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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


Swan song

 白鳥は一生歌わないが、死ぬ直前に限って美しい歌を歌う事があるらしい。
「ふっ、ロマンチックな言い伝えだけどね」
 蓮はそう言いながら小さな木箱を取り出した。
「これだけのアンティークがこの値段なのはお買い得だよ。いい時に来たね」
 確かに自分でも手が届きそうな値段だ。
 それを買うか買わないか一瞬迷ったが、今買わないと次に来た時にはなくなってしまうだろう。
 購入の旨を告げると蓮はにっこりと笑みを向けた。
「いい買い物をしたね。大事にしてやりな」

 その客が鈴を鳴らして去っていくのを確認して、蓮はキセルを吸い細く煙を吐いた。
「白鳥が死ぬ直前に美しい歌を歌うように、芸術家が最期に残した素晴らしい作品を『Swan song』って言うんだよ。その最期の作品、あんたはどう使う?」

「さて、どうしたものか…」
 ジェームズ・ブラックマンはその木箱が入った『アンティークショップ・レン』の紙袋を持ってしばし考えた。木箱に入っていたのはアンティークのリキュールグラスだ。半透明のガラス製でグラス自体に美しい彫刻が施されており、これでリキュールを飲めばさぞかし美味く感じるだろう。
 ただ惜しいのは、自分がさほどアンティークに詳しくないことだ。このグラスを買ったのも、何となくそのリキュールグラスとそれにつけられた『Swan song』の銘に惹かれたからだ。普段物に対してあまり欲求はない方だが、これを見せられたときは何故か「手に入れたい」という気になった。まるでそのグラスが、自分を待っていたかとでもいうように。
「ナイトホークなら分かるか?」
 東京の片隅でカフェとバー兼用の店をやっている彼なら、きっとこのグラスがどこからやってきたか分かるだろう。そして、このグラスにぴったりのリキュールを見繕ってくれるはずだ。
 今から行けばちょうどバーが始まる時間だ。ジェームズは紙袋をぶら下げたまま蒼月亭へと足を向けた。

「いらっしゃい」
 どうやら自分が今日最初の客だったらしい。ジェームズはいつもの指定席である一番奥のカウンターへと向かった。ナイトホークがその席に置かれている「予約席」の札を取る。
「今日は早いな。まだ開けたばっかで貸し切り状態だ」
 カクテルメニューを差し出しながらナイトホークが笑う。ジェームズはいつものようにブラックルシアンを注文すると、テーブルの上に先ほど買ったばかりのリキュールグラスを出した。
「おっ?それアンティークのリキュールグラスじゃん。どうした?」
「先ほど買い求めたばかりの物なのだが、銘しか分からなくてな。ナイトホークなら知ってるかと思って持ってきた」
 ブラックルシアンと共に、クリームチーズが塗られたクラッカーの皿が置かれる。
 ナイトホークはそのリキュールグラスを手に取ると、何かを確かめるようにグラスの底や口に指を滑らせ、ジェームズに向かって微笑んだ。
「いいアンティークだな。彫刻の所にチップ…あ、ひび割れや欠けの事なんだけど…も入ってないし、何よりヴァセリンガラスってのが珍しい」
 やはりナイトホークは知っていたか…ブラックルシアンに口を付けながら、ジェームズはそれに目を向けた。ナイトホークのこの様子なら、きっとこのグラスについて詳しいことが聞けるだろう。
「あ、悪い。クロのグラスなのに俺がはしゃいじまった」
 ジェームズが少し微笑んだのに気づいたのか、ナイトホークはリキュールグラスを布で拭いてテーブルの上に置いた。食器に対する丁寧な扱い方も見ていて気持ちがいい。やはりここはいい店だ。
「いや、私はそれほどアンティークに詳しくない…いくつか質問していいかな?」
「俺の知ってる範囲なら」
 煙草に火をつけ、それをカウンター下の灰皿に置きながらナイトホークが答える。
「ヴァセリンガラスというのは?」
 そうジェームズが質問すると、ナイトホークはカウンター上の照明を指さした。そこには乳白色のガラスシェードがつけられており、それが蒼月亭全体の印象を柔らかく見せている。
「ここのガラスシェードも同じなんだけど、ガラスの着色にほんの少しだけウランを使って作ってるんだ。人体に影響はないけどな…今じゃ職人の健康とかそういう関係でほとんど作られてない」
「ふむ…珍しい物だったのか」
 そう言ってジェームズはまじまじとそのグラスを見た。そう言えば先ほど蓮の店で見たときは木箱に入ったままだったが、そこから出してカウンターに置くとその趣も一層素晴らしい物に見える。これは木箱に入れておくよりも、ちゃんと使ってこそ光る逸品なのかも知れない。
「ヴァセリンガラスの特徴は、真っ暗な中で紫外線当てると緑に光るんだ。ガラスシェードは結構アンティーク市場に出てたりするけど、食器は珍しいんじゃないかな…一点物のリキュールグラスなら特に」
「なるほど。じゃあ『Swan song』という銘は知っているかな?」
 ジェームズの質問にナイトホークは黙って首を横に振る。
「残念ながらそんな名前の工房とか、ガラス作家は知らないな。別の意味なら知ってるけど」
「それなら私も知っている伝説だ」
 煙草の煙がガラスシェードに重なって燻る。
 ナイトホークの言った「別の意味」についてはジェームズも知っていた。
 白鳥は一生歌わないが、死ぬ直前に限って美しい歌を歌う事がある…それと同じように芸術家が最期に残した素晴らしい作品を『Swan song』と言う事がある。もしかしたらこのグラスも、そんなガラス職人が最期に作った作品の一つなのかも知れない。
 ジェームズはブラックルシアンを飲みながら誰ともなしに呟く。
「『Swan song』、白鳥の歌のように最期に残す美しい作品…。『最期』というのは一体どんな気持ちなのだろうな。私にはそれが全く分からないのだよ」
 その言葉にナイトホークが笑った。
「分からない…ね」
 ジェームズもナイトホークも、人間では考えられない程の長い時間を生きている。自分は不死ではないが、今のところまだその時ではないらしい。人が死ぬところはたくさん見たが、その気持ちが一向に掴めないのだ。
 リキュールグラスが照明の下で光る。
「そもそも『死』という感情が、私には分からない。生命活動の停止に、何故人間があれほど感傷的になるのかも…」
「そんな簡単なもんじゃないよ」
 ナイトホークがジェームズを諭すように溜息をついた。ナイトホークは『不死』という呪いを背負っている。一時期は死を望み、死に焦がれていた彼が、何故今は東京というこの地で生きようとしているのか。それを考えるとジェームズは、いつも出口のない迷路を彷徨っているような気持ちになる。
「死は別れでもあり、休息でもある。新たな旅立ちという見方もあれば、永遠の終わりって見方もある…『死』が何かってのを、言葉だけで表すのは多分無理だ」
「それが分からないのは悲しむべき事なのかな?」
「いや。すぐ隣にある物なのに、その時になるまで誰もが忘れてることだ…」
 そう言うとナイトホークはリキュールグラスを手に取った。そしてコーヒー色のリキュールを注ぎ、それをジェームズに差し出す。
「ま、いいリキュールでも飲みながらグラスと語ってやりな。ジャマイカのブルーマウンテンを使った『ティア・マリア』ってコーヒーリキュール。初リキュールだから、俺の奢りで…っと、客だ。いらっしゃいませ」
 乳白色のグラスにコーヒーリキュールが冴えていた。何も入っていないときには気づかなかったが、中にリキュールが入っているとグラスに刻まれた彫刻が浮かび上がり、それが生き生きとしているように見える。木箱に入っているよりも、カウンターにただ置かれているときよりも、酒が入ったときが一番美しいグラス。ジェームズはそれを見ながら苦笑する。
「グラスと語る…か。さて、このグラスに秘められた最期の言葉とはどんなものかな。既に滅びた異国の言葉で綴られた愛の告白か?それとも…」
 ティア・マリアの香りが鼻をくすぐる。
 本当に、ここはコーヒーリキュールだけでも何種類あるのだろう。聖母マリアの涙が注がれたグラスをジェームズは口にした。リキュール独特の甘みと、コーヒーの苦みが一緒に喉に落ちていく。
 その時だった。
 ジェームズの耳にはっきりと聞こえた異国の言葉。
『このグラスで飲むリキュールは、きっと世界一美味しいですよ…』
 これはこのグラスを作った者が込めたものか、それともこのグラスを持ち主人に仕えていた者が込めた言葉か…だがその言葉は、最期と言うにはあまりにも優しすぎた。
 きっとこのグラスでリキュールを飲んでいた者は幸せだったのだろう。そんな気持ちがグラスを通して伝わってくる。
 ジェームズは辺りを見回した。ナイトホークも、他にカウンターに座っている客にもこの言葉は聞こえなかったようだ。
「………」
 そっとリキュールグラスを灯りに透かして見た。物には言葉や心がないはずなのに、何故かそのグラスは嬉しそうに見える。
「さて、この言葉は私の心だけに留めておくとするか。そしてお前はここに預けていくことにしよう」
 ジェームズはそう呟いてグラスを置いた。
 物にはあるべき場所というものがある。きっとここならそれにふさわしいだろう。世界一美味しいリキュールを味わうために、自分専用のグラスを預けるというのもなかなか粋なものだ。
「確かに世界一美味しいリキュールだ…」
 だが今は、ゆっくりと先ほどの言葉をゆっくりと胸に留めながら、リキュールを心行くまで味わう事にしよう…ジェームズはリキュールグラスとカウンターの中を見ながらそっと微笑んだ。

                                fin

◆ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
5128/ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人 & ??

◆ライター通信◆
発注ありがとうございます。水月小織です。
今回物の指定がなかったので、リキュールグラスにさせていただきました。自分専用のボトルじゃなく、グラスがあるというのは何だか憧れです。アンティークグラスとか、コーヒーリキュールも色々と調べてみました。お気に召すとよろしいのですが…。
リテイクとかありましたら遠慮なく言ってくださいませ。
では、またよろしくお願いします。