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シークレット・オーダー 6
一体どうしてこんな事になったのか?
四角いマス目の印刷されたノートを見下ろしつつそんなことを考える。
見ていてもノートは白いままだ。
時間だけが情け容赦なく過ぎていく。
「手が止まってますよ、啓斗」
「解ってるっ」
ぐっとペンを握る手に力を込め、文字を書き続けていく。
意味など無い、同じ文字ばかりなのだから。
はっきり言えば文字の書き取りをさせられているのだ。
素早く三分の二程書き込み、ノートを押さえる手を左のページに移した時に感じる微かな違和感。
ノートを捲るとそこには文通相手に出そうと思っていた手紙が挟まっていた。
「……あ」
「今のは?」
「なんでもない」
慌てて隠したのだがしっかりと見られていたらしい、夜倉木の方を見ると不思議そうな顔をしている。
「外国の人ですか?」
「違う、良いだろ別に。秘密だ」
「秘密……ですか?」
「ああ」
納得したのかは疑問だが、幸いにそれ以上の追求はなかった。
何でこんな事と思わずには居られないが、思い当たる理由はある。
啓斗がIO2にて仕事を始めた結果。目の前にいる男……夜倉木が上司、もしくは責任者という名目の立場にいるのだ。
まだ未成年だからこういう関係は百歩程譲るとしても、その権限を利用して字の練習をさせるのは果たして許される行為なのだろうか?
「不服そうですね」
「当たり前だ、こんな……」
「習字はうまいんですから、こっちも上手く出来るはずですよ」
「別にこのままで良いじゃないか、今更だろ」
お世辞にもキレイではないが読めるのだから、そう言いかけた矢先にトンとテーブルを指で叩かれる。
「修正できるのならした方がいい、見込みがないならこんな事は言いませんよ。例えばの話です……この字で銀行のカード作る手続きをしたり、何かしら書類の手続きをすると?」
妙に具体的な例を出されて考えること暫し。
日常的な光景とは違って例に出されたのは非日常、他人に見せる代物だ。
その書類に、この文字で名前や住所を書き込む。
「………」
「それにくせ字で良いと油断してたらもっと汚くなるんですよ。例えばこれとか」
晩から取り出したのは一枚の書類。
酷い字だった。
文字という括りの斜め上を行く特殊な存在、見ていると酔いそうになってくる書類。
「いい年した大人がこの字ですよ。啓斗はこうなって良いんですか?」
誰とは会えて問わない。
名前が書かれていたからだ。
酷いとは聞いていたが、まさかここまでとは。
失礼だとは思うが、ああはなりたくない。
心から……切実に、そう思った。
「……やる」
選択肢は、初めから無かったのである。
「今日はもう一ページで良いですよ、その代わり丁寧にゆっくり書いてください」
「ん」
明確な終わりを告げられ、一文字ずつ丁寧に書いていく。
集中していた事もあってか書き終わるのはあっという間だった。
最後の一文字を書き終えた啓斗がペンを置いて顔を上げる。
「終わりました?」
「聞いても良いか?」
「なんですか?」
ざっとノートを見ながら問われたことは、以前から気になっていただろう事。
「俺の依頼受けた理由、まだ答えてもらってない」
あの時は込み入った事情があって……はっきり言えば子供の姿では言えないからと先延ばしにしていた。
「そうでしたね」
「今日こそ、答えてもらう」
はっきりとした口調は、絶対に譲らないという強い意志を含んでいる。
なんとしても聞き出そうと、そう考えているのは明白だ。
「……良いですよ」
「これ以上逃げるな、あんたの事が知りたいと思うのは……え?」
驚いたように啓斗が顔を上げる。
どうやら直ぐには答えないと思っていたようだ。
これまでがそうだったし、回りくどい言葉ばかりだったのだから、そう思っても何もおかしくない。
直ぐにその考えを訂正したいところだが……その前に一つだけ。
「今の続きをもう一度聞いても?」
「……俺の事は良いだろう、誤魔化されないからな」
僅かに開いた間は、今自分が言った事に対して明らかにしまったという表情だった。
何とか無かった事に出来ないかと考えていたが、一度言ってしまった事を今更訂正出来はしない。
「ちゃんと答えますよ、だからもう一度聞かせてください」
「………」
ぐっと言葉を詰まらせる啓斗。
勢いで言ってしまった事を冷静になってからもう一度言うのは困難だろうが、それでももう一度聞きたかったのだ。
知りたいと言って貰えて嬉しくて方がない。
「聞いてただろ……?」
「それでも聞きたいんです」
手紙の時とは逆の行為の所為か、啓斗も今度は引き下がるつもりはないと解ったのだろう。
続きの言葉を待つ間、時計の音だけが部屋に響いていた。
言うか言わないか迷っている様子に、もう少し掛かるだろうかとコーヒーカップへと手を伸ばす。
「……!」
たったそれだけの事ではっと顔を上げた啓斗に大丈夫だと告げ、残りを全て飲み干す。
「なにもしませんよ、コーヒー飲みます?」
「……ん」
空になったカップを二つ持ってカウンターの方に新しいコーヒーを煎れに行く。
一度席を立っては残念ながらもう一度聞くのは難しいだろう、タイミングを逃してしまったらもっと言いにくくなる物なのだから。
残念ではあったが、あまり追いつめすぎるのも良くない。
「逃げると思いましたか?」
話題を変えたことに啓斗も気付いて、何も聞かずに頷く。
「……思った」
「これまでがそうでしたからね」
「今は違う、のか?」
「そのつもりです、少なくとも今聞かれたことは答えるつもりですよ」
テーブルにカップを置いて隣に座ると、既にノートとペンは片付けた後だった。
「………」
「啓斗?」
目の前に置いたコーヒーカップを言葉もなく見つめる姿に、どうしたのだろうかと名前を呼びかける。
「俺はそうだったから、逃げてたから……夜倉木もそうなんだって」
途中はっきりとした言葉に直したことは、自らの戒めなのだろうか?
まだ続きがあるのを感じ取り、無言のまま後の言葉を待つ。
「でも、俺は……嫌だったんだ。あんたには逃げて欲しくない」
一瞬言葉を失う。
こういう時の言葉がとても鋭く、予期しない物だと気付いてないのは本人だけだ。
それを証明するかのように、自らが言ったことを切っ掛けに何かを考え込み始めてしまっているのだろう。
啓斗の表情が暗く沈んだ物へと変化していく。
これもあの時……初めてこの家に来たときと同じだ、何もかもを悔いるような表情。
今まで抱え込んでいたことあって、それを誰にも言えずに抱え込み続ける。
そう言う、見ているだけで堪らなくなる表情なのだ。
「啓斗」
「……っ」
ぎくりと体を強張らせる様子に、考えが当たって居るだろうに出来ることはあまりにも少ない。
無理矢理聞き出すという選択肢を取ることはしたくない以上、答えてくれるまで問いかける事しか出来ないのだから。
そう思っていたのだが……。
「俺、逃げてたから」
思っていたよりずっと容易く返されそうな口調に驚かされる。
そこで自分も啓斗と同じ様に、言っては貰えないのだと言う固定概念に捕らわれていたのだと気付いた。
謝っていたと気付いたのなら正さなければならないだろう。
啓斗が静かに後を続ける言葉に意識を傾ける。
「暗殺を仕事にしてた時、在りもしない前世を想像して逃げてた。でも結局それは……何の意味もない事だった」
淡々とした口調の端々から、感情がほんの僅かな切っ掛けであふれ出しそうだった。
人を殺す事が、どれほどの歪みを作り出すかを知っている。
歪みが生んだ悲劇によって、袋小路に追い詰められてしまった人々を見てきた。
手を汚し続け。
許容量を超え。
徐々に毒されていく姿を。
啓斗の言う逃げとは、自らを偽り誤魔化すという事だ。
それなら逃げるなという事は……偽るなと言う事。
「逃げませんよ」
手を伸ばし、くしゃりと啓斗の髪を撫でる。
僅かに見開かれた目は、後に続く言葉を待っているからの様だった。
「逃げて欲しくないなら見張っていればいい、逃げる事が怖いなら俺が見てます」
「……ん」
意味を考え始めた啓斗が頷くのを待ってから、話を先に進める。
元に戻したと言い換えても良い。
「何故、依頼を受けたかでしたよね」
「……ああ」
「依頼を受けた時には、繋ぎ止めておきたいからだと思ってました」
「……?」
出来る限り回りくどくない言い方で伝えないと為らないと解っているのだが、それがなかなかに難しい。
「例えばの話、戦闘や何かで瞬間的に決断を迫られたら、こうと意識しないでも体が動いたりはしませんか?」
「あ……うん」
考えるよりももっと早く体が動く。
それまでの経験。
直感。
本能。
全てが合わさって作られて得られる結果。
それらは深い思考よりも、遙かに優秀な場合がある。
「それと同じです。この選択は間違っていないと、正しいと信じた」
はっきりと言い切ると、啓斗はあっけに取られたような表情をしていたがどうにか口を開く。
「……後悔とか、してないのか?」
怖々と尋ねる啓斗に返したのは、紛れもなく本心だ。
「するはずがありません、こうなって本当に良かったと思ってるんですから」
「そっか……」
頷いた啓斗に、今度は逆に問いかける側へと回る。
「啓斗は後悔してませんか?」
「……!」
驚いた啓斗が目を見開く、問いかけられてから、こうなっても何もおかしくないと気付いたようだ。
果たしてどんな答えが返ってくるのだろうか?
「聞く方に回るのも楽しいですね」
「……楽しくないっ」
小さく呻く姿を見るのも、ささやかな楽しみだ。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0554/守崎・啓斗/男性/17歳/高校生(忍)】
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■ ライター通信 ■
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発注ありがとうございました。
楽しんでいただけたら幸いです。
職権乱用させてみました。
教えるときはきっちり教えるのでご安心ください。
ちなみに教えようと思ったのはやりたかったからだと。
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