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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


Swan song

 白鳥は一生歌わないが、死ぬ直前に限って美しい歌を歌う事があるらしい。
「ふっ、ロマンチックな言い伝えだけどね」
 蓮はそう言いながら小さな木箱を取り出した。
「これだけのアンティークがこの値段なのはお買い得だよ。いい時に来たね」
 確かに自分でも手が届きそうな値段だ。
 それを買うか買わないか一瞬迷ったが、今買わないと次に来た時にはなくなってしまうだろう。
 購入の旨を告げると蓮はにっこりと笑みを向けた。
「いい買い物をしたね。大事にしてやりな」

 その客が鈴を鳴らして去っていくのを確認して、蓮はキセルを吸い細く煙を吐いた。
「白鳥が死ぬ直前に美しい歌を歌うように、芸術家が最期に残した素晴らしい作品を『Swan song』って言うんだよ。その最期の作品、あんたはどう使う?」

 木箱の入った紙袋を下げながら、劉・月璃(らう・ゆえりー)は軽い足取りで道を歩いていた。
 蓮に見せられた木箱の中に入っていたのは、四葉のクローバーをモチーフにしたシンプルな銀細工のネクタイピンとカフスのセットだった。シルバーに施された金彩は品が良く、葉の部分には黄緑色のヘリオドールという石が埋め込まれている。ギリシャ語で「太陽の贈り物」を表す石…これを作った者はきっと腕の良い銀細工師だったのだろう。
「どうしましょうか…」
 つい心惹かれて買い求めてしまったが、普段スーツを着る機会は全くない。
 今の格好のままではせっかく買ったこのアンティークも全く使えない。そう思いながら歩いていると、すれ違うスーツ姿のサラリーマンの姿が目に入った。
 人はいつもスーツを着て忙しそうに仕事に向かっている。
 もし自分がスーツをを着たら、いつも見ている景色は違った色に見えるのだろうか…。
 月璃はその姿を見送り、紙袋を下げたまま小さな洋品屋に入っていった。このカフスとネクタイピンに合う服を探すのなら大きな紳士服売り場ではなく、丁寧な仕事をする小さな洋品店の方がふさわしい。何故かそんな気がする。
「いらっしゃいませ」
 初老の店主と目が合うと、月璃は一つ小さくお辞儀をしてから木箱の中に入っている『Swan song』を差し出しこう言った。
「このネクタイピンとカフスに似合う服をお願いします」
 月璃のその言葉に店主は何かを確認するようにカフスを手に取ると、たくさんの棚の中からきびきびと品物を差し出した。グレーの品の良さそうなスーツに、薄い緑のワイシャツ。それに深い緑で少し光沢のある細めのネクタイ。スーツは店に飾られていたものだが、店主が細身の月璃に合うように丁寧に直しをしてくれる。
「ありがとうございます…あの、これはどのように着ければいいのでしょうか?」
 なにぶんネクタイをするのが初めてなので、それに月璃が戸惑っていると店主が丁寧な手つきで結び方を教えてくれた。少し首元が苦しいような気がするが、ネクタイを着けると急に背筋が伸びるような気がする。
「ネクタイは結び方一つで人柄を見られてしまいますから、何度も練習するとよろしいでしょう…新入社員の方でございますか?」
「い、いえ、そう言う訳ではないのですが…」
 まさか「一度スーツを着てみたかったから」とは言えない。月璃が困ったように笑っていると、店主はそれ以上何も聞かなかった。そしてネクタイピンとカフスの付け方を丁寧に教えてくれる。
「如何でございますか?」
 先ほどまで木箱に入っていた四つ葉は、店主のあつらえたネクタイとワイシャツに良く映えていた。鏡に映った自分が何だか別人のように見える。
「何だか緊張しますね…」
「そのうちに慣れて来るものでございます…ベストの方も少し横を詰めた方がよろしいですね」
 そう言いながら慣れた手つきでまち針を打っていくのを、月璃は不思議な気持ちで見つめていた。自分の店に客としてやって来るサラリーマンも、こんな風にスーツを買ったりしているのだろうか。
 そして、鏡に映った自分に緊張したりするのだろうか…。

 スーツを手に入れた次の日、月璃はそれを着て出かけることにした。
 今日一日はサラリーマンと同じように満員列車に乗ったりしてみたい。そうしたら少し景色が違ったりするのだろうか…そう思うと何だかわくわくする。
「ネクタイは曲がってませんよね」
 店主が言った言葉が気になり、ネクタイをついチェックしてしまう。カフスもちゃんとついているし、胸の内ポケットには財布もちゃんと入っている。
「行ってきます」
 そう挨拶していつもよりずっと早い時間の列車に乗るために、月璃は家を後にした。

「………」
 ラッシュアワーの駅は自分が思っていたよりもかなり壮絶だった。人はホームにあふれかえっているし、何だか皆心なし殺気立っているようにも見える。あまりの混雑ぶりに圧倒され、思わず列車を一本見送ったりもしたのだが、どうやら空いている列車というものはこの時間存在していないらしい。
「仕方ない…乗りますか」
 列車が止まる。
 乗る者と降りる者が人の渦になってホームを行き来する。
 何とかその隙間に体を滑り込ませ列車に乗り込み奥に行ったものの、あまりの人波に身動きがとれない。
「乗りましたら中の方にお進み願います」
 そんな車内放送も全く意味がない。自分の足が地面に着いているのかさえも分からない中で、月璃は辺りを見回した。
 こんな混雑した中で新聞を読んでいる者がいる。別の場所では文庫本。他にも立ったまま居眠りしてるものや、携帯でメールをチェックしている者もいる。
「皆忙しいのですね」
 何だかスーツを着ている皆が、何故急ぎ足に見えるのが分かるような気がした。物のように詰められて移動し、その間も何かをしていなければ気が済まない。そんな生活では景色を見る余裕もないだろう。
「新宿で降りましょう」
 月璃は困ったように天を仰ぎながら揺られる列車に身を任せた。列車が止まるたびに人が外に吐き出され、また入ってくる。目的地の新宿までそれはずっと続いた。

 新宿駅で降り、月璃は皆が歩く速度よりも少し遅れながら辺りを見回していた。目的地に移動するだけで体力をかなり使ったような気がする。
「ふぅ…疲れた」
 階段を下りる者達の頭が黒く波うって見える。それを後ろから眺めていると、何だか不思議な気分になった。
 多分このまま同じ速度で歩いていけば、自分もあの波の一つに埋もれてしまうのだろう。そう思うと、初めて着たときにはあんなに背筋が伸びるように思えたスーツも、ただの制服に見えた。皆同じように疲れた顔で同じような服装…それは本当に楽しいものなのだろうか?
 少しがっかりした気持ちで俯くと、緑の草原で柔らかく光を放っているネクタイピンが目に入った。はまっているヘリオドールが何だかそっと自分を励ましているような、そんな気がする。
「少し歩いてみましょうか」
 こんなところで躓いていても仕方がない。まだ一日は始まったばかりだ。月璃はスーツを着たまま皆と同じ方向に進んでみることにした。

 オフィス街を歩いたり都庁に入ってみたりしながら、月璃は昼までそうやって歩き回ってみた。皆忙しそうに携帯電話で話をしたり、鞄を持ったりしながら歩き回っている。そんな中、きちんとスーツを着ているのに手ぶらな自分は皆の目にはどう映っているのだろう。
 でもそんなことはあまり気にならないような気がした。と言うか、皆あまり自分に目を留めているような気がしないのだ。普段の格好で歩いていると、それが珍しいのか振り返られることも多いのだが、今は誰も自分を気にしない。金の髪に多少違和感があるぐらいだが、新宿には外国から来たビジネスマンも多い。自分もそんな一人だと思われているのだろう。
「何だか透明人間みたいで面白いですね」
 そんなことを思いながらコーヒースタンドでコーヒーを買い、新宿中央公園に足を伸ばした。そろそろ昼近い。別にお腹が空いたりしている訳ではないのだが、少しだけコーヒーの香りに癒やされたかった。
 JR新宿駅の西口から真っ直ぐ歩いていくと、中央公園の「水の広場」がある。そこに腰を下ろし水の流れを見ていると、背中から声をかけられた。
「おや?こんなところで合うとは奇遇でございますね」
 それはスーツを見立ててくれた洋品店の店主だった。ベストをしっかり着ており、白いシャツはアイロンがかけられたばかりのようにしゃきっとしている。手に提げている大きな鞄には仕立ての道具でも入っているのだろうか、それを重そうに持っている。
 偶然の出会いに驚いていると、店主は月璃の隣にそっと座った。白髪は多いが髪もきちんと整えられている。全体的にスマートな印象だ。
「お仕事の休憩でございますか?」
 店主がそう聞くと、月璃はそっと首を横に振る。嘘をつくことは出来たが、何故か本当のことが話したくなった。こんな事を言ったら笑うだろうか…そんな事を思いながら月璃は微笑んだ。
「いえ、実は俺サラリーマンじゃないんです…ただスーツを着てこの街を歩いてみたかったんです」
「そうですか、それはそれは…貴方にそう思わせた何かがあるのでございましょうね」
 その言葉に月璃はふとネクタイピンに目が行った。店主と同じようにスーツの上を脱ぐと、カフスもそっと袖口で光っている。
 もしかしたら蓮の店で買った、このカフスとネクタイピンがそう思わせたのかも知れない。それを手に入れるまではスーツを着てみたいと思ってはいても、行動に移したことはなかった。この四つ葉が自分の背中をそっと押したのだ。
 いつもと違う事をやってみるのも楽しいですよ…と。
「アンティークショップで買った、このネクタイピンのセットのせいかもしれません。それまではそんなこと思ってもいなかったのに…」
「そうでございますか。きっとこれを使っていた人は、社交的な人だったのでございましょう。もしかしたら貴方に使ってもらうことで、街の風を浴びたかったのかも知れません。その証拠に私の店で見たときよりも、そのネクタイピンもカフスボタンも外で見た方が何倍も美しい」
 そう言われ月璃は自分の腕を伸ばす。
 噴水をバックに見えるカフスボタンは本物の四つ葉のように美しかった。店の中で見たときよりも、駅で目に留めたときよりも、外で見る今が一番美しい。
 店主がそれを見てニコニコと微笑んだ。
「たまにでよろしいですから、またそのスーツを着てカフスやネクタイピンを使ってやってくださいませ。そうしていただければスーツを直した私も嬉しゅうございます」
「はい、そうします」
 そう言うと月璃は店主と一緒にしばらく噴水を眺めていた。
 『Swan song』は白鳥の最後の歌かもしれない。でもこれにはまだ物語が残っている。最後の歌を歌うのはまだまだ先だ。
 太陽の光にヘリオドールが反射した。

「いらっしゃい、蒼月亭にようこそ」
 スーツを着ての小さな冒険の最後に、月璃は蒼月亭を選んだ。いつもと違う格好をしているのを見て、マスターのナイトホークが目を丸くする。
「珍しいな、スーツなんて」
「おかしいですか?」
 月璃がそう言うと、ナイトホークがくすっと笑う。
「いや、よく似合ってるよ。ホットミルクでいいか?」
「お願いします」
 ナイトホークが奥に行くのと入れ替わりに、この店の手伝いである立花香里亜(たちばな・かりあ)がそっと水を置きに来た。そして上着を掛けるためのハンガーを持ってくる。
「こんにちは。上着しわにならないようにここにかけてくださいね」
 香里亜がハンガーを背伸びしながら掛けようとするのを、月璃は後ろからそっと手伝った。
「こんにちは、香里亜さん。東京にはもう慣れましたか?」
「えーと、近所には慣れたんですけど、まだまだ路線が全然分からなくて。あと、広すぎて駅で迷子になっちゃうんですよ…この前も新宿駅で彷徨っちゃいました」
 笑いながらそう言う香里亜を見て、月璃も同じように微笑んだ。
「新宿なら今度案内しますよ。仕事でいつも行ってますから」
「えっ?じゃあ今度お願いしますね。あ、ホットミルクお待たせしました」
 ナイトホークがカウンターの上に置いたホットミルクを、香里亜が月璃の前にそっと置く。月璃はその柔らかい香りを楽しみながらそっと口を付ける。熱すぎず、かといってぬるすぎない心地よい温度。
「疲れたけど楽しかった…たまには普段と違うのも良いかもしれないですね」
 もし香里亜を案内することになったら、また同じようにスーツを着ていこう。そう思いながら満足げに溜息をつくと、ネクタイピンがそれに答えるように優しく光った。

                                  fin
◆ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
4748/劉・月璃 (らう・ゆえりー)/男性/351歳/占い師

◆ライター通信◆
こんにちは、水月小織です。
『Swan song』へのご参加ありがとうございました。
ネクタイピンとカフスのセットと言うことで、プレイングを参考にいつもと違った小さな冒険を描いてみました。きっとスーツ姿もよく似合うだろうなと思いながら、イメージしていくのが楽しかったです。
リテイクや気に入らないところがあれば遠慮なくお願いいたします。
では。また機会がありましたら、窓開け時には参加してくださいませ。