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出ていっちゃった人体模型
「いなくなっていたのよ!」
横嶋七子〔よこしま・ななこ〕は立ち上がって力説した。
「私の大切な大切な彼がいなくなっていたのよ!」
――なんか前もこんなような客いたなあと思いながら、草間武彦は「落ち着いてください」と七子をソファに座らせた。
「詳しく話してください。……彼がどうなさったんです?」
「だから、私の部屋からいなくなっていたのよ! 私の大好きな彼が!」
「ですから状況とか、彼のお名前とかを……」
「ひょっとしたら浮気と思われたのかしら……! 違うのよ、最近妙な視線を感じるから、怖くて同僚に家まで送ってもらってただけなのよ!」
「はあ……」
「ああ、どこへ行ってしまったの……私の大切な模型君!」
「……は?」
草間はまぬけな声を出した。模型君?
「私の大切な人体模型君! ひとりで出ていくなって言ったのに……!」
「あの」
草間は大分引きつりながら、念のため聞いてみた。
「あなたのご職業は……」
「教師ですわ。担当は理科です。何か?」
七子は当たり前のことのようにそう言った。
**********
「っちは! 草間さんいるー?」
元気よく草間興信所に飛びこんできたのは、草摩色[そうま・しき]だった。
「あら! 学生がこんなところへ来て何をしているの、早く家へ帰りなさい!」
七子がすかさず中学生の色をいさめる。
色はへっ? という顔をして、
「誰これ? 草間さん」
と草間に訊いた。
「いや、実は……」
と草間が説明しようとしたちょうどその時、
「レーダー反応!」
じゃじゃーんと興信所の入口を開けて仁王立ちする少年がひとり。
七子を指差して、
「いた!」
と訳の分からないことを言い出した。
草間はその少年の名を知っていた。
「なんだ汰壱。妹ならいないぞ」
――玄葉汰壱[くろば・たいち]は平気な顔で、
「今日はそっちのお姉ちゃんに用があるんだよ!」
と七子を指したまま言った。
汰壱は実は、将来の嫁さんさがしをしている。どうやら嫁さんレーダーに七子が引っかかったらしい。
「お姉ちゃん、何か困りごとでもあるのか? 俺がその困ったことを解決してやるよ」
汰壱は早速七子にまとわりつき始める。
それを見ていた、草間興信所の事務員シュライン・エマが口を出した。
「ちょうどいいわ。七子さん、一から話してくれる?」
「こんな子供のために?」
七子が嘆くような顔をした。たしかに色は中学生だし、汰壱にいたっては七歳だ。
「今助っ人を呼ぶから」
草間は電話に手を伸ばした。
一人目の助っ人は、電話の向こうで大笑いをした。
『人体模型がひとりでにいなくなっただ? 寝ぼけたこと言ってるんじゃないよ、草間さん』
「それが、本当らしいんだよ」
草間は疲れた声で五代真[ごだい・まこと]に言う。
『へ? マジ? 面白そうだ。動く人体模型とのご対面ってのも悪くないな』
真はノリノリで、草間興信所に来るのを承諾した。
もうひとりの助っ人はモノトーンの美しさを誇る美人、黒冥月[ヘイ・ミンユェ]だった。
こちらは嫌も応もなく呼び出され、興信所で話を聞かされるはめになり、
「……あえて言うのもバカらしいが……」
冥月はこめかみを押さえて冷めた口調で言った。
「お前のところに来る阿呆な依頼の中でも、最低の部類だな」
「どういう意味ですか!」
七子が憤然とする。冥月は冷めた目で依頼人を見る。
草間は、
「そう言うなよ。お前なら簡単だろ」
と人探しの専門家である冥月に言った。
「まぁな」
冥月がふんと鼻を鳴らす。
「本当ですか!?」
七子は突然態度を変えて、きらきらした目で冥月を見た。
「まあ、私の影の能力を使えば――」
「そうそう影の能力を使えば。よし、礼にこの先生に女性型の人体模型を紹介してもらえるよう、頼んでやろう」
……冥月を常々男扱いする草間の首を、冥月はぐいぐいと絞めた。
「それはどこをツッコめばいいんだ、あ?」
「ぐえええ」
「落ち着いて冥月さん!」
シュラインが慌てて冥月の手を草間の首から離そうとするが、シュラインの力では到底無理だった。
冥月は草間を絞め上げたまま七子のほうを向き、
「その模型がどれほど魅力的かは知らないが、つまり貴女はフラれたんだ。未練残さず別の恋を探すのがいい女というものだぞ」
「そんな!」
七子はふるふると首を振った。
「諦められません! 彼の口から聞くまでは……!」
「ふーん……恋人が人体模型?」
実はお化けの嫌いな色が引きつり笑いを浮かべる。「俺、はっきり言ってそんな教師嫌だなあ……」
「まあ! 人体模型のよさが分からないなんて、あなたそれでも学生!?」
「いちお。でも人体模型のよさが分かる学生にはなりたくないなあ……」
「人体模型って、あの気色悪い模型だよな!?」
汰壱が声をあげた。「何でまたそういうのを彼氏に選んだんだよ。魅力的だとか? それともお姉ちゃん、人体模型マニア? ゲテモノ好き?」
「汰……壱……それ以上……言う、な……」
首を絞めあげられながらも、草間は必死に汰壱の遠慮容赦ない推測を止める。
「冥月さん、いい加減武彦さんを解放してあげて」
シュラインの必死の頼みに、冥月は渋々――いい加減絞めるのにも飽きていたので――草間を解放した。
「七子さん。人体模型君との馴れ初め聞かせてもらえるかな」
真がどさっとソファに座って七子と向き合った。
七子の目が輝いた。話すのが嬉しいといった様子だ。
「私の愛しの人体模型君! あれは運命の出会いだったわ……たくさんある模型の中から学校用のを選んでいたそのときに、彼と目が合ったのよ!」
ぎゅっと感動を思い出すかのように己の体を抱きしめて、七子は変人ぶりを発揮する。
「あの視線……僕をさらってくれと言っていたわ……だから私は、彼をさらったの。彼は私のものになったの」
「……名前はないの?」
シュラインは素朴な疑問を口にする。
七子は即答してきた。
「彼は人体模型の中の人体模型! だからこそ人体模型君という名なのよ!」
「ああ、そう……」
「んで、あんたはそいつのどこを気に入った……っつーか……目が合ったから運命とでも思ったのか?」
「そうよ! 彼の視線が私に、さらってくれと訴えていたのよ……!」
「……気持ち悪い……」
色が我慢できずに横を向く。
「……かわったおばさん……」
ぼそりと汰壱がつぶやいたが、幸い七子の耳には届かなかった。
「一方的な恋愛なら、きっぱりとやめたほうがいいぜ。あんたがつらくなるだけだ」
真は渋面で七子を見る。「それでもいい、って言うんなら、そこら中捜してでも見つけ出してやるよ」
「一方的なんかじゃないわ! 私たちは両思いなのよ!」
「……まあ、捜して欲しいわけだよな」
「ますます気持ち悪ぃ」
色がしかめ面になりながら、「でもさ……そんなんと夜にでもばったり出くわしちまったらキモイし、さっさと見つけちまおうぜ。うん。もーチョー迷惑だけど、しょうがない」
「妙な視線を感じてたっておっしゃってましたよね」
シュラインは落ち着いて対応していた。
「そのことを、人体模型君には話しましたか?」
「いいえ! 彼に心配かけまいと言わなかったわ……だって彼に言ったら、彼ったら自分の身を危険にさらしてまで助けようとしてくれちゃう」
「念のため訊くが……」
冥月が足をとんとん床に打ちつけながら、こめかみをもんだ。
「その人体模型は、しゃべるのか」
「しゃべるわ! 私と心の会話を交わすのよ……!」
「……動くのか」
「そんな、彼に自分から運動させるなんて! 彼が動くのは大変なのよ。私が手伝ってあげているわ」
――要するに、動かないししゃべらないということだ。
「何だ、つまらねえな」
真がつぶやいた。
「そう言わずに手伝ってくれ……」
草間が嘆くように言った。
「――でもさ、実際ひとりでにいなくなっちまったんだろ?」
一通りの情報をシュラインが依頼人から聞きだし、七子が帰った後、色が開口一番気色悪そうに言う。
「本当は本当に動くんじゃねえの?」
「俺、思うんだけど……その人体模型、元いた場所に帰ったんじゃないかな? ホームシックになって」
汰壱が指を突き出しす。
「そりゃ動くことを前提にしたらな」
真が首の後ろをかいた。
「依頼人が模型君を最後に目撃したのは、五日前の仕事に行く前……服はスーツを着せていて、スーツごと消えていた、と」
シュラインが書類を作成しながらつぶやく。
「もし本当に動くなら、そして妙な視線のことを知っていたなら、七子さんを助けようと自ら動いた可能性もあるかもしれないし……それに」
と、ふと苦笑して、
「さすがに七子さんには言えないけれど。逆に人体模型君が浮気して視線もその相手で一緒に逃げた可能性もほんの少しあるかも。どちらも模型君が自分から出た場合だけどね……」
「模型の写真」
冥月がシュラインに手を差し出す。
シュラインは冥月に、依頼人から渡された人体模型の写真を渡した。
「ここから、模型の影をさがす」
「頼むぞ冥月。女性の型の人体模型の件はよく依頼人に頼んでおくから――ぐえ」
「草間、お前よくよく殺されたいようだな」
後ろから草間の首をわしづかみながら、冥月はにっこりと笑った。
「そんじゃ七子さんの家からの足跡でも追おうか? 案外学校の理科室とかにもいそうだし。落ち着くとか言ってさ」
色が頭の後ろで手を組んだ。
「っていうかその人体模型って結局なに、いわくつき? 自分で動くんだったら最悪」
「動かないと思うんだがなあ……」
真が頭をかいた。「あの話しぶりでは……」
「妙な視線っていうのが気になるのよね……ねえ、私に妙な視線あったり、いなくなったりしたら何か行動してくれる、武彦さん?」
シュラインが冗談めかして言いながら、書類をプリントアウトした。
「ええと……とにかく依頼人の自宅周辺で聞き込みね。人体模型君の身長も聞いたし、あれだけのサイズのものが動いていれば目立つでしょう。何らかの足跡がきっとあるわ」
「とにかく学校行ってみようよ。それが一番早いよ」
「俺もさんせーい」
汰壱の言葉に、色が手をひらひらと振る。
「その最近感じた視線とやらは模型自身の視線ではなかったようだし……失踪以前に何も不審な言動があったわけでもないようだし……」
自身もシュラインとともに七子に色々聞いていた冥月はぶつぶつとつぶやき、
「とにかく私は影で捜すぞ。他のやつらは勝手にやれ」
「じゃあ俺も学校行ってみっかな。七子さんの学校は高校だっけか、お前らついてくるか?」
真が色と汰壱を呼ぶ。
二人の少年はうなずいた。
「じゃあ私は聞き込みをしてくるわ」
シュラインが立ち上がった。
「私はここで捜す」
冥月がとんとんと事務所の床をつま先で叩いて言った。
「じゃあ、頼むぞお前ら」
草間の言葉に、メンバーはそれぞれ適当に相づちを打った。
**********
シュラインは依頼人の自宅までやってきた。
「へえ……素敵なマンション」
高校教師の給料で住めるマンションではないが、親のすねかじりであるらしい。七子自身が言っていた。
七子の家は一階である。
シュラインは隣の部屋のブザーを鳴らした。
出てきたのは、気難しそうなおばさんだった。
シュラインは自分の身分を明かした後、
「お隣の横嶋さんとご交遊は?」
と尋ねた。
おばさんは顔をしかめた。
「ないわよ。あんな気色の悪い趣味を持った女!」
――どうやら七子の人体模型趣味を知っているらしい。
「ご存知なんですね。その人体模型をごらんになったことがおありですか?」
「あるよ。持ち込んできたときにね。不気味だと思ったよ」
ああ、なるほど――とシュラインは思った。人体模型を持ち込んできたのだ。目立っただろう。
「でも、最近はあの子もまともになってきたんじゃないのさ」
とおばさんは言った。
「は?」
「まっとうな男と付き合い始めたんだろう? いいことだ。人体模型なんか学校にでもありゃいいのさ」
「まっとうな男……というと……」
「あたしゃ見たよ。横嶋さんとこの家からスーツ着た男が出て行くのをねえ」
――スーツ?
「それはこんなスーツですか?」
シュラインはプリントアウトで増やしておいた人体模型の写真を見せながら、勢いこんで訊いた。
おばさんは、人体模型にスーツが着せられている写真にぎょっと目をむいて、
「こ、このスーツだよ! ま、まさか人体模型だったって言うんじゃないだろうね……!」
「気づきませんでしたか? 人体模型だとは」
「気づかなかったよ! 帽子を深くかぶっていたからね――」
「帽子……」
七子は、帽子をかぶせたことがあるとは言っていなかった。
「冗談じゃないよ。ただの似たスーツだよ! 人体模型が自分で歩くわけないだろう?」
「自分で歩いていたんですか?」
「自分で歩いていたよ! とことことね、普通にね……!」
「どちらに向かって?」
「あっちだよ」
おばさんが指差した方角を、シュラインはしっかりと記憶にやきつけた。そして、
「それはいつのことです?」
「五日前の夜だよ! 横嶋さんが帰ってくる直前くらいだね」
「他に……ご一緒にその人物を目撃した方は?」
「いないよ」
「そうですか……」
――五日前の夜。七子が帰ってくる前。同じスーツ。しかし違う帽子。
これは……どうなっている?
シュラインはピンと閃いた。
「最近この辺りで、泥棒に入られたお宅はありませんか?」
「ああ……それなら横嶋さんのもうひとつ向こうのお隣の立石さんが帽子を盗まれたって――あっ」
おばさんが口に手を当てた。
シュラインは慎重に訊いた。
「……その帽子が、その歩いていった人物のかぶっていた帽子……に、酷似しているのではありませんか?」
**********
「人体模型が増えた? そんなこたあ起こりませんよ」
七子の勤める高校の教師は、真の質問にそう答えた。
「人体模型が変わったってことは?」
色が頭の後ろで手を組んだまま尋ねる。
「ないない。まあ、別物に変わってても気づかないだろうけど」
教師が声を立てて笑う。
「俺たちが捜してるのは、スーツ着た人体模型なんだけどよ――」
真が改めて言う。
スーツを着たぁ? と教師は不審そうな声を出した。
「何だいその変な話は」
「おたくで教員やってる横嶋七子さんが、人体模型にスーツ着せてるんだよ」
「横嶋さんが?」
教師は目を丸くした。「あの人がそんなバカなことを?」
「そうだよ。ちゃんと写真もあるぜ? ほら」
色が、プリントアウトされた写真を教師に見せる。
教師は呆然としたようだった。
「そんな……横嶋さんが……」
「なあなあ」
汰壱が教師の服の裾を引っ張る。
「な、なんだい」
「あのお姉ちゃん、最近同じ学校の先生に護衛代わりに家まで送ってもらってるって言ってた。それってもしかして先生?」
教師は驚いたように目を見張り――
そして、やがてはあとため息をついた。
「……そうだよ。妙な視線がして怖いというからね」
「あんただったのか。あんたはその妙な視線っての分かったのか?」
「分からなかったよ」
真の質問に、教師は首を振った。「横嶋さんは始終『まだ見てる、まだ見てる』って怖がっていたけどね」
「……やっぱあの人、おかしいんじゃねえの?」
色がつぶやく。こら、と真が軽く色を小突き、
「横嶋さんってのは、変わり者だったのか?」
「いや?」
教師はとんでもないと言いたげに首を振った。
「彼女はね、霊感が強いことで有名なんだよ。それ以外は何もおかしなところなんてないさ」
「霊感……?」
色が引きつる。「じょ、冗談じゃないぜ。お化けとか出てくるんじゃないだろーな」
「僕は反対に霊感がからきしない。だから護衛を引き受けたんだけどね――」
と教師は言った。
「ははは話が脱線してる! 理科室! 理科室には誰でも入れるのか!?」
色が青ざめて話をそらそうとする。
「模型が置いてあるのは理科準備室だよ。あそこは鍵がかかっているから、限られた人しか入れないね。鍵は職員室で管理されているし」
「……じゃあやっぱここには来てねえかあ……」
真はがしがしと髪を乱した。
「参ったな、他の学校に行ったんだとしたら、捜すのもホネだぞ」
「人体模型だけにね」
汰壱が冗談を言ったが、誰も笑わなかった。
教師に礼を言って別れ、高校を出ながら真はぼやいた。
「シュラインさんは携帯持ってたよな……一応知らせっかな……」
と携帯を取り出そうとすると、
「ねえ、コレでその人体模型の気配を探れば見つかるって!」
汰壱が六角形の羅針盤を取り出し、そう言った。
色が大きく、ため息をついた。
「そんなもん持ってんなら、最初から出せよ……」
**********
「学校や病院に人体模型があるのは当たり前だな……」
草間興信所で写真とにらめっこしていた冥月は、ぶつぶつとつぶやいていた。
「そういうところにはない人体模型の気配を探るか……」
影を伝い、調べて回る。
意外なことに、そこかしこに人体模型はあった。――人体模型を作ったりしている場所もあるから当然だ。
「普通あるはずのない場所……にあってくれると助かるんだが……」
「熱心だな冥月」
草間は上機嫌だった。「そんなに女型の人体模型が欲し――」
「ん?」
草間の足をつま先で踏みにじりながら、冥月はふと声をもらした。
「何だこの気配は……二重?」
いまいち影が反応しづらい人体模型がひとつある。
「これが怪しいか……行くぞ草間」
「は、はい……というか冥月」
どこに行くんだ――? という草間の問いに、冥月はそっけなく答えた。
「墓地だ」
**********
シュラインと真、色、汰壱は途中で合流した。
汰壱の羅針盤が示す方角と、シュラインが七子の隣人が目撃したスーツ姿の存在が向かった方角が一致したためだ。
「このまま行くと……墓地だよ」
羅針盤の動きを慎重に見つめながら、汰壱が言う。
色がいよいよ青ざめていく。
「じょ、冗談じゃねえぞ……」
「じゃあ帰るか? 色」
真が尋ねると、色は膝を押さえて、
「だ、だんだん膝が笑ってきた……ひとりで帰れねえ……」
「……一緒に来い。護ってやるから」
「頼む……」
目の前に、墓地が広がった。
「気をつけましょうね。何が起こるか分からないから」
シュラインが全員に声をかける。と、そこへ、
「何だ。お前たちもここか――間違いなさそうだな」
草間を引きずりながら、冥月がそこに立っていた。
「羅針盤が指す方向は、もっと奥だよ」
「裏山だ」
汰壱の言葉に重ねて、冥月が言う。
「裏山に、気配の掴みづらい人体模型がひとつある。行ってみるか」
「け、気配が掴みづらいって何だよ!」
色が悲鳴じみた声をあげる。
「ん? 何かだぶったような感じがしてな……人体模型に何かがかぶさっているというか」
「埋められているとかかしら?」
「そういう感じではなかったな。もうひとつの意思――というか」
「……そういえば、依頼人霊感強いんだっけなあ……」
真がつぶやく。
シュラインが、色にとどめの言葉を放った。
「依頼人の家からは、人体模型が自分で出ていったようよ。同じマンションで帽子を盗まれた人がいて、その帽子をかぶってね」
色は危うく失神しかけた。
果たして――
墓地の裏山に、スーツ姿の人体模型は、あった。
ごろりと寝かされ、土まみれになりながら。
「これか……」
草間が横嶋七子に連絡を取る。
七子は飛ぶようにしてやってきた。
「ああ! 私の模型君……!」
見るなり、服が汚れるのも構わず人体模型に覆いかぶさる。
――どうやら間違いないようだ。
「どうして!? どうしてこんなことになったの!? ねえ、答えて人体模型君……!」
「それは――」
と、どこからか声がした。
いや、どこからか、ではない。
それは――
人体模型の口から――
「貴女がいつまで経っても僕に気づいてくれないからです、横嶋先生」
全員の間を、動揺が走る。色に至っては再び失神しかけた。
七子が、人体模型に覆いかぶさるようにしていた体を離す。
「誰……模型君の声じゃないわ! あなた、誰!?」
「やはり……分かって頂けないのですね……」
声は悲しげだった。悲しげに、七子だけに言葉を紡いでいた。
「僕は……ずっと貴女だけを見ていた……貴女がこの人体模型などに心を奪われているのが許せなかった!」
「おい」
草間が口を挟んだ。「お前、誰だ」
「僕は、正と言います」
「幽霊だな」
冥月が断言する。
色ががっくりと真の腕の中に倒れこんだ。白目をむいている。
「……起こさないでおくか……」
真は黙って色を抱きかかえておいた。
「幽霊が、気づいてもらえない嫉妬心から人体模型に乗り移って模型をこの山に捨てに来た……というところだな」
「幽霊なら、帽子を盗むのもたやすかったでしょうね」
「でもさあ――」
汰壱が不満そうに唇をとがらせた。「捨てにきたなら、どうして五日間も乗り移ったまんまなのさ? 出られなくなっちゃったとか?」
「………」
「あんた……」
真は色を落とさないようにしながら、地面に転がる人体模型をかがんで見つめ、
「後悔したのか? それとも、人体模型に乗り移ったままでいれば七子さんが捜しにきてくれるとでも?」
「……僕にも、分かりません」
正と名乗った幽霊は、模型の口を借りてそう言った。
「ただ、このまま捨てていくことができなかった……」
「……ずっと、見ていたからじゃないの? 七子さんが、この模型を大切にしていたのを」
「僕はこの模型が憎いんだ!」
「そう、心は思ってもね」
シュラインは優しく言う。
七子が――
泣きそうな顔で、両手を組み合わせた。
「お願い……私の模型君を返して――気づかなかったのは謝るから、だから」
「あんたは幽霊なんだ。どのみち叶わない恋だぜ」
真が七子の祈りにつなげる。
「………」
人体模型が沈黙した。
やがて、「ん」と冥月が眉をひそめた。
「だぶっていたのが消えたな。……離れたか」
七子が上空を見つめた。何もないはずの空中を。
「そこに……いるのね。ええ、視線を感じていたもの。私は知っていたんだわ……」
反応はなかった。
七子は、空を抱きしめるようなしぐさをした。
「ごめんなさい……ごめんなさいね……」
――霊感が強い七子でさえ、視線程度にしか感じられなかった幽霊――
「気づいてあげられなくて、ごめんなさいね……」
七子の腕の中が、ぽうと光を放った。
「お」
真がつぶやいた。
「……逝くか」
それでいいんだ。と真は微笑んだ。
「あの世で、幸せになれよ」
七子の腕の中の光が、徐々に上にあがっていく。天に上がっていく。
そして七子の上空で――
くるりと一回転して、
ぱあっと光をふりまきながら、消えた。
光のシャワーを浴びて――
七子は呆然と、その場に座り込んだままでいた。
「これで、人体模型との生活戻ってくるんじゃないの? お姉ちゃん」
汰壱が明るく言った。
七子は微笑んで、「ええ」と言った。
その微笑みは、どこか悲しげだった。
**********
「え?」
数日後。草間はシュラインの言葉に呆気にとられた声をあげていた。
「依頼人の知り合いだったって?」
「そうなのよ」
シュラインは事件の後始末の書類の作成を一休みして、ふうと一息ついた。
「周りの聞き込みで想像がついたわ。――あの高校の生徒だったみたい」
「ああ……」
草間は最後の七子の寂しげな笑顔を思い出す。
たしかに――最期の瞬間、彼女は彼を思い出していたのかもしれない。
「ところで、ねえ武彦さん」
シュラインは机に肘をつき、組んだ両手に顔を乗せていたずらっぽく草間を見る。
「この間訊いたこと、どう?」
「この間?」
「もしも私に妙な視線があったり、いなくなったりしたら――」
草間はとんと煙草の先を灰皿に押し付けた。
「――男は何も言わないものさ。あの人体模型君は男の鑑だな」
ごまかされて、シュラインは声を立てて笑った。
草間は新しい煙草に火をつける。
煙が一筋立ち、空中にただよって消えた。
―Fin―
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1355/五代・真/男性/20歳/バックパッカー】
【2675/草摩・色/男/15歳/中学生】
【2778/黒・冥月/女/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【6334/玄葉・汰壱/男/7歳/小学生・陰陽侍】
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■ ライター通信 ■
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シュライン・エマ様
いつもありがとうございます、笠城夢斗です。
このたびは依頼にご参加いただき、ありがとうございました。いつもながらバカっぽい依頼でしたが、真面目に対応していただきましてとても助かります。
よろしければ、またお会いできますよう……
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