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<東京怪談ノベル(シングル)>


彼女が出遭った神秘








  ―――――あの時、その領域に足を踏み入れなかったら。

          今でも時々そう想うことがある、と云ったら笑われるだろうか。





【1】



 ……日差しが、自分をじりじりと照りつけているのを感じる。



「ふぅ……」
 言うまでも無く暑い。先刻から自分がふと夢想するものと言えば、水ばかりだ。
 友人は海に行って肌を小麦色に行く、と言っていたが。これでは自分の方が余程効率的ではないか。
(それも……当然よね)
 ―――――そんなことを考えながら、彼女。秋月・律花は、黙々と「作業」を続けていた。
 年頃の女性としては自殺行為に等しい行いではないか、なんてことも考えてしまう。
「この区画のトレンチは……この位かしら。教授に指示を仰がないと」
 つい今まで掘っていた穴―――2m×2mが基本単位だったか―――を見て、ほぅ、と 溜息。
 ………彼女は、この青春を謳歌するべき大学生活の夏休みに。
 あろうことか発掘のボランティアに参加していた。
「……もう少しだけ、掘らないと駄目かしらね」
 一人で浅く頷きながら、再び注意深く大地と相対する………彼女自身は、歴史学の道を志しているのだが。
「しかし……暑いなぁ。水、一リットルじゃ足りないって本当だったんだ」
 歴史学や人類学畑の人間に限らず、考古学に興味のある者がこのように借り出されること自体は、大学においてさして珍しいことではない。考古学研究会などに所属していれば、長期休みの間の発掘のアルバイトなどは毎年舞い込んでくるし―――律花自身も、短期のボランティアの募集に自分から進んで応募したものである。
「……ふぅ」
 黙々と、彼女は土を暴き続ける。
 そして、そろそろ休憩を貰おうか―――などと弱音を吐き始めた頃。





             彼女は、「それ」と出会った。




「あ……」
 思わず、声を上げる。
 土の質が微妙に変わった―――そんなことを感じていた矢先に、彼女はその土からあるものを発見したのである。
 それは、奇妙な紋様であるらしかった。まず間違いなく、今発掘している遺跡の付随物だろう。
(……なんだろう)
 一見すれば、それは曼珠沙華の華を連想させるような、美しい流線を骨子としている。
 けれど、そこには密教の妙である梵字のような―――何か。何か、不思議が感じられる。

 オカルティックな。
 神秘的で、もしかしたら力すらある―――――――?

「秋月君?どうかしたのかい?」
「……あ、は、はい!」
 ボウ、とその紋様に目を奪われていた彼女は、先輩の学生に声を掛けられて正気に戻る。
 ……彼女がすべきことは。その発見物をみだりに壊さず、正確に報告することだった。









【2】


 そして、その体験から二週間後。
「うーん……やっぱり、密教の類じゃなかった?当てが外れたかなぁ…」
 彼女は大学の図書館で、文献を漁りつつ嘆息していた。
 ……次は、古代サンスクリット語にまで手を広げてみようか。
 そんなことを考え、大量の時間を費やしたそれが外れた時のことを考えて身震いする。
「でも……ここで止められたら苦労しないんだ、私」
 自分の性分は、自分が一番分かっている。
 彼女は新たな本を探すため、巨大な本の海へと再び向かっていく………




「むー、違う、かぁ……困ったな、本当に。次は…」
 二時間後に、悲鳴を上げて机に突っ伏す。
 けれど――――止まらない。まるで何かに憑かれたかのように、彼女は資料を漁っていた。
(……歴史の本、読むつもりだったんだけどな)
 横になってそう考える頭が、その先にある紙の束へ向く。
 自分の本来の目的である、自分の一番好きな分野である、歴史学の演習レポート。
 ジャン・ボダン『国家論』、フランソワ一世、トリエント公会議―――そんな用語が踊っている、レポート用紙。魔女狩りの推奨をしながら、しかしローマに禁書処分を受けたと云う数奇な男の著作を更に読み進めてみようかと………そう、そんな思いから、自分は此処に来たはずだった。
 紋様は、気になっていたけれどもその「ついで」。
 さっさと調べて、少し腑に落ちなくても無視して。エキスパートである考古学専攻の教授に意見を聞かせてもらって、自分は気付きませんでした、なんて頷いて。それで終わりになるはずだった。
(それなのに……自分は、ずっとずっと調べている)
 これを、異常と言わずに何と言おう?
「次は…ああもう、ビルマ語文化圏の仏教でも調べてしまおうかしら……」
 半ば退けない、という思いと共に気勢を吐いて、律花が再び立ち上がる。
「正解に辿り着けないかもしれないけど……このままじゃ、終わらせないんだから」
 自分を鼓舞するように言って、図書館の奥へと消えていく。


 ―――結局終電に間に合わなかったのは、或る意味では当然の結果だったのかも知れない。








【3】
 

 そんな生活が、数日続いた。
 流石に疲労を隠せないままに、律花はアルバイトの帰り道を歩いていた。
「しかし……この紋様。分からないことだらけだけど、何を意味しているのかしら」
 彼女はメモに写した件の紋様を見つめながら歩き続ける。
 考古学において。否、学問においてその疑問は当然のことだ。
 遺跡から重要な遺物が出たところで、「だからどうした?」と言う段階で止まってしまい、大成功と喜べない膠着状態も――――有り得ないことはないと、律花は知っていた。
「教授達は……どう見てるんだろう」
 あれから、まだ決着をつけようとしていない―――何処か意地になっている自分が居る。
「でも……」
 はぁ、と嘆息した。自分は変だ。
 あの、紋様を発見した瞬間の衝撃。今も尚続く、知りたいと云う奇妙な欲求。
 自分は―――考古学と云うものを、普通の学友の理解よりも一歩進んだ処まで知ってしまった。
「あ……明後日、歴史学演習のレジュメ作成、私の番じゃない!?」


 ………気が抜けても、むべなるかな。
 本当におかしなことになったと思いつつ、宿題をこなすために歩調を上げて。


 自分の目の前に、「人ではない何か」が居ることに気付いた。


「え……」
 信じられない思いで、思わず足を止めて凝視してしまう。
 ……人の形、人の色彩をしていない。自分の常識の内にいる存在ではない。
(そんな―――悪霊だとでも!?)
 心の中でのみ絶叫するが、一目見た時点で本当は気付いていた。
『……ケケ』

 ―――目の前で嗤うそれは、間違いなく彼岸の存在であると。
「………!」
 もと来た路を、全力で走る。よくもまあ恐怖で硬直しないものだと、呆れはしたが。
 とにかく、自分は死ぬかもしれない。アレは邪悪だ――考えつつ、走る。走る。
 そして、走る先に既に居るそれを見つけて顔を顰めた。
「あなた……何者?」
『………………ク』
 ぞっとしつつ掛けた声も、あざ笑われるのみ。本当は、敵(敵、だろう)の目的なんて分かっている。
 自分を―――五体満足のまま帰すほど優しいモノでは有り得まい。
「や……」
 じり、と後ずされば、じり、と同じだけ間合いを詰めてくる。
 どん、と壁に当たる。なんて失態、と頭のどこかで自分で自分を叱る。

                        (何かがひらりと落ちたが、気付かない)

 万事休すか。自分はこんなところで死ぬのかと思い、目を瞑る―――


 だが、なんの衝撃も襲ってこなかった。
「……?」
 不審に思い、目を開ける。
 するとそこでは―――いつの間にか鞄から落ちていたメモを前に、動けないそいつが居た。
(どういうこと?)
 不審に思ったから、思考する。
 それは何かの意味を持つ。そして対象は、火急の事態で、そして興味あるもの。
 何だ?
 何か、ああ、頭が混乱している。
 落ち着け。多分「解答はシンプルだ」。分かっている。



 そう、悪霊がその「効能の分からない」メモを見て退いているではないか………!
「!」
 何かが、弾けた。
 彼女はメモを拾い、ゆっくりと鞄にしまい。あまつさえ文字を閉じてしまう。
『!?』
 度肝を抜かれたのは、無論悪霊だろう。
 彼(彼女か。どちらでも良い)はしかし思い直し、改めて律花へ襲い掛かる!


「―――望み」


 律花は慌てずに、何故か空中に指を奔らせていた。
 何故かは分からない。

 正しいのかも分からない。

「―――夢想し」

 だが止まらずに、結果は大気中に色濃く顕現している。

「―――隔てる」

 ……見れば。
 彼女の前面に、美しい紋様の華が咲いていた。
 曼珠沙華のように。けれどそんな美ではなく、もっと崩れた、神秘的なもの。
 美しい、紋様。
「……これで、あなたは何も出来ない。消えなさい」
『……!』
 あとは、彼の者が退くまで待てば良い。自分はもう大丈夫だ、と律花は確信していた。
 やがて、日常に回帰する。
(これは……そう。そうだ、きっと結界のヴァリエーションに違いない)
 生者と死者、或いは平常と霊的空間を区別するもの―――そう、彼女は結論した。
 ならばこれは、埋葬者を悪霊から守るもの?
 それとも、旅立つ死者と地上の繋がりを絶つ為の?
「ふふ……」
 自分なりの決着。ようやく光明を見つけた気がして、彼女はつい微笑んでしまう。
「区別する、か……悪くないじゃない」
 楽しそうに呟いて、彼女は再び歩き出す。
 目指す先は自分のアパート……生者たる自分が帰る、そして知識を参照する場所だ。
「……きっとそれは、悪くない。差別よりもずっとましだわ」
 独白するように、呟く。
 ……その先は、偶然通過した電車の騒音に紛れて聞こえない。
 だが構うものか。元より他者に言っているわけでもない。これは、自分だけのものだ。




「『私と貴方は同じ次元では生きられないんだ』って。お互いに認識する為に必要な時もあったのよね、きっと…」


 そうして、彼女は帰り行く。
 空には、探求者を賞賛するかのように――――見事な満月が顔を覗かせていた。




【4】


「……というのが、私の見解です」
「ふむ……」
 そして、更に時は日を進める。
 翌朝、彼女は一限目が始まるよりも早く登校して、教授の部屋へ飛び込んだ。
 無論―――彼が次の時間に講義をしないことも、朝早くから研究室に居ることも知っていた。
「おそらく、余程高位の、霊力のある巫女か神官がそういった目的で編み出したのでは、と……」
「うん」
「……あの。やっぱり変だったでしょうか。私の考え」
 一気にまくしたてて、そこで教授が意見らしい意見を言っていないことに気付く。
 自分の悪癖を思って頬を赤らめながら、立ち上がった教授の言葉を待った。
「ふむ、ふむ……いやね。秋月君、でしたか?」
「は、はい」
「いやいや、今時では珍しい学生だと思いましてね」
「……はぁ」
 良く分からない物言いに、戸惑いを隠せない。
 ただ、彼は無能には無能と言い切る男だということは知っていた。
「それで」
「は、はい!」
「君は、確か歴史学に進もうと思ってたのですね?」
「え、ええ……その、」
 戸惑いながら、所属しようとしているゼミの教員名を告げた。
「へぇ…………………………彼が好きな酒、ワイルドターキーだったかな」
「は?」
「ああ、こっちの話です」
 ぶつぶつと何事かを云ってから、彼は再びこちらを見る。
「それで、ですね」
「ええ……」
「君、考古学専攻に来ませんか?」
「ええ!?」
 驚く。
「歴史学の教授の方には、上手く言っておきますから」
「わ、ワイルドターキーを使って、ですか?」
「ええ」
 否定も無く、にっこりと微笑まれてしまう。
「……私に言われましても」
「いや、いきなりすみませんね……でも、私は本気ですよ」
 さらさらと卓上のメモを書き、名刺とセットでこちらへ渡してくる。
 メモには、小さく、書名が刻まれていた。
「この分野について理解を深めたければ、まずそれから始めてみてください」
「ええと……」
「…………ウチの大学は、色々と早起きですから。……図書館も、もう開いているでしょうねぇ」
 悪戯好きそうな瞳がウインクしてくる。
 自分と言う人間の特性を知り尽くしたかのような、しかし無邪気なそれ。
「気が変わったらいつでも言ってください。私は君を評価した―――良いですね?」
「……」
 言うべきことは言った、とばかりに彼は背を向けてコーヒーを淹れ始める。
 おそらく、自分は二つの行動を期待されている。



 一つは、このまま居座り話を聞くこと。

 もう一つは―――――これもまた、自分らしく。



「ありがとうございました、先生!私、図書館へ行くのでこれで失礼しますね」
「はいはいー」
 気の抜けたような手が、ひらひらと舞う。
 それに対して律花は深々と礼をして、研究室を出て行った。






「ええと……五、六……七冊!よし、全部借りちゃえ!」
 メモに目を走らせつつ、彼女は嬉々として叫んだ。知を愛する者の領域に声が木霊する。
 だが、知ったことか。
「さ……急がないと!」

 彼女は、更に速度を上げてキャンパスを突っ切って行く。


 ―――――秋月・律花。



 彼女は次の年、めでたく考古学の道を歩むことになる―――――




                             <了>






<ライター通信>
 ご指名どうもありがとうございました、緋翊です。
 律花さんが結界形成能力を習得し、専攻を考古学に定めた時のお話と言うことで、これは中々の大役を任されたと思い、文字制限と相談しつつ構想を練りました。出来うる限りプレイングに忠実に、律花さんの「契機」を描写させて頂いたつもりです。満足して頂けると良いのですが。それと、呪文は私の勝手なイメェジなので御容赦下さると幸いです。

 それでは、物語を気に入って頂けることを切に願いつつ。
 また縁がありましたら、宜しくお願い致します。
                              緋翊