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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


〜6月の花嫁〜 前編


 ジューン・ブライド。
 直訳すれば、文字通り6月の花嫁となる。「6月に結婚した花嫁は幸せになれる」という、もともとは欧州周辺からの伝承が由来だとされる。その由来には諸説ある。
 6月、すなわち『June』という月名がローマ神話の結婚をつかさどる女神・ジューノ『Juno』からきているため、婚姻と女性の権利を守護するこの女神の月に結婚すれば、きっと花嫁は幸せになるだろう、とする説。
 二つめは、その昔、ヨーロッパでは3〜5月の3ヵ月間は結婚することが禁止されていたらしく、6月は結婚が解禁になる月であるため、いっせいにカップルたちが結婚し、 周りの人達からの祝福も最も多い月だった、とする説。
 三つめは、ヨーロッパの6月は1年中で最も雨が少なく良い天気が続くため、季節的環境がベストな月であり、加えて復活祭も行われる時期であることからヨーロッパ全体が祝福ムードで溢れ、6月の花嫁は幸せになれる、とする説。
――だーから。それはヨーロッパでの話し、なんだろが。
 草間興信所の所長である草間武彦は、ソファに座り腕組みしながら窓の外を見ていた。
 昨夜から降り続いている霧雨は、まだ止む気配がない。
 草間興信所‥‥東京の片隅にひっそりと存在しているそこを知る者はそう多くない。それは、愛想のない鉄筋作りの古い雑居ビルの一室に居を構えていた。しがない探偵・草間武彦と、探偵見習いであり妹である草間零が細々と経営している興信所だ。ただ、客と金以外の出入りは多い。そこは武彦の人徳の賜物、と云うべきだろうか。
 草間の目の前には、依頼人・藤崎玖美(フジサキ・クミ)と名乗る女性が座っていた。烏の濡れ羽色のような黒髪をサイドアップに結い、黒に近い深い紫のロングワンピースに同色のボレロを羽織っている。そのしっとりした風貌や服装から、見ようによっては20代後半にも感じられた。玖美はポツリポツリとしか喋らないため、時間を持て余した草間は時折窓の外を眺めていた。
 依頼人の姉・葉月(ハヅキ)は結婚を控えていたが、式当日彼女は式場に現れなかった。それ以降、彼女の消息は途絶えているのだという。当時、周辺での事故や事件などの報告は特にない。
「で、消息を絶ったのはいつなんですか?」
 玖美に断りを入れてから煙草に火を付ける。草間は『単なるマリッジブルーだったんじゃないのか』と考えた。紫煙で肺を満たし、一呼吸、やがて色を変えたそれが部屋の中に放たれる。灰皿の中に灰を落とした頃、玖美は口を開いてこう告げた。
「‥‥四年、前です」
「‥‥‥‥は?」
――四日前、の間違いでは?
 間の抜けた草間の声に、玖美はもう一度。
「ですから、四年前です」
「‥‥仮に、お姉さんが蒸発したとしましょう。何故、今頃になって探そうとお思いになったのですか?」
 それが常人の至極もっともな反応である、と草間は思う。
「それは‥‥」
 玖美がここへ来るきっかけとなる出来事を、彼女はとつとつと語り始めた。

 東京都狭間区の中心街『あわい』は、都心の割りに緑の多い地域である。
 あわい駅を基点とし、南側は十代が好みそうなファッションを取り扱う店舗や遊戯施設が軒を連ね、北側は齢数百年を越える樹木が溢れる渓谷が広がっている。渓谷周辺は都が管理する公園になっており、その公園を借景にした『ホテル・メリディアン』は渓谷の奥に建っていた。宿泊施設はもとより、敷地内に独立したチャペルや小さなコンサートホール等を保有している複合型ホテルである。
 草間もこの式場のことは知っている。ただ結婚式場にも「流行」というものがあり、メリディアンがもてはやされていたのはせいぜい数年前までだったと記憶している。そう、単なる流行でこの式場の名を聞かなくなったものだとばかり思っていた。
 実際は、ネットでもっぱらの噂だったらしい。
 その噂というのは、御多分に洩れず「たびたび怪奇現象が見受けられるようになった」というものだ。
 鏡にナニかが映っていただの、料理が一人分多くセッティングされるだの、夜な夜なたくさんの人影が蠢いているだの。ネットをよくよく調べてみると、その人影のひとつが姉・葉月の特徴と一致するのだという。
「特徴? 何か特別なことでもあったんですか、書き込まれた噂だけでお姉さんを判別できるなにかが」
「着る筈だったウェディングドレス、当時ではまだ珍しいミニスカートタイプだったんです。それと‥‥」
 玖美はスッと左目の下を指差した。
「 泣 き ぼ く ろ 」


『兄さんが、おかしいんです』
 それは、零から掛かってきた一本の電話から始まった。
 切羽詰った零の声を聞き付け、シュライン・エマが取材先から興信所へ戻ってきてみれば、そこには興信所では顔馴染みの雷火が立っていた。そしてその隣に泣きそうな顔をした零が弱弱しく立っている。見知った顔のシュラインに気付いた零が、シュラインに駆け寄ってきた。
「シュラインさん‥‥兄さんが、兄さんがおかしいんです」
「あー‥。武彦がおかしいのは、いつものことなんだけど」
 腕にしがみ付いてきた零の頭を撫で、シュラインは雷火を冷ややかに一瞥する。
「‥‥ゴメン。なんでも、昨日やってきた依頼人が帰ってから、この通りらしくてね」
 ほら、と避けた雷火のその奥には、いつものようにチェアに腰掛けている草間の姿があった。
 しかし、その姿には違和感がある。
 興信所事務員であり恋仲でもあるはずのシュラインが戻ってきたというのに、草間は全く無反応でこちらを見ようともしない。ぼぅっと誰も居ない宙を眺めていた。
「武彦、さん?」
 零の肩を撫でて自分の腕から外し、シュラインは草間の前に跪く。草間の顔を覗き込み、その表情を窺がった。草間の額に手を当て熱を測ったり、瞳の前で手を振って目や瞳孔の動きを見る。反応が全くないわけではないようだが、明らかに通常の生体反応レベルを下回っている。シュラインの顔が苦悶に歪む。そのシュラインの姿を見、零はじんわりと涙を浮かべた。
「‥‥具合が悪い、というわけじゃなさそうね。何があったの?」
 ぽろぽろ涙をこぼし泣きじゃくる零をなだめ、シュラインたちが何とか情報を聞き出せたのはそれから三時間ほど経ったあとのことだ。
 翌日。
「依頼のことは判ったが、それで何故草間がああなる?」
 ソファに座り脚を組んだ、黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)は苦々しい表情をする。ダークカラーの細身のパンツスーツを着込み、そのダークに負けないみどりの黒い長髪をかき上げた。
――理屈が通らぬが、解決を望まぬ霊にでも魂を抜かれたか?
「まぁ、怪奇探偵の異名を持つ武彦のことですから。またなにか"呼んで"しまったんでしょう」
「どうぞ」と冥月と雷火の前に、ジェームズ・ブラックマンはウェイターよろしく恭しい動作で珈琲を置いた。名の冠す通り黒いスーツを身に纏った黒の貴公子は、二人の前に腰掛けた。
 奥の部屋からシュライン・エマと零が戻ってくる。奥の部屋には当然、草間武彦が寝かされていた。後ろ手に扉を閉め、シュラインは溜息を付いた。シックな色合いのシャツの襟を立てたシュラインは、昨夜興信所へ戻ってきた姿のままだ。あれから草間に付きっ切りで依頼人やその依頼内容を辛抱強く尋ねたり、食事など可能かどうか試していたのだ。
「液体は口に含んでくれるみたいだけど、固形はダメね。長期になると、武彦さんの身体が心配だわ‥‥」
「そうですか。あとで医者を呼んで点滴をお願いしましょう。このままでは貴女の身体も心配です、シュライン」
 ブラックマンは用意していたホットミルクをシュラインに手渡した。
 零をなだめ収集した情報と、草間が書き残していた"調査票"という名のなぐり書きのメモを照らし合わせ、集まった者たちは思案していた。
「依頼人の姉・葉月さんが失踪したのが4年前、21歳の時ね。そのとき玖美さんは20歳。式自体は8月だったみたい」
 草間の悪筆をシュラインは読み上げる。珈琲を啜りながら、雷火はそのメモを背後から取り上げた。
「‥‥よく読めるね、コレ。それにしても、6月だって雨が降って面倒なのに、なんで8月なんだろうね?」
 暑いよ、という雷火の一言に、シュライン、冥月、そして零もジトーッと彼を睨んだ。
――オンナゴコロを分かってない‥‥。
「金髪。お前、実は女にモテないだろう?」
 冥月の言葉に、雷火はニッコリ微笑みながら、
「御陰様で。‥‥8月31日? へぇ、誕生日に式挙げるんだったんだ、彼女」
「ジューン・ブライドの他には、相手の‥女性の誕生日に入籍したり式を挙げたりというのは多いでしょう。世の男共はそういった"イベントごと"を総じて忘れ易いものですから、記念日を一緒にしたがるきらいは多いようですよ」
 そう云って、くすくす笑いながらブラックマンは口元に手をやった。
「文字を追うだけじゃ分かり辛いわね。私たちだけじゃ、式場で見掛けたっていわれる人影と葉月さんの照合も難しいし‥‥」
 もう少し調べる必要がありそうだわ、と返されたメモを見ながらシュラインはまた溜息を付く。
「霊として出た理由は、過去にここで殺され埋められたとか、数年経て何か訴えたいキッカケが起き出てきたというのが一番分かり易いな」
「でも。まだ亡くなっているとは、限りませんし‥‥」
 消え入りそうな声で、冥月の隣に座っている零が答えた。
「まぁ、それはそうだが‥‥。死んで霊として出てきた、と考えるのが一番自然で分かり易いだろう。それとも、生霊なのか?」
 腕組みをし、冥月は唸る。キッチンにカップを置きながら雷火は、
「データ収集と整理の必要アリって感じ? そしたらオレ、店に戻ってノート持ってくる。武彦のは使い辛いからね」
「それでは、一度仕切り直しということで。私は医者を連れてきます。なに、仕事仲間ですから彼は何も問いませんよ」
「私は‥」
「シュラインさんはお風呂に入って少し休んでください、全然寝てないから‥‥」
「‥‥そう、そうね。ありがと、零ちゃん」
 各々、思うところがありながら席を立った。
 興信所からの階段を下りすがら、ブラックマンは冥月の腕を取る。
「冥月。多分貴女は式場を‥‥影、で調査するつもりだろうが、単独行動は慎んだ方がいい。邪悪な気配がする」
「‥‥邪悪な気配だと? 馬鹿な、貴様の存在そのものが邪悪ではないか。離せ」
 強引に腕を引き、ブラックマンの腕を振り払う。
「私は好きにやる」
「‥‥分かりました。忠告は、しましたよ?」
 長い髪をなびかせながら、冥月は階段を下っていく。ブラックマンは、その後ろ姿を無言で見送った。
 あの霧雨は、まだ止んでいない。

 ブラックマンは医者を連れ(腕は確かです、問題ありません)、雷火は例の噂をあらかた収集し整理して(まぁ、噂って云っても実際はトイレのラクガキみたいなものだよ?)興信所へ戻ってきた。シュラインもシャワーを浴び、少しは仮眠を取ったようだ。冥月の姿は見えなかったが、彼女は彼女なりに考えての行動だろう。
 応接セットの長椅子を陣取り、ブラックマンと雷火はノートパソコンを挟んで座っていた。
「このテの話しって結構あるんだよね。だから彼女が、玖美さんがなにを見てそれを葉月さんだと思ったのかは解らないけど」
「結婚式会場なんて、良くても歪んだ羨望、悪くて妬みと嫉妬という女性の負の愛憎が渦巻いているんですよ」
「ジェームズさん、しっかり・聞・こ・え・て・ま・す」と、零は半眼でブラックマンの肩を叩く。
「玖美さんが云っていた『ミニスカートのウェディングドレス』と『泣きぼくろの花嫁』で引っ掛かるネタって結構あるよ。それにさ、今じゃ珍しくないでしょ?ミニのドレスとか。古いアーカイブを漁ってキーワードが合致しても、それが即葉月さんに繋がるとは考えにくい。全てがアーカイブになってる訳じゃないしね」
「‥‥依頼人が何かしら事情を知っている、と考える方が正しいようですね」
 顎を撫でながら、ブラックマンは自席で電話を掛けているシュラインを横目に見た。
「ダメね、繋がらない」
 シュラインは依頼人・玖美の携帯電話に何度か電話を掛けているのだが、一向に繋がる気配がない。
 玖美の連絡先のほか、書き留められているのは依頼人たちの実家と思われる住所。まだ午後の早い時間、神奈川県西部だったら日帰りできる距離だ。家族とコンタクトを取り、写真の入手や葉月と玖美について確認したい。そして、ホテル・メリディアン。こちらも赴き、当時働いていた従業員などが居れば尋ねたいこともある。アポが取れるのなら、支配人にも聞き込みをしたいところだ。シュラインは草間のメモを見詰めながら、悶々と考える。
「シュライン」
 呼び掛けにハッと顔を上げると、ブラックマンが傍らに立っていた。
「考えていることは、大体想像が付きます。でも、貴女の身体はひとつしかないでしょう? 貴女が東京に残ってホテルを当たってください。都内だったら武彦に何かあってもすぐ戻ってこれるでしょうから、ね」
「‥‥分かったわ、そうさせてもらう」
 草間のメモから、実家の住所を流れるような美しい筆跡で書き起こす。ブラックマンに手渡しながら、シュラインはようやく微笑んだ。

 白王社(実際にはアトラス編集部)のネームバリューを利用し、ホテル・メリディアンへの取材アポを取り付けた。写真を掲載しないこと、ホテル名や近辺の固有名詞等は出さないことを条件に、碇麗香が掛け合ってくれたのだ。麗香は「ほかにもなにか手伝えることあったら云いなさい」と電話口で云っていた。ありがたいわ、シュライン・エマは回線の途切れた携帯電話の画面をしばらく眺めていた。
「じゃ、行ってくるわ。なにかあったら連絡お願いね」
 草間興信所に残る雷火と零に武彦を託し、シュラインはホテル・メリディアンを目指した。

 東京都狭間区あわい。
「あわい」は、古くは「亜歪」と記されていた。字面から「隣接するが互いに感知できない平行世界、そこを歪める」と考えられ、相応しくないとのことで平仮名で表記するようになったらしい。
 人が集まる街であるから、トラブルは尽きないといえばそれまでだ。しかし、緩いカーブなのに何故か事故を起こす「魔の曲線」、新月のときに数えると段数が増える「無限階段の坂」、挙げればきりがないほどこの街には曰くの場所が多くある。何の因果か、これから向かうホテル・メリディアンもその狭間区あわいに存在しているのだった。
「白王社から参りました、シュライン・エマと申します。本日午後4時から、支配人様との面会をお願いしているのですが」
 フロントを訪ねるよう指定されたため、シュラインは受付客が途切れるのを待って声を掛ける。最初はにこやかな笑顔を湛えていた女性がその言葉を聞いた途端、シュラインを物色するような不躾な視線を投げ掛けていた。
(‥‥あんまり、歓迎はされてなさそうね)
 従業員用通路は曲がりくねり、小さな階段を上へ下へと進む。自分がホテルのどの辺りにいるのか、既にシュラインには分からなかった。「こちらでお待ち下さい」と女性は云い、応接室とプレートに書かれた部屋へ通された。
 程なく初老の男性、支配人が現れる。髪は白髪、整えられた髭にもその白は混じっている。背をピンと伸ばし、ダークグレーのスーツを着込んだ姿は、さながら屋敷の執事のような風貌だ。シュラインは「白王社のシュライン・エマです」と会釈をした。
「ホテル・メリディアン支配人、近藤です」
 近藤は優雅な手付きでソファを指し「お座り下さい」と品の良い微笑みを浮かべていた。
 今回の件に関し藤崎玖美から依頼があった旨を近藤に告げる。そうですか、と近藤は瞳を細めた。名指しで依頼人の名を告げることには抵抗がある(当然だ、探偵業の守秘義務に反する)が、彼女と連絡が付かない今、のらりくらりと聴いている訳にはいかなかった。
「通常、お客様の情報を部外者の‥いいえ、内部の者同士だったとしてもそうですが、お話しすることはできません。それは、ご理解頂けますよね?」
「ええ、承知しております。ですから、わたくしは『玖美』さんの件でお伺いしました。雑談でしたら、構いませんでしょう?」
 膝の上で左右の指を組んでいた近藤は、ふぅ、と溜息をついた。
「近藤さん。私は最初からこの件を記事にするつもりはありません。名目上白王社を使いましたが、そうでもしないと会って頂けませんでしたよね。あ、でも白王社から来たことは嘘ではありません。実際にお仕事はさせて頂いてますから‥‥」
 何故か余計なことまで喋ってしまう‥‥。語尾を小さくしながら、シュラインは手元の手帳に視線を落とした。
「なにか。急いでいらっしゃる理由が、おありなのですね?」
 シュラインの様子に、肩を竦めながら近藤は少し困ったような顔をする。
「‥‥ホテルのお噂をウェブで拝見いたしました。玖美さんはその噂のひとつ‥夜な夜なたくさんの人影が蠢いている、というものですが。そこで目撃された影のひとつが姉の葉月さんに似ている、といらっしゃったのです。白王社ではなくこちらに、ですが」
「草間興信所」の肩書きが入った名刺をシュラインは近藤に差し出した。近藤はその名刺を両手で受け取り、内容を確認する。
「こちらからいらしたのですね。お噂はかねがね‥‥」
 近藤はにっこり笑った。その「噂」は「どの噂」だろうか、シュラインは上目遣いで曖昧な微笑を返した。
「では、こうしましょう。改めて私どもから、草間探偵に『噂の真相を究明する』ことを依頼させていただきます。そうすればお互い、お客様に角が立つことはございませんね? 私ももうこのホテルに就いて長いですから、ホテルが寂れていくことが寂しいのです」
 細い目をさらに細め、近藤は右手を差し出した。

 藤崎葉月が式を挙げようとしていた時期から働いている者は、あまり残っていないらしい。度重なる怪奇現象があり従業員が辞めていったことが尤もな理由だが、もともとブライダル部門は外部業者が多く出入りしている。牧師もヘアメイクも花屋も、全て外注だ。近藤が連絡の付きそうな業者に話しを聞き、報告してくれると云っていた。本当は直接聞き込みをしたかったのだが「新婦が式をドタキャンしたあげく失踪」という事柄に、口を閉ざすのだという。
 報告を待つあいだ、シュラインはチャペルの様子を見に行くことにする。鍵は、近藤から預かっていた。


 ジェームズ・ブラックマンの運転する車が狭間区に差し掛かる頃、時刻は既に20時を回っていた。雨でスリップした事故車両を起因とした車線規制、夕刻の帰宅ラッシュなど、いくつかの要因が重なりかなりのロスタイムだ。相変わらずシュライン・エマの携帯は繋がらない。彼女のことだ、きっと何か掴んでいるのだろう、ブラックマンはホテル・メリディアンを目指す。
 国道から、ホテル専用の細道へと入る。昼間であれば、きっと新緑が美しいはずだ。陽の沈んだこの時間では、鬱葱とした深い森の様子は不気味だった。車のヘッドライトと点在した外灯が点っていなければ、一面闇に覆われてしまいそうだ。
 駐車場に愛車を停め、ホテルのフロントは通らずチャペルへ直行する。フロントでシュラインの来訪を確認しても良かったが、そういった情報を教えてはくれないな、とブラックマンは思う。ホテルから少々距離を置いた位置にそれは建っていた。基本的に式の挙行がない限り、チャペルは閉鎖されているのだ。外灯以外、照明設備は機能していない。夜目は利くほうだが、念のため車に設置されている緊急用懐中電灯を点灯させる。その方が、誰か居たときにこちらの存在に気付き易いだろう。
 チャペルの正面、白い格子の扉が僅かに開いている。ブラックマンはその格子をくぐり、チャペルの入口へと歩みを進める。そこには、同じように懐中電灯を持ったシュラインが立っていた。
「よかった、貴方なのね。誰かと思ったわ」
「独りですか?」
 ええ、と答えながらシュラインは支配人から預かった鍵をチラつかせた。

 お互い、これまでの収獲を報告し合う。
「‥‥そう、これが」
 懐中電灯のあかりを写真に向け、シュラインはそこに写っている風貌を確認する。
「昔の写真しかありませんが、あまり極端な変化がないでしょう? 幼少の頃から顔立ちがはっきりしていたようなので、あとは想像で」
「フフッ‥‥女は結構化けるのよ? でも、写真が手に入ったからこれで少しは進展しそう。お疲れさま」
「手厳しいですね。では、入りますか?中に」
 零から聞いた彼女の様子から一時はどうなることかと思ったが、ブラックマンが見る限り、彼女はいつものシュラインだった。仕事仲間の医者には、暇を見て草間の様子を確認に行くよう頼んだ。そして、興信所には零と雷火が残っている。草間の肉体的な問題はこれでほぼクリアすることができている筈だ。
――残るは、精神(ココロ)のほうですね。
 シュラインはチャペルの扉の鍵穴に鍵を差し込む。カチャリ、と小さな音が響く。
 ブラックマンは重い白いそれを観音開きでゆっくり開く。ギギギ、と耳障りな音が響く。
 中は天窓の光り取りから注ぐ僅かな明るさしかない。つまり、月光の恩恵を受けない今日のような雨の日の室内はとても暗い。懐中電灯で辺りを照らしてみる。室内が荒れている様子もないし、不審な人物もいない。それは、シュラインが昼間見た光景と別段変わった様子はなかった。敢えて挙げるとすれば、視力という五感の一部が遮られている分ほかの感覚が研ぎ澄まされる。カビ臭い、どんよりと澱んだ空気。
 実際、空気だけではなくその場は澱んでいた。
 歪んだ羨望、妬みと嫉妬、諦め。この敷地内に入ったときから、ブラックマンは居心地の悪さを感じていた。人ならざぬ存在の自分とはまた異なる、別の負の思念。
「――困りましたね」
「どうしたの? ジェームズ」
「確かにナニかはいますね。ここで直接どうこうした挙句命を落として霊に‥‥などといった単純なものではなさそうです」
「なにか、視えるの?」
 ひとつひとつは小さなものでも、年月を経て負の思念は大きな魔物になっている。そして、魔物は周りの弱い霊も引き寄せているのだろう。渓(たに)だけに、這い出すことも叶わないのか。
 自分ひとりだったら『闇の眷属』としての能力を行使するのもいいだろう。だが、そういった力はあまり人前で使いたくない。
「少々歩が悪そうです。貴女はここを出たほうがいい、シュライン。‥‥シュライン?」
 ブラックマンが振り向くと、シュラインは膝を付いて苦悶の表情を浮かべていた。
「どうしたんです、大丈夫ですか!?」
 素早く駆け寄り、ブラックマンはシュラインの肩を揺する。シュラインの顔は蒼白で、こめかみの辺りがひどく汗ばんでいた。
 合ったその目は語っている。『何故、貴方は動けるのか』と。
 その言葉に、ブラックマンは息をのむ。『コレは、違う』と直感した。
 シュラインをその場に残し、チャペルを出る。辺りを見回すがこちらには目標物は居ないらしい。裏か、ブラックマンは建物の後方へ回り込んだ。
 そこには、果たして黒・冥月が立っていた。
 ぐらり‥と冥月の身体が揺れる。ブラックマンは、倒れる冥月の肩を抱きとめた。
「冥月! やはり貴女でしたか」
「‥‥触、る・な。少し疲れただけだ‥‥」
 ブラックマンの腕を押しのけて、冥月は立ち上がる。
「先程の影の乱れは貴女の力のせい、ですね?」
「数数えてた。お前たちも中に居たようだな、あとから気付いた」
 額の汗を拭いながら、冥月はチャペルの正面へと歩く。その後ろ姿を見ながらブラックマンは、
「貴女は、あの異質なモノに気が付いたのですか‥‥?」
「あのモヤモヤした塊のこと云ってるのか? だったら、認識してる」
 振り向きもせずに冥月は手をひらひらと振った。

「吃驚した。あれはあなたの影の力のせいだったのね」
 三人はブラックマンの車で草間興信所へ戻ってきていた。
 珍しくソファに深く腰掛け、零から渡されたホットタオルで目を覆いながらシュラインはぐったりとしていた。
「まぁ、その、悪かった、な‥‥」
 ばつが悪そうに語尾を小さくしながら、冥月は背もたれに腕を広げて掛け、天井を見上げている。
「いずれにしても、体制を立て直したほうが良いようでしたから。今日は退いて正解でしょう」
 シュラインのメモを読みながら、少し困ったように眉を寄せブラックマンは肩を竦める。
「葉月さんを‥‥武彦さんも確認したかったけど、チャペルの中の状況は、以前と変化していると考えたほうがいいのかしら」
「友好的ではなかった、それだけです」
「皆さん、お疲れみたいですね‥‥。何か食べますか?」
 草間のいる部屋から戻ってきた零が皆の顔を見回した。そして、テーブルに置かれた写真に手を伸ばし、零は写真を捲りながら、
「あ、コレ‥‥玖美さんですか?」
「‥‥いいえ。葉月さん、の筈ですが」
「ご姉妹だからですかね、玖美さんにそっくりです」
 首を傾げながら零はシュラインの横に腰掛けた。零から写真を受け取り、シュラインはもう一度写真を確認する。
「さっきは暗かったせい、かしら。この写真、独りじゃない‥‥? これとこれ、ひょっとしたら違う人物なのかしら?」
 テーブルの上に写真を並べる。シュラインは写真で二つの山を作った。ブラックマンも写真を手に取り確認する。ハッと顔を上げ、シュラインを見る。
「古い写真なので、汚れなのかと思っていたのですが。これは、泣きぼくろですね」
 写真の山の一つ、零が玖美だといった写真を指差しブラックマンは唸る。
「泣きぼくろがあるのは姉の葉月さん、よね?」
「見れば見るほどそっくりでしたよ? うり二つ」

 零の言葉に、シュラインとブラックマンは顔を見合わせ、そして冥月は目を閉じながら三人の会話を聞いていた。
――本当は一体誰が依頼者なのか、確認する必要がありそうだ。

 あの霧雨は、まだ止んでいない。


      前編【 了 】


_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 登場人物 _/_/_/_/_/_/_/_/_/

【 0086 】 シュライン・エマ | 女性 | 26歳 | 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
【 2778 】 黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)| 女性 | 20歳 | 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
【 5128 】 ジェームズ・ブラックマン | 男性 | 666歳 | 交渉人 & ??
 ※PC整理番号順

【 NPC 】  雷火 | 男性 | 28歳 | 情報屋
【 NPC 】  草間・武彦 | 男性 | 30歳 | 草間興信所所長、探偵
【 NPC 】  草間・零 | 女性 | ? | 草間興信所の探偵見習い

【 NPC 】  藤崎・葉月(フジサキ・ハヅキ)| 女性 | 享年21歳 | 玖美の姉
【 NPC 】  藤崎・玖美(フジサキ・クミ)| 女性 | 24歳 | 依頼人、葉月の妹

_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ひとこと _/_/_/_/_/_/_/_/_/

こんにちは、担当WRの四月一日。(ワタヌキ)です。
不慮のアクシデントとはいえ、お待たせしてしまい大変申し訳ありませんでした。

真相のヒントとなるものを、散りばめさせてみました。次回プレイングにお役立てください。
それぞれ個別部分がございますので、お時間があれば他の方のノベルも参照なさってみてください。それで半分ぐらいバレちゃっている気も致しますが(汗
次回ご参加もお待ちしております。

参考にした土地や固有名詞はありますが、実在のものと関係・関連はございません。

【シュライン・エマ様】
 調査時間の関係上、サポートを申し出ていたブラックマン様に手伝っていただきました。的確な指示をありがとうございます。
【黒・冥月様】
 事前調査のプレイングがなかった為、他のお二人に比べると若干短めとなっております。予めご了承下さい。
【ジェームズ・ブラックマン様】
 サポート、応戦・援護を申し出ていただいた為、他のお二人を支えることができたようです。お疲れ様です。


2006-06-10 四月一日。