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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


『逆恨みは恐いよ』
◆プロローグ◆
『心の底から愛しています。貴女を幸せに出来るのは私だけだと確信しています。
 貴女の大切な未来のパートナーより』
 几帳面な字で書かれた手紙の内容に目を通し、碧摩蓮は愛用の煙管をカウンターに叩き付けた。
「あぁ! もぅ!」
 炎のように鮮やかな紅髪を左右に大きく振り、乱暴に手紙を破り捨てる。細切れになった白い手紙が、蓮の経営する店――『アンティークショップ・レン』で雪のように舞い落ちた。
「ったく! なんだってんだい!」
 モデルのように美しい鼻筋に皺を寄せ、蓮は憤りも露わに足下のゴミ箱を睨み付ける。ソコにはこの一週間、毎日のように送り続けられてきた手紙が破り捨てられていた。
 内容は先程の物とほぼ同じ。蓮に対する異常愛がつづられている。
 ただし、奇妙なのは手紙の種類は勿論のこと筆跡までもが全く違うということ。つまり、複数の人間が同時期に蓮に恋文を送りつけているのだ。
(なんだい、なんなんだいこれは! いったい誰の仕業なんだい!)
 手紙に名前は書かれていない。指紋すらない。
 誰かが明確な悪意を持って蓮に手紙を送り続けていることだけは確かだ。
 蓮は憮然とした表情で、古い木製のカウンターを苛立たしげに人差し指でノックする。
(いったい誰が何の目的でこんな事……)
 鋭い眼光で虚空を見据えて心当たる犯人を想起していく蓮。その鼻先に、先程細切れにした手紙の破片が舞い降りた。そしてその瞬間、蓮の脳裏に何かが閃く。
(この匂い……!)
 それは手紙に付いた僅かな匂い。
 どこにも無いと思われていた手がかりが、思わぬ形で見つかった。

◆逆恨みは恐いよ◆
 一仕事終えた帰り道。近くまで来たのでと、加藤忍は蓮の顔を見るためにアンティークショップ・レンに立ち寄った。
 悪魔を連想させる不気味な装飾の施された扉を開くと、鈴の音が店内に鳴り響き忍の来訪を蓮に告げる。
「やぁ蓮さん。今日はご機嫌いかがですか……って、あまり良さそうじゃないですね」
 剣呑な視線でこちらを射抜いてくる蓮から逃れるように忍は目を泳がせた。
(どうも虫の居所が悪いみたいだな。今日のところは退散するか?)
 後ろ手に閉めた扉をもう一度開けようとした時、蓮から声が掛かる。
「待ちなよ。丁度良いところに来た。あんたに相談したいことがあるんだ」
 愛用の煙管を動かし、こっちに来るように催促しながら蓮は溜息をついた。
 蓮が相談? と訝しげ眉を顰める忍をよそに、蓮は取り出した白い紙片をちらつかせてみせる。
「コイツの差出人の居場所を探りたいんだ。何か良い知恵はないかい?」
 忍が返事をするのも待たずに、蓮は一方的に喋り始めた。
 どうやら、問答無用で手伝わせるつもりらしい。
(まぁ、蓮さんらしいと言えば、らしいけど……)
 短気で男勝りで傍若無人で自分勝手。蓮を形容する言葉を、忍は掃いて捨てる程知っている。そんな悪評の塊のような蓮だが、ついつい言うことを聞いてしまうのはやはり彼女に惹かれているからなのだろう。
 俗っぽい言葉で言えば、『美人の特権』というやつだ。
(本当は心の綺麗な人なんだけどなぁ……)
 ソレを表に出すことなく、ああやって悪人の如く振る舞うのもまた蓮の魅力なのかもしれない。竹を割ったような性格で、思ったことをそのまま口にする彼女の姿は見ていて爽快だ。善人ぶって、裏で腹黒いことを考えられるよりはずっといい。
「ほら! なにチンタラしてるんだい! さっさとこっちに来な!」
「はいはい、ただ今」
 そんな蓮に振り回されるのも悪くないと、最近では真剣に思うようになっていた。

「なるほどねぇ。ラブレター、ですか」
 一通り話を聞き終え、忍は額に指をあてて呟いた。
「そんな良いモンじゃないよ。コイツはあたしへの当てつけさ。陰険な嫌がらせなんだよ」
「どうしてそう言い切れるんですか?」
 忍の問いかけに蓮は答えず、黙って細切れになった手紙の破片を差し出す。反射的につまみ上げ、裏表を注意深く観察した。それはどこにでも売られているような紙で、取り立てて特徴的な部分は見あたらない。
「匂いを嗅いでみな」
 言われて忍は紙切れに鼻を近づける。
 よほど意識して嗅がない限り気付かない程の微細な香り。ほのかな柑橘系の匂いが鼻腔をくすぐった。
「コレは?」
「ちょっと前までここに置いてあった、一種の惚れ薬の匂いさ」
 惚れ薬、と聞いて忍の背筋に冷たいモノが走る。以前にも似たような件で蓮を世話したことがある。あの時は山登りしたり、大枚はたいて酒を買ったりと大変だったのだ。
「ああ、心配しなくて良いよ。それだけ匂いが薄けりゃ効果なんて無いからさ」
 忍の胸中を見透かしたように蓮は付け加える。
「と、いうことはその惚れ薬を買って行ったヤツが犯人?」
 惚れ薬を使いこなせていれば女には事欠かず、蓮に恋文などを送るはずがない。しかし薬が巧く作用せずに何か実害を被っているなら話は別だ。不良品を売りつけた蓮を恨んで、こんな陰湿な仕返しをしているのだろう。
「ああ、だろうね」
 不機嫌そうに言いながら頬杖を付き、蓮は煙管をくゆらせた。
「そこまで分かってるなら早くソイツの所に行けば良いんじゃないですか?」
 もっともな忍の指摘に、蓮は半眼になって視線だけをこちらに向ける。
「それがさー、同じ薬十人くらいに売っちまって……。結構な人気商品だったからねー」
 なるほど、と忍は納得した。
 惚れ薬といえば、不老不死の霊薬に匹敵するほどの人気商品だ。それでコレまでの暗い人生を一変させられるのだから、資金に余裕のあるモノならば喉から手が出るほど欲しいだろう。
「そこであんたの出番ってわけさ。何とかならないもんかねー」
 普段つり上がった切れ長の目を落として、蓮は心底困ったような表情で忍を見る。
「そうですねぇ……」
 いつも強気な蓮がこうなるということは相当参っているのだろう。憂いを含んだ蓮もたまにはいいかと思いつつも、忍は頭の中で策を巡らせた。
「とりあえずコレまで送られてきた手紙を見せてくれませんか? 何か分かるかもしれない」
 忍の提案に蓮は無言でゴミ箱をカウンターへと運び、躊躇うことなく逆さにする。中から出てきたの無数の白い紙片。手紙が来るたびに大声を上げながら破り捨てている蓮の姿が容易に想像できた。
「これはこれは……」
 苦笑を含ませた声で、忍は紙片を軽くあさり始めた。
 バラバラになった十数通もの手紙をごちゃ混ぜにされていては、一つ一つを復元するのは不可能だ。しかし大雑把に分類わけすることくらいは出来る。
「えーっと」
 忍は器用な手つきで筆跡の似た紙片を集め始めた。

 そして作業を始めてから僅か十分あまり。
 十二個の紙の小山が、カウンターの上に出来ていた。
「十二人、か……。まぁそれくらいの奴には売ったかもねぇ」
 忍の作業を横目でぼーっと見ていた蓮が、嘆息混じりに漏らす。
「それは違いますよ、蓮さん」
 言いながら忍は十二種類の筆跡で書かれたと思われる手紙の中から、同じ文字の記された紙片を一つずつ取り上げて見せた。
「よく見てください。この『め』の文字。パッと見る分には全然違いますが、『止め』と『払い』の箇所が同じです」
 あるモノは異常に角張り、あるモノは女子高生並に丸文字だったりするが、文字を書く時に無意識に現れるクセは非常に似通っている。
 他にも利き手ではない方の手で書いた手紙もあり、そちらは流石にクセは違っていたが、逆に見れば筆跡を隠そうとしていることは明白。つまり、同一人物が書いたと見て間違いないだろう。
「じゃあ、結局何人からこの手紙は来たんだい?」
「一人です」
 自信に満ちた口調で断言する忍に、蓮は目を丸くして煙管を落とした。
「ひ、ひとり……? たった一人でこのアタシに楯突いて来たってのかい?」
 十人以上の人間に恨みを買っていると思っていたのだろう。それが一気に縮小して拍子抜けすると共に、怒りが込み上げ来たのか、蓮はつり目を更につり上げて烈火の如く叫んだ。
「そいつは誰なんだい! 忍!」
「そうですねぇ……」
 紅髪が本当に燃えているんじないかと思えるほどの激情を辺りに振りまく蓮。それとは滑稽なほど裏腹に、忍は自分のペースを崩すことなくスローテンポな喋りで手紙の入っていた封筒を見た。
「消印は……おやおや、ご丁寧なことに全部バラバラですね。北は青森から、南は熊本まで。ご苦労なことです」
「感心してる場合じゃないんだよ! そのバカの鼻っ面に一発くれてやるまではあたしの気が収まらないんだからね!」
「まー、落ち着いてくださいよ。蓮さん」
 ははは、と小さく笑いながら、忍は額に手を当てて解決法を探る。
(いま分かったのは犯人が一人だということ。そして蓮さんから惚れ薬を買って行った誰か……。まぁ、常連ならともかく蓮さんが客の情報をいちいち管理しているとは思えないし。この匂いが私たちを犯人の元に運んでくれれば一番手っ取り早いんだけ、ど……)
 あり得ないなと考えながらも、忍は以前に似たような案件に出くわしたことを思い出した。
「そう言えば蓮さん。以前チャイナドレスが送られてきましたよね。ほら、深藍の」
「深藍のチャイナドレスぅ?」
 煙管で肩をぽんぽんと叩きながら、蓮は不満を滲ませた声を返す。
「……ああ、そんなモノもあったねぇ。言っとくけどアレは燃やしちまったからもう無いよ」
「ええ、あんな危険な物は処分されて当然です。確かその時に弓も一緒に燃やしましたよね」
「ああ」
「どこで燃やしたか、覚えていますか?」
 蓮は目線を上げ、中空を見ながら記憶を掘り起こし始めた。
 そしてたっぷり五分は考え込んだ後、ポンッと掌を打つベタな仕草をして忍に視線を戻した。
「ウチの暖炉だよ。このクソ暑いのに暖なんて取ったモンだから、あの時は暑くてしょーがなかった」
 その時に汗だくになったことを思い出しているのか、蓮は口をへの字に曲げて苦言を呈する。
「じゃ、その場所に案内して貰えますか?」

 通されたのは店の奥にある蓮のプライベートスペースだった。忍も入るのは始めてだ。
 牛の頭に巨大な角を生やしたミノタウロスや、竜の首を象った魔獣の頭部の剥製が壁に飾り付けられている。部屋自体はそれ程大きくはなく、中央にある玉座のような椅子から手を伸ばせば殆どの物が掴める程度の広さだ。
 まさに、怠慢で面倒くさがりな蓮のためにあつらえた個室といえた。
「ここですか」
 椅子の正面に位置する壁に埋め込まれた暖炉。そこには深藍のチャイナドレスと弓の燃えカスであろう灰が盛られていた。
(蓮さんがあの性格で助かったな。コイツを片づけられていたら、面倒な人海戦術しかなかったかもしれない)
 内心、蓮の大雑把な性格に感謝しながら、忍は灰を一握り掴み上げる。
「何をするつもりなんだい?」
 興味津々といった様子で、忍の行為を見守る蓮。
「あの弓にはチャイナドレスを着た者を殺すための呪いが掛けられていた。恐らくは刺青を目印としてね。ソレと同じ術をこの手紙に掛けて刺青の代わりに匂いを追わせれば、持ち主の居場所に案内してくれるかもしれません。ま、旨く行けばの話ですが」
「そんなことが出来るのかい?」
 淡々と語る忍に、蓮は驚愕に目を剥いて聞き返してきた。
「まぁ、私も妖魔の類と戦ったり色々経験は積んでいますから。勿論、専門家ではないので呪いの大枠だけを適応することしかできませんが」
 言いながら忍は灰を持った腕に力を込め、残された呪いの術式を読み解いていく。
 まず螺旋のイメージが頭に入り、その中央に太い柱が通されるのが見えた。
「けど、匂いを追うんなら誰の所に行くか分からないじゃないか。あたしは十人以上に同じ薬を売ったんだよ?」
「心配いりませんよ。本来香水の類は、香水からの匂いとソレを使う者の体臭が合わさって最終的な効力を発揮します。まぁ、俗に言う相性というヤツですね。ですから、たった一つの香水でも十人使えば十通りの匂いができる。この手紙に付いた匂いはその中の一つですから、まず間違いなく犯人の元にたどり着くと思いますよ」
「へぇ、なるほどねぇ……」
 滅多にお目にかかれない感心した声を上げる蓮を盗み見ながら、忍は呪いの解析を進める。
 芯の通った螺旋から派生する無数の触手。それらは複雑に絡まり合い、緻密な幾何学模様を描いていく。
(コイツは、無理か……)
 この紋様を再現することは忍では出来ない。だが、芯の通った螺旋程度であれば術を複製することが出来る。
 忍は灰を持っている手とは逆の手に匂いの付いた紙片を持ち、神経を集中させた。
 灰から何か大きな熱い塊が吐き出され、忍の体を通って急速に冷却されていく。そして硬く小さく集約されたソレは紙片へと吸い込まれていった。
「終わりましたよ、蓮さん」
「へ? もうかい? なんだい、意外とあっけないものなんだねぇ」
 もっと閃光がばんばん飛び交うような光景を想像していたのだろうか。蓮は肩すかしを食らったような顔つきで、広げられた忍の手を見た。そこには僅かに燐光を放つ紙片があった。
「さて、それじゃ行きますか」
 紙片は物理的にではなく、精神的な力で忍の手を引っ張っていく。それに会わせる形で忍はアンティークショップ・レンを後にした。

「ここ、ですか……」
 都内の中心部にある二十階建ての高層マンション。
 紙片に引っ張られて、忍の車で移動すること約一時間。反応はココに収束していた。
 人工的に植えられた木々が青々と生い茂り、自然の香りを生み出している。大理石で作られた豪勢なアーチの向こうには、高さ二メートル以上はある巨大なガラス扉が控えていた。
「ここに犯人がいるんだねぇ!」
 ファーの付いた真紅のガウンコートを乱暴に脱ぎ捨て、蓮は鼻息を荒くしてマンションの入り口へと向かう。
「ああ、蓮さん。待って下さい」
 このままでは暴走するのは目に見えている。犯人を見た途端に殴りかかってもおかしくない状況だ。忍はガウンコートを拾い上げると慌てて蓮の後を追った。
「ああもぅ、なんなんだい!」
 しかし蓮はマンションのエントランスで地団駄を踏み、悔しそうな顔付きでガラス扉を見上げている。
「自動ドアじゃないのかい。コイツは!」
「ああ、オートロックですよ。最近のマンションでは当たり前のセキュリティーです」
 追いついた忍は懐から、千枚通しくらいの大きさの細い棒を取り出した。銀でてきた棒の部分には微細な電子パーツが埋め込まれている。ドイツ製の強固な電子ロックすらも突破する優れものだ。
「ほら、行きますよ」
 それを差し込んで右に回すと、いとも簡単に扉が開いた。
「……あんたって、つくづく底が知れない男だねえ」
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
 忍は埃を払ったガウンコートを蓮に返してマンション内に入り、エスカレーターのボタンを押す。そして待つこと数秒。
 到着を知らせる電子音と共に、エスカレーターの扉が両側にスライドしていく。
 中に入り込んで忍は紙片を階数ボタンの前にかざした。二階から順番に移動させ行き、十五階で大きな振動を感じる。
「蓮さん、いいですか? まずは私が交渉しますから、絶対に口を挟まないでくださいね」
 十五階のボタンを押し、扉が閉まったのを確認して忍は蓮に少し強い口調で言った。
「どうしてだい。これはあたしが売られたケンカじゃないか」
「いきなり『テメー、ヤロー、ブッコロスー』とか言えば相手は警戒して絶対に家に入れてくれませんから。それなればせっかくここまで来た意味が無くなってしまいますし、下手をすれば警察沙汰になりかねません。まずは私に任せてください」
 冷静に状況を判断してなだめる忍に、蓮は不満そうに唇を尖らせてぷいっ、とそっぽを向く。
 仕草は子供っぽいが蓮も立派な大人だ。その辺りの分別はわきまえてくれるだろう。
(まぁ、やられたからすぐに仕返しってのも十分子供っぽいけど)
 そこがまた蓮の魅力でもある、と内心苦笑しながら忍は僅かな浮遊を感じた。
 エレベーターが十五階で止まったのだ。
 忍を先頭に二人はエレベーターを降り、紙片の誘導に従って一つの部屋の前まで来る。
 表札には『御厨(みくりや)』と書かれていた。
「どうですか? 覚え、ありますか?」
「……うーん、知らないねぇ。まぁ、客の名前なんていちいち聞かないからねぇ」
 それはそうだろう。それにもし聞いたところで、蓮が一人一人の名前を覚えているとは到底思えない。
(私も最初の頃は苦労したからなぁ)
 過去の事を思い出しながら、忍はチャイムを押した。ピンポーン、という良く通る音が鳴り響き、何か遮蔽物を介したようなくぐもった女性の声がインターホンから聞こえる。
『はい、どちら様でしょうか』
「あ、私、アンティークショップ・レンの者でして、先日はコチラにお住まいの方に当店の商品をお買いあげいただき誠に有り難うございました」
『はぁ……』
「ソレで実は、お客様がお求めになられた商品に欠陥が認められまして。本日はその回収と、代替品のお届けに伺ったのですが」
『……少々お待ち下さい』
 声のトーンからして恐らくは母親だろう。
「蓮さん。惚れ薬を買って行った人の中に女性は?」
「確かいなかったねぇ。よく覚えてないけど、若い男ばっかりだったと思うよ」
 まぁ、いつの時代でも薬に頼って異性にモテたいなんて馬鹿な考えをするのは男だけだ。
 そんなことを考えながら待つこと数分。スリッパで歩く音が近づいて来たかと思うと、部屋の扉がゆっくり開けられた。
「……どうぞ」
 向かえてくれたのは中年の女性。何か妙に疲れた顔をしている。
「お邪魔します」
 丁寧に頭を下げて言った後、忍は蓮を後ろに従えて部屋の中に入った。
「このマンション、オートロックなんですけど。よく入れましたね」
「いやぁ、お得意さまが他にもこのマンションにいるものですから。その方に返品を要求されたのが、そもそもの事の発端でした」
「……そうですか」
 忍の言い訳に、彼女は素直に納得してくれたようだ。
「あんた……さっきからよくそんな出任せを次々と思いつくモンだねえ」
 後ろから蓮が呆れたように耳元で囁いてくる。
「ま、商売がら人の信用を得るのには慣れているん……」
 蓮の方を向くことなく、小声で返した忍の言葉が途中で止まった。
「この匂い……」
 部屋の奥からする、むせ返るような匂い。動物が発する典型的な獣臭だ。
「和路(かずみち)。あんたにお客さんよ」
 母親は獣の匂いが発せられている扉を軽くノックして扉を開けた。
 その瞬間、部屋の中に充満していた匂いが一気に解放されて、悪臭が忍と蓮を襲う。母親はそれから逃げるように、足早に退散してしまっていた。
「これは……」
 中にいたのは無数の犬や猫、ウサギやニワトリまで居る。
 それらにじゃれつかれながら、憮然とした表情で部屋の中央にいるのは高校生くらいの男の子だった。
 短く切りそろえた黒髪はあらぬ方向に跳ね、まだあどけなさを残す顔は動物に舐められてテラテラと光り輝いている。来ているTシャツは動物から抜け落ちた毛で覆われ、行き過ぎた愛情表現からか所々破かれていた。
「やっと僕のことに気付いたか。どうだった蓮さん。望まぬ求愛を受けた気分は」
 部屋の中に所狭しと押し込められた動物達に多大な人気を博している青年は、挑発的な笑みを浮かべて蓮を見据える。
「あんただったのかい! あんな下らない手紙を送りつけてきたのは! どういうつもりなんだい!」
「だから言ったろ。その気もない奴から『好きだ好きだ』って言い寄られる気分はどうだったかって」
 自分の口元に舌を寄せてくる猫を邪魔くさそうに払いのけながら、和路は声を低くして言った。
「訳分かんないんだよ! ちゃんと一から説明しな!」
「あんたの店で買った惚れ薬を付けたらこうなったんだよ。だからあんたにも僕と同じ気持ちを味あわせたかったのさ」
「はぁ!? だから何言ってるのかサッパリなんだよ!」
 歯を剥いて激昂する蓮を、忍は「まーまー」となだめ、自分が汲み取った和路という少年の意図を蓮に説明した。
 つまりこう言うことだ。
 和路は最初女の子にモテたくて蓮の店から惚れ薬を買った。しかしソレを付けて実際にモテた相手は動物だった。恐らく彼の持つ体臭と蓮の惚れ薬の相性が悪かったのだろう。だから本来とは違った効果を発揮してしまった。
 外を歩けば毎日のように受ける動物からの求愛行動。全く望まない恋愛を強いられた彼は、蓮にも自分と同じ気持ちを味合わせようとラブレターを送り続けた。そしてその手紙に自分の体の匂いを染み込ませ、蓮がそのメッセージに気付いてココに来るのを待った。
 いつまでも気付かなければコチラからの求愛行動をエスカレートさせるだけだし、今のようにたどり着いた場合は惚れ薬の効果を何とかして解除させるつもりなのだろう。
「その通り。お兄さん話が早くて助かるよ」
「いやぁ、それほどでも」
 軽く手を叩きながら賞賛の言葉を吐く和路に、忍は照れたような笑いを浮かべる。
「なにヘラヘラしてんだい! あんたは! そんなの完全に逆恨みじゃないか! 筋違いもいいとこだよ!」
 八つ当たり気味に忍に一喝した後、蓮は和路に向き直って怒声を浴びせた。
「自分の店の品物で客に迷惑掛けたってのに、『逆恨み』の一言ですませる気? 店主として失格なんじゃないの?」
 頭に乗っかってきた仔犬をベッドの上に放り投げながら、和路は冷静に返す。
「な・ん・だっ・てええぇぇぇぇ!」
 怒髪天を突くとはまさにこのことなのだろうか。
 蓮の体から怒りのオーラが噴出し、それが紅髪を宙に浮かせていく。まるで蓮の頭が燃えさかる炎のように揺らめき始めた。
「もう一回言ってみな!」
 叫んで蓮は、和路に殴りかかろうと床を蹴る。しかし蓮の前に大型の犬が何匹も立ちはだかった。
「な、なんだい、あんた達は……」
 牙を剥いて低い唸り声を上げるセントバーナードに気押され、蓮は追わず後ずさる。
「あっははは! 気を付けた方がいいよ。コイツらは僕にベタ惚れしてるからな。僕を殴りたいんなら、まずはコイツらを何とかしなくちゃな」
 勝ち誇ったように笑い声を上げる和路を忌々しげに睨み付け、蓮は奥歯を噛み締めた。
「ちょっと! 忍! あんたボサっとしてないで何とかしなよ!」
「いやー、私これでも動物好きでして。それに彼らは被害者なわけですし、強行突破というのはちょっと……」
 相変わらずペースを崩さないまま、忍はゆっくりと喋りながら肩をすくめてみせる。
(それに、どうやらこれは下手に障ると余計話がおかしくなりそうだ)
 和路の顔を見ながら、忍は心の中でほくそ笑んだ。
「ああ! もぅ! 役に立たないねぇ! それじゃあ、あんたには頼まないよ!」
 やけくそ気味に言い捨て、蓮は動物達のひしめく海へとダイブする。どうやら何が何でもあの青年に一発食らわせないと気がすまないらしい。
「あのー、さっきから何の騒ぎ……」
 動物達と格闘している蓮に温かい視線を向けていると、先程の母親が顔を覗かせた。
「あ、ただ今店長が『話し合い』をしているところでして。商品取り替えの『交渉』はもう少しで終わると思いますから、その間に少しお話を聞かせてくれませんか」
 自分の体で後ろの様子を隠しながら、忍は母親を強引に連れてリビングへと引き返した。
 部屋の扉を閉めても、蓮の叫び声と動物の啼き声をない交ぜにした不協和音が絶え間なく室内に響き渡っている。
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうか」
「心配いりませんよ。私が保証します。どちらもお若いですから、エネルギーが有り余っているのでしょう。少しは吐き出さないとかえって体に毒というものです」
 柔和な笑みを浮かべながら、忍は母親の正面にあるソファーに腰掛けた。
「さて、最近お子さんが随分動物と仲良くなっていると思いますが、それについてどう思われます?」
「……はぁ。最初は、ちょっと戸惑いましたけど……あの子のあんな明るい顔、見たことないのでしばらくはこのままでも良いかな、と……。まぁ、苦労は絶えませんが」
 疲れた顔の中に、どこか嬉しそうな表情を混ぜて彼女は呟くように言った。
 やっぱりねぇ、と片目を瞑り、忍は自分の推察が間違いないことを確信する。
「そうですか。では例えば、一人で地方に旅行してみたり、そのたびに新しい動物を引き連れて帰ってきたりしていませんか?」
 忍の言葉に母親はポカン、と大きく口を開けて硬直した。
「ど、どうしてそれを……」
 母親の予想通りの反応に、忍は何度も頷く。
 手紙の消印を誤魔化すためにわざわざ遠出したのも、本当はいつか行ってみたいと思っていたのだろう。蓮への復讐などは、所詮建前でしかなかったのだ。
「彼の顔を見ていれば分かりますよ。本当は動物好きの心優しい子だって事が」
 今の状況が嫌ならば、動物を部屋に上げたりはしない。じゃれつかれることを嫌がるような素振りを見せていたが、本当に嫌がっている人間の顔ではなかった。
 まだ自分の心に素直になり切れていない、そんな思春期の青年の顔だ。だがモヤモヤした気持ちは、何か強いキッカケでもあればすぐに吹き飛ぶ。
(ま、素直じゃないところは蓮さんと良い勝負だけど)
 忍が少し笑いながら息を吐いたその時、さっきまで奥から聞こえ続けていた騒音がピタリと止んだ。
「どうやら決着が付いたようですね」
「え? 決着って……?」
 自分の失言に慌てて口を塞ぎ、咳払いを一つして修正する。
「『交渉』が無事終わったようです。それではどうもお騒がせしました」
「は、はぁ……ご苦労様です」
 いまいち釈然としない母親の顔に見送られながら、忍は蓮を回収するために奥の部屋へと足を運んだ。

◆エピローグ◆
「いたたたた……」
 蓮はアンティークショップ・レンのカウンターで、自分の顔を鏡で見ながら傷テープを一つずつ剥がしていた。
「いやー、また随分と魅力的なお顔になられましたねー、蓮さん」
 店の隅に置いてあった木製の椅子に腰掛け、忍は平和的な口調で言う。
「あんた……ケンカ売ってんのかい?」
「とーんでもない。でも良かったじゃないですか、ちゃんと彼から謝罪の手紙が来て」
「謝罪? ひょっとしてコイツのこと言ってのかい?」
 半眼になった呆れたように言いながら、蓮は横に置いてある白い封筒を取り上げてヒラヒラと振って見せた。その内容は忍もすでに見せて貰っている。

『拝啓 蓮様
 この前はよくもやりやがったな。お前が無茶するから仔猫が二匹怪我しただろ。傷はお前と一緒にいた男が看てくれたから別にいいけど、ちょっとは女らしくなれ。
 まー、こっちもお前の顔に傷つけたから、おあいこって事で水に流してやる。ありがたく思えよ。
 それから、代わりの薬なんか持ってこなくていいぞ。お前の顔なんか二度と見たくないからな。二度と来んなよ、年増ブス!
 早々』

「拝啓の結びの言葉も知らないようなガキが……ったく生意気ったらないよ、まったく」
「まぁ、背伸びしたい年頃なんですよ、きっと」
 傷テープを剥がし終えた蓮は、不満げな表情で煙管をくゆらせた。
「結局何だったんだい。惚れ薬の効果を無くせとか言うかと思ったら、『とっとと帰れ』だの『二度と来るな』の一点張り。訳わかんないよ、本当に……」
 多分最初は彼も本気で、蓮に惚れ薬の効果を解かせようと思っていたのだろう。しかし動物達と一緒にいるウチに、だんだんその状況が楽しくなってきた。しかしそんな事認めたくない。蓮に復讐するんだと言い聞かせつつも、どこかで自分を納得させるキッカケを探していたのだ。
 そして今日、動物達が自分を庇ってくれたことや、傷ついてしまったのを見て、ようやく確信した。
 自分がこの環境を気に入っていることに。
「やれやれ、拍子抜けだね。完全に無駄骨だったじゃないか」
 どこか愁(うれ)いを帯びた表情で溜息をつく蓮を見ながら、きっと彼女も彼から貰った手紙にまんざらでもなかったのではないかと忍は思った。何せこんな辺鄙な場所にある、怪しげな店だ。経営が成り立っている方が不思議なくらいで、時間なら腐るほど持てあましているだろう。少なくとも今回の件は、良い暇つぶしとストレス解消にはなったはずだ。
「なに、人の顔見てニヤついてんだい」
 忍の視線に気付いたのか、蓮は照れたように顔を赤らめて眉間に皺を寄せる。
「いやー、まぁ。今回も、私は私の仕事が出来て良かったなぁ、と」
「あんた一人だけ満足するなー!」
静かな店内に蓮の叫び声だけが響いた。

 アンティークショップ・レン――知る人だけが知っている、露骨に怪しい異界のお店。口が悪くて短気で我が儘で自分勝手で、ちょっぴり寂しがりやな美しい店長が貴方を迎えてくれます。
 お近くまで来られた際には是非一度足を運んでみられてはいかが?

 【終】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号:5745 / PC名:加藤・忍 (かとう・しのぶ) / 性別:男性 / 年齢:25歳 / 職業:泥棒】

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■         ライター通信          ■
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 どもー、お久しぶりです加藤忍様。貴方に呼ばれ、三ヶ月ぶりに帰ってきました(笑)。
 『逆恨みは恐いよ』いかがでしたでしょうか。少し気合いを入れすぎで、予定よりかなり長くなってしまいました(汗)。物語に一ひねりくわえると、これくらいの分量にはなってしまいますね。
 今回は、どのくらいの期間ここで調査依頼を出すか分かりませんが、加藤様の参加される物語は特に気合いを入れて書かせていただきたいと思っております。では。

 飛乃剣弥 2006年4月30日