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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


いつか……

【プロローグ】
「なんですって?」
 碇麗香は、電話の向こうの相手の言葉に、思わず顔をしかめて、声を上げた。
「誰かに頭を殴られたって……大丈夫なの?」
『ええ。怪我はたいしたことないわ。でも、昨日は病院へ運ばれて手当てされたりしていて、大変だったのよ。だから、行けなかったの』
「そう……」
 麗香は、更に詳しい話を聞くと、やがて「お大事に」と告げて電話を切った。そうして、険しい顔で考え込む。
(いったい、どういうことなの?)
 電話の相手は、高校時代の友人の一人だった。
 実は先日、久しぶりの休日に部屋を掃除していたところ、高校時代の日記を発見したのだ。懐かしくなってそれを読んでいたところ、その中にタイムカプセルの記述があって、麗香は古い記憶をゆさぶられた。
 それはたしか、卒業式の日だったと記憶している。彼女と、当時仲の良かった女友達三人とで、十年後の自分と友人たちに宛てた手紙を書いて瓶に詰め、校舎の裏手にあった小さな神社の境内に埋めたのだ。そして、十年後の同じ日に、また集まってそれを掘り出そうと約束した。
 その約束の日は、ちょうど一週間後に当たっている。思い出したが吉日と、彼女は他の三人に連絡し、タイムカプセルを埋めた場所で落ち合おうと約束した。他の三人も、久しぶりに会うのもいいと、すっかり乗り気だった。
 それなのに。当日は誰も来なかったのだ。教えてもらった携帯も、家の電話もつながらず、結局、麗香はただ一日を無駄にしただけだった。しかも、肝心のタイムカプセルは、誰かに掘り返されて、持ち去られていた。
 不審に感じて麗香は、友人たちに電話し続け、ようやくさっきその中の一人につながったというわけだ。
 その後、他の二人とも連絡はついたが、どちらも同じように怪我をして、当日は行けなかったという。
(タイムカプセルに入れた手紙に、何か人に読まれると困ることでも書いてあったの?)
 眉をしかめて、麗香は思わず胸に呟く。だが、人に読まれて困るなら、タイムカプセルになど、入れなければいいのだ。
 ともあれ、これは調べてみる必要がある――麗香は、胸に呟き、うなずくのだった。

【1】
 シュライン・エマが麗香とタイムカプセルにまつわる事件を聞いたのは、白王社の他の編集部に、本来の仕事である翻訳の原稿を届けに立ち寄った時だった。
「――扱ってるものがものだからかね。あの人も、いろいろ大変だね」
 話を教えてくれた編集者は、そう言って苦笑したものだ。
 興味を覚えた彼女は、その足でアトラス編集部を訪ねた。
 すっかり人が出払って、閑散とした編集部には、麗香ともう一人、長い黒髪の少女がいた。小柄で黒い目をした中学生ぐらいの少女は、シュラインも顔馴染みのササキビ・クミノだ。
 シュラインはクミノと挨拶を交わしてから、麗香をふり返った。
「今、麗香さんが何か事件に巻き込まれてるって話を、他のところで聞いて来たんだけど……手伝えることはある?」
「協力してもらえるの? 今、クミノにも頼んでたところなんだけど、ありがたいわ」
 笑顔で返す麗香に、シュラインは問う。
「タイムカプセルは何者かに掘り出され、麗香さんの友人たちは、全員怪我をして約束の日に来られなかった……と聞いたけど、その友人たちは、大丈夫なの?」
「ええ。怪我は軽いみたいよ。三人は、それぞれ別々の日に怪我をしてるわ。最初に連絡のついた紺野由佳は、約束の日の当日、寺山美子はその二日前、津上香は前日といった具合よ」
 うなずいて、麗香が答えた。
「つまり、一日に一人の勘定で襲って行ったわけだな」
 クミノが、ぼそりと呟く。
「そういうことね。三人とも、怪我の翌日には運ばれた病院を退院して、自宅療養しているみたいよ。でも、だから約束した日には来られなかったの。由佳なんか、怪我をしたのが当日だしね」
「そして、肝心のタイムカプセルは掘り出されて、なくなっていた……と」
 シュラインは言って、考え込む。
 これは直感のようなものだが、彼女は話を聞いた最初から、犯人の目的はタイムカプセルそのものではないと考えていた。そうではなく、その同じ場所に、発見されると困るものが埋められていたのではないかと思ったのだ。
 もっともその場合、犯人は麗香たちがタイムカプセルを掘り出そうとしていることを、知っている人間でないと話にならないだろう。
 彼女は自分の考えを口にして、他に誰か事前にカプセルを掘り出す話をした相手はいないかと、麗香に尋ねる。
「私は誰にも話していないわ。ただ、他の三人はわからないわね。美子は結婚して旦那と二人ぐらしだし、香はマンションで恋人と同棲中、由佳は家族と同居だから」
 麗香は言って、小さく肩をすくめた。
「でも、たとえ彼女たちが同居人たちに話していたとしても、今回の件には関係ないと思うけど。由佳の家族はともかく、美子の旦那や香の恋人は、私たちが落ち合う神社がどこにあるかも、知らないと思うわよ」
「それはどうかな」
 言ったのは、クミノだ。
「七日もあれば、場所を調べるのなど簡単だろう。しかもその神社は、麗香さんたちの母校の裏手にあるんだろう? もし誰かがそれを同居人に話していれば、すぐに場所の特定は可能だ。それに、犯人の目的が埋められているものとばかりは、限らないだろう?」
「じゃあ、クミノさんは犯人の目的はなんだと思うの?」
 シュラインは、驚いて尋ねる。
「十年の時を置いて、誰かが誰かと会うこと――犯人はそれを阻止したかったんじゃないかと、私は思う」
 クミノは言って、麗香をふり返った。
「碇さんたち四人が会うのは、十年ぶりのことなんだろう?」
「ええ。私はもちろん、他の三人ももうずっと互いに連絡を取り合っていないと、最初に電話した時、言っていたわ。同窓会があっても、全員忙しくて出席できなかったしね」
 麗香はうなずいて言うと、眉をひそめた。
「でも……美子たち三人に怪我を負わせてまで、阻止しなければならない理由って、なんなの? それに、私だけ襲われなかったのはどういうことかしら」
「そこまではまだ、わからない。ともかく、まずは警察の動きと三人の傷害の状況などの、事実関係から詰めて行くべきだろう」
 クミノは小さく肩をすくめて返す。
「もう一つ、碇さんにはいかに情報伝達が成されたか知るため、電話の内容をできる限り思い出してもらう必要があるな」
「そうね。麗香さんのお友達の話は、直に聞く必要があるでしょうね。……でも、警察の方はそう簡単には話を聞かせてもらえないんじゃない?」
 シュラインもうなずいて言った。犯人の目的に対する考えを変えたわけではなかったが、さまざまな角度から事件を検討し、調査することは重要だと彼女も思う。それに、麗香の友人三人の話は、ぜひ聞きたい。被害に遭った時間や、傷を負った個所などが参考になるかもしれないのだ。
「警察の方は、管轄によっては顔の利く相手がいることもあるから、私がなんとかするわ。美子たちには、私ももっと詳しく話を聞きたいと思っていたのよ。だから、連絡してみるわ」
 麗香は言って、クミノをふり返る。
「電話の内容の方は、紙に書き出してみるわ。……でも、先に美子たちに電話してみるわね」
 言われてクミノが、黙ってうなずいた。
 それを見やって麗香は、デスクの上に置いてあった自分の携帯電話を取り上げた。

【2】
 寺山美子と津上香の二人は、それぞれ、その時の状況をこう語った。
 美子が襲われたのは、約束の日の二日前の夕方だった。結婚前から勤めている会社で、社員として今も働いている彼女は、この日、定刻に社を出て帰途についた。自宅に帰りつき、玄関の鍵を開けようとしているところを、後ろから誰かに鈍器で殴られ、そのまま昏倒したのだ。目覚めた時には、病院のベッドの上だった。後で聞いたところでは、隣家の主婦が、倒れている彼女を発見して、救急車を呼んでくれたらしい。
 ちなみに、犯人の目的は不明だった。その時持っていたバッグの中には、サイフの他にクレジットカードや携帯電話なども入っていたが、それらも盗られておらず、自宅の鍵は手に握りしめたままだったという。もちろん自宅も、荒らされていない。着衣に乱れもなく、本当にただ「殴り倒されただけ」のような状態だった。
 幸い怪我は軽く、念のためにその日は入院して検査を受け、翌日の夕方には退院して自宅に戻ることができたそうだ。
 一方、津上香は、その翌日に襲われている。二交替制の職場で働いている彼女は、その日は夕方からの出勤だったので、昼すぎまでアパートの自室で眠っていたという。同棲中の恋人は、昼間の勤めなので、その時彼女は一人だった。
 ようやく起きて、冷蔵庫に何もなかったので近くのコンビニに買い物に出かけ、戻って来たところを、やはり後ろからガツンとやられた。これまた盗られたものは何もなく、もちろん着衣も乱れてはおらず、携帯に出ない彼女を不審に思って、外回りのついでに自宅に寄った恋人に倒れているのを発見され、病院に運ばれたのだそうだ。
 こちらも怪我は軽く、その日は検査と治療のために入院し、翌日退院して自分のアパートに戻って来ることができたらしい。
 ただ二人とも、さすがに外を出歩ける状態ではなく、しばらくは仕事も休んだし、気が動転していて、麗香に行けないことを連絡するのもすっかり忘れていたということのようだ。それどころか、二人は犯人の目的がわからないのが気味悪く、しばらくは電話にも出る気になれない状態だったそうだ。
 ちなみに二人は、麗香を除く全員が、こんなことになっているとは、知らなかったという。アポイントメントを取って自宅へ会いに来た麗香とシュラインたちから話を聞いて、初めて知ったそうだった。もっともその事実は、彼女たちをよけいに不安がらせたようではあったけれど。
 ともあれ、二人の話を聞き終えたシュラインたち三人は、近くの喫茶店に腰をおちつけていた。
「麗香さんの友人の誰かが、嘘をついている可能性もあるかもと思ってたけど……あの二人はそうじゃなかったみたいね」
 目の前のコーヒーを軽くスプーンでかき混ぜながら、シュラインは正直に告げた。もちろんそれは、可能性の一つとして考えていただけだ。それでも一応、話を聞きながら、美子と香の心音に気をつけていた。彼女の鋭い聴力は、わずかな心音の差まで聞き分けることができたからだ。しかし、二人の心音が変化したのは、自分が殴られた状況を話した時だけで、それはどちらかといえば、嘘をついているためではなく、その時の衝撃やそこから連想された痛みの記憶によるものだと思えた。それに、白い包帯を頭に巻いた痛々しい姿は、とても嘘をついているようには見えなかった。
 彼女は、アトラスの編集部でも口にしていた、タイムカプセルを掘り出す話を二人が誰か他の人に話さなかったかどうかも、確認してみた。二人とも、夫や恋人に話したと答えたが、彼らがこんなことをする理由はないはずだとも告げた。
「そうだな。話に破綻したところもなく、嘘とは聞こえなかった」
 クミノもやはり、麗香の友人たちの誰かが嘘をついている可能性を考えていたのか、静かに言って、付け加えた。
「だが、警察や病院に裏付けを取る必要はある」
「ええ。そっちはまかせて」
 うなずいて麗香は、バッグから携帯電話を取り出した。
「さてと……問題は、由佳よね。なぜ出ないのかしら」
 呟きつつ、何度目かの電話をかけ始める。紺野由佳だけが、携帯も自宅のも電話がつながらないのだ。
 それは今も同じだったようだ。彼女はしばらく待って、電話を切った。
「こうなったら、由佳の家に行ってみるしかないわね」
「いいけど……もしかして、傷がひどくなって病院へでも行っているとかなんじゃ?」
 シュラインは、ふと思いついて言う。
「でもそれなら、携帯は留守電になっているはずよ。自宅にはたしか、母親がいるはずだし。電話はどっちも、通話できる状態になってはいるけど、誰も出ないのよ」
 返して麗香は、目の前のアイスコーヒーを一気に飲み干すと、立ち上がった。シュラインとクミノも、慌てて後に続く。彼女たちはそのまま、紺野由佳の自宅へと向かった。

【3】
 紺野由佳の自宅は、けっこう遠かった。
 ほとんど東京都のはずれに近い、妙にのどかな田園地帯の中に、いくつか固まって建つ古い住宅の一つがそうだ。
 シュラインたちがそこにたどり着いた時には、すでに夕暮れが近く、茜色に染まる古い家屋は、妙にみすぼらしく、人が住んでいるようには見えなかった。
 しかし、来る途中で麗香に聞いた話では、由佳は母親と二人でここでくらしているはずだという。父親は、彼女たちが共に高校の二年だったころに、死んでいるそうだ。
 玄関には鍵がかかっていた。引き戸の傍に、古ぼけた呼び鈴のボタンがあったので、麗香がそれを押す。が、しばらく待っても、誰も出て来ない。
「ごめん下さい」
 声をかけてもみたが、やはり返事はなかった。
「本当に、誰もいないんじゃない?」
 シュラインが言った時だ。
「うちに何かご用ですか?」
 声をかけられ、彼女たちは慌ててふり返る。そこには、五十代とも六十代とも見える小柄な女性が、どこか疲れきったような風情で立っていた。その姿は、仕事帰りのようにも見えた。
「私、由佳さんの高校の同級生で、碇麗香と申します。彼女のお母さんですよね? 以前にお会いしたことがあると思うのですが、覚えていらっしゃいませんか」
 そちらへ一歩進み出て言ったのは、麗香だった。
 女性はしばし、首をかしげて彼女を見やっていたが、ようやく思い出したのか、わずかに顔をほころばせた。
「ああ……碇さん。ええ、覚えていますよ。あのころは、娘がお世話になって……」
 言って、彼女はまた怪訝そうに首をかしげる。
「それで、今日はまたどうしてこちらへ?」
「由佳さんに会いに来たんですけれど、彼女は?」
 問い返す麗香に、由佳の母親は目を見張った。そして、気の毒そうに言う。
「まあまあ、それは。でも……あの子は今、家にいないんですよ。一月前から、出張だとかで北海道へ行っていて」
「え?」
 麗香は一瞬、きょとんとなった。シュラインとクミノも、思わず顔を見合わせる。では、麗香が一緒にタイムカプセルを掘り出す約束をした相手は、いったい誰なのか。
「あの……でも、私、先日、電話で由佳さんと話したばかりなんですけれど」
 しどろもどろに言う麗香に、由佳の母親は怪訝な顔になった。が、すぐに何かに思い当たったように、笑い出す。
「碇さんは、由利と話したんじゃありませんか? 由利と由佳は声がそっくりで、二人とも家にいたころは、私もよく間違えたぐらいですから」
「由利……さん?」
 とまどう麗香に、彼女は続けた。
「ええ。由佳の姉で、結婚して都心の方でくらしていたんですが、旦那といろいろあって、しばらくこっちへ戻って来てたんですよ」
 それを聞いてシュラインたちは、再び顔を見合わせた。どういう理由かはわからない。だが、麗香が由佳だと思って連絡を取っていたのは、おそらく由利の方だった。
「今、由利さんは、こちらにはいらっしゃらないんですか?」
 シュラインは、思わず尋ねた。
 由利の母親は、何者だと問いたげな目をして彼女を見やったが、黙ってうなずいた。麗香がそれに気づいて、素早くフォローを入れる。
「彼女、私や由佳さんの後輩で……高校時代、世話になった礼が言いたいというので、同行したんですけれど。……あなた、由利さんのことも知ってたの?」
「え、ええ……。まあ……」
 最後でいきなり話を振られて、シュラインは慌ててうなずいた。今はともかく、この母親に不審を持たれないようにしないと、手に入る情報も得られなくなる。
「まあ、そうでしたか」
 母親は、あっさりと信じたようだ。麗香が改めて由利の所在を訊くと、しばらくためらった後、住所と電話番号を教えてくれた。もっとも、その住所は都心のものではなかったし、電話番号は携帯のもので、麗香が「由佳」を名乗る女から教えられたものと同じだった。
 麗香が住所の件について不審げな顔をしてみせると、母親は言いにくそうに、由利は夫の暴力に耐えられなくなって、実家に戻っていたのだが、それが知れてしまったのでここを立ち去ったのだと告げた。
 これまた、思いがけない話だった。
 ともあれ、シュラインたちは母親に礼を言うと、そこを後にした。

【4】
 彼女たち三人が向かったのは、あやかし町の隣に広がる、ともしび町だ。由佳の母親に教えられた住所は、その歓楽街に近い古いアパートのものだった。彼女の部屋は、二階の一番奥だ。
 そこにたどり着いた時には、すでにあたりは暗くなっていた。が、件の部屋には明かりが点いておらず、人の気配はまったくしなかった。玄関にも鍵がかかっている。麗香がチャイムを鳴らしたが、当然というべきか。誰も応える者はなく、出て来る人もいない。
「本当に、留守なのかしら」
 麗香が眉をひそめて呟く。シュラインは、中の気配を探ろうと耳を澄ませた。かすかだが、中で何かが身じろぎしたような音が、その耳に届く。
「かすかだけど、中で音がするわ。……携帯に電話してみたらどう? たとえ出ないにしても、着信音が鳴れば、中にいるかどうかは確認できるでしょ」
 彼女は、囁くように麗香に告げた。
「そうね」
 麗香がうなずき、バッグから携帯電話を取り出して、かける。同時に、どこかで無機質な携帯の着信音が鳴り始めるのが聞こえた。音楽ではない。デフォルトで登録されている音だ。
「この音、中からだわ」
 シュラインは、再び耳を澄ませて、言った。
 と、ふいにクミノがドアの方へ歩み寄る。
「おい。ここを開けろ。中にいるんだろう? 私たちはただ、話を聞きたいだけだ」
 中に向かって、彼女は呼びかけた。だが、やはり反応はない。ただ携帯の着信音だけが響いている。
 麗香が電話を切ると、音も同時に止んだ。
「ここを開けろ!」
 クミノが、もう一度呼びかけた。
「由利さん、私、碇麗香です。さっき、あなたのお母さんに会って来ました。開けて、事情を聞かせて下さい」
 麗香も、同じように呼びかける。
 それでも、同じだった。
 クミノが、小さく舌打ちする。
「このままでは、埒が開かない。実力行使する」
 低く宣言する彼女に、シュラインは驚いて問うた。
「実力行使って、何をするつもりなの?」
 彼女が、自分自身を中心に、半径二十メートルに及ぶ障壁を持ち、それを己の意志で武器として操れることを知っているシュラインは、ぶっそうなことになるのを懸念したのだ。それは、相手にも伝わったのか、彼女はかすかに口元をゆがめた。
「心配するな。ドアを開けるだけだ」
 言って彼女は、玄関ドアの鍵のあたりを見詰める。途端、誰も何も触れていないのに、ロックのはずれる音がして、ドアノブがひとりでに回り、玄関が開いた。彼女は、自分を包む目に見えない障壁の内でならば、自在に視点・聴点を持ち、その個所に対して念動力を発動することができるのだ。
 それを知ってはいても、まるで手品か魔法を見るかのような成り行きに、シュラインも麗香も、目を丸くする。
 そんな彼女たちを尻目に、クミノは中へと踏み込んだ。シュラインたちも、慌ててその後に続く。
 中は、外から見た時と同じく、明かりもついておらず、真っ暗だ。玄関を入ってすぐのところに、スイッチがあったので、シュラインはそれを押す。ようやく、室内が明るくなった。
 そこは、リビング兼キッチンといったところか。玄関の右手に流しとガスレンジがあり、左手のスペースには四角いテーブルと椅子が二脚ほど据えられている。が、それだけだ。あとは何もない。
 その奥にも部屋があるようだ。クミノは、最初の部屋には目もくれず、真っ直ぐ奥に進んで行く。シュラインたちも、その後に続いた。
 奥の部屋も真っ暗だったので、シュラインが明かりを点けた。その途端、部屋の隅で両手で耳をふさぐようにしてうずくまっている女の姿が、目に入る。クミノが、真っ直ぐにそちらへ歩み寄り、その手をつかんではずさせると、怯えたようにこちらを見ている女の目を見て言った。
「紺野由利さん、だな?」
「わ、私……」
 何か言いかけ、女はふと顔を上げて麗香に気づき、大きく目を見張った。
「由利さん……」
 麗香が、かすかに顔をゆがめて呟く。彼女はそのまま、そっと由利の傍に歩み寄ると、身を屈めた。
「あなたのお母さんに会って、由佳が一月前から自宅にいないことを聞きました。……私が電話した時、それに出たのは、あなただったんでしょう? 最初に、あなたを由佳と間違えたのは私ですが……あなたは、それを否定して、妹はいないと私に告げることもできたはずです。なのになぜ、そうしなかったんですか? そしてなぜ、美子と香にあんなひどいことを?」
「だって、あなたたちが、あそこを掘り返すなんて言うから……!」
 由利は、追い詰められた小動物の目をして、身を竦めるように叫び返す。
「タイムカプセルの下に、何か他のものが埋まっていて、あんたはそれを万が一にも掘り返されては困ると考えた――そういうことなのね?」
 シュラインはその叫びに、自分の考えが当たっていたことを感じながら、尋ねた。その胸を、何か嫌な予感が苛む。
 由利は一瞬、何者だと問いたげに彼女を見上げた。だがすぐに、投げやりな調子で言った。
「そうよ。あの下には、私の罪の記憶が眠っているの」
 そして由利は、ぽつぽつと、そこに自分が何を埋めたのか、十年前のいきさつを語り始めた。
 彼女がそこに埋めたのは、猫の死骸と数枚の写真だった。
 猫は、当時彼女が、一人ぐらしのアパートで飼っていたものだという。幸い、アパートはペット禁止ではなかったので、隠す必要もなく、大切にしていた。
 その猫が、ある時、死んだ。彼女の部屋のアパートの壁に、叩きつけられたのだ。
 猫を殺したのは、当時、彼女らの母校の教師をしていた森稔という男だった。
「森は、私の恋人だったわ。……もっとも、そう思っていたのは、私だけだったけど。彼には奥さんがいて、彼はその人と別れるそぶりすら見せてくれなかったもの」
 由利は言って、自嘲気味に笑う。
 それを聞いて、目を見張ったのは麗香だ。
「森って……たしか、物理教師だった……」
「知ってるの?」
 シュラインが問うと、彼女はとまどったように返す。
「母校の教師ですもの。名前ぐらいは覚えてるわよ。でも、直接習ったことはないわ。……生徒の間では、ずいぶんと評判の悪い教師で……」
 言いかけて、彼女はふと眉をひそめた。
「そういえば、たしか私たちが卒業する一月前に、事故で死んだんじゃなかったかしら」
 彼女の呟きに、由利は薄い笑いを浮かべた。
「ええ。……駅のホームから落ちて、死んだのよ。私が突き落としたの」
「由利さん……!」
 思いがけない告白に、シュラインたち三人は、驚いてそちらを見やる。
「私が突き落としたのよ」
 由利はそれへ、再度言った。
「私たち、よく結婚の話で揉めたわ。私は、奥さんと別れて一緒になってほしいと言い、彼はそれをあれこれ理由をつけてごまかして、最後には私を怒鳴ったり、殴ったり。でもある時、私を殴ろうとしていたあいつを、隣の住人が止めてくれたことがあったの。……あんまりうるさいから、文句を言いに来て、見るに見かねたって言ってたけど……。それで、私を殴れなくなって、腹いせに、ペスを――私の猫を壁に叩きつけたのよ。あんまり突然で、止める暇もなかったわ。そして、あの瞬間に、私の中で何かが憎しみに変わったのよ」
 語り続ける彼女の頬を、静かに涙が濡らして行くのが見えた。彼女は、言葉を続ける。
「ペスは、森との子供を泣く泣く堕ろした日に、病院の帰り道で拾ったの。なんだか、死なせてしまった私の赤ちゃんが、猫の姿になって、また私の元に来てくれた気がして……私、本当に大切にしていたわ。それなのに……森は、私たちの子供を、自分の勝手で二度も殺したのよ。それが……許せなかった」
 彼女は、猫の死体を森と撮った何枚かの写真と共に、神社の境内の一番大きな木の下に埋めた。そして翌日、出勤途中の森を、駅のホームから突き落として殺したのだ。
 だが、森の死は事故として処理された。
「神様が、私に味方してくれたんだと、その時には信じたわ。……でも、あの時味方してくれたのは、悪魔だったのかもしれない」
 由利は、自嘲気味に笑って言った。
「何もかも忘れてやり直したつもりだったのに、優しかった男は結婚した途端に暴力男に豹変してしまって、こんなふうに逃げ回らなきゃならなくなるし……」
 言いさして、ふと彼女は顔を上げる。
「碇さん……。あなたからの電話に出た時、最初はちゃんと、間違いだって言うつもりだったのよ。でもあなたが、タイムカプセルのことを……あの神社の、一番大きな木の下に、それを埋めたなんて言い出すから……。私、あの瞬間、自分に天罰が下ったんだと思ったわ」
「だったら、その時点で警察に行けばよかったんだ」
 ボソリと言ったのは、クミノだった。
「そうすれば、よけいな罪状を増やすことも、他人に傷を負わせることもなかった。ついでに、こうして私たちに罪を暴き立てられることもな」
「そうね……。でも、人間ってそうそう潔い生き物ではないのよ」
 小さく皮肉げに笑って言うと、由利は視線を麗香に戻す。
「天罰だと悟っても、私は抗わずにはいられなかった。あなたは少しも私を疑っていないようだったから、由佳だと思わせたまま、あなたたちがカプセルを掘り出すのを阻止することにしたのよ」
「でも、どうして自分でカプセルを掘り出したの? あれも、あんたなんでしょ?」
 シュラインは、小さく眉をしかめて尋ねた。
「あれがあそこに埋まっている限り、掘り返される危険は、ずっとつきまとうわ。だから掘り出して、妹にでも送ってやろうと思ったのよ」
 由利は、小さく肩をすくめて答える。
「だったら何も、寺山さんや津上さんに怪我を負わせなくても……。前日にでも掘り出しておけば、更にその下を掘るようなことは、誰もしないはずよ」
 シュラインは、思わず言った。
「そうね……。でも、私がカプセルを掘り出してしまえばいいんだって気づいたのは、約束の日の当日のことだったのよ」
 それを聞いて由利は、悲しげに笑って返す。
「本当は、碇さんも襲うつもりだったわ。でも、住所も職場もわからなくて……それで当日、集合の時間より少し早く神社に行って、待ち伏せしていたのよ。その時に、ふとそれを……カプセルを掘り出せばいいんじゃないかと気づいたの」
「そしてそちらを実行し、私は見逃してくれたというわけね」
 麗香は、苦虫を噛んだような顔で言うと、皮肉げに付け加えた。
「それにしても、美子たちに今の住所や職場を教えてなかったのが幸いするとは、思わなかったわね」
「年賀状とかのやりとりも、なかったの?」
 シュラインも、胸に嫌なものが込み上げて来るのを感じながら、尋ねた。
「大学を卒業してからは、途絶えてたわね。……大学生のころに送ったハガキを誰かが持っていたとしても、住所は今とは違うもの」
 麗香が、小さく肩をすくめて返す。
 なるほどとシュラインはうなずき、改めて何が幸いするかはわからないものだと思う。そして、由利の方をふり返った。
 十年前の事件に関しては、気持ちはわからなくもないと彼女も思う。だが、実際に手を下してしまったらおしまいだ。猫を殺された憎しみを、男から離れるバネにすることもできたはずではないか。
 ましてや、今回の件は。
(たとえ心理的に追い詰められてしたことでも、許されることじゃないわ。……一歩間違えたら、もっと大変なことになっていたかもしれないのよ)
 シュラインは、思わず胸に呟く。
 だが、その視線の先で由利は、どこかうつろな表情を浮かべてぼんやりとこちらを見やっているだけだった。

【エピローグ】
 数日後。
 シュラインは、差し入れのケーキを手に、アトラス編集部を訪れた。
 編集部内はこの日も人気がなく、麗香だけが、自分の机でデスクワークに励んでいる。
「こんにちわ」
 声をかけると、彼女は顔を上げた。
「シュライン、いらっしゃい」
「これ、差し入れ」
 笑顔でふり返る彼女に、シュラインは手にした箱を差し出す。
「あら、うれしい」
 言って受け取り、彼女は大きく伸びをすると、椅子ごとこちらへふり返った。
「それと、先日はありがとう。あなたとクミノが協力してくれたおかげで、解決できたわ」
「そういってもらえると、うれしいわ」
 シュラインは笑い返して言う。
 あの後、由利は彼女たちに付き添われて、警察に自首した。説得というほどのことをしたわけではなかったが、警察へ行こうと言うと、素直にうなずいて立ち上がったのだ。
 最寄の警察署で事情聴取を受けた後、シュラインたち三人は解放されたので、警察署前で別れ、それぞれ帰途に着いた。が、翌日に麗香から来たメールによると、彼女はその後、寺山美子と津上香、由利の母親と紺野由佳にそれぞれ電話で連絡を取って、事の顛末を話したという。もちろん、由佳と母親は、どちらもかなり驚いていたようだった。
「由利さん……どのくらいの罪になるのかしら」
 家族の心情を思うと、いたたまれない気がして、シュラインはふと呟く。
「さあね。……ただ、十年前の事件については、腕のいい弁護士がつけば、情状酌量ぐらいつくかもしれないわ」
 麗香は言って、肩をすくめた。
「生徒間の噂でしかなかったけど……当時、死んだ森って教師は、セクハラやレイプの常習犯だって言われてたのよ。それが一つでも本当だったら……そして、二人の関係が、由利さんの在学中からのことだったとしたら、被害者の側が彼女をそこまで追い詰めたんだっていう状況証拠にはなるかもね」
「そうね……」
 うなずきつつもシュラインは、その教師の評判にも幾分、暗澹とした気持ちになった。が、ここで暗くなっていても、しかたがない。気分を変えようと、彼女は訊いた。
「ところで、タイムカプセルの方はどうしたの? たしか、由利さんの実家へ郵送されていたんだったわよね」
「ええ。……一昨日、四人で集まって開けたわ」
 うなずいて、麗香は笑う。
「最初は、あんなことがあって、由佳と顔を合わせ辛いって思ってたんだけど……彼女の方から、集まってカプセルを開けようって言って来たのよ。それで。……でも、中身を見て、ちょっと恥ずかしかったわね。美子たちからの手紙はうれしかったけど、自分が書いたものは、もう一度埋めたくなったわ」
 軽く顔をしかめて言う彼女に、シュラインも笑った。
「そういうのも、たまにはいいんじゃない?」
 その後しばらく、彼女は麗香とたわいのない話に花を咲かせ、やがて編集部を後にする。
 外はすでに、初夏というにふさわしい、強い日射しに満ちていた。だが、それを腕を掲げて遮った瞬間に、彼女の脳裏を、暗い光景が過ぎる。
 それは、薄暗い神社の境内に立つ大きな木の下を、女が一人、ただ黙々と掘っている姿だ。女の表情は鬼気迫り、目にする者があれば、一目散に逃げ去りそうだ。穴を掘るのは、何かを埋めるためなのか。それとも、掘り出すためか。
 シュラインは、その恐ろしい光景を、小さく頭をふって、追い払った。
 明るい日射しの降り注ぐ、真っ青な空を見上げ、小さく息をつくと、そのまま足を踏み出す。しっかりと地を蹴って、彼女は颯爽と歩き出した。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1166 /ササキビ・クミノ /女性 /13歳 /殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】

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■         ライター通信          ■
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●シュライン・エマ様
いつも参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
さて、今回は二組に分けさせていただき、シュライン様には、
ササキビ・クミノ様と一緒に行動していただきましたが、
いかがだったでしょうか。
少しでも楽しんでいただければ、幸いです。

それでは、またの機会がありましたら、よろしくお願いします。