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櫻ノ見ル夢
例えば、の話だ。
あなたがよく通り過ぎる道に、とても綺麗な花を咲かせる桜の樹が植わっていたとする。
今年もまた、その樹は美しい花を咲かせた。そして季節の移り変わりに従い、はらはらとその花弁を風に撒いていった。
それでもし、例えばだ。その樹に桜の精が宿っていると言われたら、あなたはどんなのを想像するだろうか。
――あんなに綺麗な桜の樹なんだ。どんな美女だと考えるのが普通だろ。風になびく黒髪で、純和風の顔立ちで……。
そんな風に考えたとしても、男なら仕方がないと思うんだよな。
「オレを助けてくだせぇ。この通りです、頼みます」
目の前では、筋骨隆々でいかにも無骨そうな男が、歯を食いしばり男泣きに泣いている。
草間武彦は困惑した。
いや、初対面でいきなり「自分は、あの桜の樹の精です」なんて言われ、あまつさえ自分より大柄な男に、泣いて頭を下げられたとしたら、誰だって呆然とするばかりだと思う。
タンクトップから覗く肩からは、金さんよろしくびっしりと彫りこまれた桜の刺青が覗いていて、「ああ、この辺が桜の精なのか」などと、草間は現実逃避っぽくぼんやり思う。
「……とにかく、話は分かった。でもよ、無理だろそれ。この前お前が……でいいのか? とにかくあの桜の樹、今年はもう花が全部散ってただろう。どう考えても無理だと思うぞ」
――もう一度、今すぐ花を咲かせたいだなんて。
常識的に考えて絶対無理だ。
しかし、何度そう言ってもこの男はがんと首を縦に振らない。
「いや、でも、自分はどうしてももう一度咲きたいんです。それで、あなたのお力をお貸りしたく」
「俺は花咲きジジイじゃないんだぞ……」
時間の経過があいまいなここではピンとこないが、草間が何の解決方法も見出せずにいた間に、どうやら現実世界では3日という時間が流れたらしい。
しかし、草間はこの男によって夢の中に閉じ込められたまま、いっかな解放してもらえる気配が無い。
とりあえず、煙草がなくなる心配だけはしなくていいのは楽だな、などと思いながら、草間はドーナツ型の紫煙を宙に吐き出した。
――3日か……3日間も寝っぱなしで、誰かに迷惑かけてなきゃいいが……。
○A-1 <日和>
「どうした、日和?」
初瀬日和が立ち止まると、傍らを歩いていた羽角悠宇も立ち止まった。
初夏の並木通り。いつも通りの放課後、肩を並べ二人仲良く帰宅途中のことだった。
道のりはいつもと同じ。辺りは昨日となんら変わらない風景に見えるのに、なんでもない道の真ん中で日和の足がふと止まり、その奇妙さに我ながら首を傾げる。
自分でも、なぜ足を止めたかよくわからなかった。だけれど、ささいな違和感のようなものが、日和を引きとめようとする。
頭上で青く萌えている葉が、風にさやさやと音を立てた。葉に透ける青空が高い。
「うん……声が、聞こえた気がして」
「声?」
日和の視線はきょときょととさ迷い、そして数歩進んだ先にあった桜の木へとたどり着いた。
その木は道からわずかに外れた場所にあった。大きな桜の木だ。ソメイヨシノだろうか、大きな枝ぶりが、5月の風に揺れている。
二人の傍らを、原付が通り抜ける。それからかばう様にして悠宇に背を軽く押されたが、それがまるで迷いから断ち切ってくれたかのようだった。
そのまままっすぐその木へと歩み寄る日和。そして、その幹にそっと右手を添えた。
「……泣いてるわ」
「泣いてる? 桜の木がか?」
どうしよう、と日和は後ろを思わず振り返り―――そうして振り返ってしまってからはっと我に返ったけれど、そこにあった表情が真剣そのものなことに少しだけ安堵する。
―――やっぱり、悠宇くんは私が言うことをちゃんと信じてくれる。
「はっきりとは分からないんだけど……信じてくれる、悠宇くん?」
「当たり前だろ! ……日和が、俺に、嘘をつくわけないだろーが」
照れたような、わずかにぶっきらぼうな悠宇の言葉。
「んで? この桜の木はなんて言ってるんだ?」
「うん、待ってね。もうちょっと耳をすませてみるから。ええっと……」
日和は両手を桜の木肌に当てた。そしてそのまま両の目を閉じる。
―――桜の木さん、どうして泣いているの?
「……泣いている人と、もう一人……知っている人の声……」
「誰だ?」
「えっとね……あら?」
聞き覚えのある声。つい先日、あの狭い部屋で対面したばかりの……。
「……草間さん?」
B-1 <夢の中>
はっと日和が我に返った時、周囲は一変していた。
遠近感のつかめない景色。白一色のようにも見えるし、灰色の何かが渦巻いているようにも見える。どこまでも果てなく広がっているようにも見えるし、すぐそこに壁が立ちはだかっているようにも見える――つまり、尋常の風景ではない。
ここはどこだろう、と視線を巡らせて見れば、すぐ近くから覚えのある声が聞こえてきた。
先ほどまで、桜の木を通して聞いていた声も聞こえる。だけどそれだけではなく――もっと、複数の人間の声。
「……あのね。なぜかとか、花を見せたい誰かがいるのかとか、理由言わなきゃわからないでしょう!」
眉間に深い深いしわを刻みつつ、仁王立ちでまくしたてているのは、見知った仲のシュライン・エマだった。その前で正座しているのは見覚えのない男だったが、彼はシュラインの剣幕にただただ身を縮こまらせるばかりだ。
その男の横に座り込み、あぜんとした表情でシュラインを見上げているのは、草間武彦だ。
「おいシュライン、そんなに言わなくても……」
「武彦さんは黙ってて! 私が3日間、どんなに心配したと思ってるの!」
女性にそう言われてしまうと、男に言い返せる言葉はない。
彼もまた姿勢を正し、シュラインの言葉に面目なさげに身を縮こまらせるばかりだった。
何がなにやら分からないままだけれど、迷っていても仕方ない。そう思い、日和は思い切って声をかけてみた。
「あの! もしもし!」
「……おや、日和さんではないですか。こんにちは」
振り向いたのは彼らと少し離れたところに立っていたもう一人の人物――セレスティ・カーニンガムだった。
やはり日和とは周知の仲だ。彼の浮世離れしたあいさつに、日和は少しだけホッとする。
「こんにちは。……あの、皆さんケンカでもされているんですか?」
「ああ、別に気にしなくてもいいんですよ。あれはシュラインさんの愛情表現ですから」
「はぁ……。あ、あの、そういえば、草間さんの横に座っておられる方は?」
「ああ、彼は桜の精ですよ」
あくまでなんでもないといわんばかりの口調に、一瞬日和は首をかしげる。
そうしてその言葉の意味をようやく理解して、思わず目を瞬いた。
「……本当ですか?」
その問いに直接は答えず、セレスティはまじまじと日和を見詰めた後――「ああ、やはり日和さんでさえもそのような反応をするのですね」と面白そうな顔で頷いたのだった。
その後、彼に説明してもらい、ようやく日和は事態を理解することが出来た。
草間の横に正座する筋骨隆々たる男。自己紹介によれば、彼の名は猪熊桜之進といって―― 一見なんらかの職人のようにも見える彼だが、本当に桜の精のようだ。
そして彼こそが、あの泣いていた桜の木自身であり、日和がここへとやって来た原因らしい。
「ここは草間さんの夢の中ですよ。実はですね、草間さんが猪熊さんによって夢の中に取り込まれてしまいまして。3日間眠り続けているというので、事態解決のために私たちが直接ここへと下りてきたんですよ。……ところで、日和さんはなぜここに?」
「……そういえば、私はなぜここにいるんでしょうか?」
小首をかしげる日和に、セレスティはおやおやと苦笑する。
「私、道を通りかかった時に、桜の木が泣いているのが聞こえたんです。その声に耳を澄まそうとして、それで……」
そうして日和は、あ! と小さく声を上げた。
「悠宇くん!」
「え? ……ああ、いつもあなたと一緒にいる彼ですか」
「どうしよう、私が今ここにいるっていうことは、きっと悠宇くんを心配させて」
「……ああ、いえ。大丈夫なようですよ」
目を細め、遠くを見るような表情をしたセレスティが、すぐに日和に笑って見せた。
「彼は今、興信所に来ているようですね」
「そうなんですか?」
「ええ。あなたの彼氏さんは、どうやら勘がいいようです」
「え? ……あ、あの、いえ、悠宇くんとは、その、『彼氏』とか、そういう……えっと、そうなんですけど、その」
日和がセレスティの言葉に頬を赤らめているのをよそに、シュラインの話は続いている。
ぐずぐずと泣きじゃくり、うなだれるばかりの猪熊。「情けない」という言葉がよく似合う。
「だからね、武彦さんをさっさと解放して頂戴。3日も寝たままじゃ衰弱しちゃうでしょう? そんなことも分からないの!」
「あ、いえ、その、自分は……」
「無理やり拉致して理由も告げず咲かせろだなんて、スジが通ってないでしょ、スジが」
「……うう、自分は、自分は……」
「ああもう、はっきりしない男ね! いっそ、咲く前に斬り倒してあげましょうか?」
シュラインがそう言い放った途端。
猪熊が大泣きに泣き出した。うわーん、とでも表現したくなるような、恥も外聞も構わず盛大な泣き方で。
幼児が菓子をねだる時でさえ、ここまでひどくはないだろう。ましてや大柄で体格のいい男がそのように泣いてみせても、周囲は閉口するばかりだ。
「じ、、自分、ど、どうしたいいか、わからんくって、だから、だから、ぐざま゛ざん゛を、」
「……おいシュライン、お前泣かすなよ……」
「武彦さん! 私に責任押し付けるの!」
「い、いや、そうじゃなくてよ……」
困り果てるシュラインと草間の前で、男はなおもいっそう泣き声を高くした。
そうして、一時間は泣き続けた後だろうか。(もっとも、夢の中の時間経過がどのようになっているかは分からないが)
一同にとって果てしないと思われた時間がようやく過ぎて、やっと(いくらか)冷静になった猪熊が、シュラインの問いに答える形でぽつりぽつりと事情を説明しだした。
―――彼はとある道の端に生えている桜の木だという。そう、日和が通りかかった道に生えていた木だ。
彼は毎年毎年、近所の人々の期待に応え、見事な花を咲かせ続けていた。彼にとって花を咲かせることは何よりも大事なことだったし、また彼のそんな姿を見て皆が喜んでくれることは何よりもうれしいことだった。
そうして、彼の桜を楽しみにしていた人の中に、一人の女の子がいた。彼女はよっぽど彼の桜が好きだったのだろう。春が来る度に、彼の元へ来ては歓声を上げていたという。
―――しかし、今年は花の時期が過ぎてもその女の子は彼の元にやって来なかった。季節は過ぎ、彼の花ははらはらと散っていく。それでも彼女は来なかった。
どうしたんだろう、あの子はもう来ないんだろうかと思っているところへ―――。
「自分、聞いたんス。あの子、重い病気になって、ずっと入院してたらしいんス。外出もままならなくて……今年は自分のとこに来られなかったんだそうっス。……自分は、その子が可哀想で、可哀想で……!」
ひっく、と猪熊はしゃくりあげ、赤い鼻をすすった。
「なんだ、じゃあお前が来年また咲いてやればいい話じゃないか」
草間の言葉に、男はぶるぶると首を振る。
「その子はそのまま、遠くの町の病院に行っちまうんでぇ。だから、来年じゃ遅いんです。今すぐ、あの子に自分の花を見せてやりたくて……!」
「……それで、こんな無茶をしたの?」
いくらか追求の手を緩めたシュラインの言葉に、猪熊はただうなだれて、すいやせんでした、と言った。
「……おいシュライン、まだ言ってやりたいことがあるんじゃないのか?」
草間が顔を上げた。
「どうだ、もっとこいつを締め上げるか?」
彼の言葉に、シュラインは苦笑する。
「武彦さんったら。……私がそう出来ないってこと、分かって言ってるでしょう」
「まあな」
草間の表情はなぜか可笑しそうだ。
「猪熊君。……分かったわ、私たちが力になってあげる」
「本当っすか!」
猪熊がぱっと顔を上げた。涙に濡れた瞳は、期待に満ちている。
「どこまで出来るかわからないけどね。武彦さんも無事だったようだし。
……そうね、能力的には、武彦さんにももちろん私も、あなたを物理的に開花させるのは無理だわ。だけど、三人寄らばなんとやらってね。アドバイスやお手伝いは可能かも」
ね、と後ろを振り返れば、セレスティと日和も力強く頷いてみせる。
―――セレスティは穏やかに微笑みつつ、日和はわずかに涙ぐみつつ。
「私に、いい考えがあります」
と、セレスティが一歩進み出た。
「ここは『夢の中』です。夢の中では、どんなことでも叶うものですよ。……どうでしょう。桜之進さんが自分がどう咲きたいのか、その姿を強く思い描いていただくのです。そして私たちはそれに従い、想像の翼を広げて……夢の中、桜の樹を咲かせるのです」
C <夢幻の桜>
――闇に浮かび上がる、薄く色づいた霞。
ざあ、と吹き付けてきた風。かぐわしく匂い立つそれはしかし、自分だけが感じていた香りなのか。
それを合図としたかのように、枝のそこかしこで固く結ばれていた花のつぼみがいっせいにほころびだす。VTRの早回しのように、花開いていく桜。皆の息を飲む音が重なる。
取り囲む一同が静かに見守る前で、そのさくらの木は確かに、今花咲こうとしている。
――そして桜は花開いた。白霞、堂々たる枝ぶりを持つ桜の木に宿る、今や満開の花。
あるかなきかの風に、花をまとった枝がまた揺れる。ざわ、という音は胸のざわめきにも似て、見ているものの心をも揺さぶっていく。
そうして、はらはらと涙をこぼすかのように、少しずつ、少しずつ宙に織り交じっていく花びら。
まるで薄紅色の花自体が光に包まれているかのように、薄暗かった闇の中心にその桜の木は鎮座していた。昼の明るさとは違う、闇夜を照らす明るさ――そう、月の明かりのような。
きゃあ、とかわいらしい歓声が響いた。
ぱたぱたと満開の桜の木の回りを走り回るのは、赤いリボンで髪を結った小さな女の子。
何がそんなにうれしいのか、満面の笑顔を浮かべ、風花のように舞う白い花びらを追い掛け回している。
――そして。
木より数歩離れた位置から、草間以下、一同が木を見上げていた。
ヒュー、と小さく口笛を吹いたのは草間だ。
「あの桜の木の精、やるじゃねぇか」
「すごいわ、……綺麗ね」
彼の横で素直な感嘆の声をあげるのはシュライン。
それ以上の言葉が出てこないのがもどかしいらしい。ううん、と軽く唸った後、苦笑しながら小さく首を振った。
「いいわ、こんなに綺麗な風景は……言葉にしたらもったいないのかも」
「素晴らしいですね、私……こんなに綺麗な桜を見たのは、初めてです」
感動のためか目をうるませつつ、日和が頷く。
「例え夢だとしても、いえ、夢だから……この美しさをいつか忘れてしまうかもしれないって考えると、怖いくらいです」
「じゃあ忘れなきゃいいのさ」
彼女の横でそう答えたのは、月璃と共に後からこの夢の中にやって来た悠宇だ。
「俺だって忘れない。俺たち2人で覚えていれば、記憶はきっと消えない」
「これが……想像の翼を広げた結果、ですか?」
月璃の問いかけに、セレスティは静かに微笑む。
「そうでもあるし、そうではないとも言えます。……私たちは、夢の中で彼の花を開かせてあげるお手伝いを確かにしました。ですが、それだけではこれだけ見事な花を開かせる事は出来なかったでしょう。例え、夢の中であったとしてもね」
彼――猪熊君が、花を開かせるイメージをしっかり持っていたからですよ。セレスティはそう言った。
「彼自身が、どれだけ花を咲かせたかったか……その強い願いの結果といえるかも知れません」
ああそれから、とセレスティは微笑みをわずかに変える。
「あなたと悠宇さんが集めてくれた桜の花はとても役に立ちました。……あの花が『媒介』となったから、あの女の子をここへ呼び寄せることが出来たのです」
「ああ、あれ? 役に立ってよかったよ」
セレスティの言葉に、悠宇が振り向く。
結構大変だったからさ、な? と月璃とうなずき合いながら、悠宇は照れくさそうに笑った。
「案の定、この辺の桜はほとんど散ってたからさ。白露と末葉に頼んで、それでようやくって感じ」
「白露と末葉に?」
「ああ日和、末葉ちょこっと借りたぜ? ……あの女の子、きっと目が覚めた時ビックリするだろうなぁ。集めた花をさ、ランドセルの中いーっぱいに詰めておいたんだ。もちろん、俺じゃなく2匹にやらせたんだけど」
「……それはあの子もびっくりね」
そう言って笑ったのはシュライン。
「でも悠宇くん、どうやってあの女の子の家を調べたの?」
日和の問いに、今度は月璃が答える。
「それは俺の占いで。あの桜の精の想いを辿れば、簡単でした」
「なるほどな。……やれやれ、これで一件落着か? ふあーあ、これでようやく俺も目が覚めるってか。ま、ずっと夢の中ってのも悪くなかったけどな」
ぷかり、とタバコの煙を浮かす草間。
「全くもう、武彦さんは気楽なんだから。……でも、そこが武彦さんらしいけどね」
シュラインの言葉が、何よりも一同の声を代弁していたに違いない。
皆で笑い、ただ一人草間だけが憮然としていた。
と。
なぁ、と悠宇が誰へともなく言った。
「あの子がさ、いつか退院して元気に学校通えるようになって……それでランドセル見るたびに、あの桜の木を思い出してくれればいいよな」
「それで悠宇くん、お花をランドセルに詰めたの?」
「実はな」
「そういうことだったの」
「大丈夫ですよ。俺のカードに、不吉な影は出ませんでしたから」
「……そうですね。私も、我が身を司る『水』に、あの女の子の未来と幸福を願いましょう」
――女の子が嬉しそうに駆け回っているのは、桜の木が見られた喜びもあるだろうが、こうして自分の脚で好きに駆け回れる喜びもきっとあるのだろう。
例え夢の中からであっても、あの女の子が心安らかであってほしいと、皆がそれぞれに思う。
そして。
「……んーでも、ちょっとだけ残念だな」
「何が? 悠宇くん」
「いやほら、俺今までずっと『現実』の方にいたろ? だから桜の精がどんな人か拝めなかったからさ。日和は見たか? やっぱりすごく綺麗な人だったりしたんだろ」
「……そ、そうね、う、うーんと」
「まぁ、でも日和が一番桜の精っぽいけどさ! ……な、なんてな……ごほごほ」
言葉に困った日和はとっさに視線を周囲に巡らせるが、彼女と視線を合わせようとする者は誰一人としていなかった――。
<D-2> 日和
――そうして、今日もまた同じ日常が戻ってくる。
「あーあ、今日の宿題かったるいな」
「だめよ悠宇くん、宿題はちゃんとやらないと」
「だけどさ、あの数学の先生、毎回課題出しすぎなんだよなぁ」
放課後。
2人は肩を並べ、いつもの道を歩いて、帰路へついていた。
見慣れた風景、見慣れた街並み――その途中の並木道、とある木の前ではたと足を止める。
――あの、桜の木の前だ。
季節は移ろい、夢も覚めて、あの桜花の面影はどこにも見えない。木は花の代わりに緑の葉をいっぱいに茂らせ、今静かに枝を揺らしている。
「ね、悠宇くん……」
「ん?」
「少しだけ、桜の木が元気ない気がしない?」
「そうだなぁ……?」
枝につく葉の数が幾分まばらな気がした。気のせいか、枝の端々も力なくしおれているようにも見える。
――どうしようかな、と日和は思った。
迷いで少しだけうつむくと、その手をぎゅっと握られる。
「日和」
悠宇が顔を覗きこみ、そしてニッと笑って見せた。言葉にしては何も言わない。
だから日和も、彼に向けてただ微笑んだ。小さく「ありがと」と言うと、つながった手に力を込められる。
――迷ったのは、どうしたらいいか分からなかったからではない。出来るかな、失敗するんじゃないかな、そんな風に、自分の思いつきに自信が持てなかったからだ。
だけれど、伝わってくる手の温もりに日和は励まされる。――だいじょうぶ、と思った。
日和は歌った。
心の赴くままに唇が旋律を紡いだが、気がついてみればそれは再会を約束する歌だった。
――今はしばしのお別れだけど
私は待っているわ ずっとここにいるわ
寂しくはない また会えるから
瞳を閉じれば いつでもあなたの姿が見えるから――
ふう、と息をつき、日和が口を閉ざすと、途端にぱちぱちと拍手の音が響いた。
特等席、たった一人の観客は、日和の歌声に頬を上気させている。
「うん、やっぱ日和はすごい。ほら見ろよ、桜の木も大分元気になった」
「……悠宇くんってば。そんなに急に元気になるわけないでしょ」
嬉しさと恥かしさでくすぐったいような気分を味わいつつも、日和はもう一度ありがとう、と言った。
そうして桜の木を見上げる。
ちょうど吹いてきたそよ風に葉が音を立てる。まるで悠宇の言葉に同意してくれたかのようだ、と日和は思った。
――そうだといいな。
と。
ぱちぱちと、手を叩く音が新たに聞こえてくる。
「おー、いい歌だな」
「聴かせてもらったわ。日和ちゃん、相変わらず素敵な声ね」
向こうからやって来たのは草間とシュラインだった。悠宇の他、誰も歌を聞いていないと思い込んでいたせいか、とっさに日和の頬が熱くなる。
そんな彼女を庇うかのようにすっと前に出た悠宇は、なぜか草間たちに威張って見せた。
「当ったり前だろ、日和なんだから」
「お前に言ってないぞ」
「はいはい」
「ゆ、悠宇くん!」
風は過ぎ、季節は流れ――いずれまた桜の咲く季節が巡るだろう。
また会いましょう、その時までお元気で。
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【0086 / シュライン・エマ / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3524 / 初瀬日和 /はつせ・ひより / 女 / 16歳 / 高校生】
【3525 / 羽角悠宇 /はすみ・ゆう / 男 / 16歳 / 高校生】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【4748 / 劉月璃 / らう・ゆえりー / 男 / 351歳 / 占い師】
(受注順)
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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こんにちは、つなみりょうです。この度はご発注ありがとうございました。
そして何より、大変おまたせして申し訳ありませんでした。その分、ご期待に沿えるものをお届け出来ていればよいのですが。
さて、少しだけ補足をさせていただきます。
今回はA〜Dの4つのパートに別れています。そのうちAとDは完全個別パート、Cは全員共通パート。そしてBは2パートに別れています。
それで、A、BとDのパートにナンバリングを振らせていただきました。ちなみに時系列順です。
これを参考に、他の方の納品物を一緒に読んでいただけますとまた面白いかなと思います。時間がある時にでも、読んでいただけると嬉しいです。
もちろん、みなさまそれぞれに納品した作品は、それ単品で一つの作品になっておりますので、他を読まなくては分からないということはないと思います。安心してお読みくださいませ。
日和さん、今回もありがとうございます! ……そして納品が遅くなって大変申し訳ありませんでした。
ええと……今回はですね、日和さんが持っている「力」を主に書かせていただきました。日和さんがもつ優しくて強い力によって、猪熊が救われればいいな、なんて思っています。
あとは久々に歌もご披露いただきました。結果として悠宇さん意外にも聞かせるハメになってしまいましたが(笑)さていかがでしたでしょうか?
また今後も細々と活動していくつもりですので、もし機会がありましたらぜひご参加くださると嬉しいです。
感想などありましたらぜひお聞かせ下さいね。
ではでは、つなみでした。
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