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最期の光
◆ ◇
今も耳の奥で響いている、あの日の声
決して忘れられないあの響きは、あまりにも甘くて・・・
“かい”と、優しく呼ぶ貴方が
好きでした ―――――
◇ ◆
昼間は生徒で賑わう教室も、夕陽が斜めに差し込めば、急に寂しくなる。
橙と闇のコントラストを横目で見ながら、月浦 壊璃は目の前の人物に目を向けた。
どうして自分が呼ばれたのか分からないと言うような、不快な表情を微かにたたえた顔を真正面から見詰める。
「・・・月守・・・」
顔に似合わない、高い声でそう呼ぶ。
聞きなれた自分の声が・・・どこか、遠くから聞こえて来るような錯覚を覚えながら、壊璃は月守 裕真の視線が自分の瞳を捕らえるまで待ってから話し始めた。
「月守、アンタの大切な人を救える方法、一個ダケあるぜ。」
自分でも笑ってしまいたくなるほどに、慎重な響きを持った声。
別にそうしようと思って発したわけではなかった。気付いたら、響きが慎重な音を含んでいたのだ。
「何・・・?」
どうして急にそんな事を言い出したのか分からないと言う風に、眉を顰める裕真。
「・・・家にはむしゃくしゃしててさ。だから・・・家と敵対してやろうかってワケ。」
いたって軽い口調でそう言って、ニヤリと口の端を上げる。
別にコレはアンタのためじゃない。
まして、彼のためでもない。
――― 俺の事情、ただそれだけの事。
それにたまたまアンタ達がオマケでついて来る。
まるでそうとでも言いた気な言葉の雰囲気だった。
「だが・・・」
「別に、この話に乗るか乗らないかはアンタ次第だぜ?月守。」
さぁ・・・どうする?
・・・なんて、分かっている事。
絶対に頷く確信がなければこんな話、絶対にしたりしない・・・。
ほんの少しの迷いの後で、裕真が力強く頷いた。
「交渉成立、だな。」
「あぁ。」
いまいち乗り気でない風な裕真の肩をポンと軽く叩くと、壊璃は教室を後にした。
・・・廊下にも差し込んでくる、昼の名残。
昼間よりも淡くぼやけた光を見詰めながら、壊璃は壁に寄りかかった。
今は、支えがなくては立っていられないから ―――――
◆ ◇
『 ――― 父さん、あの時から俺は・・・道具として意味を成さない物になりました。
・・・道具なんてまっぴらだから清々してる。
けれど、それがとても哀しいのです。
大丈夫、貴方からの愛情は諦めてます。
何故なのでしょうか。一番欲しいものはいつだって・・・ 』
いつだって、届かなくて・・・。
するりと指の間を抜けて行ってしまう、あまりにも儚く脆いもの。
ほんの少しだけでも、残れば良い。
そう願う心を打ち砕くほどに、あっさりと・・・目の前から去って行ってしまう・・・。
◇ ◆
「壊璃は本当にそれでいいの?」
マニキュアの香りが漂う教室。
昼よりも夜に近い時間帯で、鎖白 兎愛はふぅっと指先に息を吐きかけながらチラリと壊璃に視線を向けた。
「いいんだよ。・・・いいんだ。」
まだ少し、悩んでいるような口調でそう言う壊璃に、キュイっと口の端だけの笑みを見せる。
塗ったばかりのグロスが色っぽく光り、細かいラメが窓から差し込んでくる光を七色に反射する。
「喰えるだけ喰った、喰われるダケ喰われてやった。」
「そう?なら良いんだけど。」
マニキュアが乾ききった事を確認してから、トップコートを薄く塗る。
壊璃が何も言わずにジっとその様子を見詰め ―――――
「・・・一緒に、やってくれる?」
揺れる声は、聞きようによっては不安を纏っているようにさえ聞こえた。
「勿論よ。」
そう言ってマニキュアをポーチの中に仕舞うと、足元に置いてあった鞄に無造作に突っ込んだ。
カシャンと言う微かな響きが聞こえ・・・そう言えば、鏡を入れてあったんだと思い出した。
別に、そこらで買った安物だ。
割れてしまったのならばまた買い換えれば良い話。
ただ・・・割れたガラスの破片が鞄の中に飛び散っている様は、どこか寂し気な感じがする。
――― 家に帰ったら、ゴミ箱の上で鞄を逆さまにすれば良い。
大切なものなんて何一つ入っていないのだから、全てはゴミ箱の中に消えようとも、また新しいものを買えば良い話。
「あたしはどうせ元から腐った生活送ってたワケだし、今更何人誑かそうが、そいつらにヤバイ事手伝わせて、それを笑顔で切るくらい何も感じないわ。」
漆黒の瞳が妖しく笑む。
「二人の足せば、味方は何人?」
「・・・どうでしょうね。」
そう言って、髪を耳にかける。
その度に香る、香水の甘い匂い・・・。
首筋に、手首に・・・つけられた滴が発する香りに、兎愛が顔を顰めた。
嫌いな香水をわざわざつける、その心を・・・壊璃は理解していた。
「・・・さぁ、今からが大仕事だ・・・。」
「そうね。協力させてもらうわ。」
そっと目を閉じる兎愛。
長い睫毛はマスカラが重たくしがみついており、クルリと先が上を向いている。
――― 壊れている、俺達は・・・割れて飛び散って消えるだろう。
それは、仕方のない事。
それを決めたのは、他でもない自分なのだから・・・。
けれど願う。
ほんのささやかな願いではあるけれど・・・そして、きっと・・・叶わない願いではあるけれど・・・。
せめて破片が裕真の心に刺さってしまえばいいのに ―――――
胸の痛みを感じるたびに思い出す、そんな存在に・・・なれたならば、良いのに・・・。
◆ ◇
『 かい、と・・・優しく呼ぶ父さんが、裕真が、凄く・・・凄く、好きでした。
覚えてる?幼い頃、一緒に遊んだ事。
君は俺の事を名前で呼んでくれてて・・・
面影、無くなってるから覚えてないだろうケド――――― 』
今も目を閉じれば思い出す、あの頃の光景。
無邪気に笑う君に、思わずつられて笑ったあの日。
あんなにも純粋に向けられていた好意の瞳が、今はとても懐かしい・・・。
あの頃に返れたらなんて、そんな甘い夢を見るのはもう止めたんだ。
せめてあの時の残像が、ほんの少しで良い ―――
君の中にあれば、それだけで・・・・・・・・・
◇ ◆
「月浦!?」
驚いたような表情で走って来た裕真が、壊璃の上半身を抱き上げる。
壊璃の姿を見て、何かを言おうとして・・・その顔が歪む。
言わなくても分かっている、別れの時に、壊璃はそっと目を閉じた。
普段は何気なくしている呼吸が、こんなにも苦しいものだとは思いもよらなくて・・・
吸う空気は鉄の味で、あまりの不味さに咳き込みそうになる。
「月浦・・・」
「なぁ、月守。」
「何だ?」
「・・・最後に、冗談・・・言って、いい?」
冗談?
何でそんな事を・・・。
そうとでも言いた気な瞳をしながら、そっと・・・縁起でもない事を言うなと低く告げる。
最後なんて滅多なことで言うものではないと。
冗談くらい、いつでも言えば良いと・・・。
・・・でも・・・でもさ、自分の命の終わりくらい・・・分かるんだよ、月守・・・。
自分の最期だからこそ、嫌と言うほどよく分かるんだよ・・・。
ゆっくりと目を開ける。
まるで幼い頃を思い出すかのような、優しい瞳。
――― 純粋に壊璃を心配している・・・悪意のない、無垢な瞳・・・。
それが見られただけで、もう、この世のどんな景色を見れなくても十分だった。
「 ――――― 好きだよ ・・・」
そっと呟いた一言で、裕真がどんな顔をするのか・・・
それは、暗くなる視界の中で見えなかった。
けれど・・・それで良い。
最後に見れた瞳が優しいものだったから。
それだけで、何も望む事はないのだから・・・。
だから、最後に、嘘を。
最期に・・・・真実を・・・・
――――― それだけで・・・十分だから・・・・・・・・・
END
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