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闇を染める光
フィーア・トリスメギストは、目の前の光景を特に驚きもせずに見つめていた。
それなりの腕を持ってはいるが、戦いが得意というわけではないらしい――おっとりとした雰囲気を纏う、けれどその瞳には強い意志を宿していた少女。
くるみ、と呼ばれていたか。
その手にある剣から、黒い光が放たれていた。
剣がその力を発揮したことには少々驚いたけれど、くるみは、その力を使いこなしているようには見えなかった。だからこそ……一刻も早く取り上げなければならないのだが。
くるみのため、などとはカケラも思っていないけれど、フィーアの手に負えるうちに、くるみから剣を取り戻さななければならない。
力に振り回されれば、それは不幸しか呼ばない。マスターの剣を、そんなふうにさせてはいけない。感情で、と言うにはあまりにも冷静に、フィーアは静かに胸の内でだけ呟いた。
そうしてフィーアは次の瞬間には、くるみの前へと躍り出ていた。遠目に見てもすぐにわかる――シンプルな形状から凶悪な棘々しい風貌に変化し、黒く染まった刀身。赤い宝玉はその赤みを増して、まるで血のような色だった。
「やはり……Answerer……」
それは確かに、ずっと探していた剣だ。見間違えるはずもない。
遠い昔、マスターが生きていた頃。在りし日のマスターが携えた、剣。
……ふいに。
くるみがゆっくりと膝を伸ばした。背筋を伸ばし、しっかりと剣を握って立ち上がった。
その向こうには、銀の毛並みを持つ少女が倒れている。
ユメと呼ばれていた少女。狼の力を持つ少女は、先ほど地面に叩きつけたダメージが効いたのか、まだ動く気配はなかった。
闇よりも暗く。宇宙(そら)よりも黒く。果てのない漆黒の淵を思わせる黒い色を持った剣は、どこか禍々しい気配を纏い、くるみの手に収まっている。
くるみは、無言だった。
表情もさっきまでとはまるで違う。
ただ静かに剣を構えて、フィーアの前に立ちふさがる。
くるみはまだ気絶しているユメを一瞥し、そして、フィーアへと視線を戻した。
瞳に宿るは鋭い光。そこに在るのは、怒りか、それとも別の何かの感情か。少なくとも、フィーアはその瞳から何かを感じ取ることはできなかった。
代わりにフィーアは、大地を蹴る。
鋭い視線で睨み付けられて、フィーアは瞬間的に悟ったのだ。
このままでは、いけない。こちらから撃って出なければ!
それは直感だった。
戦いの本能、もしくは、これまでの戦いで培ってきた経験というべきか。そんなものに突き動かされ、フィーアは足を踏み出した。
一足飛びにくるみの目の前まで迫り、剣を振る。
夕闇の空を高い剣戟の音が抜けていく。
右へ、左へ。時に、フェイントを交えて。
そのすべてを、くるみはタイミングを外すことなく受けきった。
「…………」
表情にこそ出さなかったが、フィーアは内心驚愕していた。
こちらはくるみ、ユメと二人を連続して相手にしたあとで消耗している。くるみは、今のフィーアほどには消耗していないはずだ。
そのハンデは、確かにある。
けれど……最初の戦い。あの時点では、くるみがフィーアに勝てるはずはなかったのだ。
どんなにハンデがあろうとも、それを覆せる――逆に言えば、どんなハンデがあっても覆せないほどの実力の差が、二人の間には確かに存在していた。
だが、今。二人の実力は逆転……いや、逆転とまでは言うまい。しかし、埋められるはずのない深い深い実力の差が、今。拮抗してしまっている。
何度仕掛けても、変わらなかった。
どんなにフェイントを入れても、どんな複雑な動きにも。くるみは見事についてきた。そのすべてを見切り、裁いていた。
「くっ……」
フィーアの中に焦りの感情が生まれる。
――全力でいかねば殺られる!!
……やっと、ここまできたのだ。
失われたマスターの剣を探して世界を巡った。長い、とても長い間旅をしてきた。
アテのない。信憑性のない噂や伝承だけを頼りに、少しずつ、近づいてきた。
大切な、大切な。マスターの剣。
それをやっと、見つけたのだ。
ここで引き下がるわけにはいかない。
目の前に在る自身の剣とくるみの――いや、マスターの剣。打ち合わせたまま力の押し合いをしていたそこから、フィーアは大きく後ろに下がった。
くるみは、その場に立ち尽くしたまま動かない。
十分な間合いをとり、それからフィーアは自身の剣に意識を向けた。もちろん、くるみの動向からも意識を逸らしたりはしない。
「Requiem!」
叫びとともに、力が剣へと注ぎ込まれる。
フィーアの体を巡っていた力が剣へと移動し、剣が淡く光を放ち始めた。
赤い夕闇から、藍色の夜の闇へ。モノクロームの世界が光に照らされ、色を取り戻す。
灰色の校舎、緑の植木、白いサッカーゴール。
最初は弱く。けれど光は少しずつ、強さを増した。
その間もくるみは動かない。じっと佇み、だらりと剣を下げたまま。ただ、前方を――フィーアを、見つめていた。
くるみが何を考えているのか知らないが――あるいは彼女は、力に我を見失っているのかもしれない――フィーアは手加減などする気はなかった。
地水火風、四大元素と呼ばれるものの全てが剣の内部で集まり、絡み合いながらひとつの力へと圧縮されていく。
そして。
力の圧縮が一点へと辿り着いたその瞬間。
剣は煌々と輝き、周囲が光で白く染まる。生まれ出でた強い光は剣の切っ先で一時姿を留めて、そして、打ち出された。その切っ先の向かうところには、くるみ。
迫る力の奔流にも、くるみはまったく動じなかった。その場から動かず、どこかうつろな瞳で。
そっと、唇が動く。
まるで何かに操られたかのように。……少なくとも、Answererがその本来の姿を見せていない時の彼女でとはあまりにも印象が違いすぎる。
淡々と、ひそやかに。唇が言葉を紡ぎ出す。
「Bestehenablehnung…」
剣に飾られた赤い宝玉が、輝きだした。白い光も飲み込んで、宝玉の光はどこまでも赤く、広がっていく。
赤いそれはくるみを中心にその周囲へと広がり、景色までもを歪めていった――比喩などではなく。
光の屈折率が変わったのだろうか?
フィーアの目に映る風景は確かに、正常ではなく、揺らいでいた。
次の瞬間。
広がる。
なにかが、くるみを中心として。
光に引きずられたかのように、何かの力が発生した。
フィーアが発射した光が、唐突に、消えた。赤い光に飲まれ染められていたのとはまったく違う。力そのものが一瞬で消滅したのだ。
「っ!?」
咄嗟に、フィーアは大きく後ろに飛びのいた。
フィーアが攻撃として放った光だけではない。
ほんの一瞬前までいた大地も。近くにあった木の枝も。
全てが目に見えないほどの細かな粒子へと変換されて、剣の中へ吸い込まれていった。
一秒にも満たない短い時間。
けれどその一瞬が、とても、長く、感じた。
光が消えて、周囲に夜の闇と静寂が戻ってくる。
そこに残っていたのは、ざっくりと丸く切り取ったような、大きなクレーター。その中心に無傷で立つ、少女――剣を携えた、くるみ。
その、光景。
まるで現実感を伴わない、その光景に。
フィーアは、体中から力が抜けていくような気がした。
想像すらしていなかった、強大な力。その現実を愕然と目を見開いて見つめ……フィーアは、足元の大地に膝をついた。
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