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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


堪能日


 藤井・蘭(ふじい らん)は、にこにこと笑いながら近所を歩いていた。
「いい天気なのー」
 芽吹く春は、蘭にとって心地よい季節だ。日の良く当たる場所にビーズクッションをぎゅっと抱きしめ、ごろごろと寝転がるとすぐに眠気が襲ってくるほどだ。
「気持ちいいの」
 夏のようなうだる暑さも冬のような切り裂かれんばかりの寒さもない、過ごしやすい季節だ。近所を歩き回る散歩ですら、ただ歩いているだけだというのに心が躍ってしまう。
「いい天気なのー」
 蘭はそう言って空を見上げる。澄み切った青い空が、どこまでも続いている。雲ひとつ見つからないという、すがすがしい空だ。
「綺麗なのー」
 にこ、と笑いながらそう言った次の瞬間、蘭は「あ!」と大声をあげる。
「あれ何なのー?」
 蘭はそう言って、目の前の光景をじっと見つめる。そこには空に向かって突き刺さる棒に、ひらひらしたものが四つついている。
「持ち主さんに、聞いてみるのー」
 蘭はそう言うと、急いで家に戻る。そして帰った早々、藤井・葛(ふじい かずら)に向かって「ただいまなのー」と言う。
「おかえり。どうしたんだ?慌てて」
「お魚さんなのー」
「お魚さん?」
「お魚さんが、泳いでいたの」
 蘭はそう言い、自分が見た光景を説明する。長く高い棒に、四つのひらひらしたものがついていた。一番上が五色のタコみたいなもので、次に大きな黒い魚。続いて赤い魚と小さな青い魚が続いていたのだと。
 状況を説明された葛は「ああ」と言いながら、そっと微笑む。
「お魚さんが、空を泳いでいるの?」
「あれは、こいのぼりって言うんだ」
「こいのぼり?」
 きょとんとする蘭に、葛はこっくりと頷く。
「そう。鯉は、滝を登るんだ。そんな鯉のように、男の子が元気に大きくなる事を願って立てるんだ」
「すごいのー」
「天の神様に、家に男の子が生まれたから守って欲しい、と伝える意味もあるって言われているんだ」
「持ち主さん、物知りなのー」
 尊敬の眼差しを向ける蘭に、葛は少し照れたように「そうか」と答える。
「一番上に、五色のひらひらしたのがあったって言ってただろう?あれが、吹流し。子どもの無事な成長を願って、魔よけの意味で飾られているんだ」
「タコさんじゃないのー」
「食べられないしな」
 蘭の感想に、悪戯っぽく葛はそういう。蘭は「分かってるのー」と言いながら、先をせかす。
「じゃあ、次の三匹のお魚さんが、鯉さんなの?」
「うん。黒い大きなのが真鯉。お父さん鯉だな」
「パパさんなのー?」
「そう。次の赤いのが緋鯉。お母さん鯉だ」
「ママさんー」
「最後の青くて小さいのが、子どもの鯉だな。まだ兄弟がいたら、更に下に鯉を増やしていくんだぞ」
「次に来るのは何色の鯉さんなのー?」
「確か、緑と橙だったと思う。蘭だったら、緑かな?」
「すごいのー」
 蘭はそう言って目を輝かした。が、すぐに小首をかしげて葛に尋ねる。
「でも、何でこいのぼりさんがいるの?」
「そりゃ、こどもの日だからだろう」
「こどもの日?」
 きょとんとする蘭に、葛は「そっか」と頷く。そういえば、蘭にこどもの日を説明した事は無かったかもしれない。
 葛は「よし」と呟き、蘭の頭をふわりとなでる。
「それじゃあ、こどもの日をしようか」
「こどもの日って何をするのー?こいのぼりさんを泳がせるの?」
「うん。兜を作ったりするんだ」
 葛はそう言い、テーブルの上に置いてあった折り紙を手に取る。テーブルの傍に座って折り始めると、蘭が隣にちょこんと座って覗き込んでくる。
「そういえば」
 葛は兜を折りながら、蘭に尋ねる。蘭は「何なの?」と小首を傾げてきた。目は、ずっと葛の手元を追っているが。
「掃除はちゃんとできたか?」
 葛が尋ねると、蘭はこっくりと頷く。
「できたのー。ええと、ごそごそってなってて。きゃーってなったけど、正体茸さんだったの」
「……そうか」
 良く分からない説明だが、なんとなくは想像がつく。おそらく、茸がごそごそと動いていたため、誰かが驚いて悲鳴を上げたのだ。正体が茸で落ち着いた、くらいだろう。
「楽しかったか?」
「うん。楽しかったのー」
 蘭は満面の笑みで答える。本当に楽しかったのだろう。葛は「そうか」と答えつつ頷き、折り紙の兜を完成させる。そして、ちょこんと蘭の前においてやる。
「できたぞ」
「凄いのー!」
 蘭は出来上がった兜を手に取り、じっくりと眺める。目はきらきらと輝き、その兜を何とかかぶれないかと色々試している。
「蘭、かぶりたいなら新聞紙で作ると良いぞ」
「新聞紙?」
「ほら」
 葛はそう言って、新聞紙を取り出して蘭に手渡す。そして自分も新聞紙を取り、同じように兜を折っていく。
 今度は一緒に、ゆっくりと一つ一つの作業をこなしていく。
「ほら、蘭。そこはひっくり返すんだ」
「はーい、なの」
 蘭の目は真剣そのものだ。必死な様子に葛は柔らかな眼差しを向けつつ、兜を教えていく。
「できたのー!」
 蘭はそう言って新聞紙で出来た兜を高く掲げた。葛はぱちぱちと手を叩き、蘭の頭にそっとかぶせてやる。
「似合うな」
「ありがとうなのー」
「それじゃあ、おやつでも作ろうか」
 葛は嬉しそうにはしゃぐ蘭の声を背中で聞きながら、台所に立つ。
「やっぱり、ちまきと柏餅だよな」
 小さく呟き、取り掛かった。しばらく居間の方から楽しそうにはしゃぐ蘭の声が聞こえていたが、いつしかその声も聞こえなくなっていた。まだ残っている折り紙で何かを作っているか、それともビーズクッションに身をゆだねて眠ってしまったか。いずれにしろ、楽しく「こどもの日」を堪能している事だろう。
 ちまきと柏餅を作り終え、皿に盛って居間へと戻る。すると、まだ兜をかぶったままの蘭がにっこりと笑いながら「できたのー」と葛に言ってきた。
「何か作っていたのか?蘭」
「はい、なのー」
 ちまきと柏餅の盛ってある皿をテーブルに置きながら、葛は蘭が差し出してきたものを見つめる。
 それは、こいのぼりだった。
 ずらりと並べられたこいのぼりは、最初に兜を作った折り紙の残りで作られていた。五色の吹流しから始まり、黒の真鯉、赤の緋鯉、そして子どもの鯉が3匹並んでいる。
 青と、橙と、緑の子どもの鯉。
「これで、皆なのー」
 蘭はそう言ってそれぞれの鯉の説明を始めた。
「これがパパさんで、これがママさんで」
「姉さんと、俺と、蘭?」
「皆なのー」
 蘭はそう言ってにっこりと笑う。葛は思わず微笑み、台所から割り箸と糸、そしてセロハンテープを持ってくる。
「これで、こいのぼりを完成させようか」
「はいなのー」
「それじゃあ、こいのぼりたちの口に、それぞれ糸をくっつけよう」
「このテープでつけるの?」
「そう。しっかりと貼れば、外で泳がせる事もできるかもしれないぞ」
「分かったのー」
 蘭はそう言って、作っているこいのぼりたちの口に、一つ一つ糸をセロハンテープでつけていく。
「カッター部分で手を切らないようにな」
「はいなのー」
 一つ一つ、丁寧に糸をつけていく。蘭の目は真剣そのものだったので、あえて葛は手を出さずに見守る事にする。代わりに、折り紙を切って矢車を作る。カラカラと回ることは出来ないが、より一層こいのぼりらしくなるだろう。
 そうして、全ての鯉と吹流しに糸が取り付けられる。蘭は糸がつけられた全てのこいのぼりたちを見つめ、満足そうににっこりと笑う。
「できたのー」
「よし、それじゃあ割り箸にとりつけよう」
 葛はそう言って、蘭に割り箸を手渡す。蘭はそれを受け取り、二本に割ってから一つ一つ丁寧につけていった。長さが微妙に足りなかったので、割って残しておいたもう一本もテープでぐるぐると巻きつけてくっつけた。
 最後に、葛が作った矢車を頂点につけて完成した。蘭が手作りした、こいのぼりだ。
「できたのー!」
「藤井家こいのぼり、だな」
 葛がそう言うと、蘭はにっこりと笑って「はい、なの」と力強く頷いた。
「それじゃあ、ちまきと柏餅を食べようか」
「わーいなのー」
 ちまきと柏餅は、時間が経ったためにすっかり冷めてしまっていた。だが、手作りならではのほろりとした味が、口いっぱいに広がって自然と笑顔を生む。
「おいしいのー」
「よし、今日は菖蒲湯にするぞ」
「菖蒲湯?」
「そう。こうなったら、思い切りこどもの日を堪能するぞ」
 葛がぐっと拳を握り締めながら言うと、蘭も柏餅を持っていないほうの手をぐっと握り締めて「堪能するのー」と同意した。
 その後二人は顔を見合わせ、ぷっと吹き出す。堪能する事を決めて、それに力を注ぎ込むという事が妙におかしい。
「それじゃあ、菖蒲湯のための菖蒲を買いに行こうか」
 葛はそう言って、蘭にお茶を差し出す。
「菖蒲って何なのー?」
「花だよ」
「花をお風呂に入れるの?」
 蘭に尋ねられ、葛は一瞬迷う。菖蒲を風呂に浮かべると、確かにいいにおいがしたり気持ちよかったりするだろう。だが、その後が大変そうだ。
 堪能するとはいっても、その後の事も考えなければならない。
 葛はしばらく迷った後、ぽん、と手を叩く。
「菖蒲湯の元を探しに行こう」
「そんなのがあるのー?」
「あるさ」
 多分、と葛は心の中で付け加える。蘭は「分かったの」と返事をし、お茶を飲み干す。
「菖蒲って、どんなお花なの?」
「紫の、綺麗な花だよ」
 葛が言うと、蘭はにこっと笑いながら「楽しみなの」と言った。
(やっぱり、ちゃんとした菖蒲を買おうかな?)
 嬉しそうに兜をかぶっている蘭を見、葛は密やかに思う。割り箸と折り紙で作ったこいのぼりに、新聞紙と折り紙の兜。どれも、こどもの日のためのものだ。
 つまり、蘭のためのもの。
「よし、それじゃあまずはお花屋さんに行こうか」
「それじゃあ、こいのぼりさんたちが泳いでいる道を通って欲しいの」
「分かった。折角だから、歌でも歌いながら行くか」
「歌?」
「そう。こいのぼりさんの歌」
 葛はそう言って、歌を歌う。一度歌ってやると、蘭はすぐに覚えて一緒に歌い始めた。
 出かける準備を手早く終わらせ、二人で手を繋いで花屋へと向かった。途中、気持ちよさそうに泳ぐこいのぼりを見つめながら。

<こどもの日を堪能しつつ・了>