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<東京怪談・PCゲームノベル>


CallingU 「心臓・こころ」



「穂乃香の記憶を差し上げれば……ひなちゃんは助かるのですか……?」
 掠れた声を、橘穂乃香は出す。
 目の前には突きつけられた無情の刃。
 そして、その刃を握るのは――――遠逆日無子。
 日無子は無表情のまま、呟く。
「いいや。あたしは、贄になろうとなるまいと……もう死んでしまう」
「…………だと、思いました」
 彼女は、自身の命の最後の使い道を、贄にすると決めたにすぎない。
 止められない。日無子の命は今この時にも消耗され続けているのだ。
 目の前に立つ日無子は、確かに自分がよく知っている彼女ではない。
 けれど。
「……穂乃香は……穂乃香は、今までのひなちゃんが全部嘘だなんて信じませんっ」
「…………」
「…………忘れてしまえば、この悲しさも一緒に消えてしまう……。でも、穂乃香は忘れたくないです!」
 ああ、なんて。
 なんて。
(くるしい)
 胸が。
 穂乃香はきゅ、と胸元を握り締めた。
「生きていてくれるなら……記憶を差し上げます! でも……でも!」
 とても痛い。心が。
 それは叶わない願い。けれども願わずにはいられないモノ。
「…………ごめんなさい。命も……記憶も、差し上げるわけには参りません」
 はっきりと、穂乃香は言い切った。
 とてもとても辛い。身を裂かれるような痛み。
 穂乃香と日無子では、圧倒的なほど戦力に差がある。彼女が軽く刃を振り下ろせば、それだけで穂乃香は血を撒き散らして頭と胴が分かれてしまうだろう。
 だが怖くは、ない。不思議と。
「…………例え、今までのひなちゃんが全部嘘でも…………今までの思い出が嘘になるわけではないです。穂乃香は、ひなちゃんが大好きですから」
 眉を少しさげた、悲しげな笑み。
 殺されたくはない。だが、どう見ても穂乃香の命は日無子の手の内にあった。
 日無子から逃れることはできないだろう。
 穂乃香は震える。
 黒い刃は、きっと穂乃香の目に映ることなく振り下ろされるだろう。
「…………どちらも、差し出す気はない…………ならばどうする? あたしと戦うというのか?」
「…………」
 自動的に穂乃香を護る植物など、あてにはならない。それより速く、日無子は攻撃できる。
「……戦っても、勝ち目はありません」
「よくわかっているな」
「穂乃香からは、何も差し上げられません。それだけです」
 きっと自分は殺される。
 だがふと。
 穂乃香は気づいた。
 じっと、日無子を見つめる。
(そういえば……)
 なぜ?
 選択肢など、迫る必要はないのではないか?
 わざわざ了承を得る必要などないだろう? 記憶の奪取は。
 命も、問答無用に奪えばいい。
 なぜそれをしない――?
「…………ひなちゃん、もしかし……」
 穂乃香の言葉の途中で、日無子は両手を下ろした。その手から武器が滑り落ち、地面に吸い込まれる。
 日無子は視線を伏せた。
「愚かな小鳥だ。あたしに選ばせてどうする? 命を奪うと言っているだろうが」
 その暗い瞳は、どこも見ていない。
「ひ、なちゃ…………本当は、殺す気なんて……なかったんじゃ…………」
「………………失せただけだ」
 どしゃ、と日無子がその場に座り込む。
 穂乃香は慌てて駆け寄った。
 微かに震えている日無子は、穂乃香を見もしない。
「ひなちゃん! しっかりしてください!」
「………………うるさい」
 だが、日無子は穂乃香の手を払いのけなかった。いいや――払いのけるほどの力がないのだ。
 最初から日無子は穂乃香を殺す気はなかった。
 記憶を差し出せばすんなり事は運んだのだろう。だが抵抗すれば……戦いとなる。
 戦えば……確かに日無子が勝つだろう。『いつも通り』ならば。
 彼女は肉体の制御ができない状況下にある。戦うなど、無謀だ。
 ……日無子は穂乃香を殺すことはできなかった。それを知っていて、選択させた。
「わざと……わざとですね!? 穂乃香にひどいことを言って、わざと……!」
 怒りを煽るような仕種。言葉。
 そうだ。だって彼女はとてもかっこよくて、優しいヒトだ。
 自分が言っていたじゃないか。
 今までのことは、嘘にならないと。
 穂乃香は涙を流した。
「……ひどい…………ひなちゃんは、ひどいひとです!」
 ゆっくりと、日無子は穂乃香を見遣った。だが瞳の焦点は合っていない。彼女はもう、目さえ見えていないのだ。
「………………また泣いているのか。あたしは…………おまえを泣かせてばかりいる」
「泣いてませんっ。泣いてなんか……!」
「…………ここまでしても、おまえはあたしを嫌わない。人間とは…………本当に不可思議で、理解のできな…………」
 日無子の言葉は途切れた。
 ぐらっと彼女はそのまま横に倒れてしまう。
「ひなちゃ……っ」
 穂乃香の声に日無子は応えない。
 意識を失った彼女は、壊れた人形のようにひどく歪で…………とても美しかった。



 穂乃香は暇ができると、病院に通っていた。
 日無子が運ばれた病院へ。
 彼女が病院に運ばれてからもう一ヶ月も経つが…………一切目覚めの兆しはない。
 目覚めないほうが日無子のためのような気がする。
 お見舞いの小さな花束。それを見下ろし、穂乃香は微笑した。
 お見舞いを終えたら、帰らねばならない。病院の駐車場では、穂乃香の安否を気にしている執事が車の中で待っているのだ。
「お花さんたち…………ひなちゃんに元気を分けてあげてくださいね」
 個室の引き戸を開けると、いつものように眠り続けている日無子が見えた。
 穂乃香は花瓶を取ると、花を入れるために個室を出た。
 幸せな夢を見ているといいけれど。しかし、きっとそうではないだろう。
 日無子の指先はいまだ冷たいまま。夢など見ていないかもしれない。
 ああでも。
 今日も日無子は生きていた。それが穂乃香はとても喜ばしい。



 病院のベッドで横たわる日無子は、瞼をしっかりと閉じたままだった。
 だがなぜか、『見えていた』。
 ベッドのすぐ横に、白い着物の長い髪の娘が立って、こちらを見下ろしている。
「ひなこ……」
 自分とそっくりの娘に、日無子は意識をそちらに向ける。
「……そうか。あなたはこの肉体の持ち主か」
 口は開いていないが、言葉が出た。
 とても病弱そうで、儚い感じの娘だ。日無子の元気な様子を見ていては信じられないほどの。
 病で苦しみの生活を送っていた遠逆雛。その一生のほとんどを、布団の上で過ごした。
 短い一生を終えてしまった悲劇の娘。
「あなたが羨ましい……」
「……どうしてそう思う? あたしはあなたこそが羨ましい」
 感情がある。死にたくないと思える。
 だが日無子には何もない。
 生きたいという感情さえ、わからない。
「とても元気で……わたしができなかったことが、できたから」
 恨めしそうな瞳で日無子をじっと見下ろした。
 今にも日無子の首を締めそうな雰囲気だ。だがそうはしなかった。
「わたしも戦いたかった。わたしたちが仕えていたあの方たちだけ、いつも戦いに出るから。
 傷だらけで帰ってくる……。
 わたしはくやしい」
 雛は吐露し、それから歪んだ笑みを浮かべた。
「くやしい……くやしい……。
 ただ待っているのがくやしい。
 あの方たちの無事を待っているだけ。
 死がやってくるのを待っているだけ。
 わたしはいつも、ただ『待つ』ことだけしかできなかった……」
 日無子はそれをただ聞いていた。
 いや、聞くことくらいしかできない。感情のない自分は、彼女の悔しさはわからない。
「だから……赴いてしまったの。手助けできるかもしれないと思って。
 でも……結果はわかるでしょう?」
「…………そうか。妖魔の氷に閉じ込められたのか」
「わたしは冷たい氷に閉ざされてしまった。でも最期に、思ったように行動して、良かった」
「……後悔はしていないのか」
「してる。すごくしてる。
 あなたみたいに走り回って、戦いたかった。役立たずじゃないって思いたかった。
 必要とされているんだって、思いたかった……!」
「…………」
「でもいいの。わたしの夢は叶った」
 日無子はそれが不思議でならない。
「いつ壊れるかわからない心臓に怯えることのない日々……手に入れたかったのはそれ。
 わたしは手に入れた」
「…………そうか。この肉体はあなたに返せるのか」
 日無子は苦笑した。
「……そのほうがいい。あたしがいることで……心配させてしまう人がいるのだ。これ以上、迷惑をかけたくない」
「……ほんとうにそう思うの」
 冷たい声で雛が顔を近づけてくる。
「わたしがその身体をあなたから取り上げて……あなたになりすますことがいいと思うの?」
 日無子は無言だ。
 それがいいことかどうか、わからないから。
「わたしはそんな情けはいらない……! あなたの『代わり』なんて嫌よ!」
「…………」
「いいこと……? あなたの魂の一部はわたしでできているの……。わたしがいることで、あなたは感情が発生したの……!」
「なんだって……?」
「人造の魂は生きることをしない。憑物封印をするためには『生きる』ことが必要だった。
 そのためにわたしの魂の残りカスが使われたの……。わたしはあなたなのよ、日無子」
「うそだ……」
「でなければ……あなたが『迷う』ことはなかった」
 雛は近づけていた顔を離す。
 その穏やかな笑みに日無子は泣きそうになった。
「こうして話すことはもうないわ……。もうあなたの中のわたしは全て消耗されてしまう」
 微笑む雛は続ける。
「だから目覚めなさい。わたしの分も生きて。わたしのできなかったことを成し遂げて。
 その肉体はもうあなたのもの。だけど、わたしのためにも生きると誓って」
 日無子は選択を迫られた。
 だが心は決めている――――もう、迷いはしない。



 花瓶に花を飾って戻って来た穂乃香は、ドアを開けた体勢のままで硬直した。
 ベッドの上から開け放たれた窓の外を見ていた彼女は、そのままの姿勢で口を開く。ふわりとカーテンがなびいた。
「……いい風が吹いている」
 その声はとても優しく――――囁かれた。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【0405/橘・穂乃香(たちばな・ほのか)/女/10/「常花の館」の主】

NPC
【遠逆・日無子(とおさか・ひなこ)/女/17/退魔士】

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■         ライター通信          ■
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 最終話までお付き合いくださり、どうもありがとうございました橘様。
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 最後まで書かせていただき、大感謝です。