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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


はじめてのおつかい

 たった今、尾行の依頼が草間興信所に入った。しかし草間武彦はやる気がない。
「午後一時の新幹線で東京駅に着く三歳児が和菓子屋で大福を買えるかどうか、尾行を頼むって、京都の老舗和菓子屋からだ。そんなのハードボイルドの仕事じゃない」
どうやら武彦は尾行相手が子供なのと、たかがおつかいで新幹線代がぽんと出る依頼主の懐具合に反発しているらしい。行きたいのならお前が行けと背を向けられてしまった。
 こういう、子供に新幹線代をぽんと出せるような依頼主の仕事を真面目に引き受けていればもっと儲かるはずなのに。

 東京駅の目の前を走る大きな道路を、一人の男の子が心もとなげに歩いている。背負っているくまのリュックは笑っているが、男の子自身は今にも泣き出しそうなのを堪えているようでもあり、自分の使命を果たそうと静かな決意を秘めているようでもあり。いつの間にやらその男の子を見守っている初瀬日和まで同じ表情に変わっていた。
「・・・おい、その顔止めてくれよ」
思わず羽角悠宇は頼んでしまう。なぜなら、日和にそんな顔をされていまうと悠宇まで同じ顔になってしまうからだ。日和は男の子が心配で、そんな日和が悠宇は心配でたまらない。
 ポケットから出した地図で和菓子屋を確かめる。東京駅からは大きな道を渡ってその先の角を左へ曲がった通り、大分向こうにある。三歳児の足なら二十分かかるかという距離、迷子にならなければの話だけれど。
「お前も迷子にはなるなよ」
このとき悠宇が注意したのは日和にではない。二人のそばにでんとおすわりをして舌をたらしている彼女の愛犬、バドに対してだ。散歩用のハーネスは無論つけているが、大型犬のバドは人懐こく、はしゃいで走り出すと日和は言うまでもなく悠宇であっても引きずられる。手を離すと、どこへ行ってしまうか知れなかった。
「日和。どうしてバドを連れてきたんだ?」
「えっと・・・バドなら男の子を見失っても匂いでわかるかなって思って・・・。それに、散歩のふりをしていればあの子の後ろを歩いていても不自然じゃないでしょ」
そうか、とだけ煮え切らない返事の悠宇。はじめてのおつかいと大きな犬、この組み合わせが悠宇にはあまりよい思い出ではなかった。
 あのときは黒い犬だった。漫画に出てくるような首輪をつけた、息の荒いドーベルマン。いつもは鎖につながれているのに、よりによって悠宇のはじめてのおつかいの日にだけ、なぜか解き放たれていた。
「来るな、来んじゃねえーっ!」
五百円玉を握りしめ、大声で喚きながら走った覚えがある。恐くてたまらなかったが、しかし泣いてはいなかった、これは沽券にかかわることなので断言しておく。
「お前ははじめてのおつかいって覚えてるか?」
「え?」
「あ・・・いや、なんでもない」
日和の思い出を聞けば代わりに自分の話もしなければならない。語れないほど恥かしいものではないが、自慢もできなかった。
 口にしかけた思い出を飲み込んで、悠宇は急ぎ足に歩き出した。男の子のくまのリュックが、人ごみに紛れて見失いそうだった。バドを連れた日和は、慌てて大きな背中を追いかける。

 びゅんびゅんと車の過ぎる大通りで男の子は立ち往生していた。片側四車線の道路は、三歳児には遠すぎる。母親に連れられた三歳児なら渡れるだろうが、東京が初めての男の子には試練に他ならなかった。
「どうしよう、一緒に歩いてあげないと危ないよね、悠宇くん」
日和は早くもバドのハーネスを握りしめて悠宇に許可を求めている。もしも日和にバドと同じ白い尻尾があったなら、動揺で尻尾が振り回されているに違いない。
「確かに、あんなチビ一人じゃ無理そうだな」
となると、悠宇は辺りを見回し渡れそうな道を探す。が、どの道も信号が変わるのはわずかな間だけで、安全な行き道は歩道橋以外になさそうだった。東京の歩道橋は十字路の上にたすきがけで跨っていて、蜘蛛の長い手足に似ている。
 誰かが飛ばした風船を、悠宇は利用した。一度は空高く上っていきかけた赤い風船を重力で操り、男の子の視界に入る位置まで引っ張り下ろす。案の定男の子は過ぎ去る車の群から風船に気を取られ、手を伸ばしては届かないことにもたつきながら頼りない足取りで歩道橋へ近づいていく。魚を、浮きで釣っているような気分だった。
 あと四歩進めば歩道橋の一段目、というところで悠宇は風船を重力から解放した。風船から伸びる糸は男の子の指先をすり抜け、歩道橋とふざけあうようにじゃれあいながら、そして手を振って雲の向こうへ旅立っていった。
「・・・あ」
丸い影を名残惜しそうに見つめていた男の子だったが、間もなく歩道橋の存在に気づきクリーム色をした橋が道の向こうへ続いていることを確かめると、一段目に足を乗せた。
 幼児が一人で階段を使うとき注意しなければならないのは登るときよりも下るとき。手すりにつかまることができないし、頭が重いのでバランスを崩して転げ落ちかねない。それを男の子は非常にうまくやった。
「よいしょ」
男の子は階段の前に来ると、ズボンが汚れるのも構わず地面に腹ばいになった。そしてくるりと反転し、お尻を向けて右足を伸ばし下の段を探る。右足の先が二段目に触れるとゆっくりと体を下にずらして、左足も着地。二段目でもまた腹ばい、反転、右足左足。
 そうやって延々と、男の子は苦労しながら階段を降りきった。
「よし、尾行を続けるぞ」
「うん」
二人と一匹、悠宇と日和とバドは男の子が苦労して歩道橋を渡っている間に下の横断歩道を使って対岸へ先回りしていた。しかし、横断歩道の真横に歩道橋を作るとは一体どうした矛盾だろうか。そんなことを考えながら悠宇は男の子のくまのリュックを追いかけていた。

歩道橋を渡った後、男の子は一度道を間違いかけたが二人が助けるほどのことでもなく、正しい通りへ戻ることができた。あとはもう、店で大福を買うだけである。
「もう大丈夫だな」
心配することはないだろうと悠宇、言いながら自分のはじめての買い物を思い出そうとしていた。なんだかやたらに重かった記憶がある、あれは牛乳ではなかっただろうか。
 追いかけてくるドーベルマンを死ぬ気で振り切って、店に入るとなぜか兄がガムを買っていた。なにをしてるのか訊いたらガムを買っていると大真面目に答えられた。子供のときはそれを素直に信じたのだけれど、今考えてみれば待ち伏せされていたのだろう。
 後ろを歩いてきたとすれば、ドーベルマンのときになぜ助けてくれなかったかと怒りが込み上げてくるので待ち伏せしていたのだと決めていた。その後兄とは牛乳の入った袋を交代でぶら下げながら一緒に家まで帰った。
「バドはお散歩楽しかった?」
尾行のカモフラージュに連れてきた愛犬であったが、彼自身は満足しているようだった。普段、散歩の係は兄なので日和と歩けたことが嬉しかったのだろう。
 わふっ、とバドが突然大きな声で吠えた。びっくりするような声だったがおやつをねだるときの声だったので、日和は和菓子屋でお団子でも焼いているのだろうと思った。同じように考えた悠宇は男の子のくまのリュックを探したが、そのくまが男の子の胸に抱かれコリー犬とにらみ合っているのを見て頬を引きつらせた。
 和菓子屋の前にふさふさした毛並みのコリーがつながれていた。男の子は犬の出現に身をすくませている、元々犬が苦手なのか、もしくはただびっくりしただけなのか。どちらにせよ動けない。
「噛みついたりしないだろうな」
と、心配になった瞬間犬が鳴いた。男の子がさらにリュックを抱きしめる。
「犬の気を逸らそう」
出番だとバドを促す。すでに準備万端のバドは、早くコリーと友達になりたいと興奮しながら近づいていく。油断するとハーネスを振り切って駆け出しかねないので、日和は懸命に引っ張っていた。
「バド、バド、お友達がいるわよ」
しかしあくまで散歩を装い、男の子の脇に立つ。バドはコリーの倍くらいあり、顔の高さは男の子とほとんど同じだった。日和は男の子を安心させるため
「恐くないわよ」
と笑いかけようとしたのだが、いきなりバドとコリーが吠えだしたので何事かと目を見開いた。少し離れて見守っていた悠宇も、駆け寄ってくる。
 二匹の犬の背中になにか、白いものと茶色いものとが貼りついていた。小動物が必死でしがみついているという感じである。
「バド、バド、落ち着きなさい」
「日和、リードを貸せ!」
走り回るバド引きずられそうになってよろめく日和、悠宇は日和の手からリードを預かり、バドを落ち着かせようと両手で首を抱え込む。そこへ
「二人とも、なにしているの?」
小走りで駆け寄ってきたのはなんとシュライン・エマだった。さらに男の子を守るように両肩に手を置いているのは那智三織。ということは、バドに張りついているのは。
「お前こそ、なにしてんだ」
茶色い動物をひきはがすと、鈴森鎮がぷうと頬を膨らませた。

 シュラインたちは、日和たちとほんのわずかな時間差で武彦から愚痴を聞かされていた。そして、武彦の代わりに依頼を引き受け二人とは別の場所から男の子を見守っていたのである。三織が、この状況を冷静に分析する。
「ダブルブッキングだな」
原因は当然、だれかれ構わず愚痴をこぼした武彦にある。
「結果的に、君の買い物を邪魔することになってしまった。申し訳ない」
「え、ええよ」
三織から深々と頭を下げられ男の子は慌てて首を振る。背負っているくまのリュックには買ったばかりの大福が入っており、また、その口元はあんこで汚れている。結果の結果としては無事におつかいを果たしごほうびを味わっているという場面だ。
 尾行の五人も、和菓子屋の奥にある休憩処でそれぞれ大福と緑茶を頂いていた。ついでに悠宇と鎮はいつも通りの口争いを繰り広げていた。
「お前なあ、いきなり犬に飛びかかるなんて危ないとか思わなかったのか?食われたかもしれないんだぞ」
「俺もくーちゃんもそんなドジじゃねえよ、マヌケな犬になんて捕まら・・・あ、違う違う」
バドはマヌケなんかじゃないと慌てて鼬が訂正する。人間の姿で食べるより、鼬のほうがたくさん食べられるからとその姿のままなのだ。
「気にしなくてもいいのよ、鎮くん。バドにもあのコリーにもケガはなかったし」
家族へのおみやげを包んでもらいながら日和がふんわり微笑む。自分の名前を呼ばれたのがわかったのか、店の外からバドが高い声で吠えた。
「君、帰りも一人で新幹線に乗るの?」
シュラインが訊ねた。すると男の子は五人を見回し、少し目を伏せる。
「今日はここでお泊まりする。明日お母ちゃんに来てもろうて、一緒におうち戻る」
がんばったんやからもうええやろ?とその目は訴えている。和菓子職人の男は
「いいですよ。僕からおうちに連絡しておきましょう」
と電話を手に取った。ほっとした男の子の目にはようやく、三歳児らしいおっとりとした光が宿った。かと思うとほどなくうとうと、船をこぎ始める。
 はじめてのおつかいが大冒険そして大成功だったことを、うたた寝は証明していた。証言できる五人は、可愛らしい寝顔を見守った。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/ シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2320/ 鈴森鎮/男性/497歳/鎌鼬参番手
3524/ 初瀬日和/女性/16歳/高校生
3525/ 羽角悠宇/男性/16歳/高校生
4315/ 那智三織/女性/18歳/高校生、トレーサー

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
自分のはじめてのおつかいがなんだったかは覚えてませんが、
子供が健気に頑張る姿は大好きです。
あと今回は動物が沢山書けたので楽しかったです。
悠宇さまのおつかいの思い出、ドーベルマンと書きましたが
自分が小さかったのでもしかするとミニチュアピンシャー
かもしれません。
お兄様との思い出、帰り道は多分じゃんけんで荷物持ちです。
(電柱から電柱まで)
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。