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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


不眠の力

 いつもの夜だった。
 一人二人と客が帰り始める午前二時。蒼月亭の中には数少ない客しか残っていない。
 BGMのジャズは小さく鳴り響き、少し薄暗い照明が目の前のカクテルを照らす。マスターのナイトホークはカウンターの中でグラスを丁寧に拭きながら、たまに灰皿に置いてある煙草をゆっくりと吸う。
「今日は、いい夜だな」
 静かで心地よいひととき…だがナイトホークがそう言った瞬間、辺りに違和感が走った。自分のいる世界と急に切り離されたかのような、そんな感覚。
「何だ!?」
 ナイトホークが慌ててカウンターから飛び出し、蒼月亭のドアを開けた。そこに残っていた皆も同じように外を見る。
 そこは明らかに自分達のいた世界ではなかった。誰もいない街、音のない夜。その空にパジャマ姿の少女が無表情で佇んでいる。
「私の街へようこそ…この世界からは絶対逃げられないわ」
「…誰だ、お前?」
 警戒した声でそう聞くと、少女はクスクスと笑いながら空に溶けるようにこう言った。
「私は阿部・ヒミコ(あべ・ひみこ)…私の仲間になるか、ここで死ぬか選ばせてあげるわ、ヨタカさん…」

「とりあえず、コーヒーおかわり」
 空に消えていったヒミコを突っ立ったまま無言で見つめるナイトホークに、黒・冥月(へい・みんゆぇ)は、さほど動揺した様子もないように多少気だるくこう言った。店の中にはシュライン・エマ、 劉・月璃(らう・ゆえりー)、そして奥の席にはジェームズ・ブラックマンと草間武彦が座っている。
「とりあえず香里亜がいなかっただけでもマシだろう。まずは落ち着け」
「…だな」
 香里亜とは、蒼月亭で昼間働いている少女の名前だ。香里亜は人間以外の者や声に敏感だ。確かに今が夜で良かった。ナイトホークは自分を落ち着けるかのようにコーヒー豆を挽き始める。
「厄介なことになったわね…」
 シュラインはそう言いながら、目の前のカクテルに手を着けた。「誰もいない街」のことはよく知っている。前に大きな事件があり、ヒミコが保護される時自分も現場にいた。確かその後IO2に行ったと聞いていたのだがそこから逃げ出したのだろう。それは武彦もよく知っているはずだ。そっと視線を送ると武彦は困ったように煙草を吸っている。
「まさかこんなところに招かれるとはな。お前に付き合って酒なんか飲みに来たからだ」
 武彦にそう言われたジェームズは、ふっと微笑み首を振った。目の前には珍しくウイスキーのグラスが置かれている。
「私のせいにしないでください。それに来てしまったものは仕方がありません…何とかここから出る方法を考えなければ」
「そうですね。ところで質問があるんですが、ヒミコさんは蒼月亭にいた俺達を…というよりナイトホークさんを仲間に引き込もうとしているように思えるのですが、心当たりはありますか?」
 コーヒーを落とし始めたナイトホークに月璃はそう聞く。ナイトホークはしばらく黙って湯を注いでいたが、それが終わると憮然とカウンター下に置いてあった自分のグラスに氷を入れ、その上からウイスキーを入れた。
「分からん、俺だって聞きたいぐらいだ。ヨタカなんて呼ばれてびっくりしたぜ…コーヒーお待たせ」
 入れ立てのコーヒーを冥月の前に出し、ナイトホークは溜息をつく。
「しかし何とかして出口を探さないとね。こんな所で閉じこめられている訳にはいかないもの」
「だな。元の世界自体にそれ程の未練はないが、まだ殴り足りない阿呆がいるから帰らないとな」
 そう言ったシュラインと冥月の視線は何故か武彦の方に向いていた。それに武彦がたじろいでいると、隣に座っていたジェームズがグラスを傾けながらくすっと笑う。
「そうですね…もう、他人との関わり無しに生きていける躰ではなくなってしまいました。一緒に戻りましょうか?」
 おそらくその言葉に他意はないのだろう。だが、それを聞いた武彦とナイトホークは思わずジェームズから距離を取る。
「何かおかしいことを言いましたか?」
「いや…他意はないんだよな、他意は」
「悪い、クロ。俺ちょっとひいた」
 その言葉で皆がクスクスと笑った。先ほどまでの緊張感が和らぎ、ようやく落ち着いて状況を話し合おうという感じになってくる。それに安心したかのように月璃は目の前に置かれたホットミルクを飲んだ。
「俺の居場所はここではなく元の世界です…でも、俺はヒミコさんに話したいこともあるんです。聞いてくれるか分からないけれど、何だか寂しそうな感じがするんで」
「それは難しそうね『世界が自分を殺そうとしてると思っている』彼女に、その声が届くといいんだけど」
 月璃の「話しかけたい」という言葉にシュラインは難しい表情をした。以前ヒミコに言った『世界が個人を憎むなんてことはない。憎しみは生きてる者の感情。これに囚われてるあなたは、皆が消えても自分自身で己を傷付けるだけじゃない?』という言葉はまだ彼女には届いていないようだった。そんなヒミコが月璃の言葉を受け入れてくれるだろうか…そう思うと状況は深刻だ。
「何はともあれ、まず外に出てみようと思うんだ。ここにいても飲んでるばかりで何の解決にもならなそうだ。私は外に出て手がかりを探しに行くが、誰か一緒に来るか?」
 そう言いながら冥月が席を立つ。するとその後に月璃とシュライン、そして武彦が続いた。
「私も行くわ。無我や霊団の心でまだヒミコに染まりきってない、何かしらの霊等が微かでもいれば外と繋がる道標になるかも知れないし、私はここに来たことがあるから」
「俺も行きます。ナイトホークさんはここにいた方がいいと思うし、俺は霊とは話が出来ます。シュラインさんの言うように手がかりがあるなら、それを探す手伝いがしたいです」
 武彦は上着を着ながらポケットの中の煙草を探り、それが残り少ないのを見てナイトホークに一声掛けた。
「煙草の買い置きがあったら一箱くれないか?」
 それにナイトホークが、自分が吸っていたキャメルの箱を武彦に向かって放り投げる。
「二本ぐらい吸っちまったけど、それでいいなら」
「銘柄は何でもいいんだ、煙草なら。それに美人二人が冥月に襲われたら…痛ってぇ」
 冥月の蹴りが武彦に入り、それを後ろからシュラインが苦笑しながら止める。
「私は女だと言ってるだろう!じゃあ行ってくる。草間はその辺に捨ててくる」
 四人を見送り、ナイトホークとジェームズは溜息をつきながらウイスキーを飲んだ。ジェームズはカウンターに肘をつきながらナイトホークの顔を見た。
「不機嫌そうだな、夜鷹」
「今、その呼び方はやめてくれ、クロ。嫌なことを思い出す」
 そう言って煙草をくわえると、ジェームズが手元にあったライターで火をつける。
「問題は、なぜあのお嬢さんが『ヨタカ』という呼び名を知っていたかということだな」
 ヨタカ…という呼び名は一部の者しか知らないはずだ。それこそナイトホークの過去を知っているか、ナイトホークからそう呼ぶことを許されている者か。
 だが、ヒミコはそのどちらでもないようだ。だとしたら、どこでその呼び名を知ったのか、ジェームズはそれに興味がある。
「…俺が聞きたいぐらいだ。それに仲間になれるとは思えんよ。あの子が永遠に近い時間を、俺と共に生きてくれるならともかくな」
「それは感傷か?」
 ジェームズの言葉にナイトホークが首を振った。
「いいや、違うね。そんな生易しいもんじゃない」
「だったら何だ?」
 かけていたジャズのレコードが終わり、雑音混じりの静寂が店の中に満ちる。針を上に上げながらナイトホークはぼそっと一言呟いた。
「…諦観だ」

「ふむ、周りは闇ばかりなのに何も感じられないとは妙な感覚だな」
 外に出てしばらく歩き、冥月は何か居心地の悪いものを感じていた。異世界に引きずり込まれた瞬間は自分も感じていた。誰もいない静寂の街。よくよく見ると自分の足下に影がない。
「問題は、この空間の広さと小娘の居場所だが。余り広くない閉鎖空間の様に感じるな。空間に果てがあればいいがループしてると厄介だな」
「そうね。ここはあの子が作った世界だから、あの子の思うとおりになるのが厄介だわ」
 シュラインも辺りを見回しながら、少しでも脱出のきっかけになるところがないかを探る。人がいない、音がないというだけなのに、それはひどく冷たい空間に思える。
「こんな所に一人でいるヒミコさんは、きっと寂しいでしょうね」
 自分の足元を見ながら月璃は思わずそんなことを呟いていた。自分には血のつながりはないが家族がいる。自分が飼っているウサギのアズライトも、きっと自分を待っている。
 だが、この世界には何もない。まるで精巧なドールハウスのように何でも揃っているが、生きている者の気配がしないのだ。
 立派なドールハウスがあるのに、遊び相手がいない少女。ヒミコの寂しさを思うと、何故か胸が詰まりそうになる。そんな時だった。
『私の声を聞いて…』
「何だ?」
 武彦が胸元の銃に手をやりながら身構える。誰もいない街のはずなのに、自分の周りを鳥が飛んでいた。
「ヒバリ?どうしてこんなところに…」
 シュラインが驚くと、それは月璃が出した手に留まる。
「あなたは誰ですか?」
『私はヒバリ…あなた達はここにいちゃいけないわ。あの子が気付く前に帰り道を教えてあげるから、そこから帰って』
 不思議とそのヒバリの声は冥月やシュライン達にも聞こえた。月璃はヒバリを手に留めながら、困ったように首を振る。
「だめです。まだ蒼月亭に帰らなきゃならない人たちがいるんです。俺達だけ帰る訳にはいきません」
「何か方法はないのか?全員が帰らないと意味がないんだ」
 冥月はそう言いながら、元の世界のことを思った。
 今は亡き彼の墓に定期的に、気の向いた時に参るのが東京にいる、そして今も生きている最大の理由。自分しか詣る者がおらず、そして数少ない心安らげる…そう思ったところで何故か某興信所が頭に浮かび、慌ててそれをかき消した。それに急に自分やナイトホークがいなくなれば香里亜が悲しむだろう。それだけでも元の世界に戻る理由には充分だ。
 するとヒバリは冥月の気持ちに気付いたのか、今度は冥月の肩に留まった。
『一度だけしかチャンスはないわ。それでもいいの?』
「一度チャンスがあれば充分だ」

 冥月達が蒼月亭に戻ってくると、ナイトホークとジェームズは何故かカウンターに並んでウイスキーを飲んでいた。それを見て武彦がその隣に座る。
「俺達が一生懸命歩いてたときに酒盛りか」
「お前は何もしてないだろう」
 冥月がその背中を蹴飛ばし、月璃とシュラインが困ったように笑う。
「脱出できそうな方法を見つけたわ。でも、一度だけ気を惹かなきゃならないの。月璃があの子に話しかけたいって言っているんだけど、他にも誰か話したい人はいるかしら?」
 シュラインの言葉にジェームズが手を挙げる。
「私も何か理由があっての行いなのか彼女に問い掛けたいですね。それに、あの呼びかけ方の理由も」
「じゃあ私と冥月は脱出に回って、武彦さんがあの子の気を…」
 そうシュラインが武彦に頼もうとすると、その間をナイトホークが遮った。そして頭をかきながら仕方ないというように溜息をつく。
「いや、それは俺がやるわ」
「何か方法があるの?」
「ここだけのオフレコでよろしく。草間氏は女性陣のサポートしてよ、何かあったら困るだろ」

「ヒミコさん」
 月璃が虚空に向かってそう問いかけると、どこからともなくヒミコの姿が宙に現れた。
「なぁに?私にお説教?」
 ヒミコはうんざりとした表情をしながら月璃や他の皆を見下ろした。
「ヒミコさんはどうしてこんな事をするんですか?どうしてナイトホークさんを仲間にしようと思ったんですか?」
「ずっと一緒にいてくれると思ったからよ。だってあの人も、きっと世界を憎んでいるもの」
 そう言いながらヒミコはナイトホークを指さした。指された当の本人は、黙って煙草を吸っている。それを見ながらジェームズもヒミコに問いかける。
「何故そう思っているのです?貴女はどこで『ヨタカ』という呼び名を聞いたんですか?」
「隔離されたところで知ったのよ。『ヨタカ』が鳥かごから逃げたって」
 ナイトホークは何かを考えるように煙草を足下に投げ、それを踏み消した。そしてヒミコの方を向く。
「あんたさぁ、良くも悪くもガキだよな」
 吐き捨てるように言いながら、ヒミコの目の前にナイトホークは歩いていく。月璃は一生懸命ヒミコに声をかけた。
「ヒミコさん、もうやめてください。あなたは寂しいだけなんですよね?俺には分かります…ここは良くできた街だけど、ドールハウスのようです。だから…」
「月璃、やめとけ。痛い目見ないと気付かないんだよ…昔の俺を見てるみたいだ」
 後ろにいるシュラインと冥月は、ヒバリと共に世界の境界を探していた。そこに少しでも穴が開けばショックで元の世界に戻れる。ただしチャンスは一度だけだ。ヒミコに気付かれれば自分達が世界に飲み込まれる可能性がある。武彦も緊張しながらヒミコ達のやりとりを見ていた。
 ナイトホークはヒミコの目の前に来た。そしてニヤッと不適に笑う。
 その瞬間ヒバリが鳴いた。それが合図だった。
 ジェームズと武彦がナイトホークに向かって銃を撃つ。それは背中から正確にナイトホークの心臓を狙い定めた。口から血を吐き前に倒れるナイトホークに、ヒミコが思わず悲鳴を上げる。
「きゃあぁっ!!」
 白いパジャマに赤い花が落ちた。その瞬間、世界がざわっと揺れる。
「開いたぞ!」
「早く!長い間持たないわ」
 冥月とシュラインが探していた世界の境界に穴が開いた。ヒバリはその上で一生懸命鳴いている。
「シュライン、月璃、行け!草間も」
 冥月がその穴を守るように立っている。青い顔をしているヒミコの方にジェームズは近づいていき、倒れているナイトホークの体を後ろから抱えた。
「どうです?仲間だと思った相手が目の前で死ぬ気持ちは」
「いや…殺してやる!」
 力を使う前に、ヒバリがヒミコの周りを飛びながらその視界を一生懸命遮った。
『早くヨタカを連れて逃げて…』
「あなたはどうするんですか?」
 一生懸命手でヒバリを振り払おうとするヒミコを見ながら、ジェームズはナイトホークを抱きかかえながら問いかける。
『私はこの子の側にいるわ。気付いてくれないかも知れないけれど』
「ジェームズ!早く来い!」
「お嬢さん、彼は私の大事な友人であり契約者だ。だからそれが終わるまで渡すことは出来ません。では、失礼」
 境界がだんだん狭くなる。そこに冥月とジェームズが飛び込む。
 誰もいない街に響き渡ったのは、ヒバリとヒミコの泣き声だけだった。

「あー、よく死んだ…」
 皆が見守る中、ナイトホークは蒼月亭の床の上で目を覚ました。そして二回ほど咳をし、口から弾丸を吐き出す。
「合図したら撃ち殺せとか言ったから、何かと思ったぜ」
 武彦が煙草を吸いながらそう言うと、シュラインも同じように溜息をついた。
「本当、吃驚したわ。でも元の世界に戻ってこられたようね」
 月璃と冥月はカウンターに座ってその様子を見ていた。時計は自分達が引き込まれたところからさほど過ぎていない。目の前にある飲み物も温かいままだ。
「ヒミコさんは寂しいんでしょうね…」
「だが何をやってもいい訳じゃない。あれじゃわがままな子供と同じだ」
 月璃の言葉に冥月は思わず足を組み直す。ジェームズはそれを聞きながら、ナイトホークに手を貸した。
「カクテルを一杯いただけるかな?そうですね、シンデレラを」
 シンデレラ…それは酒を一滴も使わないノンアルコールカクテル。ナイトホークはカウンターに戻ってシェーカーに氷やオレンジジュースを入れ始める。
「普通に来てくれりゃ、シンデレラの一杯ぐらい奢ってやるんだがな」
「それができないのがあの年頃なんですよ…」
 沈黙の中にシェーカーを振る音とジャズのレコードが小さく響きわたっていた。

                               fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2778/黒・冥月(へい・みんゆぇ)/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
4748/劉・月璃(らう・ゆえりー)/男性/351歳/占い師
5128 /ジェームズ・ブラックマン/男性/666歳/交渉人&??

◆ライター通信◆
こんにちは、水月小織です。
皆さんに「元の世界に帰りたい訳」を聞きつつ、それを少しずつ織り交ぜながら話を作りました。何となくヒミコ自体は、寂しくてだだをこねている子供のような気がします。
ヒバリが出てきましたが、彼女はヒミコの孤独を少しでも癒せるでしょうか…。
毎度長文なのですが、リテイクなどは遠慮なくお願いします。
また機会がありましたらご来店くださいませ。今回はありがとうございました。

シュラインさんへ
二度目のご参加ありがとうございます。
冷静で皆さんの補佐をするというか、何か言うと場が締まっていい感じでした。
「誰もいない街」の補佐もありがとうございました…色々勉強になりました。
またよろしくお願いします。