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『不可思議書物童話 ―白雪―』
◆不思議な書物屋◆
不思議な本屋がある。
どの世界に存在するのか。
それともどの世界にも存在しないのか。
春には確かに其処にあったはずなのに。
夏には既に消えている。
まるで幻のよう。
まるで陽炎のよう。
そんな本屋の中には、不思議な書物達が自らの紡ぎ手を待ち焦がれている。
そして君は、その書物達に引き寄せられるようにこの本屋を訪れた。
自分では気付いていないだろうが、必然的な力によって。
「いらっしゃい」
妖艶な空気を漂わせる男店主の微笑みに迎えられ、君は所狭しと陳列されている書物の中から、一冊の書物を手に取るのだ。
まるで、はじめから決められていたことのように、他の書物など見向きもせずその一冊を選ぶ。
『不可思議童話』
ぱら……。
開いた瞬間、眩暈に襲われた君は意識を手放す最後の瞬間、未だ妖艶な笑みを絶やさない店主の声を聞くのだった。
「いってらっしゃいませ」
◆Snow White◆
海原みなもは、鏡の中からある部屋を見ていた。
煌びやかな調度品に彩られた、一室。
華やかに彩られた、一人の貴婦人。
その夫人が、豪華な椅子に腰掛けアンニュイな溜息をついている。
思わず気になって手を伸ばしてみたが、みなもの手は鏡の中から出ることは出来ない。
みなもの周りは、闇だった。
夫人のいる部屋とは違い、質素な椅子と机、そしてその上に一冊の本があるだけ。
みなもは、外に出ることは諦め椅子に腰掛け、本を開く。
そこでみなもは全てを理解した。
『 Snow White ―鏡よ鏡。世界で一番美しいのは、だぁれ？―』
みなもは、いつものように通う中学校からの帰途についていた。
将来について悩みながら、どことなく落ち着かない気持ちで……。
だからこそ、吸い寄せられたのかもしれない。
いつのまにかいた本屋、いつの間にか開いた本、いつのまにかいた物語の中。
それが此処なのだ。
雪のように美しい肌を持ち、黒檀のような美しい髪を持ち、血のように美しい唇を持つ姫君の世界。
(あたしは、鏡としての役割を果たさなくちゃいけないんだ。)
みなもは複雑な気持ちで、夫人を鏡の中から見つめた。
みなもの知っている「白雪姫」は、継母は幸せにはなれない。
出来ることなら、彼女も含めてハッピーエンドにしたい、とみなもは考えていた。
「皆、離れていくんだわ……」
ふいに、部屋にたった一人である婦人が呟いた。
みなもは椅子から立ち上がり、よく見えるように鏡面へと近づいた。
美しく着飾って、誰よりも輝いているように見える貴婦人が、小さく見えた。
ゆっくりと立ち上がって、こちらへ近づいてくる。
「せめて貴女だけは私を見つめていて。ただ黙って…私だけを見つめていて……」
―もとより、鏡に言葉など話せはしないのだけどね…―
鏡に手を合わせる夫人には、こちらの世界は見えていないらしい。
この物語の継母は、呪術を使わないのであろうか。
鏡も、どうやら物言わぬ唯の鏡のようであった。
話そうと思えば話すことも出来たが、みなもは一度口を開き…しかし再び言葉を発することなく閉じてしまった。
あまりにも婦人の瞳に哀しみが溢れていたのだ。
(もう少し、様子を見てみよう)
暫く夫人はそのまま鏡を見つめていたが、侍女に呼ばれて部屋を出て行った。
これで部屋には、みなもだけとなった。正確には、鏡、なのだが。
先ほどの様子では、継母は呪術的な要素は全くないようだ。
鏡も「白雪姫」のように世界を覗く事は出来ないのだろうか。
みなもは、試しに白雪姫が見たい、と鏡の前で念じてみると、呆気ないほど簡単に鏡の向こう側の世界が変わった。
まるでＴＶの画面が変わるようだ。
鏡の向こうでは、美しい少女が庭園で遊んでいた。
あれが白雪姫なのだろう。
(綺麗な子……)
雪のように白い肌。
流れるような漆黒の髪。
誰もが惹き寄せられる紅い唇。
何の穢れも知らないような無垢な笑顔。
「白雪様は日に日に美しくなっていくわね」
「お母様にとてもよく似ていらっしゃるわ」
「えぇ、お優しそうなところもそっくり」
「それに比べて今の奥様は…」
「止めなさい。聞かれたら叱られますよ」
「あら、私ったら…。ごめんなさいね」
「にしても、人使いがあらいったら……。こっちの気持ちも分かって欲しいものね」
白雪姫から、城の中へと映し出す場を変えていくと、侍女たちの仕事部屋へと辿り着いた。
各々が自分の針仕事をこなしながら、お喋りに花が咲いている。
その中に一人、ただ黙々と仕事をこなしている侍女が一人。
気になって観察していると、時折眉根を寄せている。
それは、どうやら『奥様』の悪口と取れる内容の時のようだ。
「いい加減にしなさいな。
奥様は本当はお優しい方なのよ。分かっていないのは、貴方たちのほうだわ」
自らの仕事を終え、エプロンを叩きながら立ち上がると、その侍女は裁縫道具を仕舞いながら言い放つと仕事部屋から出て行った。
残された侍女たちは、困ったような顔をしながらまたお喋りを始める。
「ビオラは何時もああ言うけど、でもねぇ」
「ねぇ…」
こそこそひそひそ。
侍女たちの噂話は、それでも続いた。
みなもは、映し出す画面を切り替える。
ふと気になって、貴婦人の部屋を映し出す。
煌びやかな部屋の中に、人型に装飾された大きな姿見。
これが自分が入り込んでいる鏡なのだろう。
一点の曇りもなく、美しく磨き上げられた鏡だ。
そこには主のいない、無駄に飾り付けられた部屋が写る。
『かちゃ。』
突然、扉の開く音がしたのでみなもは驚いた。
その拍子に鏡の画面が元に戻ってしまった。
今では、実際に鏡に映し出されている部屋の様子しか見ることは出来ない。
誰が入ってくるのだろうと待っていると、先程の侍女だった。
手には掃除道具を持っており、早速鏡を磨き始めた。
あまりに熱心な掃除振りに、みなもはビオラと呼ばれていた侍女の動きに見惚れてしまった。
「誰よりも美しい奥様を、ちゃんと映し出してあげてね」
素早く掃除を終わらせると侍女は出て行った。
それから暫く、この部屋には誰も入ってこなかった。
みなもは、睡魔に襲われ何時しか眠りの世界へと誘われていた。
◆mirror, mirror...◆
みなもは、女性の啜り泣く声で目を覚ました。
何があったのかと、鏡の外を覗き込む。
すると、例の夫人が椅子に座り、テーブルに突っ伏して泣いていた。
「どうしたら…どうしたらっ……」
よく聞くと、啜り泣く声の合い間に何か呟いている。
「あの子が憎い…でもっ…あぁ、どうしたらっ…」
森に捨ててしまおうか。
心の臓を食べてしまおうか。
あぁっ…。
あの子が憎い。
あの子さえいなければ、こんな想いはしなかったのに…っ…。
こんなところに嫁がなければっ……。
涙を浮かべ、苦渋に満ちた声をあげる婦人の姿は、昔みなもが本で読んだ継母の姿とは全く違うものだった。
みなもは、夫人がこの屋敷の中で独りぼっちなのだと感じた。
彼女は広い屋敷の中、数多い人間に囲まれながら独りで苦しんでいるのだと。
実際には、あのビオラという侍女のように夫人を慕う人間もいる。
けれど、大半は仕事場で噂話をしていた侍女たちのような人間なのだろう。
昔の奥方の影に、その娘の白雪に苦しむ後妻。
夫人の啜り泣きの声が、いつの間にか止まっていた。
見ると、夫人の瞳がこちら―鏡を見ていた。
「貴方だけは、何時までも私を見てくれる。
貴方だけよ……」
疲れきった瞳。
堪らなくなって、みなもは声をあげた。
「私だけじゃありません」
「っ…！！」
驚愕に彩られる夫人の顔。
悲鳴をあげそうになるが、あまりの驚きに声も出ないらしい。
口をぱくぱくと開閉して、椅子の上にへたり込んでいる。
「驚かせてしまってごめんなさい。
でも、聞いてください。
私と同じように、貴女を見つめている人がいます。
貴女を想っている人間が、います」
「そんな人間が、この屋敷にいるわけがっ…」
「いるんです。見てください」
夫人の見える鏡面に、ビオラの掃除風景を映し出す。
記憶を呼び起こし、あの日鏡に映し出されたものを夫人へと見せる。
夫人は再び、驚愕した。
「この子は…ビオラ…？」
『誰よりも美しい奥様を、ちゃんと映し出してあげてね』
「貴女を想ってくれる人間が、いるんです。
だから奥様、白雪姫を殺すのはやめてください。
きっと、奥様が後悔されます。
本当は、殺したいわけではないのでしょう…？
寂しかっただけ、ですよね…？」
呆気にとられたようだった夫人も、少しずつ我に返ってきた。
みなもの言葉に、苦笑交じりの笑みを浮かべた。
「鏡らしく、全てお見通しなのね……」
「鏡ですので、真実しか映し出しません」
「時にはそれは残酷なことなのよ。真実しか知ることが出来ないということは」
「……？」
そこで、みなもの記憶は途絶えた。
気がつくと、学校の帰り道に迷い込んだ書物屋だった。
手には一冊の本。
慌ててページを捲ると、そこにはみなもの知らない白雪姫の話があった。
夫人が、少しずつ屋敷の使用人たちや、そして白雪姫へのわだかまりを、ビオラを通して溶かしていく様子が描かれている。
長い月日が必要であったようだが、最終的には屋敷の中で穏やかに暮らしていた。
数年後、白雪姫は隣国の王子と恋に落ち、そして結婚した。
不思議な終わり方であったが、誰もが幸せそうな生活を送りはじめているようだった。
みなもは最後の一行を読み終えると、満足して本を閉じた。
「お帰りなさいませ。お気に召していただけましたか？」
突然、カウンターから声がした。
本屋の店主だ。
「えぇ、素敵なお話ですね」
「お買い上げ、ありがとうございます」
「え、でも私お金なんて…」
「出演料、ということで…。代金はいりません。宜しければお持ち帰りください」
妖艶な笑みを浮かべ、店主はさらりと言ってのけた。
みなもは、きょとんと店主の顔を見つめる。
「またお越しください。『自分』を探したい時には、いつでもお待ちしております」
奇妙な言葉を後ろに、みなもは店を後にしたのだった。
不思議な本屋の不思議な本を持って。
―end―
◆◇◆登場人物（この物語に登場した人物の一覧)◆◇◆
1252／海原みなも／女／13歳／中学生
◆◇◆ライター通信◆◇◆
海原みなもPL様へ
初めまして！江口皐月と申します。
この度は、「不可思議書物童話―白雪―」へご参加くださり、誠にありがとうございます。
素敵なお嬢様を書かせていただけて、光栄です。
継母込みで幸せな結末、ということでしたので、今回は継母メインのお話とさせていただきました。
本来の白雪姫とは全く違うものとなってしまいましたので、少々不安な部分もありますが、
少しでも楽しんで頂けていれば嬉しく思います。
ちなみにビオラは花の名前です。
花言葉は「私を思ってください」だそうです。
稚拙な文ではございますが、また何処かでご縁がありましたら宜しくお願いいたします。
海原みなも様の今後のご活躍を影ながら応援させていただきたいと思います。
ありがとうございました。
江口皐月
＊何かご不備等お気付きになられましたら、遠慮なくお申し付けください。＊
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