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ゆったりと、ゆっくりと。〜シャドウの独白〜
「はぁ…」
俺は相談所の待合室にあるソファにどかっと腰掛け、大きな溜息をひとつ吐いた。
平日ということもあってか、いつもながらの閑古鳥状態。営業時間から二時間経ったというのに、人っ子一人来やしねぇ。
つまらん。退屈だ。腰掛けている状態に疲れたので、ソファをベッド代わりにして一眠りといくか。
本日の天候、快晴。待合室の窓から太陽の眩しい光が差し込んでいるが、俺の心はどんよりと曇っていた。
外に出ることができない俺は少し苛立った。
奴が折角、客に気を遣い都合の良いようにと小奇麗で、交通の便も良い条件の場所に移転したというのに。
客が来ないのは俺が悪いのか、それとも、今は俺の中で大人しく眠っている奴の行いが悪いのかはわからねぇ。
奴は俺と入れ替わる前は随分と好い加減だったが、急に心を入れ替えたかのように真面目に客のことを考え出した。
トレードマークともいえるあの格好、着流しに白衣を羽織るという奇抜な服装まで変えやがった。
患者の一人に馬鹿にされ、すれ違った見ず知らずのガキに変な格好のおじさん、と無邪気(というが、俺には悪魔の高笑いに思えた)に大笑いされたことで奴のプライドがズタズタに傷ついたからという本当の理由は、俺だけが知っている。
俺と奴は二十年以上もの長き付き合いだから、奴に関しては、俺がわからないことは何も無い。少なくとも、俺が目覚める以前、奴が能力に目覚め始めた以前の事を除いてはな。
あれこれと考えているうちに、俺は眠ってしまった。
俺が目が覚めたのは、つけっぱなしの待合室のテレビが丁度正午のバラエティ番組が始まると同時だった。
一時間ほど寝てたのか…俺は…。
瞼が重い。寝惚け眼のままじゃ接客できねぇなと思い、面倒臭いが顔を洗おうと洗面所に向った。
蛇口をやや乱暴に捻り、冷たい水を思いっきり出しバシャバシャ顔を洗った。
ふぅ…気持ち良い…。面倒臭いと思っていたが、洗って正解だったようだ。
顔を洗い終え、水を拭おうとタオルを手にした。
顔を拭き終えた後、何気なく鏡を見ると奴、いや、俺自身が映っていた。眼鏡をかけると、より奴に瓜二つになる。絶対に誰にもばれない変装をしているかのように。
奴の知り合いが俺を見ても、絶対に奴だと信じて疑ってはいない。いや、疑われては困る。
疑われる事を恐れていたら、相談所開業も無理だし、神聖都学園の非常勤スクールカウンセラーも続けることもできねぇ。
それ故、俺は目覚め始めてからずっと、奴を演じ続けている。苦痛を感じることもあるが、一人きりの時だけ、俺は俺に戻れる。
「俺は…誰だ?」
鏡に向かい、既にわかりきった事を問う。
答えは簡単。俺は俺、奴、門屋将太郎以外の何者でも無い。たとえ中身が入れ替わってもな。
中身が入れ替わったのはどういうことかだと? まぁいい、答えてやるよ。本来の門屋は、ある事件で心を完全に閉ざしちまったんだ。そういう風に事を運んだのは、その頃まだ門屋の中にいた俺だが。
なあ…門屋。お前は今、俺の中で何を思いながら眠ってるんだ?
能力に目覚め始めた頃のことか?
能力を制御するのを手伝った恩師のことか?
高校時代の苦い体験か?
あれこれと思い当たることをひとつひとつ聞くが、門屋は絶対に答えられないだろう。
心を閉ざし、自身の奥深くで静かに眠っているのだから。考える余裕など、門屋には有りはしない。
激しく傷つき、記憶を失った門屋には何もできやしない。己の身と心を守る事以外は。
あの時。
神聖都学園で起きた事件で門屋が記憶を失った日、俺が囁いた一言を耳にし、無意識のうちに能力を全解放した。
その時の奴には、力を制御することすらままならなかった。
おっと、俺のせいにするなよ? 俺が悪いんじゃない、弱い門屋が悪いんだから。何でもかんでも俺のせいにされては困る。
人間、誰にだってあるだろう? カッとなり、己を見失うことが。門屋の場合もそれだ。
門屋は感情的なところもあるが、そう簡単に己を見失うような奴じゃないことはわかっていた。
だから、あの日を狙って門屋自身の存在を消そうとした。存在を消すことには失敗したが、門屋の肉体支配には成功した。
どのくらいになるかはわからんが、暫くはお前の代わりに退屈な日常生活を続けてやるよ。
有り難いと思えよ、門屋。何時の日にか目覚めるだろう、お前のために我慢してやるんだからな。
日常というものは、実に好い加減だ。
欠伸が出るほどもの凄く退屈かと思えば、目まぐるしいほどに忙しくなることもある。そうかとかと思いきや、中間もある。
表の世界、というか外の世界というものは、俺の想像以上に難しく、理解し難い存在だった。
門屋は良く、この状況で生きていけたなと感心した。
まぁ…いいか…。暫く、この耐え難い状態に身を浸すのも。
今、生きているということで、俺は門屋の喜び、怒り、悲しみ、楽しみが改めて理解できるのだから。
門屋、お前もそうだろう? 俺の中でいることで、俺の痛み、妬み、苦しみがより一層わかるだろう?
肉体はひとつでも心はふたつの俺達。
この状態が何時まで続くのだろうかと思うと、俺は嬉しくなった。
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