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<東京怪談ノベル(シングル)>


wonderful days

「はぁ…」
 デュナス・ベルファーは蒼月亭でランチを済ませた後、店から出て溜息をついた。
 別にランチが不味かったという訳ではない。店主の好意で毎日のように安くて美味しいランチを食べられるし、食後のデザートに付いてくるケーキもとても美味しかった。
 そのケーキを作っている彼女が、デュナスはとても気になっているのだ。彼女との出会いは、先日彼女が北海道から東京にやってきたばかりの時に、空港まで迎えに行ったことがきっかけだった。その後皆の薦めで浅草に行き、ちょっと驚かすつもりで冷やし抹茶のコップを頬に当てたとき、小さく「きゃっ!」と振り向きその大きな瞳でじっと見つめられてから、何故かその姿が頭から離れない
 本当はもっと声を掛けたいし、気になっていることも伝えたいのだが…。
「まずい、想像しただけで顔が赤く…」
 自分が告白することを考えるだけで、何だか顔から火が出そうだ。きっとそんな事を本人の前で言おうものなら、全身から赤外線とか紫外線を発してしまうかも知れない。こんな時は自分の「発光能力」が恨めしく感じる。
 そう。デュナスは年齢の割に純情なのだ。
 訳あって日本にやってきたが、それまでも女性とつきあう事などなかったし、そんな感情を抱く事も全くなかった。だから自分が今感じている、胸が締め付けられるような感情持て余していて、どうしたらいいのかさえも分からない。
 とりあえず常連になって顔を覚えてもらおう。そう思って毎日のように通っているのだが、一生懸命小さな体で動き回っているのを見ると、用もないのに声を掛けるのも何だか迷惑なような気がして、結局デュナスは小学生のように遠くから彼女を見ていることしかできない。
「今日も声を掛けられませんでした…」
 デュナスはそう思いながら財布に手をやった。
 いつもはギリギリ一日を過ごせるぐらいしか財布に入っていないのだが、今日は懐が少し暖かかい。最近請け負った行方不明のペット探しの報酬が入ったばかりなのだ。家賃や生活費をこれから振り込みに行っても、少し余裕があるぐらい残るだろう。これで何か買って、それをきっかけに話が出来れば…。
「いや、そんなに親しくない人から物をもらったら気味悪がられますかね。でもこのままじゃ、いつまでも今のままのような気がしますし…」
 こんなところで悩んでいても仕方がない。まずは家賃や生活費を振り込みに行ってから考えよう。歩いている途中で何かいい事を思いつくかも知れない。
 デュナスはそのまま小走りで駅の方に向かった。

「さて、どうしましょうか」
 家賃と生活費を銀行に振り込み、デュナスは街をぶらぶらと歩いていた。何か買う…といっても自分の物を買って、それに全く気づいてもらえなければ意味がない。かといっていきなり変な物を贈れば、下手すると店への出入り禁止を食らってしまうかも知れない。それは困る。
「いきなり贈っても不自然じゃなくて、喜んでもらえそうな物…うーん、難しいですね」
 そんなことを考えながら、無意識にデュナスは駅直結の百貨店に入った。この中ならなにかいい物が見つかるだろう。
 最初に目についたのは、自然な物を使った石けんやバス用品の店だった。エッセンシャルオイルのいい香りが店の外まで漂っていて、果物のように色とりどりな物が並んでいる。それはデュナスに祖国の市場を思い出させた。
「女の子でお風呂嫌いな人はいないですよね…」
 そう思いながらふらふらと入り、辺りの商品を手に取ってみる。果物のように見えたのは、浴槽に入れる入浴剤だった。デュナスはそれを見ながら色々とイメージしてみる。
「うーん、色は暖色系がいいですよね。香りは柑橘系…いや、香りには好きずきありますし」
 そんなときだった。
 制服を着た店員がデュナスに気づき声を掛ける。
「何かお探しですか?」
「い、いえっ、ちょっと見ていただけなんですけど」
 思わずそう答えると、店員はデュナスが持っていた入浴剤を手に取り説明をし始めた。
「こちら新製品の『茜色の誘惑』ってバスボムは、柑橘系の香りで男性の方が使ってもリフレッシュするのでとってもおすすめですよ。よろしかったら今からお湯に溶かしますので、香り確認してください」
 デュナスが狼狽えている間に、店員はそのかけらを大きな鍋に入っているお湯に入れる。するとそれはシュワシュワと発泡しながら溶け、辺りを柑橘系の香りで満たし始めた。
「ただいま新製品のバスボム『茜色の誘惑』を溶かしておりまーす。お客様よろしければ香りなど確認してくださいませー!」
 そう言って店員が店にいた他の客達にその様子を見せている隙に、デュナスはその店からそっと離れた。バスボムという物にはちょっと興味があったが、買い物をするなら適度な距離感が欲しい。それに、もしそれをプレゼントしたとしても、その香りを気に入らなかったら無駄になってしまうし、そもそも好きな香りを知るぐらい仲が良い訳でもない。
「別の物にしましょう」
 デュナスは立ち直り、次の店へと向かった。
 この立ち直りの早さが彼女に対して発揮されれば、こんなに悩むこともないのだが…。

 服や靴、アクセサリや香水などの店を回って見たが、デュナスがピンと来る物はなかった。
 服に関しては小柄だということは分かっているが、いきなり贈ったらかなり警戒されそうだし、靴はサイズを全く知らない。アクセサリも、最初から指輪などを贈れば確実にひんしゅくをかうだろうし、ピアスをしているかどうかも知らなければ、好きな色も分からない。香水も何となくイメージっぽい物はあったのだが、よくよく考えれば蒼月亭は昼間カフェだ。コーヒーの香りが漂うところに他の香りは邪魔になる。
「はぁ…プレゼント選びって難しいですね」
 そう思いながら花屋の前を通る。
 女性へのプレゼントに困ったときは花を贈れ…というのは、日本だけではなく自分の祖国でも言われていることだが、だからこそ難しい。花なら確かに大抵喜ばれるであろうが、枯れると共に自分が忘れられてしまいそうな気がして何だか怖い。それに、せっかく彼女に贈った花なのに、店に飾られたりしたら立ち直れる自信がない。
「やっぱり自分で声を掛けるしかないんですかね」
 そんなことを呟きながら駅へと向かおうとしたその時だった。
「あ……!」
 路上で販売しているアクセサリに目が行く。それは老婆がやっている店で、聖人のメダルやブローチなどを売っており、デュナスは思わずその前にしゃがみ込んだ。
 デュナスに気づいた老婆が微笑みながら話しかけてくる。
「何か素敵な物は見つかりましたか?」
 それはフランス語だった。デュナスもフランス語でその言葉に返す。
「ええ、何となく呼ばれたような気がしたんです」
 そう言って、デュナスは黒いビロードの布の上に並べられた物を見た。それは小さいが丁寧に扱われていたアンティークだった。メダルやペンダントトップなどを眺めていると、老婆が話しかけてくる。
「何をお探しですか?私で良ければお手伝いしますよ」
「プレゼントを探しているんです。でも、何を贈ればいいのか分からなくて…」
「そうですか。その人はどんな方ですか?」
 老婆に言われ、デュナスは脳裏に彼女の姿を思い浮かべた。何故か今まで出なかった言葉がすらすらと口をついて出る。不思議と顔も赤くならない。
「小さくて可愛くて…大きな目で、いつも笑顔の素敵な人です…」
 本当はそれを本人の前で言えればいいのに。
 そんなことを思っているとデュナスの目の前にロザリオが差し出された。それは数珠の部分が淡水パールで出来ていて、メダルの部分には聖母マリアの横顔が刻印されている。
 老婆は皺だらけの手でデュナスの手をそっと握った。
「今は渡せなくても、きっと渡せる時が来ますよ」
「そうですね…ええ、いつか自分で渡します」
 このロザリオは彼女を守ってくれるだろう。老婆はそれを小さな小箱に入れ、ピンクのリボンで丁寧にラッピングする。
「貴方に聖ジャンのご加護がありますように」
「ありがとうございます」
 デュナスはロザリオの代金を払うと、それを上着のポケットに入れた。
 今の時間はバーになっているから、彼女は店に出ていないだろう。だから、今度会った時にでも渡そう。いや、せっかくだからちゃんと映画や買い物に誘って、東京を案内して…。
 何を自分は焦っていたのだろう。まだ時間はたくさんあるのに。
 さっきまで全然考えられなかったことが、すらすらと出てくることにデュナスは苦笑し、街の中でも見える一番星を見上げこう呟いた。
「何だかこんな一日も悪くないですね…」

                                 fin

◆ライター通信◆
シチュエーションノベルの発注ありがとうございました。水月小織です。
依頼では香里亜さんとの話…との事でしたが、クリエイター専用のNPCをシチュエーションノベルで指定する場合「携帯コンテンツ」からしか指定できないので、名前を全く出せない話になってしまいました。大変申し訳ありません。
リテイクなどがありましたら遠慮なく言ってくださいませ。
次の発注の際は、是非携帯コンテンツの方から香里亜さんを誘ってあげてください。蒼月亭でお待ちしています。

「聖ジャン」は「ヨハネ」のフランス語読みです。
あと某バスボムのお店はフィクションです。実在する商品名ではありません(笑)