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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


アンティークにまつわるいくつかの事象


「600!600が出ました」「650!」「700!」「700が出ました」「1,000…」「1,000が出ました。他にはいらっしゃいませんか?」「……」「………」「……では1,000で落札いたしました」

 オークション会場の空気が一斉にザワリと動いたのを肌で感じながら、マリオン・バーガンディはうっとりと我が主の競り落としたアンティークが舞台の裾にもどって行くのを眺めていた。
「アレをどこに飾るかは貴方に任せますから、よろしくお願いしますね、マリオン?」
 隣でひっそりと淡い笑みを浮かべるセレスティ・カーニンガムの言葉も彼にきちんと届いているのかどうか。
 その瞳はきらきらと子供のように煌いている。
 ゴブレットの内側に残るあの曇りを綺麗に磨き上げなくては。
 見えにくい場所に僅かに残る宝飾品の小さな瑕も完璧に修復してしまって。
「マリオン君、次が来ますよ」
「あ、はい!」
 目録を手に囁き掛けてくれたアドニスの声でようやくこちらの世界に戻ってくると、極上にして絢爛たるふたつの美貌に挟まれた少年は嬉しげに舞台上へと視線を向けた。

 審美眼と知識欲、そして何より経済観念が一般から遠く懸け離れた3人が、こうしてオークション会場に尋常ならざる空気をもたらしているそもそもの始まり。
 それは何気ないティータイムに遡る。



 意匠を凝らしたガラス棚に見守られるようにして置かれた、猫脚の少々ユニークなデザインテーブル。
 FAUCHION社から取り寄せたダージリンの香りを楽しみながら、マリオンはセレスティとともに美術品のカタログをテーブルいっぱいに広げていたのである。
 お目付け役が不在なのを良いことに、更にテーブルの端にも布張りの分厚い同種のカタログを山と積んでいた。
 現在彼等2人の心をひきつけるのは、数十カラットのダイヤを散りばめたティアラやネックレスではない。むしろ自分たちにとっての実用品たるゴブレットやグラス、ガラスペンにティーセットだった。
 しかもそのほとんどが市場に出回る事のない、博物館並みの貴重品ばかりが名を連ねるような代物である。
 かつては王族たちが愛するものへ献上として、あるいは己の地位を固辞する為に技巧と財力と稀少性を競った逸品。
 中でもヴェネツィアン・グラスを中心とする、中世貴族の間で流行した宝飾品やガラス食器の類はひとつのジャンルを形成するほどの充実ぶりだった。
 特に15〜16世紀の黄金期における作品はどれも、息が止まるほどの精巧さと圧倒的な気品に満ちていた。
 真っ当で平凡な生活をしている者ならば、せいぜいが美術館での期間限定の展示品としてガラス越しに眺めることしか出来ない。
 それが売買を目的としたカタログに登場している。
 そして彼等は、ひとたび気に入ったとなれば簡単に手に入れられるだけの立場にあった。
 人によっては彼等を好事家と呼ぶのかもしれない。
 あるいは、コレクターと。
 世界中の愛好家と情報網を共有し、時にはその人脈によって普通ならば流通するどころか名前さえ表に浮上しない作品が手元にやってくる。
 博物館にあるのはレプリカ、本物はこのリンスター財閥の保管庫に隠されているのではないかという噂すらも真実味を帯びるほどに。
 いつかは何かの事件に巻き込まれても不思議ではない。
 だが。
 災いは弱者にのみ襲い掛かるものなのかもしれない。
 そして呪いとは往々にして弱き者へとはね返って行くものである。
 ともあれ、今のところ好奇心旺盛にカタログを眺める2人に降りかかる災難は影も形もなかった。
 あるのはただひたすらに優美でほんわりとした時間だけだ。
「そうだ、セレスティ様。この間知り合ったアドニスさん、あの方もアンティークのガラス工芸や宝石がお好きだと思うのです」
 にこりと笑って、マリオンは自分の手を打つ。
「どうしたんです、唐突に?」
「実はですね」
 仔猫のように煌く金色の瞳が、嬉しそうにすっと細められた。
 アドニス……時にキャロルの名で呼ばれることもあるかの人は、かつて自分の探していた宝飾品を一品、不可思議な因縁でもって手に入れていたのだ。
 怪しく煌き心をひきつけながらも、歴史の渦の中で姿を消してしまった伝説の宝飾品。
 自分の能力の範囲では手にすることの出来なかったソレが、巡りめぐってこの手に落ちてきた時、ほんの少しの運命を感じた。
 垣間見たのは宝石の過去であり、彼の過去。
 マリオンがマリオンとして生を受ける遥か以前より存在する者の時間に触れて、思いがけない衝撃を受けもした。
 彼ならばきっと、自分も知らないようなあらゆるアンティーク達が内包している過去の話を聞かせてくれるのではないだろうか。
 あの一種独特な空気の中で、ひっそりとしっとりと微笑みながら。
 それはきっとうっとりするような心地良い時間に違いない。
 そしてそれはきっと、セレスティの知識欲と好奇心すら満足させてくれるに違いない。
「そうですか……では良い機会ですから、我々にお付き合いいただけるか声を掛けてみましょうか?」
 そうしてリンスター財閥の総帥は、秘密のプレゼントを差し出すように、マリオンの前で細やかな金色の縁取りをなされ、蝋で封をされていた真紅の封筒を開いて見せる。
「どう思います、マリオン?」
 そうして中から取り出されたのは、透かし彫りのレリーフに優雅な書体で書き綴られたオークションへの招待状だった。
「きっと楽しいお話が聞けるかと思いますが……マリオン?」
「セレスティ様、私、さっそくお声をかけて来ます!」
 満面の笑みを弾けさせ、マリオンは席を立つとそのままくるりと主に背を向けて扉に手を掛けた。
 俊敏と言っていいのかどうか。
 開け放たれたその向こうがどこに繋がっているのかに気付き、セレスティは笑いを堪えることが出来なかった。
 舞い上がった気持ちでそのまま行動に移せてしまう彼に愛しささえ感じてしまう。
 再び満面の笑みで元の扉からマリオンが飛び出して来たのは、それから僅か十数分後のことだった――



「おや、懐かしい物が出て来ましたね。もう彼女のモノがこうしてアンティークの名を冠するようになるとは」
 時の流れにしみじみとセレスティが溜息をこぼす。
「セレスティ様?彼女のモノって……」
「マリオン君、あれはかつて18世紀のヴェルサイユ宮殿の庭園を飾ったもののひとつだよ」
「あ、18世紀と言えば」
「そう、彼女の時代。少女のような華奢で夢見がちな彼女の心を捕えるには、豪華なだけでは駄目だった。だからこそあんなデザインが生まれるに至るわけでね」
「宮殿のエナメル装飾の鏡は実に素晴らしかったけれど、私はシャンデリアの細工にも随分と目を楽しませてもらいました」
「セレスティさんはあの庭園に足を運んだことが?」
「運ばないわけにはいきません。あの時代、あの場所で開花した芸術はいやがうえにも人の心を揺さぶるものですから」
 懐かしさと親愛を込めて囁き交わされる遠い日の想い出たち。
 自らが直接に触れて過ごした時代、そこから時を越えて再びまみえたアンティークへの思いに限りがあるはずもなく。
 そして、自らが触れることすら叶わなかった時代を映すアンティークへの憧憬にも限界がある訳でなく。
 めったには出来ないお喋りと、そうそう味わうことの出来ない駆け引きの緊張感を楽しみながら、止める者のいないオークション会場で、3人は琴線に触れた宝飾品たちへの物語を楽しげに紡いでいった。

 不意に会場に流れる音楽の質が変わり、重厚感を増すと同時に照明がぐんと絞られる。
 透き通ったオークション司会者の紹介が、その音楽に重なった。
 そして。
 会場全体が水を打ったかのような静けさに陥り、それはやがてどよめきとも溜息と持つかないモノに押し包まれた。
「あ」
 思わず感嘆の声を洩らしてしまったマリオンはもちろん、セレスティやアドニスの視線までも一瞬で釘付けにしたのは、青白い光の中に浮かび上がるガラス細工のゴブレットだった。
 絡まりあう蔓薔薇と天使の肢体がグラスを支え、羽根と蔓によって氷のごとき冷ややかな色彩を放ちながら極限まで複雑かつ緻密な構成となった芸術品。
 優美という言葉だけではあまりにも足りない。
 光を内側で乱反射させ、あたかもそれ自身が光り輝いているかのような錯覚さえ起こさせる、『絶望的な美しさ』がそこにはあるのだ。
 だが何より彼等の目をひきつけたのは、人の手によるものとは到底思えない細工のその中央で輝く……
「見てください、セレスティ様!アレってもしかして」
「おや、ではあの噂は本当だったのでしょうか?」
 招待状の最後に綴られていたのは、ささやかな、けれど見る者によっては非常に心惹かれる言葉だった。
 ホープ・ダイヤモンドの出品。
 かつて異国の女神の瞳として輝き、時の権力者の手に渡って後は数限りない華々しくも毒のある伝説に彩られた『フランスの青』、あるいは『王冠の青』とされたブルーダイヤモンド。
 他の宝石同様、血にまみれた逸話を数多く振り撒いてきた存在。
 歴史の中でふたつに分かれたとの噂も耳にしていたが、今はスミソニアン博物館でひっそりと余生を送っているものと聴いていたが。
「とても有名なお話ですよね?私、ずっと気になっていて」
「本物……なのでしょうね。だからこそ面白いのだと思いますが」
「失われ、過去に消えたホープ・ダイヤモンドの片割れ……持ち主を破滅に導くだけでなく、その精神すらも喰らい尽くすという話だけど」
 どこか眠たげにも見える優しい瞳を細めて、アドニスが小さく笑みをこぼした。
「あのゴブレットをデザインした者は、人の領域を超えてしまった才能に恵まれていたから……きっとダイヤも彼に身を任せたんだろうね」
 時に、人間の身でありながらミューズすらも魅了する技量に恵まれてしまった神の子が生まれることがある。
 遠く神話の時代から、『天才』という域すらも超えてしまった者たちは存在してきた。
 けれど彼等は壮絶なる才能故に歴史の表舞台に名を刻むことなく姿を消すことが多かった。
 あたかもソレが悪魔の所業であるかのごとき扱いを受けて。
 あるいは悪魔に魂を売り渡したが故に得られた力なのだと見做されて。
 そうして僅かに残された創造物によって、後世に多大なる謎と悲劇と喜劇を振り撒くのだ。
「あの……もしかしてアドニスさんは、あの作品が誰の手によるものか知ってるんですか?」
 おずおずと、そして強い期待を込めて、マリオンは尋ねる。
 長く学芸員として勤め、リンスター財閥における芸術品の管理一切を引き受ける身となった現在に至るまで、実に多種多様な作品と、そして芸術家本人に出会ってきた。
 その自分ですら、あのゴブレットがどの流れを組むものなのかすら見当がつかないのだ。
「知っているというか、ね……17世紀のフランスにはある種強力な磁場が働いていたと言っても過言じゃないから」
「確かに、あの時代の作品というのなら頷けます……ヴェネツィアン・グラスの変遷と照らし合わせても納得のいくものですね」
「え?セレスティ様もご存知なんですか?」
 きょときょとと視線を忙しく動かしながら、マリオンは幼い子供のように2人へと物語の続きをせがむ。
 アレは一体どんな世界を内包しているのだろう。
 どんな伝説を秘めて、こうして輝いているのだろう。
 惹きつけられてしまったからこそ尚更、好奇心と知識欲が掻き立てられる。
「アレは無垢で無邪気な……硝子で出来た湖のような心を持った青年が手掛けた作品だ」
 マリオンに望まれるまま、ゆっくりと時をなぞるようにアドニスは言葉を紡ぐ。
「人であって人でないモノ、彼はあらゆるものに愛されながら、その愛を受け止めることなく反射させてしまう存在だった。彼の心は硝子細工にしか向けられず、彼の愛は硝子細工だけが知っている」
 そんな人間が傍にいればどうなるか。
 彼の才能を純粋に賞賛できるのならばいい。彼の作品だけを愛しているのならばいい。けれどひとたび彼の心をも手中に収めたいとなれば。
 群がり、焦がれ、幸福を求めては悶え苦しみ、やがて呪詛を吐くようになるのだ。それでもまだ愛だと叫び、手を伸ばす。
「そして彼はかのダイヤを王族から貢がれ、彼の心は貢いだ者にではなく、貢がれたダイヤそのものに囚われた」
 得られるはずのないモノがそこにいるという苦悩。
 それはやがて狂気となって噴出する。
 だから……
「あのゴブレットを完成させた瞬間、彼は愛ゆえに殺され、愛した者もまたその絶望によって自らを殺し、そこから先はひたすらに『死に至る病』の象徴としてあの姿を保っている」
「……死に至る病の象徴……アレが……」
 うっとりと舞台に視線を戻せば、周囲は既に異様なほどの盛り上がりを見せていた。
 オークションの司会者の解説はマリオンの耳を素通りしていたが、他の参加者たちの興味を掻き立て、煽っていたらしい。
 入札の金額が異様な熱を孕みながら頭上を飛び交う。
「どうしますか?」
「え、セレスティ様……?」
 それまでお伽噺を聴くような穏やかさでアドニスの解説を楽しんでいたセレスティが、楽しげに首を傾げてマリオンの顔を覗きこんできた。
 絶対者の優美な微笑みが投げ掛けられる。
「手に入れましょうか?」
「ハイ、ぜひ!」
 きらきらと瞳を輝かせて頷くマリオンを眩しげに見つめ返して、セレスティはゆったりと手を伸ばした。
「5,000で」
 いやに澄んだ音色を持った声によっていきなり跳ね上げられた数字に、またしても会場全体がどよめいた

 そして。
 リンスター財閥の屋敷に、あるいはマリオン・バーガンディの手の中に、呪で縛られた『運命の石』が堕ちてくる……


「とても有意義な時間を過ごさせていただきました」
 有難うございます。
 そう頭を下げるアドニスに、セレスティは優雅な笑みを返す。
「私も貴方とご一緒出来たことで思いがけず懐かしくも楽しいひと時を過ごすことが出来ましたから」
「私も、すごく楽しかったです!ホントに、すごくいい思い出がたくさんできて、すごく素敵なモノとも出会うことができて感謝してます!」
 落札した多くは別の者が届けることになったのだが、最後に手にしたゴブレットだけはケースに収められた後、そのまま今、マリオンの腕の中にある。
 これだけはどうしても自分で連れ帰りたかったのだと、そう思えたのはアドニスのおかげだと笑って見せる。
「そうだ。良かったら今度俺の家に来るといい。こういう物が好きなら、いろいろ見せてあげられるから」
「え」
 オークション会場では一切落札する意思を見せなかったアドニスからの思いがけない申し出に、マリオンの表情が輝く。
 社交辞令などではなく、純粋な好意だというのがまっすぐに伝わってきたからこそ尚更の歓喜だった。
「あ、有難うございます!ぜひお伺いします!えと、あの、お茶とお菓子をもって伺います!それから、あの…っ」
「小鳥のように可愛らしいキミの訪問なら、俺はいつでも歓迎だから」
 なんなら明日にでも。
 そう言ってマリオンを覗きこむ鮮やかな銀の瞳は、どこか甘い光を宿していて。
 それは美術を愛し、アドニスの言葉に惹かれる彼にとって、どうしようもないくらいに幸福な約束だった。

 心地良い夜の世界で心地良い物語に身を浸しながら、マリオンは屋敷に向かう車の中でうっとりと夢みるように絶望のゴブレットを抱いていた。



END