コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談・PCゲームノベル>


花逍遥 〜夏の瑠璃鳥〜



 天より響くは 雨の音色か 葉擦れの音か
 涙を受けるは 紫陽花の葉か 槻の若葉か――


■古木の唄■

 槻島綾(つきしま・あや)を乗せたバスが古ぼけた神社の参道前で止まったのは、14時を少し回った頃だった。
 季節柄、紫陽花を見たいと、何とはなしに思い立って出かけた旅であったが、旅先で思いがけず面白い話を小耳に挟んだ。
 市販のガイドブックには載せられていない古社の神苑に、樹齢千五百年は下らない欅の木があるというのだ。
 最寄の駅に在る観光案内センターで詳細を聞こうと口を開けば、相対したセンターの女性は驚いたように行くのをやめろと綾を引き止める。
「村全体で祀っているようなものだから、神主さんも居ないただの無人神社ですよ。日に五本しかバスも無いし、こんな雨の日は誰も家から出てこないでしょうから……」
 乗り過ごしてしまうと大変な事になると告げる女性の言葉に、綾はむしろ惹かれた。
 無人の神社にひっそりと佇む欅の神木は、どれほどの大きさを誇っているのだろうか。
 そして、雨に濡れながら何を思うのか。
 当て所の無い思いは次から次へと綾の胸内から溢れ、留まるところを知らない。
 樹が物を想うと何故考えたのか、綾自身解らなかった。
 もしかしたら、その場所が歴史深い場所だからかもしれない。

 笠縫邑(かさぬいむら)、天神宮――。
 古来、伊勢斎宮へ入る斎王達が、精進潔斎の為に一年ほど身を寄せた仮宮がそこに在ったという。
 樹齢千五百年の神木は、そんな皇女(ひめみこ)達の心の声を聴いていたのだろうか。
 神木が返す小さな声に、皇女達はどんな想いで耳を傾けていたのだろうか。
 全てが綾の心の中に在る幻だった。
 だが幻でも、その地を自らの足で踏んでみたいと思わせる何かが、其処には存在していた。
 旅を愛するが故なのか。ただ空気に触れ、景色に溶け込み、古を想う。それだけの事を、強く強く願う想いは一体どこから溢れてくるのだろう?
 そんな事を思いながら、急き立てられる気持ちを抑えて、綾はバスに乗ったのだった。


*


 バスを降りると、柔らかな雨が綾の身体を濡らした。
「少し小降りになったかな」
 一人呟いて曇天を見上げれば、雨の雫が綾の眼鏡に掛かって視界を妨げる。
 小降りになってはいたが傘を閉じる程ではない。濡れた眼鏡を外して上着のポケットに入れると、綾は手にしていた傘を静かに開いた。
 終点に着いたバスが折り返せば、人気の無いそこに訪れるのは森閑とした世界。霧が立ち込め、一寸先の視界を遮断する。
 普段なら旅路で雨が降るのを煩わしいと思うのだが、こんな日は雨故に、目に映る全てのものが神さびて見えるから不思議だ。

――欅の神木は何処にあるんだろう?

 思いを巡らしながら朱に塗られた鳥居を潜り抜けると、綾は眼前に広がる光景に思わず目を見張った。
 本殿から拝殿へ向かう参道の両脇に、今が盛りと無数の紫陽花が生い茂っていたのだ。八重咲きの額紫陽花はとても可憐で、花を守るかの如く大振りの葉が幾重にも伸びている。
 参道に従い歩けば、土壌の違いか紫陽花は青色の額をやがて赤紫に変えて行く。
 拝殿の右横に視線を向ければ、下へと続く階段があり、やはりそこにも群生する紫陽花の姿があった。
 霧立つ世界で花は静かに咲き誇り、天から降る雨を優しく受け止めているようだった。
「驚いたな」
 欅を尋ねて赴いた場所に、思いがけず紫陽花の咲く姿を見出し、綾は喜びにも似た感情を覚えた。
 その感動を胸に抱いたまま、紫陽花で埋め尽くされた神苑を歩き行くと、やがて目当てのそれは忽然と姿を現した。
「欅の、御神木……」
 路の終わりに出来た広い空間。樹齢千五百年をゆうに上回る巨大な欅が、立ち込める霧の中で強烈なまでの存在感を放っていた。
 見上げれば、幹に近い部分の若葉が微かに見えるだけで、上方は霧に閉ざされて全貌を窺い知る事は出来ない。
「ガイドに載せず、村全体で祀っている理由が解りますね。あまりに見事だ」
 観光客を極力除外し、神聖なままの姿を保ち続けて欲しいと願う、村人達の願いの形がそこに在るようだった。
 思わず感嘆の溜息を漏らし、神木に近づこうと綾が足を踏み出した時。
 ふと、狩衣に身を包んだ一人の青年が欅の傍に佇んでいるのが視界に入った。
 青年は、雨に濡れるがまま、欅の前にただ静かに立ち尽くしている。
 その様が、綾の目には青年と欅が対話をしているかのように映った。

 現実離れした、幽玄の世界に紛れ込んだ気がした。
 いつしか綾の心に、青年と言葉を交えてみたいという心が生じた。だが、青年と神木の対話に水を差してよいものかとも思う。
 暫くの間躊躇った後、心惹かれる光景に遭遇したにも拘らず、このまま踵を返すのはやはり惜しい気がして、綾は意を決したように足を進めた。
 雨に濡れる青年にそっと傘を差し出す。
「……雨に、濡れてしまいますよ」
 相手を驚かせないよう、綾は努めて静かに青年へ声をかけた。
 傘の影に気づいたのか、青年はゆるりと綾の方を振り返った。見れば、青年が身に纏っている狩衣は雨を含んで既に本来の色を失い、長い髪からは雫が幾重にも滴っている。
 一体どれほどの長い時間この場に佇んでいたのだろうかと、綾は青年を見つめた。
 だが、青年は目の前に綾が居る事を認識出来ずにいるのか、依然別の何かを見ているような覚束無い視線を周囲に彷徨わせる。
「…………」
「大丈夫ですか?」
 綾が心配のあまり青年の肩を軽く揺さぶると、遠く馳せていた意識を現実に引き戻したのか。
 青年は一度瞳を閉じた後、今度はしっかりと綾を見据えた。
「大丈夫です……ありがとうございます」
 細い声でそう告げると、目の前の青年は静かに微笑んで綾を見上げた。



■幻の宮■

「気休め程度ですが、濡れたままでは風邪を引いてしまいますよ」
 欅の見える位置に据えられた東屋に二人で身を寄せ、椅子に座った青年に綾はそっとハンカチを差し出す。
「……ありがとうございます」
 差し出されたハンカチを受取りこそすれ、青年は自らを濡らした雨を拭う事はせず。両手で軽く握り締めたまま静かにひざの上に置く。
 紫陽花の葉を打つ雨音が、二人の間に流れる沈黙を優しく包み込む。
 ふと綾が青年を見ると、やはり何処かぼんやりとした面持ちで欅の樹を見つめていた。
「大きな欅ですね」
「……はい」
 綾の言葉に、青年は頷く。
 名を聞けば、狩衣の青年は蔓王(かずら)と名乗った。
 その姿から神職に付く人なのだろうかと綾は疑問を抱いたが、無人神社だと告げたセンターの女性の言葉がそれを否定する。
 欅の前に佇んで、一体何をしていたのかと聞いてしまうのも詮索しているようで躊躇われ、綾は再び訪れた沈黙の合間に、空いている椅子へ腰を下ろした。


 雨の日は、晴れた日よりも音が篭る。
 その所為か、木々に留まる鳥のさえずりがいつもより大きく響き渡った。
 瞳を閉じれば、葉を打つ雨音と鳥の声だけが綾の心を支配する。
 心地のよい静寂――。
 だが、そんな静寂を打ち破るかのように、リン、と鈴の鳴る音が綾の耳に届いた。

 何の音だろうと綾が瞳を開くと、東屋の先に一人の少女が立っていた。雨を受けながら、不思議そうな面持ちでこちらを見ている。
 歳の頃は十二、三だろうか。長い黒髪をそのまま直におろし、純白の祭服を身に纏っている。
 綾と蔓王に向けられた瞳は、こちらの全てを見透かしてしまいそうな深淵の闇を湛えていた。
 吸い込まれてしまいそうな感覚に、綾は一瞬眩暈を覚える。
「皇女様」
 そう、誰かが少女を呼ぶ声が聞こえた。
 少女は一度自分を呼ぶ者の方へ顔を向けると、今度は微かに目線だけをこちらに向け、やがて小走りに何処かへ向かう。

――皇女?

 綾は口の中で反芻した。
 この時世、「ひめみこ」などと呼称される者など皆無だ。
 思えば、走り去った少女が身に付けていた祭服は、現代のそれと様子を異にしていた。
 奇妙な違和感が、綾の胸内を占めてゆく。

「……あれはこの仮宮に入られた、初代の斎王です」
 綾の疑問に答えたのは、隣に居る蔓王だった。
「斎王?」
「はい」
 繰り返した綾の言葉に蔓王が頷く。
 綾は蔓王の言葉の意図する所が解らなかった。
 斎王がこの地の仮宮に身を置いたのは千数百年も昔の話だ。遥か昔に生きた人間が現代に姿を現すはずが無い。
 だが――。
 ふと綾は思う。
 自分は何を想ってこの地に来たのだったか。
 古に生きた斎王達の声と、それを受け止めた欅の囁きに触れたいと望んだのではなかったか。
 俄かには信じ難い。目の前に映し出されていたのは、過去の情景なのか。
 気が遠くなるほど古の……

――誰の過去だ?

「欅の記憶です」
 綾の心を見透かしたように、蔓王が告げる。
「欅の記憶……」
「これは千数百年前から欅が抱き続けている、彼女への想いです」
 蔓王を介して、欅の記憶が綾に流れ込んでくる。
 視界が、一瞬にして過去に転じた。


*


 リン――。
 再び鈴の音が耳に届いて、綾は我に返った。
 先ほどまで周囲を被い隠していた霧は跡形もなく消えうせ、より鮮明に古の情景が綾の目に飛び込んでくる。
 一面の緑。
 人の手が入らない鬱蒼とした原始林が、霧の代わりに周囲を取り囲んでいる。
 雨など降っていなかったと言わんばかりに、微かに在る木々の隙間からは青空が顔を覗かせ、その元で欅の青葉が枝を長く広げて陽光を受けている。
 欅の神木は、先程までとは違い幹がまだ細く若い。

 不意に、純白の祭服を身に纏った長い黒髪の少女が、綾の傍らを走りぬけた。
 少女が身に付けている腰紐の鈴が、澄んだ音を奏でる。
 先ほどの少女だと気づいて、綾は思わず後を追ったが、少女には綾達の姿が見えていないのだろうか。振り返ることもせず真っ直ぐに欅の麓まで走り行くと、少女はそのまま欅に抱きつき、額を幹に押しつけて何かを囁いた。
 欅が少女を優しく抱きとめて青葉を揺らすと、嬉しそうに少女は小さく微笑む。
 まるで会話をしているようだった。

 声は聞こえない。
 だが少女が欅を想い、その想いに欅が答えているのは解った。
 瞳を閉じ、欅の幹に頬を寄せて言葉を紡ぐ斎王を愛しむかのように、欅は意思を持って葉擦れの音を立て、少女の方へ枝を伸ばす。

 しばし二人の邂逅を眺めていた綾に、視線はそのままに蔓王がそっと言葉を紡いだ。
「彼女がこちらに居たのは、僅か一年と半年です」
 欅は、都から遠く離れ、ただ一人斎王として旅立たねばならない彼女の哀絶の念を知っていたのか。
「……欅が、泣くのです。古に生きた彼女を待って……その涙を、声を、僕は聴いて差し上げる事しか出来ない」
 何も出来ない自分がもどかしいと、辛そうに唇をかみ締めながら、蔓王は無言で少女を指差した。
 綾がその手に導かれるようにして視線を向けると、そこには先程と同じように、少女が欅に寄り添っている姿があった。
 だが様子が少し違う――。
 少女の瞳に孤独と哀切の念が込められていた。

「伊勢へ行くの。もう逢えない……」
 今度は、少女の紡ぐ言葉が音に乗って綾の耳に届いた。
 少女が、まだ幼い欅に額をつけて涙を零す。愛しむように。己の寂しさを癒すように。欅は、少女の憂いを静かに抱きとめる。
「いつか戻る事があったら、必ずまた会いに行くから……だからどうか、私の事を覚えていて」
 少女の口から零れる言葉は、欅自身に向けられたものなのか、それとも欅を通して別の誰かを想起していたのか。
 今となってはそれさえ知る由も無い。
 別れを惜しむ欅の涙が後からともなく天より降り続け、若葉がそれを受け止めた。
 愛しいと。離れ難いと。
 少女が伊勢へ旅立ち、やがてその命の灯火さえも消えうせて尚、年輪を重ねる毎に想いは深まり、形となって、やがては人の目に巨木として留まる程になった。
 いつまでも、これからも、欅の神木は「また会いに行く」と告げた少女の言葉を信じて待ち続けるのか。
 色褪せる事無く永遠に――。



■君をしぞ思ふ■

 いつの間にか、霧がかった元の世界に綾は舞い戻っていた。
 周囲を見渡せば、青空も少女もなく。蔓王の姿も東屋さえ、その場から姿を消していた。
 全てが雨の見せた幻であるかのように、綾の周りには静寂が広がり、ただ太い幹を誇る巨大な欅だけが緩やかな曲線を描いてその姿を綾に呈している。
 白昼夢にしてはあまりに鮮明すぎた。
 いまだ現実に戻れない頭で、綾がぼんやりと腕時計の針を見れば、丁度16時半をさしていた。
 じきにバスの時間が来る。
 惚けた頭を軽く振って、欅の姿を一度視界に納めると、綾は夢見心地のまま歩き出した。

*

 最終のバスが、綾を乗せてその場を離れた。
 先ほど見た光景は途切れる事無く綾の脳裏をめぐり行く。

――夢だったんだろうか?

 欅の神木と少女の姿は、そうあって欲しいと願った綾の強い想いが創り出したものなのか。
 夢と現にまぎれて、一刻前の出来事でさえ現実であったのか定かでない。だが――
 バスが神社を囲う石垣を通り過ぎ、丁度真正面の鳥居まで来た時だった。
 綾は窓の外に流れる景色の端にあるものを捉え、思わずバスの窓を開けた。
 鳥居の前には、狩衣姿の蔓王が寂しげな微笑を湛えて、綾を乗せたバスを見送っていた。
「……さようなら。また、いつか……」
 届くはずもない小さな言葉を綾が呟くと、蔓王は綾に向けて深々と頭を下げた。そして次の瞬間。
 次第に遠く、小さくなる蔓王の姿が、ふわりと一羽の小鳥に変幻し、飛び立つのを綾は見た。
 あっと声をあげて綾が遥か上空を見上げると、空を被っていた雲間から、微かな晴れ間が広がり始めていた。

 いつの日か、この空のように欅の涙がやむ時は来るのだろうか。
 欅の涙を、癒すでも諭すでもなくただ静かに受け止め共有していた蔓王を思い出し、綾は強くそれを願った。

――また、いつか。

 己もまた、蔓王と同じように欅の想いを受け止められたら良い。それで少しでも欅の想いが優しいものに変わるなら――
 古に生きた皇女の心が眠る神苑と、欅が見せた束の間の幻。
 やがて綾は、揺れるバスの中で瞳を閉じた。




<了>



□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【2226/槻島・綾(つきしま・あや)/男性/27歳/エッセイスト】

*

【NPC/蔓王(かずら)/男性/?歳/夏の四季神】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□


槻島・綾 様

 こんにちは、綾塚です。
 二度目ましてです♪この度は『瑠璃鳥』をご発注下さいまして有難うございました!
 頂いた槻若葉の句を見た途端、欅繋がりで場所の設定を奈良にしてしまいました。笠縫邑は現在の奈良県小夫近辺。天神宮は現在の天神社に該当します。樹齢千五百年の欅も存在いたしますが、書くにあたり若干場所等の詳細を変更しております。そして、少しでもお気に召して頂けましたら非常に嬉しく思います♪
 それでは、またご縁がございましたらどうぞ宜しくお願いいたしますね(^-^)