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<東京怪談・PCゲームノベル>


T・W・I・N



 投身自殺のためにビルの屋上まで上がって来た男女が月のきれいな夜――しかも決まって午前零時ごろに立て続けに五人刺殺されたというのが今回の連続殺人事件の概要。うち、五人目の被害者が抵抗し、犯人が持っていたナイフを奪って犯人の左手に切りつけた。結局被害者は犯人の逆襲にあって無残に刺し殺されてしまったわけだが、その時に現場に残った血痕によって田宮が浮かび上がったのだった。

 そして田宮を取り調べている最中に同じ手口で六人目の犠牲者が出た。現場近くで田宮を見たという目撃者に田宮の顔を見せたところ、「間違いなくこの男だ」という確認がとれた。これが今回の事件の概要である。

 被疑者名、田宮徹。二十七歳独身。普通の小学校、中学校、高校、大学を経て現在は小さな会社の会社員。生まれてすぐに母を亡くし、父に連れられて父の愛人の所で暮らすも父は田宮が六歳の時に死亡。五件目までの一連の連続殺人事件の犯行時刻には「自分の部屋で一人で寝ていた」と主張しているが、それを証明する者はなく、アリバイはないに等しい。「今回の連続殺人は自分の分身がやったのだ」などと不可解なことを言う割には心理学を毛嫌いし、オカルトに傾倒している様子もないようだ。

 宮本署の二係のオフィス――と呼べるほど上等な空間ではないが――に通された鬼丸・鵺は、沢木氷吾警部補に渡された“私的な”資料に目を通して以上の情報を得たのだが、どうしてもひとつ引っかかっていることがあった。大粒の赤い瞳をくりくり動かしながら、

 「ねえ沢木さん。田宮には本当に兄弟はいないのかなぁ?」

 と問い、沢木が淹れてくれたミルクティーよりもお茶請けのチョコレートに手を伸ばす。沢木は糸目をさらに細くして音もなく首をかしげた。

 「九分九厘間違いありません。耀ちゃんの情報網にも引っかからなかったと最初にご説明申し上げたはずです。何より、五件目の犯行現場に落ちていた血痕は田宮さん本人のものでした。今更なぜそれを?」

 「んー」

 鵺は茶目っ気たっぷりに唇を突き出し、顎に指を当てるポーズをとった。「例えばさ。一卵性の双子だったりすると、血液型はもちろんDNAなんかも同じなんですよね?」

 「それはそうです。しかし田宮さんには双子はおろか、ご兄弟もいらっしゃいませんよ」

 ついでにご両親も、と沢木は付け加えた。

 「そうだけど・・・・・・もしも・・・・・・もしも、だよ? 例えばほら、昔なんかだと、家にとって都合の悪い子供が生まれると地下牢なんかにつないでおいて一生外に出さないってこともあったっていうじゃないですか。もしそうなら、兄弟の存在が外部に知れることはまずないわけでしょ?」

 「なるほど。しかし――」

 沢木は肯きつつも穏やかに否定の表情を見せる。「それなら田宮さん自身がそうおっしゃるんじゃないんでしょうか? ご兄弟の犯行ならば、わざわざ“自分の分身がやったんだ”という不可解な供述をする必要はないと思いますがねえ」

 「うーん。それはそうだよね」

 素直に沢木の言葉に肯いた鵺であったが、自分の立てた仮説を捨てたわけではなかった。

 ただ――鵺の推理を裏付ける証拠はまだない。耀の情報網にも引っかからなかったくらいだから、今後の捜査でそういった手がかりが出てくる可能性もそれほど高くはないだろう。ならばどうすればいいのか・・・・・・。

 頭だけで考えていても始まらない。ともかくも、鵺は一度田宮徹と対面してみることにした。もちろん沢木の立会いの下に、である。

 「釈放してくれるんじゃないんですか?」

 小会議室に呼び出された田宮は鵺を見るなりそう言い、薄い唇を不快そうに歪めた。

 「さあ? それは鵺じゃなくて刑事さんが決めることだから」

 鵺はわざと首をかしげて幼いしぐさを見せつつ、よく動く赤色の瞳は油断なく田宮を観察している。いかにも神経質そうな男だ。シミひとつない白い肌に黒い髪。ひょろりとした体躯は貧弱そのもの。留置所暮らしてヒゲを剃ることもままならないのであろう、顎に散った不精ヒゲを盛んに右手で気にするしぐさが印象的だった。左手の甲にある切り傷は五人目の被害者に抵抗された時のものだろうか。

 「だから、ぼくじゃありませんよ」

 田宮は露骨な舌打ちを返した。「あいつがやったんだ」

 「それならキミの左手の傷は?」

 「これはあいつが受けた傷です。出来損ないでも一応ぼくの分身ですから。あいつが負った傷はぼくの体にも反映される」

 迷惑な話だと田宮は憎々しげに吐き捨てた。その後で、問うたわけでもないのに無精ひげをさすりながら饒舌に言葉を繋ぐ。

 「ぼくは被害者に切りつけられるようなヘマはしない。目撃されるようなこともね。ぼくならサングラスやマスクで顔を隠して、手袋なり軍手なりをはめて傷を負わないような配慮もしますよ。それに同じ手口での犯行なんか重ねない。いくら警察が無能でも同じ手口の犯行が続けば同一犯だとみなすでしょう? ぼくなら殺害方法と場所を変えて殺します。毎回ビルの屋上で刺殺するなんて方法は絶対にとりません」

 「そうですね」

 と相槌を打ったのは沢木であった。「顔を隠すことくらい、それほど難しくはありません。あえてそれをしなかったのはなぜでしょう。詰めが甘すぎますね」

 「でしょう」

 田宮は白い顔を歪めて笑った。笑った、というにはあまりにも皮肉に満ちた表情である。今度は鵺が尋ねた。

 「月にこだわるのはどうして?」

 「零時頃の月がいちばん美しいからですよ。ちょうど中天に達する頃・・・・・・誰にも邪魔されず、空の真ん中で煌々と孤高の輝きを見せて」

 田宮は詩でも吟じるかのように朗々と歌い上げ、うっとりを目を閉じて顎を持ち上げる。女のように白く華奢な喉がむき出しになった。鵺はそんな田宮をやや冷めた目で見守りながら無言で先を促した。

 「月は美しい。ぼくにとっては月が唯一の光。あの夜、月に導かれてぼくはあいつを殺した。ねえ、月光を浴びたナイフがどれだけ美しいかご存知ですか? 血を浴びるとなおさら美しいんですよ」

 「殺した?」

 形よく整えられた鵺の眉がひょいと持ち上がった。

 ――田宮はゆっくりと目を開いた。

 「ええ、殺しましたよ。自分の父親を。月夜の晩に」

 開かれた田宮の目には勝ち誇った笑みが浮かんでいた。

 「二十一年前にね。だからもう時効でしょう? 現在、殺人の時効は二十五年になったそうですが、改正の遡及効は及ばない(犯行後に条文が改正されても、犯行時の条文が適用される)のが刑法の大原則・・・・・・」

 薄い唇の端がかすかに持ち上がる。「もちろん、月夜に父親を殺したからといって今回の連続殺人事件の犯人がぼくだということにはなりませんよね」

 田宮は口元に手を持っていき、くすくすくすとさもおかしそうに笑い続けた。

 
 


 「トラウマがあるみたいだよ、あの田宮って奴」

 二係のデスクの椅子に前後逆に座り、紫色の瞳をした少女は頬杖をつく。「子供の頃にずいぶん悲惨な目に遭ったみたい」

 自称沢木の助手で、情報収集を担当している耀(あかる)という少女の容貌は少々特異だった。白い髪に不自然なまでに白い肌、そして紫の瞳。少なくとも日本人とは思えない。しかしそれ以外は十二歳の普通の少女でしかなかった。

 「小さい頃にお母さんが死んで、お父さんは田宮を連れて愛人の所に転がり込んだんだって。このお父さんが無職で飲んだくれで、ホステスの愛人の稼ぎで暮らしてたんだってさ。酒乱の気もあって、何かというと田宮を殴ったり刺したりしてたみたい。幼児虐待って言えばそれまでだけど、何度も殺されかけたんだって。それと、愛人が田宮の存在を疎ましがってたんだね。“隠し子がいると思われたらいやよ”なんて言って。だからお父さんは田宮を家に閉じ込めて外に出さなかった。愛人の機嫌をそこねたらお父さんはオマンマ食べられなくなっちゃうから。それである日田宮は父親を殺しちゃった。何かの拍子か、正当防衛あるいは過剰防衛か、狙ってやったのかは知らないけど。警察もまさか六歳の子供がやったとは思わなかったんだろうな」

 「どうしてそんなことまで知ってるの?」

 鵺は耀の説明に肯きつつも首をかしげた。沢木から渡された資料にはそんな記述はなかったはずだ。

 「これがあたしの仕事だもん」

 これくらい当然、と耀はぺちゃんこの胸を張って鼻の穴を膨らませる。鵺は少々怪訝に思ったが「ふーん」と相槌を打つにとどめた。

 「“ぼくにとっては月が唯一の光だった”っていうのはその辺に関係してるのかな」

 「みたいだよ。昼間でも分厚いカーテンが閉められた薄暗い室内に閉じ込められてたって聞いたから。カーテンの隙間から見る月が唯一の慰めだったって・・・・・・」

 薄暗い部屋に閉じ込められ、外界との接触を絶たれた少年に差し込む一筋の光明。それが月だったのだろうか。

 「月にこだわるのは田宮本人も同じ、か。月に因縁があるのは犯人のほうだけだと思ってたんだけど」

 鵺は呟くように言って顎に拳を当て、思案顔を作る。その表情はまだあどけなさが残る十三歳という顔つきにはややアンバランスだったが、それゆえに愛くるしく見えるのだから不思議だ。

 やがて鵺は小柄な体をひねって静かにレモンティーをすすっていた沢木に顔を向け、

 「ねえ沢木さん、鵺のお願い聞いてくれる? どうしても試してみたいことがあるんだけどなあ」

 と、とびっきりの笑顔と甘えるような口調で沢木に笑いかけたのだった。
  

 

  
  眼下に広がるのは騒々しいネオンと車のヘッドライトの数珠、行き来する人々の頭。足元から吹き上がる冷たい風にさらされ、帽子を目深にかぶった茶髪の少女はゆっくりと歩を進める。闇の中へ、コンクリートの縁の突端へ。その先に待つのはさらなる闇だった。

 もはやフェンスは超えた。その先には冷たい風に吹かれる幅3メートルほどのコンクリートが頼りなく広がる。少女は無言でその上を歩く。コンクリートが途切れた先にあるものは死という名の永遠の闇。それを望んでこのビルの屋上に上ったはずなのに、いざとなると足がすくみそうになる。下界から吹き付ける夜風に体温を奪われているせいばかりとも思えない。怯え。躊躇。そんな感情が明らかに彼女の歩みを鈍らせている。

 「死ぬんですか?」

 不意に背後で笑いを含んだ男性の声がした。振り返ると、フェンスのこちら側に薄い微笑とともにひょろ長い男が立っていた。右手で顎をさかんにさすっている。

 「怖いんでしょ?」

 男はふふっと笑ってみせた。しかしその目は血走り、徐々に敵意と殺意が燃え始めるのが見てとれる。少女は茶色い髪を小さく揺らして息を呑んだ。ポケットに差し込まれた男の右手の中で、凛とした月光を受けてちかりと光る銀色の刃を見たのだ。二人の頭上では中天に差し掛かった月が青白い光を無言で地表に投げかけていた。

 「自殺を考えてここまで上ったものの、いざとなると怖くて死ねない。腹が立つんですよ、あなたみたいな人間を見ていると。ぼくはあなたみたいな人を何人もこの手で殺してきた、月に導かれて!」

 成人男子のものとは思えぬ甲高い絶叫が月の光に吸い上げられ、墨を流した空へと広がる。ひゅうひゅうという音は闇を渡る風のものか。

 「ああ・・・・・・なんて美しい」

 不意に男は恍惚の表情を浮かべて月を仰ぎ見る。ナイフを持った右手を顔の辺りまで上げて冷たい刃に月光を反射させる。角度を変えるたび、研ぎ澄まされた切っ先に万華鏡のように乱反射を繰り返す月光の粒子が男の目にも反射する。

 「ねえ、綺麗でしょう」

 男はナイフの光を少女に示し、両手を広げてゆっくりと歩み寄る。「血で彩られるともっと綺麗なんですよ。ぼくはその光が見たい。協力してくれますよね。あなたは自殺志願者でしょう? それならここから飛び降りようがぼくに殺されようが同じですよね?」

 薄い唇が両端の限界まで持ち上げられる。大きく見開かれた目が輝いているのは月の光が進入しているからなのか、それとも殺人という行為に対する興奮ゆえか。じりじりと男が迫る。少女も本能的に後ずさる。しかし背後には粗末なコンクリートのへりがあるだけだ。

 「どうしたんですか。そのままさっさと飛び降りればいいでしょう」

 男はくすくすくすとさもおかしそうに笑ってナイフを構える。「やっぱりできないんでしょ? 怖いから。それならぼくが殺してあげますよ!」

 男が一気に間合いを詰める。ごうっと吹きつける風に少女の茶色い髪が揺れる。きらきらと冷たい光を放つ切っ先が迫る。

 そのとき、乾いた発砲音が夜の帳を引き裂いた。





 「威嚇射撃は済ませました」

 屋上に現れたのは沢木であった。まっすぐに天に向けた腕をゆっくりと水平に伸ばし、黒光りする銃口を男に向ける。「次は当てます。警官の銃の殺傷能力は三流ですが、一応“拳銃”ですからねえ。肩や足でも当たればそれなりに痛いですよ」

 男は一瞬目を揺らす。茶髪の少女はその隙を逃さなかった。ふっと身を沈め、目にも留まらぬ速さで男の脇腹にタックルを食らわせる。不意をつかれた攻撃に男はしりもちをついた。その拍子にナイフが手から飛ぶ。少女は素早く足を飛ばしてナイフを遠くに蹴り飛ばした。コンクリートの上を冷たい金属音が転がった。

 「それじゃ、一緒に来てもらおっかな」

 鵺は目深にかぶった帽子と茶髪のウィッグを脱ぎ捨ててにっこり微笑んだ。おとり捜査にひっかかったのだとようやく悟って男は目を丸くした。もっとも、鵺は民間人なのだからおとり捜査の違法性を問われる気遣いはない。

 「柳さん? どうも、沢木です。田宮さんは・・・・・・ああ、そう。ありがとう」

 沢木は宮本署に詰めている柳と話して携帯電話を切った。「田宮徹さんは現在も取り調べ室で尋問を受けているそうですよ。ということは、やはりあなたが犯人ですね」

 鵺はまじまじと男を見た。神経質そうに顎を撫でる手つき、左手の甲に見える切り傷の跡。それにあの喋り方、笑い方、台詞の内容。不精ヒゲがないことを除けば田宮そのものである。

 「名前はなんていうの?」

 鵺の問いに、男は「トオル」とだけ答えた。

 「あなたが今回の一連の事件の犯人ですね? 六人ともあなたが殺した」

 沢木の言葉にトオルは薄笑いを浮かべる。薄い唇も、そこにこびりつくような笑い方も田宮にそっくりだった。





 トオルは抵抗どころか逃走の素振りすら見せず、あっさり鵺と沢木たちに捕まって宮本署へ連行された。もちろんこれから尋問ということになるのだが、その前に鵺が意外なことを言い出した。

 「ねえ沢木さん。ちょっと出てってくれない? 鵺、トオルさんと二人で話したいんだ」

 もちろん沢木は難色を見せた。警察の人間の立会いなしで民間人が被疑者と面談するのはご法度だ。が、それしきのことで引き下がる鵺ではない。大粒の瞳を平素以上にくりくりと動かし、甘えるような声すら出して――もっとも、それは意識してやったことではないのだが――、懸命に沢木に『お願い』をした。それは半ば子供がだだをこねるようなやり方だったかも知れない。年下の耀でさえ諌めに入ったほどだ。しかし、結果的にそれが功を奏したかどうか、結局沢木は10分だけという条件を付して鵺とトオルだけを面談室に残して廊下に出たのだった。

 「どういうつもりですか?」

 鵺と二人きりになった後でそう尋ねたトオルの口調は意外に冷静だった。落ち着いているとでも言おうか。普通の人間なら警察に捕まれば多少の動揺や狼狽、不安といった不安定な感情を呈するはずなのだが、トオルに関してはそれがまったくない。住み慣れた自分の部屋で平素と変わらぬ日常生活を送るのと同じように、ただ静かに、淡々としているだけ。まるで――こうなることを最初から予期していたかのように。

 鵺はいつものようににっこり笑った。

 「聞いてなかった? 鵺、キミと二人で話をしたかったんだ」

 「あんなおとり捜査でぼくを捕まえておいて、ですか」

 「うん。ああでもしなきゃキミは出てきてくれなかったでしょ? 鵺にはキミの居場所を探し当てる超能力はないもん」

 「・・・・・・ぼくと話をしたかったからおびき出すような真似をしたと?」

 鵺は再び人なつっこい笑みを浮かべて肯いた。そしてその笑みを絶やさぬまま、一気に核心へと切り込んだ。

 「間違ってたらごめんね。キミ、もしかして田宮徹の双子の弟かお兄さんなんじゃないかなって。鵺の印象だと多分弟かなって思うんだけど」

 そう、鵺は初めからそう睨んでいたのだ。しかし田宮の兄弟の存在は耀の捜査網にも引っかからなかったという。だからこそ鵺は本人をとっ捕まえて直接聞くほかないという賭けに出たのである。

 トオルは答えなかった。しかし神経質そうな口元と目がかすかに動いたのを鵺は見逃さなかった。それが肯定のサインであると推測し、トオルが田宮の弟であるという前提で鵺はさらに話を進めた。

 「なのに警察の捜査網には引っかからなかった。警察はキミが田宮の弟だってこと知らないんだよ。なんでかなあ? 警察だって馬鹿じゃないのにね?」

 鵺はいったん言葉を切り、じっとトオルの目を見つめた。トオルも静かに鵺を見つめ返す。やはり落ち着いた瞳だ。湖のように、深く、静かで、底が見えなくて。そんなトオルと相対するのは深淵を覗き込む恐怖にも似ている。しかし鵺はそんな感覚が嫌いではない。

 「だからね――もしかして戸籍がないんじゃないかなって。で、戸籍がないってことは――こんなこと言いたくないけど――社会的に存在しないことになってるわけだよね。ってことは、まともな教育や育て方をしてもらえなかったんじゃない?」

 トオルはやはり答えなかった。ただ、くすりと笑っただけだった。さもおかしそうに、子供のように、トオルはくすくすくすと笑い続けた。それは田宮が見せた笑みとまったく同じものだった。

 「確かにぼくはまともな教育なんか受けてない。存在しないことになってるんだから当たり前ですが。鬼丸さんと言いましたっけ? 面白いですね、あなた。推理の続きを聞かせてもらいましょうか」

 「“鬼丸さん”じゃなくて“鵺”でいいよ」

 鵺は口元にぷっくりとえくぼを浮かべた。「キミ、ずいぶん月にこだわってるよね。色も白いし。色素性乾皮症って知ってる? 紫外線に当たると皮膚が炎症を起こして、皮膚癌なんかを引き起こしたりする病気。ちょっと突飛かも知れないけど、キミ、その病気なんじゃない? だから月夜の晩しか外に出してもらえなかったとか?」

 トオルはちょっと眉を持ち上げて目を細め、その後で口を開いた。

 「間違ってはいません。確かにぼくたちは太陽の光に当たると皮膚がやけどを負ったようになってしまう。病院に連れて行ってもらったこともないので色素性乾皮症かどうかは分かりませんが、多分それなんでしょうね。それに――月はぼくと徹にとって唯一の慰めと安息でした。ぼくたちの父の話は聞いたでしょう?」

 鵺は小さく肯いた。

 「父が眠る夜だけがぼくたちの自由な時間だったんです。昼間でも光のない部屋の中に閉じ込められたぼくたちにとって、そして、太陽の下には出られなかったぼくたちにとって、カーテンの隙間から見える月だけが唯一の光・・・・・・」

 トオルの声は細く、脆弱で、透明な響きを残して消え入った。

 「じゃ、やっぱりキミはお兄さんと二人で暮らしてたんだね?」

 「ええ。ぼくと徹は二人でひとつですから」

 トオルの口元にかすかな笑いがこびりつく。卑屈で、それでいてどこか勝ち誇ったような笑みを怪訝に思わないでもなかったが、その疑問は胸の内に留めて鵺は言葉を継いだ。

 「お兄さん、精神がちょっと弱いみたいだもんね。そんなお兄さんと、ひどいお父さんと一緒に暮らしてたんじゃ精神的に破綻してもおかしくない。お兄さんはお父さんを殺したって言ってたけど?」

 「ええ。ぼくが提案したんです。父を殺さなければ二人とも殺されると言って。徹は月の光が好きでしたし、簡単でしたね。ナイフに月の光が当たるとすごく綺麗だと教えてやったら、あいつ、簡単に父親を殺しましたよ」

 トオルは白い手を口元に持っていき、低く喉を鳴らして笑った。鵺はちらりと壁の時計に目をやった。沢木が与えてくれた時間はそう多くない。早く段取りをつけてしまわねばいけなかった。

 「――ねえ」

 鵺は小さく息を吸ってから口を開いた。鵺の心の動きがわずかでも伝わったのか、トオルも目を上げて鵺を見つめた。

 「自殺志願者を殺してたのは、自分は自由に生きる事すら出来ないのに生きる事を放棄した人達が許せなかったから?」

 トオルは答えなかった。しかしその目はじっと鵺の赤色の瞳を見つめている。鵺もトオルから視線を外さずに続けた。

 「鵺、その気持ち凄くよく解る。でもね、君が殺さなくちゃいけないのはお兄さんだよ。殺して君が彼に成り代わるの」

 トオルはパイプ椅子の背もたれに預けた体をゆっくりと起こし、これまたゆっくりとした動作でスチール机の上に頬杖をついた。切れ長の目がさらに細くなる。それは驚きというよりも満足の色を浮かべたように鵺には見えた。

 「ひどい目に遭ったんだよね? つらかったよね? お父さんが死んだ後もあんなお兄さんと一緒にいて、学校にも行かせてもらえなくて、外にも出られなくて」

 「だから徹に復讐しろと? しかし、そんなことできるんですか?」

 「大丈夫。誰も君の事知らないし、あの人オカシクなっちゃってるから、もう君を本当に自分の分身だとしか思ってない――」

 鵺は大きく肯いてトオルの目を覗き込んだ。「もうすぐ釈放されてくるよ、あの人。鵺、ちゃんと手伝ってあげる」

 トオルはまた眉を持ち上げ、興味深そうに鵺の瞳を覗き込んだ。





 沢木の拳がデスクの上に落ち、がん、と音を立てた。それは“拳を叩きつけた”というほど強い衝撃ではなかったかも知れない。しかし普段物静かな沢木がそんな行動に出ること自体が珍しく、それだけにそのしぐさは苛立ちと焦燥を物語っているともいえる。

 「落ち着け、氷吾」

 二係のソファに深々と腰を沈め、腕と脚を組んで鷹揚に言うのは猛禽類のような容貌をした男。沢木の“強力な”後ろ盾である桐嶋克己(きりしまかつみ)管理官である。

 「まあ任せろ。俺の私兵を使って捜索に当たらせている」

 桐嶋の口の端には葉巻と一緒に不敵な笑みが浮かんでいる。現代社会の警察官にはおよそ不似合いな“私兵”などという単語にまったく違和感がないのもこの男だからこそか。

 「所詮は民間人のやること。俺の力を甘く見るなよ? キャリア管理官の肩書きは伊達じゃない、すぐに見つかるさ。もし何かあっても内々に処理してやる。おまえに責任が及ぶことはない」

 「そういう問題ではありません」

 沢木は珍しく不快感を露わにして桐嶋の言葉に声をかぶせた。「一体どこに行ったのか・・・・・・なぜ鬼丸さんはこんなことを」

 もはや午前三時を回った。緊急事態が発生したのは十五分ほど前。一通りの尋問を終え、留置所に入っていたトオルが逃走したのだ。どうやら鵺の手助けがあったらしい。鵺が一人で留置所にやってきたとの目撃証言もあるし、その時刻は非常事態発生の報が入る直前であった。もちろん見張りの警官は常時配備されている。しかし、非常ベルを聞きつけて留置所に駆けつけた沢木が見たものは、まるで猛獣に引き裂かれたかのようにひしゃげた格子と、鳴り響く警報の下でだらしなくのびている屈強な制服警官たちだけであった。そして、トオルどころか鵺もまだ見つかっていない。

 「鬼丸さんには不思議な力があります。恐らく能面の力を使って逃走の手助けを・・・・・・。前回もそうでした」

 鵺の中には何人もの妖怪人格がいて、鵺の打つ面には不思議な力が宿っている。彼らをかたどった面を鵺が着けることでその人格を呼び出し、各々の人格の力を使えるのだ。沢木は妖怪人格たちの面こそ見ていないものの、鵺が面を打ち、その面が顕す人格が鵺の体に乗り移った瞬間を目の当たりにしている。妖怪人格を呼び出せば脱獄くらい容易くできるのではないか?

 「鵺ちゃん、田宮の双子説にずいぶんこだわってたよね」

 よい子は寝る時間にもかかわらず、腕組みして首をひねるのは耀だった。「あたしの情報網にも引っかからなかったんだからそれは有り得ないよって言ったんだけどなあ」
 
 「ほう。貴様の情報網にも引っかからなかったのなら双子である可能性は極めて低いだろうな。しかし――」

 桐嶋は顎の下に拳を当てて思案顔を作る。「ならば、トオルの存在をどう説明する?」

 「まだ確証はありませんが・・・・・・」

 桐嶋の問いを受けた沢木は小さく肯いて口を開く。沢木の推理を聞いた桐嶋はちょっと眉を持ち上げ、耀は大きな瞳を幾度か瞬かせた。

 「なるほどな。筋の通った話ではあるし、聞く限りでは田宮にはその土壌もある。犯行の動機は? 本人に尋問はしたのだろう?」

 「動機については語らずです。ただ・・・・・・自己顕示欲はかなり強いという印象を受けました」

 ほう、と桐嶋は目を上げて続きを促した。

 「なぜ六番目の犯行をあのタイミングで実行したのか。田宮さんが捕らわれている間に新たな犯行が発生すれば、素人だって田宮さん以外に犯人がいると考えるでしょう? 犯罪者は自分の犯行の発覚を恐れるもの。トオルさんにとっては田宮さんが犯人であると思わせておくほうが利益になるはずなのに、あえてそれをしなかったのは――」

 「自分の存在をアピールしたかったから、というわけか」

 桐嶋の言葉に沢木は大きく肯いた。

 「所で田宮はどうした。もう釈放の手続きは済んだのだろう?」

 「ええ。田宮さんはすでに署を出ています」

 「ふーむ」

 桐嶋は大きく唸って再度腕を組んだ。眉間に険しい皺が寄る。「まさか、トオルの狙いが田宮ということはあるまいな?」

 一瞬、沢木の糸目が大きく見開かれた。

 桐嶋はちらりと沢木に視線を投げて続ける。

 「田宮が捕まっている間に犯行を重ねたのは、田宮をカゴの中から出すためだとしたらどうだ? 田宮が釈放されるのを待っていたとしたら・・・・・・」

 桐嶋の言葉を聞き終わる前に沢木は二係を飛び出していた。耀もその後に続く。





 「さてと。ここなら大丈夫だよ」

 闇の中で鵺はにっこり微笑み、トオルを振り返った。トオルは白い壁に寄せられた清潔なベッドの上に疲れたように腰掛けていたが、その表情には満足感があった。

 「ここは鵺のお父さんが経営してる精神病院。ほら、お兄さんは精神が弱いってことになってたでしょ。精神病院にいても全然おかしくないよ」

 「そうですね。そう・・・・・・ぼくはもうトオルじゃない。徹になったんですものね」

 トオルはくすりと笑った。

 鉄格子を破ることも、警備の警官をなぎ倒すことも、妖怪人格ケルベロスの面を使えばたやすかった。釈放された田宮を手にかけたのはトオル。今までの犯行と同じように、月光の下で、田宮を刺し殺した。死体の処理は簡単だった。妖怪鬼婆の面を装着した鵺が丸飲みにしたのである。死体が上がらなければ犯行も発覚しない。身寄りのない田宮が行方知れずになっても疑う者はない。後はトオルが田宮の代わりに振舞えばよいだけ。簡単だった。完璧な計画だった。

 「いつまでかくまってくれるんですか?」

 「ほとぼりが冷めるまではいたほうがいいね。精神異常を理由に精神病院に入院。おかしくないでしょ?」

 「なるほど」

 トオルはベッドからふらりと立ち上がり、小さな窓に歩み寄った。採光のためのごくごく小さな窓の向こうでは西に傾きかけた月が青い光を投げかけている。

 「どうしてここまでしてくれるんです? 縁もゆかりもないこの僕に」

 「言ったでしょ? 鵺、キミの気持ちがよく解るって」

 鵺はいつものようににっこりと笑ってみせた。トオルもふっと微笑を浮かべる。

 「そうですね。ぼくに興味を持ってくれたのはあなたが初めてです」

 そしてトオルは目を細め、窓の外に視線を投げた。闇の中で冴え冴えと輝く月。冷たく、白く、厳かに。トオルはさらに目を細め、顎をやや上げて華奢な喉をむき出しにする。

 「ぼくは誰とも接触させられずに生きてきました、徹とあの父親以外には。ぼくはそもそもそういう存在ですし、誰かと接触する必要もなかったのだから仕方ないのかも知れません。ぼく自身、誰かと触れ合いたいと思ったことも特にありませんしね」

 「そんなのおかしいよ。それじゃ何のために生まれてきたのかわかんないじゃん」

 鵺はそう言ってトオルの隣に歩み寄り、微笑を浮かべた。大粒のアーモンドのような瞳を上げてトオルを見、わずかに顔を傾け、キュートな唇をすっと持ち上げて。

 「これからはお兄さんの代わりに好きに生きられるよ。普通の人と同じように。ね?」

 「でも、ぼくのことを知っている人は誰もいない。ぼくのことを気にかけてくれる人も・・・・・・」

 「ここにいるよ?」

 鵺は人差し指で自分の顔を指し、にっこり微笑んだ。その後で人差し指を引っ込め、代わりに小指を立てる。トオルはやや怪訝そうに鵺を見た。

 「鵺がキミの最初の友達。ね? 約束する」

 「・・・・・・ええ」

 トオルは細く微笑んだ。それは絹糸のように柔らかく、繊細で、そして幸せそうな笑みだった。トオルが初めて見せる表情だった。そして鵺と同じように小指を立て、手を差し出そうとした。

 が、どうしたことか、トオルは途中で手を下ろしてしまった。

 「ごめんなさい」

 そして、呟くように言った。「ここまでしてくれたのに・・・・・・」

 その言葉の意味が解らずに鵺は小さく首をかしげる。トオルは長い睫毛を伏せた。しばし、沈黙があった。

 「ぼくはあなたに嘘をついていた」

 「え?」

 「・・・・・・ぼくは、徹の弟じゃありません。兄でもない」

 鵺は形のよい眉をやや中央に寄せる。トオルが目を上げた。切れ長の瞳が濡れた膜でうっすらと覆われていた。

 「ぼくはね」

 トオルの声はかすかに震えていた。「本当は、徹の分身なんです」

 ざわざわと風が木々を揺らす音が聞こえた。

 「でも、あなたの言ったことは大体当たっています。ぼくという人間がこの世に存在しないことになっているのもそう。まともな教育や育て方をされなかったのもそう。徹と二人で、誰とも接触せずに生きてきたのもそう・・・・・・」

 鵺の瞳が大きく見開かれた。

 「徹はひどい虐待を受けていました。虐待の痛みと記憶を肩代わりさせるために生み出されたのがぼく・・・・・・徹は多重人格だったんです。そのうち、ぼくが表に出ている時間がだんだん長くなって、ぼくの力が強くなって――最後には体までふたつに分かれてしまいました」

 「嘘・・・・・・」

 「ごめんなさい」

 トオルはもう一度言い、かすかに顔を歪めた。「あなたがぼくのことを徹の兄弟として・・・・・・一人の人間として認めてくれたことが嬉しくて、徹に成り代わればいいと言ってくれたことが嬉しくて、言いそびれてしまいました。騙すつもりはなかった」

 鵺は首を左右に往復させた。言いそびれたとか、騙したとか、自分の推理が外れたとか、そんなことは問題ではなかった。

 「ぼくは痛みを受けるためだけに生み出された、虐待の痛みと記憶を徹の代わりに受けるために。痛みを受けるためだけに生きなければならなかった。死んだほうが楽だなんて何度も考えました。でも死ぬことすら許されなかったんです」

 「そう・・・・・・だよね。別人格であるキミの生殺与奪を握っているのは主人格だもん。自分の意志で死ぬことなんて――」

 そこまで言いかけて鵺ははっと口をつぐむ。自分の意志で死ぬことができないトオル。そんな彼が自殺志願者を狙ったのは、もしかして――?

 鵺の心中を察したのか、トオルは小さく肯いた。そして口を開いた。

 「ぼくは自分で死を選ぶことができないのに、自殺志願者は自由に死ねる。しかも、いざ自殺しようとなると怖くてためらう人間も多いでしょ? それに腹が立ったんです。自由に死ねるだけありがたいと思えと。世の中には死にたくても死ねない人間がいるのに・・・・・・」

 トオルの声は静寂の中に細く消え入った。彼の言っていることは非常に偏向的で、世間一般に通用するような価値観ではないし、ほとんど屁理屈とさえとれるものであったが、鵺はなぜか反論する気は起こらなかった。

 「それに――これは徹への復讐でした」

 トオルはベッドの上にすとんと腰を下ろした。「ぼくはこの世に存在しないことになっている。だから・・・・・・ぼくが犯行を重ねれば当然徹が警察に捕まる、取調べを受ける。DNAだって同じですからね。いくら言い逃れをしても警察は徹がやったと思うはず」

 「警察の厳しい取調べを受けて苦しめばいい、ってこと?」

 鵺が後を引き取ると、トオルは小さく肯いた。

 「そっか」

 鵺はかすかに息をついた。「じゃ、鵺がキミの復讐計画を邪魔しちゃったのかな」

 「それならあなたの提案を承諾したりはしません」
 トオルははっきりとそう言い切った。「ぼくの望みは徹を苦しめ、徹をこの世から消すこと。あなたのおかげでぼくの望みは簡単に達せられた」

 トオルはそっと立ち上がり、細いパンツのポケットに手を差し込んだ。壁に背を預けて窓の外を見やる。深夜よりも明け方に近くなった時間帯。空は濃紺からコバルトへと姿を変え始めている。白っぽいかすかな光がトオルに当たり、シャツの下の薄い体の線を浮き上がらせた。

 「ねえ」

 と鵺が尋ねると、トオルはすっと目を上げて鵺を見た。透き通った目だった。

 「鵺が徹さんを殺さなかったら、キミはどうやって徹さんを殺すつもりだったの?」

 トオルはまた音もなく目を細めた。

 「ぼくが自ら命を絶つつもりでした」

 鵺の眉がぴくっと持ち上がる。トオルは鵺の目を見つめたまま続けた。

 「ぼくたちは二人でひとつ。ぼくが死ねば徹も死ぬ。ぼくはね、分身でも結構強い力を持っているんですよ。ぼくが命じて徹に父を殺させたと言ったでしょう? ぼくが徹の意志を操作したんです。分身のぼくが。痛快だと思いませんか? 支配されるべきぼくが、本体を支配したなんて。しかもトオルはそのことに気付いてもいない」

 トオルは甘美な記憶でも思い出すかのようにうっとりとして目を閉じる。東の空が徐々に明るいブルーに変わりつつあった。

 「・・・・・・キミが死ねば徹さんも死ぬ。キミたちは二人でひとつ・・・・・・」

 夜が明ける間際、静寂に沈む闇から清冽な白い朝へと移り変わる一瞬、その刹那にだけ訪れる闇と光が入り混じった光を受けて、鵺はぽつりと言った。

 「ってことは、徹さんが死ねば、キミも?」

 鵺はすっと目を上げて問うた。

 トオルは薄い光と闇の中でふっと微笑んだ。

 「後悔はしていません」

 そして、その言葉をもって鵺の問いへの答えとした。「最初からこれが目的だったし、目的を達すればぼくは死ぬ。自分の命を賭けるだけの価値はある――」

 背中を壁から離し、トオルは窓辺に立った。そして鵺を振り返った。ちょうど窓を背にする格好で。

 「ダメだよ」

 鵺は小刻みに首を横に振った。「死ぬ必要なんてない。もう徹さんはいないんだから、キミが徹さんの代わりに生きればいいだけじゃない。大丈夫だよ、誰もキミのこと知らないんだからなんとでもなるよ。だから――」

 それは鵺にしては珍しいことだった。犯罪の被害者も加害者もかわいそうなどとは思わない鵺が、トオルの身の上を案じるなど有り得ないことだった。しかし案じずにはいられなかった。鵺自身にも理由は分からなかった。ただ、トオルにこのままいなくなってほしくない。そう思っていることだけは確かだった。

 だが、トオルは静かに首を横に振った。

 「ぼくたちはツイン。二人でひとつ。徹が生きている限り、ぼくは自由にはなれない。死んでからようやく解放されるんです」

 白い光が強さを増した。空はだいぶ明るくなり、絵の具のようなスカイブルーが天球を下のほうから覆い始めている。

 「でも、死ぬ前にあなたに会えてよかった。あなたはぼくを一人の人間として扱ってくれた初めての人・・・・・・」

 トオルはにこりと微笑み、小指を立てて指切りを求めた。鵺はかすかに顔を歪めた。気を抜けば涙さえ溢れそうだった。それでも下唇をきゅっと噛み締めて涙をこらえ、小さく肯いて小指を差し出した。

 「ありがとう、鵺」

 逆光の中でトオルがかすかに微笑んだように見えた。「あなたのことは忘れない。きっと・・・・・・。約束します」

 白い光が強さを増し、鵺は思わず目を細くした。

 やがて太陽が雲に入り、光がやや弱くなる。

 目を開いた時にはトオルの姿は煙のように消えていた。

 ただ、鵺の小指に確かな人間の指の感触が残っているだけだった。



 
  
 沢木が鵺の居場所を突き止めて駆けつけたのはその直後だった。簡単に事情を説明すると沢木は唇を噛み締め、ただ肯いただけだった。

 「そうだったんだ。多重人格の果てに体まで分かれて・・・・・・」

 耀はうつむいてぽつりと呟いた。「結局、沢木さんの推理が半分当たってたわけか。犯行の動機までは読めなかったけど」

 「それでも――」

 沢木は手でひさしを作り、太陽のほうを向いて呟いた。「田宮さんが捕まっている間に六番目の犯行をする必要はなかったはずです。犯人が田宮さんだと思わせておいたほうが田宮さんを苦しめることになるはずなのに」

 鵺もその考察には素直に肯いた。田宮が捕まっている間に同じ手口で新たな犯行が発生すれば、疑いは――少なくとも六件目の犯行に関しては――当然、田宮から逸れるのだから。

 「ぼくは・・・・・・トオルさんがあのタイミングで罪を犯したのは自己顕示欲があったからだと推測しました。自分の存在をアピールしたかったからではないかと。鬼丸さんのお話を伺う限りでは、ぼくの考えはそう的外れではなさそうですね」

 「自己顕示欲、か。そうだね。多分そうだと思う」

 鵺はそっと小指に目を落とした。「自分の存在を誰かに知ってほしかったんだよ。ずっと田宮さんの裏の人格として、人目に触れないように生きてきたし、そうしなきゃいけなかったんだから・・・・・・」

 当然だよ、と鵺は呟いた。

 “ありがとう、鵺。あなたのことは忘れない”

 トオルの言葉が鼓膜の奥で鮮やかに再生される。小指にはトオルの指の温かさも、柔らかな皮膚の感触もはっきりと残っている。

 鵺も、きっとキミのこと忘れない。

 鵺は小指を大事そうに手で包んで胸に押し当てた。(了)
 





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 /    PC名    / 性別 / 年齢 /  職業  】
  2414    鬼丸・鵺(おにまる・ぬえ)女性   13歳  中学生・面打師


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■         ライター通信          ■
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鬼丸・鵺さま


こんにちは、宮本ぽちです。
続けてのご注文、まことにありがとうございます。
またお会いすることができて光栄です。

今回も素晴らしいプレイングをありがとうございました。
トオルに協力してくださったお気持ち、嬉しかったです。
ただ、別のお客様に納品したものと180度方向が逆でしたので、いただいたプレイングを活かすために多少苦労いたしましたが;
早くにご注文をいただいておきながら、納期ぎりぎりまでかかってしまって申し訳ございません。

鬼丸さまのご性格だとラストはちょっと違うかな?とも思ったのですが、トオルに「その気持ちよく分かる」とおっしゃってくださったお心が嬉しかったので、このように仕上げました。
NPCに積極的に関わろうとしてくださる鬼丸さまのプレイング、毎回(といっても二回ですが;)とても嬉しいです。
今後の活動予定はまったくの未定ですが、またどこかでお会いできる機会がありますことを願っております。


宮本ぽち 拝