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クマとクレーンと私
暑くもなく、寒くもなく。
晴れた空の下――東京には、新緑の季節の爽やかな風が吹いている。
清清しくて過ごしやすいこんな天気のいい日には、いつものように運転手つきの車で出かけるのではなく、自らでハンドルを握って出かけたくなる。
長い間生きていても、「天気がいい」というただそれだけのことで心が浮き立つ日だって、勿論ある。
そんな弾んだ心を抱えつつ、この爽やかな風をしっかりと感じることができるオープンカーに乗ってドライブを楽しみたくなる日だって、あるわけで。
「……で、今日はマセラッティ・スパイダーなわけかい」
買い物を終え、車にその荷物を積み込んでいたマリオン・バーガンディにそう言ったのは、マリオンが買い物をした店の店主・碧摩蓮だった。
人からの頼まれ物を取りに来たついでに自分の好みの品などを幾つか買い込んだマリオンを、店主自ら店先まで見送りに来たのである。
見送りに来たというか……単に店先までついてきただけで、決してマリオンが抱えている荷物を運ぶのを手伝おうとはしなかったが。
「けど、大人しそうな外見のあんたにこういうスポーティな車っていうのはあんまり似つかわしくないっていうかねえ?」
その車の流れるような綺麗なフォルムを赤い瞳で眺めながら言う碧摩に、助手席に荷物を置いたマリオンは首を傾げた。
「そうですか?」
ちょっと可愛らしくも見えるその仕草に、それそれ、というように碧摩が持っていた煙管の先でマリオンを指す。
「中身はともかく、外見的にそんなふうにぽやんとしてるあんたには、もっと可愛い車が似合うよ。たとえば――そうだねえ、ミニクーパーとか」
赤いのとかどうだい?と言う碧摩の方を見、「髪も眼も服も赤いし、もしかして碧摩さんは赤が好きなのでしょうか」と思ったものの、それを口にはせず、積んだ荷物が車を走らせている途中でシートから落ちたりしないようにきちんとチェックしながら、マリオンはまた小さく首を傾げた。
「ミニクーパーも持っていますけれど。あれも、そこそこ走るから好きなのです」
「……、は? 『そこそこ走るから』?」
その言葉に軽く眉を顰めてから、碧摩はマリオンへ先端を向けていた煙管を軽く振る。
「もしかしてあんた、走り屋気質かい?」
「スピード狂だとはよく言われます」
「……はあ。人は見かけによらないとはよく言ったモンだ」
「いえ、それほどでもないですけれど」
無垢な幼子のように可愛らしく笑いながら、マリオンは運転席に乗り込む。やはりそんなふうに笑う者にこの車は似合わないような気がするのだが……。
小柄な青年が運転席に収まるのを見ると、碧摩は一歩車から下がる。
「まあ、気をつけて帰んな。安かないんだからさ」
煙管の先で、先ほど店でお買い上げいただいた品を指すと、マリオンはにっこりと微笑んだ。
「はい。大丈夫です、私は安全運転ですし」
「そうかいそうかい。それじゃあね」
背後に可愛らしい花々が咲き零れていそうなそのマリオンの微笑付きの言葉に、どうでもよさそうに返事しながらひらひらと軽く手を振る碧摩。
だが、それに気を害することもなく、マリオンはダッシュボードに置いていた薄い青色のレンズが嵌ったレイバンの眼鏡をかけた。アジア系人種の色素が強い黒瞳とは違い、色素の薄いマリオンの金色の瞳に新緑の季節のきらきらとした光は眩しすぎるのだ。
その眩い光の下、綺麗に磨き上げられたシルバーメタリックのボディに清々しく晴れた空の青が映りこむ。
それに碧摩が眩しそうに眼を細めた――その時。
「……!!!」
エンジンをかけてから「それじゃあ」と穏やかにマリオンが微笑んだのを見たのも束の間、ギュギュギュゥンッ!というタイヤとアスファルトが擦れあう凄まじい音を残し、マリオンの乗ったマセラッティ・スパイダーはその場から矢の如く走り去ってしまった。
「…………。……はー……いやあ、本当に人は見かけによらないものだねえ……ありゃあまさしくスピード狂だよ」
舞い上がった砂埃を軽く煙管の先で払いつつ、すぐに遠ざかって小さくなってしまったその車を眺めながら碧摩が呟いた言葉は、マリオンには勿論、届くことはない。
生きていくには、何か刺激がないと退屈しきってしまう。
退屈しきって乾いた心では、多分、生きていくのが苦痛だろうから、美しいものや可愛いもの――そういったもので心に潤いを与える。
それと同じようなことで、ドライブもまた、マリオンにとっては心に潤いを与えるものだ。
ついスピードを出し過ぎ、前方に迫るカーブを曲がりきれるかどうかというスリルを味わいたくなるのも、その一種かもしれない。
……もっとも、今はスピードを心置きなく出せるような広い道を走っているわけではないので、制限速度をそれなりに守った安全運転中だが。
「んー……気持ちがいいのです」
アンティークショップ・レンを後にしたマリオンは、心地よい風に髪を緩やかにかき乱されながら眼鏡のレンズの奥にある眼を細めて微笑んだ。
やっぱり今日はオープンカーにしてよかった。自分のその選択に満足しながらうんうんと頷く。
と、その時。
マリオンの琥珀のような金色の瞳に、なにやら派手派手しい看板が映り込んだ。
「……?」
ぱちぱちと、その双眸が忙しなく瞬く。
爽やかな新緑萌える5月の景観にそぐわない、ドぎつい赤と眼が覚めるような黄色のペンキを使って文字が書かれた、その黒い立て看板。
字は大きな書道用の筆で書きつけたのか、かすれた部分では筆の毛先の流れがしっかりと現れている。なかなか見事な筆致で、普通の書画として見るのならばかなり見事だと言える。
しかし、書かれているのは芸術とはかけ離れた一文だった。
「『ゲームセンター・Az、本日、クレーンゲームの設定甘め! 来るなら来い! 受けて立つ!』……?」
思わずその看板が立っている路肩に車を停め、マリオンは声に出して綴られている文章を読み上げた。
芸術的な筆遣いなのに、芸術とはまったく無関係なことが、無駄なほどに美しい行書でさらさらと書かれているということが……何だか妙に切ない。
というか。
「ゲームセンターの宣伝なら、もう少しポップでかわいい感じにされたほうがいいと思うのです……」
なぜこんな挑戦的な、妙な気合いを感じられる字面と文句なのかと首を傾げずにはいられない。
しかし、その看板を見た当のマリオンはというと――その宣伝にひどく心惹かれていた。
これまでも何度かいろんなゲームセンターの前を通りがかったことはある。そして、その店内にあるクレーンゲームの中に、景品としてクマのぬいぐるみが入れられているのを見かけたこともあった。
クマのぬいぐるみなら、すでにたくさん持っているマリオンである。
けれど、ゲームセンターで景品として置かれているクマは、お金で買ったりして入手した手持ちのクマたちとは違うもののように感じるのだ。
作りや材質などは、勿論マリオンのコレクションであるクマたちには及ばない。
そんなことは百も承知だ。
が、そういったことではなく――いや、理屈はいい。
端的に言うと、可愛いクマのぬいぐるみならどんなものでも欲しいのだ。
……と、いうわけで。
「こういう時には行ってみるのが一番なのです。設定が甘めというのは、チャンスということなのです」
自分のその言葉に納得したように、うむ、と大きく頷くと、マリオンはその豪胆な文字による宣伝文の下に描かれている、かなりなおざりな落書き並みの地図を頭に入れて車を発進させた。
ドライブを楽しみながらまっすぐ帰宅、という予定は変更。
行き先は、ゲームセンター・Az。
その店は、駅前通りのごみごみした場所にあった。
看板に描かれていた大雑把な地図を頭に入れていたマリオンは何度かその周辺で迷いそうになったものの、どうにか「Amusement-zone」と書かれたスタンド看板と壁面看板がある店を発見し、店の横にあった小さな立体駐車場に車を停め、開けていた屋根を元に戻し――現在、その店前に立っていた。
先もって道路沿いにあった妙な立て看板を見ていたので、店構えもおかしいかもしれないという先入観を持っていたのだが、店の看板も外観もごくごく普通でごくごくシンプルなものだった。
ほんの少しだけ、拍子抜けしてしまう。
白と黒のみで仕上げられたその看板は、ゲームセンターの看板にしてはちょっと地味すぎる印象を受けてしまうくらいだ。ネオンの一つも入れてみたらいいのに、と思ってしまう。
「……本当にここなのでしょうか?」
看板を見上げながら小さく小首を傾げる。が、通りに面したガラス越しに見える店内の様子は、どう見てもゲームセンターだし、入り口の自動ドアには紛れもなく「ゲームセンター・Az」と書かれている。
「とりあえず、入ってみるのです」
手に持ったままだった愛車のキーを一度軽く放り投げてからキャッチし、そのままポケットの中に突っ込むと、マリオンは店内へ向かった。
――音の渦の中に飛び込んだ。
店内に入った最初の感想はそんな感じだった。
あちこちから、さまざまなゲームの音楽や効果音が、がっと一気に押し寄せてくる。当人の意思に構わず、それは次から次へと、耳の中に容赦なく飛び込んできて鼓膜を間断なく震わせる。
「わー……」
反射的に両手を軽く耳に押し当ててそれらの騒音をやり過ごしながら、マリオンはきょろきょろと一階フロアーを見渡した。
入り口付近の壁際にはずらりとプリクラの機械が並んでいる。垂れ幕(?)に美白だの何だのと書かれているのを見るに、同じに見える機械でも一つ一つ微妙に機能が違うようだ。
が、そんなものは今のマリオンにはどうでもいいことだった。眼中にない。
プリクラの他には、対戦型の格闘ゲームや麻雀ゲームなどのビデオゲーム筐体が幾つもあり、ギターやドラムのようなものがついた音楽系のゲーム筐体もある。
この店内の騒々しさの原因の大半は、どうもその音楽系のゲーム機から流れている音楽のようだ。丸イスに腰掛けて手に持ったスティックでリズムよく慣れた調子でドラムパッドを叩いている黒尽くめの青年がいたが、少し離れた場所にいたマリオンにはそのプレイが上手なのか下手なのかもよく分からない。
というか。
全然興味がなかった。
「一階にはクレーンゲームはないみたいなのです」
ぽつりと、あっさり騒音に潰されるような声で呟くと、マリオンはクレーンゲームを探して階段を上がり、二階へと移動した。
通りに面した部分はガラス張りで、窓辺に寄れば街の景色がよく見える造りになっている、二階フロア。
そこには何台ものプライズ系のゲーム機がずらりと置かれていた。
奥のほうには様々なメダルゲームなどもあるようだが、マリオンはそちらには興味が全くないらしい。きょろきょろと、大きな瞳を好奇の色で満たしながら設置されているクレーンゲーム機の中を覗きつつ、歩いていく。
すれ違うどの客の腕にも何かしらのぬいぐるみが抱かれている。設定甘め、というのは客を呼び込むための偽情報などではなく、どうやら本当のことのようだ。
「なんだか、いろいろあるものなのですねぇ」
景品は種々雑多で、ぬいぐるみは勿論のこと、箱入りのマグカップやお茶漬け用茶碗セットなるもの、ランチボックス、ラジコンカー、タオル、バッグ、時計、流行の歌手のCD、普通にそこらのスーパーやコンビニエンスストアで売られているチョコレート菓子が巨大化したもの(子供の腕なら優に一抱えほどある大きさだ)、人気アニメのキャラクターフィギュア、……果ては何やらいかがわしい大人向けのアイテムまである。
そして。
「あ」
ぴたりと。
物珍しそうにガラスの向こうに収められている景品の一つ一つを眺めつつ歩いていたマリオンの足が、一台のクレーンゲーム機の前で止まった。
「わあ、これは可愛いのです!」
思わずガラスにぺたりと張り付くようにして、マリオンはそのクレーンゲーム機の中にあるものを、きらきらとした眼で見つめた。
そこにあるのは、茶色いふかふかのクマのぬいぐるみ。大きさとしては身長約40センチといったところだろうか。けっこう大きめである。
さらにそのクマは、これからの梅雨シーズン向けの商品なのか、ナイロン製のフード付き雨合羽を身につけていたのだが、その雨合羽、フードの部分がウサギやカエル、ネコ、カッパなどの着ぐるみ状になっていて、ウサギはピンク色でウサ耳がついているし、ネコには黒色でネコ耳がついている。カッパは緑色で頭頂部に三角のぎざぎざで囲まれた皿が乗っていて、カエルはカッパと同じ緑色なのだが、頭の上に眼がぴょこぴょこと出ている。
ただでさえくるりとした黒いつぶらな瞳が可愛らしいクマなのに、そのフードがまた、クマに更なる愛らしさをプラスしていた。
「可愛い〜可愛いのです〜」
じたじたと、まるで子供のように数度軽くその場で足を踏み鳴らしながら言うと、マリオンは慌ててポケットから財布を取り出した。
これは取らねばならない。
絶対に取って、持って帰らねばならない!
「頑張るのです」
ぎゅっと財布から取り出した100円玉2枚を強く握り締めると、マリオンは「絶対に取る!」という意思に煌く瞳でクレーンゲームのアームを見据えた。
設定は甘めだということだし、頑張ればきっと取れるに違いない。みんなぬいぐるみを抱っこしているし、自分にもきっと取れるはず。
そんなことを思いながら、願いを込めるかのように握り締めていた硬貨を、ゆっくりとコイン投入口に飲み込ませる。
その胸中で「ファイトっ、マリオン!」とマリオンは自分自身に向かって言った――かどうかは分からないが、プレイ分のコインを飲み込んだクレーンゲームのボタンが点滅し始めたのをやけに真剣な眼差しで見つめ、ぎゅっと一度胸の前で拳を握ってから、覚悟を決めたようにその手でポチッと「1」と書かれたボタンを押す。
ちゃ〜ららっらっら〜ん、た〜りらっらっら〜ん、という緊張感の欠片もない可愛らしい音楽に乗り、うぃぃぃぃ……ん、とアームが横に動き出す。
どきどきと、妙に胸が高鳴ってくる。
これは普通にクマのぬいぐるみを購入する時には味わえないような、スリル。
「んー……」
物凄く真剣に、何度も視線を上下させてクマのぬいぐるみとアームの位置を確認し、狙いを定めたピンク色のウサ耳カッパを着たクマとアームとが平行になったところでパッとボタンから手を離し、アームの動きを止める。
次は、縦へのアーム移動。さっき押していたボタンの横にある「2」のボタンをポチッと押す。
「んー……」
目測ではいまいち分かりづらいが、まあこんなものだろう、というところで縦への動きを促すボタンから手を離す。
縦への動きを止めたアームは、その腕をめいっぱい広げ、その場でするすると下へと伸び始めた。それに合わせて、でんでんでんでんでーん、という、それまでの可愛らしい音楽とは一転した緊迫感を煽るような音楽が流れ出す。
どきどきがさらに高まる。
思わず、胸の前できゅっと両手を握り合わせる。
――取ってください……!
組み合わせていた手にきゅっとさらに力がこもった瞬間、狙ったクマの体を抱くように、アームがガシャンと開いていた腕を閉じた。
クマの体を抱いたまま、アームがするすると上へ戻り始める。
ふわ、と軽くクマの体が浮いた。
「あっ!」
やった! すごい、一発で取れた!
……と思ったのも束の間。
クマの体は、上体半分ほどが浮かび上がったところで、ボトッと下で待機している仲間たちのところへと落っこちて戻ってしまった。
「あ。……あー……」
ぬか喜び。
一瞬だけマリオンに夢を見させた収穫なしのアームは、それでもそれが自分の仕事だというように景品を落とすシューターの上まで戻ってくると、再度腕を開き、景品を落とす動作をしてから何ごともなかったように初期位置へ戻った。
それきり、仕事は終わり、とばかりにぴたりと止まる。
「……惜しかったと思うのです」
クマさんの体、浮いてたし。
「きっともう少し頑張れば取れるのです」
ぐ、と拳を再度握り締めると、マリオンはまた財布からコインを取り出し、ゲーム機に飲み込ませた。
――それから。
どれくらいそうしていただろう。
何度、札の両替に走っただろう。
何度、ぬか喜びを味わっただろう。
ふわりとぬいぐるみの体が浮くのを見て「やった!」と思った次の瞬間には、ころりと落下するその姿を見てがくりと肩を落とす。
ぬいぐるみが浮いてから落ちるまでのそのごくごく短い間に、こんなに深い一喜一憂を味わうことになるなんて。
「……はぁ……」
ゲームをあまりしたことがないせいか、コツというのがいまいちよく分からない。
『ああそうか、なるほど、きっとこうだ!』と思って実践してみても、また一喜一憂の餌食にされてしまう。
ガラスの向こうにいる可愛らしいクマさんたちが、自分を嘲笑っているようにも思える。
「……こういうものには向いていないのでしょうか」
せっかく、一枚のガラス越しに――すぐ手が届くような場所にクマさんたちはいるのに、ゲットできないなんて。
ふう、と憂いに満ちた悲しげな溜息を、伏し目がちに零した。
その時。
「さっきから随分と精を出しておられますなァ、殿方」
ぽむ、と背後からいきなり肩に手を乗せられた。
「!」
それまでゲームに集中していたせいか、自分のすぐそばまで誰かが近づいていることにまったく気づいていなかったマリオンは、眼を瞬かせながら肩越しに振り返ろうとして――にゅっと背後から自分の顔の左隣に突き出された見知らぬ人物の顔に、さらに眼をぱちぱちと瞬かせた。
「うーむ、簡単設定にしてあるはずなんだけどなァ?」
おかしいなァ、と呟きながら首を傾げるその人物の横顔を、ごく間近でマリオンは見つめる。
……誰だろう?
「お」
不思議そうな顔をしているマリオンの視線に気づいたのか、その人物は顔をマリオンの方へ向け、ニヤッと笑った。
快活な笑み。
癖のない真っ直ぐな長い黒髪と、真っ黒なスーツ、左眼に黒い眼帯をつけた、人物。
「初顔ですな、殿方。ようこそ我が城・ゲームセンターAzへ」
「我が城……ですか?」
「ここの店長なので」
自らを指差して「店長」と名乗った(?)その人物をまじまじと見る。
もしかして、この人があの道路沿いの立て看板を作った人だろうか。
としたら、なんだかとても「らしい」気がした。なんだかこう――何か、普通じゃない気がしたからだ。
そんなことを考えていたマリオンからすっと体を離すと、店長は左手の人差し指の関節でこつんと軽くクレーンゲーム機のガラスを叩いた。
「なーんか、あんまりにもガチャンガチャンと金つぎ込んでらっしゃるようなので、ちょいとばかり心配になりましてな。まああんな車に乗ってるような殿方だし、大丈夫だとは思うのですが」
あんな車、と駐車場の方を顎先で示しながら言うその人物の、自分の目線より少し上にある顔を見上げつつ、マリオンは小さく肩を竦めた。胸の裡で考えていたことなど、微塵も匂わせない柔らかな子供っぽい表情で。
「つい熱中してしまったのです。あまりにもこのクマさんが可愛かったので」
「おやおや」
軽く眉を持ち上げて、店長はおかしそうに笑った。
男なのにクマが可愛いなどと言ってしまう自分のことをおかしいと思ったというよりは、そんなふうにゲームに熱中してしまっていたということが、この人にとってはおかしかったようだ。
その、男とも女とも判別しづらい顔(だが、声のトーンからして多分女だと思う)を見、ふとマリオンは軽く口許に拳を当てる。
このまま何度自力でやっても無駄かもしれない。でも、このクマさんは欲しい。
ならば。
口許からそっと拳を下ろしながら、マリオンは可愛らしく小首を傾げた。
「お店の方――しかも店長さんにこんなことをお伺いするのはどうかとも思うのですが……、こういうゲームというのは何かコツのようなものがあるものなのですか?」
「コツ? ああ、それは勿論」
可愛らしい仕草をする客人を見てくすりと笑うと、店長は片手を黒スーツのポケットに突っ込んでコインを数枚取り出し、それをクレーンゲームのコイン投入口に飲み込ませた。
そして、軽く口笛など吹きながらボタンを押し――なんと、ごくあっさり、クマを一匹吊り上げてしまった。
「わあ……!」
「どんな事柄にも、コツというものはありましてな。はいどうぞ。お納めくだされ」
ガコン、と景品取り出し口に落ちてきたカエルのカッパを着たクマを取り出すと、店長はそれをマリオンに差し出した。
きょとんとしてマリオンが眼を瞬かせる。
「いただいてもよろしいのですか?」
「どう見ても全種類制覇したいっていう意気込みを感じましたからねえ。4種類のうち1個くらいは私も協力、ってことで」
こつこつと再度指の関節でガラスを叩き、店長はニヤリと笑う。
「もうすでに十分利益が出るくらい、殿方からはこの台で稼がせていただいておりますので。クマっ子一つくらいどうということもない」
……一体、この人はいつから自分を見ていたんだろう、とマリオンは店長を見て数度ゆっくり瞬きした。
いつもは理性的に、冷静にいろんなことに意識を回していられるのに、なかなか手に入れることができないクマを前にしてその理性が一時的にふわりとどこかに飛んでいってしまっていたらしい。
しかしそのことに対し、別に恥ずかしいという気持ちにはならなかった。そういう客を、きっとこの人物はよく見ているだろうし、この人物にとってはごく普通のことかもしれないと思ったせいもある。
だがそれよりも、ほしくてほしくてたまらなかったクマを、自力でではないにしてもようやく手に入れられることのほうが嬉しくて。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、マリオンは素直にそのクマを受け取っておいた。受け取って――ぎゅっと抱きしめる。
「おやおや、随分とお可愛らしいなァ」
嬉しそうにクマを抱きしめるマリオンの姿を見、店長も機嫌よさそうに笑った。
「殿方はもう何回も挑戦されておるので、このゲームで何が重要かってことはご理解されておるとは思いますが」
言いながら、店長はゲーム機に背を持たせかけて軽く腕を組んだ。どうやら「コツ」をマリオンに教える気になったようである。
「いくらウチが今日クレーンゲームの設定を甘くしてると言っても、何にも考えずに取ろうとしてたら自然とムズかしくなってしまうものでね」
ふむふむ、とマリオンは真顔で頷いた。けれどその金色の瞳は「クレーンゲーム攻略法」という新しい知識の習得が嬉しいのか、きらきらと輝いている。
そんなマリオンの真面目な様子を見てさらに気をよくしたのか、店長は肩越しにこんこんと、またガラスを指の関節で叩いて笑った。
「重心。バランスですなァ。アームで持ち上げるとき、持ち上がったと思ってもすぐに落っこっちまうのは重心がそっちに傾いてるから。……で」
マリオンの注意を引くように、一体のぬいぐるみを示す。
「アームに対してちょっと斜めになっておるでしょ。あれなんかかなりオイシイですなァ」
「あれが狙い目なのですか? もっと、ちゃんと真っ直ぐになっているもののほうがバランスも取りやすいような……」
人形全体の重みを考えて、人形のちょうど半分部分より少し上の、腕の下辺りで掴むことを目指せばいいような気がするのだが。
マリオンが小首を傾げながらそう言うと、ちちち、と店長に人差し指を軽く左右に振られてしまった。
「それで何回も殿方はしくじられておったでしょうが。そうじゃなくてですなァ……こう」
言うと、ふっと店長は両腕を伸ばし、いきなりマリオンの体をぎゅっと抱きしめた。片腕は肩の上、もう片腕はマリオンの脇の下から回されている。
だが、相手からセクシュアルな雰囲気を微塵も感じないせいだろうか、マリオンは不意を突かれたことで数度ぱちぱちと眼を瞬かせただけで、それ以上にどうといった感情の揺らぎも感じなかった。
「……あの?」
「こんなふうに、アームをぬいぐるみに回すとよい感じ。分かりますかな?」
「……あ。なるほど、そういうことなのですね」
頭の中で、今の自分のような状態でアームに捉えられたぬいぐるみを想像してみてから、マリオンは頷いた。
これならば、多少重心がどちらかにずれたとしてもアームががっちりと押さえて、ずり落ちるのを防止してくれそうだ。脇の辺りを両腕で捕まえるより、こうしてたすき掛けで捕まえたほうがバランスがいい。
納得したように頷いたマリオンに、店長は頷きながらその腕を解く。
「物分りがいい御仁だ。とりあえず初心者向けの攻略法ではあるのだけど、こういう形のぬいぐるみにはすこぶる有効なので、さっそくいっちょ挑戦してみますかね?」
「はい」
ニッと笑ってクレーンゲームに向かって肩越しに親指を向ける店長に向かってこくりと頷くと、マリオンはさっきもらったクマさんを片腕にしっかりと抱いた。そして、空いた手でもう何十枚目かになるコインを、もはやすっかり慣れてしまった手つきで筐体に投入する。
まずは、1のボタンでアームを右移動。
「しっかり狙わなきゃァ」
後ろから店長の声がする。それに背を向けたままこくこくと頷くことで答え、さっき店長が「オイシイ」と言っていたぬいぐるみとアームとを何度も交互に見ながらアームを動かしていく。
「……このあたりで」
呟き、ボタンから手を離してアームを止める。
続いて2のボタンを押し、アームを縦移動させよう――として。
「横から覗き込むといいんだねェ、これが」
またしても店長の声。
横から覗き込む、という言葉に、不思議そうにマリオンは振り返った。
「横から……ですか?」
「そ。手はボタンに置いたまま、体は筐体の横に移動させる」
こんなふうに、と店長がマリオンのボタンに置いた手の上に手を重ね置き、筐体の横へ移動させた。ぬいぐるみが入っているところは横もガラスになっているため、縦移動の時は横から見たほうがその位置を測りやすい、と言いたいのだろう。
そうすぐさま理解すると、マリオンはまた素直に頷いて、店長がしているようにボタンに手をかけたまま筐体の横から中を覗き込む。
「わざわざゲーム機の横に体が入る分くらいのスペース空けてるのはそのためなんだ。甘い設定ってのはダテじゃないんだねえ」
ははは、と快活に笑うと、店長はマリオンの手の上からそっと手を離した。そしてまた少し後ろに下がり、マリオンの様子を見守っている。
その視線を背中に感じながら、マリオンはポチッと2のボタンを押す。
ゴゴゴ、と微かな音を立ててアームが動き出す。
「……これくらいなのです」
アームが、狙ったクマさんの上に来た辺りでぱっと手を離す。
すると、またあの緊迫感を煽る、でんでんでんでんでーん、という音楽が流れ始め、それに合わせて腕を開いたアームがするすると下り始めた。
取れますように、取れますように……!
きゅっとクマを抱きしめる腕に力を込め、祈るような眼でアームの動きを見つめる。
すすす、と下りたアームは、その片腕をクマの首筋、もう片腕をクマの脇へと伸ばす。
それはもう、まさに、狙い通り。
グッとアームが腕を閉じる。
すると、見事、クマががっちりとその腕に抱かれた。そのままアームはクマを吊り上げ、シューターへと運んでくる。
そしてそのクマは。
「あ!」
ガコン。
アームにより、シューターの中へと落っことされた。
その瞬間、はらはらしながら見守っていたマリオンの顔が、花開くかのようにぱああっと明るい笑みに彩られる。
「取れたのです!」
すぐさま景品取り出し口から、今しがた、自分の力で取ったピンク色のウサ耳カッパを纏ったクマさんを救出すると、マリオンはそれを高々と掲げて振り返った。
「おお、ついにやりましたな!」
まるで無垢な子供のようなその嬉しそうな顔に、ぱちぱちと両手を打ち合わせながら店長が健闘を称える。
「その調子だとあと2つくらいならチョロいもんですなあ、きっと」
「ありがとうございます、店長さんにコツを教えていただけたからなのです」
「いやいや。殿方に素質がおありだったということですな、きっと。残り2つ、頑張ってくださいな」
とりあえず、これ以上マリオンが大金をつぎ込まずに済みそうだと分かって気が済んだのか、店長は「ではでは」とひらりと手を振るとその場から離れていった。
もしかしたら、あと2種類のクマさんを取ろうと思っているマリオンの邪魔をしないように、という配慮だったのかもしれない。
「……よし。頑張るのです」
ぐ、と両腕にそれぞれクマさんを抱っこしながら、マリオンの金色の瞳はしっかりと、次の獲物を捉えている。
「あ」
それから。
それまでの苦戦がウソのようにあっさりと残り2種(カッパのカッパを着たクマとネコ耳のカッパを着たクマ)もゲットしたマリオンは、ほくほく顔で帰宅すべく一階へと下りてきたのだが。
入り口近くにあるカウンターのところに、先ほどクレーンゲームのコツを教えてくれた店長がいるのが見えた。
「店長さん」
「お」
白い服を着た誰かと話していた店長は、ととと、と駆け寄ってきたマリオンを見てニッと笑った。
「あれからすぐに全種類制覇したんですなァ」
「はい、おかげさまで。本当にありがとうございました」
ぺこりと、4つのぬいぐるみをしっかり抱えながら頭を下げると、その頭にぽふぽふと店長が軽く手を置いた。
「いやいや。こちらこそガッツリ儲けさせていただきまことに有難う御座いました」
何回もチャレンジしていたことを言っているのだろう。
けれども、マリオンはその言葉におっとりと笑っただけだった。
こうしてしっかりクマさんをゲットできたのだから、あれくらい安い投資である。
……、いや。そうではなく。
投資や金額がどうこうというのではなく、こうして苦労して可愛いクマさんぬいぐるみを手に入れられたという事実が、何だかとても大事な気がしたのだ。
そんなマリオンの胸の裡を読んだわけではないだろうが、
「ま、世の中にゃあ金では買えないものもある。ってね」
店長が笑った。
もっとも、金がなければゲームができないわけだから、クレーンゲームでゲットしたぬいぐるみは完全に「金では買えないもの」とは言い切れないのかもしれないが。
それでも、今は。
腕に抱くぬいぐるみは「お金では買えないもの」でいいような気がした。
だから。
「私もそう思うのです」
素直に店長の言葉に同意して頷き、微笑んだ。
苦労の末に入手した4つのぬいぐるみを、ぎゅっと強く抱きしめて。
お邪魔しました、と店長に頭を下げ、戦利品をしっかり手にして店を後にしたマリオンは、愛車で帰宅の途につきながら、ふと青いレンズの奥にある瞳を細めた。
「そういえば……殿方……って、随分と古風なことを言われていました……」
ぽつりと呟く。
確かに、自分は客だったから丁寧にそう言われるのは不思議ではないのかもしれないが、外見的にはあの店長さんのほうが随分と上だったはずだ。
なのに。
「殿方……」
もしかしたら、自分が外見どおりの年齢ではないと、察されていたのだろうか?
「……まあ、それならそれでも別に構わないのですが」
あの店長さんのおかげでちゃんとクマさんを取れたことですし。
そう思いながら、助手席にちょこんと座っている4匹のクマさんを横目で流し見て、マリオンは金色の瞳を細めて満足そうに笑った。
――その頃、ゲームセンターAzにて。
「いやあ、内面はどうだか知らんが外見が可愛くて笑うとさらに可愛い美少年ってのは見ててムラムラするなあ! 思わず手とかべたべた触ってセクハラしちゃったよ。黒髪と金眼ってのも可愛いモンだなァ!」
と、上機嫌な店長が豪快に笑いつつ、マリオンと同じような金の瞳を持つ白い服を纏った銀髪のバイト生に向かって言っていた、なんて……当然のことながら、マリオンが知ることはない。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】
4164 … マリオン・バーガンディ――まりおん・ばーがんでぃ
【男/275歳/元キュレーター・研究者・研究所所長/天使】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
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こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
この度はゲームノベル「白く醒める時」に参加してくださり、どうもありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?
マリオン・バーガンディさん。
初めてのご参加、どうもありがとうございます。
口調やイメージ、合っていましたでしょうか? クレーンゲームの攻略法などすぐに浮かびそうなくらい聡明な方だと思うのですが、今回はクマさんゲットを前にして心が揺らいでいた、ということでご了承いただけたなら、と……。
口調はよくお顔を出されている掲示板での発言を参照してみたのですが、もし違っていたら申し訳有りません。
性格はパラメーター等を見るともう少しひねくれた感じなのかな?と思いつつ、ねこを被っていただいた感じで(笑)。
イラストなどを見、微笑がとても可愛らしい人、というイメージで書かせていただきました。
あ、ご指定いただいた店長ですが、なんかやたらとべたべたマリオンさんに接触してしまい……セ、セクハラ気味でどうもすみません……(笑)。
今回、当異界に足を踏み入れてくださったことにより、当異界でのシステム「階級」が働いています。
当異界内でのみ影響があることなのですが、もしご興味をもたれましたら当異界の項目にてご確認ください。
もしよろしければ、感想などをお気軽にクリエイターズルームかテラコンからいただけると嬉しいです。
では、また再会できることを祈りつつ、失礼します。
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