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<東京怪談・PCゲームノベル>


記録採集者―縁―

 残念だと思うかは別にしておくとして、少女は自分の名前を口にしたことがなかった。それは単に友人と呼べる間柄の人がいなかったのだとか、仕事の関係上では相手に適当に呼ばせていたのだとか。そのような理由を与えて、結局は名乗る機会は存在しなかった。
「それに、憶えてもすぐに私が奪っちゃうしね、『記録』」
 誰も憶えてくれていないことを嘆くならば、生活の糧を得る方法を変えれば良いだけの話で、フリーターにでもなって別のベクトルへ光を見出すのも悪くない。それでも犯罪紛いのことをしてまで危険なことに手を染めてまで孤独に生きるのは、それ相応の代価を期待出来る訳であって。
「……それにしてもこれは一体どうしたものかしらね」
 チョコパフェを頬張りながら、少女は目の前にいる女性を上目遣いに見やった。
 秋月律花。
 そう名乗って、自分はなんとも言い返せないのを歯痒く思いながら食べることに没頭する。名前はあることは確かなのだが、名乗らないのは何かに気後れしているせいからなのだろうか。何に気後れしているのだろうかと考えてみて、あまり理由が思い当たらないことに苦笑した。今考えるべきことはそのような些末な事柄ではなく、目の前に転がっている事項なのだろう。
「それで、私に何の用事かしら、秋月律花さん?」
「フルネームというのも気恥ずかしいから、適当に略して構わないですよ?」
「適当って言われても、そっちの方が余計に困る。それに適当って言葉、意味二つあるしどちらを取ればいいか分からないし」
「それもそうですね。なら私が決めます。律花、と呼んでください」
「……せめて、律花さん、で。それで、わざわざ私に用立てて、美味しいパフェ第二段を馳走してくれて、一体何の用なの?」
 律花は何も言わず、分厚いファイルを差し出した。クリアファイルの中のコピー用紙と、それらの下に挟まれていたCD−ROMを手に取って、少女は小さく鼻を鳴らした。
「『記録採集者の都市伝説に関する調査』ね。悪くないテーマじゃない。あくまでも個人的な感想からだけど」
 それから丁寧に紙を捲っていき、その隅々までに目を通す。内容は伝説の浸透具合や目撃者の証言等、多岐に渡っており、しかもかなり正確に的を射ている。少女が主観を交えない情報を好むと知ってのデータの分析なのだろう、律花自身の考察は殆ど入っていない。文面から幾つかの事項をぶつぶつと口に出しながら少女は考察して、内容に満足したのか愉しそうに口元を歪ませた。
「悪くないわね」
「そのレポート、バックアップを取っていないの。だからその情報はここにあるその紙とCD、そして私の頭の中にしかないわ」
 律花も同類の笑みを浮かべる。そして一つ、訊ねた。
「私の『記録』を奪う?」
 問いに、一瞬だけ少女は躊躇したような笑みを浮かべ、すぐにただ一言発した。
「止めとくわ」
 それだけだった。
「確かにそれも魅力的だけど、一つだけ取引してくれるならこれだけ貰って帰るわ。それで充分な対価と成り得るわ。あ、でもパフェのお代はそっち持ち……律花の奢りで」
「それは勿論。で、取引って?」
 それは別段大した内容でもない。
 『記録』と同等の内容を持つものだとは、果たして言いがたい。
 多くのものと引き換えに得た、唯一の自身の『記録』を一つ、他人に託してみるのも悪くはない。ふいに思ったのは、そんなこと。
「名前」
「名前?」
「そう、名前。私の……名前」
「私が付けるんですか?」
「まさか。ちゃんと、多分、私も持ってます」
「その割には自信なさそうですね」
「だって主観を抜いた記録からの抜粋だもん。自信がないのは当然」
「……自分の名前、知らないんですか?」
「うん。だってそれが私の行動理念だから」
 名前。
 あとは、体形的に性別。
 同様な視点から、眼の色と髪の色と、利き腕。
 それくらい。
 知っているのはそれと、あとは自分に備わった奇妙な能力。
「私の名前を記録してくれるのなら、別に律花さんの『記録』を奪ったりはしない。それが条件。それに、一度人の『記録』を奪っちゃうと、私のことなんて憶えていないんだもん。そこまで、器用に奪えないから、ね」
「分かりました。でもどうして、私なの」
「今までこんなに人に関わったのは初めてなの。こんなに接して、情が移ったとでも言うのかな。だから、取引というよりは我が侭といった方が正しいかもしれない」
 表情とも付かない顔を浮かべながら、少女はウエハースに手を伸ばした。摘んで、口の中に放り込んだ。律花の答えを待つより先に、少女は立ち上がる。
「帰る」
 置いてあったファイルを抱え、腕の中に収める。
「返事は今でなくても構わないわ。気が向いたときでいいし、本当言うと私自身もまだ決心が付いていないから、その時になっても教えられないかもしれない。でもこれだけは言える」
 人を傷付けるときには似つかわしくない笑みを浮かべて、少女は笑った。
「こういうのも悪くないわ」
 空になったパフェを目の前に置いたまま、律花は少女の背を見送る。
「悪くはない、ですか」
 言葉を反芻して、小さく息をつく。感に近いものではあったが、少女が自分の『記録』を奪わないことへの確信があった。それでも心の奥底にあった分からないことの、分からなくなることの恐怖は拭えたものではなかったが、必死に虚勢を張ってみた結果として得たものは多かった。
 互いに幾重にも防壁を張っていて、その内側での攻防。助けてくれとの声も届かないと知っていて、頼れないから自分で動くしかなくて、結果、人を壊す。
「今度はいつ会いに行こうかな……」
 鞄の中からバッグを取り出し、手帳のページを捲っていく。生憎としばらくは予定が詰まっていて、会うのは少し先の話になりそうだ。少女の方から来てもらうという手もありはするのだが、素直に来てくれるかどうかは運に賭けてみるしかない。
 くすりと小さく笑って、律花も静かに立ち上がる。
 別れたのは今だけ。

 またすぐに、貴方に会える。





【END】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【6157/秋月律花/女性/21歳/大学生】

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■         ライター通信          ■
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お久し振りです、千秋志庵と申します。
依頼、有難うございます。

前回の続編という形で、舞台は同じ喫茶店ということにしています。
(少女は相変わらずパフェを食べていたりするのですが。)
例えば自分が自分である認識を他者に委ねることしか出来ず、それを『記録』というカテゴリ以外では信じることが出来ない人がいたら、それはどういうことになるのだろうか。
そのようなモノを行動理念に、少女は動いていたのですが、今回は少しだけ新たな展開になっていけているようで、私としても嬉しい限りです。
兎にも角にも、少しでも愉しんでいただけたら幸いです。

それでは、またどこかで会えることを祈りつつ。

千秋志庵 拝