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<東京怪談・PCゲームノベル>


■ 序 ■

 初夏の日差しの中を、一羽の小瑠璃が飛んでいる。
 鮮やかな青空の色をその羽に宿し、透き通った鳴き声を周囲に響かせながら、小瑠璃はやがて一件の日本家屋の中庭へ入り込む。
 鳥の声に、家の縁側で遊んでいた雪(せつ)がふと空を見上げた。
「……かずら?」
 きょとんとしながら雪は瑠璃鳥の姿を探す。
 雪に答えるかのように、瑠璃鳥はゆっくりと地上へ降り立ち、やがて姿を人間の容へと変貌させた。
 黒にも似た深い縹色の髪を後ろで結び、藍色の狩衣を着ている。
 齢18程の青年だ。
「かずらだ!!」
 雪は相手の姿を確認すると、嬉々として縁側から飛び出し「かずら」と呼んだ相手に飛びついた。
「久しぶり、雪ちゃん。元気でしたか?」
「うん! 雪、元気!」
「……おや、珍しいお客さんだねぇ」
 きゃっきゃとはしゃぐ雪と、楽しそうに雪の相手をしているかずらを見つけて、家の奥から綜月漣がのんびりと姿を現した。
「お久しぶりです……ええと、今は「漣さん」でしたっけ?」
「ああ、まぁ名前なんて好きに呼んで良いですよ。僕には大した意味の無いものですからね」
「あはは。でも名前があった方が楽しくないですか?」
「名を持つ間はそれに縛られますからねぇ。より人間らしく居られるのは確かですよ」
 かずらが自分から離れない雪を抱き上げて、笑顔で漣に挨拶をする。
 と、漣はかずらに向かって「家の中へ入りなさい」と手招きをした。
「蔓王(かずら)君が来るという事は……もうそんな季節になったんですねぇ。麦茶でも入れましょう。お客さんから頂いた水羊羹があるんですよ」

 さて今年はどんな夏になるのだろう? 
 楽しげに笑いながら、漣は輝く日差しに瞳を細めた。





『花逍遥〜夏の瑠璃鳥〜』


■ 幽 ■

「人が……」
 簀子に座し、屋敷内で綜月連と語り合っていた蔓王が、ふと何某かの気配に気づいて顔を上げた。
 漣は杯に注がれた酒を飲みながら、視線はそのままに脇息を引き寄せて身をくつろがせる。
「ああ、入り込んだねぇ。追い出すのかい?」
 漣が返した言葉は、侵入者に対してさほど興味を抱かない風に聞こえる。が、同時に蔓王がどう出るか楽しんでいるようにも聞こえた。
「人の悪い事を言いますね。……漣さんに一つお願いをしてもいいですか?」
「さて。事と次第に拠りますが?」
 漣の言葉を待たぬうちに、蔓王が両の手の平を表に向けると、何も無い空間から硯箱と巻物が現れた。
 蔓王は硯箱を横に置き、巻物を封じていた紐を解くと、するするとそれを広げてゆく。
 何も書かれていない真白の紙を見て、漣は蔓王が何をしたいのか察知する。
「……路を描けと?」
「はい。具象化は私が致します。久しぶりに漣さんの絵を拝見したいのも確かですが、折角人の子を呼び寄せるのでしたら、趣向を凝らしたいと思いまして」
「のんびり出来ると思ったのに、また面倒なことを頼みますねぇ、蔓君は」
 溜息を一つつきながらも、漣はまんざらでもない表情で硯箱から筆を取り出し、それに墨を含ませた。
「さて。何を描きますか?」
「どうせなら彼女の望むものが良いでしょう」
 告げながら、蔓王はゆっくりと瞳を閉じる。
 風が庭先の花橘を揺らす。木々の葉擦れの音が耳に馴染むのを感じながら、蔓王はぽつりぽつりと言葉を放った。
「ああ、夏の風物詩ですね……浴衣、風鈴……金魚に花火……」
 言葉を受けて、漣が何も描かれていない巻物に、一つづつそれらを綴りはじめる。
 絵の始まりは、浴衣を着た、髪の長い一人の少女――。



■ 虚 ■

 不意に夢が色を変えた。
 狭間から狭間を渡り行く榊・紗耶(さかき・さや)は、その事に気づいて思わず歩みを止めた。
 見渡せば、彼女を取り巻いているのは、深い深い、黒にも似た蒼。
 時折何か、海のさざ波にも似た音が聞こえるが、それが何かは判らない。
「蒼の空間ね……これは誰の夢かしら」
 独り言のように呟く紗耶の声音からは、危機感も恐れも読み取れなかった。
 持ち主の無い夢は、現実に起きた事のみを紗耶に視せる。だが誰かが抱く夢であれば、夢の狭間は常にその持ち主の心を映し出す。
 無限に広がる蒼い空間に、何処か凪いだものを感じて、紗耶は元来た空間へ引き返す事はせず、そのまま静かに足を進めた。

 再び、蒼の空間にさざ波のような音が響き渡った。
 何の音だろうかと、耳を傾けながら歩いていると、紗耶の前方に小さく光る何かが姿を現した。
 一つだけではない。ふたつみつ、ふわりと現れては蒼の空間を揺れ動き、やがてその中の一番大きな光が、一人の女童の姿を浮き上がらせた。
 齢にして十程だろうか。肩を少し過ぎたところで揺れる黒髪を持ち、日本の絵巻物から抜け出たような汗衫装束を身に纏った女童だ。手には光る虫籠を持っている。
 夢の中の住人と言葉を交わすのは常の事だ。突然の出会いに驚く事も無く、紗耶はただ素直に挨拶を口にする。
「こんにちは……此処は貴女の夢かしら」
 微かな疑問を含ませて、女童へと言葉を紡ぐ。
 女童は紗耶の姿を確認すると、にこりと微笑みながら首を横に振った。
「立夏(りっか)と申します。蔓王様から貴方様をお連れするよう仰せつかりました」
「蔓王?」
「はい。夏を司る王にございます。今、紗耶様が紛れ込まれているのは、蔓王様の創り出した空間でございますよ」
「私の名前を知っているの?」
 立夏と名乗った女童の口から自分の名前が出てきた事に、紗耶は驚きの表情を見せる。
 立夏はそれに答えず、笑みを絶やさぬまま手にしていた虫籠をすっと前方へ向けた。
 虫籠が一際光を放ち、周囲を照らす。その光が紗耶に視せたのは、細く続く一本の路だった。
「漣様がお創り下さった路から参りましょう」
「漣……」
「決してこの路を踏み外さぬよう、お気をつけ下さいませ。危険はございませぬが、些か痛い思いをなさるやもしれません」
 ふふと楽しそうに笑いながら、女童は紗耶を導くようにゆったりとした歩調で歩き出す。

――人間の夢ではないのかしら。

 立夏は夏の王の空間だと言ったが、俄かに信じてよいものか疑問を覚える。
 少々強引とも取れる立夏の言動に、紗耶がついて行くべきかどうか考えあぐねていると、立夏の手にしていた虫籠から幾つかの光が抜け出して、急かすように紗耶の周囲を巡り始めた。
 意識してそれを視れば、ただの光とばかり思っていたものは、蛍。
 蛍の光に照らされて、紗耶の今在る姿が克明になった。
 先ほどまで、紗耶は黒い洋服を着ていたはずだった。それがいつの間にか、笹と蛍を描いた優しい風合いの浴衣に姿を変えている。
 驚く紗耶を見て、立夏の小さく笑む声が響いた。
「漣様がお描きになられたのでしょう。お似合いですよ」
「漣というのは誰?」
「蔓王様のお知り合いでございます。漣様の絵を蔓王様が具象化して、紗耶様にお視せしているのです。私は紗耶様が迷われぬよう、迎えに参りました」
「……不思議な処ね、蔓王の作り出す夢の狭間は」
「こちらの路以外、元は絵ゆえ実は伴いませぬが、夏の趣はございましょう」
 実体を伴わない儚い幻。
 そんな世界を築き上げるのはどんな人達なのだろうかと少しの興味を抱き、やがて紗耶は立夏の後について歩き出した。


 ふと、青い世界が黒に転じた。
 否、黒ではなく闇だった。
 何を思ったのか、立夏が手にしていた虫籠の扉を開けると、そこから無数の蛍が外へ向けて飛んでゆく。
 蛍は遙か高みへ上り詰め、いつしか星のように瞬いて夜空を作り出した。
 深い夜空を眺めていると、不意にリンと涼しげな音が耳に届いて、紗耶は視線を戻した。
 路の両側には木車に吊るされた数多の風鈴が、それぞれに楽を奏でている。

――浴衣、風鈴……

 自分の脇を走り行く、楽しそうな子供達の声。視界の端に捉えた彼らは、玩具の面を被っていた。
 紗耶が子供達の向かう先へ視線を向けると、縁日でも開かれているのか、先が見えない程に軒を連ねた屋台と、せめぎ合う人々の姿が在る。
 金魚すくいをする子供。綿菓子が出来るのを待ち焦がれている女の子。輪投げ、射的、りんご飴。
 人々が楽しそうにはしゃぐ様を視て、紗耶の口元に微かに笑みが浮かんだ。

 そこに在るのは、紗耶が思い描く夏そのものだった。
 心に想いを過ぎらせれば、全てが目の前に姿を現す。
「人の世の祭りは、面白うございますね」
 先を歩く立夏が、紗耶に声をかけた。
「……そうね。束の間だからこそ、皆こうして楽しい一時を過ごせるのかもしれないわね」
 夜に賑わい、朝には再び静寂が訪れる。常と異なり昼夜が転じるのは祭りの不思議。
 この賑わいの中に自分も紛れてみたいと、紗耶の心に小さな望みが生じる。
 己の目で見て、触れて、感じてみたい――
 だが、紗耶が無意識に路を逸れて縁日に遊ぶ子供達の傍に行こうとするのを、立夏が止めた。
「紗耶様」
 一言だけ。
 その声に紗耶が立夏の方を視ると、立夏はただ静かに首を横に振った。
 路を逸れてはいけないという言葉を、紗耶は思い出す。
 何故逸れてはいけないのか。
 痛い思いをするというのはどういう意味か。
 立夏に問おうとした時、紗耶はあることに気が付いた。
 周囲には数多の人がさざめきあっている。それなのに、紗耶達の行く細い路には、紗耶と立夏以外の誰も足を踏み入れてこないのだ。
 紗耶は己の手を路の外へ伸ばして、並び歩く人に触れてみようとした。けれどその手は、居るはずの人間を捉える事が出来ずに空気を掴む。
 全てが紗耶の存在に気づかずに過ぎて行く。
「元は画でございます。魂の無きもの故、触れることは叶いませぬ」
「……そう」
 遠く、蒼の空に花火が咲くのをぼんやりと見つめながら、紗耶は立夏の言葉を聞いていた。
 過去も未来も、全ては紗耶の手の中にある。けれど、それは同時に、掴めば手の中からすり抜けて消えて行く幻でもあった。
 夢は常に鮮明なのに何処か虚ろで、それでも紗耶は夢に身を置く事しか出来ない。
 夏という季節も、少しそれに似ている。
 華やかでいて、何処か寂しさを漂わせる季節。

 紗耶の心の虚ろを補うかのように、夏風に木々が揺れて葉擦れの音を立てた。
 それは何処か、さざ波の音に似ていた。



■ 現 ■

「ああ、来ましたねぇ」
 不意に声をかけられて我に返り、紗耶はゆっくりと顔を上げた。
 いつの間にか夜の闇も祭りの気配も消えうせ、立夏の姿も視えなくなっていた。
 その代わり紗耶の目の前には、此方を見上げる二人の男の姿が在る。
「……こんにちは、初めまして」
 何処か夢見心地で周囲を見渡しながら、紗耶が呟く。
 蒼の空間と同じで、とても凪いだ空気がこの場所を支配している。
 夢の主が替わったわけではない。
 ただ紗耶の目に映される景色だけが、様子を違えていた。

 真昼。
 窓の一つも無い、広い広い屋敷。
 全てが吹き抜けで、間仕切りには几帳が使われている。まるで何処か遠い昔にでも紛れ込んだかのような、寝殿造りの屋敷の一角。
 後ろを振り返れば、紗耶が今まで歩いてきた廊下があった。左方を視れば、高欄の向こうには壺庭。そこには遣水が流れ、花橘をはじめとして夏の草木が丁寧に植えられている。
 水の流れる音を聞きながら、紗耶は目の前に居る二人の男へ向き直った。
「……どちらが蔓王かしら?」
 簀子に座して紗耶を真正面から見上げる男と、巻物を手に持ち、脇息に肩肘をついている男。
 ふと視界に入った巻物には、先ほどまで紗耶が視ていた、夏の景色がそのままに描かれている。
「僕ですよ。こんにちは、紗耶さん」
 声をかけてきたのは、巻物を持たない方の男。
 紗耶と目が合うと、蔓王は穏やかな笑顔をその面に浮かべた。
「此処に着くまでの間、簀子(廊下)をただ歩かれるだけではつまらないだろうと、夏の幻を創ったのですが……少し寂しい思いをさせてしまいましたね」
 申し訳ありませんと、蔓王が小さく頭を下げる。
「いいえ。夢は移ろいやすいものだから……」
 気にするほどの事でもないと告げる紗耶に、筆を置いた漣が声をかけた。
「立夏が止めてくれて良かったですよ。路を外れたら廊下から庭に落ちてしまうところでしたからねぇ」
「……そう言えば、彼女は何処へ行ったの?」
 いつの間にか視えなくなっていた立夏を心配して、紗耶が首を傾げる。その問いに答えるように、蔓王が狩衣の袖を微かに揺らすと、一匹の蛍が蔓王から離れて紗耶の周囲を巡った。
「その子に名を与え、漣さんの描いた絵に宿らせて、貴女の道案内を頼んだのですよ」
「蛍に?……そんな事も出来るのね」
 紗耶の周りを巡っていた蛍は、やがて紗耶から離れて、庭先に植えられていた花橘に身を寄せる。
 その様子を眺めながら、紗耶は今まで通ってきた路を思い出す。

――浴衣、風鈴、金魚に花火。蛍に花橘。

「……此処は夏に囲まれているのね」
「夏が、お好きですか?」
「そうね……病院で身体は眠りっぱなしだから、夏を堪能してみたいと、思った事はあるけれど……」
 全くと言って良いほど陽の光を、陽の元で咲く花を視ていないからと、そう告げる紗耶に、蔓王と漣は一度顔を見合わせる。
 やがて、二人は微笑みながら紗耶の顔を見上げた。
「その身に夏を宿しているのに……」
「……?」
「知っていますか? 貴女が持つ名はとても夏に近いのですよ」
「そうかしら」
「ええ。夏の笹葉が風に擦れる音と同じです。とても綺麗な名をお持ちだ」
 蔓王に言われ、無意識に紗耶は自分の名前を呟いた。
 庭木が、風に揺れてさざ波にも似た優しい音を奏でる。
「貴方の望む夏を視せて差し上げましょう……自分の名を呼ばれたら、どうか思い出してください」
 言いながら、蔓王は紗耶に手を差し伸べる。
 穏やかだが、紗耶に向けて伸ばされた手は、どこか夏の強さを感じさせた。
 微かに惑い、惑いつつも、紗耶は蔓王の手に己の手を重ねた。瞬間――


 見渡す限り一面に青が広がった。
 蔓王の空間に紛れ込んだ時に視た蒼ではない。
 夏の濃い青空。
 風に、大地に茂る緑が揺れて輝きを放つ。
 太陽の光を受けていっそう力強く伸び行くのは、大地を覆いつくし咲き誇る向日葵。
 恐る恐る手を伸ばして花に触れると、それは確かな感触と香りを紗耶にもたらした。
「……絵ではないのね」
「ええ。時を少しだけ遡りました。これは去年の景色ですが、今年もあと三月ほど過ぎれば盛夏が来ますよ」
 己の治める季節の輝きを誇らしげに眺める蔓王を見上げていた紗耶は、再び視線を大地へ向けた。
「……もし、良ければ暫く貴方の屋敷に居てもいい?」
「え?」
「勿論、邪魔なら帰るようにするから遠慮なく」
 ぶっきらぼうに告げられた言葉。
 けれどそこには、少しでも夏という季節を記憶に留めておきたいと願う、紗耶の気持ちが現れていた。
 蔓王はきょとんとした面持ちで紗耶を眺めていたが、その気持ちを汲み取ってか、やがて楽しそうに微笑んで頷いた。
「いいえ、歓迎しますよ。夏は賑やかな方が楽しいですから」
「……ありがとう」

 夏は何処か華やかなのに寂しい季節でもあるから。
 この身に残ったら凄く幸せな事だと思うから。

 風の音に耳を傾け、葉擦れの音を聞きながら、紗耶はこれから来るであろう盛夏を想い、穏やかに瞳を細めた。



<了>






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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【1711/榊・紗耶 (さかき・さや)/女性/16歳/夢見】

*

【NPC/蔓王(かずら)/男性/?歳/夏の四季神】
【NPC/綜月・漣(そうげつ・れん)/男性/25歳/幽霊画家・時間放浪者】

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■         ライター通信          ■
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榊・紗耶 様 >>>

 初めまして、綾塚です。
 この度は『花逍遥〜夏の瑠璃鳥〜』にご参加下さいまして有難うございました♪
 プレイングを頂いてすぐに「こう書きたいな〜」と思う基本の筋が出来たのですが、紗耶様らしさを出せているかとてもドキドキしながらお話を書かせていただきました。
 蔓王の見せる夏が少しでも紗耶様の心に残るものであれば嬉しいです!またご縁がございましたら、どうぞ宜しくお願いいたしますね(*^-^*)