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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


『四菱桜の初恋』
◆プロローグ◆
 ソレは、ほんの偶然だった。
 四菱桜が下校しようと、神聖都学園小等部の校舎から出ようとした時、たまたま横手から走って来た人とぶつかった。
 そしてたまたま、その人がSPの鬼道院(きどういん)によって捕獲され、たまたま彼と目があっただけなのだ。
 本当にそれだけだった。
 たったそれだけで、桜は恋に落ちた。
 鬼道院の「お嬢様。コイツの処分は如何致しましょうか」という問いかけも桜には届いていなかった。
「す、すいませぇん。悪気はなかったんですぅ……」
 情けない表情で涙声になりながら、自分の非を詫びる彼の顔立ちはまるで女性のようだった。神聖都学園高等部の男子生徒服を着ているので男だとわかるが、女子生徒が罰ゲームで着せられていると言われれば思わず納得してしまうだろう。
 それほど彼は秀麗な容姿をしていた。
 目に掛かるか掛からないかで切りそろえられた黒髪は繊細で、弱々しく儚げな目元を彩るのは長い睫毛と透明感のある瞳。小振りな鼻はヒクヒクと可愛らしく動き、僅かに開かれた口からは白い歯が見え隠れてしていた。
「ね、ねぇ。お兄ちゃんの名前は何と言うのだ?」
 尻餅をついた体勢のまま、桜は大きな目を輝かせて可愛らしい口調で聞く。
「え、僕? 三下忠、と言います……」
 ソレが世界的超巨大企業『四菱』の令嬢、四菱桜と月刊アトラスのダメ編集員、三下忠の最初の出会いだった。

◆四菱桜の初恋◆
「さて、とぉ……。お昼ご飯、お昼ご飯」
 昼休み。
 九竜あきらは太陽のもたらす恵みを満喫するため、屋上でピクニックシートを広げていた。
(こういう天気の良い日は……ココで食べるのが一番美味しいんだよねぇ……)
 ぽかぽか陽気の中、あきらは早起きして作ったお手製のお弁当を開ける。
 たまご焼きにタコさんウィンナー。きんぴらゴボウに、ほうれん草の白あえ。そしてメインディッシュは鮭の塩焼き。赤、緑、黄色と様々な彩りが目も楽しませてくれる。小食なため量自体は少ないが品数は豊富だ。
「いっただっきまーす」
 お箸を両手で挟み、あきらが満面の笑みを浮かべてそう言った時、屋上の出入り口が乱暴に開けられた。
「んー?」
 突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に、あきらは少しビックリして音のした方に顔を向ける。
 そこには同級生の三下忠が、息を荒くして目を血走らせていた。
 一見すると女子高生とも見違えそうな華奢でほっそりとした体つきをしている。顔立ちも女性的で、彼に対してはあきらも共感できる部分が多かった。
「あれあれ三下君……。そんなに急いでどうしたの……?」
 とりあえずお弁当をシートの上に置き、ただ事ではない様子の三下を見ながら小首を傾げる。
「く、九竜君! お願い助けて!」
 今にも泣き出しそうになりながら、三下はあきらにすがりついた。
「お、追われてるんだ! 今度こそ殺される!」
「おやおや、それは穏やかじゃないねぇー……」
 やんわりとした口調を崩すことなく、あきらは三下の肩を軽く叩きながらなだめる。
「ほら、とりあえずお茶でも飲んで落ち着いてー……」
 魔法瓶から冷たいお茶をコップに注ぎ、あきらは両手で持って三下に差し出した。それを震える手で受け取り、一気に飲み干す三下。さらに二杯のお代わりを胃袋に流し込んだところで、彼はようやく落ち着く気配を見せた。
「あ、ありがとう。九竜君」
 大きく息を吐き、三下はコップをあきらに返す。
「それで……? いったい、どーしたの? 殺されるって、誰に……?」
 ここで会ったのも何かの縁だ。あきらはとりあえず三下の話を聞いてみることにした。
「よ、四菱桜ちゃん……」
 三下の口から出た言葉に、あきらは思わず納得する。
 四菱桜――世界レベルで活躍する日本で有数の大企業『四菱』のご令嬢。この神聖都学園の小等部に通っている彼女の名前を知らない者は、この学園は勿論のこと異界中を探してもそう多くはいないだろう。
 理由は『四菱』のご令嬢だからだと言うだけではない。彼女には常に何百というボディーガードが影で見張っており、極秘かつ超強力かつ鬼過保護に護られている。桜が転んで膝を擦りむこうものなら、即座に特殊医療部隊がヘリから投下され、都心の大通りを通行封鎖してでもその場で桜の治療を始めるだろう。
 とにかく本人が意図しないところで周囲に多大なトラブルを撒き散らしていることが、彼女の存在を広く世間に知らしめていた。
「そ、そっかぁ……桜ちゃんに追われてるんだぁ……。それは大変だねぇ」
 さすがに声をどもらせながら、あきらは同情の視線を三下に向ける。
「それで? どうして追われてるの?」
「実は……」
 そして三下の口からこれまでの成り行きが語られた。
 事の発端は四日前。偶然桜とぶつかった事から始まる。
 その時になんと桜が三下に一目惚れ。だが三下にロリータ趣味はない。出来るだけ穏便に、桜を気遣いなら断ったつもりだった。
『桜ちゃんって可愛いから僕なんかには勿体ないよ。僕より格好良くて素敵な人は沢山いると思うから』
 遠回しな発言。だが精神年齢の幼い桜は、言葉を裏読みするなど出来ない。ただ純粋に額面通り受け取るだけ。
『お兄ちゃんが桜ちゃんのことをカワイイって言ってくれるなら何の問題もないのだ。桜ちゃんの中では今、お兄ちゃんが一番なのだ。だから結婚するのだー!』
 ――そして三下の地獄が始まった。
 連日連夜続く『嫌がらせ』という名の求愛行動。
 とりあえず挨拶代わりにと、三下の身をいかなる危険からも護るため、彼には桜と同程度のボディーガードを付けられた。そしてプライベートは皆無となった。
 次に三下の住むあやかし荘を綺麗にしてやると全面的な改装工事を決行しようとした。嬉璃の呪いや天王寺綾の財力のおかげで未遂に終わったが。
 ジェット噴射機内蔵のウェディングドレスを着た桜に追いかけ回された時にはさすがに焦った。おかげでどこに行っても白い目で見られる。
 そして極めつけは昨日の出来事。三下に絡んできた柄の悪いアメリカ人をボディーガードが半殺しにした後、領事館に駆け込んで責任を追及。その結果、危うく戦争が勃発しそうになった時には真剣に自殺を考えた。
「うーん、無邪気って恐いねー……」
 話を聞いているだけでありありと浮かんでくる桜の奇行。
 本人にしてみれば三下に振り向いて欲しい一心で行っているのだろうが、逆効果であることには全く気付いていない。恐らく、これまで欲しい物は何でも与えられてきた桜だ。三下を手に入れると決めたからには、絶対に引き下がることはないだろう。
「九竜君……何とかならないかなぁ?」
 言われてあきらは、顔を僅かに下げて考え込む。今この時もボディーガードが三下を見はっているのだろう。あまり下手なことは言えない。
(やっぱり、それしかないよぁ……)
 しばらく考えた後、あきらは誰でも思いつくだろうが最良と考えられる結論を出した。
「ちゃんと、桜ちゃんに話した方がいいよ。面と向かってさ……」
 あきらの提案に三下の顔が恐怖で引きつる。それ程桜に対する負の感情が、三下の中で根付いているのだろう。
 確かに、あまりにハッキリ言いすぎると傷つけてしまうかもしれない。それがキッカケで三下の身に実害が及ぶ可能性もある。だがこのまま放置しておくのが一番危険だ。桜の行動がこれからどんどんエスカーレートしていくことは、火を見るより明らかなのだから。
「俺も一緒に行ってあげるから……ね?」
 諭すような口調で言いながら、あきらはガックリと項垂れる三下の肩に優しく手を置いたのだった。

 小等部の授業が終わるのを見計らい、あきらは三下を連れて桜のいる教室に向かった。
 自分達が居る高等部と違い、靴箱や机など全てが小さく見える。
「言うことはちゃんと考えてきたよね……?」
 暗い顔つきで自分の後ろを歩く三下に視線を向けながら、あきらはやんわりと聞いた。
 ビクッ、と一度体を震わせた後、コクコクと壊れた人形のように何度も頷く三下。
「ゃ、やばくなったら、ふぉ、フォローして、くれる?」
「勿論」
 未だに踏ん切りの付いていなさそうな三下を、あきらは元気付けるように即答した。
 その直後にチャイムが鳴る。授業終了の時刻だ。
 さっきまで静まりかえっていた廊下に小声が混じり、それが徐々にはっきりとした笑い声へ。そしてやかましいほどの喧噪に変わった。
「あー! お兄ちゃんなのだー!」
 わらわらと出てくる、自分達の腰より少し上くらいの小学生に混じって、桜が大声と共に姿を見せる。胸元に垂らした茶色いおさげのよく似合う、快活そうな少女だ。
「どうしたのだ、こんな所に。もしかして桜ちゃんに会いに来てくれたのか?」
 大きな目を輝かせ、桜は声を弾ませてまくし立てる。
「う、うん……まぁ……」
 三下は桜と会わせることの出来ない目を泳がせながら言葉を濁した。足下を何人も小学生達が元気に駆けて下校していく。そんな彼らを視線を預け、三下は口を開けたまま言い淀んだ。
「ほら……三下君。言いたいことがあるんでしょ……?」
 このままでは話が進まないと見たあきらは、軽く三下の心を押してやる。
「言いたいこと!? 桜ちゃんにか!? それじゃ、やっと結婚してくれる気になったのだな!?」
 まさか断られるとは夢にも思っていないのだろう。桜は大きな目を更に大きくして、期待に満ちた視線を三下に浴びせる。
「実は、その……」
 尻窄みに消えていく三下の言葉。肝心な部分がまるで聞き取れない。
「何のだ? いま何て言ったのだ?」
 三下のズボンを引っ張りながら、桜は満面の笑みを浮かべて見上げてくる。
(頑張れ、三下君。もうちょっとだ……)
 心の中でエールを送るあきらの思いが通じたのか、三下は意を決したような表情になって口を開いた。
「僕……桜ちゃんとは結婚できないんだ」
 震える声。しかしハッキリと言いきった。思っていた事を伝えた。
「え……」
 だが、それに反応して桜の顔に見る見る陰りがさしていく。
 眉が下がり、瞳が潤み始めた。口元をわななかせ、震えが体中に伝播していく。まるでこの世の終わりのような顔つきになり、桜が今にも泣き叫ばんとしたその時――
「だ、だからね! 大人、大人になったら、また考えよう。桜ちゃんが大きくなったら、僕も桜ちゃんのこと一人の大人として真剣に見るからさ」
 三下が慌ててフォローを入れた。
 その効果がテキメンだったのか、あっと言う間に桜の顔に希望の光が戻ってくる。
「本当か!? 本当なのだな!? 桜ちゃんが大人になれば、結婚してくれるのだな!?」
「え……? あ、ぅ、うん……」
 勢いよく叫ぶ桜に気圧されてか、三下は思わず肯定の意を呟いた。
(あーあ、そんなこと言っちゃって……知らないよー……?)
 恐らく十年もすれば桜も綺麗サッパリ忘れると思ったのだろう。その考えはあながち間違いとは言えない。時間が全てを解決してくれるときだって往々にしてあることだ。しかし相手は単なる夢見がちなお子さまではない。四菱のご令嬢だ。
 発想力、行動力、実現力。どれをとっても普通の同年代とはかけ離れている。
 嫌な予感を拭い去れず、あきらは胸中で嘆息したのだった。

 あれから一週間。
 何事も無く平和な日々が続いている。
 あきらは教科書に目を落としながらあくびを噛み殺し、真面目に授業をうけている三下の方に目をやった。
(よかったねー……三下君。いつも通りに戻れて……)
 ストレートの銀髪を指先でいじりながら、あきらは蒼眼を細める。
 教師の声が子守歌に聞こえ始め、瞼が重くなって来た時、教室の扉が勢いよく開かれた。
「お兄ちゃん!」
 そして溌剌(はつらつ)とした声に乗って、純白のウェディングドレスに身を包んだ大人の女性が飛び込んで来る。
 腰までのびた栗色の髪の毛は一本一歩が絹糸のような光沢を放ち、目鼻の整った横顔には熟成した大人の優美さと、童女のあどけなさが共存していた。
 両手で抱えているのは色鮮やかなブーケ。数人の侍女にドレスの裾を持たせて浮かせ、突然現れた美女は真っ直ぐに三下の机へと駆け寄った。
「大人になったのだ! だから約束通り結婚するのだ!」
 尊大な語調で紡がれるソプラノ・ボイス。
 騒然とし熱気を帯び始める教室内で、あきらだけが冷たいモノを感じていた。
(まさ、か……)
 あの髪の色。大きな瞳。そして何より特徴的な喋り方。
(嘘……でしょ?)
 今のところ三下のことを『お兄ちゃん』と呼ぶ人物で思い当たるのは一人しかいない。
「どうなのだ、お兄ちゃん! 桜ちゃんおっきくなったのだー!」
 周囲からの視線を全く気にすることなく、大人の姿の四菱桜は三下の腕を握って強引に立たせる。そして侍女の手伝いもあって、結婚旅行だハネムーンだと叫びながら一緒に教室を出ていった。
 教師や他の生徒はおろか、当事者である三下までも放心したまま訳の分からない展開に身を委ねている。
(これは……マズい、な……)
 一度乗ってしまった船だ。途中で降りることは出来ないし、降りる気もない。
 しばらく空気が戻る気配の無いことを確認して、あきらは三下と桜を追って教室を抜け出した。

「あ、桜ちゃん……ちょっと待って」
 みこし担ぎ状態で運ばれている三下と、その手を握って幸せそうに歩いている桜を校舎の出入り口で捕まえた。
「ん? 何なのだ?」
 呼ばれて振り返ったのはどこから見ても大人の女性。化粧こそ施されていないものの、体は成長しきっている。かといって桜の面影は色濃く残っており、別人という印象は受けない。
(……やっぱり、桜ちゃんが大人になったんだ)
 なら、いったいどのようにして?
「桜ちゃん……。どうやったの? その姿……」
 あきらの言葉に桜はあご先に人差し指をあてて、可愛らしい仕草で首を傾げる。そして何か思いだしたようにポンと手を打ち、元気良く声を張り上げた。
「パパに頼んで、大人になる薬を作ってもらったのだー!」
 大人になる薬? いくら四菱が世界的な技術力を誇るとはいえ、そんな革命的な薬を一週間で作れるものなのか?
「私からご説明しましょう」
 低い声と共にあきらの前に一歩出たのは、ガッシリとした体つきの男だった。四菱のマークが胸元に刺繍された白いスーツを着ていることから、恐らく桜のSPだろう。
「おー、鬼道院! あとは任せたぞ!」
 片手を高く突き上げて言い残し、桜は未だ我に返らない三下と一緒に校門に向かって行った。
「あ、ちょ……桜ちゃん……!」
 慌てて追おうとするが、行く手を鬼道院と呼ばれた男が遮る。
(そういうことか……)
 桜の邪魔をする者は誰であろうと排除するつもりなのだろう。
「それで? 本当にそんな薬……発明したんですか?」
 ならとりあえず薬のことを聞くのが先だ。
「いえ、実は四菱の総力を挙げたのですがそのような薬は出来ませんでした。なにせ期間がたった一週間しか有りませんでしたから。途方に暮れていた時に、どんな薬も扱っているという店があると聞きまして。ワラにもすがる気持ちでその店に賭けたわけです」
「……店の名前は?」
 嫌な予感がして、一応聞いてみる。
「『アンティークショップ・レン』という名前でした」
 やはり……。
 異界のどこかに存在する怪しげな古美術店。骨董品以外にも様々な物を扱っている。あそこならば確かに、大人になれる薬くらいあってもおかしくはない。しかし……。
「その薬……桜ちゃん以外でも試してみた?」
 蓮が扱う薬は強力な正作用に付随して、超強力な副作用があるともっぱらの噂だ。
「はい、それは勿論。ただ私どもスタッフの中に子供はいませんでしたので、飲んだのは皆大人でしたが特に問題ありませんでした」
 つまり、子供に試すのは桜が初めてという訳だ。
(何事もなければいいけど……)
 ああいや、良くないか。本当にこのままだと三下と桜が結婚してしまうことになる。
 どうするのが最良の手段なのか。思いあぐねていると、桜が去っていた校門の方から悲鳴混じりの叫び声が上がった。
「なんだ!」
 顔を強ばらせて鬼道院が後ろを振り返る。あきらもその視線の先を追った。
「桜ちゃん!」
 そこには地面にうつぶせになって倒れ込んでいる桜が居た。侍女達が桜を抱きかかえ、鬼道院の方に助けを求める視線を投げかけている。
「お嬢様!」
 全速力で桜のいる場所に向かう鬼道院と共に、あきらも彼女の元に駆け寄った。
「どうした! 何があった!」
「それが……急にお嬢様が倒れられて……」
 気の動転している侍女に、鬼道院が早口でまくし立てる。
 あきらは侍女の手の上で桜を仰向けにすると、額に手を当てた。
「……すごい熱だ……」
 桜は顔を紅潮させて大量の汗をかき、早い間隔で荒く呼吸している。彼女が苦しそうに顔を歪める中、体に劇的な変化が起き始めた。
 高く通った鼻筋はどんどん背を低くしていき、引き締まった厚い唇は小さな物へと変わっていく。顔の輪郭も丸みを帯びてふっくらとし、ドレスから出ていた手足は縮んで中へと収まった。
「これは……」
 皆が見守る中、桜の体は元の子供の姿へと戻りつつあった。
 薬の効果が切れたのだ。
 だが熱は一向に引く気配を見せない。それどころか体に痙攣が起き始め、症状は悪化する一方だった。
「おい! 救急車だ! 救急車を呼べ!」
 鬼道院の大声が響く中、桜は小さな体で薬の副作用と戦いながらも、三下の手は離さなかった。

 四菱の傘下にある総合病院。
 五階にある集中治療室の前で、あきらと三下は黙ったまま俯いていた。
 病院独特の重い雰囲気。白い壁と薬臭い空気が憂鬱な気持ちを加速させる。
「僕の、せいだ……」
 黒い革張りのソファーに浅く腰掛け、三下は小さな声で呟いた。
「僕が、あんな返事したから……ちゃんと断っていればこんな事にはならなかったのに……」
 大人になれば。
 三下は桜を拒絶した時にそう言った。だから桜は大人になろうとした。一刻も早く。その結果、今回の惨事が起こってしまった。
「三下君だけが悪いわけじゃないよ。桜ちゃんも突っ走り過ぎたし、薬の安全性を検証し切れなかった四菱にも責任はある。それに、三下君をフォローできなかった俺にも、ね……」
 重油を流し込んだような粘着性のある空気が体にまとわりつく。
 今はただ、桜が無事治ることを願うしかない。
「……僕、桜ちゃんが元気になったら……恋人になる……」
 消え去りそうな三下の言葉に、あきらは顔を上げて思わず目を丸くした。
「桜ちゃん、元気になったらきっとまた無茶すると思う。多分今回以上に。でも桜ちゃんの願い通り僕が一緒にいてあげれば、それは防げる」
「でもそれは……」
「もう決めたんだ。僕だって別に桜ちゃんが嫌いな訳じゃないしね。それに一回り歳の離れている夫婦なんて今時沢山居いる。僕が三十歳くらいになって、桜ちゃんが二十歳になれば今感じてる違和感も無くなる気がするんだ」
 あきらの方に顔を向け、淡々と喋る三下の顔はどこか明るく見えた。しかし明からにぎこちない。無理矢理割り切り、何とか開き直った時の表情だ。
「三下君……そんなに早く結論出さないで……。もう一回ちゃんと話せば桜ちゃんもきっと分かってくれるから」
「……もう、決めたことだから。救急車の中でずっと考えてたんだ。今回のことは僕がはっきりしなかったから桜ちゃんに迷惑を掛けた。だからもう、一度はっきり決めたことは絶対に曲げないって。桜ちゃんが僕と結婚したいんなら、そうさせてあげるって」
 罪滅ぼしも兼ねて。
 あきらにはそう言っているように聞こえた。
「……分かったよ。三下君の決めたことなら、しかたないね……」
 だがそれも一つの解決法であることは確かだ。
 普段見られない三下の真剣な顔。男が心に決めたことに対して異論を唱える気はない。

 それから一時間ほど無言が続いた後、集中治療室の扉が開けられた。
 中から出てきた医師は笑顔で「命に別状はありません」と告げてくれた。
 
◆エピローグ◆
 四階にある一般病棟。
 白を基調とした清潔感溢れる個室で桜は横になっていた。窓辺には花が飾られ、沢山の果物が盛られたフルーツバスケットが置かれている。
 治療から三日が経ち、体力は順調に回復していた。明日にでも退院できるらしい。
「ゴメンね、桜ちゃん……」
 一般人との面会が許された今日、三下とあきらは桜の様子を見に来ていた。
 体は完全に子供の時の桜だ。栗色の髪の毛も、大きな瞳も、血色の良い顔も、何一つ変わらない。本当に無事で良かったと思う。
「どうしてお兄ちゃんが謝るのだ?」
 上半身だけを起こし、桜は意外そうに聞いてきた。
「僕、桜ちゃんの恋人になるよ」
 だが三下はそれには答えずに、笑顔で自分の決断を告げる。
「本当か!?」
 目を輝かせ、身を乗り出して来る桜。彼女の頭を軽く撫でてあげながら、三下は頷いた。
「だから、もうこんな無茶しないでね」
 何気なく発せられた三下の言葉。
 それを聞いた桜の顔が僅かに陰り、満面の笑みがどこか遠慮がちなモノに変わる。
「……やっぱり、お兄ちゃんは優しいのだ」
「え?」
 なぜか元気なく俯く桜に、三下は乾いた声を上げた。
「お兄ちゃんは優しいから、これまでも桜ちゃんのする事に付き合ってくれたのだ。だから桜ちゃんはお兄ちゃんの事がますます好きになったのだ。でも……」
「でも?」
 一度言葉を句切り、大きく息を吸ってゆっくり吐き出した後、桜は笑ったような泣いたような顔で三下を見上げて続ける。
「今の優しさは、ちょっといらないのだ……」
 桜の言葉に、三下が息を呑むのが聞こえた。
(女の子だねぇ……桜ちゃん……)
 そんな二人のやり取りを身ながら、あきらはほっと胸をなで下ろした。
 桜は幼いながらも分かっていたのだ。自分の三下に対する行為がどこか行き過ぎてあったことを。しかし三下は全てを受け入れてくれた。
 最初は一目惚れだったが、そんな三下を見て桜の想いは大きく膨れあがり続けた。そして三下の『大人になったら』という発言。早く三下の恋人になりたいとう想いが背中を押し、なりふり構わずに強引な手段に出た。
 しかし夢の時間は長く続かず、手痛いしっぺ返しをくらう結果となる。
 元々自分で撒いた種だ。苦しい思いをするのも自業自得と、桜自身はある程度納得していたのだろう。
 そこに三下の優しさが降りかかった。
 いや、この場合『優しさ』というより『同情』に近い。
 いくら三下の事が好きでも、そんな同情がキッカケで結ばれたくはない。
 小学生とはいえ女性だ。プライドだってある。精神年齢も男よりは進んでいる。
 恋愛がどんなモノか、本当は三下よりも桜の方が理解しているのかもしれない。だからこそ最初に柔らかく断られたときも、知っていてアプローチを続けた。相手にその気がなくとも、諦めずに自分をアピールしていれば生まれる恋愛もあるのだから。
「でも、桜ちゃんがお兄ちゃんを好きなのは変わらないのだ。だから、だからもっとおっきくなったら、もう一回コクハクするのだ」
 あまりの微笑ましさに、思わず笑いが漏れる。
(ホント……しっかりしてるね、桜ちゃん)
 この子はヤルと言ったら本当にヤル子だ。そして三下は不純な事が出来ない、真っ直ぐな心の持ち主。今の言葉は三下をキープするのに十分すぎるほどの効力を発揮しただろう。コレを意識的にやっているとすれば、末恐ろしい子供だ。
「分かったよ、桜ちゃん。待ってるから。それまではお友達だね」
「うん! 大切なお友達なのだ!」
 もう一度、桜の頭を撫でながら三下は朗らかに笑う。
(三下君……本当にその言葉の意味、分かってるの?)
 クスクスと小さく笑いながら、成長した桜と三下の掛け合いを頭の中で思い描く。
 それはあまりハチャメチャで、大規模で、壮大なラブストーリー。
(その時も俺の体はやっぱりこのままなんだろな……)
 十年後の二人に、当時の姿のまま「昔こんなコトしてたよねー」と話しかけるのも面白いかもしれない。
 そんなことを考えながら、あきらは三下と桜の将来を心から祝福したのだった。

 【終】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5201/九竜・啓 (くりゅう・あきら)/男/17歳/高校生&陰陽師】

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■         ライター通信          ■
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 初めまして九竜様。飛乃剣弥(ひのけんや)と申します。納品が遅くなってしまい申し訳ありませんでした(汗)。
 さて、『四菱桜の初恋』いかがでしたでしょうか。桜ちゃんみたいな女の子に追いかけ回されてみたいなー、と個人的には思ったりしています(笑)。物語の進行上「啓」の方を使うことが出来なくてちょっと残念でした。それだけが心残り……。
 また戦闘シーンバリバリのノベルでお会いできれば、その時には「啓」も登場させてみたいと思っています。
 またお会いできることを願って。ではでは。

 飛乃剣弥 2006年5月14日