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第六話 六鐘の音がもたらす再会
日増しに強くなる日差しを和らげるように引かれたカーテンの元、少年は熱心に、手にした本のページを捲っていた。
古い木製の机の上にはかつてここに座った者たちがしたように、魔術書や過去のソサエティ関連人物の伝記、実践的な魔術の心得書などが積まれている。
長く伸びた髪が頬や瞳にかかるのも気にならない程、少年は文字を追う事に夢中になっている。
彼が寝食の場としている魔術ソサエティの会館には無かった文書に、少年は目を奪われ続けていた。
少年――伏見夜刀は一冊の本と出合い、自身の目指す魔術の方向を定めた。
『五徳の薔薇』と呼ばれる魔術の手引書がイメージの喚起を促してくれたのだ。
黒い革表紙の手触りが指に馴染んできた頃には、夜刀は会館の蔵書では物足りなくなっていた。
そこで数日ずつ、別の大きな会館の蔵書室を訪れるように許可をもらったのだった。
控えめな鐘の音が館内に六時を告げる。
済んだ音が意識を文字から現実へと戻し、読みかけの書物を夜刀は棚に戻した。
書物を会館の外へ持ち出す事は禁じられている。
幾重にも抗魔術機構の働いている会館内では安全であっても、外界では何と反応して危険が起こるかわからない。
そんな危険な書物も、蔵書の中にはある。
――……今日で終わりかぁ。
帰り支度を始めた夜刀は、得る物が大きかった数日間に名残惜しさを感じて背表紙をなぞった。
――……もっと時間があれば……ううん、やっぱり同じかな。
時間があっても、もっと本を読んでいたいと思ってしまいそうだ。
――……また来ればいいよね。
そう自分に言い聞かせて夜刀は微笑み、夜刀は会館の外に出た。
迎えの車が会館の外に止まっているはずなのだが――。
「遅ぇよ夜刀」
「あっ、すみませ……っ!?」
それらしい車の窓から覗き込んだ運転席で夜刀を見返しているのは、『五徳の薔薇』を手渡してれくれた青年、ルーカ・バルトロメオだった。
ルーカの運転する車は静かに道を走っている。
初夏の風が薄く開けた窓から入って夜刀の髪を漉いていく。
「向こうの会館に寄ったらこっちだって聞いて、代わりに迎えに来た」
「……あ、ありがとうございます」
「ジジイをあんまりこき使うなよー」とルーカが冷やかしているのは、会館の管理人の事だろうか。
荒っぽい言動の印象が強いだけに、夜刀は意外に思った。
――……車の運転も荒っぽいんだと思ってた。
ふと、自分を見失っていた夜刀を、強引な方法と運転で教会へと連れ出してくれたシスターの姿が思い出された。
繋がりが完全に絶たれた訳ではないが、日々の生活に追われていると遠くにいる人々の事はつい後回しになってしまう。
――……教会にいる皆、元気かな……。
懐かしいというにはまだ早い気もするが、それだけ夜刀の日々が密度の濃い時間へと変化しているといえるかもしれない。
そんな事を思いながら助手席から伺い見たルーカは、ジーンズとシャツにジャケットを羽織った姿で以前出会った時よりも幾分ラフな感じがした。
今日はカラビニエリの職務からは離れているようだ。
「後ろのシートにさっきテキトーに買った物があるから、腹減ってたら食いな。
おごりだから遠慮すんなよ?」
無造作に放られたコンビニエンスストアの白い袋にはとりあえずといった感じで、お弁当、おにぎり、サンドウィッチ、パック入りのフルーツジュース、プリン、チョコレートバーなどが詰められている。
「……それじゃ、サンドウィッチとジュースを頂きます」
あまりバランスの取れていないメニューだったが、その中でもややましな組み合わせだろうと思う。
「全部食ってもいいのに」
「こんなに入りませんよ!」
ハンドルを握りながらルーカは笑った。
「たくさん飯食って早くでかくなって、俺なんか追い越せよ。夜刀」
「……それ、身長の話ですよね?」
サンドウィッチを一口かじった夜刀が眉を寄せる。
裏表の無い人物だが、年齢差もあってか夜刀には掴み辛い表情や言動をルーカは見せる時がある。
「まあいろいろだ。
後輩が伸びていくのは見ていて楽しいよ、実際」
「……そうですか」
会話が途切れたのを機に、夜刀はルーカの師について尋ねてみた。
『五徳の薔薇』を手にしてから気になっていたのだ。
「……ルーカさんの先生は……どんな人だったんですか?
やっぱり……すごく尊敬してたんですよね?」
ルーカが魔術師として<白鍵騎士団>の『白の第二鍵』と呼ばれている事は、夜刀も彼と出会った後、会館の管理人から知らされた。
そして蔵書の中には白と黒の騎士団について記述した物もあったのだ。
白鍵騎士団の中でも第二鍵はアレクシエルと呼ばれる存在を召喚し、使役する。
アレクシエルの能力についても記述はあった。
使役者の自己再生能力を高める事と、召喚中は一度きりだが死からの復活を許される。
――……きっと立派な人だったんだよね。
天使のイメージに聖なる物を重ね合わせて夜刀は思った。
「尊敬ってのはしっくりこないが……そうだな、少しの間だったが一番近い場所にいてくれた人だ。
優しい人ではなかった。
どっちかというと、厳しい人だったな。
魔術以外は全く何にもできない人で、人使いも荒かったぜ。
先生みたいになりたいって言ったら、『目標が低いんだよ!』って怒られたぜ。
皮肉入ってたんだけど、通じなかったか」
そして一言付け加える。
「死んじまったけどな」
ルーカは特に悲痛な声でもなく、淡々と言った。
笑いながら話すルーカの言葉に、夜刀は一瞬息が詰まりそうになった。
聞いてはいけない話だったのではないかと、心臓がはねる。
慕っていた相手が目の前で息絶える苦痛の棘は、いまだに夜刀の胸に刺さっている。
その痛みが薄らいできているとはいえ。
「……亡くなったんですか」
夜刀の声ににじむ後悔を感じ取って、ルーカは眼鏡の奥の瞳を和らげた。
「お前は気にしなくてもいい。
もう俺も、先生が死んだのを気に病む事は無いし。
思い出さなくなったってのとは、違うけどな……」
少しの間考え込み、ルーカは再び口を開いた。
「俺の先生はアレクシエル召喚してた時に死んで、アレクシエルの能力で生き返った。
持ってた魔力全部使って。
だから正確にはまだ先生は生きてる。
魔力が無いから、もう魔術師としてではないけどな……。
俺が白の第二鍵を継いでからは会ってないよ。
『死んだと思え』って手紙も来たし」
ルーカの師は魔力を失った自分に魔術師の資格がないと判断し、自ら騎士団を退いた。
今は魔術とは無縁の地でひっそりと暮らしているはずだ。
「いつかローマのソサエティ本部に行けたら、歴代騎士の肖像画があるから見てみな。
結構目立つ美人だぜ」
「……女の人、ですか?」
夜刀の思い描いていた師というものは年老いた男性だった。
もっとも魔術を修める者の中には女性も多いのだが。
「あれが女ってのが疑わしいぐらいだったがな……何で黒鍵に選ばれなかったんだか」
ぶつぶつとルーカは口の中で呟いた。
「ルーカさんは……先生と過ごして魔術以外の事も学んだんですか?
普通の、学校の先生がどんな風か僕にはわからないけれど……」
ただ魔術を教え教わるだけの関係を望んでいるのか、夜刀自身もまだ判断できないでいる。
そんな夜刀に苦笑して、ルーカはバックミラーに映る自分の顔を見た。
当時の師と同じ年頃の男が映っている。
「一応年上だから先生って呼んでたけど、あの人は弟子に真面目に何か教えるタイプじゃなかった。
こっちが自分で学ばなきゃついて行けない所も多かったし。
まあ、ロクでもない事は教えてくれたよ。
先生として出会った人だったけど、嫌いじゃなかったな」
沈んだ表情で言葉を聴いている夜刀に、「ま、そんな師匠は他にそういないから安心しろよ」とルーカは言った。
「自分が何をやりたいのか固まってきたんだろ?
師匠は……そうだな、実際に会ってみて合わなきゃやめりゃいいんだし」
拍子抜けした夜刀が聞き返した。
「……それでいいんですか」
「どうしても譲れない部分はあるだろ、何にでも」
――……僕の譲れないもの……。
探索、探求の魔術。
より深く、広く、世界を瞳におさめるために。
それだけは変えたくないと思う。
ヘッドライトの向こうに、今では見慣れた矢車菊のあしらわれた門が見えてきた。
普段は思考に沈む事が多い夜刀だけに、誰かと話していると時間が過ぎるのがあっという間に感じられる。
「あ、髪はそろそろ切るか結んだ方がいいぜ。
邪魔だろ?
……いや、結ぶとアイツに似るか。それは嫌だな」
ルーカは物腰は丁寧だが人使いの荒い自称友人の髪型を連想して肩を落とした。
彼も長い黒髪を後ろで一つに結んでいる。
不思議そうに首を傾ける夜刀にルーカは手を振った。
「何でもない。気にするなよ」
そして表情を改めて夜刀を見つめた。
車というのはちょっとした密室にもなって便利だとルーカは思う。
聞かせたくない相手がいるなら特に。
「……これは俺の感じた事だから、どう思うかはお前に任せる。
ソサエティ上層部はお前につける師の選抜で揉めている。
そこに利権争いが噛んでいるのは確かだ。
……俺はくだらない理由で、お前が年寄りどもの道具にされるのは見たくない」
自分をめぐっての争いは薄っすらと感じてきただけに、ルーカの言葉は真実味を帯びて響いた。
「俺で良ければ、師になりそうな奴に連絡を取る。
お前の能力を生かせる魔術師は、揉める程多くはいないんだ」
「返事は待つけど、早い方がいいぜ」と言ってルーカは去って行った。
夜刀が今心を開いて信用できる相手で、師とな人を一番早く探してくれるのはルーカに思える。
――……僕に、先生を選ぶ権利があるのかな。
ルーカは「合わなければやめればいい」と言うが。
きっとソサエティの用意した人間ではそうもいかないのだろう。
指にふれた門扉は昼間の太陽に温められて、日の落ちた今もまだ温かかった。
それを押して中に入りながら、いつルーカに連絡をしようかと夜刀は考えていた。
残された時間に背を押されるように感じながら。
(終)
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