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短期アルバイト募集〜白猫と魔女
風にはためく、かなり読みにくい字で書かれた張り紙。それを目の前にして樋口・真帆(ひぐち・まほ)は、緊張のあまり手のひらににじんだ汗をかわいらしいミニタオルで拭く。
ついでとばかりに手鏡で顔と髪のチェックをすませ、制服にもしわがないか確かめ、緊張をほぐそうと息を深く吸い込む。
「こんにちは」
元気な挨拶とともに、扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
優しく響く声と柔らかな花の匂いが、真帆を迎える。
以前から、お茶とお菓子の味が気に入って、財布に余裕がある時だけ来ていたTea Room Sanctuary。このお店は、店名の聖域という名前に相応しく、優しい時が過ごせるとして女子高生の間でも人気だった。真帆も例に漏れず、このお店の雰囲気が大好きで、いつしかアルバイトをするなら、こんな所でと思っていた。そんな時、Tea Room Sanctuaryで短期のアルバイトを募集していると聞きつけたのだ。いてもたってもいられなくなった真帆は、学校が終わるとまっすぐ、この店を訪れたのだった。
「あの、外の張り紙を見てきたんですけど」
「ああ……、アルバイトに応募して下さるのですね。あなたが初めての応募の方ですよ」
店長は優しく微笑み、それだけで不安に震える真帆の心をほぐしてしまう。
「それでは、今日からでも大丈夫でしょうか?」
天気の話でもしているような何気なさで、店長はそんなことを聞いてくる。
「え……、でも……」
「何か用事があるのでしたら、明日からでもかまわないのですが……」
「いえ。そういうことじゃないんです。私は、今日からでも大丈夫です」
面接も何もなしでいきなり採用というのは、さすがに想定外の出来事だった。だが、そんなことをしてしまいそうな常人離れした雰囲気が、この店の主にはある。
「そうですか。助かります。……それでは、この中から好きなものを選んで下さいますか……、そういえば、まだお名前を伺っていませんでしたね」
「樋口真帆です。真帆の真は、真実の真で、帆は、船の帆の帆と書きます」
「すてきな名前ですね。私は店長の神漏岐日月(かむろぎ・ひづき)です。樋口様と御呼びしましょうか?」
「え……、そんな、私はアルバイトなんですから、様なんてつけないで下さい」
呼ばれなれない呼び方で呼ばれ、真帆は頬が熱くなる。店の雰囲気にあったどころか、店そのものが形をなしたような美形の店長にそんな風に呼ばれると、恥ずかしさの方が先に立つ。
そして店長が、カウンターの影から差し出したものを目にし、困惑する。
「これは?」
「制服です。服の上からつけられるように、エプロンにしてみたのですが……」
「アルバイトって、女性限定なんですか?」
「いえ。そんなことはないですよ。なぜですか?」
男女の別なく身につけるというエプロンは、ひらひらのフリルが裾と肩ひもの縁につけられ、胸元はレースで飾られている。一目で気に入ったピンクのものを広げてみると、ポケットには百合の花の刺繍がされ、生地より色身の濃いサテンリボンまでが随所にあしらわれている。
身につけてみると、エプロンはたっぷりと後ろまで回って、エプロンドレスしか見えない、というかそのものだろう。
男の子までこれをつけるのかしら?
真帆が聞きたくなったのもしようがないほど、それは非常に乙女チックかつ衝撃的な代物だったのだ。
ふわふわのエプロンをまとい、かわいらしい笑顔で接客するアルバイトのことは、この界隈ではすぐに広まったようだった。冷やかしがてらに覗きにくる、なじみの客たちが間を置かずに訪れ、真帆はそれなりに忙しい思いをしている。
いつも、こんなことを店長さんは一人でやっているのね。
真帆は嘆息する。接客業というのはこんなに大変なのに、それをみじんも感じさせない店長のすごさに、今更ながら尊敬の念を覚える。
「テイクアウトのお客様です。ラッピングをお任せできますか?」
お盆を手にフロアーから厨房に戻ってきた真帆に、店長は微笑みながら問いかける。
「はい」
「お願いしますね」
レジの脇には、小さなテイクアウトコーナーがある。お店に出している生菓子を一回り小さく、値段もリーズナブルにしたプティフールと様々な焼菓子がメインのコーナーだ。
「いらっしゃいませ。ご注文はいかが致しますか?」
目の前には、長い黒髪をたらした小柄な少女と眼鏡をかけた長身の男性が立っている。少女はルビーのような瞳に真帆を映すと、かわいらしく笑う。
「クッキー詰め合わせと、あと、おせんべ詰め合わせを下さい」
この店人気のクッキー詰め合わせはすぐにわかったのだが、謎の言葉を聞き困惑する。せんべいなどというものが、果たしてこの店にあるのだろうか。カウンターの隅から隅まで視線を走らせると、たしかにそれはあった。のりを巻いたものや胡麻入りなど、数種のせんべいが詰め合わされた袋が。
「ご自宅用ですか?」
そう問いかけると、少女はうなずく。
トレーにのせた商品を紙袋に詰め込み、さらに店名が印字されたレジ袋にいれ、少女に手渡す。
「いつもありがとうございます。お会計は、1200円になります」
「はい」
少女が出した金額は、ぴったりだった。よほどこの組み合わせの買い物をしているのだろう。
「アルバイト、がんばって下さいね」
「店長にいじめられたら、俺に言えよ」
少女の傍らの男性が、真帆の頭を子供をあやす時のように軽く叩く。それに少し驚いたが、嫌な感じはしなかった。
「兄さんったら、もう」
店を出て行きながら少女が男性にそんなことを言っているのを聞き、年が離れた兄妹なのかと思う。
だからあんな仕草が自然に出るのかしら……。
「草間様も……ずいぶんと、人聞きの悪いことを言っていきましたね」
厨房から現れた店長が、珍しく不機嫌そうな声を出したのに驚いて、彼を見上げる。
だがその顔には、いつもの笑みが浮かんでいる。それに真帆は胸を撫で下ろした。
にゃーん。
店の裏口から、ゴミを捨てに外に出た真帆は、聞こえてきた猫の鳴き声に辺りを見回す。
にゃーん。
再び聞こえた。そして、足首にあたたかな体がこすりつけられる感触。
「あ……、こんなとこにいたのね」
腰を落とし、足にまとわりつく猫に手を差し伸べる。猫は怖じる気配もなく、その手に頭をこすりつけてくる。
「ずいぶん人懐っこいのね。誰かに飼われてるの?」
真っ白い毛並みに緑の瞳の猫の首には、誰かに飼われている印はない。かわいらしく鳴きながら、猫はしきりに真帆の手に頭をこすりつけ、しまいにはざらざらの舌で手を舐め始める。
「くすぐったいよ……、おなかが空いてるの?」
その言葉に猫は、嬉しそうに喉を鳴らし始める。
「ちょっと待っててね」
その言葉を言いおき、再び現れた真帆の手には、人肌に温められたミルクが注がれた皿が乗っていた。そのミルクは、ミルクティ用の成分無調整特濃牛乳である。こっそり厨房からもらってきてしまったのだ。
後で店長さんに謝ろう。
一声かけようと思ったのだが、ちょうど店長は厨房にいなかった。事後承諾というのは、とても悪いことをしているようで気がとがめる。けれど、おなかを空かした猫を放っておくこともできない。
猫はおいしそうにミルクをなめている。
「お腹いっぱいになった?」
空っぽになった皿がピカピカになるまで舐めていたので、よっぽどおなかが空いていたのだろう。猫は真帆の問いかけに応えるように、高く鳴く。そして──
『ありがとにゃ』
と、空耳でなく確かに聞こえた。
「え?」
「真帆さん……」
びっくりして猫を見つめるていると、店長が真帆と白猫がいる路地を覗き込んだ。
にゃー。
猫は店長を見つめて一声鳴くと、つぎにはもの言いたげに真帆を見つめ、猫科の獣特有のしなやかな動きで路地の奥に駆けていった。
そんなこんなで一週間。そして約束の一週間。とうとうアルバイト最後の日がやって来た。
アルバイト初日、真帆は店長に一週間ほどお願いしますと言われていたのだ。
「……今日まで、大変ありがとうございました」
外に閉店の札をかけてきた真帆に、店長から声がかけられる。
店長の左手の怪我は、ほとんど癒えたようだった。あいかわらず火傷を負ったという右手だけは痛々しいままなのだが、両利きだという店長には片手があれば十分らしい。
現に、はじめのころは、厨房でプレートの飾り付けなども手伝っていたのだが、今日の真帆は、ウエイトレスやラッピングの仕事がメインになっていた。
「こちらこそ。いろいろ教えていただいて、ありがとうございました」
本心からの言葉とともに、真帆も慌てて礼をする。
「今日までのアルバイト代です」
店長から手渡された薄緑の封筒。それを覗くと、真帆の予想より遥かに多い給料が入っている。
「え……、こんなに?」
「お店の常連さんとも仲良くしていただきましたし、ね」
「常連さん、ですか?」
「ええ……」
真帆には思い当たることがない。店に訪れる人間以外のお客様たちにも普通に応対することはできたが、初めてのアルバイトなために仲良くなるというところまではいけなかったのだ。
「あの白猫のことです。彼は、わたくしがアルバイトを雇ったということで、裏口から冷やかしにきたそうなのです。……おいしいミルクをごちそうになったので、よくしてやってくれと頼まれまして……」
「猫にですか?」
「彼は……、化け猫なんですよ。いつもは、人の姿でやってくるんですが……」
店長は楽しげに笑う。
「化け猫? あの猫が!?」
あの言葉は空耳ではなかった。
もの言いたげに真帆を見つめた緑の瞳が、脳裏に蘇る。
「年季の入った化け猫は、尻尾の隠し方が巧くなるので、見た目には普通の猫と変わらないのです」
種明かしを楽しむ店長の笑みにつられ、真帆の顔にも笑みが浮かぶ。
「あの……、一つだけお願いがあるんですけど」
「何でしょうか?」
「今度、私のいれた紅茶を飲んで下さいませんか?」
その言葉に意表をつかれたのか、店長は驚いたように真帆を見つめる。
「いいですよ。お花の話でもしながら、真帆さんの紅茶を飲むのも楽しそうですから」
「……花が好きだって、話しましたか、私?」
「よくお店の花に話しかけていらっしゃいましたので、好きなんだろうと思いまして……、違いましたか?」
本当にいろいろと驚かせられる。
「いえ、大好きです。私も楽しみです」
二人は秘密を共有し合ったもの同志のように、瞳を交わし、声を立てて笑い合った。
─Fin─
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【6457/樋口・真帆(ひぐち・まほ)/女性/17歳/高校生・見習い魔女】
【NPC / 神漏岐 日月】
【公式NPC / 草間・武彦】
【公式NPC / 草間・零】
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■ ライター通信 ■
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樋口真帆様
はじめまして。東京怪談初の受注、誠にありがとうございます。
ライターの縞させらです。
真帆様がかわいらしいキャラクターな上、いろいろすてきなスキルをお持ちだったので、話が膨らみました。アルバイト代として、他にアルバイト専用エプロンと秘伝のレシピをおつけ致します。
楽しんでいただけましたら、幸いです。
また機会がありましたら、宜しくお願い致します。
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