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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


号鐘は波濤へ誘う

 何かに引かれるように、後押しされるように――後に思えば、そうとしか説明のできない関わり合いだったと榊遠夜は述懐する。
 遠夜にアンティークを集める趣味は無く、店の前を通りがかったのも偶然だった。
 気まぐれに店を開けるアンティークショップ・レンは、行きたいと願って行ける場所ではないらしい。
 好事家のそんな噂を耳にした事はあったが、特に遠夜は気にかける事も無く過ごしてきた。
 だから扉を開けて店内に入っても、遠夜はどこかで居心地の悪さを感じていた。
 店内では紫煙燻らす店主・碧摩蓮以外誰も居ない。
 遠夜が店内を見渡せば、それ自体も年代物の飾り棚の上に、由来もわからない品物がずらりと並んでいる。
 アンティークだという事はわかる。
 だがそういった方面の知識の無い遠夜には強く心惹かれる物でもない。
 ぼんやりと手近な棚から見始めた遠夜の手に、濡れた何かが触れた。
 瞬間、波の音と出航する汽笛の音が耳に響き渡る。
 対岸で船出を見送る人々の顔、顔……白く泡立つ波濤、そして激しく打ち鳴らされる鐘――。
 ぎくりと身体が震え、反射的に手を引いた先に鐘のようなものが置かれていた。
 今水から引き上げられたばかりのように濡れそぼるその表面は、真鍮がまだらに腐食している。
 遠夜に向かって蓮が声をかけた。
「それはマリンベルだよ」
 マリンベル――号鐘とも言われるそれは、さる沈没船から引き上げられた物らしい。
 アンティークなマリンベルは実際に船舶へ取り付けるだけでなく、自宅や会社の玄関ベルとして購入する客もいるようだ。
「……けどねぇ、拭いても拭いてもそいつが濡れっ放しで困ってるのさ。
他の品物も黴ちまうよ、梅雨入りにはまだ早いってのに」
 ふぅ、と煙を吐き蓮は眉を寄せた。
「マリンベルの音が聞こえたんだろ?
だったら十分、あんたは『船にのりかかってる』。
この鐘のいわく、解いてみちゃどうだい?
金なんかじゃ満足できないあんたの好奇心てのを満たしてくれるよ。きっとね」
 好奇心よりも、もっと胸を締め付ける何かが遠夜を突き動かす。
 海にまつわる思い出とは切り離せない妹の姿が、何かを訴えるように遠夜の心に去来する。
 榊紗耶。
 双子の妹は覚めない眠りの中、夢の海原を漂い続けている。 
「そうですね……」
 遠夜は頷きながら再びマリンベルに視線を向けた。


 マリンベルを持ち帰った遠夜は、改めてその表面に浮く水滴に目をこらした。
 材質は真鋳製のようだが、輝きは薄れ、まだらに腐食した表面はどこか海底の植物を思わせた。
 ――曰くを調べろ、か……。
 アンティークショップ・レンで手にしたマリンベルに遠夜が感じたものは、好奇心から来る探求の欲求ではなく、涙を連想させる雫を止めたいと感じたからだ。
 涙を連想してしまうのは、遠夜にとって海と船につながる思い出が決して明るいものではないからかもしれない。
 ――紗耶……。
 双子の妹は海での事故以来病室で眠り続けている。
 数年が流れ、横たわる紗耶の面影が少女から大人びたものへと変化しても、遠夜にとっての紗耶はあどけなさを残したままだった。
 ――紗耶の聞いた鐘の音も、こんな音だったのかな。
 紗耶と父を乗せた船が港を発つ時にも、マリンベルは鳴り響いたはずだった。
 目の前のベルがその船に付けられた同じ鐘のはずはないが、不思議な巡り合わせを遠夜は感じる。
 もしかしたら、この鐘は自分を待っていたのではないか……とすら思えてくる。
 ――買いかぶりすぎだな。
 今はマリンベルを元に戻すのを優先しよう。
 そう考え直しベルにそっと触れると、冷やりとした水の感触が伝わってきた。
 アンティークショップ店内で最初に感じた映像や音は、今は見えない。
 ――どうして、あの時だけ……?
 疑問に思う遠夜のすぐ傍らに、紗耶の意識が寄り添った。
 しかし遠夜は妹の存在に気付く事なく、思考を続けている。
 ――兄さん……。
 霊的に特出した遠夜が繋がりの深い関係である紗耶を感知できないのは、紗耶自身が表に出る事を望んでいないからかもしれない。
 どんなに強く深く遠夜を思っていても、紗耶はそれを押し付けたりはしない。
 いつでも願えば傍に居られる。
 言葉を直接交わす事はなくとも。
 ――そんな顔をしないで、兄さん……。
    私が兄さんの力になるから。
 伏せた瞳を上げた遠夜と紗耶の意識が重なる。
 そして、遠夜は『神霊眼』をマリンベルに向けた。


 『神霊眼』は遠夜の能力で、全ての気の流れを読む。
 流れを読むのみなら陰陽師の誰もが多少持ち合わせた力だが、更に気を自分の意思で行使・使役するのが遠夜だった。
 マリンベルの周りには逆巻く波のような気の流れが感じられた。
 荒々しく全てを飲み込み、形を失わせる荒波。
 神霊眼を通してマリンベルを見る遠夜と、その傍らに佇む紗耶の耳に鐘の音が響く。
 かつて船にあった時と同じ音色でも、それは悲しげに感じられる。
 ――前に聞いた音……でも、もっと悲しい……。
 紗耶は吐き出した息が細かな泡となって水面を目指し上っていくような気がした。
 最後の息が海面に出た時、それは残された者に何を伝えるのだろう。
 瞬間、紗耶の夢を渡る能力が発動する。
 神霊眼を通してマリンベルを見ている遠夜にも、過去の光景は共有の映像となって眼前に広がった。
 遠夜は視界のままならない海中で目をこらした。
 ――沈んでいく船の窓に、誰かが。
 暗い水の奥底に切なさを残した人々の姿が見える。
 息の続かない苦しさはもうその顔から消え、残されているのはただ地上と海底、生と死、二つの世界に分けられた乗客たちの悲しみだけだ。
 それが沈んだ船を満たし、崩れつつも更に重さを増して海の奥底へと降りていく。
 ――船が沈んでいくのは、悲しみが重いからなのかもしれない……。
 ベルから滴る水が、乗せられたテーブルの上を伝い、床に水溜りを作った。
 ごく僅かな音だったが、それが遠夜の意識を現実へと引き戻す。
「……まだ、この鐘は海の底にあるのかもしれないな」
 少しでも彼らの悲しみを癒したいと遠夜は思った。
 それが例え肉体を失い、意思だけが残された過去からの遺物であっても。
 こうしてマリンベルを通して彼らは泣いている。
 鐘は嗚咽を奏でる物ではないのに……。
 ――そうね、私も彼らを……ううん、あの人を思い出させるこの鐘を……ただの鐘に戻してあげたい。
 遠夜の影で紗耶も思った。
 一度は海底の暗さを垣間見た紗耶にとって、乗客たちの苦しみは我が身のように感じられたのだ。
 どうか穏やかに。
 苦しみに苛まれるのはもう終わりにしてあげたい。
 ――……兄さんもそう思ってるわよね?
 返るはずのない言葉をそっと紗耶は呟いた。
 自分自身にしか聞こえない声で。


 マリンベルに手を置き、遠夜は浄化の呪を唱え始めた。
 遠夜は声を出すのがひどく久しぶりのように感じられた。
 ――ついさっき、家に戻ったばかりなのにな。
 それはマリンベルを通して見た光景が、あまりにはっきりとしていたからかもしれない。
 見えるはずのない海底に沈む船の映像と、水の冷たさすら伝わってきたのだ。
 感じた息苦しさを思い返すと、自然と喉元に手が伸びる。
 ――僕にできる事で、少しでも彼らの苦しみが和らぐなら……。
 雨だれのように床に落ちる滴の音に、遠夜の声が低く、穏やかに重なってゆく。
 静寂を破るのではなく、柔らかに満たしていくように。
 辛い記憶の全てをなかった事にはできない。
 それを知っている遠夜だけに、今はただ彼らと、彼らが残してしまった苦しみを取り除きたいと遠夜は思った。
 朗々と呪を詠唱する遠夜の姿を後ろから見守りながら、紗耶も温かな波が自分を包むのを感じていた。
 ――兄さんの願いはきっと伝わるわ……。
 兄は誰よりも優しい人だと紗耶は思っている。
 それは共に死のうと言った父の持つ優しさとは異なっていたけれど。
 全ての人間の望みが叶う世界などないのかもしれない。
 けれど、それでも人は願わずにいられないのだ。
 親しい相手の幸せを。
 ――私も兄さんの平穏を祈っているもの……。
 紗耶はマリンベルに手を置く遠夜の手に、自分のそれを重ねた。
 決して兄には自分の指の温もりは伝わらないだろう。
 兄の温もりがどうしても自分に感じられないように。
 それでもいいと紗耶は思った。
 見返りを求めての願いではないのだから。
 遠夜の口から最後の呪が放たれる。
 語りかけるように続いていた呪が途切れ、ベルからも最後の滴が落ちる。
 その滴が床に落ちた時、一度だけ澄んだ鐘の音が部屋に響いたように遠夜は感じた。
 意識だけの紗耶にはもっと多くの物が聞こえていた。
 旅立ちに浮き立つ心だけを胸に、悲しみから開放されていく人々の喜びの声。
 ――私もそろそろ行くわ、兄さん。
    でも、私はずっと兄さんの傍にいるから……。
 だから一人で悲しみを背負わないで。
 紗耶はそう胸のうちで囁いて、遠夜から離れた。
 夢の中では時間も距離も意味を成さない。
 紗耶は再び眠りの世界へと戻っていった。


 再び訪れたアンティークショップ・レンで、遠夜に碧摩が形の良い眉を上げて見せた。
 機嫌が良いらしい。
 遠夜が差し出したマリンベルを細い指で拭ってにこりと笑みをもらす。
「おや、乾いてるね。
上出来だよ、これなら売り物として十分さ」
 浄化の呪を唱えてより、マリンベルは滴を零すのをやめた。
 難破船の乗客たちは涙を流すのをやめたようだ。
 「それではこれで」と無愛想に去りかけた遠夜に、碧摩は声をかけた。
「また来なよ」
 意味ありげに笑う碧摩を、振り返った遠夜は不思議そうに見返した。
 ――営業スマイル、なのかな……?
 ぺこりと頭を下げてドアを出て行く遠夜を見送ってから、碧摩は呟いた。
「あの子、見えなくても傍から支えてくれてる相手が居るって気付いてるのかね?」
 「ま、野暮な事は口にしない主義だよ」と、碧摩は指でベルを弾けば澄んだ音が店内に響く。
「……曰く付きじゃないってのも、たまにはいいじゃないか」
 アンティークショップ・レンの中では異色の――しかしこの店以外ではありふれた……マリンベルを手に、碧摩は煙管を深く胸に吸い込んだ。

 
(終)

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業 】
【 0642 / 榊・遠夜 / 男性 / 16歳 / 高校生/陰陽師 】
【 1711 / 榊・紗耶 / 女性 / 16歳 / 夢見 】

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■         ライター通信          ■
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榊遠夜様
ご参加ありがとうございます。
しかしPCトラブルのため納品が大変遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
海にまつわる思い出が少しでも悲しみから和らげば、と私も書きながら思いました。
少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。
ご注文ありがとうございました!