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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


幸福への長い坂道




『きちんと仕事を全うした日』には、自分で自分に『ご褒美』をあげることにしている。
 帰りしな、通り道にあるコンビニエンスストアで、ファーストフードの欄に並べられているからあげの袋をひとつ、買い食いするのである。
 体力を使う。気力も使う。当主としての、プライドもプレッシャーもある。
 今のような日常の中に身を投じてから、人間、どこかできちんと生活にめりはりを付けなければいけないのだと知った。それが、自分への褒美であり、明日への動力源となるのである。
 渡辺綱。
 宮内庁より鬼払(やら)いの命を授かる、渡辺家の若き当主、である。
 己の日々を、他人に評価してもらいたい、認めてもらいたい──そんな思いも、決してないとはいわない。が、やはり、己を満足させるそれをしてやれるのは、己しかない、とも思う。誰よりも己を厳しく諌める目を持ち、その目を以てして、己を讚えてやる。
 それこそが、自分を正しく歩ませる、最たる方法なのではないか。
「へへっ……2個増量キャンペーンだってサ……ツイてるツイてる♪」
 右手にぶら下げたコンビニエンスの白いビニール袋、その中でほかほかと温かな温度を放っているからあげを頬張るのが待ち遠しい。
 2階へ上がる階段は、他の家族を起こしてしまわないようにそっと昇り詰めた。渡辺家、何の変哲もない建て売り住宅の一軒家の中には、何の変哲もない、建て売り住宅の一軒家。夜勤の職員以外は、何時間も前にベッドの中に潜り込んでしまったであろう時間である。
 細い廊下も、くつしたの爪先でそっと歩いた。
 そして、自室のドアノブを、出来るだけ音が立たないように静かに回し、するりと身体を室内に滑り込ませたとき──
「……遅い、よ」
「・‥…──!?」
 暗がりの中で、内緒話しをするかのような囁き声が、綱にそっと語りかけてきた。



「……っ、れ、蓮っ……」
 絶句して、思わずビニール袋を取り落としてしまった。が、すぐにその失態に我に返り、袋を拾い上げると部屋の扉をそっと閉める。『遅い』。その言葉に、今日、この少年と会う約束をしていただろうかと瞬時に考えた。
 答えは、否、である。──それどころか。
「良く入ってこれたな……誰かに呼びとめられたりしなかったか?」
「……別に」
「……そ、……か……」
 しかし、驚いた。綱が家督を継いだすぐあとで、渡辺家の敷地内は宮内庁付きの術者によって異次元への広がりを持った。外見面積と実面積に歪みを生じさせることによって、普通の建て売り一軒家だった渡辺家の中には祭壇や道場、庭園と、それを内包しても余りある豊かな面積を手に入れることになったのである。宮内庁からの職員も常駐していれば、術者が成した幾重もの結界も存在している。
 その中を渡り、この少年──瀬川蓮は、こともなげに綱の自室へと進入し、あまつさえ彼の帰りを今か今かと待ち続けていたというのである。
 トリッキーさと気まぐれさを常とする、小さくて、憎めない友達。改めてその大胆さを目の当たりにして、綱は机の方へと歩を進めながら苦笑した。「からあげ食うだろ? 半分ずっこしようぜ」
「…………」
 蓮はしばしの間、訝しげな表情で綱の顔を見上げていたが、やがて小さく、コクリと頷き、ベッドの端に腰をかけたままぶらぶらと足を揺らした。見下ろした視線で、自分の揺れる爪先を眺めている。小さく咳払いをしたとき、ようやく──綱は、可愛らしい友達がいつもと様子を違えていることに気がついた。
「──蓮、何かあったのか?」
「……声が……」
 なるほど、たしかにそう応えた蓮の声は少し掠れている。先ほどの囁き声は、声をひそめたものではなく、純粋に、彼の咽喉の調子が良くないからだったのだと合点がいった。
「風邪でもひいたんだろ……こんなとこいないで、温かくして寝てないとだめじゃないか」
「そうじゃ……ないんだ」
 そしていつになく、歯切れが悪い。「──これ、声変りなんだって」
 少年の告白に、えっ、と云うように綱は彼のうなだれた横顔を振り返った。薄闇の中で淡い白金に浮かび上がっている髪の襟足から、細く真っ白な首筋が見える。肩も胸元も薄くて華奢で、ともすれば小学生と云っても通じるくらい、蓮は幼く、小柄である。
 が、そんな『子供』である蓮も、13歳のれっきとした少年、なのである。しばらく彼をまじまじと見つめていた綱であったが、次第に自分の口許が綻んでいくのを感じた。
「……良かったじゃないか、蓮……! そうか、声変りが来たのか。おめでとう!」
 大股で、机の前からベッドの端──少年の眼前にまで歩み寄り、その顔を覗き込もうと上半身をかがめた。
 が、そんな綱の勢いに気圧されたのか──または、もっと違う理由のせいだったのか。
 蓮はビクンと華奢な両肩を強張らせ、自分の表情をうかがおうとする綱の視線から逃れて顔をそむけてしまう。
「──、何がおめでたいのさ……そんなこと……そんなこと云わないでよ……!」
 そんな蓮の、力いっぱいの拒絶の挙動に、今度は綱がびっくりする番である。やっぱり常に見る少年とは、明らかに様子が違った。泣き笑いのような、おどけたような、曖昧な表情を作りながら、綱は首を傾ぎ、また蓮の顔を窺い見ようとする。
「だって、蓮……」
「ボク……、──大人になるの……怖いんだ……」
「……」
「大人になるって、自分がどんどん……汚くなっていくみたいで怖い……」
「……」
「子供でいられてる間は、自分は無敵の神さまみたいに思えるのに──成長していくに従って、大人になっていくにつれて……自分が、汚くて矮小な『人間』の一人なんだって思い知らされるんだ……!」
 震えている。
 決して大きなものではない、それでも絶望と不安に充ち満ちた怒声を吐きながら、蓮は自分の足の爪先を凝視しながら震えている。
 誰もが通る道だ。綱は思う。子供から大人になるにつれて、自分の内側と外側の境目に少しずつ違和感を覚えるようになっていく。他人に何かを求めるばかりではいられなくなるそして、他人から求められる物事が大きくなっていく。
 誰もが、通る道なのだ。改めて、綱は思う。
 少年が畏れるのも無理はないことだ。寄る肉親もないままに、それでも少年はここまで賢明に(そして懸命に)往き続けてきた。だから、彼の不安を、笑い飛ばしたり、事もないと無視したりしてはいけない。
「そうやって、自分を卑下して考えちゃダメだろ……って、卑下って判るか?」
「ばかにしないでよ」
「確認しただけ、確認。……な? お前だって知ってるだろ、悪い大人ばっかりじゃないし、お前自身が『悪い大人』になるとは限らない。こうしてる間だって、お前の身体は大人になるための準備をちょっとずつ、整えてるんだぞ」
「…………」
「大人が嫌いなら、お前が『子供に嫌われない大人』になればいいんだ。だろ? お前の人生はお前自身が決めるんだぞ。──そうやって、みんな、悩んで大人になっていくんだ」
 最後の一言は、少しだけためらったあとで続けた。云ってしまってから、結局それは『事もない』と少年に言い放ったのと同じ意味を持つのではないかと気付き、少しの間、口を噤む。
「…………」
「だから、心配するなよ。大人になるの、別に怖いことじゃないんだから」
「──…‥・」
 綱が語りかける間に、蓮の震えは収まっていた。ただ静かに、自分の爪先を──夕方になると、ほんの少しだけ靴に押されて痛むようになった爪先を見つめている。
 ただ、その両肩だけは相変わらず強張り続けていて、それは綱の言葉や、彼の優しさを身体全部で拒絶しているようにも感じられる。──違うのに。そんな言葉が咽喉のすぐ奥まで出かかっているのを、気配で感じ取ることすらできる。
 得体の知れぬ、それでいて明確なりんかくを持った不安と恐怖は、『大人』と同じ責任を求められ、『大人』に順応して生きている自分の友達には、伝わらないのだと蓮は思った。
「──帰るよ」
「ん、そっか。……気をつけて帰れよ。それと、やっぱりきちんと暖かくして寝ること。声変わりの時だって、咽喉を大切にしないとそのぶん長引くんだからな」
「……覚えとく」
 ほんの少しだけ、距離がある。距離が、残っている。
 蓮はベッドから立ち上がると、窓際まで両足をするようにして歩み寄り、カラカラとガラス戸を開けた。
 そして、おそらくは──この部屋に進入した時と同じほどの鮮やかさで、夜の異空間の中に姿を消していった。
「………」
 からあげの香りが充満した室内の空気が、夜風に吹かれて外気と混ざり合う。
 ──半分持たせてやれば良かったかもしれない。
 少年の気配が消えた室内に取り残されながら、綱はぼんやりとそう思ったのだった。

(了)


──登場人物(この物語に登場した人物の一覧)──
【1790/瀬川・連(せがわ・れん)/男性/13歳/ストリートキッド(デビルサモナー)】
【1761/渡辺・綱(わたなべ・つな)/男性/16歳/神明高校二年生(渡辺家当主)】