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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


『ジャージー・デビル』



■依頼

 紅瞳に鹿毛の馬体と頭、蹄のついた二本足で直立し、前足には鋭い鍵爪、しゅるりと長い尻尾…何より狂っているのは、背中に生えた巨大なこうもりの羽…
「…で、何なんだよ、この怪物は…」
 額にしわを寄せ、草間・武彦が写真を覗き込む。
「ジャージー・デビル」
 写真を持ってきた男は、机の上で腕を組み、そう呟いた。
「元々、アメリカはニュージャージー州に現れたUMA…または都市伝説だ。それが、何故かはわからないが、この近辺に現れた」
「先に言っておくが、うちは興信所だ。こういう事件は…」
「先日、この近辺で女性が一人殺された。こいつに頚動脈を掻っ切られて。君の知り合いにも、いつか危害が及ぶかも知れんぞ」
「…あのな、そりゃ俺も避けたいところだが、俺に何が出来ると?俺は化け物退治の専門家じゃ…」
「君に直接戦えとは言っていない。ツテを使って、コイツをどうにかしてほしい」
 男は立ち上がり、有無を言わせぬ口調で言った。
「コイツは名前通り、悪魔の一種と噂されている。悪魔祓いや霊媒、聖書の文句や十字架、銀製品やニンニク、塩を撒くのも効くかもしれん。夜にしか出ないとも聞くから、明かりが苦手かもしれん。だが倒す方法などないのかもしれん」
「かもしれん、じゃないぜ…要はなんの確証もないんだろうが」
「その通り。確証があるのはコイツが残忍で凶暴な奴であるってことだけだ。方法も人選も君に任せる。どうにかしてくれ」
 彼はそれだけ言うと、重みのある封筒を投げて寄越してドアへ向かった。草間の制止も聞かずに。
 草間はしばらく苦々しげに封筒の中の札束を数えていたが、やがて一言唸った。
「経費を多めに請求してやるぞ、畜生め…」


■調査開始

「…で、私たちが呼ばれたわけか。まあ、それはわかったが…」
 黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)は、横に並ぶ『仲間』たちに目を向けた。
 シュライン・エマは、ゴーストライターとしての経験もあって調査能力に秀でたキャリアウーマンだ。ここの事務員でもある。彼女はいいとして…
 膝に手を当てて背筋を伸ばし、真剣に授業を受ける中学生のような少年(名前は確かブルーノ・M)と、俯き加減に居心地悪そうにしている十六歳前後のごく普通の少女…雛佐古・朱蓮(ひなさこ・しゅれん)とか名乗ったが…こいつらは?
 草間というより、シュラインに向けてそれを尋ねた。
「朱蓮ちゃんは奴を目撃してるの。資料写真は犠牲者の遺品らしいから彼女が今、最もジャージー・デビルを知っている人物なのよ」
「情報提供者か。しかし、調査にまで参加する必要が?」
「あ、僕のところ、お金なくて。それで調査員のバイトとして臨時に…それなら危険は少なそうだし」
 なるほど。で…
「悪魔と戦うのが僕の使命ですから!」
 …と、視線を移しただけなのに、十字架を引っさげた胸を叩いたこっちは…?
「ブルーノ君は私と似たようなものなんですよ」
 お盆に人数分のお茶を乗せて、零が言った。
「はい。僕は大戦時にドイツ、日本の霊鬼兵技術の提供を受けた北イタリア政権によって生み出されました。終戦後に法王庁に引き取られ…――」
「…つまり、霊鬼兵の親戚みたいなものだな?」
「いえ、正確には僕の動力である聖力は霊力と反発し、技術こそ根本は同じですが対零鬼兵用の兵器として機能します。また霊鬼兵、怨霊、及び悪魔の類に対しては…――」
「はい、そうです」
 自らのスペックを正確にまくし立ててくれるブルーノの声を遮り、零が一言で片付けた。
「相手は悪魔っていう噂も聞くしね。『専門家』がいた方がいいでしょ?」
 シュラインが微苦笑を浮かべながら肩をすくめる。
「…なるほど」
 バチカンには融通のきく霊鬼兵を作る技術がないのは良くわかった。冥月は、若干の皮肉をこめてそう思った。



「僕がニアミスった時は多分、その写真が撮られたときだと思う。フラッシュが光ったのが見えたから」
 朱蓮は説明しながら、周りを見渡した。
 草間さんはともかく、冥月さんは影を操る特殊能力者で、ブルーノ君がバチカンの秘密兵器で、調査の相手は化け物で…シュラインさんも妙に手馴れてるしなぁ…――
 なんで、僕はこんな仕事を請けちゃってるんだろう…そういうのに巻き込まれる運命なのかな。
 心中で苦笑する。しかし給金は良いのだ。
「バイトから帰る途中だったから…時間は夜の十時くらい。場所はこの辺りの路地裏。曲がり角でフラッシュが光ったなと思ったら、一瞬、悲鳴みたいなのが聞こえたんだ…――」
 ビルの狭間は不自然なほど真っ暗で、何一つ見えなかった。聞き間違いかと思った刹那、すぐ目の前でカメラがフラッシュし、爪を振り上げる怪物の背中と恐怖に目を見開いた女性の姿が浮かび上がった。強烈な光に目を眩ませた時、鈍い刺突音が響き、濁った悲鳴が聞こえ…再び真っ暗な路地しか見えなくなっていた。
「――…それで、すぐに逃げたんだよ。その後で警察には電話したけどね」
 しばしの沈黙の後、一番に口を開いたのはブルーノだった。
「あの…その女性はやはり、お亡くなりになったのですよね…」
「うん。警察の電話で、そう言ってたし」
 沈むブルーノの背に手を当てて、零が言った。
「次の犠牲者さんが出てしまう前に、どうにかしましょう」
「…そうですね。その人の死を無駄にしないためにも」
「で、その人が遺してくれた写真だけど…冥月さん、影は探れる?」
 冥月はため息をついて写真を放り、シュラインに向き直った。
「見付からないな。もうこの側にはいないか、亡霊のように実体がないか…その辺りか」
「地道に調査するしかないわね…」
 またしばらくの沈黙があった後、シュラインが棚からファイルを引き出して全員の前に広げた。
「みんな聞いて。これ、都市伝説の資料なんだけど…これによると、ジャージー・デビルは子供が悪魔に変わったとか、そういう謂れが多いの」
「子供ですか。あまり信じたくない正体ですね…」
「だけど、なけなしの手掛かりだよ、ブルーノ君。あと手掛かりになるのは…起源がアメリカってことかな?」
「そうね。被害があった地域で子供の行方不明事件なんかが起こっていないか。あと最近アメリカへ行っていた方とかに話を聞くとか…それに目撃情報もあわせて聞込みをすれば、行動範囲や目的が見えてくるかも知れないわ」
「相手の正体を暴くところからか…面倒くさいものだな」
「僕とブルーノ君、零クンなら、多分、子供たちからも聞き込みとか出来ると思うよ。小学校にだって、卒業生っぽく入っていけば問題ないし」
「そうだな。その二人がいるなら、危険もないだろう。で、俺たちはどうするか…」
「目撃情報や現場を重点的に当たりましょう。それと…調査や帰宅の時には武彦さんについててもらえると諸々心強いのだけど…お願い、出来るかしら…」
 草間はきょとんとした表情でシュラインを見つめた後、表情を崩して頷いた。
「殊勝なこと言ってくれるな。まあ、たまには二人で仕事ってのも悪くない…が、俺も人外を相手に出来るわけじゃないからな…影使いさんにもご同行願おうか」
「私は聞き込みだの、そういう面倒くさいことは…」
「私からも出来ればお願いするわ。特殊能力を持った人がいてくれた方が心強いもの」
 冥月はじろりとこちらに目を移し、零とブルーノ(二人の霊兵器)に挟まれる自分を見て…ため息と共に、頷いた。
「仕方ないな。わかった」
「ええ、ありがとう。それと一応、みんな懐中電灯は持っていって。用意しておいたから。朱蓮ちゃんの話を聞く限りでも、やっぱり明かりに弱いと思うのよ」
「学校の校庭にでもおびき出して、スポットライトとか当ててやったらやっつけられるかもねっ」
「どうやって、おびき出す?まだ、次にどこに出るかもわからないんだぞ」
「あ…やっぱり?」
 冥月にそう言われて、朱蓮は頭を掻いた。



■現場調査

「武彦さん、朱蓮ちゃんから連絡よ。アメリカ帰りの子で、怪しいのを見つけたって。どうやらその子がジャージー・デビルの噂の火元らしいの。名前は阿部信二君、小学三年生。住所も聞いておいたわ。あっちは任せておきましょう。こっちは現場よ」
 助手席でパソコン画面の地図を弄りながらとなると、トヨタのセダンも狭く感じる。後部座席の冥月は先ほどから資料写真に目を凝らしているが、特に反応はない。
「成果はどう?」
「…いないな。本当にこの近辺に出るのか?」
「そのはずなんだけど…」
 調査で得た情報を元に、ジャージー・デビルの出現ポイントと思われる箇所に印と日時を付ける。奴と思しき事件は三週間前ほどから発生し始め、見付かっただけで三件ある。
「今のところ、奴はふらふら進んでいるようにしか見えないわね…」
「さて、一番新しい現場に到着だ、お客さん」
 草間のセリフと共に、車が止まる。そこはみすぼらしいビル街で、夜はほとんど誰も通らないであろうことが予測できた。
「朱蓮ちゃんが奴を見たところね」
「一応、言っておくが、影は見当たらないな。奴に実体があるのなら、少なくともこの近辺にはいない」
 三人分のドアの開閉音。これで警察手帳でも持っていれば、ドラマのワンシーンだ。尤もこれから行うのは科学調査ではなく、その対極に位置する事柄だが。
「武彦さんは、聞き込み調査の方お願いできるかしら?私は召喚跡とかがないか調べてみる。冥月さんは私についててくれる?」
「まあ、そっちの方が安全か。頼んだぜ、冥月」
「…一応、言っておくが被害の大半は女なんだぞ」
「なら、お前は安心だろ?」
 草間が肘を打ち込まれる音を背中で聞きながら、シュラインはため息をついた。
「特殊能力者がいてくれた方が心強いってこと。武彦さんも、人通りの少ないところには行かないでね」
「…わかってる。俺は臆病なんでね」
 顎をさすりながら、草間が離れていくのを見届けた後、シュラインは作業に掛かった。
「で、どうするんだ?」
「聖水を噴霧できるよう、スプレーに入れておいたの。もし悪魔的な霊質を持つなら、これを掛ければ痕跡に反応するかも。ルミノール反応を調べるようなものよ」
 言いながら、適当なところにスプレーを噴霧すること一時間。暗く翳った路地裏に放置されたゴミ箱とビルの隙間…そこに霧が掛かった瞬間、焼け石に水を掛けたような音がして、黒い霧が煙のように虚空へ散った。
 シュラインは口の端に笑いを浮かべた。
「証拠検出ね」


「それにしても、子供だけじゃなく大人にまでこの化け物の話は広がり始めてるんだな。聞いたことがあるって奴が結構いたよ」
 車から降りながら、草間が言う。三件の現場のうち、すでに最後の現場(実際には最初の事件現場)まで来たが、今のところ手掛かりは増えていない。
「そんなものだろう。“ない”物を“ある”と“仮想観測”する事で実在化してしまう逆転現象…それが都市伝説だからな。この化け物も噂が先行して生まれたのかも知れん。まあ、それは一定条件下で大多数が意識してこそ起り得るわけだが」
「朱蓮ちゃんから連絡があって、同じようなことを言ってたわ。この事件、噂の方が先行してるみたい。それと、『本場』のジャージー・デビルと信二君の間には、接触があったそうよ。乗り移られてはいないみたいだけどね」
 シュラインはそう言いながら朱蓮と話していた電話を切った。
「まあ、考えるだけで本当になるなら、草間がよく行く如何わしい店でモテモテになれてしまうがな」
「おいおい…でも、もしそうなら噂がある限り、奴は死なないってことか?」
「倒してから、その話を広めればいい。死んだことが認識されれば、それで消えるはずだ。何にせよ、ぶちのめせばそれで終わりだ」
「素敵なほど発想が野郎だな、用心棒の兄さん」
「くどい」
 後ろで草間がどつかれる音に苦笑しながら、シュラインは扉を閉めた。
「何か引っかかるのよね…現場の繋がり…何か…」
 しかしそれが何なのか、具体的に指摘が出来ない。
「私はもう一回、地図と事件を照らし合わせてみるわ。武彦さんは今までどおり聞きこんでくれる?冥月さんは悪いんだけど、ここに聖水散布お願いできるかしら。予防にもなるし」
 二人は肩をすくめて了解の意を示すと、それぞれの持ち場へと向かった。
 車内に戻りなおして画面を見る。点々と続く、事件現場を示す×印。何か目的があるのか…?
 そうやってじっと地図と格闘したまま、無為に時間が過ぎた時、ふと思いついた。
 …朱蓮によれば、信二少年が噂を広めたのは神聖都学園…スタートがここだとすれば?最初の事件は学園のすぐ側、次が一キロほど進んだ駅の近くで、その次がそこから二駅ほど進んだところ…――
 待てよ?阿部信二の住所はどこだった?その駅は通り道ではないか?そして次のバス停を彼は利用するのではないか?そして、そのバス停のすぐ側でまた事件が…
「そっか…」
 ジャージー・デビルの目的はよくわからない。しかし、奴は自分の噂を生んだ少年の通学路を逆に辿っている。つまり、ゴールは彼の家だ。

 …とすると、もう次には着いちゃうじゃない!

 奴が、福を運んでこようとしているとは思えない。シュラインは大急ぎで電話を取り、草間と冥月を呼び戻した。急いで、信二少年の家へと向かわなくては…
 すでに、夜の帳は下り始めているのだから。



■危機

 頭の奥につかえる不安感。漠然とそんなものを感じながら、ブルーノはシュラインと朱蓮の電話を聞いていた。
『色々とわかったわ。奴は、阿部君の通学路を逆に辿ってるの。噂が広まった学園をスタートにして、段々と彼の家に近づいてる。目的が何かはわからないけど、きっとろくでもないことね。このままじゃ今日にも彼の家に着いちゃいそうなのよ。だから、先んじて奴の通り道になりそうなところに、聖水を撒いておくことにしたわ』
「うわ、ここに?…先に気付けてよかった…こっちも色々とわかりましたよ。噂どおりならジャジ馬は闇の化身だとか。能力は、闇の結界…その中は電波も声も届かなくって、直射するほど強い奴じゃないと光まで呑み込んじゃうそうです。その中で人を惑わせて、ぎょわーっと襲い掛かるわけですね」
『目撃者が少ない理由はそれね。とすると、やっぱり奴は光に弱いのかしら?』
「ええ、直射するくらいの強い奴ならイチコロにできるみたいですよ」
 …阿部少年の家、つまりここに向かっている三人…能力者の冥月がいるからそれほど危険はないと思っていたが…闇…闇の化身?
 ふと、ブルーノは背筋にぞっとするものを感じた。
「あ、あの!シュラインさんにすぐ戻るように言ってください!」
「ん?ブルーノ君どうしたのいきなり…――」
「信二君より先に、皆さんが危ないかも知れません!」
『なに?ブルーノ君、何か言ってる?電波が悪くてよく聞こえないんだけど…――』
「え?え?ど、どういうこと?」
 奴が闇の結界を使うならその領域の中で、冥月の能力は使えるのか?使えたとして、影で闇が倒せるだろうか?そして彼女たちは今、ジャージー・デビルの辿っている道を突っ切っている…。
 そのことを説明すると、朱蓮はさっと青ざめて受話器に向けて叫んだ。
「あの、シュラインさん!一度、そこから離れてください、それで…――」

 通話は、いつの間にか切れていた。急いで掛けなおしても聞こえるのは、無慈悲な機械音声だけ。
『おかけになった番号は、電波の届かないところにあるか…――』
 二人は顔を見合わせた。彼女たちは屋外にいるのに、電波が届かないと言うことは考えにくい。
 つまりは…――



 影探知にはまだ何も引っかからない。それが妙だ。シュラインたちは着々と手掛かりを上げているが、それによれば奴は絶対に遠くに離れてはいないはずなのに…。
 シュラインが電話をしている横で、草間がカーナビの指示通りに車を近道へと乗り入れる。左手に溝川、右手に畑と並木道、小さな街灯がともるだけの暗い道。
「朱蓮ちゃん?もしもし?」
 シュラインがいぶかしげに電話を眺めたと同時に、冥月に戦慄が走った。思わず椅子から跳ね起きる。
「止まれ、すぐに」
「…あん?どうした?」
 草間がブレーキを踏む。
「シュライン、今の電話で朱蓮はなんて言った…?」
 冥月の静かな剣幕に気圧されながら、シュラインが電話の内容を伝える。
 …闇の化身…闇の使い手…くそっ、気付かなかった…!
「すぐそこに、奴がいる。ここが奴の『結界』内だ。中に入って、ようやく探知出来た…」
 その言葉は、彼らの背筋を凍りつかせるのに十分な響きを持っていたらしい。しかし、戻ると言っても道は細く、Uターンは不可能だ。バックで戻るしかない。
「奴って…」
「おい、冗談じゃないぜ…こっちが突っ込んじまったのか?」
 草間が絶句しながら、ギアをバックに入れる。が、エンジンが唸ったとき、冥月はすでに退却の機を逃したことを悟った。
「いや…下手に動かすな。気付かれてたようだ」
 漆黒の闇の奥から、何かを叩きつけるような音が響き渡った。姿こそ見えないが、あの羽が空気を打つ音だと、すぐにわかった。
「か、影で逃げられないのか?」
「…すでに奴を捕らえようと、影を送ってみたが…駄目だな。どうやらこの結界の中では、闇はあいつのものらしい…」
 言いながら、口の端を苦々しく吊り上げる。まるで凄まじい力で押さえ込まれているかのように、影が反応しない。奴の力は範囲こそ狭いが闇を操る『腕力』では自分に勝るらしい。
「お前たちは車にいろ」
「おい、一人で行くってのか?馬鹿いうな、女一人で行かせられるかよ…」
「女、ね…」
 ピンチになって初めて認めてくれたな草間。別に嬉しくもないが…。
「影を物質化は出来なくても、探知は出来る。草間、お前はそこに護るべき奴がいるんだろう。懐中電灯を寄越せ」
 シュラインと草間が顔を見合わせる。
「けど…冥月さん、あなたにも恋人とか…」
「…私には、もういない」
 そう言いながら冥月は独りドアを開け、暗闇の中に立った。生暖かい風が彼女の髪を揺らす。
「灯りは全部点けておけ。ハザードランプも室内灯もだ。もし私がやられたら、すぐにバックで逃げろ。灯りは点けたままでな」
 街灯の灯りが反射しただけの薄暗い光を半身に浴びて、道の奥から怪物が姿を現す。紅い目、直立した馬の体、恐竜のような血の色の鍵爪、人間的な残忍さを湛える馬の顔…
 冥月は目を瞑って一歩を踏み出し、両手に持った懐中電灯を点けた。
「さあ…来い…!」



■決着

 抵抗力のない仲間を護るため、独り怪物の前に立った冥月の周りで、闇が濃くなっていく。
 闇の結界は光さえ飲み込む。直射以外はすぐに吸収され、また直射光であってもわずかな距離で闇に消えてしまう。影を探知できなかったのも頷ける。この結界内は闇一色。つまりは不定形の巨大な影の中にいるようなものだ。
 この懐中電灯の射程も、この中ではせいぜい五メートル程度か…。
 暗闇の中、相手は真っ直ぐに向かってきた。射程内に入れなければ、奴にダメージを与えることは出来ない。五メートルまで待って…
 十メートルほどまで近づいてきた瞬間、相手は突然加速した。全くの虚を突かれて、ぱっと脇へ飛びのく。頭の上を巨大な羽が掠めるのを感じ、冥月は地面を転がった。
 奴め、闇の『流れ』に乗れるのか…!
 上昇気流に乗って鳥がホバリングするように、奴は結界内で『闇の気流』を作り出せる。それを利用して縦横無尽に不自然な動きが出来るというわけだ。
 暗闇の中をぐるりと回転し、巨体が再びこちらに向かってくる。冥月は自分から相手に突っ込んで、剣のように右手の光を振り下ろした。が、怪物は、慣性を無視するかのように半月状の弧を描いて飛翔し、するりと縦斬りを避ける。

 速い…!

 そのまま突っ込んでくる怪物に対し、冥月は体を捻りざまに馳せ合った。左手の光が怪物の脇を抉り、右手の鍵爪が冥月の腿を抉る。激痛に膝を落とした冥月の背後で、怪物が墜落する。

 駄目だ、浅い!この程度では…!

「冥月さん、やったの?」
 冥月はすぐさま振り向き、すぐさま怪物に光を向けたが間に合わなかった。ジャージー・デビルが一歩早く跳躍し、一瞬で闇へと消える。
「まだだ、出るな…!」
 奴は闇で出来た怪物。結界内の闇を吸い込んで、すぐに回復する。一撃で致命傷を与えるか、もしくは結界を破ってから光を浴びせかけるかしない限り、殺しきることは出来ない。
 冥月にはそれがわかっている。だから畳み掛けたかったのだが、もう十数秒で奴は完全に治癒するだろう。
 …押されているな…。他人を閉じ込めて引っ掻くしか脳のない筋肉馬鹿に…
 影の力が使えれば、いくらでも勝つ方法はある。しかし、今言ったところで仕方がない。冥月は屈辱を感じながら、二本の光を構えた。
 怪物が急降下してくる。冥月の狙いは正確だったが、相手は螺旋を描くようにトリッキーな飛行を見せ、光線を避ける。冥月は屈み込んだが、怪物の急降下爆撃もまた正確だった。力強い蹴りが懐中電灯を破砕する。
「くっ!」
 冥月はすぐに起き上がり、もう一本の光を当てようとして…胴体に体当たりを受けた。胃の中身が逆流しそうになり、骨に電流のような痛みが走る。跳ね飛ばされて地面を転がり、落ちた懐中電灯を拾おうと伸ばした手のすぐ先で、それは踏み砕かれた。
「冥月さん!」
「おい!大丈夫か!」
 冥月は何も見えなくなった暗闇の中でも、下卑た口元を笑みの形に歪ませる馬頭を感じることが出来る。
 …こんな程度の奴に、負けるのか…だが…――
「シュライン、草間!逃げろ!」
 久しぶりに叫び声を上げ、節々が鈍痛の悲鳴を上げる体に鞭打って、冥月は飛び起きた。目には見えぬ怪物を睨みつけ、素手で構える。
 闇が半実体化しているに過ぎない怪物に、物理攻撃は通用するまい。だが、あの二人が逃げる時間くらいは稼いでみせる。…来てみろ!
 冥月の決意を嘲笑うかのようにゆっくり歩を進める怪物。死を覚悟して、奴へ蹴りを浴びせかけようとした刹那…――

 まるでドームの天井が破れるように空が光り輝き、跳ね退いた怪物とシュラインの間に、神秘的な蒼白い光線が闇を裂いて降り注いだ。

 ――これはっ…!

 十字架の付いた白い服をたなびかせた少年が、怪物と彼女の間に割って入った。金属の羽が結界の穴から降り注ぐ月光を受けて白く輝き、巨大な十字架が右手で煌く。
「すいません。遅くなりました」
 正面に怪物を見据えたまま、ブルーノ・Mはそう言った。



「全くだ…危ないところだったんだぞ」
 冥月が悪態を付いて膝を落とした。ふざけてはいるが、かなりの傷を負わされているのがブルーノには感じ取れる。特殊能力を使えない状態のまま、彼女はこの怪物と今まで戦っていたのだ。
 仲間を護るために、たった一人、闇の中で…――
「本当にすいません。すぐに片をつけます。治療はそれまで待っていてください」
「いいさ。格好いいところは貰ったからな。美味しいところはお前に譲る」
 精霊砲の力を解放し、それを怪物に向け、ブルーノは宣言した。
「対象を悪魔的霊質と確認!状況を緊急事態レベルBと認識!よって発砲制限を解除!精霊砲、発砲します!」
 二発目の光球が十字架の先端から放たれた。焼け付くような音を発しながら、闇の結界が祓われる。しかし、怪物本体は自らの劣勢を察したのか、驚くべき速さで空へと逃げる。
「コレだけやっといて逃げられると思うか、馬」
 解放された冥月の能力…影がブルーノの腰についていた懐中電灯をもぎ取り、触手のように宙へ伸び上がる。その光が怪物の片羽を焼き千切り、ジャージー・デビルはコウモリに似た絶叫を上げながら滑落し始めた。
 堕ちる怪物を照準に捉えて、ブルーノが終わりを宣言する。
「…灰は灰に!塵は塵に!父と子と、聖霊の御名において!…アーメン!」
 放たれた光球の直撃を受け、紅く輝きながら怪物は灼爛し、地面に達するよりも早く夜に融けた。



■翌日

「これにて、一件落着…と。みんな良くやってくれたよ」
 草間は少々、ばつの悪い思いをしながら、協力者たちにそれを語った。予想通り冥月が冷たい目つきで言い放つ。
「お前は何の役にも立ってないけどな」
 彼女の怪我はあの後ブルーノが治癒したが、それでも少なからず借りを作ってしまったのは確かだ。文句は言えまい。
「まあ…でも、今回はマジで感謝してるぜ」
 ふんと拗ねるように彼女がそっぽを向く。シュラインがやってきて、優しく彼の肩を叩いた。
「ええ…あそこでいきなり襲われるなんて考えてなかったから。本当、助かったわ。ブルーノ君も」
「いえ…僕は当然のことをしたまでです。それより、シュラインさんや朱蓮さんが調査を進めてくれなかったら、今頃は信二君が襲われていたかも知れません。僕では、ああいうことは出来ませんから」
「ああ…お前さんもありがとうな。もし何かあったら、また協力頼みたいくらいだ」
「え、僕?ああ、いや…ははは…平穏な毎日が今年の目標なんだけど…ま、でも、危険手当くれるなら、喜んで協力するよっ」
 頭を掻きながら、照れくさそうにして朱蓮は草間の手を握った。しばしの沈黙が、仕事の終わりを全員に告げる。
「けど…信二君に移った悪魔の『種』が、こちらで噂の力を借りて芽吹いただけなのだとしたら…本場にはまだ、あんな分身とは比べ物にならない大物がいるってことなのかしら…」
「考えられますね。それにまた、同じような形でやってくるかも知れません…」
「ええぇ?…まだ、あんなのがいるの…?僕、アレはもう嫌だよ…」
「ふん。今度来ても、もう負けるつもりは無い。影の操作能力にも、磨きを掛けてやる」
「おいおい…まあ、いいじゃないか。今は仕事が終わったんだ。向こうのことは、向こうに任せようぜ」
 そういって草間は深々と椅子に体を預けた。

 世の中まだまだ、怪奇事件の類は尽きることがないらしい…――





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2778/黒・冥月(へい・みんゆぇ)/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【3948/ブルーノ・M(ぶるーの・M)/男/2歳/聖霊騎士】
【6181/雛佐古・朱蓮(ひなさこ・しゅれん)/女/16歳/女子高生兼鉄腕アルバイター】


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■         ライター通信          ■
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 シュライン様、二回目のご参加、まことにありがとうございました。
 この度は話が長くなってしまうため、『シュライン様・冥月様(+草間探偵)チーム』と『ブルーノ様・朱蓮様(+零)チーム』に分けて作成しております。片方だけでも楽しめるように心がけましたが、もう一方のチームの小説もお読みいただけると、事件の顛末がより詳しくわかるようになっております。両チームとも、戦闘要員一名、調査要員一名という組み合わせで、運良くバランスが取れました。

 シュライン様は調査要員として前半で活躍するようにしましたが、いかがでしたでしょうか。知的で聡明な面を前面に押し出し、敏腕の科学調査員というイメージで描写しました。気に入っていただけたら幸いです。

 四名分のプレイングを一つの話にまとめるというのは私にとって初めての経験で、非常に勉強させていただきました。その中で、一部のプレイングに記載されている描写を犠牲にしてしまった面もあるかもしれません。苦情等があった場合、ファンレター等にてご連絡ください。次回からの製作に活かしてまいります。

 それでは、また別の依頼でお会いできることを願っております。


※2005/5/29追記
 一部誤字と、シュライン様の職業を、一部、誤って表記していましたのを修正いたしました。シュライン様のご職業は『ゴーストライター』なのですが、読み間違いから『ゴーストバスター』と表記しておりました。以後、このようなことのないよう、気をつけてまいります。ご指摘、ありがとうございました。