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<東京怪談ウェブゲーム ゴーストネットOFF>


『百キロ婆』



■正午 〜遭遇より九時間前〜

 いつも通りの午後、いつも通りのインターネットカフェ、いつも通りそれを覗き込む友人…こういう日常の中に、幸せというものはあるのかも知れな――
「百キロ婆が出たって!」
 瀬名 雫がいきなり叫ぶものだから、影沼 ヒミコはコーヒーでむせるところだった。
「な、何がでたんです?」
 ほら、と指された渡された画面には、百キロ婆なるものの目撃情報がずらりと並んでいる。
「…あの、百キロ婆って?」
 得意満面の顔で、雫が指を振る。
「ちっち!我らが怪奇探偵クラブの部員がそんなことじゃあ、いけないなぁ〜」
 首をひねるヒミコに説明されたのは、すでに有名な都市伝説となった百キロ婆の話だった。
 それは高速道路を車で走行中に後ろから四つんばいで車を追いかけてくる恐るべき速度の老婆。都市伝説の常に漏れず様々な形態に変化しているが、そこは大体共通している。
「でも、追いかけてくるだけでしたら、害はないのかしら」
「うーん…それが色々あるのよね。百キロ婆を見るのは事故の前触れだとか、事故を起こさせるとか、色々言われてるの」
 顎に手を当てて考え込む雫の視線は、書き込みの共通点…『事故』という単語に向けられていた。事実、目撃情報が集中している山道は事故の多発地帯としても有名らしい。
「むー…何だか、きな臭そうな相手だなぁ…」
「危なそうならやめましょうか?私たちじゃ、車は運転できな…」
「何言ってんの!ここでやめたらオカルト系アイドルの名が廃るわ!必要なのは運転手!あとはみんなの勇気とカメラくらい!」
 そう意気込んで、雫は有志を募る意を示した。ヒミコが感じる、微かな不安をよそに。



■十二時十五分 〜遭遇より八時間四十五分前〜

 通りを歩く青年の口から漏れる微かなため息。鬱屈した空気が漏れて、周りの人にさえ伝染しそうになる。尤も、自分は悪魔であるから(時たま、それさえ忘れそうになってしまうが…)、周囲にそのような影響を与えることは、むしろ誇るべきことなのかもしれない。
 とは言え、人間界で生活しようとバイトの面接を受けては、堕落させるべき人間たちに手厳しく説教を受けてことごとく落ちる悪魔…というのもどうだろう。人間としてはもちろん、悪魔としてさえ誇れない気がする。

 …ああ、また今日も駄目だった。どこかに暗くて元気のない人大募集、とかそういうバイトはないのかなぁ…

 エドは読み潰された求人情報誌をもう一度読み直そうとして…震えている手に気付いた。またコレだ。カフェイン中毒の禁断症状だ。とことんついてない。

 えと…どこか、コーヒーの飲める場所は…

 それなりに賑やかな都心の通り。どこかに喫茶店でもあるだろう。そして彼が見つけたのは手ごろなインターネットカフェだった。
 だがここは雫が根城にしているカフェではなかったか。怪奇の噂に翻弄されるのは嫌だが…まあ、見付からないように奥の席にでも陣取ってしまえば問題ないだろう。今日は居ないと言う可能性もあるし、別に見付かったところで必ず怪奇事件に引き込まれるというわけでもない。
 震える手を隠すようにしてその中に滑り込む。携帯の電波の調子でも悪かったのか、玄関付近でうろついていた雫と、ばっちり視線が噛み合った。一瞬の間と沈黙の後、にんまりと彼女が笑う。悪魔が獲物を見つけたときの表情で。
 飛ぶべきだ。翼で逃げるべきだ。そう、最高速で。直感がそう告げたが、行動に移すよりも速く、雫が言った。
「エドさん、ちょうどいいところに!手伝ってよ!」

 エドはどこまでもついていないのだった。



■十九時半 〜遭遇より一時間半前〜

「そーれではぁー!コレより、心強い有志の皆さんを改めてご紹介しまぁす!」
 その日は夜八時にカフェの前で集合と連絡して、それぞれに必要な準備をし、改めて集合と相成った。
「まずは一人目!紹介するまでもないけど、私の友達、影沼ヒミコちゃん!」
 怪奇現象の検証に気持ちを持っていかれている雫は、自分のテンションに仲間たちがうんざりしていることも目に入らない。ヒミコは恥ずかしげに苦笑した。
「そして二人目は、なんと地獄から脱獄…じゃない、脱ヘルしてきた悪魔のエド・ーさん!苗字は発音不可能!職業は無職なので心配は要りません!暇な時間を有意義に使うために来てくれました!」
 百九十に近い背丈の割に、ひょろっと痩せた不健康そうな青年は俯いたまま幾度目か知れないため息を吐いた。
「あのさ…付き合うのはもう諦めたから良いけど、僕、暇って言われるのが一番嫌いなん…――」
「三人目は黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)さん!真っ黒なスーツの似合う中国美人は、影を操る能力者!クールな魅力のあるお姉ちゃんです!今回は運転手をしてくれるとか!さあ、みんな拍手拍手ー!」
「まあ、運転は任せろ。いざとなっても、私には『影』があるからな。…しかし、見事なスルーだったな…」
 反論する気も失せた様子でうな垂れるエドに、冥月が若干哀れみを含んだ視線を向ける。
「四人目は赤羽根・灯(あかばね・あかり)ちゃん!京都から東京を護るためにやってきた正義の味方…正確には朱雀の巫女!炎を操る力で、朱雀に代わって悪を成敗しちゃってくれる、私の頼もしい友達ー!」
 灯は雫の一つ下。本来真っ直ぐに明るい気質であるはずの彼女も、今日は少し不安そうにしている。尤も魔の浄化を生業とする彼女がそれを無闇に恐れることはない。彼女は実は乗り物に酔い易いのだ。
「ヒミコクン…酔い止めある?」
 灯の関心は明らかにそちらに行ったまま、雫の紹介には帰ってこなかった。
「あと、ついでに草間さん」
「俺はついでかよ!っていうか、冥月!なんで俺まで付き合わなきゃならないんだ!」
「文句を言うな。暇つぶしをする以上、私が楽しめないと意味がないだろう」
 単に反応を見て楽しむだけの存在として、草間は冥月に連れて来られたらしい。もちろん、雫は賑やかな方が好きなので大歓迎である。
「以上六名!さあ、気張って検証に向かいましょーう!」



■十九時四十五分 〜遭遇より一時間十五分前〜

 濃い紫の車体に鈍角を描くボンネット。横に広く、座席は一列三席で二列という変わった車だ。
 冥月は車種を検証しながら言った。
「ホンダのミニバンか…性能は良いが、カーチェイスには向いていない車だな。これから妖怪と鬼ごっこをするのに、家族向けの車でどうする。もっとパワーのある車種に変えろ」
「あのな…レンタル料馬鹿にならないんだぞ。それに乗る人数と年齢考えろよ」
 冥月は膨れながら、同行者の顔を見回した。ヒミコも雫も十七で、灯が一つ下。エドは悪魔らしいので実年齢こそ不明だが、見た目は十七程度。草間は安全性を取ったわけだ。
「まあ、スポーツカーに六人すし詰めにも出来ないわよね…」
 灯が苦笑いを浮かべる。
「それに、安全を考えるのは良いことだと思う…。車のメンテナンスもして置いた方がいいと思うよ」
 続くエドの言葉に、しぶしぶながら冥月は頷いた。細かい部品が多いので、多少神経は使うが、影の探知能力を用いれば、車内の異常などすぐに見分けられる。
「全く、車に頼るよりも、影の力で護る方がどれだけ安全か…」
 星空の下、冥月は小さくそう漏らした。



■二十時 〜遭遇より一時間前〜

「車の点検の間に、情報を整理しておきましょう」
 ジェットコースターの列に並ばされた子供のように緊張しているエドに、ヒミコが言った。雫と言えばもう上の空で、エドのことなど眼中にもない。
「そうね、正体の推理とかしてる方が気が紛れるし…」
 こちらは、乗り物酔いに対する恐怖を抱えた灯。不安の向かう先は異なれど、それを抱えているのは同じだ。エドはおもむろに頷いた。
「あの、こんな事言うのもなんだけど…百キロ婆が事故を起こさせるんじゃなくて、事故を予測して現れるって事は無いかな。第一スピードを出すには不向きな道なわけだし…曰くなくても事故る条件は整ってると思うんだよね」
「ああ…だからさっきメンテナンスを、なんて言ってたんですね」
「ふうん、そういう考え方もあるんだ。でも、そんなお婆さんが出てきたら普通の人はパニックにならない?逃げようと焦ると思うし…少なくとも、事故を誘発してる気はするな」
「いや、事故を起こしそうな車を狙ってくるんじゃないかなってことだよ…」
「あり得るかも知れませんね」
 推測から結論を出すのは不可能だが、ここは一考察を述べ合うしかない。今度は、灯の番だった。
「私、相手は獲物を追い抜くことに執着している気がするの。だから、追い抜くことができなければ百キロ婆は存在価値を失い消えるかもしれない」
「でも、それこそ事故に繋がるんじゃないかな」
「私は朱雀の力を借り受けることが出来るから、それで相手を妨害するつもり…なんだけど…」
 その為には箱乗り状態にならねばならない。酔わないで済めば奇跡だ。
「まあ、それでも…頑張ってみる。ヤンキーみたいでやだけどね」
 と、灯は無理に笑みを作って見せる。
 それ以前に箱乗りは暴走行為なので道路交通法違反だが、エドは無視することにした。
「僕は飛べるから…いざとなったら、逆に百キロ婆を追いかけたらどうなるか試してみたいんだけど…飛行しながら後ろに回り込めば一応出来ない事も無いから…」
「へえ…意外に凄い力持ってるのね、エドクン…。悪魔って本当だったんだ」
「本当は百キロ婆の状態や行動なんかをひたすら記録して、何が起こってるのか調べて、対処はその後…っていうのが一番だと思うんだけど…――」
 ヒミコも含め、三人で後ろを見やる。
「さて、異常なし。カーチェイスなんて久しぶりだからな。腕が鳴る…」
「きゃー、冥月さんカッコいい〜!頼りにしてるよ〜!」
 にんまり笑って肩を回す冥月と、飛び跳ねる雫…頭を抱える草間を無視する二人を見る限り、この計画は押し止めようはないらしい。エドはただうな垂れるしかなかった。



■二十一時 〜遭遇〜

 深夜の山道。車通りはほぼなく、直線に出ればスピードは出し放題、だが急なカーブは無数にあって、しかも暗い中では読みにくい。なるほど、灯とエドが相談していた内容を聞いたが、確かに放っておいても事故は起こりそうだ。
 冥月はそんなことを思いながら、カーブを曲がった。
「冥月さん、まるで先にカーブがあるってわかってるみたいじゃないですか…」
 後席、左側に座ったエドが言う。右ハンドルだから、自分とは対角線上だ。真後ろに座っているのが灯。小さめに作られた真ん中の席には、前に草間、後ろにヒミコが座り、雫は前列の窓際にいる。
「私は影を感じ取れるからな」
 この暗闇は自分にとっては都合が良い。手で触れているように道がわかる。感覚を鋭敏化させれば、周りの草木の形さえもだ。
「夜間の運転には、最適の人選ね…ちょっと、荒っぽい運転だけど…」
 灯が言う。
「奴が出たら、もっと荒っぽくなる。酔わないようにな」
「あはは…頑張ります…」
 引き攣った笑みを浮かべて、そう言った瞬間…――バックミラー越しに彼女の表情が凍りつき、続いて後方から風でも吹いてきたかのように冷たい『気配』が身を包んだ。
 それは霊に鈍感なはずの草間や雫にさえ伝わったらしく、冥月を除く全員が後ろを振り返る。そこにあるのは闇ばかり…しかし、灯が口調を凍てつかせて、自分に伝えた。
「来ました…奴です」
 闇に思念を送る。しかし、探知は出来ない。こちらも運転に集中しながらだから、距離のある探知は無理かも知れないが、それほど離れているのか?それとも、実体がないのか?どちらにしろ、そろそろギアチェンジの時間らしい。車も、自分もだ。
 凍てつく重圧の中、冥月はにやりと笑みをこぼした。

 …上等だ。

 一気に加速を始めた車の中で、エドが身震いする。陰鬱で弱々しい口調で、彼は言った。
「…見えてきたよ…――」



 まるで氷の中のような冷気の重圧。灯は背筋に張り付く悪寒を振り払い、パワーウィンドウの開閉ボタンを押した。かちり、という虚しい音。もう一度。再び、かちり、という音が響いただけ。
 前の席にいる雫も同じらしかった。カメラを構えようと窓を開けようとしているが、パワーウィンドウが全く反応しないらしい。
「あ、あれ?あれ…?」
 素っ頓狂な声を上げる雫。灯は急いで身を乗り出し、草間に尋ねた。
「窓が開きません。ロックとかしてないですよね?」
「…そんな機能、ついてないぞ」
 蒼ざめた顔で、草間が答える。ということは…これも奴?中にいる人間を、車の中に閉じ込める力…?
 冥月を除いて(彼女が動揺して後方を振り返るような人間でなくて良かった)、全員が後方に意識を集中させる。テールライトの灯りの中、その姿が浮かび上がった。ぼさぼさの白髪、にんまりと笑った顔、黄ばんだ肌と歯、細い手足、ぼろぼろの衣服を身にまとい、犬のように追いかけてくる老婆…――
 雫とヒミコが息を殺し、エドが妙な悲鳴を上げる。
「あんなの見るなんて僕、聞いて無かったよ…」
 灯自身も唾を飲み込み、運転席へ向けて叫んだ。
「十メートルくらい後ろにいます!」
 冥月は怪訝な顔をして、一瞬だけバックミラーに目を移した。
「…何もいないぞ?」
「すぐ後ろです!このままじゃ追いつかれます!」
「まあいい、わかった。いるんだな?それなら絶対に追いつかせやしない」
「私、出来る限り邪魔をしてみます!」
「振り落とされるなよ」
 急カーブを曲がった反動で、灯の体は左に掻っ攫われた。ヒミコが悲鳴をあげ、歯軋りするような表情で草間が椅子にしがみ付く。
「お前はもうちょっと綺麗な曲がり方は出来ないのかよ!」
「影を伝って、ルーフに放り出されたくなかったら、黙ってろ」
 草間と冥月の言い争いを無視して、灯はシートベルトを外した。窓は叩いても、蹴り飛ばしても、まるで結界のようにそれを弾く。見れば、エドもドアを開こうとしているがそれも反応しないらしい。
 視線を移せば、こちらはスピードを上げているはずなのに、老婆はにたにたと笑いながらゆっくりと距離を縮めつつある。
「ヒミコちゃん、離れてて!」
 ヒミコが蒼い顔で頷くと同時に、灯は大きく息を吸った。喉の奥の吐き気を堪えて窓へ向けて左手をかざす。紅い炎が手を包み、翼のように広がって弓を形作る。引いた右手に燃える直線が現れ、闇を切り裂く紅蓮がウィンドウへと狙いを定める。
「お、おい、これは俺がレンタルした…――」

 これが、魔の力によるものならば…!これで破れるはず!

 草間の哀れな訴えを無視し、灯は炎の矢を撃ち放った。矢は氷に放ったかのようにガラスに突き立つ。ゆっくりとヒビが広がり、突然、弾けるようにそれは砕けた。空気が車内に流れ込み、車体が大きく揺れる。
 右へ左へと体が攫われそうになる中、すぐさま灯は身を翻してエド側の窓も撃ち破った。
 むしろ、鼻先を浄化の力が掠めたことの方に、エドが悲鳴を上げる。
「言ってから撃っておくれよ!」
「ごめん!」
 五メートルほどまで迫ってきた老婆が、初めて笑みを崩し、割れた窓を忌々しげに見つめた。やはり、自分の力が破られたことが悔しいのか…?
「ヒミコちゃん、足持ってて!」
 下手に体を出したらすっ飛ばされてお陀仏だ。死に方に序列があるなら、妖怪に殺されるよりも質が落ちる気がする。妙なユーモアで自分を元気付けながら、灯は割れた窓から身を乗り出した。

 さあ、魔物よ!相手になって…――

 そこまで思ったとき、髪がもぎ取られそうな風を背に受けながら、灯は眉を寄せた。
 冥月の言ったとおり。そこには何も居なかったから。



「おい、近づかれてるぞ!何やってるんだ!」
 草間が隣で喚き散らすのを聞き流しながら、冥月はカーブを曲がった。タイヤが甲高く悲鳴を上げ、雫が妙な呻きと共に窓に押し付けられる。
「黙ってろと言ったろう」
 しかし、それにしても妙だ。みんな大騒ぎして、灯は窓をぶち割りまでしたが…――

 ――…こいつらは一体、何を見ているんだ?

 冥月は五感ではなく、影を探知する方に集中している。長く伸びる探知の触手を使って、車道を撫でるように手探りし、完璧にその形や道筋を把握しているから、目など瞑っていてもいい。
 だが、百キロ婆は全く探知には引っかからなかった。つまり影が存在しない。冥月の感覚の中にも存在しないということだ。
「曲がるぞ、戻れ、灯」
 窓から身を乗り出した灯が、矢も放たないまま車内に戻る。その瞬間、再び尻が左に滑り、ヒミコが微かな悲鳴を上げる。
「…そこにいるはずなのに…」
 灯がリアウィンドウを見つめながら、小さくそう漏らした。冥月は再びバックミラーを見たが、やはり何も見えない。冥月は首を捻った。どうも、おかしい。まるで一人相撲だ。
「…灯、影は見えるか?」
「え?百キロ婆に影…そういえば…見当たらない、です」
 灯が小さく呟く。やはり影がない。しかしそれでは…
「僕、見てくるよ」
 エドが言う。
「怖いけどね…何かわかったら、一回離れて、携帯で連絡するから」
 言い終わると同時に、彼は窓から身を躍らせた。



 エドは割れた窓を足蹴に飛び出し、空中で翼を広げた。パラシュートを開いた時に空へ攫われるような感覚がするが、それと良く似た衝撃が身を包む。背筋を凍りつかせるような重圧が解けて、ふっと背中が楽になる。
 飛び出した瞬間、百キロ婆と正面衝突するというのも笑えない。すぐさま上昇して、上空から車を眺める。冥月や、灯と同じだった。後ろには何も居ない。いや、それどころか、前後左右はもちろん、上にもいない。

 …どういうこと?飛び出す直前にはすぐ後ろにいたはずなのに。

 車の動きを見れば、まだ追われているらしい。しかしここからだと、単に一台の暴走車が走ってるようにしか…

 そう言えば、灯ちゃんが影がないとか言ってたっけ…冥月さんは見えて…じゃない、『感じ取れて』なかった…えーっと…

 ふと思い立ち、エドは高度を下げ、真後ろから車を眺めた。新幹線レベルのスピードまで出せる翼だが、もし冥月がブレーキを踏んだら、自分と衝突事故がおきる。それも笑えないので、彼は慎重に近づいていった。
 そして、全てを理解した。
 車内を押し包んだ重圧。開かなくなったドアや窓。すぐそこにいるという感覚。影のない百キロ婆。…全てはそういうことだったのか。



 限界だ。酔い止めを飲んでる自分がそうなのだから、外に出たエド以外はみんな同じ気持ちだろう…。灯はそう思った。
「…ようやくわかってきたぞ」
 凄まじい速度で乗客を揺さぶる車。パニックを通り過ぎて、ぐったりし始めた車内で、冥月が言った。それと同時に、灯の携帯が鳴り響く。エドの番号だ。
『もしもし、灯ちゃん?今すぐ車、止めた方がいいよ。正体わかったよ』
「エドからか?車を止めろと言ってきたか?」
 冥月が、先に言う。灯は答える気力も失いかけていたが、小さく「はい」とだけ言った。
「やっぱりな」
 冥月が、ブレーキを踏む。草間がその隣で呻いた。
「何止めてんだ…すぐ後ろのアレが見えないのかよ…」
「見ないのが正解なんだ」
 車が減速すると、百キロ婆も合わせて減速した。車が止まると相手もその場に止まり、威嚇するかのように歯をむき出してくるだけになった。

 …な、なに?どういうこと?

「後ろから見ればわかる。灯、先に出ろ。ドアが開かない」
 冥月が、灯の破った窓を指す。こみ上げてくる吐き気を抑え、ふらつく足取りで灯は外に出た。そしてリアウィンドウを見て、唖然とした。
「これって…」
 その『中』に、百キロ婆がいた。正体を見抜かれたことに腹を立てるかのように、髪を振り乱して威嚇しているが、どうやらガラス面からは出られないらしい。
「道理で…振り切れないわけね…。鏡面に取り憑く妖怪だったんだ…」
 ばさりと横にエドが飛んでくる。
「ドアが開かなかったのも、叩いただけじゃガラスが割れなかったのも、全部『すでに取り憑かれてたから』なんだよ。後ろから見て、ようやくわかったよ」
 窓を潜るのが面倒と言わんばかりに、灯の影から冥月が出てくる。
「こちらの距離感に合わせて、後方に自分がいるかのように像を見せてたんだな。いくら影で探っても、何も見付からなかったはずだ」
 そうやって絶対に振り切れない追跡劇を演じさせ、いずれハンドル操作を誤らせて事故に引き込む…。恐らく、この怪物はそうやって幾度も事故を巻き起こしてきたのだろう。
「車内に掛かったあの重圧も、考えれば当たり前か…包み込まれてたんなら…。けど、事故を起こさなければ、出て行けないみたいね」
 未だにこちらへ歯をむき出す老婆を見ながら、灯は言った。正体が暴かれたことで呪縛が解けたのか、車のドアが開いてほうほうの体で雫たちが出てくる。
「…げろげろー…」
「雫、お前にしては静かだったな。ヒミコも後半黙りこくってたが…一体、どうした?」
 冥月が言う。この人は、自分がしでかした運転を理解できていないのか。三人はそれに対する返答のように、無言のまま道路脇に向かった。エドは途中下車したからまだいいとして、彼らは…
「ところで、これどうしようか…ただ割るだけじゃ逃げちゃいそうだけど…」
 彼らを無視してエドが言う。
「…取り外して、蓮のところにでも売るか?」
 せり上がる吐き気を堪えて、灯は力を解放した。
「私が浄化します。私なら出来ますから」
 エドと冥月が顔を見合わせる。
「まあ、そうだな。ガラスを破ったのもお前だ」
「うん。それは僕らには出来ないことだし」
 頷いて、灯は再び『弓』を広げた。浄化の炎がリアウィンドウに向けて構えられ、中で雄叫ぶ怪物の額に直撃する。絶叫のような甲高い悲鳴と共に、それは砕け飛び…――


 ――…灯も道路脇に行くことにした。



■二十二時 〜遭遇より一時間後〜

 全てが終わり、胃の中身を吐きつくした四人がよろよろと戻ってくるのを待って、冥月は言った。
「さて、化け物も浄化されたことだし、窓も開け放たれたことだし、車に乗りなおせ。影で帰るのは簡単だが、久々に車の運転をして高ぶってもいる。みんな、送っ…――」
 それが、冥月に向けて全員分の否定の言葉が放たれる、一秒前の出来事だった。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【2778/黒・冥月(ヘイ・ミンユェ)/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【5251/赤羽根・灯(あかばね・あかり)/女性/16歳/女子高生&朱雀の巫女】
【5661/エド・ー(えど・ー)/男性/41歳/ニート】

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■         ライター通信          ■
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エド様、初めてのご参加ありがとうございます。
非常に印象的なキャラクターをされておりましたので、書いていて愉しかったです。

今回の話では、エド様の物憂げな感じや、怖がりなところを前面に押し出すようにしてみました。
やる気がなく、どちらかというと仲間たちを気に掛けたりもしないで、自分のしたいことをしたいようにする…という雰囲気の人物として描写しましたが、いかがでしたでしょうか。

また、イメージとして『百キロ婆は鏡面に取り憑く妖怪』というのは有力候補として自分の中にあったので、後ろからそれを暴いてくださるキャラクター様がいて助かりました。
推理は結局、外させてしまいましたが、キーマンになってくれてストーリーの流れを納得が行く方向に出来たと思います。

気に入っていただけたら幸いです。
それでは、また別の依頼でお会いできることを願っております。