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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


少年禁猟地帯6

●ホテル 4月19日 〜AM9:30〜
「そのような小さきことを好き好んで調べていたりする暇な奴が、どの世界にもいるものだ」
 相対するモーリス・ラジアルに、ヒルデガルドはそう言って彼の言葉を否定した。
 セレスティ・カーニンガム氏の消えた部屋から移動して、居間にて一同はテーブルを囲んでいる。
「名前はジョシュア・ブラックウッド。お前達の世界で言えば、教師という職についている」
「教師?」
 その言葉を聞くとモーリスは眉を顰めた。
 立腹しているのだろう、彼は微笑みながら言ったヒルデガルドの顔を睨んでいるとも取れる視線で見つめていた。
「あぁ、教師だ。魔法少年養護育成センター……ある世界の一角に、魔法の研究を主とする集団がいる。ほとんど世界と言って良いほどの大きさだが」
「簡単に言えば、魔法の世界の学校の教師ということですかね?」
「そう言うことになるな。生徒の育成に夢中になって、外には出ようとせぬ。まぁ、ここ百年ほど会っていなかったが……奴は昔から何かを記録するのが好きで、未確認の世界や人口世界の情報収集を趣味としていたはずだ」
「なるほど」
 消えた世界の情報を集め、何処に逃げ込んだか調べれば自ずと場所がわかるだろうとのことだった。
 一旦、他の状況を確かめようと黒榊魅月姫がホテルの方に顔を出したのだが、ヒルデガルドと顔を合わせるのは初めてで、顔を合わせるなり互いに挨拶しあった。
 引き続き神聖都学園での調査・対応を続けていた宮小路皇騎は、情報が気になって確認の為に一旦情報交換に集まっていた。
 この珍しい顔ぶれになんとも言い難い表情を浮かべ、皇騎は二人を見遣る。
 片や、数千年間欧州を渡り歩いた吸血鬼にして魔女で、生粋のハイ・デイライトウォーカー。ヒルデガルドは魔界とも言うべき異空間を束ねる、不死族の王。
 話が通じるであろうとわかる相手同士である。
 何ごとも無く挨拶を交わしていた。
「はじめまして。私はヒルデガルドゼメルヴァイスだ」
「こちらこそはじめまして。黒榊魅月姫ですわ……よろしくお願いいたします」
「あぁ、私も逢えて嬉しい。祝いの宴をしている場合ではないのが口惜しい……」
「まあ、何時だってできますわ」
「『普通』に話ができる相手(同族)というのは良いものだからな。長々と話がしてみたくなるものだ」
「普通? 何か心当たりがありましたか?」
 この異界に入って吸血鬼に会ったのだろうかと思った魅月姫は訊ねた。
「大したことはない。最近は無作法者が多くて困ると……まあ、情緒豊かな者には逢いたくなるのだ」
「若い方は血気にはやると言いますしね。難しいものです」
「本当だな……悪気は無いとは思うのだが」
「それも逆に困ったものですね……そう、私、訊きたいことがありますの」
「ほう、何だ?」
「『白い子』をどう考えます?」
「ああ、こちら側の『者』(吸血鬼)か……このような世界と交流はしなかったからな、まだ把握していない。上手くお答えできぬのを申し訳なく思っているのだが」
「情報がまだ……と?」
「お恥ずかしながら。しかし、こちらに移動した者が大量に居れば私も把握しているのだが……と言うことは、移動したものが居ても少人数ということになる。脅威と言うには何分にしろ情報が少ない。ここのところ、いくつかの事件と紫祁音と言う女の出没状態を考えると、こちら側の何者かと通じている可能性は非常に高いな」
「その点は俺も賛成だ」
 少し後で控えていた武彦が手を上げて言った。
「ヒルデガルドも知ってると思うが、お前の弟にあの厄介な麻薬を打ったのは紫祁音と考えて間違いないだろう。そこから考えても無関係とは言い難い。それに、場所的なことを考えても聖別化された小瓶が無くなった事件と関係があると思う」
「やはりそう思うか……」
「俺はなんとなーくそう思うってだけで、特別な力なんぞ無いしな……ただ、なんとなく――だ」
「まぁ、そう言う勘も大切ですわ」
 魅月姫は微笑った。
「さて、引き続き散策に戻ろうと思いますの……あぁ、そうだわ」
 背を向きかけた魅月姫が長い黒髪をたなびかせて振り返る。
「『死神マリー』……名前はご存知かと思いますけれど。注意した方が良いかもしれません」
「何かあったのか?」
「いいえ。ちょっと気になる子が居まして。どうもその子は私を『白い子』と勘違いなさっているようですが……彼女の行く店のHPに、そう言う出演者の名前が過去にあったんですのよ。実際、彼女から『白い子たちの襲撃の日』についても伺いましたし。如何にもって言う気がしませんこと?」
「店の名前は?」
「Simoon」
「な、何っ!」
「そうですわ、あのSimoonです」
「「「「「ビンゴッ!」」」」」
「でしょうね」
「はぁ……」
 小さな事件記事を調べるのとは違い、どれだけ多くの情報があるのか見当もつかずに深々と溜息を吐いていたシュライン・エマは思いっきり近づいた現実に眩暈がしている。
 重だるい気持ちに気持ちを塞がれ、皆も溜息を吐いた。
「あら、あらあら…一大事ですね」
 と、一人だけのんびりとした声を上げた者――隠岐智恵美がいたが、本人は一大事だと思っているようである。
「い、いきなり大当たり……」
「遠回りよりはマシですわ」
「でもねぇ」
「少々、彼奴等の悪戯が過ぎましたかな……」
「え?」
 不意に聞こえた声にシュラインは顔を上げた。
 音もさせないでドアを開けて入ってきたらしい男がそこにいた。
 表情は無表情。
 見るものに一種の威圧感を感じさせる初老の男が麗しき女吸血鬼の傍らに立ち、闇の中から聞こえるような、半ば判然としない声で言ったのであった。
 薄ぼんやりとした印象に反して、表情の無い瞳の奥には底知れない意思だけがあるような気がしてシュラインは落ち着かなかった。
 こうしてみると、その男が本当にその姿どおりの歳なのかはよくわからない。
 黒い礼服が一層その印象を強めていた。
 押してきたワゴンを動かしティーポットを妙に白く見える手で持つ。闇を切り取って出来たような手もどこか幽玄な印象がある。
 手に持ったティーポットをテーブルに置くと、男は無表情なままにかなり早い朝のティータイムの用意にかかる。
 シュラインは失礼かもしれないと思いながらも、その男を眺めた。
 黒いスーツにサッシュベルト、磨かれた黒いエナメルの靴は手入れが行き届いていた。
 見るからに執事とわかる姿だ。
 事実、彼はヒルデガルド・ゼメルヴァイスの執事であった。
「昔からだ、何かに興味を持つとな。残酷というのは我々にとって美徳だ」
 ヒルデガルドは言った。
 言葉を切ると、優雅な動作で椅子に座った。
 艶かしい肢体に纏う薄絹のブラウスとツイル布のズボンが、その美しさを際立たせるようにも見える。
 結い上げず無造作に流した髪は白い。
 視線を上げれば、ついぞや弟の――ロスキールの下僕になった少女、月見里千里が檻に閉じ込められ、その中央で蹲っていた。
 その近くには草間興信所の調査員達が立ち尽くしている。
 やや出遅れ気味に一同はイスに座る。
 そして、その近くには黒いとんがり帽子と黒いマントを着込んだ少年が立っていた。いかにも魔法使いと言ったいでたちだ。
 彼の名は桜伎まお。まだ11歳である。
 師であるジョシュア・ブラックウッド教授からの依頼でここに来ていた。
 彼も皆に倣った。
「我々にだって法はある」
「まさしくその通りでございます、ヒルデガルド様」
 また執事は朧な声で言った。
「それを冒してくれたのだ、充分に処罰せねばならぬだろう」
「しかし、そう易々と従うロスキール様ではございませんな」
「危険極まりないあの麻薬を引き渡し、あれが執着している者を家に帰すなら、多少話は変わってくる。しかし……」
 ヒルデガルドは苦笑した。
「あれほどに好いたのなら、手放しはしないだろう」
「俺にはわからんな……」
 不意に草間武彦が言った。
 煙草を吸おうとポケットに手を伸ばしたところで、「ティータイムに煙草は不要」といった視線を投げかけている執事と目が合い、武彦の手は望みを果たせずにテーブルの上に置かれる。
 しばらく手はもぞもぞと動いていた。
「それほど好きなら、もっと上手くやればよかったと思わないか?」
「タイミングが悪かったのだろう。麻薬を手にしてしまった後では……それを打ってしまった後だったら、尚更。理性も何もかもが壊れる、そして、自分自身の在り様(ありよう)もだ」
「有様も……」
 武彦は低く唸るように言った。
 言い換えれば「在り様」。
 己自身の在り方そのものが壊れるというのは、人格破壊以上に他ならないもの。
 その意味が妙に重く圧し掛かってくる。
「願わくば、奴の存在が壊れる前に縺れた運命の糸を解いて欲しい。その糸に絡められ、たくさんの命が消える前にな。さしずめ、この世界で【白い子】と呼ばれている同胞の生態を明らかにする必要がある。そして、そこにいる少年に手伝ってもらって破壊された人工宇宙の場所を調べるべきだろう」
 ヒルデガルドはそう言うと、いつになく重い溜息を吐いた。

●通常世界『草間興信所』 4月19日 〜AM9:00〜
「草間のおぢちゃ……三日に一度は遊んでくれないと、嫌なのでぇ〜す!!」
 爽やかな風が吹く清々しい朝に、声は割に小さくとも良く澄んだ元気な声が木霊した。
 ビルの管理人は誰か来たのかと辺りを見回したが、別にこれといって何も見えなかった。
 見えるのは草間興信所と表札のかかったドアの前に、黒猫一匹。
 なにやら背中に小さな人形が乗っかっていたのが見えたものの、近所の子供の悪戯だろうと管理人は納得した。
 おもむろに視線を外すと新聞を読み始める。
 さして時間もかからずに、彼と世界は切り離された。

 黒のローブを纏い、首には金の大きな懐中時計をぶら下げた人形……を乗せた猫は、ガタがきて通れるぐらいの隙間の開いたドアから堂々と入っていく。
 管理人の目から完全に隠れたところで、人形はピョンと飛び降りた。
 人は「不条理妖精」とも「魔性のチビッコ」とも呼ぶ、彼女の名は露樹八重。
 体長10センチの可愛らしい少女だ。
 しかしながら時間を操る彼女にとって時間は無きに等しく、『れでぃー』に歳は訊いてはいけない。
「乗せてくれてありがとなのでぇ〜す♪」
 八重は黒猫に手を振った。
 猫は一鳴きすると手を振る代わりに尻尾を振り、悠々とドアから出て行った。
 八重はさてと机の方を振り仰いだ。
 草間武彦氏と日夜不毛なバトルを繰り返すのが概ね日課となっている八重にとって、武彦の存在は芸人好きな人間が常にお笑い番組を見るのと同じぐらいに必要不可欠なものであった。
「むむぅ〜……誰も出勤していないのでぇす」
 八重は小首を傾げた。
 普通なら、この時間は武彦が眠たげな目を擦りつつ、朝一番の煙草をふかす時間でもある。
 ついでを言えば、シュラインが珈琲を淹れていて、その茶請けを武彦と八重が取り合う戦いのゴングが鳴る時間でもあった。
 片付けきっていない机の上には、無用心にも調査書が乗っていた。そしてその横には受け付けた調査依頼ファイルがある。
「誰もいないとなると、皆で出かけたのでぇすね? そういう時は、きっと楽しい依頼なのでぇす!!」
 とても小さな拳をぎゅぎゅむ〜と握りつつ、八重が言う。
 楽しいとは言い難い、危険な依頼なのだが、そんなことは八重が知るわけも無い。
 八重は武彦を追いかけるべく、ファイルを開いて読み漁った。
「うむむぅ……上條羽海しゃん……本名でぇすかね? まあいいのでぇす。羽海しゃんの電話番号に連絡を入れるのでぇす」
 八重はお仕事終わったら遊んでくれるでぇすかね〜とわくわく気分で電話をかける。
 しばらくして、なんとなく冷たい感じのする女の声が聞こえてきた。
「もしもし……」
「上條羽海しゃんでぇすか?」
「なに……」
 相手を子供ととった上條羽海は、いかにも怪訝そうな声で応対する。
 いつもなら年齢が低くても中学生ぐらいからしか電話はこないのである。明らかに小学生ぐらいと思しき人物からの電話は初めてだった。
「えーと、上條羽海しゃんでぇすよね? あたしは露樹八重でぇす〜」
「子供はお断り」
 上條羽海はきっぱり言った。
「えぇええ!? ここには高校生もって書いてあるでぇすよ? ということは、『子供もおっけー』っていうことじゃないのでぇすか??」
「そうよ」
「じゃぁ、情報が欲しいのでぇす」
「金……お金は? ビタ一文もまけないわよ」
「うむむぅ〜〜」
 八重は唸った。
 皆のお財布様とも言うべき人物がここにはいない。
 彼なら支払ってくれそうだが、残念なことにちょっとあの意地悪っぽい金髪の青年もここには居なかった。
 情報屋に支払えるほどの金が八重にあるはずもなく、どうしようかと悩んだ。
「じゃぁ、切るわよ……」
「待ってなのでぇす! お金はないでぇすけど……それに代わるものならあるのでぇす!」
「情報? 質の悪い情報は要らないわよ」
「違うのでぇす。『時は金なり』なのでぇすよ? とっても素敵な『あいてむ』をあげるのでぇす」
「なに……それ」
「ぬぬぅ! 草間興信所の真の力を思い知るでぇすよ? 情報屋しゃんなら、ここの噂を知ってるはずでぇす。素敵な『あいてむ』に関わることも多いのでぇす」
「そうね……変わった噂も聞いてるけど。事務所のものを持ち出す気?」
「事務所はいたって普通なのでぇ〜す。来る人が『変な人だらけ』なのでぇすよ」
 その瞬間、八重はベタリと机に両手をついて落ち込む。
――ううぅっ……あたしも変身できるのでぇす……(しくり)
 形容が不適当であったと、八重は我ながら後悔していた。
「と、とにかく良いものあげるでぇすから、羽海しゃんも情報を持ってくるのでぇす」
「わかったわ。場所は日之出桟橋よ。そこから船が出るわ」
「船……でぇすか?」
「そう、船」
「わかったのでぇす」
 八重はそう言うと、受話器を置いた。
 事務所の棚をよじ登るとチョコレートの箱とクッキーを発見すると引っ掴み、お菓子を食べながら事務所を出て行った。
 途中、管理人部屋の横を素通りしたが、管理人の位置から八重の姿は当然の如く見えなかった。

●Sacred cubicle

――……だれ……か、助けて……

 次第に赤い色増す水の中で、苦悶の表情を浮かべるセレスティ・カーニンガムは心の中で助けを求めながら、ぐったりとしたまま動かない人を見つめるしかなかった。
 赤い水に触れる肌も、溶液を飲み込んでしまった喉も、炎のような熱さを発している。そんな身体(もの)は自分を苛む枷でしかない。
 この身が呪わしくも染まっていく。
 吸血鬼という色とあの麻薬の色に。
 この渇きを癒したいと思う以上に、ロスキールを助けたいと思う気持ちはいや増していた。

――う……うぅっ……

 繋ぎとめる鎖を外せないかとセレスティは暴れたが外れそうにもない。
 悲嘆に暮れるにはあまりにも早すぎて、到底すべてをなげうって諦めることなぞ出来なさそうだった。
 どうにか運命を曲げてしまえないものかとセレスティは願う。
 しかし、運命どころかその鎖さえも曲げることは出来なかった。

――もう……もう、だめなのでしょうか……

 諦めの言葉が脳裏に浮かぶ。
 こんな簡単に彼が消えてしまうのだろうかと思うと、なんともやりきれない気持ちになる。
 まだ出逢ってそれほど経ってはいない。
 出逢ったのは何時だっただろう?
 何処でだったのか……そう、あれは彼の生まれ育った城だ。
 黒い森の中に聳える真っ白な城。
 運命的なあの夜に、彼は自分に声をかけてきたのだった。
『こんな時間に散歩ですか、ミスター・セレスティ?』と、彼は言った。
 蒼闇を丸く切り抜いたような月の下で、自分を月よりも美しいといって微笑んだ人。

――私たちはまだ……まだ何もしていない

 互いを知って心を通わし、すべてを共有しきったわけでもない。
 この先に何があるか、二人でまだ話し合ったこともない。
 これから、まだこれからだ。
 どうして彼が蒼い空が好きなのかも訊いていないし、自分の何処に惹かれたのかも知らない。
 このままではやり切れなかった。
 セレスティは集中した。
 運命でも何でも捻じ曲げて、助けなければならないのだ。
 真っ暗な運命の糸を避け、全く違う新しい未来を探ろうとした瞬間、視線の先の景色が二重写しになり歪んだ。
 固く自分を拘束する鎖が水の中で揺れて見える。それはまるで飴が溶けるかのごとく感じられ、セレスティは自分がその鎖を簡単に引き千切れるのではないかと錯覚してしまった。
 明らかに物がどうやって構成されているのか瞬時に『理解』してしまったセレスティは目を瞬く。

――分子を……歪める……?

 揺れる鎖の動きのままに、セレスティは無造作に腕を振るう。
 鎖を構成する分子が歪んで千切れるインスピレーションを感じた瞬間にセレスティは腕に奇妙な感覚を感じ、骨を伝って石が擦れるような音を体感した。

――うぁっ……ああああああッ!!!!!

 きつく拘束する枷の中で、セレスティの手首があらざるべき方向へと曲がる。 
 ただでさえ息が出来ないというのに、その上、骨の折れる感覚を感じたセレスティは身を震わせて耐えるしかなかった。
 しかし、その腕も数瞬の間に元に戻る。
 その恐るべき生命力は吸血鬼独特のものだった。
「!?」
 驚きながらもそっと動かせば、腕も手首も元通りに動く。
 多分、元に戻す力はあっても、元々非力な自分の体が吸血鬼のような強靭さを発揮することはできないようだった。
 自分の口元を触って乱杭歯がないか確かめたかったが、鎖に繋がれていて無理だ。しかし、確実に吸血鬼化してはいるらしい。

――それなら……

 セレスティは自分の運命を曲げる力と『物を理解する』力を同時に発揮しようと試みた。
 自分には物質の構成自体を知覚し理解する能力など持ち合わせていなかったが、今はそれについて考えている暇はない。
 分子の隙間と隙間を引き千切るイメージを創り上げると、揺れた鎖は緩くなった飴のように伸び、腕を振るった勢いに乗って千切れて消えた。
「う……はぁ……はあ」
 紅い水から上がると、咳き込む息を整えて起き上がる。
 セレスティは棺に寄りかかったままのロスキールを揺さぶった。
「ロスキール! 起きて……起きてください! 太陽が……」
「……」
「起きてください!」
 何度揺さぶっても目を覚ます気配など感じられない。
 仕方なく、セレスティは彼の体を抱くと懸命に陰のある方向へと引き摺っていく。
 体力もなければ力も弱く、足の力も常人ほどに確かなものではない故に、追いかけてくる太陽への恐怖に怯えながらセレスティは移動していった。
 天の恵みとも言うべき太陽の光を厭う感情が芽生え始めたことに気付き、自分が確実に吸血鬼化しつつあるのを感じていた。
 太陽は自分達にとって、まさしく核反応炉そのものような存在であり、その下に出ればあっという間に魂さえも焼き尽くされてしまうに違いない。
 そう言う風にしかセレスティには考えられなかった。
 じりじりと胃腑に這い上がってくるような感覚に重い溜息を吐きつつ、セレスティは城への長い道のりをロスキールと共に行く。
 咲き乱れる薔薇の園を抜け、城へと向かう道を往くも、それはまるで囚人の道のような気がしてならなかった。
 やっとの思いでたどり着いたセレスティは扉を押し開く。
 城内の静謐にこの上ない安堵感を感じつつ、更に奥へと進む。
 この城には使用人はいないのか、呼ばないと出てこないよう躾られているのか、声一つ聞こえてはこない。
 一番奥の部屋のドアを開け、寝室の一つであることを確認すると、セレスティはロスキールをベッドに横たえさせた。
 緩い呼吸を繰り返し小さく上下する胸に耳を当て、ロスキールの状態を確認する。
「よかった……まだ大丈夫」
 相手が生きていることを確認すると、セレスティは薬箱を探し出し傷の手当てをし始めた。
 薬箱の中身は自分にとって知らないものばかりだったが、物を構成する物質そのものを理解するという新しい力で薬の中身をすべて知ることが出来た。
 傷を手当てし終われば、気がついたのかロスキールが小さく身じろいだ。
「……う……っ……」
「ロスキール……大丈夫ですか?」
「……セレスティ……かい?」
「はい。……一体、どうしてこんな……私を好きだと言って下さるのに、一番悲しむ事をしないで下さい」
「…………」
 セレスティの言葉にロスキールはその白い顔を向け、ただじっと見つめ返す。
 やっと声にしたものはとても小さな声だった。
「かな……しい……?」
「えぇ、そうです」
「な……なん……で? 何が悲しいんだい?」
「私の目の前から居なくなることですよ」
「僕……が?」
「はい」
「僕がいないと……セレスティは悲しい?」
「……はい」
 セレスティは彼があの太陽に焼かれて本当に消えてしまうのを想像し、震えながらそう言った。
――本当に消えてしまう……
 これは恐怖でしかなかった。
 二度と逢えなくなる。
 死んで逢えなくなるなら、あとでいくらでも会う算段はできるものだ。幸いにして自分の寿命は長い。
 同じ魂の人間を捜せばいいのだから。
 しかし、転生することも叶わない、そう思わざるえない恐怖を太陽から感じた。
 吸血鬼たちは太陽に焼かれても、水にその灰を流してしまわなければ復活できるというのが普通であるはずなのだが、セレスティにはそう感じられなかった。
――これが、太陽に対する吸血鬼たちの恐怖
 理性の人とも言えるセレスティが感じたものは決して感情的になって感じたものではない。吸血鬼たちが感じている、太陽に対する『根源的な恐怖』なのである。
 麻薬から脱する事が出来ずに、目の前で自ら死を選ばなければいけなかったことは、ロスキールにとって矜持を砕かれる様な気持ちだったのではないかとセレスティは思った。
――なんて酷い……
 そう考えるとセレスティは麻薬を打った者を許す事が出来ない。
「ロスキール。あなたは何故、この……この太陽への恐怖に耐え、すべての力を私に託そうとしたのですか?」
「…………」
「あの麻薬は一体何なのですか? 恋焦がれた太陽と空と私に身を委ね、プライドの高いあなたがそれほどまでに『死』を選ぼうとした麻薬とはどんなものなのですか。ロスキール、あなたと永遠に続くと思っていた時間を第三者に操作されて変えられるのは、私としても気持ちのよいものではありません」
 セレスティは殊更感情を表さないように言うが、それも少し怒ったような悲しんでいるような雰囲気を伴うものだったのも、こうなった原因である紫祁音たちに対する心の奥で蟠る密やかな憎悪の所為であった。
 敵には容赦なく、仲間や愛した人たちには危険なほど愛情を注ぐセレスティの性質をロスキールははじめて見た。
 優しく静かな海も、嵐の夜には烈しく逆巻き多くの命を奪う脅威となる。その表情(かお)を見たロスキールは美しい愁眉を寄せる。
 愛しい人を悲しませたことに心が細る思いなのだった。
「ごめんね、セレスティ」
「いいえ、もういいのです。でも、教えてください。あなたの知っていることを……これから私はどうなってしまうのですか? 麻薬の影響を受けるのですか?」
「それは……これから君が望もうと望まざると、やはり少なからず影響を受けるようになるよ」
「え?」
「僕が『闇の花嫁』(ブライド)に選んだのだから。僕の血を受け継いだのだから、それを感じるようになる。ねぇ、セレスティ……君は僕の長い話に付き合う気はあるかい?」
「はい」
「そう……よかった」
 ロスキールはそう言うと、セレスティの背に腕を回して抱きしめる。
「もう一度君を抱きしめられるのは、奇跡のようだよ……」
「ロ、ロスキール! ふざけないで下さい」
「ふざけてなんかいないよ。もう少しこのままで……抱きしめさせていてよ」
「しかたないですね」
 セレスティはふと笑みを零して言った。
 ロスキールの頭を撫でつつ、話の続きをしてくれるように促す。
「話の続きを忘れないで下さいね」
「もちろんだよ。まず、君が受け取る一般的な力について教えてあげる」
 少々やつれた表情だったロスキールは微笑んで上身を起こした。
「『闇の花嫁』(ブライド)は僕の所持する奴隷(&スレイブ)を従わせることが出来るのさ。ただし、僕が許す範囲でね。あとは、人間か弱い魔法生物、下級魔族や魔法族なら強力な催眠術を無意識的でも意識的にでもかけられるようになる。まあ、魅了というやつさ。でも、君には必要ないね……美しいから」
 さらりと言って、彼は笑った。
 苦笑しつつセレスティが自分の口元を触ると、小さな乱杭歯が出来上がっている。
 徐々に自分が違うものに変わっていくのを感じて、セレスティはふとこれからどうなるのだろうかと思った。
 この状態から自分を元に戻し、そして、ロスキールから麻薬の効力を抜く方法をヒルデガルドが知っているのではないかとも考えた。
 もし、そうなら彼女に会って治してもらうと思っていたし、ヒルデガルドの元に帰して関係を始められればとも思っていたのだ。
 そして、ロスキールはそのまま話し続ける。
「ある程度の記憶操作も出来るようになるよ。人によっては人間の何倍もの怪力を持つようになる者もいるけど、君はそう言う性質ではないから無理かもね」
「あ……あの」
「あの鎖。切ったのは君だね?」
「はい。……でも」
「知ってるよ。君の体は元々弱くできてるみたいだから、それ以上の力は出せない。そのかわりに別の能力が出てきたんだろうと思う。君に相応しいものが」
「私に相応しい? あれは……」
「どうだったんだい?」
「運命を曲げようと……でもそれはできませんでした。ふと、物――そう、物質がどうなっているか『理解』できて」
「ふうん。そう言う風に出たんだ。物の本質を知る力から……なのかな? 君らしいね」
「そうですか?」
「僕はそう思う。他に出てくるかもしれないけど、僕が花嫁を娶るのは初めてだからわからないな」
「そうなのですか?」
「あぁ、そうだよ。意外かい?」
「はい。純情ですね」
「君にだけ……だよ」
「照れますね」
「今まで誰にもその気になれなかった。僕が紫祁音に……あの女に会ってから君と出逢ったことをどれだけ神に対して呪ったかわかるかい? あの女に出会わなければ、もっとマシな……もっとマシな結果に……」
「ロスキール……」
 それがあの舞初された麻薬のことなのはわかっていた。
 セレスティは眉を顰める。
「いいんだ……もう。今は君がいる。そう、もっと重要なことを話さなくっちゃね。大事なのは血を吸うことかな」
 想いを振り切るようにロスキールは続ける。
「何処に獲物がいるのかわかるし……たぶん、君なら数キロはなれていてもわかるはずさ。獲物はね、別に満たすだけなら誰でもいいと思うよ、下級の奴隷達なら。でも、君は無理だね。魂の美しいものじゃなきゃ、辛くて倒れてしまうと思うし。人工血液も性に合わないと思う」
「随分と……限られていますね」
 嘆息しつつ、セレスティは苦笑した。
 自分の人に対するちょっとしたこだわりと言うか、好ましいと思う人間のタイプを考えると獲物は非常に限られるのではないかと思えた。
「慣れないうちは僕の血を吸ってもいいよ」
「そ、それは……あなたは怪我をしてますし」
「そう言っていられるのも今のうちさ。さぁ、あとは麻薬の話をしようか。その前にある男の話をしよう」
「ある男の話?」
「そうだよ。人々の記憶にはとても古く、悪魔と呼ばれ恐れられても正しい事実を誰もが忘れ去った男の話さ。紫祁音から聞いた話じゃ、その男はこの世で最初に石油王になった男で、天から愛された男だった。誰をも支配し、破壊の限りを尽くした男でもある。でもね、その破壊欲と真の世界の姿を欺いた罪で地に落ちた。その点では、僕ら不死族よりも罪深い。僕らでさえ忌み嫌う男だね。でも、僕らもその話はほとんど知らなかったよ」
「ヒルデガルド嬢も?」
「さあ? 姉上は知っているかもね。姉上のことだから、嫌って話す気も起きなかったんだと思うけど。その男の死の直前に、呪いを受けて血は毒となった。死と破壊と嫉妬と絶望と……」
「ロスキール……」
「さすがの僕も、そんな男なぞ近くにも置きたくないね。不気味だ。第一、美しくないよ。後に悪魔となったその男の血を使った麻薬を打たれたんだ。独りに耐え切れなくて……君に出逢った。もっと早く出逢いたかった。そうしたら、君が大切にしているすべてのものに対して、もっと素直に好きになれたと思う。それとね、後は……情けなくも、空に焦がれた僕自身の話さ」
 少しおどけて見せ、ロスキールは笑った。
「昔、僕が子供の時に人間の女の子と知り合ったんだ。農村の娘で、病気だった。父上と逸れてさ迷い歩いてた僕は、血が欲しくて彼女の家に忍び込んだよ。農家の娘なのに高潔な子で、血を吸うのにはぴったりだった。ちょっと友達になれそうな感じだと当時の僕は思ったものさ。子供だからね。……健康になりたいだろうって僕は言ったけど、彼女は交渉に乗らなかったんだ。神様が好きだから、人間でいたいって」
「人間でいたい……わかる気がします」
「そうかい? 彼女はね、ずっと家の中で過ごしていたから、これ以上暗いところにはいたくなかったみたいだ。夜に生きるのは重荷だったのさ。彼女から聞いたんだ、太陽と空のことは。それまで月と夜空しかわからなかったし、僕らのテクノロジーで昼を作り出しても、本当には理解できてなかったから、とても憧れたよ。だって、凄くないかい? 輝く大きな光の珠が東から昇って、毎日毎日……ほぼ恒久的に照らすんだ。月よりも烈しい光で、でも、時には暖かく優しい――とても不思議だね。そして、空! 本物の昼の空は透明で爽やかなんだってね。すごーく『生きてる』って気がするって。天気の良い日は誰とも仲良くやれそうだって、友達になれそうな気がするって聞いて、僕は憧れたよ。僕は人間が好きだった」
「見れないものに憧れを……?」
「いいや。どっちかと言えば、Ja(Yes)ともNr(No)とも言えるね。太陽と空を見るために、昼間彷徨い出たのさ。僕は目を太陽に焼かれながら、空を見た」
「目を……」
「姉上には散々怒られたさ。姉上だけが陽の光を浴びても平気だったから、余計に僕は気になってしかたがなかったしね。僕は太陽と空と海を見たかった。ちゃんと目も治ったし。たった一瞬だけ見えたよ。君に……君の瞳にそっくりな色だった」
「そう言われると照れます」
「本当だよ。君は僕の宝物だ」
「私もあなたが大事ですよ」
 セレスティはそう言って微笑む。
 ロスキールの言葉を聞くと、更に紫祁音たちへの苛立ちが増すのだった。

●ホテル 4月19日 〜AM9:30〜 その2
「人工宇宙……うぅん、スケールが大きいわね。一番良く知る場所なのかしら? それとも一番長く居た世界?」
 シュラインは言った。
 ヒルデガルドは少し考え答えた。
「それも考えたが、一番長かったのは生まれ育った城だ。城の方は閉鎖してある。進入は不可だ」
「あら、そう……彼、随分とロマンチストみたいだし。それなら、初めて出合った場所なんて連想もするけれど。それもお城の方でしょうしね。もしくは、邪魔する相手――そう私たちがいるこの世界には居ないかもしれないわね。私達が元いた世界の可能性もあるかしら?」
 そう一案として口にしたものの、シュラインには自信がなかった。
 そうなると色々と考えてしまうもので、「薬切れるまで首飾りや指輪等の宝石等の中で眠りにつけていたのでは?」とか、「もしもそうだったら、セレスティさんが身につけてる事で、ずっと傍に居れてロスキールさん安心出来てたのかしら?」と言う妙な想像もしてしまった。
――これって、かなりの乙女の思考回路かも……
 不意に思ってしまって恥かしくなり、シュラインは耳が赤くなるのを隠そうと両手で頬を包んだ。
「何だ、どうしたんだ?」
 俯き気味なシュラインの様子に、武彦は顔を覗こうとした。
「なっ、何でもないわ! えぇっと……そうそう、行けない人の分も纏めてパッチ当てに行こうと思うんだけどっ」
「は?」
「USBよ」
「ああ……」
「一人で行くの怖いし、武彦さんと零ちゃんに来てもらえたら嬉しいわ」
「俺はかまわないぞ」
「ありがとう……あ、出掛ける前に杞憂かもなんだけど。Simoonで受けた傷。ただの打撲か、一応ヒルデさんに見てもらえると有難いわ」
 シュラインの言葉にヒルデガルドは気遣わしげな表情を浮かべる。
「シュラインと言ったな、そんなに酷いのか?」
「いえいえ、あの店での事だし……って言っても、人間から受けた傷だと思うけど。そうねぇ、例えば何か入ってたりとか、一定の場所で反応や何らかの中継に使われる様なことがもしあれば嫌だなぁと言うか、なんか申し訳ないもの……」
「そうか。では……」
「あ、お願いします」
 くるりとシュラインは背中を向けて後頭部を見せたが、なにやら考えていたヒルデガルドがふと笑みを浮かべ、その長い爪の先で「つんっ♪」とコブを突付いた。
「はうっ! うううぅ〜〜〜〜〜〜〜っ」
――爪の先の、その一点集中がっ! 痛いわ〜〜〜〜
 シュラインは涙を堪えた。 
「おお、血はちゃんと通っているようだ」
「はうう〜〜〜……そ、そお? 痛っ!」
「見る限り呪いもかかっておらぬし、異物も見えぬ。心配は無用だな」
 ちゃんとスキャンしてはいるのだが、シュラインの反応が面白かったらしく、じっとヒルデガルドはその様子を見ていた。
「まぁ、慌てて出て行ったところで大して時間は変わらぬ。朝食を食べていくことを勧めるが」
「そうねぇ……この時間だと下のレストランの朝食も高いだけだし。外でファーストフードかなあ」
「ファーストフード? あぁ、500円やそこらのセットもので原価が200〜300円前後という、餌のような……」
「お、お願いっ。わかってるけど、そうハッキリと言われると虚しく……虚しく……」
 週に2、3回は通ってしまう現代人の悲しき習性と言うか、お財布事情の厳しい自分としては、「あぁ、安いって良いわ♪」と言う気分に浸りたい時もあるのである。
「時々、無性に食べたくなるのよ。フライドポテトとコーラが」
「ほうほう……今日はそう言う気分なのだな」
「あっ、いえ……別に〜」
「そうか。では、食べていくと良い。グレゴール、食事の用意を」
「はい、ヒルデガルド様」
「あら、お名前はグレゴールさんって言うのね」
「グレゴール・デア=フォーゲルヴァイデと申します。以後、お見知りおきを」
「あ、よろしくお願いします」
 定規で測ったように綺麗に背筋を伸ばして礼をする執事に、シュラインは頭を下げた。
 型にはまりきった執事と、もう一方は日本人気質が身に染みた異国婦人。二人のその珍妙な様子に、ヒルデガルドは苦笑した。
「は、はいっ?」
「シュライン……お前は面白いな」
――お、面白がられてる……
 ちょっとびっくりしたシュラインは、頬に両手を当てて考え込む。
「ヒルデガルド様」
「何だ、グレゴール」
「お召し替えはなさらないのでしょうか? 皆様も」
「私はいらぬ。他の者もいらぬだろう。そのように悠長なことをしている場合でもない」
「はい」
 グレゴールは表情一つ変えずに応え、メイドたちを呼んだ。
 まるで機械仕掛けのような表情のメイドたちは音もさせずに入室するや、ワゴンの上の品を並べ始める。
 やって来たメイドを値踏みする田中祐介の様子に苦笑しつつ、ヒルデガルドは黙っていた。
 相変わらずの笑顔を向け、母親の智恵美も黙っている。
 少し遅めの優雅な朝食が始まるのだろうと思った矢先、珍事件は起こった。

●所長求めて三千里?
「これは?」
 無表情にグレゴールが言った。
 セッティングしようとした料理の蓋を持ったままである。
 その声に皆は視線を下げた。

――な……何故に?

 それが皆の心に飛来した最初の言葉だった。
「はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ、はぐはぐはぐ、もぐもぐ…………」
 果物にへばり付き、必死に頬張るその姿。

「八重っ!」
 魔性のチビッ子、露樹八重の珍なる登場にシュラインたちは叫んだ。
「八重ちゃんっ!!!」
「あぐう?? はッ! 草間のおぢちゃとシュラインおねーしゃん♪」
 グレープフルーツに顔を突っ込んでいた八重は、べたべたのままでシュラインの胸に飛び込んでいく。

 ぽいんっ☆

「おねーしゃん♪」
「ほう、知り合いか」
 別に驚くこともせず、ヒルデガルドはしげしげと眺めていた。
「一体どうしてここへ……って言うか、どうやってここに来れたのっ?」
 吃驚したままのシュラインの声を聞いて、八重は小首を傾げた。
「決まってるでぇすよ。上條羽海しゃんに連絡取ったのでぇっす♪」
「で、でも……お金」
「あ、それは時間を売ったのでぇす」
「時間……まあ、時は金なりだし。大丈夫? ここに来るまで危ないこと無かった?」
「はっ! 聞いてくださいなのでぇす……聞くも涙、語るも涙。とっても怖かったんでぇすよ」
 それを聞くや、シュラインは八重が白い子に襲われたのではないかと心配した。……が、どうやらそうではないらしい。
「お船に乗って来たところまでは楽しかったんでぇすよ。着いた途端にきょーあくな犬に追いかけられたのでーす。シュラインおねえしゃんはこっちの事務所に居ないでぇすし。お腹は空くし。いい匂いがする方向に飛んできたら、このホテルにたどり着いたのでぇす♪」
 八重は得意満面の笑顔で言った。
「キッチンから美味しそうな匂いがしたでぇすから、ごしょーばんに預かったのでぇす」
「そ、それでこの中に混入したと」
「フルーツはとっても美味しかったでぇす♪」
「それはそれは。八重と言ったな、腹が空いているのなら一緒に朝食にしないか?」
 興味深げに見ていたヒルデガルドが八重に声をかける。
「本当でぇすか!? わーい、おねえしゃんありがとーなのでぇす。はて……ご飯に誘ってもらったでぇすけど、見たことないような〜。それにお名前も知らないのでぇす」
「あぁ、初めて会ったのだったな。名乗るのが遅くなってすまない。私の名前はヒルデガルド・ゼメルヴァイス。ヒルダと呼んでくれてかまわない」
「あたしは露樹八重なのでぇす♪ ヒルダおねーしゃん、朝ご飯のメニューは何でぇすか?」
 相手が吸血鬼だとか、族長だとか、詳しいことを知らない八重は無防備にもヒルデガルドの差し出すさくらんぼに齧り付いていた。
「グレゴール、メニューは何だ?」
「ヒルデガルド様のご気分が優れないと聞きましたので、軽めにしておりますが……優れた乳製品の産地として知られるフランス中西部・エシレ村で生産される搾りたての生乳だけを使用した発酵バターのクロワッサン、いちごとフランボワーズのコンフィチュール、季節野菜のヨーグルトサラダ、カフェ・オ・レでございます」
「がぁあああん! それじゃ、すぐにお腹が空いちゃうのでぇす……」
「……だ、そうだ」
「かしこまりました。何か他にもお持ちしましょう。何がよろしいですかな?」
「あたしはふわふっわのハムオムレツが欲しいのでぇす」
「では、それに生トマトのソールとサワークリームもご用意させていただきます」
「はわわ〜〜っ、美味しそうなのでぇす☆」
 八重は手を叩いて喜んだ。
 テーブルの上に作られた簡易椅子に座ると、わくわくしながら朝食を待つ。
 先ほど出て行った魅月姫以外はすべて残り、朝食を食べてから出かけることにした。
 丁度良く話が切れたところで皇騎が神聖都学園での状況と神聖都の隠しシステムの存在を皆に教える。
「隠しシステム……いつの間にそんなものを」
 明日菜は目を瞬いて言う。
 この短期間でよく設置したなと思ったのだ。
 皇騎は苦笑し、明日菜にこちらの自分も同じ思考であろうとの考えを話した。
 神聖都のネットワークに仕込んでいる専用緊急システムがあると確信していたこともだ。
「まあ、自分だもんね。結局は思考回路なんてあんまし変わらないと思うしね〜」
「はい、私もそう思いました。すぐに起動させましたので、今後の情報戦の要にできるかと思います。システムの一部サブシステムを解放しておきましたし、必要な方には利用許可を発行いたしますよ」
「あ、じゃぁ〜私も利用しようかな」
 明日菜が手を上げた。
「えぇ、どうぞ」
「パソコンぐらいの機能だったら使えるのかしら? それだったら、私も使いたいわ」
 話を聞いていたシュラインも手を上げる。
 終始無言で部屋の壁に背を預け、ヒルデガルド達の会話を聞いていた田中祐介もそっと手を上げた。
 祐介の方は食事をする気がないらしく、そのままの体勢だったが、ヒルデガルドが席に誘うと黙って座る。
「私も一応利用させていただきましょうか〜」
 智恵美はのんびりと言った。
「はい、使用できるようにしておきます。何かあったら仰ってください」
 皇騎はいつもの丁寧な話し方でにっこりと笑った。
 そして、皇騎はヒルデガルドの方を向いて話を続ける。
「しかし、先ほど『在り様が変わってしまう』と窺いましたが、どのように変わってしまうものなのでしょうか? それに、そこまでして何が欲しかったのか、まったくわかりません」
「考えるに、ロスキールが事を起こしたのは自らの願いからではなかったのだろう。あれが私に歯向かう理由は全くなかった。ペラギウス・ルテリオスに対しても執着する理由は全くなかったし、ましてや、ペラギウスはロスキールの慰め役程度の男だった。玩具みたいなものだ」
「どういうことでしょうか」
「ペラギウスが先に麻薬を打たれたのではなく、ロスキールの方が先に打たれたのだろう。かつて盗まれた小瓶の中身は魔王の血。精製に手を貸したのはロスキールではなく、紫祁音と言う女とディサローノとかいう小僧の仲間のはずだ。さぞ、屈辱だったことだろうな」
「なるほど。では、その血はどのような効果をもたらすのでしょう?」
「我々は闇に生き、血を吸う鬼ゆえにお前達人間に忌み嫌われる。しかし、魔王についてはどうだ?」
「たぶん、それ以上……」
「そう言うことだ。我々でさえ厭う者の血にある呪いのみを抽出して精製したものなど誰が使いたいと思うか? 打たれた瞬間から我等一族のものではない、全く違うものへと変化することを強制させられたのだとしたら、その孤独は如何ばかりのものだろうのう」
「うみゅ〜、何がなんだかわからないでぇすけど。孤独って、それってとっても嫌ぁ〜な感じなのでぇす」
 クロワッサンに頭を突っ込んでいた八重は顔を上げ、眉を顰めて答えた。
「そうだな。だから、セレスティに執着したのだろううし」
「でも、それってセレスティさん困ってしまわないかしら?」
「困っているかは本人に聞かねばわからぬ。しかし、セレスティもロスキールのことは可愛がっていたようだしな。どうであろうのう、モーリス?」
 思わせぶりな口調でヒルデガルドはモーリス・ラジアルを見遣る。
 紅茶を飲んでいたモーリスは何ごとも無いような顔をして言った。
「セレスティ様が可愛がっているのは私も分かっています。目の届く範囲での関係なり、遊ぶなりをするのは良いと思っているのですが。連れ出されるのは、流石に……」
 『お仕置きが必要』と言いたいモーリスだったが、彼の姉上の手前、言うのはやめた。
 言うのはやめたが、お仕置きをやめる訳ではない。
 その証拠に、彼は不気味なほど愛想の良い笑顔でいた。
「私も同じ意見だ。これだけの不始末に対して咎めないというのは、些か、お前達人間に対してどうかと思いもする。しかし、我々の命は長いゆえ、長命な者との関わりをこれからも結び続けるのは可能だ。それについては反対はせん」
「お優しいことで」
「そうでもないぞ」
「では、セレスティ様への想いを餌に味方になれと弟君にいうのですかね」
「身も蓋も無いな。もっと、心有る言い方はできぬのか」
「できませんね。私はセレスティ様を取り返したいのです」
「そうであろうな……それについてはお前も腹が立っていることであろう。ロスキールのことは、殺す以外なら『好きにして良い』ぞ」
「おやおや……」
「お前のことは噂で聞いておる。私の身にかかる火の粉でもなし、報われて当然の怒りなら、清々するまで好きにするが良いさ」
「酷い方ですね」
「さあな……」
 二人の不穏な話し合いに終結しようとしていた刹那、にこにこといつのものように微笑んでいた智恵美が話を打ち切るようにヒルデガルドに話し掛ける。
「そうそう、ヒルデガルドさん。千里ちゃんのことだけど。この子は治るのかしら? さっきからずっと檻の中で怯えてるけれど」
「あぁ、智恵美。これなら治るだろう。しかし、少々痛い思いをしてもらわねばならぬ」
「あらあら、痛いんですか?」
「血を入れ替えてから、変化した細胞すべて治療する必要があるな」
「まあまあ、千里ちゃん大変ね〜。あなた達の技術レベルだからできるんでしょうけど……。あ、そういえば……」
「何だ、智恵美」
「吸血鬼の子供の出来方ってどうなのかしら〜〜?」
「は?」

「ごぶぅぅ〜〜〜〜〜〜ッ!」

 いきなり盛大に紅茶を噴いた祐介の方に、皆の視線が集中する。
「なに?」
「あ、いや。別に」
「智恵美、何故そのようなことを訊くのだ?」
「だって、治療するって言っても人間と構造が違ったらできないでしょう? それなら、基本的なところが同じだったらできるんじゃないかと思って〜」
「それはそうだな」
「あと、ヒルデガルドさんの力の流れがこちらに来た時と少しちがっていましたので、気になって……」
「ほうほう。さすがは智恵美だな」
「あらあら、やっぱり♪」
 話があらぬ方向へと進んでいくにつれ、話を把握できていなかったシュラインはじーっと二人を見遣る。
「な、何のこと??」
「話の流れの通りだ」
「あ、え……」
「子ができたと言っているのだよ」
「えぇええっ! ヒルデガルドさんってば。まさか……いつの間に」
「つい、この間だな」
「早っ! そんな、本当に?? ……うわぁ、びっくり〜。って言うか、そんなに早く兆候が出るものだったかしら」
「私たち人間は一ヵ月後ぐらいからですね〜。着床は1週間ですけど」
「すぐわかっちゃうところは、やっぱり私たちと違うのかしら」
「どうやらそうみたいですねえ」
「なるほど〜」
 智恵美はにこやかに微笑んで、「子供が生まれた時には真っ先に見せて下さいね」と誰かさんの方を横目で見つつ、ヒルデガルドに約束を取ろうとした。
 さすが、義母。お見通しというところである。
 皆の視線が一点に集中する。
「まさか……相手は」
 某人物の視線がふと彷徨う。
「まあまあまあ〜〜〜、お祝い事は善いことよ。さて、これから忙しくなるわね〜〜。その前に事件を解決しなくっちゃね」
「ま、それが妥当ね」
 明日菜は暫し考えるような素振りをして、何ごとも無かったように言った。
「さて、疑問なのですが……Simoonで麻薬の投与をしている者が白い子で、それ以外は黒い子なのでしょうか」
 モーリスはずっと考えていた疑問を言った。
「それはわからないですよね〜」
「それでは黒い子が吸血鬼だということになってしまいます。沖田君はどう見ても普通の人間でしたし」
 皇騎は思い出しつつ、反論する。
 状況的に考えて、雛川も白い子と思しき人物から攻撃を受けているために黒い子ではないかと考えたのだ。
「沖田君? では、その子は黒い子だと……」
「たぶんですが、そうだと思います。今は彼らとコンタクトを取っていますが、情報が少なくて。これからも調査を続けます」
「それが一番ですね。私はブラックウッド教授が居場所特定をする方法をご存じのようですし、セレスティ様とロスキールの居場所特定をお願いしたいと思いますが。そこの君、案内してもらえると嬉しいね」
 モーリスは端の方で大人しくしていた桜伎まおと言う名の少年に声をかけた。
 まおはこくりと頷いてみせる。
「結構、危険ですけど? 移動手段は何かありますか」
 少年は「できるの?」とでも言ったような不敵な笑みで言葉だけは丁寧に言う。
「君は魔法使いだから、当然魔法を使うんだろうね」
「えぇ、魔法でもなんでも。大丈夫、ちゃんと送り届けます」
「ありがとう」
 モーリスはにっこりと笑って返す。
 檻の中で一部始終を聞いていた千里は、怪しくなってきた雲行きに焦っていた。
 ひとまず、捕まった状況でご主人様であるロスキールに何とか状況を伝えようと必死に考えた。
 テレパシーで連絡が取れるのだが、そこに考えが回らないせいか、まるで呪文のようにブツブツと檻の中で呟いている。

――ちさとは わるいこ。 ごしゅじんさま キケン。 ちさと つかまった。ちさと わるいこ。 ごしゅじんさま たすけて……

 千里はお仕置きにと、自分の頭を檻にゴチゴチとぶつけて自分にお仕置きしていた。
 その様子を皆は黙って見ていたが、何となく自分でお仕置きしているように感じて、彼女が何をやっているか理解した。
 そして、その奇行の所為か、唐突に彼女のテレパスがロスキールに届いたことに気が付くことは無かった。ちょっと混乱し、挙動不審になっている千里の行動が別に怪しいものと気付かなかったのである。

――ごーしゅじんさ〜〜〜〜ま。 ちさと つかまったあ。

――『誰?』

――ちーさぁああ〜と あたし ちさと

――『あぁ、君か』

――ごほぉおび もらえない ちさと わるいこ。 おしおき される。コワイヒトいるぅぅぅの。こわ こわ こわぁあああい こわぁあああい こわぁあああい コワイヒトぉおおおお コワイヒトぉおおおお コワイヒトぉおおおお コワイヒトぉおおおお コワイヒトぉおおおお……

――『わかった、わかったから! 落ち着くんだ』

――う〜〜〜……

――『コワイヒトって、誰?』

――おんな おんな おんなぁあ。 おうさま おんなのおうさま。 ころされるう〜〜〜〜!!

――女の王様……姉上か。無理だよ。僕には無理だ。

――おし おし おしおぉ〜〜〜き される?

――『はぁ……君にお仕置きしてもお仕置きにならないからなぁ』

――じゃぁ じぶんで おしおき する……

――『や、やらなくていい……』

――ちさと ごしゅじんさまのところ いきたい

――『え?』

――いく。 いくーーーーーーの。 いく! いく!

――『わかったよ……じゃぁ、一週間後のあの船に乗るんだ。君がその世界に来た時の船に。その日までどこかで隠れているんだね。あ、そうそう。血を吸いに出歩けば見つかる。隠れているんだ』

――あいっ♪ かくれたーら ごほうび♪

――『せいぜい良い子にしていることだね』

――ちさーとー いいこぉ♪

 こちらの話が纏まった頃、丁度良く武彦達の今後の行動も纏まった。
「じゃあ、これからパッチ当てに行ってくるわ」
「道中気をつけて」
「はい」
「では、私はブラックウッド教授のところに行って来ます」
「私もついていこう」
 ヒルデガルドが言った。
 千里はチャンスとばかりにこっそりと笑む。
 先程から妙に機嫌の良い千里が気になっていた祐介は、彼女の入っている檻に近づき、頬を触った。
「?」
 何をされたかわからない千里は、祐介を見上げる。
 祐介は何も言わないまま、出て行こうとしたヒルデガルドに後に続いて出て行った。
 噛まれる恐れがあったのに、祐介はぞれを気にしてはいなかった。妹同然の千里を心配している気持ちを行動に表したのである。
 そして、そこに智恵美と八重、千里が残された。

●千里……逃走
 全員を見送った後、智恵美は千里の治療と監視に回った。
 千里の能力が発動すると止めようがないのだが、千里は意外に大人しくちっとも動かない。
 それどころか返事もしなかった。
「あらあらあら〜〜〜〜、早めに能力の回数使い切らせようかと思ったのに」
 智恵美はしかたなく、常に千里を探せるように探知魔法をかけた。
「さて、資料を探しましょうか……そうそう、向こう側の教皇庁から資料をいただかないと〜〜〜」
 資料不足を解消する為、智恵美は連絡をしようと部屋を出て行った。

――ちゃぁ〜〜〜んっす♪ ごほーび ごほーび♪ なにが でるかな くすすっ♪

 誰もいないタイミングを見計らっていた千里は立ち上がり、縮小化光線発光装置を自分の持つ不思議な能力で作った。
 自分にそれを浴びせ、肉眼で把握不可なサイズにまで縮小すると部屋を出て行こうとしたが、通常の人間に把握不可でも八重のサイズではそうではない。
 八重の身長を通常の人間サイズとすると、今の千里のサイズは台所に居る茶色い悪魔のサイズである。
「あーーーー! 千里しゃん、逃げる気なのでぇす!」
「む……じゃまものーー」 
「行かさないでぇす! えいっ、えいっ!」
「きゃー きゃー つぶさーれーるーーーー」
「うーん、いつもと立場が逆なのでぇす」
 千里は潰されまいとして発光装置の光をもう一度浴び、八重のサイズになるとピコピコハンマーを創り上げて攻撃開始した。

 ぽくぽくぽくっ☆

「なあにするでぇすか! 痛いでぇす!」
「えいえいっ!」
「とりゃあ!」
 八重は千里からピコピコハンマーを取り上げると仕返しとばかりに攻撃開始。
 千里は応戦すべく、もう一度ハンマーを創り上げて攻撃した。

 ぽくぽくぽく☆
 ぼっこぼっこ!

「負けないのでぇす!」
「ごほうびー!」

 ぽこぽこ、ぼっくぼっく☆
 ぶわしっ!

「シュラインおねえしゃーーん! たすけてー、怖いでぇす!」
「ごしゅじんさまー! いま いくのー!」

 ぽこぽこ、ぼっくぼっく☆
 ぶわしっ! ぼこん!
 ぽこぽこ、ぼっくぼっく☆
 ぶわしっ!
 ぽこぽこ、ぼっくぼっく……

 二人の低次元な戦いはいつまでも続くのように見えた。
 ……が。
「なかなかやるでぇす……ね。 あれ?」
「あたぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっく!!!!!」
「ふみゅっ! ……きゅぅ〜〜〜〜〜〜(ぱたり)」
 健闘を称えあおうと八重が声をかけた瞬間の隙を突き、千里は強烈なアタックをかけた。
 もんどりうって転がった八重はティーポットに激突する。
 智恵美が帰ってくる前のチャンスとばかりに、気絶した八重をティーコゼーの中に隠し、さっさとホテルを後にした。
 そして、その後。折り返し直ぐホテルへ戻ってきたシュラインによって八重は発見された。

●血潮に踊る黒き乙女神(アリス)と気狂い帽子屋たちの円舞曲
 散策中に魅月姫は祥子がどうしているかと思った。
 このところ、彼女からの連絡が無い。
 一日たりとも離れたくないと言った様子だったのに珍しいことだ。魅月姫は彼女に渡したピアスの所在を広域に捜査しはじめる。
 何かあると思った。
 あるとしても、今の状態だとSimoonしか思いつかない。そして、その勘は当たった。正面から向かうのに怖いとは思えなかった。今が昼前だからというのではない。魅月姫にとって朝も昼も関係が無いのだ。
 閉じられた向こう側に彼女を感じて、魅月姫は笑った。
 何が起こるかは――わかる。
 想像力のかけらなぞ必要ない。
 きっと馬鹿騒ぎ。
 呆れかえるほどに明け透けな欲望と無知と、血腥い願いの人間が居ることだろう。
 それに乗るほどの酔狂さは魅月姫はない。
 ただ牙を剥く無法者や、親しくなった者に危害を与える者ような無謀な者には容赦がないだけなのだ。
 声がドアの向こうから聞こえてくる。

――この悪趣味な饗宴の言い訳を首謀者に問いたいですわね……

 魅月姫は散り逝く愚か者を想い、いつもと変わらぬ美しい顔に妖麗な微笑を浮かべてドアを見つめた。

** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** ** **


 ステージは最高潮を迎えようとしていた。
 祥子はVIP席で一人至福の時間を過ごしている。
 陶然とした表情からは何を考えているか見て取ることができる。
 それはあのフライヤーだ。
 フライヤーに書かれていたあの少女の名があれば、祥子はいつだって無敵だ。
 陰鬱だった世界に光が灯る。
 それは自分だけのスポットライト!!
 世界は自分に跪くだろう。
 もう地味だなんて言わせない。
 十人並みなんて希望のない言葉は要らない。

――あぁ、これから自由よ!!

 祥子は哄笑った。
 これから来る悲劇と喜劇とのカリカチュアに塗り込められる事にも気が付かないまま。

 隣に座っていた青い髪の女が振り返る。
 ゴシック調に統一した装飾をボンテージ風に改造した派手な衣装。
 マリーだ。
 魅月姫と出会い、白い子たちの姉御とも目される死神マリーとも出会うことができた。
 今日この日は自分にとって、最高の日となるのだ。そう祥子は確信し、羨ましげにこちらを見るギャラリーたちに意地の悪い笑みを返した。

―― 一番って……良い気分ね

「ねぇ、あの人はどこかしら?」
「誰?」
「魅月姫」

――言っちゃった♪

 白い子を、さも知り合いのように軽く呼んだ誇らしさ!
 胸の奥が高鳴る。
「遅いわ」
「そうだねェ」
「あら、私はお客様でしょぉ? 魅月姫、今日はスタッフじゃない」
「まあね」
「待つって、タイクツ」
「はン、あたしらはアンタを待ったんだよ?」
「迎え入れるに相応しいからでしょ」
 当然と言いたげに祥子は言った。
 視線の端に見知った顔を発見しているのだが、無視するのにも億劫で、早く魅月姫に会いたい。
 それは永い生への憧れから来る焦りでもあり、親友を発見してしまっている焦りでもあった。
 彼女も選ばれてしまったら、自分の優越感はどこへ行くのだろう。
 絶対、嫌だった。
――あたしなの! あたしなのよ! 真紀子じゃないの
 でも、遠くから聞こえてくる呼び声。
 「祥子ォ、どーしてそこにいるの? そっち、行ってイイ?」と。
――嫌!
 祥子の表情が違うものに変わっていることに、真紀子は気がついている。
 でも、心底親友だと思っているから祥子を呼んでいた。
 どこかもう祥子じゃないことに気が付いていても、真紀子は信じようとせずに呼ぶ。それが祥子には苦痛でしかない。
「トモダチ、呼んでるよォ」
 マリーは意地悪げに言う。
「思ってるだけよ、向こうが」
「あ、そ。じゃあ、いいかねェ」
「え?」
「貰っちまうよ?」
「な、何よ」
「ヘーーーーイ! ご主人様(マスター)、契約完了ォ♪」
「なっ……え?」
 向こうで叫んでいた少女(真紀子)が頭部を忘れた人形のように立ち尽くす。
 目の前に紅い液体が広がり、バランスを失った人体は前に倒れていった。
 周囲は歓声を上げた。
 慶びの声が上がる。

 オメデトウ、人類!

 狂宴の騒音にすべてがかき消され、自分の声も聞こえなかった。
「あ、あ、あぁっ! いやあああああッ!」
 そう叫んだはずだった。
「うあ、うあああっ! あああああああッ!」
 祥子は懸命に真紀子を捕まえようとした。
 傾ぐ真紀子の体を受け止めようと、空中を手が彷徨う。
 声が聞こえたのは、もう一つの見知った影を認識した時だった。
 周囲は現れた美しき黒衣の乙女神(アリス)に釘付けになっている。
 彼女の足元にはいくつもの、紅。
 闇に縫い付けられた人体から流れ出る紅に、足元を彩られた少女は穢れなど知らぬ清らかさ。
「み……魅月姫」
「私、そう呼ぶことを許しましたかしら?」
「あ……」
「まあ、良いですわ」
「ご対面中に悪いケド、指名があるんでね」
 マリーが言う。
「え? ……あ、がぁ……」
 祥子がマリーの声に反応した時、声がひずんだ。
 シューシューと音がする。
 指名って、何?と訊いたはずの声が、シューと言う音に変わって消えていく。世界が斜めに横滑りして、灼熱が自分の喉を焼いた瞬間に闇が訪れた。

――指名ってなに、魅月姫ぃ……

 訊かれなかった問いも、また、闇に消えた。
 泥人形のように崩れ落ちた祥子の姿を見たあと、魅月姫はマリーの方へ振り向く。
「私のものに……手を出しましたね?」
 魅月姫は排除すべきものとして、マリーを見ている。 
「ふふふ……まさに本物。その高貴さ――やっぱり、偽りの貴族(ノーブル)とは違うね」
「比べられても困りますわ。私、そんな『モノ』とは根底から違いますもの」
「そうだろうねェ。でも、目的は達成されてるから万事OKなワケさね」
「目的? 私ですか」
「そォ、オメデトウ」
 マリーは手に持ったワイングラスを掲げる。
「え?」
「「「「「「「「「「「オメデトウ、人類! 高貴なる種族を生贄に!」」」」」」」」」」」
 参加者達が叫んだ。
 声は渦となってSimoonを満たす。
 突然、店の中の照明がすべて消えた。
「あたしたちは別に死んでも問題ないね。束の間の栄光は……興味無いんだヨ」
「私を生贄とは……よく言ったものですわ」
「もう、閉じ込めちまったし」
「あら……どうやったのでしょう?」
 暗がりとて彼女にとっては昼間のようなもの。
 声はいつもと変わらない。
「今、闇ン中さ」
「その通りですわね」
「だぁーから、もう……檻ン中だってゆーのさ」
 そう言ったマリーはゲラゲラと笑い始めた。
 汚らしく耳を汚す哄笑に魅月姫は眉を顰める。
 魅月姫は『闇の御劔』を振るうことに対して何のためらいを感じなかった。
「では、外に出るだけです」
「お好きなように……お嬢ちゃん。あとで馬鹿だったなんて言うんじゃないよ」
 ひとしきり笑うと、マリーは闇に消える。
 その刹那、彼女の下僕と化した参加者達が魅月姫へと群がっていった。

●ミラーリング
「うまくいけばいいけどねえ…」
 明日菜はUSBメモリーの解析と街の調査を続けていた。
 ともかく、今はメモリー解析するしかなく、もう一人の自分との待ち合わせ場所に向かっていた。
 いつもと変わらない店に入ると、明日菜はホッと息を吐いた。
 なんとなく安堵の溜息を吐いた自分に苦笑してしまう。
 店全体が見渡せる奥まったいつもの場所に座り、相手が来るのを待った。
 明日菜は普段より厚着をし、その下に防弾チョッキを付けている。
 出会い頭にドン!はご勘弁願いたいところであるが、安全は確保しておくべきだろう。
 明日菜は相手が来なかった時も考えて買い込んだパソコン関連の雑誌と用語集を開いて読み始めた。
 無論、会えなければ自力で解析するつもりだった。
 店員が注文を聞きにやってきて明日菜はコーヒーを注文する。
 しばらくすると、新しい客が入ってきた。
――あ、あれ……私なのっ!?
 身長も体型も変わらないが、とにかく自分と全く違う様相だ。
 顔はもちろん変わらない。しかし、自分というには何かが違う。
 自分より長い金髪を一つに縛り、激安の店で買ったであろうメガネの奥からは誰かを捜しているような視線が窺えた。
 着ているタンクトップはセンスの無い辛子色。たぶん、ショッピングモールで一枚300円ぐらいで買ったセール品なのであろう。
――ろ、ロサンゼルスにいる外人オタクか、あんたはーーーー!!
 まさしく、その手のお姉さんっぽい恰好に、明日菜は眩暈を覚えた。
 PC雑誌を広げている明日菜を発見したもう一人の明日菜は、ニコニコと能天気な笑みを浮かべて歩いて来る。
「こんにちは〜……あ? あわわわわ〜〜〜〜〜〜」
「こ、こんにち……は」
――タイミング違っ!
 妙にトロい反応をする相手に明日菜は苦笑した。
 相手が来たら自己紹介をして相手がどの様な装備をしているか確認しようと思っていたのだが、確認する必要など無かった。
「あ、あの〜」
「はい?」
「もしや、あなたは生き別れの……」
「姉じゃないわよ」
「あ、やっぱり。BBSでの書き込みとか似てるしな〜、親戚とかぁ〜」
「ちーがーうわよ〜〜〜」
「ちぇっ……」
「えーっと、草間興信所って知ってる?」
 この名を言えば、不可思議な事象に足を突っ込んでいるかどうか、その手の話をしても良いかわかる。
 そういった訳で名を上げたが、こっちの明日菜も知っていると頷いた。
「それなら話が早いわ。私ね、あなたよ」
「だよね〜」
「うっ……なんか、タイミングが変」
 かなり天然度か高いこちら側の自分に溜息を吐いた。
「隠してもしょうがないし、隠す必要もないから言うけど。こことは違う世界から私は来たの」「パラレルってやつ?」
「そうよ。ちょっと、協力して欲しいのよ」
「ふうん、パラレル世界から来るって珍しいなあ。うん、いいよ〜」
「あ、ありがと。……で、これなんだけど」
「USBメモリーがどーかしたの?」
「もう何がなんだかわかんないのよ。スペルブレイカーを走らせても読み取れないし。『サーバーメンテナンスまでに毎回書き換えろ』なんて指示されても、何のためにするんだかわからないし」
「書き換え?」
「そう! 何を書き換えるのよ〜……わからないわ」
「ふうん……それってさぁ、世界の変化の書き換えじゃないの? 情報変わったから書き換えるって言うか」
「何のために?」
「うーん……あなたが私ってことは、私はあなたなわけで。でもちょっと違う。って言うことは、あんまり差異が違っていかないように書き換えてるんじゃないのかなあ。つまり、その中にあなたがいるわけよ。そして、私も存在する。世界に繋がるためのモノだし〜、データバンクみたいなものでェ〜……データぁ? うーん……データ、データぁ〜」
「どうしたの?」
 不意に様子の変わった相手に明日菜は注目した。
 愛想の良い笑みを浮かべていたもう一人の明日菜が、狂ったようにケタケタと笑い始める。
「あーはははっ! データ……そうそう、あなたも――書き換えなくっちゃね」
「げェ!」
 壊れ始めたカラクリ人形のように、こちらの明日菜が顔を上げた。
 瞳に宿る不気味な色は、どこか人間のようには見えない。
「スペルブレイカー、便利よね。……うん」
「何する気っ!」
「書き換えしましょー、解析しましょー」
「し、白い子なの?」
 それが世界の綻びなのだとは気が付かなかった。明日菜は相手を白い子だと思ってテーブルを蹴り上げた。
 相手が怯んだ瞬間に非常口へと走っていく。
 少々、体力不足であるらしいこちら側の明日菜は、テーブルに潰されて倒れこんでいた。

●闇に問う
 皇騎は沖田待ち合わせしていた。
 先程、電話で雛川も来ると言っていた声は弾んでいて、聞いている自分も嬉しくなってくる。
 皇騎は自分が非常勤ではあったが、教員になって本当に良かったと思っていた。
 この前と同じ店で待っていれば、それほど待たずして二人はやってくる。その姿はとても楽しそうで、二人が仲良しになったことが感じられた。
 きっと二人は協力し合って、これからも元気にやっていくに違いない。
「沖田君、雛川さん、こっちですよ」
 皇騎は手を振って言った。
「「せんせーッ!」」
 二人は半ばかけっこのように笑い合いながら走ってくる。
「こんにちは。今日の学校はどうでしたか?」
「相変わらずさ。皆は巻き込まれないようにしてるよ」
「しかたない、怖いんですね……」
「だと思うよ。もう慣れたし……どうでもいいや」
 沖田はあっけらかんとして言った。
 先生に会えたからどうでも良いと付け足した。嬉しい限りである。
「雛川さんはどうですか?」
「わ、私ですか? 沖田君が……あ、あの……話せる相手が居るだけ、楽です」
「そうですか、それは良かった。危険ですから離れないようにしてくださいね」
 皇騎は情報交換の際に耳にした『死神マリー』を思い出し、何か知らないかと二人に尋ねた。
「し、知ってる。先生、あんまり良い噂を聞かないって言うか。怖いって……思ってるよ」
「私もです……」
「何で怖いんですか?」
「だって、白い子の選定人とか言われてるし。皆は恰好良いって言うけど、そんなことないよ。近寄り難いって言うよりは、怖くて近付けない感じ。迂闊に近寄ったら、バクッ!って一飲みにされそうな気がしてくる」
 沖田の口からそれを聞くと、前に護符を渡していても危険ではないのだろうかとの思いが飛来する。念の為に皇騎は自分付きの式神『御隠居』と『和尚』に二人を護衛するように命じようと思った。
 二人と別れてから、皇騎は危険を承知で、あの例の転校生――久野に揺さ振りを仕掛けようと彼女を呼び出した。
 今は夕方、怪しまれることもないだろう。
 そう思い、皇騎は商店街の裏にある彼女の家の近くに向かった。遠くから香ばしい匂いがしてくる。さっき、前を通った精肉店のコロッケの匂いだろうと皇騎はぼんやり思う。
 彼女がやってくると、皇騎は偶然を装って話を始めた。
「やあ、久野さん。近くに来たので声をかけたんですけれど、転校してきてからどうですか?」
「まあまあよ」
 向こう側の久野とそっくりな彼女は、同じ姿でまったくの別人のようであった。外見は同じ、行動も似ている。しかし、決定的に違うところがあった。
 それは目だ。
 大人しく控えめで目立たない久野まさみは、地味な造りの顔はそのままに、化粧や言動が派手な少女に変わっていた。
 怯えた子リスのように始終辺りを気にする仕草をしないところが印象的だった。
 しかし、堂々としているというには尊大な仕草と視線がかなり印象の悪いものにしている。
「いじめられたりとかしていませんか?」
「いいえ、まったく。そんな奴いるの? そういうのって無謀よね」
「そうですか。あなたが元気なら良いのですけれど」
「お気遣いご無用よ」
「そう……最近、いじめが多いと聞きましたけれどね。あなたはどう思いますか?」
「弱い奴が悪いんじゃないの? いじめないで下さいって見上げる視線が……嫌い。マジ、ムカつく」
「弱い人は弱いなりに、理由や事情があると思うのですが。あぁ、そう……久野さん。『白い子供』って、どう思いますか? 学校とかによくある七不思議とか、そう言うものだと思ってましたが……」
 当り障りのない言い方をしていた皇騎の言葉を聞いて、久野という少女は冷たく不気味な笑みを浮かべる。
「先生……嘘つくの、下手。あぁ、そうだわ……先生って言うのは相応しくないかも」
「え?」
「だって、この世界の――『宮小路皇騎』じゃないもの」
「ま、まさか!」
「トロいのよ、あなた」
 久野まさみは笑った。
 口元からは鋭い乱杭歯が覗いている。
「あたし達の穢れないネバーランドへようこそ。でもね、ゴミはゴミ箱へ……ポイッ!!!」
 細い腕が皇騎の襟を掴んだと思った瞬間、皇騎の体は宙へと舞った。
 天と地が入れ替わり、体勢を整えようとするが、襟を掴んだままの久野は皇騎の体を玩具のように振り回す。
「くぁッ!」
「あら、さすがね。でも、もう終わり」
 久野は皇騎をショーウィンドウに向かって投げ飛ばした。
 人間とは思えない腕力に皇騎は翻弄されたが、辛うじて体勢を整えて逃げた。間一髪のことに緊張は隠せない。
「わーお! 雛川とは違うじゃないの。あいつってば、泣いてばっかりでつまらなかったわ」
「やっぱり、彼女を追い詰めて……」
「可愛い玩具は弄りたくなるの」
「彼女は玩具ではありません」
「それはあたしが決めるのよ」
 夕闇に紛れる久野の声が、不気味な泡のように近くから湧き出る。
 皇騎が下を向くと、道路一面に無数の口が現れた。それのどれにも乱杭歯が見え、皇騎は衝動的に近くの電柱の出っ張りに手をかけた。
 そこからは夢中で登り、塀に手をかけると絶妙なバランスで乗り移る。式神を放ちながら皇騎は久野の方を振り返った。
「お逃げなさいよ、何処までも!」
「久野さん!」
「「「「「「「「「「「「「「「呼ばないで、あたしの名前ぇぇ」」」」」」」」」」」」」」」」
「厄介ですね……」
「「「「「「「「「「「「「「「この世界ではどこの誰でもない、あなたぁああ。さあ逃げて、楽しませてちょうだいィ〜」」」」」」」」」」」」」」」」
 夥しい数のそれは口々に囃し立てる。
 もう振り向くのも危険と、皇騎はどこへともなく夜の街を走り出した。

●学校
 モーリスと祐介は、もう二度とこの乗り物に乗ることは無いと、やや機嫌の悪そうな表情で『それ』を見た。
 空飛ぶ箒。子供が魔法と聞くと必ず描くそれが、相当な乗り心地の悪さだと知ったのは、ついさっきである。
 暴れ馬のような乱暴さと、嵐のようなスピードはどう考えても慣れることは無いと思えるし、慣れたいとも思えない。ブラックウッド教授と少年が居場所特定をする方法を知っているかもしれないと言うのでなければ、絶対乗ってこなかっただろう。
 後から歩いてくるヒルデガルドが涼しい顔でいるのも、少々、癪に障る。子がいるというのに、吸血鬼と言うのは随分と頑丈なものだ。
 ヒルデガルドはモーリスの様子に笑みを浮かべている。そして、またそれが妙に癪に障るのであった。
 祐介の方も余裕とはいかないものの、やや無表情じみた顔で真っ直ぐ前を見ている。今後、このような乗り物に乗る機会が多くなるのではないかと、祐介の場合は特に強く感じてしまうのだった。
 それを増長させるかのような、どことなく楽しげな表情の魔法少年。二人はどう仕返しをしようかと互いに顔を見合わせ薄く笑った。この借りはきっちりと返しておきたい。

 少年の後について行けば、木枯らし舞い散る森の中。そうして見えてきたのは浮島に聳え立つ巨大な城であった。島に渡り、城門を過ぎれば、春爛漫の中庭が見えてくる。その中にジョシュア・ブラックウッドがいた。
「ジョシュア、久しいな」
 ヒルデガルドは旧友に向かって滅多に見せない極上の笑顔を見せる。
「百年は会っていないかの〜」
「我々には歳は関係ない。それも幸せなことだな」
「そうじゃ、そうじゃ……おお、若いの。わしゃ、気が付かなんだ。よく来たのう……どうじゃな、箒の乗り心地は?」
「乗り心地は良いと思えませんが、早いことは確かですね」
 やや不機嫌そうにモーリスは言った。
 祐介は隣で頷いている。
「便利な方が良いじゃろう?」
「それもどうだか……」
 祐介は異議を唱える。
「私は乗り心地を最優先しますよ。はじめまして、ブラックウッド教授。私はモーリス・ラジアルです」
「俺は祐介。田中祐介だ」
「ほう、負けん気の強そうな若者じゃのう」
「私は527歳です」
 祐介は普通に18歳なので、そこは黙っていた。
「そうか! 若いのう〜」
 長生種に向かって若いと言うあたり、彼が何歳なのか判別できかねる。こうなると歳の話をする意味など全く必要ないので、モーリスは単刀直入に話を進めることにした。
「セレスティ様とロスキールの居場所特定をお願いしたいのですが。専門家のようですし」
「わしゃ、専門家ではないぞ。ただの趣味じゃ……異次元観測というのは浪漫じゃからのう」
「そうですか……」
 気のないモーリスの言葉を聞くと、祐介は「浪漫という言葉だけで終わらない結果を出している」ことを切に願った。
「案ずるでないぞ、見つけることはそう難しくないかもしれん。お前さんが捜している人物を見つけてやろう。ところで、ロスキールの方はわかるが……最近、賑やかなようじゃしのぅ。あちこちで噂が絶えん。さて、セレスティとはどなただったかのう〜。聞いたことはあるんじゃが」
「私の主人です」
 モーリスは言った。
「そうか。これまた若いのによく仕える気になったのう」
「セレスティ様は私よりも年上ですが」
「これはまた! そうか、しかし……長生種が長生種に仕えるとはあんまり聞いたことがないしの〜」
「ジョシュア……セレスティは人の世界に行った人魚だ。人間の世界では財閥の総帥だが」
 ヒルデガルドの言葉を聞くや、合点がいった教授はポンと手を打って頷く。
「そうかそうか、思い出したぞ。おぉ……人魚たちの間で聞いたことがあった話じゃ。懐かしい! しかし、弱い体で人間の世界に行くとは難儀な選択じゃ。まともに歩けんじゃろうに。変わり者じゃの」
 なんとも正直なご意見に、モーリスは苦笑する。
「さぞかし、美しかろうのう。ロスキールと共に捜せと言うことは、奴め……攫っていきおったな」
「そういうことになります」
「奴は美しいものが好きじゃからのう。昔、わしの大切にしていた絵画やら、彫刻やら、惑星やら。「教授、これください♪」とか言って、しこたま持っていきおる……」
「惑星ですか……」
「そうじゃ、あの餓鬼ンちょめ。わしものう、奴の笑顔が可愛いもんじゃから甘くなってしまっての」
「「可愛い、ですか……」」
 異口同音に祐介達は呟く。
「まだ子供の吸血鬼だったからのう……あぁ、懐かしい。しかし、吸血鬼じゃから人攫いは仕方ないのじゃないかのう。どうじゃ、ヒルデガルド?」
 話をふられたヒルデガルドは苦笑しつつ答える。
「人を攫わなければ血は吸えん。闇の花嫁にするぐらいの勢いで好きだったようだしな」
「仕方ない奴じゃのぅ……」
 「近所のガキんちょがおやつを盗んで仕方が無いやつだ」ぐらいの雰囲気で話す二人。モーリスはすかさず突っ込みを入れた。
「そこで話を終わらせないで下さい。……と言うか、納得するところじゃありませんよ」
「おう、すまなんだ! それほどまでに美しい人魚なら見たいものじゃ。乳がばいーんとでっかい美女系か?」
 その瞬間、祐介が噴出し、ヒルデガルドの忍び笑いを堪える声が聞こえた。
「何を笑っておる?」
「セレスティは、男だ」
 祐介は笑いを堪え、苦しそうな声で答える。
「男か! あぁ、そういえば。奴はそっちもいけたクチだったのぅ。花嫁が男……奴らしい選択じゃ。是非とも見てみたいの〜〜♪」
「な、なんだ……この爺さんは」
 呆れて祐介はヒルデガルドに言った。
「ご老人はヒマなのだよ」
「そうだろうな……」
 祐介は溜息を吐く。
 だが、当の教授の方はそのまま話を続けた。
「しかしどうじゃな、セレスティとやらは奴のことが嫌いなのか?」
 核心を突く質問に、少し考えてモーリスは答えた。
「嫌いなものを好んで手元に置こうと思う人がいますかね? セレスティ様は可愛がっておられましたが」
「なら問題ないじゃろう」
「大いにあります。仕事が捗りませんし、第一セレスティ様は『私の主人』です。返していただきたいのですよ。まぁ、返した後で遊びに来るなり、関係を続けるなりすれば……」
「ほい来た、許可が出たぞい。ヒルデガルドや」
 モーリスの言葉を聞いて、教授はにこにこと笑って言った。
 ふと目を眇めてモーリスは相手を見る。
「ハメましたね」
「どうだかの〜〜〜〜〜?」
 ピューと口笛吹いて教授はそっぽを向いた。
「それもこれも、セレスティ様を見つけてからの話です」
「そりゃ、そうじゃな。どれ……可愛い弟子の悪戯を叱るのはわしの仕事じゃな。捜してみるかのぅ〜〜」
「まったく……」
 ぶつぶつと言うモーリスは不意に歩き出した教授の後をついて歩き始めた。
 そんな二人の姿を眺めやリ、ヒルデガルドと祐介も後に続く。
 そして、四人が向かった先は教授の自室だった。
 高い天井の部屋はとてつもなく大きく、それぞれに景色と季節が違う窓がはまっていた。どうやら、窓の向こうは本物らしい。
 窓を試しに開けてみた祐介は、てのひらに乗る淡雪の冷たさを感じて知った。
 部屋の中には様々な天体がくるくると回っていた。
 ハッキリとした色の惑星。二重写しの宇宙。アメーバのように伸縮を繰り返す宇宙は輝くゼリーのように見える。
 それらがそれぞれの意思を持って互いに影響しあっていた。
 そして、その中には瞬いては消え、次の瞬間には移動している宇宙もある。
 教授は皆の方をふり返って言った。
「あ〜、見ての通り宇宙じゃ。座標軸通りに顕してある……どうじゃな? 綺麗じゃろう。法則性があろうが無かろうが、この部屋には必ずすべての宇宙のミニチュアが顕現されるようにしてある。……まず、ここ。ここはお前達の世界じゃよ。そして……こっちはヒルデガルドの城じゃ」
 教授は魔法の杖を指揮棒(タクト)のように振った。
 自分たちの世界は金色に、ヒルデガルドの世界は蒼薔薇色に染まる。
「なるほど。行方不明になった時の次元の歪みを見つけて移動することはできますか?」
「簡単に行く方法は、実はある。しかし、危険を伴う」
「どんな方法です?」
「お前たちのミニチュアを行きたい世界に放り込むことじゃ。一瞬じゃぞ。しかし、その代わりに小さくなった分の能力しか出んじゃろう。長生種ならば、人間の子供程度の力しか出せん。だが、異次元移動用のバイクを使えばその恐れは無くなる。行くのに時間がかかるがな」
 その言葉を聞いて、モーリスは溜息を吐いた。
「居場所を特定できたとして、私達がその場所へと移動する時には何者かがやってくる可能性もありますね。ロスキールに麻薬を投与した者達も居場所を把握できていなかったとしても、これだけの時間が経っていれば、何処かで監視することもできるのではと」
「この縮図はわししか創り出せんでな、同じ物を持っているものはおらんのだ。まあ、紫祁音とか言ったかの……あの女は見つけておらんはずじゃ」
 教授はそう言うと杖の先である一つの宇宙を退け、紅く瞬く星雲を皆に見せた。
「これは現在、ロスキールがいる場所じゃ。紅い光が二つ見える。ロスキールとセレスティとかいう者の命の光じゃよ。ほう……吸血鬼化しておるか、厄介じゃ。奴は一旦、太陽系外に飛んだ後、数億年先の宇宙に移動したようじゃな。そこから移動を繰り返してここにたどり着いた。一週間で行けるぞい」
「手間隙かけてますね」
 モーリスが言った。
「本気だったんじゃな……不器用な子じゃ」
 そう言うと教授は笑った。
「セレスティ様たちに接近する者がいれば排除したいのですが。ひいては、セレスティ様の危険を除く事になるので」
「そう言ってくると思ったぞ。方法はある。あ〜、紫祁音とか言う女はこの真っ黒な場所におるゆえ、セレスティの場所へは5日程で到着するだろうのう。今から行ったとしても、間に合わん。もう動き始めている。場所を見つけたんじゃな」
「本当ですか。では……」
 モーリスは部屋から出て行こうと背を向けた。
「そう焦るでない。ミニチュアを創れば行けると言ったじゃろうに……最近の若いのは話を最後まで聞かなくていかん。人間ほどしか動けなくとも魔法は使えるじゃろう。ミニチュアに足止めさせれば良いのではないかな? ミニ用の杖ならば貸してやろう」
 ブラックウッド教授は1cmほどの杖をモーリスたちに見せて笑った。

 ■END■

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号/ PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0086/シュライン・エマ / 26 / 女 / 翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
0165/月見里・千里/女/16歳/女子高校生
0461/宮小路・皇騎 / 男 / 20 / 大学生(財閥御曹司・陰陽師
1009/露樹・八重/ 女 /910歳/時計屋主人兼マスコット
1098/田中・裕介/ 男 /18歳 /高校生兼何でも屋
1883/セレスティ・カーニンガム/男/725歳/ 財閥総帥・占い師・水霊使い
2318/モーリス・ラジアル/男/527歳/ガードナー・医師・調和者
2390/隠岐・智恵美/女/46歳 /教会のシスター
2922/隠岐・明日菜/女/26歳/何でも屋
4682/黒榊・魅月姫/女/999歳/吸血鬼(真祖)深淵の魔女

                   (PC整理番号順 10名)
 *登場NPC*

 草間武彦、三浦鷹彬、獅子堂綾、塔乃院晃羅(黒猫)、桜伎まお
 ヒルデガルド・ゼメルヴァイス、ロスキール・ゼメルヴァイス
 グレゴール・デア=フォーゲルヴァイデ、沖田尚史、中条祥子
 真紀子、久野まさみ、雛川、ジョシュア・ブラックウッド、死神マリー

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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、朧月幻尉です。
 お久しぶりです! 随分と長い間が空いてしまいましたが、皆様はお元気でしたか?
 体調が良くなりましたので復活いたしました。
 これからもよろしくお願いいたします。

>シュライン・エマ様
 こんにちは、お久しぶりです。
 またまたヒルダ姉さんとの掛け合いをしてしましました(笑)
 とても楽しかったです。

>月見里千里様
 下僕ちーちゃんはいかがでしょうか?
 ちょっと天然っぽい喋りが気に入っていただければ幸いです。
 ご褒美おねだりが可愛いです♪

>セレスティ・カーニンガム様
 ごっつりと書いてしまいましたが、書いていて途中で気恥ずかしく……(ポッ)
 嫁とか、嫁とか、嫁とか……(ごんっ!)
 セレ様を嫁にしたら楽しそうですね〜v
 好きとか、君は美しいとか……どうして、うちのNPCはこれほどにアホなんでしょうと(おい;)
 意外とお伊達に乗りやすい奴なので、遊んでやってくださいな♪
 異界での追加能力は文中の通りです。
 体自体は弱いままですのでご注意ください。

>田中裕介様
 パパ、確定でデスか?(デスよ)
 今後が楽しみですv

>隠岐智恵美様
 おめでとうございます、お婆様(と、呼びたひ;)
 ちーちゃんが逃げましたのでよろしくお願いいたします。
 魔法はかかったままです。

>隠岐明日菜様
 異界の明日菜さんは如何でしたでしょうか?
 スタイルの良い明日菜さんを違った風に変えるのは難儀でした〜。
 なので、日本アニメにはまったロサンゼルスのオタクさんぽくしてみました。
 しかしながら、ショッピングセンターのセール品のくだりは、日本の代表的な女の子のオタクルックでございます。
 ちなみに、異界の明日菜さんは体力がございません。

>黒榊・魅月姫
 魅月姫さんらしい戦いが書けて楽しかったです。
 魅月姫さんは本当に品があって恰好良いですね。
 とっても好きですv

>宮小路皇騎
 久野まさみの変化したシーンが気に入っています。
 オカルト系アニメ風の背景とか脳裏に浮かべながら書きました。

>モーリス・ラジアル
 教授との掛け合いが楽しかったです。
 是非とも、セレ様と三人で話しているシーンを書きたいと思いました。

>露樹八重
 いらっしゃいませ、八重ちゃん☆
 もお〜〜〜〜、書いてて楽しかったです。
 ちーちゃんとのピコピコハンマーの戦い……可愛いですv