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<東京怪談ノベル(シングル)>


ブラックルシアンをどうぞ

 心地よいジャズの旋律、燻る煙草の煙に美味いカクテル。
 ジェームズ・ブラックマンは蒼月亭にあるカウンターの一番奥の席で、今日もナイトホークの作るカクテルを楽しんでいた。
 この席はジェームズの特等席のようなものだ。どんなに混雑しているときもその席だけは必ず空けられている。そしてそこに座って、カウンターの中で器用に客の注文に答えるナイトホークを見るのが、ジェームズは好きだった。
「今日は空いてるな」
「雨だからな、流石に客足が鈍いよ」
 いつもならこの時間はまだ客がいるのだが、今日はなぜか二人きりだった。ジェームズのグラスに入っているカクテルも残り少ない。
 ジェームズが次の注文をしようとすると、ナイトホークはカクテルの入ったロックグラスをスッと差し出した。グラスからはコーヒーの香りがする。
「いいコーヒーリキュールが手に入ったから、クロにブラックルシアン。俺の奢り」
「珍しいな」
 そう言ってジェームズはグラスに口を付けた。他の店で使っているコーヒーリキュールと違い、コーヒーの香りが格段に違う。そしてあまり癖のないウォッカとの組み合わせもいい。シンプルなレシピだが、コーヒー党の自分の好みをよく知っている。この味はここでしか飲めない。
「うん、いい味だ…」
 味の感想を聞いて一つ満足そうに頷くと、ナイトホークは自分の煙草に火をつけた。カウンターの中には、もう一杯ブラックルシアンが用意されている。
「こんな夜は、あの日のことを思い出すな…」
 煙草の煙とともにナイトホークが言葉を吐く。
 雨音。静かな夜。
 二人が初めて出会った時と同じ夜…。

「『ヨタカ』を引き取りに行ってもらいたい」
 あれはもう何年ぐらい前になるだろうか。まだこの国に自分のような外国人が少なかった頃だから、相当昔の話だ。そのときからジェームズは交渉人をしていた。別にどんな仕事でも良かった。なぜこの仕事を選んだのかと聞かれれば、悠久の時を生きる自分にとってはひとときの交渉が、いい退屈しのぎだったからだ。
 短い人生を生きる人間達の一瞬にだけ手を貸す。そうでもしないと退屈に殺されてしまう。
「『ヨタカ』とはいったいどんなものですか、ミスター?」
「見れば分かる。お前はあの化け物を引き取り、ここに持ってくればいい」
 化け物…という言葉にジェームズはなぜか引っかかりを感じた。いったい何を元に化け物かそうでないかを分けるのだろう。目の前にいる自分だって、彼の目から見れば充分化け物なのに。
「善処しますよ、ミスター。私がその化け物とやらに殺されなければ」
 闇の中に雨が降り、その中を車で走っていく。指定された引き取り場所はある研究所で、時間は真夜中を指定されていた。
 雨にマントが濡れるのを気にしながら、その不気味な研究所のドアをジェームズはそっと開ける
「『ヨタカ』を引き取りに来ました」
 そこにいたのは拘束服を着せられ目隠しと猿ぐつわをされ、床に転がされた長身の男と、白衣を着た男達だった。長身の男は日本人なのだろうか…それにしては肌の色が浅黒い。何とかその場を逃れようとしているのか、必死にもがいてはいるのだが、拘束服がその動きを邪魔している。
 白衣の男達はジェームズを待っていたというように、一様に安心した表情をしていた。
「早くこの化け物を引き取ってください。自我が強すぎて私達ではどうにもならないのです」
 拘束服の男が喉の奥から声を上げ、体を動かす。ジェームズはなぜかその姿に惹かれた。
 何者にも拘束されない夜の闇を飛ぶ夜鷹。交渉という仕事よりも、その生命力に魅せられる。
「化け物を引き取れと言われましても、私に危険が及ぶような物なら困りますね。せめてどのような力なのかを知らないと、私も対処のしようがない」
 ジェームズがそう言うと、白衣の男達は顔を見合わせた後おずおずとこう言った。
「ここで見たことは他言無用で」
「もちろん。取引ですからそれは守りますよ、ミスター」
 何が起こるのかジェームズがじっと見ていると、白衣の男は銃を持ち拘束服の男のこめかみに当て、その引き金をためらいなく何度も引く。
 男は一瞬痙攣した後、動きを止めた。石の床に血が流れ出す。
「ずいぶん乱暴ですね…」
 異変が起こったのはそれからすぐだった。流れ出していたはずの血が止まり、死んでいたはずの男が首をあげた。
「…『ヨタカ』は、私達の研究所で成功した『不老不死』の化け物なのです。どんな死に方をしても、細胞がひとかけらでも残っていれば再生し蘇ってくる…私達は神の禁忌に触れたのです」
 そう言うと白衣の男は拘束服の男の猿ぐつわをといた。すると男は口から銃弾を吐き出し、ジェームズのいる方に向かって声を上げた。
「くそっ!人を物みたいに扱いやがって!撃たれりゃ痛いし、死ぬときは苦しいんだ…これがなければ、お前達も同じ目に遭わせてやるのに!」
 その力強い声。この鳥を籠の中に入れておくのは惜しすぎる。自分と同じ悠久の時を生き延び、どこまでも続く闇夜を彼は飛んでいける。長い時間に退屈することもない。
 ジェームズは思わず言葉を吐いた。マントの下に手を入れ、銃の感触を確かめる。
「夜鷹、私と取引をしないか?」
「何でもいい、助けてくれるならどんな言うことでも聞いてやる!」
 それが合図だった。
 雨音の中に銃声が鳴り、白衣が血に染まる。闇の中で惨劇が繰り広げられる…。

「……あのときクロに助けられなかったら、今頃俺はどうしてたんだろうな」
 煙草はずいぶん短くなっていた。ナイトホークがそれをもみ消し、ブラックルシアンを口にする。
「最初の取引をわざわざ失敗させてまで、何で俺のこと助けたんだ?」
 長い沈黙に雨音が重なる。ゆっくりとブラックルシアンを飲み干して、ジェームズはナイトホークの顔をじっと見た。
「さて、どうしてだろう。籠の中の夜鷹を夜空に放ってみたくなったのか…それともお前に惹かれたのか」
「冗談上手すぎだ…」
 くすっとナイトホークが笑ってカウンターを出た。そして店の看板を「Closed」にして、入り口に鍵をかける。
「あのときの取引はちゃんとクロに実行できてるかな?」
「充分すぎるほど」
 店の灯りがそっと落とされ、ナイトホークがジェームズにグラスを差し出す音が聞こえる。カラン…と氷がぶつかる音。
 雨はきっと朝まで止まないだろう。
 それでもお互い闇夜を飛んでいける。気の遠くなるほどの長い時を退屈することもなくどこまでも泳いでいける。
「ブラックルシアンをどうぞ…クロの気が済むまで」
 闇の中で夜鷹が笑った

                                 fin

◆ライター通信◆
ご指名ありがとうございました、水月小織です。
前回の「マスターの気まぐれ始めました」からのつながりと言うことで、ナイトホークとジェームズさんの出会いを元にしてみました。多分ナイトホークの方がものすごく年下です。
ラストはなんだか意味深になってしまいましたが、そのころからの仲なのだろうということで徐々に「取引」の秘密も明かしていこうかなどと思っています。闇の中で何やってるんですか(笑)
お気に召しましたら、またよろしくお願いいたします。