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<東京怪談・PCゲームノベル>


きわの森の姫桜

 季節外れの花びらが舞い込んだのは、5月も半ばを過ぎた頃の事だった。
「一体、どこから…?」
 指先に乗っている薄い桃色の花びらは、間違いなく桜のそれだ。だが…。最北端の桜すら、今はもう咲いては居ない。不可思議な花びらは瑞々しく、柔らかく、初夏と言っても良い陽射しの下でしっとりと輝いていた。何時の間に紛れ込んでいたのだろう。
「これは…桜…?」
 黒榊魅月姫(くろさかき・みづき)は、首を傾げて呟いてから、また歩き出した。街中に不意に現れた緑の小道は、寿天苑へ続く結界への入り口だ。常春の苑、桃咲き乱れる寿天苑に住む友人、天鈴(あまね・すず)を訪ねるのは、少しばかり久しぶりだ。結界を抜けると、気配を察していたのだろう、本人が出迎えてくれた。
「よう来て下さった!魅月姫殿!」
 白い髪に地紋の入った白い着物のたもとがぱたぱたと羽のようにはためく。漆黒の髪に闇色のアンティークドレスを身に纏った魅月姫とは対照的ななりではあるが、不思議とお互い、ウマが合う。知り合って以来、こうして時折苑を訪ねるのは、楽しみの一つともなっている。
「久しいのう。わしもこのごろちいとばかりここを留守にしておったし…」
 と嬉しそうに言う鈴に、土産の箱を渡すと、彼女の表情が更にぱっと明るくなった。サクランボのブランデー「キルシュ」は、先日見つけた店で買ったものだ。大きくは無いが丁寧な作りの菓子が気に入っていて、鈴にも一度食べさせてやりたいと思っていたものだった。あの白い花びらの事を思い出したのは、屋敷に向かって弟の玲一郎を呼ぼうとした鈴の肩に、濃い桃色の花びらが一枚、ゆうらりゆうらり舞い降りてきた時だ。小さく声を上げた魅月姫に、どうなされたと振り向く。先刻の花びらを見せると、彼女は魅月姫より少し明るい紅の瞳をまん丸にして、おお!と声を上げた。
「鈴?」
 小首を傾げた魅月姫に、鈴はふふっとまたも嬉しそうに笑う。
「魅月姫殿の所にも届いていたとはのう。丁度良い。わしらと共に行こう、魅月姫殿?」
 彼女によれば、その花びらは間違いなく桜のもので、それもただの桜ではない、『きわの森の姫桜』と呼ばれる不思議の桜の花びらなのだと言う。
「姫桜はな、昔は美しい舞姫であったそうじゃ。それが主を亡くして山深くに引きこもり、やがて桜に姿を変えた。それが時を経て何時の間にやらきわの森に落ち着いたと聞いて居る。寂しがりやの宴好きでな、目を覚ます度、こうして花びらを流しては客を呼ぶ」
 もっとも、受け取る事の出来る者はそう多くは無いがなあ、と付け足して屋敷に上がっていく鈴について、魅月姫も縁側に靴を脱いだところで、彼女がくるりと振り向いた。
「そうそう、それでなあ、魅月姫殿…」
 鈴、魅月姫、玲一郎の三人が、用意を整えてきわの森に向かったのは、それから小一時間ほど後のことだった。

 現世から森へ抜ける道は『朧の道』と呼ばれており、到着地のイメージを持っていないと、まともに抜ける事が難しいのだと鈴は言っていたが、姫桜に会った事のある彼女と一緒だったせいだろう、迷う事もなく抜けられた。
「きわの森は、この世とあの世の境、異世界との狭間にあると言われておる。それ故に、所謂時の流れと言うものとは無縁じゃ。ここにあるのは、明けもせず暮れもせぬ薄闇のみ」
 と鈴が言う通り、きわの森は、永遠に続く黄昏の中にあった。夜に染まりきらぬ群青の空の縁を、金色の光がうっすらと彩っている。姫桜はその空の下で、自ら光を放っているかのようにほんのりと白く輝いて見えた。樹齢千年は越えているであろう枝垂桜は、近付くと空を覆わんばかりに枝を広げ、地上に向かって垂れた枝先は白い雨のようだ。
「きれい…」
 思わず呟くと、鈴が自慢げに、そうであろ?と微笑む。誰も居ない木の下に、玲一郎が手際よく宴席を作ると、鈴がごそごそと琴を取り出した。琴柱を立てて、
「他にもう一人は客があるようじゃが…とりあえずわしらが一番乗りじゃ。舞姫を呼んでみようかの」
 と言いながら、弦を弾いて手早く調弦を済ませると、ざわり、と桜が揺れた。静かに、だが明瞭な音が、森の中に響き渡る。鈴の小さな手は弦の上を自在に動き、和音やトリルがメロディを紡ぎ出す。和琴の演奏はやはり珍しくて、魅月姫が僅かに身を乗り出したその時。桜の一部がゆらりと変化して、ざっと花びらが舞い上がった。鈴は動じず、玲一郎と魅月姫が空を見上げ、あっと声を上げた。花びらと共に天に舞っていたのは、桜と同じ色の衣を纏った、女性だったのだ。舞姫だと言う事は、誰に聞かずとも分かった。魅月姫と同じくらい白い肌をした舞姫は、しなやかな指先から花びらを降らしつつしばらく舞った後、やがて三人の前に降りてきた。
「久しいな、舞姫」
 演奏を終えた鈴が気安い調子で話しかけると、舞姫は微笑んで、
「はい」
 と小さな声で答えた。鈴はまず玲一郎の方を振り向き、
「これはわしの弟、玲一郎と言う。生憎と楽は苦手でな。代わりに…」
 と言うと、玲一郎が手にしていた包みを開いた。小さな透明のゼリーだ。真中には、桃の花びらが沈んでいる。
「桃のゼリーです。姉が、綺麗な菓子でも良いと言いましたので」
 玲一郎が差し出したそれを、舞姫はしばし興味深げに眺めていたが、気に入ったらしい。やがてにっこり笑って受け取ると、今度は魅月姫に向き直った。鈴に事前に聞いていたから、その視線の意味する所は分かっている。魅月姫は小さく会釈すると、
「黒榊魅月姫と申します。私はこれを」
 と言って、『闇の竪琴』を取り出し、静かに爪弾き始めた。こうしてゆっくりとこの竪琴を弾くのは久しぶりだ。曲は、ずっと昔に聞いた古いメロディに、ほんの少し手を加えたものだ。弾いていると、自然とこれまでの旅路に思いは向かう。たった一人旅してきた、長い長い時間が、せつなくも幻想的な旋律と共に胸の内を去来する。これからもきっと、自分は同じように旅して行くのだろう。たった一人、果て知れぬ旅路を…。物思いに沈みそうになった魅月姫の耳に、もう一つの旋律が響いてきた。和琴の音。顔を上げると、鈴が琴の前に座っていた。ゆっくりと、魅月姫の旋律の上に和琴の音が重なっていく。魅月姫の視線に気づいたのだろう。鈴がちらりとこちらを向いて笑った。そこからは、和琴と竪琴の二重奏になった。魅月姫が走れば、鈴が跳ねる。鈴が歌えば、魅月姫の音は流れるようにそれを包んだ。竪琴の澄んだ音色と和琴の豊かな旋律の、思わぬ共演に堪えられなくなったのだろう、舞姫も二人の楽に合わせて再び舞い始めた。衣擦れの音が心地よい。重なり合う旋律に魅月姫も心地よく身を委ね、時折目を開いては自在に舞う舞姫の姿を楽しんだ。玲一郎は静かに三人を見守りつつ、やはり心地良さそうに目を細めている。どれくらいの間そうしていただろうか。四人目の客が訪れたのは、丁度魅月姫たちの演奏が終わった頃のことだった。魅月姫も何度か会った事のある人物だ。

「無事着いたようじゃのう、シュライン殿」
 呆然と桜を見上げるシュラインに、鈴が声をかけた。どうやら彼女は『朧の道』を一人でぬけてきたらしい。誰かが道に迷い込んだらしい事には気づいていたが、彼女だったらしい。シュラインは苦笑いをして、
「結構、大変だったわよ、鈴さん。もしかして、とは思ったけど、やっぱり関係あったのねえ、あの花びら」
 と溜息を吐いた。彼女もまた、花びらを受け取った一人なのだ。シュラインは玲一郎と魅月姫を見つけて会釈をし、改めて桜を見上げた。魅月姫もつられて空を見上げる。舞姫の姿は今は消えていた。
「あの花びら、この桜のものだったのね」
 とシュラインが言うと、鈴が頷き、
「姫桜、と言うてな。古の舞姫が姿を変えた桜じゃよ。普段は眠って居るのが、時折目を覚ましてはこうして人を呼び寄せる。ほれ、このようにな」
 舞い降りてきた桜の花びらを指に乗せて、ふうっと息をかけた。花びらはまた宙に舞い、消えた。そうやって漂ってきた花びらが魅月姫の手元にも現れたのだ。だが、何も知らぬ者が朧の道を抜けるのは、実は難しいのだと言う話は、さっき鈴からも聞いていた。通り抜けられぬ人もいるのかと聞くシュラインに、玲一郎が横から、
「滅多に無い事ですよ。大体は、元の世界に戻ってしまうだけですから、心配は要りません」
 とフォローする。ほっとした様子のシュラインに、魅月姫は玲一郎の淹れた茶を勧めた。鈴がきわの森の話をすると、シュラインは感心したように頷いて、
「きわの森の姫桜…か。きれいね。とってもきれい」
 とうっとりとした口調で言った。その言葉に答えるかのように桜が嬉しそうに揺れて、ざっと花びらが舞う。舞姫が、彼女に楽を所望したのだと鈴が説明する。しばらく逡巡した後にシュラインが歌いだした旋律は、それは不思議なものだった。だが、どことなく聞き覚えがある。一体どこで聞いたのかと考えて居ると、鈴がこそっと囁いた。
「『星々の旋律』じゃよ、魅月姫殿。以前にも聞いた事があるであろ。シュライン殿も同じように聞いたのじゃ。魅月姫殿が聞いたのとは少うし違う旋律だが…それにしても、一度きりでようここまで覚えていたのう。さすがじゃ」
 感心したように目を細めて、自分も再び琴の前に座る。やがて鈴の琴の音が、シュラインの歌に加わった。こうなっては魅月姫もじっとしては居られない。再び竪琴を手にして加わる。二種類の琴と、シュラインの歌声。三つの旋律は時に重なり、時に反発し、時に調和しながら更なる歌を生み出していく。先ほどの切なげなメロディとは少し違う、清らかでどこか懐かしい、やはり不思議な旋律だ。程なくして舞姫が再び舞い始めたのも、まあ無理は無いだろう。その姿にシュラインが驚きの表情を浮かべ、鈴は
「興が乗ったようじゃ」
 と小さく呟いた。古の舞姫は、紺碧の空を背にひらりと舞い降りると、琴を奏でる鈴と魅月姫をかすめ、一人聞いていた玲一郎の横をすり抜け、シュラインのまわりで一しきり舞った。桜色の衣を翻しつつ舞う歌姫は美しく、この上も無く楽しげだ。いつしか重なる旋律は増え、気づいた時には和洋様々のなりをした人々やら生き物やらが集まって、歌に合わせてそれぞれの楽器を奏でていた。美しかった。そして、何より楽しかった。一人で奏でて居るよりもずっと。奏でながらふと思うのは、この舞姫の事だ。寂しがりやで何より楽を愛する、と言うのは本当らしい。だがそれなら何故、こんな所でたった一人でいるのだろう。聞いてみたいと思ったが、その暇はどうやら無さそうだ。永遠に続くかと思われた音楽はやがて終焉を迎え、歌い終えたシュラインの前に舞姫が静かに降り立った。
「お招きありがとうございました。…とても素敵な舞だったわ」
 シュラインが言うと、舞姫はたおやかに微笑んで一つ、お辞儀をして見せた。周囲の人々がどっと沸く。しばらくの間、玲一郎の菓子や魅月姫の土産であるキルシュはすぐに無くなり、次の楽が始まるまでにはそれ程時間はかからなかった。舞姫が最後の舞を舞うまで宴は続き、そして…。
「これにて」
 と細い声がしたかと思うと、それまでちらほらと舞っていた花びらが、ばっと空へ舞い上がった。思わず目を閉じる寸前、薄いピンク色の向こうで、細面の美女がにっこりと微笑み、魅月姫の耳元に唇を寄せた。そして…。

「ほう、舞姫がのう」
 魅月姫の話を聞くと、鈴はそれは珍しい、と感心して見せてから、ふう、と小さく息を吐いた。宴の終焉と共に姫桜は散り、魅月姫は鈴たちと共に朧の道を通って寿天苑に戻ってきたのだ。そのまま帰ると言う方法もあったが、もう少し鈴たちと話をしたいと思ったのだ。
「あれは滅多に喋らぬ故、話を聞いた者は殆ど居らぬ」
「話、と言う程では…」
 宴が終わる寸前だった。魅月姫の耳元に、舞姫はたった一言だけ『待っているのです』と囁いたのだ。何のことかと思って鈴に話してみたのだ。
「それで充分じゃよ、魅月姫殿の思うた事が分かったのじゃ」
「思った事?」
「魅月姫殿は、あれが何故、あのような場所に一人きりで居るのだろうかと不思議に思われたのであろ?舞姫は魅月姫殿の心に答えたまで。きわの森はあの世とこの世の境。全ての魂はあの森を通ってこの世とあの世を行き来するのだとも言われておる故」
「では…」
 確か、舞姫は主を失って山に引きこもったと聞いた気がする。と言う事は。
「そうじゃ、あやつはああして、元の主の魂を探しているのであろう。自分を置いて逝った主の魂が、森を通るのを、待って居るのであろうな」
「…再び、会えるのでしょうか。その人に」
 と聞くと、鈴は黙って首を振った。
「無理だろうな。森は広いし、通る魂はそれこそ星の数ほど。見つけるのはたやすいことでは無い。全く、元は人の身。己も魂の流れに身を任せてしまえば楽になれるであろうに」
 魂の流れに身を任せれば、舞姫であった自分は消えてしまう。だからどんなに寂しくとも、やはり待たずには居られないのだ。愚かだとは思う、だが…。
「その気持ち、わかるような気がします」
 ぽつりと呟いた魅月姫に、鈴は変らぬ笑みを返して、
「わしもじゃ」
 と言った。

<終り>


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【4682 / 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)・深淵の魔女】
【0086/ シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4682 / 黒榊 魅月姫(くろさかき・みづき) / 女性 / 999歳 / 吸血鬼(真祖)・深淵の魔女】

<登場NPC>
天 玲一郎(あまね・れいいちろう)
天 鈴(あまね・れいいちろう)

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■         ライター通信          ■
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黒榊魅月姫様
ご参加、ありがとうございました!ライターのむささびです。今回は寿天苑にお寄り頂、鈴、玲一郎と一緒に森へ向かっていただきました。『闇の竪琴』の音色、舞姫も天姉弟も楽しんだようです。ありがとうございました。舞姫ともほんの少しですが、言葉を交わしていただきました。サクランボのブランデーキルシュは、非常に好評だったようです。鈴たちに代わりまして、ご馳走様でしたとお礼申し上げます。きわの森の花見、お楽しみいただけていたなら嬉しいのですが。それでは、またお会い出来る事を願いつつ。

むささび。