菜さんが言っておりました。 彼女は未成年ですからお酒の仕事より掃除担当が多いので」
何しろ店長が汚しますから、と付け加えた妃にそれは呪いとは違う可能性が多いのではないか。シュラインもみなもも特に掃除はよくする立場にある為、その時の事を考えれば苦笑が漏れる。
「ふむ、わかりました。 そろそろ話し合っていても埒があきませんね、少しみなもさんの言うように置き忘れやすそうな所を探してみましょうか」
何を考えているのか、妃の情報を良いとも悪いとも言わずにセレスティはそう言ってソファ伝いに歩くと店の隅に置かれた自らの車椅子の収納から折りたたみ式の杖を取り出した。
「ついでですから、掃除の大変そうな所も一緒に」
この狭いのか広いのか、少し入り組んでいてわからないがそれでも車椅子で移動するのは不便で、午前から昼に傾き始めた時刻、店内捜索は始まったのである。
■ 死骸
『BLUE』という店は一階にカウンター席とソファ、テーブル席が半々の組み合わせとなっていて扉近くのあまり機能的とは言えない階段から二回テーブル席に行ける。とは言っても二階は客足も少なく一階よりも狭い事から、がらんとしたその場所自体は掃除もそれ程難しくなく、手短な所と言えばバーカウンターの下や店員用のロッカールームが一番妥当ではないか。
最初に置き忘れの探索を申し出たみなもの意見によりそれぞれが思う所に向かおうとした矢先、今日これで三度目の銅の鈴の音が元気良く高らかに響き渡った。
「こんにちは、朱居入りまーす!」
ショートカットで学園の制服もそのままに入ってきた少女はそうやって扉を開けた瞬間、視界に飛び込んできたいつも見る副店長の妃以外の三人を見て何度か目を瞬かせる。と。
「あ、朱居さん…?」
「海原さん? わっ、お久しぶり!」
丁度ロッカールームへ続くドアを開いたその時に以前聞いた声を耳にしてみなもは今まで沈んだような、どこか難しく顰めていた眉を一度だけ明るく弾けさせた。
「もしかして指輪を無くしたっていうのは貴女?」
「え、指輪の事をどうして…?」
続いてシュラインが出会った事の無い少女に一瞬何事かと見張った瞳を細め、みなもとの会話で聞こえた『朱居』の苗字で妃が書いたメモに載っていた指輪を無くした店員だと気付く。
「ごめんなさい、説明が無かったわね。 私はシュライン・エマ、今萩月さんに依頼された失せ物探しをこっちのみなもちゃんと…」
「セレスティ・カーニンガムです。 三人で探し物をしようとしていた所だったのですよ」
車椅子ではないせいか、優雅な仕草というより直立したどこか紳士的な雰囲気がするセレスティはいものようにどこか穏やかな口調で微笑む。
「あ、朱居優菜です。 なんだか遊ちゃん店長の話から大きくなっちゃったようですが…依頼を受けてくださって有難う御座います!」
勢い良く頭を下げられるとなんだかとてもくすぐったい気持ちになる。
それは幾度も様々な依頼を受けてきた三人からしてみればそろそろ慣れても良さそうなものなのだがこればかりは早く頭を上げて欲しいと思う時が多い。
「そうね…私は朱居さんに聞きたい事が出来ちゃったんだけれど…みなもちゃんは萩月さんと探索をお願いできる?」
指輪の事や優菜の情報はまだしっかりと聞けてはいない。それにこの規模的に小さな店ならばいつでも連絡が取れるだろうとシュラインは切り出す。
「わかりました。 えっと、セレスティさんは?」
「すみません、私も少し彼女に聞きたい事があるので先に探索をお願いしても宜しいでしょうか?」
セレスティは掃除について何かひっかかる事があるのだろう、シュラインと共に追加情報を期待しているようで。
「それじゃあ、あたしロッカールームから探してみますから何か進展があったら呼んでください」
「ええ、なんだか押し付けちゃってごめんなさいね」
シュラインの横でセレスティも少し頭を下げてみなもにすまないと気遣っている。口に出さないのはあまり責任感の強い少女に無理をさせないようにとの精一杯の心遣いなのだ。
「気にしないで下さい、それじゃあ」
みなもと妃がロッカールームに消えるその背中を見送って、二人は何を聞かれるのだろうとアニメならば頭の上にクエスチョンマークを躍らせている優菜と共にもう一度ソファに座る。
「まずは私からでいいかしら? ええと、指輪なのだけれどね、着けている時に無くしてしまったのかそれがどうも妙だと思っていたのだけれど…」
セレスティに頷きながら合図を取り言葉を紡ぐ。
妃の話だと優菜は『いつも着けている』物を無くしたと言っていた、もしそうだとしたならば人物が犯人であり彼女に触れた事のある人間が怪しいという事でもあるのだ。
「いえ、確かにいっつもつけてるんですけどそれは学校とか家の中でとかの話であってお店…飲食店のバイトって結構アクセサリーの事も五月蝿くてなるべく外しているんです。 指輪は私のシフトが夜に組まれているから外してロッカーに置いておいた筈が帰る頃になったら無くなっちゃってたんです」
「うーん、杞憂だったようね。 ありがとう」
人間の可能性が消えたわけではないが、けれど少しだけその線が薄れた事にシュラインは安堵と共に振り出しに戻ったかのようにして綺麗に天を向く眉を下げる。
「それではもう一つ、お掃除が大変だそうですがつまりはどういう所が大変なのです? 何か、見つかったから…とかはありませんか?」
「あ、お…お掃除の事ですか?」
「ええ、その様子だと何かおありのようですね」
セレスティの問いに少し戸惑ったような優菜の声が行き場を失って宙で跳ね返っているようだ。
「あまり…こういうお店だから口にしたくなかったんですが…。 虫が…居るんです」
「虫、ですか」
はい、と少女は頷く。口にするものを扱う店ならば確かにこれはあまり口外したくない事であろう。
「でも、カウンターとかそっちの方には居ない…というか、死骸なんです。 すっごく狭い所を掃除しようとしたら山のようで…その…」
「ち、ちょっと待って」
先程からずっと聴覚を鋭くしていたシュラインが優菜の言葉を遮るようにして口を挟む。が、言いかけた言葉を飲み込めなかった言葉はそのまま答えとして紡がれ。
「ロッカールームの隙間に…あんまり怖くてお掃除サボっちゃったんです」
そう、恥ずかしげに俯いた優菜の言葉が終わるか、終わらないかのうちに店内に響き渡るようにしてみなもの悲鳴が響き渡った。
■ 蓄積される
「みなもちゃんっ!?」
「みなもさん?」
突然の悲鳴にシュライン、セレスティ、優菜の三人はすぐにもロッカールームに駆けつける。
「大丈夫ですかみなも君、鍵は…あったようですが…」
妃に支えられ揺れる肩を少しだけ落ち着けながら鍵を手にするみなもの姿がロッカールームの隅にあり、その手に摘まれるようにしてある可愛らしい犬のマスコット付きキーホルダーはそれでも目を逸らしたくなるような虫の、張り付くような死骸までがらがらに痩せしがみ付くようにしていた。
「…!?」
「シュラインさんも大丈夫ですか? 顔色が青い…」
決して、その虫の死骸がなんであるか判別はつかないがかなり大きく少女の手の大きさの半分程であろうか、女性が見て悲鳴を上げないだけまだ良い方だろう。
みなもにシュライン、優菜と殆どが女性である今、震える少女を助けている妃に覗かせるわけにもいかずセレスティは鍵があったと思われるロッカールームと壁の隙間を見やる。
何より、呪いの説が濃くなってきている今、気分は良くないが自分の説を確かめたかったのが一番であろうか。
「随分と…多いですね…」
「何が多いのですか…?」
この死骸の事を妃は知らないのだろう、一度手招きをして死骸の溜まり場と化した隙間を見せると流石に今まであまり表情を崩さなかった妃の顔が歪んだ。
「おかしいですね…元々店内にこれ程虫が発生した事もありませんし…掃除されていなかったとしても溜まる筈は…」
困惑したように頭を振るのも当然だ。
死骸、そう一概に言ってしまえば小規模であり確かに店内でもそこだけであるようだから決して酷いとも言い切れない。
けれど、本当にその隙間だけを見ればここが何処であるのか、虫の死骸置き場にでも来てしまったのではないかと目を疑う程、あらゆる虫の形をした魂の抜け殻が積まれているのだから。
「一度保健所に調べてもらった方がいいのでしょうか…」
ため息を漏らす妃はどうやらよく散らかす店長のせいだと思い込んでいるらしい。
「いえ、その必要は無いと思いますよ。 この場所だけの発生といい、量といい…証拠を掴まなければわかりませんが多分これは呪いに近い類だと思います」
「呪い? でも虫を使うのならもう少し良い方法があるんじゃないかしら?」
多少まだ青ざめてはいるがシュラインの言う事は正しい。
飲食店に虫を放つならば見えない所ではなく見える所でそれこそ衛生面を汚してしまえば良い、それなのにこの発生の仕方では衛生面どころかロッカールームのほんの隅っこだけの事件に見えなくも無いのだ。
「他人が仕掛けたのではありませんよ。 呪いに近いという表現を使用しただけで」
「呪い…ですか、でもあたしそんなに悪い気分はしなかったんですけど…」
ようやく収まった震えをまたおこさないようにみなもは自らの身体を抱きしめるようにして立ち上がる。
「確かに、あたしに霊能力なんてないですが…でも嫌な物はきっともっと嫌だと思うんです」
その言葉にセレスティは何も言わずに頷くと。
「それでは本当にここが発生現場か試してみるのが一番の方法かもしれませんね」
「ええ、ちょっと気味が悪いけれど…」
思わぬ方向に来てしまったとシュラインは頷き虫の死骸が取り払われた鍵を手にした。
時間は既に夕暮れ、何かまた『無くしてしまう』とするのならばもうすぐである。
■ 眠る場所
夜と言える時刻に差し掛かった店内。結局従業員は妃と朱居の二人のみしか出勤して来なかったが元々あまり流行っていないのだから良いのだと、この件に関してとりわけ営業に関しての問題は無いと言われた副店長はカウンターに戻り掃除をする筈の優菜がいつもこの時間、ロッカールームがどういう状態になっているかを再現した。
「うーん、これじゃあやっぱり鳥の可能性は無いわね…。 鳥かしらって思っていたのだけれど…」
真っ暗で店の方からの光と窓から入ってくる微かな光では光物が好きな鳥でも上手くは飛べないだろう。何しろ窓が開いていないのも無理という理由の一つだが。
「でも、本当に家の鍵を貸して貰ってもいいんでしょうか?」
「うーん、副店長が良いって言うから良いと思うんですけれど…」
みなもは一度聖水に浸されロッカーの下に餌のように置かれた鍵を全員が思い思いの場所に身を潜める中、優菜と共にもう一つ立つロッカーの後ろに隠れながら呟く。
その問いに苦笑しながら優菜が答えてはいるが多分、落とし主本人が居ればなんだかんだと文句を言う姿が思い浮かぶのであろう、どこか笑いがぎこちない。
「それにしても聖水まで持ってきていらっしゃるとは思いませんでした」
「一応『そっち』の方向も考えて持ってきたのよ、今までが今まででしょう?」
「確かに」
セレスティとシュラインも身を潜めながら会話をするが、どこか彼女の言葉にはこんな筈ではなかったのにという虫を恐怖するそれが混じっている。
本来四人という人数が入る為に造られていないロッカールームは多少息苦しさを感じたがセレスティの言う『呪いのようなもの』の確認をするには、はっきり見える場所に立って待っているのもなかなか奇妙と言えるのだから仕方が無い。
「来た…みたいよ…」
聴覚の鋭いシュラインが耳を押さえ、まるで聴きたくないというように目を伏せる。
それを合図に息を潜め、身動きすらとらず四人はただじっと聖水の水分を含んだ鍵を見た。
かさり、小さな、本当に耳を澄まさなければわからない紙を擦らせるような音が暫く経った後、だんだんと聞こえるようになりシュラインはその音を遮断するように聴覚を元に戻す。みなもも気味の悪い虫に優菜と共に身を寄せながらぼんやりと明るくなっていくロッカーと壁の隙間を見つめる。
音はだんだんと確実な物となっていき、狭間からは青白く光る虫。
「可愛くない妖精さんのお出ましですね…」
一人ただ脅える事もなく密やかな光にどのような虫が来るのかと期待の目を向けていたセレスティが、少し残念だと言わんばかりのため息を漏らす。
見た目は何処にでも居るような背中の大きな虫。世間一般で言うゴキブリの形にも似ているが一概にそうとも言えないのはぼんやりと光を放った幽体だという事か。
自らと同じ程の大きさである鍵の近くに行き、聖水に反応したのか持ち帰るに持ち帰られない状態になっているのだろう、辺りを行ったり来たりしている。
「どうやらこの類の虫で当たりのようです」
ゆっくりと蛍光灯の電気に近づき明かりをつけたセレスティの声と共に、ぱっ、と全員の視界が明るくなる。
「も、もしかして虫が小さなものを集めていたというの?」
光と共に成仏の叶わぬ幽霊のようにしてもがき、消えた虫のその姿に背筋を別の意味で凍らせながらシュラインが呟く。
「ええ、おそらく。 あの量で死骸が集まっていたという事は他の無くし物はその屍のもっと内部にあるのでしょう。 ―――…所謂、人間の真似事ですね」
「真似事…これが…?」
シュラインの頭はいつものようにくるくると早く思考を回転させ、消えたばかりの虫の事を考え始めた。
屍の上に小さな物を置いて、そして集団でそこに眠る。その光景はまるで。
「虫の…墓地、ですか」
感情の無い人形のような、どこか寂しげなみなもの声がロッカールームに静かに響いた。
■ そしてまた…
「なんだか疲れちゃったわ…」
ロッカールームの昆虫霊のすぐ後、あの虫の亡骸達はセレスティが手配した清掃会社によって取り払われ、その中からほぼ全ての失せ物が見つかった。
見つかったのはいいのだが、どうにもシュラインは疲労感が抜けず、興信所に帰ってくるなり珍しく頭を抱えて皮がボロボロに剥げ始めたソファに横になる。
「何かあったのか?」
「ええ、まぁ。 あったと言えばあったわね…」
失せ物も見つけ、その原因がわかってもいまいちしっくり来ないのは何故だろう。
清掃会社の社員によって片付けられていく亡骸、もとい墓地から掘り出された虫の骸に成仏への祈りを捧げる間、心の中には小さなもやがシュラインを支配しているのだ。
「ねぇ、武彦さん」
「ん?」
所長椅子に座る武彦からは相変わらず煙草の煙が絶えずなびき、辺りをもくもくと煙の渦へと巻き込んでいく。と。
「お、もう蠅の時期か…」
嫌な羽音が響き線を描くように舞ってぴたり、丁度灰皿の隅に羽を落ち着けるようにしてとまる。
「武彦さん、それ…―――」
殺さないで、今自分はそう言おうと迷ったのだろうか。
シュラインの目線の先で煙草の火に塗れ死んでいく蠅を見ながら、武彦の行動を止めようとした自分が何故か不思議になり言葉を、息を止めた。
「仕方ないだろう。 ここは人間の住む場所だ」
「そう…」
そうね。と、次に出た声がようやくシュラインの心を安堵させる。人の居る場所に来てしまった以上、逃れられない事もあるのだ。
ただ、そこから始まる怪奇が日常に潜んでいるだけで―――。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1252 / 海原・みなも / 女性 / 13歳 / 中学生】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【NPC / 萩月・妃 / 男性 / 27歳 / カクテルバー『Blue』副店長】
【NPC / 朱居・優菜 / 女性 / 17歳 / 私立神聖都学園高等部】
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■ ライター通信 ■
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こんばんは。只今こんばんはな時間に後書きを書いております、まだ、まだ新米と言い張りたい、言い張っているライターの唄で御座います。
まず、暫くぶりの依頼でしたがご参加頂けて本当に有難う御座いました!
相変わらず地味な依頼でなかなかに難しくしてしまったらしく、完全にこれだ!と当たった方はおりませんでしたが皆様の長所等を合わせての『虫の巣』もとい『虫達の墓地』の発見と相成りました。
意味としては日頃、その存在を確認しただけで殺されてしまう虫達、人のように墓の無い生き物の居場所についてのお話としてメインに据えております。わかりやすく書けていれば…幸いです。
プレイングの方は近い物や当たりの部分を優先して使用させていただきました。全て出来ていない所もあるかと思いますが申し訳御座いません。
また、皆様各々でストーリーテーマをつけて個別部分等を設けておりますのでお暇なお時間にでも読み比べて頂ければ幸いです。
誤字・脱字等なるべく気にかけておりますが間違い、イメージの崩れ等御座いましたら申し訳御座いません。
何か御座いましたらレターにてお言葉を頂けると幸いです。
シュライン・エマ 様
少しぶりでしょうか、お世話になっております!まず、色々気味の悪い思いをさせてしまい申し訳御座いません!少しでも気に入っていただけた箇所があれば良いのですが…。
草間興信所からの依頼参加という事で草間氏と共に登場となりました、が、相変わらず私の書く草間氏はへたれで…申し訳御座いません…。
共通ストーリー中では主に提案役をお願い致しました。プレイングの方は多かった『鳥の予想』と『おびき寄せ方』、能力では『聴力』を優先させていただきました。
これ、という最終的なものは外れておりましたがそれ以外ではほぼ八割方当てられて内心びっくり致しました。
それでは、このストーリーの中でほんの少しでも何か思う事がありますよう願いつつ。
これに懲りず、依頼やシチュ等でお会いできる事を願いまして。
唄 拝
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