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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


Lizzie Borden


Lizzie Borden took an axe,
Hit her father forty whacks.
When she saw what she had done,
She hit her mother forty-one.



「お兄さん、またこのニュースですよ」
 草間のデスクの上にコーヒーを置きながら、零はつけっ放しのテレビに視線を向けた。
 草間は零が置いたカップを受け取ると、目を通していた夕刊を二つにたたんでデスクの上へと放りやる。
「……んァー?」
 あくび混じりに返事を述べる。
 零は盆を胸に抱え持ち、兄の生返事になど関心を寄せるでもなしにテレビ画面に見入っていた。
「んぁー、また例の事件か?」
 零の視線を追うようにしてテレビ画面を確かめた草間の目に、最近続く殺人事件にまつわるニュースが映りこむ。

 被害者は四十代の夫婦。ふたりとも鋭利な刃物でめった刺しにされていたのだ。
 加害者として捕まったのは十代の高校生。
 画面では、重要参考人として報道されている少年が通っていた学校の教師が、神妙な面持ちで口を開けている。
 ――とてもおとなしい生徒でした。……とてもこんな残忍な事をするような子では……
 重たげな口を開きぽつりぽつりと落とすように呟く教師の画面は消え、再びスタジオへと戻された。
 ――しかし、同じような事件が、これで連続して六件も起きているわけなのですが
 暗鬱たる表情でコメントを告げるコメンテーターが言葉を述べたのと同時、興信所を訪れた客人がベルを鳴らした。
 

「悪い事は言わねえから、もっと違うところに行けよ。警察だとか、いろいろあるだろ」
 吸い終えたタバコを灰皿に押し付けながら、草間は深いため息を漏らす。
 向かい合わせになったソファに腰を落としているのは、ずぶ濡れになった学生服を身につけた少年だった。
「あの、お風邪をひいてしまいますから、これでお体を拭いてください」
 ソファに腰を落としている少年を睨めつけるように見据えている草間の横で、零はタオルを差し伸べながら、心配そうに首をかしげてそう述べた。
 しかし少年は零の言葉にも所作にも反応を返そうとはせずに、ただひたすらに小刻みに震え上がっているばかりなのだ。
「……お、オレはなんにも……」
「――は?」
 押し黙っていた少年がうっそりと口を開く。対する草間が眉根をひそませると、少年はおもむろに立ち上がって草間の襟首を掴んだ。
「助けてくれ……! オ、オレ、殺人犯になっちまうよ!」 
「気がついたら、だって?」
 顔面を蒼白させてすがりついてくる少年をなだめながら、草間は再び眉根を寄せる。
「あの、よろしければ、お話を聞かせてくださいませんか?」
 零が横合いから言葉を挟んだ。


 初めは都市伝説のようなものなのだろうと思っていた。実際笑い話にしていたし、はなから信じてなどいなかった。
 だから、それを試してみたのは、ほんの些細な興味心によるものだったのだ。
 

「ちょっと待て。なにを試したんだって?」
 新しいタバコを開けながら、草間は確かめるような眼差しで少年を見る。
「……夜中の十二時に公衆電話で歌を歌うんだ。……歌の意味なんざ知らねえよ。……とにかくそれを歌えば、死神を呼び出せるんだっつって……」
「――歌?」
「一緒に試した友達の内の二人ともが親を殺してしまったんだ……! あ、あいつらが言ってた通りになってんだよ!」
「ちょ、待てって。死神だあ?」
「三人のオッサンだよ……! オッサンが三人出てきて、俺らに言ったんだよ! 俺らの親がキーワードを口にしたら、その瞬間、俺らは親殺しになるんだって……!」


 半ば狂乱気味に頭を抱え込んでいる少年を支えながら、草間は小さなため息をひとつ吐き出した。

「分かった。――分かったから、順を追って話してみろ。まずはその死神とかいう三人組に関する情報だ」


「全身を黒で統一した出で立ちの、三人組の男。――確かアトラスの記事でそんな三人組の話があったわね」
 テーブルを囲み、ソファの上で重々しい沈黙を守っている面々を順に確かめながら、シュライン・エマは紅茶を淹れたカップを全員に配ってまわる。
「確か田辺さんも危険な目に遭ったのよね。さすがに、田辺さんの名前も被害者の方々のお名前も、記事の中には書かれていなかったけど」
「……MR商会と名乗る三人組です」
 シュラインの言葉を継げたのは、ソファの上で身じろぐ事もせず、ただ真っ直ぐにカップを見据えている青年――伏見夜刀だった。
「……僕は、以前、その三人組と対峙した事があります」
 カップを見据えていた視線をちろりと外し、印象深い金色の眼差しをセレスティ・カーニンガムへと向ける。
 夜刀の視線を受けたセレスティは、シュラインが手渡したカップを一口堪能した後に、ゆったりとした所作で両手を組んだ。
「昨年のクリスマス時期でしたね。随分と陰惨な事件でした」
「ところで、その歌なんだけど。それってマザーグースの一遍に似てるわよね」
 草間の横に腰を下ろし、シュラインは同意を求めるような視線で草間を見る。が、草間は小さくかぶりを振るばかりだ。「俺が知ってると思うのか」と言わんばかりの表情を浮かべている。
「メロディは幾分か変調してはいるようですが」
 草間の代わりに頷いたセレスティに向けて、シュラインはちろりと頷く。
「俺は、そのマザーグースというものは名前しか知らないが」
 依頼人である少年は、ソファからは少し離れた場所に置かれた椅子の上で、カタカタと震えながら俯いている。その傍らで、壁によりかかって立っていた物部真言が重々しげに言葉を告げる。
「有名な歌なのか?」
 深い夜の色が宿る眼差しを細めて訊ねる真言に応えたのはセレスティだった。
「Lizzie Borden。1892年にアメリカで起きた事件を歌ったものとされています」
「百年以上前の事件か」
 深い息を吐いて頷いた真言の傍らで、依頼人が頭を抱えて小さな唸り声をあげる。
 と、その依頼人の背中から這い登ってきたのは、鼬姿の鈴森鎮だった。鎮はふさふさとした尻尾で依頼人の顔をぺちぺちと叩きながら、大仰なため息を漏らしてかぶりを振る。
「これだから『若さはばかさ』って言われるんだぞー? 死神なんて呼ばれるもんを呼びだしゃ、ろくでもない結果になるのは目に見えてるだろーが」
 小さな嗚咽にも似た唸り声をあげる依頼人の肩の上、鎮は「やれやれ」といった仕草をとりつつ周りの様子を確かめる。
 と、草間がため息を吐きながらやってきて、鎮の体をひょいと抱え持って依頼人の体から引き離す。
「一般人にとっちゃ、『人語を話すイタチ』ってのも充分に恐怖だろうが」
「なんだよー、失敬だなー」
 不平を口にするも、鎮はひらひらと手を振りながら依頼人の元を離れていく。そして夜刀の横に下ろされた頃には、テーブルの上にあった饅頭に興味を向けていた。
「ともかく、あなた達が見た三人組っていうのがMR商会を名乗る三人組だったらしいという事は分かったわ。知りたいのは、あなた達が彼らに会った時に、何らかの事をされたりしていないかっていう事よ」
 シュラインが依頼人を見据える。
「……何かされたって……」
 おずおずと口を開く依頼人に、夜刀が何事かを思案しながら視線を向ける。
「……僕が知る彼らは、……例えるなら、催眠だとか暗示だとか……そういったものを使役しているように思えます」
「暗示……」
 眉根を寄せる依頼人に、セレスティが問いかけを続けた。
「後催眠――というものがありますね」
「でも、催眠で殺人や自殺を促すといった行為は不可能だと言われているわよ」
 セレスティとシュラインの視線がかちりと重なる。
「自らの死と同種族の殺戮は『禁忌行為』として本能が禁じている――でしたか」
 細められたセレスティの眼差しを、シュラインは小さな頷きと共に肯定した。
「……しかし、それは必ずしも不可能な行為ではないとも言われています」
 言葉を挟んだのは夜刀だった。
 必然的に皆の視線が夜刀へと寄せられる。
 夜刀は依頼人の顔に視線を送り、それからゆっくりとした口調で訊ねかけた。
「……あなたは、あなた方のご両親がキーワードを口にしたら、と仰いましたね。……逆を言えば、そのキーワードにさえ近付かなければ、MR商会の思惑は外れるという事になります」
「そのキーワードっての、覚えてるのか?」
 壁に寄りかかったまま、真言が依頼人を見つめる。
 依頼人はしばしの間部屋の中にいる面々を確かめていたが、やがてのろのろとかぶりを振って呟いた。
「早く寝ろとか、勉強しろとか……そんなのを親が口にしたら、俺らは親を殺すんだって……そう言ってた」


「あれだ。ようは、早く寝ろだの言われないような生活をそればいいんだよ」
 イタチ姿のままの鎮は、草間興信所を後にして自宅へと戻る少年の肩の上で、ふむとうなずきながらそう述べた。
 少年は、初めの内こそ鎮の存在――すなわち、人語を話すイタチ――におののいていたものの、それにももう大分慣れてしまったようで、今では鎮が話す言葉に相槌を打つ事さえも出来るようになっていた。
「そんな生活つったって」
「よく言うだろが。健全な精神は健全な肉体からって」
 少年の頬を尻尾でペチペチと叩きつつ、鎮はさらに言葉を継げる。
「ようするに、規則正しい生活してりゃあいいんだって。早寝早起き乾布摩擦」
「乾布摩擦かよ」
「夜中に出歩いてる子供がいれば、そりゃ真っ当な大人だったら注意のひとつもしたくなるだろうが。俺だって言うぜ。何時だと思ってんだーって」
「……」
「ともかくも、俺がおまえのお守りをしてやるよ。刃物には刃物ってな」
 にまりと微笑む鎮の言葉に、少年はわずかに眉根を寄せる。
「おまえ、カマイタチって知ってるか?」
 怪訝な表情を浮かべている少年に応えるように、鎮はちろりと鎌を見せて片目を瞑った。


 数度のコールの後、応じた相手はひどく機械じみた話し口調をした女だった。事務的な、とも言うのだろうか。女は淡々とした口調で夜刀が訊ねた質疑に応じ、関連する書籍に関する情報をくれたのだった。
 ――MR商会を名乗る三人組がいつ頃から存在しているのかは知れないが、彼らによって発生しているとも思われる怪異はある意味では特殊な部類に数えられるような気がするのだ。
 夜刀が情報を請いたのは、自身が所属している魔術組織だった。
 万が一にMR商会が何十年――あるいは数百年という歳月を経ている存在ならば、彼らに纏わる記述は、何らかの形で組織の中に記録されているのではないかと考えたためだ。
 そして。
 果たして、女がよこした情報の中には、確かにそれらしい三人組に関する記録が含まれていた。むろん、その呼称は「MR商会」などといったものではなかったが。
「……初めの記録は……」
 示された書籍をめくりつつ、夜刀は思案気味に視線を伏せて呟いた。
 黒尽くめの三人組に関する記述は、遡れば二百年ほど前に起きた事件を始めのものとしていた。
「……五件の怪奇事件の後に突如消えた……」
 英文で書かれた文字を指でなぞりながら、夜刀はついと双眸を細ませる。
 三人組が始めに姿を見せたのは二百年ほど近く前の事であるようだ。あちこちで目撃され、そのたびにあちこちで怪奇事件が起きたという。しかし、五件の事件を起こした後に、三人組はふつりと姿を消してしまったらしい。
 次に彼らが現れたのは、今から百年ほど前の事。――そう、アメリカでリジー・ボーデンが両親を殺害したとされる事件が起きた、あの辺りだ。
「……もしも」
 独りごちながら、夜刀は開いていた書籍を静かに閉じた。
 もしも彼らが今と同じような手段を用いて事件を誘発していたのだとしたら。
 ――考えて、夜刀は立ち上がる。
「……どんな事があっても阻止しなければ」


 ゴーストネットでの調べ物を終えた真言は、先に帰路についていた少年と鎮とを追い、少年の家へと足を向けた。
 真言が気にかかっていたのは、MR商会は何がしかの目的をもって少年達を狙ったのか否か、といった事だ。もしも愉快犯的なものであるならば、それは文字通り手当たり次第、という事だろう。
 既に両親を手にかけてしまったのだという二人には面会出来ないものの、残る一人――依頼人は、真言の見る限り、何かが憑いているなどといったような事はないようだった。
「そうなると、やはり暗示か……」
 呟き、前髪をぐしゃりとかきあげる。
「ともかくも、気が滅入る話だな」
 続けてごちて、少年の部屋を見上げた。
 辺りは既に夜の色を呈している。少年の部屋にはカーテンが引かれているものの、その隙間から漏れ出る明かりを窺う限り、少年と鎮とは部屋の中に篭っているようだ。
「しかし、なあ」
 小さなかぶりを振りつつ、真言は呼び鈴へと指を伸ばす。
 ゴーストネットやアトラスで真言なりに調べてきた結果、彼らに纏わる噂や怪異は、確かに昨年の暮れから起こり始めているらしいのだ。
 全身を黒で統一した、奇術師めいた風体の三人組。まさに神出鬼没、現れては消えていくのだというのだが。――何よりも特徴的なのは、彼らは前回も今回もマザーグースの一遍を奏しているらしいという点だ。
 少年の家の中から、少年の母親と思しき女性が顔を覗かせる。
 真言は丁寧な所作で頭をさげ、心の底でため息を吐いた。



「あらかじめ歌を録音しておいて、時間になったら流れるようにセットしておこうかと思うの」
 シュラインは興信所のソファに座り、向かいに座るセレスティの顔を真っ直ぐに見遣る。
「そうですね。仮にあれが暗示によるものなのだとすれば、なるべくならば相手の言葉に耳を貸さない方がよいのでしょうし」
 セレスティはシュラインの言葉にうなずいて、空になったカップを受け皿の上へと戻す。
「思うのですが、例えば『早く寝なさい』だのといった言葉を発端にして殺人衝動に駆られるようにされているのならば、それは親のいない方が試せば、どういった反応を示すところとなるのでしょうか」
「……どういう事?」
 セレスティの言葉に、シュラインはふわりと首を傾げた。セレスティはしばしの間をあけ、それからゆっくりと口を開ける。
「つまり、暗示にかかった方が殺人衝動を覚える相手は両親に限っているのだろうか、という事です」
「ああ――なるほど」
「もしも仮にそれが親に対する衝動に限らない場合、そうですね、仮に友人や兄弟――あるいは自分自身へと向かう場合も考えられるでしょうか。そうだとした場合、この事件は、大きな被害をもたらしているのではないのかと」
 告げたセレスティに、シュラインは眉根を寄せて立ち上がる。
「ともかくも、彼らが試したのだという方法、私たちも試してみましょう」


 正確な時刻を表示するように設定してある時計が日付変更時刻を表示した。
 それなりの広さを保有している公園の一角で、最近では馴染みも薄れてしまった公衆電話を囲み、セレスティとシュライン、そして夜刀の三人が周りを見渡し、あるいは電話を見つめている。
 ぼうやりと照った明かりの中で、シュラインが歌ったものを録ったテープがからからと回る。
 セレスティはもう一度時計を確かめてから、静かにポケットへとしまいこんだ。
「……現れるでしょうか」
 声をひそめ、夜刀がぽつりと落とす。それを受けて、シュラインが静かに首を傾げた。
「そうね。……でも、夜刀くんが調べてきた事が事実なら、MR商会の三人は少なからず人間とは異なる存在という事になるわ」
「もしくは、過去に存在した三人組を模倣した何者か――という可能性もありますよ」
 セレスティはそう応えて目を細ませる。
 再び沈黙が訪れた。シュラインの歌声は話し相手のいないはずの受話器を前にして、ゆるやかに夜を揺らしている。


 風呂をいただいてきたのだという真言が、タオルで髪を拭いながら部屋の中へと踏み入る。
「……なんだか、申し訳ないぐらいに呑気だな」
 部屋に入り早々、真言は居心地の悪そうな表情を浮かべて床の上に座り込む。
「料理も美味いし、風呂も貸してくれるしさー。いい親じゃん、おまえんちの親」
 少年のベッドを占領している鎮が、シーツの上でごろごろと転がっている。
 少年は鎮の言葉に眉根を寄せつつも、少しばかり頭を掻いて視線を伏せた。
「あいつらの親だって同じようなもんだった。そりゃそれなりにうるせえ親だったかもしれねえけど、それでも、ホントに仲良かったんだぜ、あいつらんトコ」
 表情を暗く染めて呟き、少年は思い出したように頭を抱える。
「俺も殺しちまうのかな」
「ふふん。だーいじょうーぶさ。部屋ん中の刃物は全部俺が隠しちったしなあ。台所に近付きさえしなけりゃ、包丁とかにも触れねえだろ」
 ベッドの上を転がりまわっていた鎮が、するりと少年の肩に乗る。
「それを阻止するために俺達がいる。それに、あの三人が別の場所であいつらをどうにかしようと動いているんだ。だから――大丈夫だ」
 言いつつ、真言は下階で渡された缶ビールを口にした。
「あ、俺も、俺も!」
 少年の肩の上からすとんと降りて、鎮が真言の傍へと近寄った。それと同時に、部屋のドアがノックされて、その向こうから少年の母親の声がした。
「庸一? お茶とお菓子ここに置いておくわよ。母さんもうそろそろ寝るから」
 少年――江藤庸一が母親の言葉に曖昧がちな返事を返す。
「お菓子、お菓子! 早く受け取ってこいよ!」
 真言の膝の上で鎮がお菓子お菓子コールを始める。
 庸一が部屋の外へ出て行って母親から菓子と茶とを受け取っている。
 真言は、壁掛けの時計に視線を向けた。
 時刻は夜の0時を過ぎていた。
 しばしの後、母親が階段を下りていく音がした。次いで、それを追うようにして下りていく庸一の足音も聞こえた。
 反射的に腰を持ち上げて、真言は庸一の部屋を後にする。
「おい、こら、待て!」
 真言の肩の上から飛び降りた鎮が、叫びながら階段を下りていく。


 静かに流れていた夜風が、シュラインの歌と共にひたりと凪いだ。
 咲いている紫陽花の葉の上を、夜露がゆっくりと伝い落ちていく。
 闇がぐにゃりと歪み、それが三人の奇術師の形を成していく。
 黒いシルクハットに黒いスーツ。白い手袋をつけた両手を器用に動かしているのは、真ん中に立つ初老の男だ。男は品のある所作でトランプをきっている。左右に立つ青年たちはそれぞれがヴァイオリンとバンドネオンとを手に携え、朗々とした楽曲を奏でている。
「リジー・ボーデン」
 シュラインがぽつりと呟いた。
 同時に、トランプをきっていた初老の男が手を止めた。その目がわずかに輝きを放ち、真っ直ぐにシュラインを見据えている。
「リジーは無罪を言い渡されましたが、さて、現代の親殺したちは見事に咎人となってしまいましたねえ」
 笑みを含んだ低い声が、歌うような調子で告げた。
「……あなたたちがそう仕向けたんでしょう?」
 怒気をこめた声で、シュラインは三人を睨めつける。
 三人はキョキョキョと嗤い、そしてゆったりとかぶりを振った。
「とんでもない。私達は私達を呼び出した彼らに、ちょっとしたアドバイスを差し上げただけですよ」
「……アドバイス?」
 セレスティのステッキが地を叩く。それに合わせ、六月の雨をふんだんに含んだ大地のそこかしこから水が噴きあがり、円を組んで三人を取り囲んだ。
「その通り。ストレスを溜め込むのは実によろしくない。ちょっとした怒りも、積み上げればひどいストレスになってしまうでしょう。私達は、それを解放してみてはいかがかと申し上げただけなのですよ」
「ふざけたことを……!」
 両手を振るい、夜刀が三人組の元へと歩み進める。金色の眼差しが怒りを帯びて三人を睨みすえ、その周りを取り囲む夜の風が、紫陽花や木々を大きく揺らした。
「……親を殺すというのがどれ程の罪となるのか、おまえたちに分かるというのか……!」
 続けた夜刀の言葉と重なり、夜風がびょうと吹いて男の手にあるトランプを空中へと舞い上げる。
「き、きょ、きょ、きょ!」
 男達の、薄気味の悪い嗤い声が風と共に舞い上がる。
「夜刀さん、止まってください」
 セレスティが夜刀を呼び止めた。夜刀がわずかに足を止めてセレスティを振り向いた、刹那。円を描いていた水が捕縛のための環となってMR商会の三人をぐるりと取り巻いた。
「暗示を解きなさい!」
 シュラインが叫ぶ。
「ぎょ、き、きょきょぎょぎぎ」
 水の環は捕らえた三人を押しつぶさんばかりの勢いで収縮し、三人はそれぞれにひしゃげたような嗤い声をあげた。――しかし、それでも、暢気に奏される音楽は止まないのだ。
「またお会いしましょう、マドモアゼル。そしてムッシュー」
 ケタケタと嗤う声ばかりを残し、三人は再び夜の闇へと消えていく。
 水環が、ぱしゃりと跳ね上がった。その次の時には、もう既に三人の姿はどこにもなくなっていたのだった。


 庸一の目は怒りに満ちて充血し、台所のシンク前で震え上がっている母親を真っ直ぐに捕らえ見ていた。
 その手には果物ナイフが握られている。
「テーブルの上から取ったんだ!」
 鎮の声がして、真言はふとそちらに目を向ける。テーブルの上にはリンゴを数個いれたカゴが乗っており、庸一が手にしているナイフは、確かにそのカゴの中から持ち去られたものであるようだった。
 見るに、庸一の様子は尋常ではないようだ。体の全部で呼吸をし、両目は赤く染まり、喉の奥から搾り出すような呻き声をあげ、今にもそのナイフで母親を刺そうとしているように見受けられるのだ。
「よーいち! おま、ちょ、とどまれって!」
 言いながら、鎮はテーブルを跳ねて庸一の傍へと飛び移る。鎮の手、鋭利な刃先をかまえた鎌が現れた。同時、真言が静かな声音で言葉を編んだ。生み出されたのは対象を鎮めるための言葉。霊魂の類を鎮めるための言葉であったのだが、しかし、それは確かに庸一の心を止めたのだ。
 豹変した我が子を見る母親の目が、真っ直ぐに子を見据えている。その目には、先ほどまで浮かんでいた戦きといったものはわずかにも残されてはいない。
 怒りに我を失くした少年は、母に向けて振り上げていた片腕を大きく震わせ、泣いていた。まるで自身の心を押しとどめるかのように。
 鎮の鎌が庸一の手の中のナイフを一閃する。
 カツンと小さな音をたてて、ナイフは床に突き刺さった。


「それで、その三人はまた逃げていったってわけか」
 興信所に戻った五人を迎えた草間は、吸い終えたタバコを灰皿に押し付けながら目を細ませた。
「逃げていったっていうか……そんな感じはしなかったけど」
 すぐさま新しいタバコの封を開けた草間を軽く睨みつけながら、シュラインは思案顔で首を傾げる。

 依頼人である少年――庸一は、鎮と真言によって阻まれ、『親殺し』という大罪を犯さずに済んだ。しかし、暗示が立ち消えたかどうかが定かではなかったために、セレスティが手を打ったのだった。

「あの依頼人――江藤には、セレスティが”違う暗示”をかけたんだろう?」
 シュラインの制止から逃れるようにして視線を逸らし、草間はセレスティの顔に目を向ける。
「ええ。生死に関する面での理性が強く働くようにと。MR商会がかけた暗示がどれ程に強力なものか、検討もつきませんけれど……。それでも、手を打たないよりはましでしょうから」
 穏やかな笑みを浮べつつ、セレスティは静かに頷いた。
「しかし、そこで消えたというのなら、三人はやはり人間ではない存在だと考えるのが妥当だろうか」
 真言が低い声で告げる。それを受けて頷いたのは夜刀だった。
「……考えてみれば、彼らは、前回も今回も、対峙した人間に直接触れたりしているわけではないのですよね。……それは、実体を持たない存在だから、という事でしょうか」
「そうかもしれないわね。でも、霊とかそういう印象も受けなかったわ」
 夜刀と視線を合わせ、シュラインが頷く。
 夜刀はシュラインの顔に視線を向けて、それから静かに片手を伸べた。
「これを……」
 言いながらテーブルの上に置いたのは飾りの施されていないトランプだった。真黒な面を引っくり返してようやくそれがトランプだと判るような。
「彼らが忘れて……いえ、残していったものです」
「おお。じゃあ、それから情報を読み取ればいいんじゃないのか?」
 テーブルに置かれたトランプに、草間が呑気な調子で手を伸ばす。が、それは真言によって制され、草間はトランプを手にする事が出来ないままに終わった。
「情報を読み取ろうとはしてみたのですよ。……しかし、そこにはおよそ情報といったものは残されてはいませんでした」
 セレスティが神妙は顔つきで草間を見遣る。
「あるのは、ただ、渦を巻く漆黒の闇だけなのです。……感情の片鱗すらも感じられないような」
「……闇……」
 夜刀がぼそりとごちる。
「闇だろうが夜だろうが、俺らがしっかりしてりゃいい話じゃんよ。しっかりやろうぜ、みんな」
 イタチの姿のままの鎮が、テーブルの上のトランプを一枚手に掴む。
 一様に注がれる視線の中で、鎮ばかりがニマリと微笑んでいた。 

 しんと静まり返った興信所の中に、開け放っていた窓から、湿った風が流れ込む。
 窓の外の木がさわりと揺らぎ、どこからともなく愉しげな音楽を運び持って来たのだった。



 
  

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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】
【2320 / 鈴森・鎮 / 男性 / 497歳 / 鎌鼬参番手】
【4441 / 物部・真言 / 男性 / 24歳 / フリーアルバイター】
【5653 / 伏見・夜刀 / 男性 / 19歳 / 魔術師見習、兼、助手】



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          ライター通信          
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お届けが遅くなってしまいました。初めにご発注くださいました方々には、ほぼ一週間近くの遅れとなります。失態です。本当に申し訳ございません。

MR商会を名乗る三人が登場するノベルは、これで二作目となります。
微妙に続き物な雰囲気で満々となっていますが、次に三人が現れるのは、もう少し先の事になるかと思います。
もしもご縁をいただけるようでしたら、またお会いできればと思います。

それでは、今回は本当に申し訳ございませんでした。せめて、お楽しみいただけていればと思います。