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<東京怪談ノベル(シングル)>


たったひとつの冴えたやり方

 耳をつんざく金属音は、弾丸がなにかにあたって跳ねた音らしい。
 鼻をつく硝煙の匂い。
 男たちはふと場違いな思いにとらわれる。
 草間武彦は思った。煙草が喫いたい。
 そしてジェームズ・ブラックマンは考えた。今の気分に合う珈琲は何か、と。
「モンド・ノーボ・ドライ・オン・ツリー」
 ふいに、ジェームズが口を開いたのに、草間が怪訝な目を向ける。
「深煎りの、舌を打ち据えるような苦味。それはまさに人生そのもの、か」
「とうとうイカれたか、ブラックマン?」
「いいえ。至って正気です。いっそ狂ってしまったほうが楽かと思えるほど。ハ、ハ、ハ」
 あきらかに、気持ちの入っていない、渇いた笑い。
「さっきのは幸運のおまじないか?」
「はい?」
「モンなんとか」
「モンド・ノーボ・ドライ・オン・ツリー」
 心外そうな顔つきで、ジェームズは繰り返した。
「しかしまあ、ある意味そうかもしれません。あの香りを思い起こせば、いささか心に落ち着きが戻って来るような気が。おっと」
 再び、銃声――。
 ジェームズと草間は、錆びたドラムに身を隠した。
「参ったな……」
 自身の銃の撃鉄を起こしながら、草間は舌打ちする。
「参りましたね」
「誰のせいだと思ってる」
「私のせいだと!?」
 そこでも、ジェームズは心底意外そうな声を出す。
「何のための交渉人だ。こうならないためだろうが!」
 叫びながら、物陰から撃ち返した。
 飛び交う銃撃。
 埃っぽい空気には、かすかに潮の香りも混じるのは、すぐそこが港のせいか。
 無人だったはずの倉庫は、時ならぬ銃撃戦に、そのしじまを破られ、さながらハリウッド映画の様相だった。
 しかし、ギャングムービーの主人公というには、草間は凄みに欠け、ジェームズは緊張感に欠けていた。
「これだけの手勢を用意してくるなんて、そもそも向こうは最初から交渉のテーブルにつく気がなかったということ。交渉云々以前の問題ですね」
 黒いスーツの肩をすくめる。
「同じことだ。……畜生、あっちの出入り口はふさがれた」
「絶体絶命ですか」
 などと言いつつ、あまり危機感を感じている風でもない口調なのはどういうわけか。
 しかし状況は、その言葉通りのもののようだった。
 うす暗い、港の倉庫は、長らく使われていなかったらしく、床には厚く埃が積もっている。
 無造作にドラム缶や、なにかの資材のようなものが放置されているのがちょうどバリケードのようになって、銃撃戦にはうってつけとも言えたが、問題は彼我兵力差だ。こちらは草間とジェームズのふたり。しかも、銃を持っているのは草間だけ。対する相手は、見えかくれするいかにも険しい顔つきを数えれば、十人ほどはいるだろうか。
「なんとか、あそこまでたどりつければいいが」
 草間が囁いた。
 その視線の先に、倉庫の裏口のドアがある。
「ふむ」
 ジェームズは顎をなでた。
「少なく見積もって5秒間は、障害物も何もなく銃撃の雨にさらされますね。下手な鉄砲、の理論で言っても、十人がかかって二人をしとめるのは結構な確率になるかと」
「その冷静さが今はうらめしいさ」
「私が前に出てひきつけましょうか?」
「何だって?」
 ぎょっとして、探偵は黒衣の交渉人を見つめ返す。
「この倉庫を出られたからといって、すぐに逃げ延びられるとは言い切れない。だったら、そのとき、銃を持っていたほうがまだしも切り抜けられる可能性が高いですしね」
「俺は理屈はきらいだ」
 不機嫌そうに、草間は吐き捨てた。
「探偵なのに?」
「はやくここを出て煙草が喫いたい。煙草代はおまえ持ちだぞ、ブラックマン」
 ジェームズは、返事のかわりにキザなウィンクを寄越した。
「いいですよ、ミスター」
「よし、交渉成立だ」
 ふん、と鼻を鳴らしつつ、慎重に物陰から様子をうかがう草間。
 その目が、前方の敵影からふと離れて、上方をさまよった。
「祈ってくれ」
 草間は言った。
 そして、銃爪を引く。
 だがその銃口は、ほとんど明後日の方角へ――。
 鈍い金属音。そして。
 悲鳴が上がった。耳を聾する、がらがらと、何かが崩れる音……。
「今だ!」
 草間の一声を待つまでもなく、ふたりは飛び出している。
 敵は――頭上から襲い掛かってきた資材の雪崩れに巻き込まれなかったものたちは、悪態をついて銃を撃ったが、もうもうと上がる埃の向こうに消えて行く影を射抜くことはできなかった。

「お見事です」
 走りに走って、一時間以上は経っただろう。
 街中の、人通りの多いところに入ったから、さすがにここまでは追っては来るまい。
「危なかった」
 草間は息を整えながら、汗をぬぐった。
 対して、ジェームズのほうは呼吸ひとつ乱さぬどころか、きっちりとネクタイを緩めてもいなかった。
「弾丸切れだったんだ。あれが外れていたらと思うと」
「たった一発で、十人の人間から逃れる方法……。ゆるんだビスを打ち抜いて、棚を崩してしまうとはね」
 面白そうに、にやにやとした笑みを浮かべる。
「ただノホホンとしているだけの昼行灯探偵ではないということですね。スナイパーにでも転職なさったらどうです。よければ口をききますが」
「そんな悪い冗談を言って、さっきの約束を誤魔化そうとしてるか?」
「それこそ心外なジョークです。私が約束を違えたことがありますか?」
「どうだったかな」
 ジェームズの差出した小銭を受取りながら、草間は笑った。
「時に、私も熱い珈琲が飲みたい。ご一緒していただけますよね?」

 男たちは、それぞれが求めてやまぬものに、ありついたようだ。
 仕事のあとの煙草とコーヒーほど、身にしみるものはない。
 ましてそれが、生死を賭けた仕事であれば。

「意外だったな」
「何がです?」
「さっきのさ――」
「ああ、私がおとりを申し出たこと?」
 路傍の喫茶は、狭くてうす暗いが、味のある雰囲気だ。
 マスターは初老の男で、BGMは柱時計が時を刻むコチコチと、サイフォンが呟くコポコポという音だけ。
 こういう店を通りすがりにでも探し当てるのが、ジェームズの才能なのか、それとも、もともとこの店を知っていたのか。
「たとえばね、ミスター草間。あなたがデートに誘いたいと思っている女性がいるとしましょう」
 ジェームズは言った。
「あるとき、あなたは彼女に言います。『一緒に旅行に行かないか?』と」
「いきなりか? バカ言え」
「そう。彼女はとても驚くでしょう。そしてもちろん断りますね。そこであなたは言下に笑って前言を撤回します。そして、『では、食事にでも行かないか?』と言うのです」
「……」
 話題の意図がつかめずに、とりあえず、煙草をくわえる草間。
「これだけのことで……、茶番のような話の枕を置くことで、彼女がデートの誘いにイエスと言う確率は高まるのですよ。……それがいかに莫迦げたものでも、彼女は一度目の提案を断っているから、意識下に『相手の申し出を断わってしまった』という負い目をおっているのです。つまり、わざと、相手が受け入れない申し出を先にしておくことで、強制的に相手に負い目をおわせ、それにつけこんで、二番目に、本当に通したい提案をすることで、相手に譲歩を要求する。そういうテクニックなのです」
 滔々と語るジェームズ。
「……つまり?」
「まだわかりませんか、ミスター?」
「?」
「あなたが、私をおとりにして自分だけ逃げようなどと考えないことは容易に察せられます。でも私がそう提案すれば、あなたはそれを否定して……意地でも窮地を打開する方策を見つけだしてくれたでしょう」
 ぽかん――、と、草間は口を開けた。
「いずれにせよ、あなたに助けていただいたことは事実です。……でも借りではありません。そのぶんは煙草でお返ししましたからね」
 そういって、コーヒーを啜る男を前に、草間はがっくりとうなだれるのだった。

(了)