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<東京怪談・PCゲームノベル>


仮想東京RPG! 〜1勇者を探せ!〜

ファインダー越しの視界を、ふわり、と何かが落ちていった。

「?」
崎咲・里美(さきざき・さとみ)は、覗き込んでいた愛用のカメラから顔を上げ、目の前の地面に舞い落ちた、その羽毛を拾い上げた。
色鮮やかな羽だ。
一見深紅に見えるが、角度によって紫や黄金が炎のように立ち昇る。

土曜の午後、オフィス街のビルの谷間にある公園には、骨董品というのも大げさなような、古道具の市が立っていた。
とある雑誌の依頼で、このささやかな市を取材に訪れた里美は、丁度市に集まった人の群れを撮影しようとしていた、のだが。
何だか、その羽が妙に気にかかった。
公園でよく見かける、鳩や烏の羽では明らかにないし、今まで見た事も無いような色合いと大きさである。

「何だァ? こりゃ」
すぐ側を通りかかった、金色の蛇みたいな目の女が、また落ちて来た羽をひょいと掴み取り、首を傾げた。
ふと顔を上げた里美と目が合う。

「なあ、これって何の羽だろな? さっきからパラパラ落ちて来てンだけどよ…」
市の感じの良いざわめきにリラックスした気分なのか、蛇目の女は羽をひらひらさせながら話しかけてきた。
「何かしらね…野生化したインコとかオウムって結構いるんだけど、そういうのでもないみたいだし…」
里美も、手の中にある羽毛をしげしげ見ながら応じた。
色合いも変わっているが、何だかやけに大きいのが気になる。鳩や烏の何倍あるだろう? この大きさから逆算するに、人間並に巨大な鳥という事になるような…。

その時。

「危ねぇ!!」
いきなり、腕をぐいと引かれる。
直前まで彼女がいた場所に、公園の木々の枝葉を巻き込みながら落下してきたそれは…

「なっ…人間!?」

今まで色々な事に巻き込まれ、無数の奇々怪々な経験をし、いい加減、滅多な事では驚かなくなっていた里美でも、流石に度肝を抜かれていた。
そこにいたのは、まぎれもなく人間だった。
いや、正確には「人間に似た生き物」と表現すべきか。

血で汚れた、死灰色の肌を持つ顔立ちから判断するに、若い男だ。里美と変わらないくらいであろう。
全身を、骨の装飾で飾られた和風の大鎧で覆い、両の手には、やはり骨の飾りの日本刀をしっかり握ったままだ。
背中から突き出している、深紅に様々な色合いが混ざる鉤爪付きの翼は、飾りではなく明らかに本物だった。

「…! だ、大丈夫ですか!?」
男の苦しげな呻き声に、里美は我に帰って駆け寄った。
酷い怪我だ。
翼は明らかに折れ曲がってしまっているし、刀を保持したままでいるのが奇蹟に思える程、右の腕は完全に砕けている。左の具足に包まれた足も、明らかに関節の向きがおかしい。
顔と首筋にかけて、一部皮膚が爛れているのは、生々しい火傷跡。鎧の下の着物が赤く見えるのは、元の色ではなくて、鎖骨の下辺りから流れた血で染まっているからだ。

放っておけば、命に関わる傷だ。
里美は、咄嗟に治癒術を発動した。

霊的な感覚のある者が見れば、傷付いた男に触れた、彼女の形の良い手の辺りから、淡く輝く光が漏れているように見えただろう。
覗き込んでいた蛇目の女が、はっとした表情を見せる。
見る間に男の曲がった手足が通常の形を取り戻し、火傷が皮膚から消え失せる。血が止まり、荒く浅かった呼吸が穏やかなリズムを取り戻した。骨の籠手に覆われた手がぴくっと動き、目がゆっくり開かれた。
「…おい…!?」
「気が付きました? 一体何が…」
里美が、その男に事情を尋ねようとした、まさにその時だった。

突然、周囲の大気をつんざくような、耳障りな絶叫が響いた。

思わず見上げた空から降りてくるのは、怪異に慣れた里美でも、言葉を失う異様な生き物だった。
強いて言うなら、膜のような翼の生えた、巨大な両生類、だろうか。青黒い表皮はぬめぬめした粘液に覆われ、丸くて小さい目に、子供なら飲み込めそうな、異様に巨大な口。
穏やかな市は、一瞬でパニックの巷と化した。
一般の人間たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去って行く。

「なっ…あれは…!?」
唖然とした里美の前で、その異様なモンスターは次々に数を増やしていった。まるで腐肉の臭気を嗅ぎつけたハゲタカか何かのように、ばさばさと不恰好に羽ばたきながら、次々に空から降りてくるのだ。どうやら、この数で傷付いた男を追い回していたようだ。
それに気付いた時、里美の胸の中に不快感が染みのように広がった。
何があったのか。理由は知るべくもない。
だが、向こうは総勢十数匹はいる。その数で一人を追い回し、命まで危険に晒すことが正しい事だとは、彼女には到底思えなかった。

「くっ…!! まだ追って来るか!」
傷を癒された翼の男が、敵の姿を認めて弾かれるように起き上がった。
「傷を癒して下さったのは貴女か…。感謝する」
里美を振り返り、その男は礼の言葉を述べた。
同時に背中の翼を威嚇するように広げ、モンスターたちに向けて、両手の日本刀を構える。死神の鎌のように、それはぎらりと光った。
「こいつらは危険なモンスターだ。すぐに逃げていただきたい。私が食い止める。そちらの女性も、すぐに…」
里美の他に、まだ残っていたもう一つの人影に、翼を持つ男は警告を発した。

「ヘッ。死にかけてたヤツが無理は良くねぇぜ!」
だが、帰ってきた返事は、至極愛想の無いもの。
返答したのは、あの蛇目の女だった。
「ワラワラ来やがって。テメェらごときが何匹集まろうと、この大霊・輝也(おおち・かぐや)さんをどうこう出来ると思うなよ!」

言うなり、輝也と名乗った女の体が変化した。
次の瞬間、そこにいたのは、十一の首と燃える虹色に輝く鱗を持つ龍だ。たっぷり全長三十メートルはある。龍は鎌首をもたげ、シャアッと威嚇音を吐き出した。

「事情は、後で伺うわ」
モンスターへの生理的嫌悪感と恐怖、それに勝る卑劣さへの怒りを込めて、里美はモンスターどもを睨み据えた。
無言で、自らの周囲にオーラにも似た結界を展開する。
「今は、有り得ないあの…モンスター? をどうにかしないと、大被害になりそうね…」
優しくそっと、里美のほっそり綺麗な手が、翼の男の二の腕と、龍のうねる胴体に触れた。
里美を守る結界が、彼らの肌を伝うかのようにして、彼らをも包み込んだ。

彼らが驚きに浸るより早く、モンスターたちは奇怪な津波の如くに襲い掛かってきた。

電光の速度で伸びた十一の首が、空中でモンスターたちを捕らえ、次々に食いちぎった。逃れようとするモンスターには、恐るべき熱線が吐き掛けられ、一掴みの灰と為す。
内何体かは青黒いナイフのような爪を振り下ろしたり、口から火弾のようなものを吐き出したが、それは龍の鱗に触れる前に、その体を包んだ結界に触れて力を失った。
翼の男には、里美の結界の効果はより一層劇的だった。
先程は、この男にあれ程の怪我を負わせたモンスターどもの攻撃が、今度はまるで通じないのだ。
振り下ろした爪は、結界に阻まれて彼自身に決して届かず、吐き出された火弾は、まるで丸みを帯びた氷の表面でも滑るかのように、威力を減じつつあらぬ方に反れた。
自分でも信じられない表情を浮かべながら、翼の男は、その二刀流剣技でモンスターどもを細切れにしていった。

ほんの数瞬の後。
あれ程いた奇怪なモンスターは、不可思議かつ強力な結界に守護された、龍と翼のある男に一掃されていた。

「ふぅ…これで終わり…かしらね」
里美は小さく息を吐くと、周囲を見回した。
地面に転がった奇怪なモンスターたちの屍は、まるで本当にTVゲームに出てくるモンスターのように、次第に薄れ、消えていきつつあった。
里美ははたと我に返り、手にしたままだったカメラで、モンスターの残骸を撮影した。
いささか趣味ではないグロテスクな絵だが、この事件は記録に残さねば、と記者の本能が囁く。自らの嫌悪感を抑え、里美は消滅する前の怪物の写真を数枚撮影した。

「何を…しておられる?」
「姐さん、アンタ、記者かカメラマンの人かい?」
そんな里美を見て、翼の男と龍がそれぞれ問いかけた。

「ああ、ごめんね。私、新聞記者で、崎咲里美というの」
里美が自己紹介すると、
「申し遅れた。私はジグ・サと申す。助けていただいた事、改めて礼を言う」
翼の男が、やけにキッチリした殿様口調で礼を返す。
「あ、さっき言ったけど、アタシャ大霊輝也」
龍はチロチロと舌を出し入れしていた。

「いやー、助かったぜ。あの不思議な…結界みてーなののお陰で、まるきりダメージ無しだったもんな」
「誠に不思議な力の持ち主でおられる…貴殿は、もしや、あの伝説の…?」
ジグと名乗った男の問いかけを、里美は遮った。

「それより…一体これは、どういう事なの? 貴方は、この魔物に追われていたんでしょう?」
微かに痕跡が残るだけとなった、モンスターの残骸に目をやる。
「それに…ジグさん、貴方自身も、人間ではなさそうね?」
死灰の肌に、背中に翼。よく見ると、まるで骨を連ねたかのような尻尾まで生えている。紫色の髪の生え際辺りから突き出た角は、防具の一種ではなく、明らかに自前だ。
全体のシルエットは、キリスト教圏の悪魔に似ていなくも無いが、どうもそれとも違うような気がする…。

「…私は、魔王と共に、この世界に紛れ込んだ者。元々は、この世界の者ではない…」
躊躇しながらも紡ぎ出されたジグの言葉に、里美と輝也が顔を見合わせる。
「この世界の者ではないって…どういう事なの?」
「魔王って…そーゆーのが実在する世界っちゃ、どんなだよ一体!?」

ジグの説明は、こうだった。
彼は、この世界とは別の、とある魔神が支配する異世界の生まれだと言う。種族は、その魔神の血を引く「魔人」、職業は「サムライ」だそうだ。
その世界を急襲した、不死身の魔王を滅ぼせる聖剣と勇者を求め、彼は冒険者として旅立ったのだ。
しかし。
世界中を巡る旅にも関わらず、勇者は見出せず、聖剣も手に入れる事は出来なかった。

それでも、長い旅で十分な力を身に付けていた、ジグと仲間たちは、自ら魔王に挑んだ…のだが。

「…しかし、その判断は甘かったのだ。魔王は、確かに不死身だった。我らが最高の技と魔法をぶつけようと、ヤツに傷一つ付ける事は出来ず…このままでは全滅すると思った私は、敵を異世界に弾き飛ばす、禁断の魔法を使ったのだ…」
「それで、弾き飛ばされた先が、この世界っていう訳ね? でも、弾き飛ばしたのは魔王だけでしょう? 貴方まで、何故この世界に?」
里美の問いに、ジグは恥ずかしそうに視線を泳がせた。
「それが…ダメージを受けた状態で無理をしたせいか、魔法が暴走してしまったのだ。私まで次元の渦に巻き込まれ、魔王と同じ世界に落ちた…」
「あんま、そーゆー状況を責めたくねぇが…それって、迷惑なんだけども…」
思わずこぼした輝也を、里美が肘でつついてたしなめた。
「…じゃあ、さっき貴方を追っていたあれは、その魔王が…?」
ジグが頷く。
「魔王は、次元の壁を超えて、何処へでも配下のモンスターを召喚出来る。恐らく、奴は私の故郷と同じように、この世界も支配下に置こうとするだろう…」
里美が、目を見開いた。
輝也が鋭い呼吸音を漏らす。
「間も無く…この街にモンスターが溢れる…!」

悲鳴が上がったのは、その時だった。

「まずい!」
ジグが翼を広げて舞い上がった。
「姐さん、乗りな!」
里美を背中に乗せると、輝也は宙を走る稲妻のように公園の木立を飛び越えた。

サイレンのような絶叫と共に逃げて来る血塗れの男に追いすがるのは、子供程の大きさの、醜悪な形相を見せる奇怪な小鬼だった。
「ゴブリンか!」
「ご、ごぶりんって…こんな時でもお約束かよ!?」
上空から一気に間合いを詰めたジグの二刀流が、一瞬の内にゴブリンを細切れにした。

怪我をしたその男を里美の治癒術で癒した後、周辺の住人が避難していたビルに預け、三人は街に戻った。

「その魔王とやらは、本当にモンスターの召喚を始めたみたいね…最早、一刻の猶予も無いわ」
里美の顔にも緊張の色が濃い。
もし、このまま東京が魔王とやらに制圧されれば、とても人間がまともに暮らして行ける状況ではなくなる。まともな「社会」は崩壊し、東京の住人全体が、難民よりも悲惨な暮らしを強いられるだろう。
そうなった時、最早「ジャーナリズム」、真実を知りたい、などという欲求に興味を示す人間がどれ程存在するだろうか?
全てが、無意味となる。
里美が、場合によっては命懸けで行って来た事の全て。
引いては、それを「自らの姿そのもの」でもって、里美に教えて来た、彼女の両親の生も死も。

『駄目。駄目よ。そんな事させない、絶対に!』
里美の中で何かが燃える。
圧倒的な力で、一方的に押し付けられようとする時にこそ燃え上がる、彼女と同じ職業に属する者全てが掲げるべき炎だ。
例え、暗闇に潜む醜悪な魔物の姿を白日に晒し、その怒りを買うことになろうとも、その炎は消すべきではない。

「ジグさん、教えて。モンスターが溢れるのは、どうしたら止められるの?」
里美は、異世界からやって来たサムライを振り返る。
「この街のどこかに、魔物を召喚する為の召喚装置が置かれているはずだ」
ジグは何かを考え込んでいるようだった。
「今はまだゴブリン程度だが、これ以上強力な魔物を召喚されれば、この街そのものが、人が住める状況では無くなるぞ」
「ゴブリンだろうとマズイだろが!! しっかし、その召喚装置ってなぁ、何処にありやがんだ?」
輝也は忌々しげに首をもたげ、街を見回した。彼女は戦闘向きの能力は豊富だが、探索系の能力に乏しいのだ。
「…その召喚装置には、特殊な召喚用の魔方陣が描かれているはず。それを媒介にして、強大な“負”の魔力が放出されているはずだ。それを感知するなり出来れば良いのだが…」
私にもそのような術の心得は無い、とジグは唇を噛む。

里美は、静かに精神を集中した。
透視能力が発動する。里美は極端な程に視力に優れているが、この能力を発動させると、まるで天上より全てを見下ろす神の如く、あらゆる物を突き抜けた視界を得られるのだ。

やがて。

里美の体が何か熱い物にでも触れてしまったかのようにびくり、とした。
「…見えた」
「? 何が、見えたのだ、里美殿?」
ジグが怪訝そうに問う。
「見えたわ。こっちの方角。何か…機械で魔方陣を描き出しているみたい」
見た瞬間、邪悪な波動にぎょっとし、透視能力を引っ込めてしまったが、確かにそれは魔方陣を描き出す、モニターの付いた機械だった。随分古臭い感じがしたが、パソコンかも知れない。
「古い、使われなくなったビルよ。暗い、窓の無い…多分、地下室じゃないかと思うわ」
床や壁一面が、何か妙なものに覆われて確認し辛かったが、確かにその部屋には窓らしきものは見えなかった。代わりに、半ば剥き出しの配線と、縦横に走る金属パイプの束。通常の居住空間でないのは一目瞭然だった。

「行ったことがある場所の側だわ…行きましょう。ビルの名前は…」
彼女が透視で見たビルの名を口にすると、輝也が、ああ、と頷いた。
「知ってる。アタシがガキの頃から廃ビルだったよ。どんなテナントが入っても、絶対に長続きしないヘンなビルだったって、誰か言ってたな」
「地相が悪い場所なのだろう。そういう場所を、意識的に選んだに相違あるまい。何処にある? 即座に行って召喚装置を破壊せねば」
翼を動かしつつ、ジグが言った。すぐにでも飛び立ちそうだ。
「空飛んで、最短距離で行くしかねーな。姐さん、背中に乗りな。羽の兄さんは、遅れねぇよーに付いて来てくれ」

里美は頷いて、直径が一m以上はありそうな胴体に、おっかなびっくりまたがった。
ジグは承知、と言うなり、大きな翼を広げて空へと舞い上がる。
里美を背に乗せた龍は、町並みを見下ろせる高度に達するや、弾丸のように加速した。翼で大気を打ち付け、異世界から来た男が後に続く。
耳元で轟音を立てる風に、里美は一瞬目を細めた。
が、すぐにしっかり目を見開く。
風が当たって目が潤んだが、全ての光景を自らの目に焼き付けるべきだとの意思が、彼女を叱咤した。

いよいよ、魔物の巣へ突っ込むのだ。
当然、そこには番人か何かは置かれているだろう。先程のモンスター以上のおぞましい何かに出くわすかも知れない。
怖くない、と言えば嘘になる。
だが。

『もっと怖いのは、その恐怖に負けて、尻尾を巻いて逃げ出す事。弱い嘘つきな自分になって、父さんと母さんの死を無駄にする事…!』

まるで、あらゆる攻撃から身を守る万能の護符であるかのように、里美はカメラをぎゅっと抱き締めた。
その時、輝也が首の一つをぐるっと回して、何事か叫んだ。
「え? 何? 何て言ったの?」
里美は、努めて声を張り上げて問い返す。
「いや、何でもねぇ! っと、ほら、着いたぜ!」



直線で移動出来るとなると、その場所は思いの他近かった。

入口付近にうろうろしていた、馬鹿でかい蜘蛛と河馬を足したような魔物を倒して近付くと、それは確かに、里美が透視した通りの外見の廃ビルだった。
薄汚れて灰色っぽくなった白い外壁、色褪せて殆ど読めなくなった不動産屋の張り紙に、埃の積もったシャッターは半ば開け放たれている。
「…ここね」
何か薄ら寒いような空気の流れを感じながらも、里美はカメラのシャッターを押す。
廃ビルの内部は覗き込んでも妙に暗く、今ひとつ何があるのか分からない。足下の埃っぽいコンクリートの上に、何かが這いずったようなベタベタした跡があるのが妙に気になった。

兎に角、内部に入らなければ始まらない。
巨躯の輝也を先頭にして、押し込むように内部に入った途端。

「ぐはぁっ! 気持ち悪っ!」
と輝也が叫び。
「ぬぅ、魔力の浸食がここまで…!」
とジグが唸り。
「…ッ!」
里美は、声もなく嫌悪の念を放出した。

床も壁も、それどころか天井に至るまで、ビルの内側はまるで生物の内部組織のような、奇怪な有機物で覆われていたのだ。
ジグの説明によると、これは魔王の召喚術の余波によるもので、“負”の魔力が実体化したようなものだと言う。
ザワザワ来る嫌悪感をこらえ、里美は何度かシャッターを切った。
見た目の気色の悪さだけでなく、肌にじんわり染み込んで来る不潔な水のように、見えない何かの流れが里美の気力を萎えさせる。

『くっ…これが、魔王の魔力って訳!? 大したものだけど…でも、屈してなんかやらないわよ!』
里美は気力を奮い立たせ、改めて結界を周囲に張りなおした。
その瞬間、まるで怯えて退いたかのように、纏わりついていた嫌な魔力が弾け飛んだ。心なしか、里美の周囲だけ、あの張り付いた有機物が薄くなったように思える。
『…もしや、魔王の魔力って、私の力とは相性が悪いのかしら?』
ふと、そんなことを思う里美だった。

「…ねえ、ちょっと来て」
「どうされた?」
地下への入口を探そうとしていたジグの二の腕に軽く触れる。彼の肉体の周囲に結界が展開された。
輝也には、既に結界を施してある。
「さっき、あなたに施したのと同じ結界。そろそろ、薄くなってきてたから」
「ああ、かたじけない。恩に着る」
ほっとしたような笑みを浮かべ、ふと、ジグは里美を深紅の瞳でしげしげ見た。
「…? どうしたの?」
「いや。貴殿の力は不思議だな。魔王の魔力を帯びたものを、悉く退けるようだ。本当に、貴殿こそが伝説の勇者なのやも知れぬ…」
里美の答えは、苦笑交じりの軽い笑いだった。
「まさか。私、全然戦えないもの。勇者と言ったら、聖なる剣で魔王を倒さなきゃいけないんじゃないの?」
子供の頃プレイしたゲームでは、勇者は何の変哲も無い「村の少年」だったり「故郷を飛び出した少女」だったりしたものだが、どちらも初期装備で剣の類を持っていたような気がする。

しかし。
「いや。必ずしもそうでは無いかも知れぬのだ。私の故郷の伝説を集めた書物には、『勇者は魔王を退ける力を持つ』と記されているが、剣でもって戦う、とは一言も書かれていない…」
「え…そうなの?」
意外そうに、里美は問い返した。
「おい、勇者とサムライ。話中悪いが、来やがったぜ?」
輝也の警告に、両者は龍の首の向いた方向に目をやり、ぎょっとした。
まるで無数の足と目を持った、砂塗れのタコに似たモンスターが、怪物の消化管にも似た形の通路から這い上がって来たのだ。
すかさず吐き出された龍の熱線が、ジグの剣技を待つまでもなく、モンスターを丸焼きにする。

「…あそこが…どうやら、地下室への入口のようね?」
里美が言うと、輝也とジグも頷いた。
「さてと。どんな番人がおいでだァ?」
再び里美を乗せて、輝也が地下への通路を滑り下りて行く。宙に浮かんだ状態で、ジグが続いた。

地下に下りると、まさに、里美が透視で見た光景が広がっていた。

閉じた箱のような地下室の内部には、迷路の模型のような金属パイプが縦横に走っている。そこに絡みつく、生きている肉片のような不気味な有機物の膜。
部屋のほぼ中央にはスチール製の事務机が設置され、その上に、今では殆ど見かけることも無い、古い型のパソコンが乗っていた。
電源の入ったモニター上で明滅するのは、まるで珍しいスクリーンセイバーのように明滅し回転する、奇妙な円形…魔方陣だった。
すかさず、里美がシャッターを切る。
その時、ぶわん、という奇妙な音と共に空間が歪んだ。

『これはこれは、サムライ殿。生きておられたとは、何よりですな』
不意に、パソコンの上の空間に、灰色のローブをすっぽり纏った、痩せた人影が現れた。

「貴様、魔王の…!!」
ジグが、刀を構える。
「こいつが番人なのね?」
里美が息を呑み、身構えた。敵の直接攻撃に巻き込まれないよう、輝也の胴の重なった首の背後に退避する。

その番人は、まるでこの上なく痩せこけた人間の上半身だけが空中に浮いているようだったが、性別や年齢の区別はまるで付かない。声も、妙な響きにひゅうひゅうと妙な音の混じる人間離れしたもので、無性に嫌な気分を掻き立てた。
『ほう、今度のお供は…多頭龍に…む? これは、結界師…いや…? ふむ、妙な気を持つ…我が主の魔力を退ける者、か』
里美を認めた時、その番人の口調に混じった驚愕と微かな焦りを、彼女は聞き逃さなかった。
「そういう事だ。お前では我らに勝てぬ! とっとと主の下に逃げ出すが良い!!」
鋭いジグの威嚇に、だが、番人は奇妙な笑いを返した。

パソコンのモニターで、魔方陣が歪み、新たな形をとって点滅した。

『我が命と引き換えに、出でよ、魔王の下僕! 冥府の獄炎花よ!!』

その瞬間、逆流する津波のような、真紅の奔流が吹き上がり、ローブの人影を一瞬にして飲み込んだ。
モニターごしに召喚されたなどとは信じ難い巨大な何かが、わさわさとうねりながら、視界一面を覆う。

それは、部屋一面に広がる程の花弁を持った、巨大な赤い食虫植物を思わせる花だった。
雑学豊富な里美の脳裏に、「ラフレシア」という名前が過ぎる。

だが、それは重なった花弁の縁に牙としか思えぬ鋭い突起を持ち、中央の、普通の花なら雌しべや雄しべが集まるべき部分に、舌まで備えた本物の口が突き出していた。
その周りをぐるりと無数に取り囲む斑点は、人間のそれに酷似した目だ。
重なった花弁とがくに当たる部分が、召喚装置であるパソコンを幾重にも包み込んで、攻撃に備えた。一瞬見えた、根のような部分は、まだ魔方陣の向こうに張り出しているようだ。
怒った獣の無数の舌のような花びらが、威嚇するように空気を切り裂いた。薄黒い蒸気のような何かが、湿った空気中に放出された。

戦いが始まった。

龍の恐るべき十一の顎が、ばりばりと花弁を引きちぎる。
微光に包まれた日本刀が、中央の異様な口を切り裂いた。

しかし、すぐに龍の牙も、サムライの日本刀も、その威力を鈍らせた。
モンスター花が蒸散させる、薄黒い蒸気のようなものに当たると、里美の結界の効果が相殺されたかのように削られてしまうのだ。

振り上げられた花弁の鞭に弾き飛ばされ、ジグが里美のすぐ横に叩きつけられた。
「! しっかりして!!」
里美はすぐさま駆け寄り、ジグに治療を施すと共に、結界の効果を与えた。
「かたじけない!」
ジグは舞い上がり、再びモンスター花に切りつけた。
荒い叫びが上がり、龍の鱗が花弁の一撃で剥がされ飛び散った。
すぐさま、里美はジグと同じことをしてやる。
再び体力を回復させた龍は、再び花弁の根元に食いつき、引きちぎった。

パターンが決まれば、対処方法も自ずと付いてくる。
二、三度攻撃し、下がって里美に結界を張ってもらう、ということを、輝也とジグは交互に繰り返した。
特に輝也は、その巨大な胴体で里美を囲ってガードしつつ触れてもらっているので、殆ど休みなく攻撃し続けることが出来た。

輝也が連続で攻め立て、弱ったところを死角からジグが襲う。

やがて、モンスター花の動きが鈍り、花弁の殆どが剥がれ落ち。
輝也の熱線のブレスが、花を根元近くまで炭化させる。

同時に、ジグの一撃が、モンスター花ごと、背後のパソコンを一刀両断した。



「あ〜、終わった終わった…。いやぁ、今回は、ちょいとばかし花畑が見えちまったぜ」
人の姿に戻った(変じた、と言うべきか)輝也が、ビルの外で伸びをした。
排気ガス臭い都会の空気でも、あの地獄の瘴気よりはマシだ。

地獄花が枯れ果てた途端、召喚に使われていた魔力は逆流を始め、一気に収束した。
ビル内部の実体化した魔力は蒸発したかのように消え去り、召喚装置の側にいたモンスターたちは、逆流する魔力に引き摺られるように元いた世界へ還された。
離れた場所にいたモンスターは残ったが、いずれも雑魚ばかりであり、通りがかった能力者や、人外の有志などに始末されるか、下手をすれば魔術師に捕獲されて実験台にされるといった末路を辿った。

「しっかし、里美姐さんがいてくれて良かったよな。あの力が無かったらと思うと、かなりぞっとするぜ…」
輝也の言葉に、さりげなくジグが賛意を表した。
「改めて、感謝する。今回、あの獄炎花に勝てたのは、里美殿の力があったればこそだ」
血に汚れていたが、彼の真紅の目は、勝利感と安堵で輝いていた。
里美は、照れ臭そうに笑っただけだ。
「こちらこそ、あなた方がいてくれたお陰で、いい記事が書けそうだわ」
臨場感タップリの写真も撮れたし、と付け加える。
月刊アトラスにでも持ち込めば、かなり高い評価を得られるだろう事は間違い無い。

「…ああ、それからさ、姐さん。気ィ散らしちゃいけねぇと思って、黙ってたんだけどよ…」
改まった輝也の口調に里美はふと、首を傾げた。
「何?」
「姐さんの後ろにさ。公園にいた時からずーっと、チラチラって、夫婦らしい二人が見えるんだよ」
里美の胸がどきりと鳴った。
「多分、親御さんじゃねーかと思うんだが。さっきから『娘を頼みます』とか『守ってくれてありがとうございました』とか、わざわざ言って下すってさ。何か、姐さんがそういう事出来る訳、分かったような気がしたよ」

里美は、無言でカメラを抱き締めた。
澄んだ目の端に、小さな小さな涙の欠片。

自分が「勇者」とやらかどうかは、分からないが。
両親にとって、自分は未だ、最も大切な存在なのだと、その思いが深く染み込んで行く。

この思いさえあれば。
自分は、魔王なんか、ちっとも怖くないと。
里美は、心底、そう思った。

                                                                            

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

PC
【2836/崎咲・里美(さきざき・さとみ)/女性/19歳/敏腕新聞記者】

NPC
【NPC3819/大霊・輝也(おおち・かぐや)/女性/17歳/東京の守護者】
【NPC3827/ジグ・サ(じぐ・さ)/男性/19歳/異世界のサムライ】


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■         ライター通信          ■
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初めまして、ライターの愛宕山ゆかりです。この度は、「仮想東京RPG!〜1勇者を探せ!〜」にご参加いただき、誠にありがとうございました。
RPG的なアイテム(?)ということで、記念品として「異界のコイン(ミスリル)」を進呈いたします。

今回お預かりしたPC、崎咲里美さんは、真実を愛する気高さ、そしてその根底にある水晶のような純粋さが、実に眩い輝きを放つ人物でした。
ライターとしましては、「勇者前夜」、未だ剣は得ていないながらも、勇者としての資格を備え、その精神性だけで邪悪なる者たちを圧する、という形で書こうと思い立ち、彼女の結界能力にそれを象徴させました。ちなみにNPC二名によれば、「あの結界に包まれている間、何だか暖かくて、絶対大丈夫だ! という妙な自信が湧いてきた」とのことです(笑)。
また、「いつでも彼女を見ているご両親」の姿をどこかに入れたいと思い、最後の大霊輝也の言葉で知らせるようにしたのですが、常に彼女を包むぬくもり、といったものを表現できていれば成功かな、と思っております。

このシリーズの第二回、「仮想東京RPG!〜2最強武器クエスト!〜」は五月末〜六月初頭くらいにはお目見え出来るようにしたいと考えております。次回では「勇者の剣」が登場いたしますので、もしよろしければご参加下さい。
では、またお会いできる日を楽しみにしております。