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八王子もののけ録 〜もののけたちとの攻防〜
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「月刊アトラス」編集部に送られて来た手紙は、「もののけ」に取り憑かれた娘を持つ両親からの助けを求める叫びが満ちていた。
少女に取り憑き、怪異を為す「もののけ」たちの目的は?
どうしたらそれを止めさせる事が出来るだろうか?
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「誰か、こちらのお宅へ行って確かめて来てくれないかしら? 危険過ぎるようだったら、無理せず戻って来て構わないわ」
件の手紙を読み終えた編集長、碇・麗香(いかり・れいか)が、ぐるりと編集部内を見回した。
「…僕で良かったら、行ってみたいのですが…」
数瞬の間を置いて、すっと挙手したのは、ほっそりした長身の青年だった。
伏し目がちの大きな金色の目が、どことなく菩薩を思わせる静謐さを湛えている。長めの黒髪を後ろで束ね、顔立ちは中性的で整っているが、長身のお陰で女性に勘違いされるような事は無さそうだ。
「伏見くん…? そうね、貴方なら魔術師だし、こういう事は得意でしょう」
「…まだ、見習いでしかありませんが…」
頷いた麗香に、伏見・夜刀(ふしみ・やと)は微かに苦笑した。
見習いと自称していても、彼の魔力は文句無く高い。この「月刊アトラス」の編集部に出入りしているのも、その魔術師としての知識と技が、この雑誌に必要とされたが故だ。
「…他には?」
「あの」
手がもう一つ上がる。手元にタロットカードを展開させている、高校生くらいの少女だ。
「今、その投書の件を占ってみたんですけど…どうも、単なる悪戯じゃないっぽい結果が出たんですよね」
ここのアルバイトで、タロット占いの特技を持つ虚空見・真名(そらみ・まな)はそう切り出した。
「どういう事?」
つかつかと麗香が彼女のデスクに歩み寄る。夜刀も好奇心を引かれて覗き込んだ。
「…ここ。『吊るされた男』が正位置で出ています。それから、ここに『法皇』の正位置。単なる脅かしじゃなくて、何らかの意図で、彼女を試してる奴が背後にいるんじゃないかって思います」
それがどういう奴なのかは、これだけじゃ分かりませんが、と付け加える。
夜刀は、その結果を受けて考え込んだ。
単なる脅かしではなく、別の意図をもっている存在が妖怪どもの背後にいるなら、かなり厄介だ。わざわざ長期間にわたって纏わり付いて試しているからには、それ相応の確固たる目的が存在するという事なのだから。
これはあくまで占いだが、その当たり外れは兎も角、実際奇怪な現象が起きて、祝春香の両親が精神的に追い詰められているのは間違いの無い事実である。
「…早めに行った方が良いと思います。春香さんは怖がっていないようですが…このままでは、ご両親の方が倒れるかと…」
これだけ、長期間に渡って脅されて、全く動じない春香もという少女も、豪胆というレベルを通り越している。両親の怖がりぶりとの対比に、いささか奇妙なものも感じてしまう夜刀だった。
「そうね。もし御両親に何かあったら、高校生じゃ対処出来ないでしょうしね」
「…僕が、その妖怪に実際会って話してみます。話し合いで、済めば良いのですが…」
いざという時には手荒な手段も考えねばなるまい、と夜刀は覚悟した。
ただ、彼は攻撃術はあまり得意ではない。補佐が欲しいところだ。
「あの、私も同行させてもらっていいですか? 自分の占いが当たってるかどうかも確かめたいですし、ちょっとなら戦いの術も覚えましたから」
真名が名乗りを上げる。
麗香は頷いた。
「そうね、二人で行って来てちょうだい。ただし、無理はしないように。いいわね?」
編集長の念押しに、二人はきっぱり「はい」と応じた。
伏見夜刀と虚空見真名の両名は、電車を乗り継いで祝春香の自宅のある八王子に向かった。
互いに魔術師という事で、あまり他人と交わらない傾向の夜刀も、比較的話が続く。
無論、部外者には話せないような話は周到に避けて話題を続けるが、一般人と話すよりは気を遣わずに済んだ。
「前から思ってたんですが、伏見さんの目って綺麗な金色ですよね? カラーコンタクトなんですか?」
真名に問われて、夜刀は首を振った。
「…違います。生まれつきなんですよ」
この目には特別な意味が有り、そのせいで属する魔術結社では色々あった…と言うか、今でもあるのだが。
あまり触れてはいけない事だと感じたのか、真名は話題を変えた。
「もう六年以上も修行してるんでしょ? ちゃんとしたところに属して。私なんか、独学で一年くらいだから、全然駄目ですよ」
「…いえ。僕の目から見ても、虚空見さんのタロット占いは大変筋が良いと思いますよ」
お世辞ではなく、率直な魔術師の視点でそう告げる。
実際、彼女のタロット占いの的中率は高い。だからこそ、夜刀としても今回の件に対する「背後あり」という占い結果が引っ掛かるのだ。
「でも、私の占いじゃ大雑把にしか分かんないし…」
「…それ以上の細かいところは、実際に『当事者』に会って詰めていくしかありませんね…」
彼らが頷きあったその時、電車は目的地の駅に滑り込んだ。
「このお家で間違いないみたいですよ」
真名は、手にしたメモと、表札に記された名前を見比べて呟いた。「祝(いわい)」という珍しい苗字が記されている。
その傍らで、この家に漂う魔力を感知しようとしていた夜刀は、訝しさに眉を寄せていた。
『…これは…どういう事でしょう…』
予想されていた状態と、あまりに違う様子に、夜刀はいささか呆気に取られる。
普通、こうした雑多な妖物の類が継続的に現れる場所というのは、軒並みどんよりした妖気が漂うものだ。
長期間に渡って憑依され続ける結果として、その対象となった人間ばかりか、場の霊障も悪化する。
だが。
この家漂う気配は、まるで…
『…一種の、結界に近いモノですね…。むしろ、低位なモノを寄せ付けない強い結界が展開されている…』
まるで、この家そのものを守っているようだ。温かい波動すら感じる。
「ねぇ、伏見さん。意外と、どんよりした感じじゃないような気がするんですけど…もっとこう、オドロ線背負ってるような雰囲気の家かと思ってたけど、何か雰囲気明るいですよね?」
タロットを通じていなければ、決して鋭い訳ではない真名ですら気付いたようだ。声を落としてそう囁いた。
夜刀は頷いた。
「…確かに、ここで見た限り、悪いものでは無いようですね…不思議な事、ですが…」
これが何かの誤魔化しでないとするなら、やはり出没する妖怪たちというのは、単なる脅しやひやかし目的ではないことになる。
他の魔からこの家自体を守っていながら、一人の少女に取り憑き、脅す。
矛盾し切った行動だ。訳が分からない。
結構色々な魔と出くわしてきた夜刀であるが、ここまできっぱりと矛盾した行動を取るのは、実に珍しいと言える。大抵、こうしたモノは目的に忠実であり、行動が分かりやすいのが普通だからだ。
だが。
必ずしも性質が悪いだけでは無いとするなら、話し合いの余地があるかも知れない。
「兎に角…春香さんとご両親にお話を伺いましょう」
夜刀はそう言って、インターホンを鳴らした。
「わぁっ、本当に魔術師の方なんですかぁッ!? すっごーい、流石アトラス編集部には本当の魔術師さんもいらっしゃったんですねぇっ!!」
台詞中がハートマークと音符マークで彩られているかのようなハイテンションで、祝・春香(いわい・はるか)は夜刀と真名を迎えた。
決して派手ではないが、のほほんとした暖かな雰囲気が心安らがせる少女だ。一見、何の変哲もない、ごく普通の高校生である。
月刊アトラスの愛読者だというからにはオカルトマニアなのは分かるが、実際に本職の魔術師の類に会った事はなかったらしい。
キャワキャワ言われ、困るしかない、夜刀であった。
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ…」
救いの神に出会ったかのような表情で、彼らを応接間に通したのは、春香の両親であろう、上品な中年の夫婦だった。
明らかに顔色が悪く、怯え切っているのが見ただけでも分かる。対して、春香からはウキウキした感情しか感じ取れない。
単に、大人と思慮の浅い子供の差、以上の何かを、夜刀は感じた。
『…春香さんは、まるで絶対自分に危害が及ばないという自信があるかのようですね…』
だが、春香本人がこんな事件を起こしているとも考え難い。
彼女からは、全く「悪意」が感じ取れないのだ。
第一、もし本当に両親が倒れたらどうなるかくらい、高校生にもなれば分かりそうなものだ。話し振りからして、そこまで頭の回らない少女だとも思えなかった。どちらかと言えば、聡明な部類に入るであろう。
「お手紙で、大まかな事情は伺いました」
真名はそう切り出した。
正面のソファには春香の両親が座り、脇に春香が座っていた。向き合う形で夜刀と真名が並ぶ。
「…今、ざっと見せていただいた形では…どうも、ただ単に春香さんを脅すだけが目的ではないような気がします」
夜刀の言葉に、春香はきょとんとし、その両親は顔を見合わせた。
「…と、言いますと…」
「…不思議な事に、悪い存在特有の、暗く陰湿な気配がしないのです。どちらかと言いますと、このお宅を守っているような力の存在を感じます」
心底意外であるように、両親は言葉を失った。本当に気付いていなかったらしい。
「あの、その妖怪たちが出るようになってから、他に変わった事はありませんでしたか?」
手元のメモ用紙にペンを走らせながら、真名が尋ねた。
「…いえ、特に…」
「あのバケモノさえ居なければ、万事順調なんですよ。傾きかけていた私の会社も持ち直しましたし…」
父親が忌々しそうに呟いた一言が、夜刀の意識に引っ掛かった。
「…失礼ですが…その妖怪が出るようになってから、良い事があった、という事ですか?」
「え、ええ…まぁ、確かに…大して期待していなかった企画が当たりましてね。抱えていた負債を帳消しに出来ました」
父親は、質問の意図を理解出来ないようだった。
「ねぇ、ママ。こないだ、宝くじだって当たったじゃない? 悪い事なんかないじゃん」
そんな事を言った娘を、母親が戸惑ったように見返した。
真名は、夜刀に目配せした。
「伏見さん、それっておかしくないですか? こういう場合って、運気は下がるものなんじゃないかな? 上がる事なんてあるんですかね?」
「…」
夜刀は形の良い眉を顰めて考え込んだ。
「…狡猾な魔物の場合、偽装として、一時的に運気が上がったように見せかける、事はあります…有頂天にした後に、改めて破滅させるのです…」
主に、これは西洋の「悪魔」に分類されるような存在のやり口、なのだが。
「破滅」の一言に、主に両親がびくりとする。
「…しかし、これはそのような存在と『取り引き』したような場合です。皆さんは、特に向こうに対して何かを要求されたりしていないのでしょう? …だとするなら、向こうは勝手に、このお宅の方々を守っている事になります」
流石に、両親が唖然とした顔をした。
一方、「取り憑かれている」はずの春香本人は、それ見ろ、と言わんばかりの表情だ。
「だからさ、脅かされているのは私だけだから、パパやママは安全なんだよ。何か物音がしたとか言って、私の部屋に入って来るから、巻き込まれるんじゃない。夜になったら、部屋に入らないでってあれ程言ってるのに…」
わざわざ巻き込まれるような事して、と、春香は口を尖らせた。
「…すると、妖怪たちは、春香さんの部屋にだけ現れるのですか?」
夜刀が確認を取ろうとすると、春香は頷いた。
「はい…私の部屋…と言うか、基本的に私が一人でいる場所です。お風呂とかトイレとかもありましたけど、一番多いのは私の部屋です」
「…なるほど」
やはり、妖怪たちの目的は、祝春香一人なのだ。
夜刀は確信した。
両親は確かに怖がってはいるが、本当にただの「巻き込まれ」なのだろう。事件の鍵は、やはり春香本人だ。
「あの…ちょっと気になったんだけど、春香さんて、あんまり怖がってないよね? もしかして、元々こういうのに慣れてる人?」
歳が近い気安さからか、真名は親しげに春香に話しかけた。
「うん。子供の頃から、妖怪っぽいのとか霊みたいなのは、よく見てた。パパとママは、私がそう言っても信じてくれなかったけど。こんなにハッキリ“出る”ようになったのは最近だけどね。何でかな、とは思ってる」
やはり春香には、元々強い霊的感覚があったのだ。
少女たちのやりとりを聞きながら、夜刀は自身の予想の正しさを裏付けられ、同時に別の疑問も抱いた。
妖怪たちが、春香だけが目当てで、単に悪ふざけ程度が望みなら、わざわざその感覚を持たない両親までもが感知できるレベルの「怪異」を引き起こさなくても良いはず。今までのように、春香とだけささやかなコミュニケーションを取っていれば、問題にもならなかっただろう。
ここまで長期的、且つ目標以外にもばれるような明快な怪異を引き起こしているのなら…
『…彼女を、試している?』
予想は必然的に、そこに行き着く。
だが…目的が分からない。
夜刀が真名に質問を任せて、思考に集中しようとした、その時。
ぼたっ、と、目の前のテーブルに、何かが落ちた。
白っぽく、うねうねと蠢くもの…
「いっ…いやぁあぁあああーーーーッ!!」
「ひ、ひえっ、ひあぁッ!!!」
春香の両親が、破裂するような悲鳴を上げた。
夜刀はまじまじとそれを見た。
横で真名が、悲鳴と言うより嫌悪の呻きを上げている。
それは、敢えて言うなら、人間の腕程もある原生動物…形だけならプラナリアや、巨大な蛭の類に似ていた。
鏃のような頭部と体の側面に、小さな、だがぎろぎろと動くくっきりした目が無数に並んでいる。
のた、とそれは、頭に当たる部分をもたげた。
同時に、どこかから産み落とされでもするかのように、似たようなものがぼたぼたと降って来る。
夜刀はつい、と上を見上げた。
今の今まで白くて清潔な天井だった部分は、うねる有機物の層のようなものにビッシリと覆われている。まるで生き物の内臓か、下等な生き物のコロニーだ。
まるで死体から滴り落ちる蛆虫のように、それはテーブルのみならず、床のいたるところに落ちかかって来た。
「あーもー全く!! お客さんにまで、こんなしょーもないイタズラしてんじゃないッ!!」
春香は叫ぶなり、その生理的嫌悪をもたらすためだけに存在しているかのような生き物を引っ掴んだ。
窓を開け放ち、まとめて外に放り投げる。慣れたものだ。
ぼた、という湿っぽい重みが、夜刀の肩に触れた。
見ると、例の生き物が彼の肩にべってりへばりついている。目が動き、夜刀の視線とかち合った。
彼は大して動じることなく、じっとそれを観察した。
全く同じでは無いが、似たようなものなら見たことがある。魔術の術式が上手く行かなかった時や、悪魔の類が人間に嫌がらせする際などに、こんなものが出現する事があるのだ。
『…生き物では、ないようですね。妖気の類が凝って、このような生き物に見せているモノ、ですか。完全に幻という訳でもないのが、厄介ではありますが…』
隣で、真名が絶叫した。
彼女のジーンズの膝上に、目玉蛭が落ちて来たのだ。
まるで尻に火が点いたかのような勢いで、彼女は立ち上がり、狂ったように膝を払った。
「ちょおっとぉ! いい加減にしなさいよッ!」
春香が叫んで、手近の雑誌を天上に向かって投げた。
と。
丁度それが激突した辺りから、何かが生え出した。逆さ吊りの、日本髪を結った女の頭部の下から、大きな蛆虫の胴体が生えているかのようなシロモノ。無数の足がワラワラ動く。
「ひ、ひ、ひ、駆け出しの西洋術師かえ? とっととお帰り、とっととお帰り。お前さんらにゃ、関わり無き事、関わり無き事」
まるで歌うように、虫女が呼びかけた。まん丸に見開いた目で、夜刀と真名をぐりぐり見据える。夜刀は正面からその視線を受け止めた。
「…そういう訳にも参りません。あなた方は、何故、このような事をなさるのです? ただの嫌がらせでは無いようですね」
この降って来る虫自体は夜刀たちへの嫌がらせであろうが、それでも邪気という程のものは感じない。あくまで闖入者を追い払う方便だ。
「ひ、ひ、ひ、は、は、は。お止め、お止め。嘴なんか挟んだって、いいこと無いよ、いいこと無いよ、見習いさん」
狂ったように甲高い笑を響かせると、女は唐突に消えた。
同時に、あれ程大量に蠢いていた目玉蛭が一瞬にして消え失せる。
後に残ったのは、何の変哲も無い応接間だけ。
放り出された雑誌だけが、微かな異変の名残だ。
「…春香さん。こういう異変は、いつもどのくらいの時間に起こるのですか? やはり、夜中に?」
呆然としている春香の両親を横目に、夜刀は春香本人に尋ねた。
今はまだ、午後も遅いぐらいの時間帯だが、部外者の介入という不確定要素があっての事だ。おそらく、決まった「時間帯」に定められているのではないかと、夜刀は踏んだ。
「ええ、キッチリ決まっている訳じゃないんですけど…だいたい暗くなってからです。御飯やお風呂を終えて、自分の部屋に戻ってからだから、大体九時以降から寝るまでくらい、かな…」
やはり、と夜刀は内心頷いた。
「あの、春香さん。もし良かったら、今晩、お部屋にお邪魔させてもらってもいいかな? 普段も、今みたいな感じなのか確かめたいし」
目玉蛭のショックから立ち直ったらしい真名が、春香に切り出した。
何となく顔が怒っているように見えるのは、春香に対してではなく、先程の妖怪に馬鹿にされたと感じたからであろう。
「もし良かったら、泊まって行ってくださっても構いません。実際、どうしてこうなるのか見ていただきたいんです」
春香の母親が縋るように言う。
夜刀は、真名と顔を見合わせ、頷いた。
夜刀と真名は、祝家で夕食を振舞われた後、それぞれ問題の調査に乗り出した。
春香からの情報収集は、大部分年齢が近くて話しやすそうな真名に任せ、夜刀は魔力を感知する黄金の目を駆使して、住居や敷地のそこここに残る霊的な力や、その残滓をサーチして回った。
「…昨日今日のもの、ではない…大昔、とまでは言わない、までも…古い、ですね…」
一通り敷地を回った後、夜刀は庭の一角で呟く。見上げるその部分には、春香の部屋の窓。
歳が近い事もあって、話が弾んでいるのか、時折笑い声すら聞こえる。
祝家の敷地内を改めて見て回っても、土地そのものの地相が悪くて何かを引き寄せる、という訳でもないようだ。曰くがあるような場所でもない。
が、しかし。
妖怪たちが脅かしを始めたのは最近だと言うが、どうも、彼ら自身は随分前からここにいるように感じられた。
だが、この土地そのものに執着している…というのとも、また違う。
「…憑いているのは…あのお嬢さん、と言うより…」
何かに、思い当たった。
暗がりの中、夜刀は踵を返し、家の中に戻った。
「ふ〜ん、物心付いた頃から、ずっと、ああいうのが周囲にいる訳?」
スナックをポリポリやりながら、真名は意外そうに春香に言った。
「うん。子供の頃は、みんな見えるもんだって思ってた。でもさ、幼稚園とかに上がるでしょ? で、みんなと話すじゃない、そうすると、他のコには見えないって分かるのね。最初、その事に気付いてビックリしたもん」
春香は肩を竦めた。すっかり打ち解けて、友達口調になっている。
「『いる』のが当たり前だったんだ?」
「うん。だってさ、普通の人を見るのと同じように、こっちには見えるから。そもそも、私以外の人に、ああいうのが『見えない』って事実が理解できなかった。普通に話したり、遊んだりもしてたしね」
真名は目を剥いた。
「普通に…って、遊んだりする訳? さっきのああいうのと!?」
「うん。子供の頃は遊んでたよ。普通に、鬼ごっことか隠れんぼとかで。でも、さっきみたいな気持ち悪過ぎなのじゃなかったけどね。あれは、脅そうとしてワザとああいうやり方で出て来ただけだから」
ふと、春香は顔を歪ませて俯いた。
「ごめんね。怖い目に遭わせて。あいつら、悪気は無いと思うんだ。ただ、脅かして追い払おうとしたんだと思う、あなたたちを」
「あ、いや、春香ちゃんのせいじゃないんだからさ」
慌てて慰め――ふと、脳裏に閃いた疑問を口にする。そう言えば、この事を訊かないと、「取材」とは言えないではないか。
「ねぇ、春香ちゃん。ああいう形で、あの人たち…って言うか、妖怪さんが出てくるようになったのは、いつごろからか覚えてる?」
春香はちょっと首を傾げた。
「丁度、三週間前。その日、私の十六歳の誕生日だったから、はっきり覚えてるよ」
誕生日。十六歳の、誕生日。
奇妙な偶然が、真名の頭の中を駆け回った。
あの妖怪どもは、彼女が幼い頃から側にいた。
そして、こんなにはっきり存在を見せ付け出したのは、彼女の十六歳になった、その日。
何故だろう。まるで、彼女が成長するのを、ずっと待っていたかのようだ。
『昔の基準じゃあ、十六歳くらいなら、そろそろ大人なんだっけ?』
大人になるのを待って、肝試し? 悪い冗談だ。
と。
速い足音が、部屋に近付いて来た。
「あ、伏見さん戻って来た。何か分かったかな」
その言葉が終わらぬ内に、扉がノックされる。
「お帰りなさい。今、お茶…」
「…いえ、春香さん。それより、今ご両親に改めてお話を伺いました」
急な話題に、春香ばかりか真名まできょとんとした。
「…多分、こちらに出てくる方々は、あなた個人に憑いている…というのとは、違うんじゃないかと思います…」
「…え、え?」
「ふ、伏見さん? いきなり、何言ってるんですか?」
夜刀は大きく息を吐き出す。
「…お母様の、ご実家に伝わるお話、というのを伺ってピンと来ました…。彼らは…個人でも土地でもなく…血筋に憑いているんです、あなたの血筋に」
沈黙が流れた。
「…それって、どういう…」
「伏見さん? 血筋に憑いてるって…何、春香ちゃんにじゃないの?」
二人を落ち着かせ、夜刀は改めて話し出した。どうも、自分の考えを言葉にまとめるのが下手なのは、何とかせねば、と思いつつ。
「お二人とも、『犬神憑き』ってご存知ですか?」
夜刀が春香の傍らに座りながら尋ねた。
「…えっと、特定の家系に憑く、憑き物、だよね?」
オカルト雑誌のアルバイトをしているだけあって、真名はその手の知識があった。
「で、その憑かれている人が特定の人を憎むと、その相手の所に行って病気にしたりする…」
「でも、あいつら、犬神とかじゃない…と思うんですけど…」
流石に春香は戸惑い気味だ。
「…いえ。彼らが犬神という訳ではありません。ただ、犬神憑きと同じように、春香さんの家系に『憑いて』いるのだと思います」
「かっ、家系に、ですか?」
春香は目を白黒させていた。
「…春香さん。あなたが嫌だと思った相手が、何故か酷い目に遭う、という事がありませんでしたか?」
少女の視線が揺らぐ。
「…よく、あります。私の事をいじめようとした男の子が大怪我して、何日も学校を休んだりとか。嫌な先生が、急に飲酒運転がばれて懲戒免職になったりとか…」
やはり、と夜刀は内心呟いた。
「…お母様にも、似たような事はあったそうです。ああした憑き物は、日本の場合、大抵母系を通じて伝わりますから、お母様の家系からあなたのところへ来たのでしょう…」
「え…ええー!?」
母親の身も世も無い怖がり方を思い出したのか、春香は思わず叫んだ。妖怪そのものよりも、そちらの事が信じられないようだ。
「…ただ、お母様はあなたのように突出した霊感がある訳では無いので、その事に全く気付いていなかったのです。しかし、あなたには生まれつきかれらを認識し、意思の疎通が出来る程の霊的才覚があった…」
「「「「ひゃあっひゃあひゃ!」」」」
急に、けたたましい笑い声が響き渡った。
ふつふつっと、電灯が点滅し、消える。
「うっわ、何…!?」
虚を突かれて、真名は周囲を見回した。
慣れている春香はまた来た、と呟く。
夜刀は静かに闇に金色の目を凝らした。表の街燈の光が僅かに差し込む暗い部屋の中で、部屋の端の姿見だけが妙に明るく反射し…
違う。
夜刀の目が細められた。
鏡に映っている、部屋の内部の様子がおかしい。
そもそも、春香の部屋の風景ではない。
暗い日本家屋の一角が映っている。
囲炉裏端に、三つの人影。
その中の一つ、腰の曲がった老女が、盆に何かを乗せて、鏡の中からゆっくりこちらに歩いて来た。
その背後に、囲炉裏端に座っていた人影が続く。
「ばれたよ、ばれたよ」
「余計な事を、言う若造だ」
「生意気者、生意気者なり」
「どうしてくれよう、どうしよう」
口々にそう言いながら、その妖怪たちは、まるで薄い水の幕でも潜るかのように、鏡からこちらへ抜け出して来た。
真名が、ひっ、と息を呑む。
先頭の、盆を掲げた老婆の目は、真っ黒な空洞でしかなかった。
二番目の、ぼろぼろの武士のようなちょんまげ男は、着物の前がはだけて胸と腹が剥きだしだ。そこはまるで、捌いた魚のように縦に切り裂かれていて、そこに収まっているべき内蔵がどこにも無い。背骨と肋骨が丸見えだ。
最後尾の生き物は、武家の奥方のような気品ある髷を結った美しい顔立ちをしているが、首が異様に長く、それが繋がっているのはモコモコした斑犬の体だった。何が可笑しいのかけらけら笑っている。
固まっている夜刀たちと向き合うように、三人組の妖怪は小さな座卓を挟んで反対側に座った。
ごと、と盆が置かれる。
朱塗りの丸盆に置かれたのは、妙に丸っこい形の、白い布を掛けられたモノ。
何となく、悪い予感がした。
老女が、ばっと布をめくった。
真名が後退り、がた、と音がする。
そこに乗っていたのは、血に塗れた赤ん坊の生首だった。子供らしさのまるで無いその顔は、妙に瞼が腫れぼったく、蒼白くて虚ろだ。
生首が、甲高い声で笑った。
「ひ、ひ、良く分かったじゃァないか、お兄さん。だけど、でも、だったら、どうした?」
ひゃ、ひゃ、と後ろの老女も笑う。他の二匹もさざめくように笑い、揺れた。
「…知りたいのです。あなた方が、この祝春香さんの血筋に憑いておられる方々なのは分かりました。しかし、何故わざわざ、春香さんを試すような事をなさるのです? ご両親が怖がっているのは知っておられるでしょう?」
静かに夜刀が問うと、生首がまた笑った。
「さァ、さァ、どうしたモンかね、言おうか? 言うまいか?」
ぐるん、と生首の目が動く。
夜刀の視界の隅で、真名が金色に光る何かを取り出したのが分かった。戦いに使う魔具だろう。
視線は生首に固定したまま手を伸ばし、夜刀は真名の手首を押さえた。
意図が伝わったらしく、真名は手を下ろす。
「いやァ、言っちゃ駄目だ、駄目だ! 大将に怒られる、怒られる! 首を落とされちまうよ!!」
「…もう首だけじゃん、アンタ」
思わず、といった感じで呟いた真名の言葉に、妖怪どもはさも嬉しそうに笑った。
「いや、違いない、違いない!」
歯を剥いて、切腹男が揺れる。
「大将呼ぼうか、どうしようかね?」
と犬女。口から舌を出し、はっはっと喘ぐ。
目無し老婆は無言で、生首を掴んだ。
まるでボールでも投げるように、ぽんと夜刀に向かってそれを放り投げた。
夜刀は動じず、それをしっかり受け止めた。
手指に伝わるひんやりした死肉の感触。
至近距離で、夜刀は引きちぎれたかのような赤ん坊の生首と向き合った。
「お前さん。大将に会いたいかい?」
キンキンした声で、生首が問う。
「…ええ。真実が知りたいのです。あなた方の首領でいらっしゃる方に、話を通してはもらえませんか?」
首を持ち、まっすぐ向き合って、夜刀は静かに、だがきっぱりと言った。
「会ってどうするね?」
「…このような事を春香さんになさるのは何故か、その理由を。それと、春香さんのご両親を巻き込まない約束をしていただきたいのです」
夜刀は気付いていた。これだけの数で、長期的に動く人外となれば、単なる烏合の衆では有り得ない。集団をまとめる、首領が必ず存在するはずだ。
うけけけけ、と笑いながら、生首は夜刀の手をすっぽ抜けた。
くるくる回転しながら、春香の手の中に上下逆さに収まる。
「あんたは、あんたは、どうするね?」
「何回も言ってるわよ。パパとママは巻き込まないでって。私は何されても今更驚かないけど、パパやママはあんたたちみたいなのに慣れてないんだから」
彼女はぽん、と生首を老婆に放った。
老女は受け取り、また元のように盆の上に置いて、布を被せた。
「…では。大将にお伝えいたしますきに」
老女が一礼し、盆を持って立ち上がった。
「どうなっても、知らないよ? 我らが大将、恐ろしいひと」
「ああ、知ィらないよ、知らないよ?」
犬女、切腹男が口々に言って立ち上がる。
老女が背を向け、鏡の中に消えると、二匹とも後を追った。線が切れた笑いを後に引いて、妖怪たちは鏡の中に吸い込まれるように消えた。
ぱっと、灯りが戻った。
部屋が元のように照らされる。鏡に目をやると、何の変哲も無い姿見に戻っていた。淡々とした表情の夜刀自身が、その中からこちらを見返している。
「…ねぇ、今、大将に話すって、言ってたよね?」
まるで確認を取るように、真名が夜刀と春香を交互に見る。
「…春香ちゃん。連中のリーダーみたいなのって、会った事はあるの?」
「ううん。そんな人がいるって事も知らなかった」
春香も半信半疑の風情だ。
「…ああいう存在は…基本的に自分より上位の者を引き合いに出されると、決して、嘘はつきません。大将に話す、と言ったのだから、ちゃんと話すでしょう。大将さんがどう考えるかは、分かりませんが…」
魔術師の基礎的な知識として、ああいう集団を形成している人外の性質は理解していた。
恐らく、脅すだけで実際に生命を危険に晒さないのだから、比較的格上の存在であろう、と夜刀は踏んでいた。魔術師が正面から依頼しているのだから、面会すら断るとは考えにくい。
もっとも、どんな事があるのかは…
完全には予想出来ないもの、なのであるが。
ふっと、再び電灯が消えた。
「! また!」
真名が叫ぶ。
鏡が煌々と輝いた。まるで松明を掲げているかのような、赤々とした光だ。
「な、何、あれ、初めて見…」
春香が唖然とした。
鏡の中に映し出された道を、何か大きなものが近付いて来る。
馬だ。
巨大な馬。たてがみと蹄が篝火のように燃え盛り、炎の尾を引いている。
二頭が並んで繋がれ、何か大きな車輪が付いたものを牽いて来る。
まるで貴族の牛車にも似た、それは珍しい馬車だった。
鏡の中で、馬車が止まった。
誰かが、降りて来る。長い髪と、ずるりと引き摺るような、華麗な衣装――女だ。
手にした扇からも、端からちろちろと炎が漏れる。
女が、鏡の扉を潜り抜け、こちらに現れた。
中世の姫君のような華麗な内掛けを纏ったその女は、三人を見下ろした。
「我こそは、あやかしどもが首領、焔羅姫(えんらひめ)なり。我を呼ぶ、そこなる者は、何者ぞ?」
焔羅姫と呼ばれた、美しい女の姿をした妖怪の首領は、扇でぴしりと夜刀を差した。
「…急にお呼びたてし、誠に恐縮です、焔羅姫様。私は、魔術を志す者で、伏見夜刀と申します」
いずまいを正し、丁寧にお辞儀する。
焔羅姫の背後、馬車の後方から、火の玉だの小鬼だのが巨大な鼬だの天狗だの、怪しげなモノどもが大量に湧き出して来た。まるで主を守るかのように部屋に殺到し、周囲を埋め尽くす。
あっと言う間に、春香の部屋は怪しげなモノどもで足の踏み場も無くなった。
「…お聞きしたい事がございます。焔羅姫様と臣下の方々は、こちらの祝春香さんを何故驚かそうとなさるのですか?」
魔術師の質問に、妖怪の姫がふふっと笑った。
「この家系に生まれた、力強き者の定めゆえ。我らは、代々この家系に憑き、この家系で霊力の強き者を、主として戴く」
春香が思わず声を上げた。
「私が? あんたらの主!?」
「我らはもう永い年月そうして来た。そなたは生まれながらに力あり。故に、古の掟に従い、そなたの魂の強さを見ておるところ。我らに恐れをなし、逃げ出す者に主の資格無し」
そうか、と夜刀は納得した。
やはり、これは試験だったのだ。焔羅姫らは常にこの家系を守るが、直接意思を疎通させるような形の主となるには、彼らにその度量を見せねばならないという事だったのだ。
「試験でも、何でもいいわよ! 兎に角、パパとママを巻き込むのはやめて!!」
春香が鋭く叫ぶ。
焔羅姫は、口元を扇で隠し、すうと目を細めた。笑ったのかも知れない。
「心得た」
「本当に!? 本当に約束してよ、巻き込まないで!」
「我らは人外なれば、口にした約定は違えぬ」
それは本当だ、と夜刀は知っている。
霊的な存在は、約束や契約といったものに縛られるものだから。
「…ありがとうございます。その約束をしていただければ、もうこれ以上は」
夜刀の言葉に、焔羅は再び笑う。
「じゃが、本来この『試し』が終わるまで見せるべきでない我の姿を見せた。『試し』は少々、きつくなるぞえ?」
横目で見る彼女に、春香は強い視線を返す。
「私だったら平気よ。あんな脅し、古くて陳腐で笑っちゃうわ」
ほほほ、と姫が更に笑う。嬉しげに。
「『試し』の期間は、あと十日。それまでの辛抱じゃぞえ、春香とやら?」
そう言うと、焔羅姫は踵を返した。
鏡の世界の馬車に、再び乗り込む。
妖怪たちも、風に吹き寄せられるかのように後に続いた。
がらがらと馬車が遠ざかる音と共に、やがて部屋の灯火が戻って来た。
「…これで? これで大丈夫、なの?」
真名が呆然と呟いた。
「…春香さん」
真名に頷いて見せてから、夜刀は春香に向き直る。
「もう、ご両親が巻き込まれる事はありません。ただし、残りの十日、今までよりきつい嚇かしが待っていますが…」
春香はにやっと笑った。さっきの妖怪の姫に、どことなくにた表情で。
「大丈夫! 全部終わったら、まとめてアトラスに投稿するからさ、その時はよろしくね?」
呆気に取られる二人の前で。
妖怪の友たる少女は、あはは、と笑った。
<終>
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
PC
【5653/伏見・夜刀(ふしみ・やと)/男性/19歳/魔術師見習、兼、助手】
NPC
【NPC3964/虚空見・真名(そらみ・まな)/女性/17歳/駆け出し魔術師(学生兼業)】
公式NPC
【 ― /碇・麗香(いかり・れいか)/女性/28歳/白王社・月刊アトラス編集部編集長】
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■ ライター通信 ■
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初めまして、ライターの愛宕山ゆかりです。このたびは「八王子もののけ録 〜もののけたちとの攻防〜」にご参加いただきまして、誠にありがとうございました。
記念品といたしまして、祝春香の「試験」が終わった後に焔羅姫から送られてきた「磐の水鏡」と「天狗の隠れ蓑(西洋外套型)」を進呈いたします。
さて、今回お預かりした伏見夜刀さんは、見習いながらも膨大な魔力を秘めた魔術師、という事で、妖怪連中とのやり取りで、その実力を遺憾なく発揮していただきました。
決して派手ではないながらも、どんなに風が吹き荒れても波立たない水面の如き、確固たる存在感を出せたかな、と思っております。
ちなみに焔羅姫からのコメントとして「あの度胸、見習いなのが信じられぬ。あれは大した術師となろうぞ、敵に回しとうないのう、ほほほ」というものが寄せられております(笑)。
色々とシュールな怖さを追求してみたつもりですが、楽しんでいただけたら幸いです。
では、またお会い出来る日を楽しみにしております。
愛宕山ゆかり 拝
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