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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


夜啼鳥の籠は何処に


<序>

泣くんです。
痛い、痛いと。

啼くんです。
還りたい、還りたい、と。

夜毎繰り返される、美しい嘆き。

『嗚呼、愛しき貴方は、今、何処に?』と――


          +

「……それで……こちらに持ち込ませていただいたんです」
 言って、白いカッターシャツに黒い学生ズボンを穿いた少年はテーブルの上に置いた箱を見つめた。
 その視線に倣うように、碇麗香もその箱を見る。
 箱の大きさは、約70センチほどだった。箱には紫色の組紐が掛け結ばれおり、蝶々型の結び目の下には桜の葉が敷かれていた。
「……あ……その桜の葉は、御札のようなものです。我が家に伝わるもので」
 碇の視線がその葉に向けられているのを知ると、少年は静かに告げた。それは怪しいものではなく、箱の中に収めているものを鎮めるためのものだ、と。
 ふぅん、と吐息のように答えると、碇はその紐に手をかけた。そして瞳だけを、眼鏡のレンズ越しに少年へと向ける。
「開けてもいいのかしら?」
「どうぞ。昼間は静かですから」
 御札など使って封じるくらいだから、もっと「開けてはいけない!」などという慌てた反応が来るかと思ったのだが、少年はあっさりと応の返事をした。
 少々拍子抜けしたような感を抱きつつも、碇はすぐに気を取り直し、その組紐をしゅるりと解いた。その手で、箱の蓋も開ける。
「……っ」
 中を覗き込んだ碇は、その双眸を見開きながら息を呑んだ。
 中に収められていたのは、一体の人形だった。
 大きさとしては、約60センチほどだろうか。
 服は、さまざまな色のマジックか何かで落書きがされ、あちこちが破れていたり片袖がなくなったりしてぼろぼろになっていた。が、残っている肩当てや服の意匠、細かな飾りなどを見るに、かろうじて中世の騎士のような服装だと分かる。ブーツらしきものも、片方は脱げてなくなっていた。
 その顔も、マジックかクレヨンか――そのようなもので、眉を太く描かれたり、ヒゲを描かれたり、頬にぐるぐる渦巻きなどを描かれている。髪は、頭に植え付けるようなものになっているようだが、すべて引っこ抜かれており、穴だらけの頭皮を晒している。
 そしてその人形からは、双方の瞳が抜け落ちていた。
「……ずいぶんとボロボロね……」
 現れた人形のあまりにも無残な姿に、碇は眉を思い切り寄せながら少年を見る。
「子供がどこかから拾ってきて、かなり乱暴に扱っていたようなんです。髪を引っこ抜いたりしたのもその子らしくて。そしたらそのうち……夜になると、痛い痛い、とどこかからすすり泣くような声がするようになったらしくて」
 怖くなった親が、その里の昔からの生き神的存在の血筋であった少年のところに「お宥めしてください」と持ってきたらしい。
「そりゃ、こんなふうに頭をズル剥けにされたら痛いって泣きたくもなるわよ……」
 ふう、と無知な子供ゆえのその暴虐極まりない所業に溜息を吐く。そして、人形へ向けていた眼を少年に向けた。
「まあいいわ。それで、この子をどうすればいいのかしら?」
「黙らせてください」
「黙らせ……?」
「痛いとか、還りたいとか、愛しい人がどことか……そんなことを夜な夜な一人でぶつぶつ話す人形なんです。だとしたら、霊とか宿っているのかもしれないし……。とにかく、鎮めてください。還りたい場所があるなら、還らせてもらっても結構です。記事にして、元の持ち主を探してもらっても結構です」
 とにかくもう、可哀想で聞いていられないんです。
 そう、何か思いつめたような顔で人形を見つめながら言う少年をしばし見つめて、碇はやれやれというように頷いた。
「あなた――七海綺(ななみ・あや)君、と言ったわね。それじゃ、この人形のことを記事にしてもいいのね?」
 取材に協力してほしいのよ、とか何とか言ってそういうものを調べるのが得意そうな者に話をふってやれば、すぐにどうにかしてくれるだろう。
 そう告げる碇に、少年――七海綺はこくりと頷いた。
「かまいません。よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げる綺を見て頷いてから、碇は再度人形に視線を向けた。
 さて、誰に連絡しようかしら……?


<思わぬ場所での再会>

 その日、シュラインは白王社ビルの近くにある、とある家に来ていた。
 シュラインがこっそりとやっているゴーストライターの原稿が昨夜ようやく書き上がったので、それを持ってゴーストの依頼をしてきた作家の元へやって来たのである。
「では、失礼します」
 抱えていた、きれいな包装紙に包まれたA4サイズの少し厚みのある箱を年老いた作家先生に渡すと、早々にその場を辞す。
 人目につくのは得策ではない。ゴーストは、あくまでも人の眼に触れない存在でなければならないのだ。書くことだけが仕事ではない。書いたことがバレないようにするのも、ゴーストライターの仕事。
 原稿を「贈り物」のように装い、包装紙に包んだ箱の中に収めて渡すのも、その一環。
「さて……と」
 ようやく原稿から解放されて身も心も軽くなったような感覚を覚えながら、シュラインは晴れた空に向かって両腕を伸ばした。凝っていた肩が解れて気持ちがいい。
 眩しそうに空を見上げて、ふと、その視線をさっき作家の家へ向かうために歩いてきた方向とは違う方へと向ける。
 その先には白王社ビルがあり、その中にはアトラス編集部がある。
「麗香さんのところに顔出してみようかしら」
 今日は草間興信所には、朝からこれといった依頼が舞い込んできてはいなかった。暫く外出するけど何かあったら連絡してね、と草間興信所の主である草間武彦の妹として扱われている草間零には言って来た。
 だが今のところ、携帯電話は沈黙したままである。
「……ま、せっかくここまで来たんだし」
 まっすぐに事務所へ帰るつもりだった体を反転させて、シュラインはアトラス編集部へ向けて歩き出した。


 外の暑さとは打って変わって、編集部のドアを開けた瞬間、ひんやりとした空気が室内から零れ出てきた。
 心地よい冷気にほっと一つ息をつき、中へ入る。
 そして、さて碇麗香はどこかと視線を巡らせかけた、その時。
 見知った顔がそこにあったことに、数度眼を瞬かせた。
「綺くん?」
「あ」
 慌しく右へ左へと動いている編集者たちをするりと避けて歩み寄り、声をかけてみる。すると、顔見知りの彼――綺は弾かれたように振り返った。
「シュラインさん」
「こんなところで逢うなんて驚いたわ。こんにちは。絵葉書と薄氷の桜、ありがとね。つ……、……じゃない、那王さんから受け取ったわよ。手作りなのが嬉しくって、ついつい意味もなく撫でてたりするのだけど」
 先日、鶴来那王――現在は七星那王、と名乗る男と手紙のやりとりをしたときに、シュラインが手紙と共に送ったリボンや手作りかぼちゃのプリンの礼として送られてきたもののことだ。
 一瞬、何のことだろう?というように不思議そうな顔をした綺は、すぐに得心したのか、ああ、と頷いた。
「水晶に桜の花を入れたあれは、確かに俺と那王さんが作ったものだけど……絵葉書の桜は、那王さんが描かれたものだから。見本にする桜を咲かせたのは俺だけど」
「あ……、そういえば、自分で描いたから下手だ、とかなんとか言ってたわね、あの人」
「本当に下手だったでしょ? 絵心とか全然ないみたいなんですよね、那王さん」
 それまで無表情を貼り付けていた綺の顔に浮かんだ微かな笑みに、綺のそばにあるソファに腰を下ろしていた碇が驚いたような顔をした。
 自分と話していたときには表情を一つも変えなかったのに、これは一体どうしたことだろう?
「知り合いなの?」
 思わず訊ねると、二人が同時に頷いた。
「事務所で何度か依頼を請けたことがあるの」
「草間さんの興信所で何度かお世話になりました」
 まったく同時に答える二人に、碇が眼を瞬かせてからおかしそうに笑った。
「まあいいわ、顔見知りだって言うなら、あなたも話を聞いて行きなさいよ」
「話?」
「七海君の依頼よ」
「依頼?」
 今度はシュラインが眼を瞬かせ、綺を見た。
 どうして草間興信所ではなく、アトラス編集部に?
 その疑問が口にする前に視線で伝わったのか、綺は視線を少しずらせて、近くの机の上に置かれていたボロボロになっている人形を見やった。
「草間さんのところは、時期が時期だけに忙しいかもしれないと思って。でも、こちらだったら記事になりそうなものならすぐに手をつけてもらえるだろうし、って」
 時期が時期――つまり、夏に近いこの時期にはそういうモノが活性化するのではないか、ということか。
「そう……じゃあなるべく早めに解決してほしいことなのね?」
「できればそうしてもらえるといいな、と」
「じゃあ私もお手伝いしようかしらね。そういえば、今日はつ……、じゃない、那王さんは? 直接逢って、頂き物のお礼を言いたいのだけど」
 つい、前の名字である「鶴来」を呼びそうになっては修正するシュラインに小さく笑ってから、綺は東京駅がある方を指差した。
「今は所用で京都に戻られているんです」
「あら、そうなの。じゃあまた後でメールでもしておこうかしら」
 いつもはゲーセンで遊んだりしているみたいだけど、珍しく真面目に仕事をしているのね……と内心思いつつ、シュラインはどうやら何か問題を抱えているらしいぼろぼろの人形へと瞳を向けた。


<人形について>

「確かに、これは大変よねえ……」
 あまりにも凄惨な状況にそれ以外に言葉が見つけられないまま、草間興信所からたまたまアトラス編集部にやってきていた黒いパンツスーツ姿のシュライン・エマは、手を伸ばして髪を毟り取られた頭を優しく何度も撫でた。
「ホントだよな……誰が見たってボロボロだぜ、こいつ」
 人形の心を慰めるかのように何度も頭を撫でているシュラインのその手を眺めながらひどく悲しそうな顔をしているのは、白いTシャツに少し傷みがあるジーンズという格好の青年、花房翠。女性ならともかく、男性でもぼろぼろになった人形を見てこんな顔をするものなのか……と思いつつ、その青年の横顔を眺めていたのは、使い魔である黒猫を腕に抱いた白い式服姿の榊遠夜だった。
 翠に向けていた視線を人形へと移しながら、遠夜は自分の顎先に片手で触れる。
「僕も、あまりにもこの状態は酷いと思うし……、まずは人形を綺麗にすることからはじめたいと思うのですが」
 できるだけ綺麗にしてあげたい。元通りの姿にするのは難しいとしても、なるべく、元の綺麗な状態に近づけてあげたい。
 そんな遠夜と同じ思いでいたのか、翠が大きく頷いた。
「そうだな。少しでも綺麗に直してやろうぜ」
「でも、ここに直す道具があるかしら?」
 周囲を見渡して見ても、せいぜいあるとしたらカッターとかペンとかくらいのもの。裁縫道具の類であれば、女性の編集者なら持っているかもしれないが、片方の袖が破れているからといって、もう片方も切り、それで形を何とか合わせてしまうのは……できないこともないが、この『騎士』のような格好の人形からすると、それはあまり好ましくないことかもしれない。
 今度は『騎士の格好がいい』と泣き出されでもしたら問題だ。
 ふう、と溜息を吐くシュラインに、暫し考え込んでいた翠がぽんと手を打った。
「あ。ホビー雑誌の編集部なら、シンナー系の溶剤――うすめ液とかあるかも。それだったらこの顔の落書きも消せるし。ちょっと借りてく……」
「容姿を整えてやるのも良いが、気になることが一つ」
 それまでソファに腰かけ、黙したままじっと人形を眺めていた黒スーツの男――沙倉唯為が、ゆっくりと口を開いた。自分の言葉が翠の言葉尻に被ったことなど全く気にも留めていないようである。
「こいつのこの形態、ある男が作った人形を彷彿とさせるんだが」
 内部構造などの細かいところはよくは分からない。が、外見的な形状や、汚れてはいるが基本となるその顔立ち等が、唯為が知っている……というか、唯為が所持している、ある人形師が作成した『鳩羽(はとば)』という名の白い衣装に身を包んだ人形に酷似しているように見えるのだ。
 この問題の人形の衣装も、白が基調となった騎士服。だから余計に、その人形師が作る人形であるかのような印象を強く受けてしまうのかもしれないが。
 ある男、という唯為の言葉に、言葉尻を奪われたことで何となくその場から動くタイミングを逃してしまっていた翠が、その黒い瞳を瞬かせた。
「もしかして、それって霧嶋のおっさんの人形か?」
 その翠の言葉に反応したのは唯為ではなく、シュラインの傍らに座っていた遠夜だった。シュラインはというと、「失礼します」と小さな呟いてからさっきまで撫でていたその人形の頭部や肌、装飾品などを調べ始めている。
「あ、花房さん、霧嶋さんのことをご存知なんですか?」
 唯為とシュラインが『霧嶋聡里』という人形師のことを知っていることは、遠夜も分かっていた。以前アンティークショップ・レンで、その人形師が作った人形に関わったときに、一緒だったから。
 が、翠まで知っているとは思わなかったのである。
 素直な疑問を宿した遠夜の言葉に、ああ、と翠は頷く。そして、くいっと親指で自分のことを指し示し、
「俺、今そのおっさんのとこで時々弟子みたいなことさせてもらってたりするから」
 紡がれたその言葉に、遠夜だけでなく、シュラインと唯為も翠へと顔を向ける。
「弟子?」
「弟子?」
 二人の声が見事に重なったことに、ああ、と翠は頷いて見せた。いつのまにそんなことになっていたのだろう……というかあの偏屈そうな霧嶋が弟子を取るなんて、と唯為とシュラインは思ったが、遠夜はというと、なるほど、というように素直に頷いていた。
 弟子だったら翠が霧嶋のことを知っているのは当たり前か、と思ったのである。
「まあ、弟子って言っても、まだあんまり人形とかには触らせてもらってないけどな。今はまだ人形に対する心得みたいなものを教え込まれてる段階っていうか雑用係っていうか?」
「にしても、花房くんが霧嶋さんのお弟子さんになってたなんてビックリしたわ」
「お前、よく弟子入りなんかさせてもらえたな。霧嶋は確か、今まで一人も弟子は取っていなかったはずだろう?」
 シュラインと唯為からの言葉に、翠はにっと笑ってみせる。
「まぁな。って言うかだなー、なんか時々アトリエに帰って仕事してるらしいんだけど、材料の仕入れとか、なかなか自分ではしづらいらしくてさ。ほら、一応あのおっさんって、表向きはアレだからさ」
「表向きは、アレ?」
 人形のあちこちを調べ、服に覆われていた左腕の前腕部内側に大きな裂傷があるのを発見はしたが、どこにも作者の銘らしきものが見当たらないことを確認したシュラインが再度人形の頭を撫ではじめたその手の動きを見ているうちに、ついつられるように抱き上げたままだった使い魔『響』の頭を撫でていた遠夜が小さく首を傾げる。
 それに、唯為が煙草に火を点けつつ退屈そうに答えた。
「行方不明というヤツだ。碧摩蓮の店に『琥珀』を置いていった時もヤツが行方不明になっていたのは、お前も知っているだろう? その後も――つまり、今も。その状況は変わらないままなんだ」
「行方不明のまま……、表向きだけですか?」
「ああ。俺たちは現在の居所も分かっている。何か事情があって表向きには雲隠れしている状況らしいが……」
 そういえば、何故行方不明を装っているのか……そのあたりの事情を霧嶋から詳しく聞いたことがなかったような気がする。
 交通事故に遭った後に病院を抜け出した、記憶の大半をロストしている訳ありの人形師。マスコミのネタにされるのを厭ってのことか? 
 ただそれだけのことで雲隠れなどしているというのだろうか。
 何だろうな……と思いつつ、ゆっくりと唯為が口許から離していた煙草を咥えたのを話の終わりと見たのか、翠がさっきの言葉の続きを紡いだ。
「そんなわけだから、外出もままならないんだよ。行方不明のはずの人間がうろうろしてるわけにもいかないし。それで、俺が代わりに材料の買出しとかしてきたり、局留めにしてる郵便物とか仕入れた荷物とかを取りに行ったりしてるんだけど」
「それってパシリ?」
 人形の頭を撫で続けながらツッコミを入れたシュラインに、あ、と遠夜が小さく声を落とした。
 それは言ってはいけないことなのでは?と思ったのだろう。
 が、翠は明るく笑った。
「まあそんなようなモンかな。でも、陶芸家にしても料理人にしても作家にしても、弟子ってそういう雑用から入るモンだろうしさ。……確かに、郵便局行って、工具屋行って、ガラス屋行って、文房具屋行って……って次々回ってる間は、ああパシらされてるなーって思うけど」
 どうせいいように扱われるのは慣れているし、と『おやつ係』という名称を与えてくださったどこぞの甘い物好きな黒尽くめの青年のことを思い出して溜息を吐く。
 が、それはさておき。
「……なんていうか……おっさんがこんな人形見たら、きっと泣くだろうな」
 気を取り直し、翠は再度シュラインが撫で続けている人形を見た。
 自分のものではない人形に対しても、霧嶋という人形師が深い愛情を持っているというのは、弟子になってから何度も話を聞いているうちに翠にも理解できた。
 だから、きっとこんなボロボロの人形を見たら、悲しむに違いない。
「……霧嶋が泣くかどうかは知らんが、外見を整えてやるのは賛成だ。霧嶋のところへ直接持っていって修復を頼むのも手だとは思うが」
 またどこか悲しそうな顔つきになる翠から件の人形へと銀色の瞳を向けて言う唯為に、遠夜も頷いた。
「そうですね。服やウィッグなんかも人形専門店にあるのだったら買って来たいと思っていたんですけど……霧嶋さんのお弟子さんがおられるなら、碇編集長に紹介状とか書いてもらわずに直接向かってもきっと大丈夫ですね」
「そうだな、直に行っても多分おっさんなら大丈夫だと思う……、……んだけど」
 だとしたら顔の落書きを消すための溶剤もここで借りずに霧嶋に全部任せてしまったほうが綺麗になりそうだ、と一度はホビー雑誌の編集部に向かおうとしていた体をくるりと方向転換させた翠は、ならば一刻も早くそっちに向かおうと言いかけて、その言葉を続けるのを躊躇った。
 シュラインが、人形の頭を撫でながら何事かを呟いていたからだ。
 遠夜と唯為も、怪訝そうな顔で暫しシュラインの様子を眺めていたものの、その唇から零れてくる言葉が耳に届くにつれ、いつのまにやらそんな表情は溶けて消えていた。
 彼女の意図するところが分かったからだ。
「……許してあげて、とは言わないけど……あなたのことをこんなふうにしたコは、これから大きくなって……成長して……何かを大切に思うことができるようになったとき、あなたをこんなふうにしたっていう行為にきっと心を痛めるはずだから……」
 元はどんな髪がそこにあったのかは分からない。瞳の色も分からない。顔には落書きがされていて、元々の顔もよくは分からない。
 どういう思いでもって、子供がこんなふうに顔に落書きをしたり服を破ったりしたのかも、分からない。
 けれど。
「今は自分がしたことがどういうことかよく分かっていなかったとしても、きっと分かる日がくると思うの。……あなたの声も聞いたなら、そういう眼に見えないもの――人外の存在も大切にすることも心奥で学んでいるはずだから」
 稚い子に言い聞かせるような柔らかな口調と声音。それを聞きながら遠夜は静かに、そんなシュラインの思いに同意を示すように頷いた。そしてその細い指をそっと汚れている人形の頬に触れさせる。
「黙らせるのは、好きじゃないから。だから……きみが満たされて、つらいことや哀しいことを言の葉に乗せて紡ぐようなことがなくなるといいな」
「そうだよな」
 遠夜の言葉に頷くと、翠は軽く両の掌を一度ぐっと握って開き――その手を、人形の体にそっと乗せた。
「そのためにも、読み取れるだけ読んでみるとするか。手っ取り早く何か手がかりが掴めるかもしれないし」
「サイコメトリー、か?」
 煙草を半分消費した辺りで灰皿に押し付けてもみ消した唯為が問いかけると、翠は神経を集中させながら頷いた。
「なんか分かることあるかもしれないだろ? 一通り分かったら、この人形の望むとおりにしてやればいい。その情報からパソコンでネットとかを駆使して情報をまとめてやることだってできるかもしれない」
 還りたい場所、愛しい人――そう言ったものがもし読み取れれば、望みを叶えられるかもしれない。
「じゃあ……行くぞ」
 翠の低く落ち着いた声に、シュライン、遠夜、唯為が頷く。
「……――――」
 ふ、と翠の双眸が静かに閉ざされた。
 すうっと自然に引かれるように、何者かに導かれるように、意識が深いところへ落ちていく。


 ひとつ。
 ふた……つ。
 ……みっ……つ。

 意識が深底に沈んだことを示すかのように、瞼の裏の黒い世界に一滴ずつ雫が落ち、波紋が広がる。
 それを三度数えた、時。
 翠の意識は、肉体という存在を忘れたかのようにどこまでも拡がっていた。
 それは、人形の「記憶」という名の、場。
 その場に。
 ぼやんと膨張したかのような声と、輪郭が曖昧にぼやけている映像が過ぎる。
 それを、まるで川辺ですいすいと宙を舞い泳ぐ蛍をたも網で捕まえようとするかのように、意識で捉える。

 鼻の下に髭をきれいに伸ばした、身なりの良い壮齢の男がいた。
 その男は、冴えた冷たい眼差しでこちらを見ている。
 ……まるで蔑むような、その瞳。
『傷物など、もう必要ない』
『では処分ということで?』
『かまわん。捨てて来い。くだらん品物に金を払ってしまったものだな』
 男が、踵を返して遠ざかっていく。
 最後の最後まで、こちらを見る眼は冷たかった。

 ふっと、場面が切り替わる。

 今度は、声も音もない。
 ただじっと……こちらを見ている、眼があった。
 黒々とした、瞳。
 しかし、それにはさっきの男のような冷たさも、あの男とは違う優しさも、何もなかった。
 無。
 ガラス玉のような、少し紫がかっている黒い瞳。
 何も言わず、ただじっと……こちらを見つめている、瞳。

 また、ふっと蛍の光が消えて、新たな光が浮かんだかのように次の情景が浮かんできた。

 すぐ近い場所から、少し舌っ足らずな女の子の声が聞こえてきた。
『なっちゃんはこんな色の髪はいやなの。おばあちゃんみたいだもん。黒くないといやなの。だから、ぜんぶ抜いちゃうの』
『お化粧しましょうねー、こうやって……、……わあっ、かわいいのー!』
『髪の色はいやだけど、眼の色はすごく好き。きれいだし……よーし、これを取ってなっちゃんの宝物にしようっと!』
『おめめなくなったら可愛くないね。あ、こうしたら面白いかも! ほっぺにぐるぐる〜』
『なんかぐちゃぐちゃになってきちゃったなー……もういらないや』
 くるりとした、無邪気な子供の眼が見えた。


「――――……っ!」
 パッと人形から翠の手が離れた。
 と同時に、閉ざされていた双眸が開く。
「……何か見えましたか?」
 暫し、まだ現実と意識の中との区別がついていないかのようにぼんやりとしている翠の肩にそっと手を伸ばして触れながら、遠夜が静かに訊ねた。翠は一つ大きな深呼吸をし、こめかみを指先で抑えながら頷く。
「あんまり、はっきりしたものじゃなかったけど……なんか偉そうなおっさんの話し声と、紫っぽい黒い眼と、女の子の声がして……」
「偉そうなおっさんと、紫っぽい黒い眼と、女の子?」
 翠の言葉を鸚鵡返しにして、シュラインは人形へと視線を落とした。
「この子に刻まれてる記憶だとしたら、この子が言ってる『還りたい』とか『愛しい人』とかと関係があるのかしら?」
「具体的にはどんな話をしていたんだ? その、おっさんと小娘とやらは」
 翠が記憶を辿っている間に、碇に言いつけられでもしたのか……アトラス編集部の社員である三下忠雄がおずおずと運んできた出涸らしの茶が注がれている湯飲みを、ソファに偉そうな態度で座ったまま一瞥して問いかける唯為に、翠は再度頷いた。
 そして、先ほど見た光景のことを話して聞かせる。
「……、ということは、その男性が、元々のこの人形の所有者でしょうか」
 くだらん品物に金を払った云々という言葉を吐いていることからしても、そう考えるのが妥当か。
 翠の話を聞き終えて呟いた遠夜に、シュラインも同意を示す。
「でしょうね。それも、そこそこの資産家かしら」
「女の子、というのはこの人形の顔に手を加えた子なんでしょうね。髪がどうとかということも言っていたようだし……眼も、その子が取ってしまったのかな」
 一本残らず髪が毟り取られた人形の頭と、瞳がない眼の部分を見て、遠夜は思わず溜息を吐いた。
 その無邪気さゆえに、子供は時として残酷なことさえも躊躇わずにやってしまう。
 さっきシュラインが言っていたように、いつか、自分がしたことに罪の意識を持ち、物を大切に扱うようになってくれればいいが……。
「……紫がかった黒い眼、か……」
 遠夜と同じく、人形へと視線を向けた唯為が小さく呟く。
 人形を見たときから眼がないことを気にかけていた唯為は、唇を軽く親指で撫でながら視線を斜めに落とす。
 こういう類の人形にとって、瞳はおそらく、重要な部位であるはずだ。
 霧嶋が作った『琥珀』も、そうだったように。
「……花房が視たというおっさんと小娘には、言葉があった。だが、黒い瞳には、言葉がなかった。……ガラスのような、感情のない瞳……」
 それもまた、琥珀に似ているような?
 とすると。
「その眼がこいつの眼か。それとも、こいつと一緒に置かれていた者の眼か?」
 男と少女というのを客観的に捉えているということは、その黒い眼も、自分ではない誰かのものを見ている、と考えたほうがいいのだろうか。
「よし」
 思考に沈んでいく唯為の呟きを聞いていた翠が、その意識を引っ張り上げるように、パン、と軽く胸の前で両掌を打ち合わせた。
「ま、ここでうだうだ言ってても仕方ない。パソコン使って調べてもいいかもって思ってたけど、とりあえず、おっさんのとこに行ってみようぜ。早くこのボロボロな姿もなんとかしてやりたいしさ、おっさんだったらこの人形のことも何か分かるかもしれないし」
 自分の中へと意識を向け続けていた唯為が、その手を叩いた音に小さく肩を揺らせた。遠くを見ていたような瞳が現実を映し始める。
「そうだな」
 何事もなかったかのように唇の端を吊り上げて余裕げな笑みを零しながら、ゆったりとした所作で立ち上がった。
「可愛い琥珀の顔も見ておきたいし、たまにはお義父様にもご挨拶くらいはしておかんとな」
「可愛い琥珀……に、お義父様?」
 ソファから腰を上げる途中に聞いたその言葉に不思議そうに首を傾げる遠夜に、シュラインが肩を竦めて笑った。
「最初はビックリするかもしれないけど、霧嶋さんのところに行けば、きっとすぐ理解できるわ。……琥珀くんと再会するまでに、榊くんには色々教えてあげないといけないこともあるけれど」
 遠夜も知っている『琥珀』という、遠夜が名前を引き出し思い出させた等身大の少年人形が、今は『人』として動いていること。
 それが、霧嶋の特殊な能力によるものだということ。
 そしてその霧嶋の能力が及ぶ範囲内に入ると、何らかの霊能力・超常能力を持つ者は全て、痛覚と味覚が消えてしまい、肉体が『人形』のようになってしまうこと。
「まあ、陰陽師などやっていたら、世の中の不思議現象をいくつも見ているだろうしな。そう驚くこともないかもしれん」
 自分が琥珀と再会したときも、最初は驚いたものだったが、すぐにその現状に馴染んでしまったものである。
 初めて出逢った頃の――いや、正しくは、初めて再会した時の、だが――あの琥珀の無表情っぷりを思い出し、唯為は小さく笑った。
 シュラインと翠も、自分たちが『人間と大差なく動く人形』である琥珀を初めて見たときのことを思い出し、何だか懐かしいような気持ちになっていた。


<ゲームセンター「Az」>

「おう、別嬪なお嬢さんにおやつ係にセッちゃん。いらっしゃーいようこそ我が城ゲームセンターAzへ!」
 店に入るなり掛けられた明るく弾けた声に、シュラインはいつものように笑い返して「こんにちは」と言い、翠は「おう、こんちわ!」と軽く片手を挙げて明るく笑いながら挨拶を返し、唯為は怪訝そうな顔をして、その出迎えてくれた相手を見た。
 真っ直ぐな黒髪。黒いスーツに、左眼に鋲が打ち込まれている黒い眼帯をした、一目では男か女か判別し難い、その人物。
「なんだ『セッちゃん』というのは。俺のことか?」
「そうそう、お前さんのことだ。それともやっぱり『ユイちゃん』の方がお好みか? それとも、略さずに正式に『セクハラ銀色タレ眼ちゃん』の方がお前のことをズバリ言い当ててるっぽくていいか?」
「阿呆かお前は。どれもいらんわ」
「そんなツレないことを言うなよ、セッちゃん。ワレワレはオトモダチではないかーオトモダチではないかー仲良くしようではないかー、なー? おっともーだちっ」
「……ふふふふふ、何を言っているのか知らんが、俺をタダ働きさせた罪は重いぞ?」
 ぽむぽむと背を叩いてから、やたら親しげに肩を抱いてくる相手に、唯為が胡乱げな微笑を口許に貼り付けて低い声を落とす。と、その途端、ヤバいことを思い出された、とでも思ったのかその人物はパッと唯為から腕を離し、その場からダッシュで逃げよう――として。
 ふと。
 そんな唯為の後ろにいた、白い式服の少年に気づき、その人物は露わになっている右眼をきらりと輝かせた。
「おおおっ、これはこれは何とも艶やかな美少年! いやあいらっしゃいいらっしゃい我が城ゲームセンターAzへ!」
 両手を組み合わせて右の頬に寄せながら大歓迎ムードを高めつつ、すぐさまずずずずいっと唯為を押しのけて『美少年』に顔を寄せる。
「ややや、間近で見ると黒いおめめが可愛らしくてますます素敵なキュートさんだと分かる! どうですか艶やかな美少年、私とお茶でも一杯。いやいや、一杯と言わずたらふく好きなだけ、いやいやお茶と言わずに食事でも」
 妙にテンション高く迫ってくる相手に、けれども『艶やかな美少年』――と呼ばれた遠夜は特に表情を変化させるでもなく、小さく首を傾げて。
「いえ、結構です」
 あっさりと言った。
 素気無い答えにがくりと肩を落とす、その人物。
「フラれた……たった5秒で瞬殺……」
「いつもどおりお元気ね、店長さん」
 いちいちオーバーアクションなその人物に向かって言うと、シュラインはおかしそうに笑った。それに『店長』と呼ばれた人物は、ニッとまるで悪戯好きな少年のように笑って返す。
「おうともよ。私から元気を取ったら何が残るかって話だお嬢さん。たった今フラれたばかりだがねーそれでも私は元気だよーはははー」
 明後日の方向を見ながら乾いた笑い声を発するその人物から、遠夜は視線を隣にいた翠へと移し。
「……この方が、店長さんですか?」
 不思議そうに首を傾げた。
 おやつ係、と翠が呼ばれていることからしてきっと彼もこの人の顔見知りなんだろうと思いつつ問いかけた遠夜の期待通りに、翠は笑って頷く。
 心の中で、こんなテンション高いヤツがいきなりナンパ(?)してきても動じもしないなんて大したヤツだなー、と思いつつ。
「変なヤツだけど、多分悪人じゃないと思うからさ」
「そうね、悪人じゃないわ、多分。うん、多分」
 シュラインも頷く。
 断言できないのは、まだこの人物の得体がよく知れないからだろうか。
 が。
「いや、榊。気をつけろ、こいつは根っからの悪人だぞ。取って食われないように十分気をつけておけ」
 唯為が至極真面目な顔で異論を差し挟んだ。
 それを耳にし、店長が唯為を見て不満げに唇を尖らせる。
「何を言う。私はセッちゃんみたいにセクハラしたりはしないぞ? ついさっき、琥珀にもお前には重々気をつけろと言い聞かせたところなんだ。私はもうお前がいつ琥珀を取って食うかと心配で心配でハゲそうで」
「ならば今からお前のお望みどおりに取って食ってやろう。琥珀はどこだ?」
 言いながらフロアを見渡してみるが、どこにも琥珀の姿はない。いつもならその辺りでモップ掛けをしてるか、こちらの姿を見たら寄ってくるのに、今日はまだ寄って来る気配はない。
 2階フロアにいるのだろうか、と階段の方を見やる唯為に、ニヤリと店長が唇を歪めて笑った。
「残念ながら、今日は霧嶋とお出かけだ。瑪瑙も一緒にな」
「え? 霧嶋さん、出かけておられるんですか? じゃあ逢うのは無理か……」
 零れた遠夜の言葉に、んん?と店長が右の眉を持ち上げた。
「何だ、揃ってここに来たのは霧嶋に用事だったのか? だったら出直してもらったほうがいいだろうな。夜には帰るとか言っていたが、どこへ行ったのか私もよく分からんし」
「そっか。じゃあまた夜に出直すとするか」
 いない者をここで待ち続けるには少し時間が有り余る気がする。だったらパソコンがあるところへでも移動して情報収集でもしてみるか。
 と思いつつ言った翠に、シュラインが何か思い出したように、あ、と声を零した。
「そうだ。だったら夜までの間に女の子のところへでも行ってみる?」
 両腕で抱えている、人形を収めた桐の箱が入った紙袋を一度見てから、どう?と言うようにシュラインが男性3人を見る。
「そうだな。俺も、花房がサイコメトリーで読んだ情報をより確かなものにするためにも、その子供から直接、人形を見つけた場所や状況などの話を聞きたい」
「それは俺も賛成だけどさ、急に四人でぞろぞろ出向いたりしたら、相手も引かないか?」
 見も知らぬ者たちが急に、夜泣き出す人形についてアレコレ聞きに来たりしたら、ただでさえ不安に思っている者を余計に不安にさせないだろうか。
 そんな気持ちから、唯為へと言ってみた翠だったが、唯為は余裕げに笑って返した。
「その点なら、綺を連れて行けばスムーズに運ぶだろう」
「そうね。私も親御さんは綺くんが同席してたら話し易いと思うわ」
「確かに、親御さんは七海さんに頼ってこられたようですし、七海さんが一緒だったなら安心されるでしょうね」
 生神のような存在として里で扱われているらしい綺なら、ただその場にいるだけでも相手の心を安らげる効果がある。
 そう思い、遠夜も唯為とシュラインの言葉に同意し、頷いた。
「ああ、そっか、そうだな。綺のところに依頼を持ってきたんだったら、綺がいたら俺たちが話を聞きに来たって言うのも納得するか。それなら問題ないな」
「じゃあ、決まりね」
 翠が納得したのを見て、抱えていた人形を「はいお願い」と遠夜に差し出すと、シュラインは空いた手で肩に下げていたバッグの中から携帯電話を取り出した。
 実は、綺はさっき四人がアトラス編集部にて人形について考察を加えていたときに、それを邪魔しないようにそっと碇にだけ「すみません、あとはお願いします。実は今、高校の期末テストの真っ最中で……」と里にある家に戻って勉強をしたい旨を伝え、帰宅してしまっていたのである。
 テスト勉強の邪魔をするのは気が引けもしたが……それほど長い時間かかるわけではないし、と自分に言い聞かせ、シュラインは綺の自宅に電話を入れ、「ほんの少しだけ時間をもらえるかしら?」と申し入れた。


<桜の里にて――合流>

 テスト勉強を中断してやってきた綺は、さっきの電話でシュラインに住所を伝えた、問題の人形を拾った子供の家の前で合流した。
「テスト勉強してるところ、ごめんなさいね」
 苦笑するシュラインに、綺は小さく頭を横に振った。
「いえ。依頼主は俺だし、俺にも協力できることがあるなら、協力したいと思うし」
「明日のテストの科目は何ですか?」
「数学と英語」
 同じ高校生である遠夜の問いに答えて、綺は少し困ったような表情になった。
「……苦手なんです、英語」
「七海さんって僕と同じくらいの年ですよね? 僕は16ですけど」
「俺は17です」
「じゃあ学年一つ上かな?」
「いえ、同じ学年だと思います。俺、1年間休学していたから。……英語以外はなんとかなるんだけど……いくら勉強しても英語だけはいい点を取れたことがなくて。でも中間も悪かったから今回は少し頑張らないと赤点つくし……」
 憂鬱そうに溜息を落とす姿を見ていると、本当にとことん英語が苦手なのだと分かる。
 その様子を暫し眺め。
「……もしよかったら、僕が後で勉強の仕方のコツとか教えましょうか?」
 もしかしたら、勉強の方法が悪いのかもしれない。
「赤点間際なんてかなりの緊急事態だし」
 同じ高校生として何となく気になってしまったから零れた言葉だったが、窮地に陥っているらしい綺にとっては願ってもない救いの手だったらしく、数度眼を瞬かせてから素直にぺこりと頭を下げてきた。
「お願いします。助かります」
「はい。僕のやりかたが七海さんに合うかどうかは分からないけれど」
 遠夜も素直に頷いて答える。
 そんな高校生二人の若々しい会話を傍らで眺めていた大人三人は、『テスト勉強』という言葉の響きに懐かしさを覚えていた。
 もう遠い昔の話――、と懐かしき高校時代の回想に引き込まれそうになったところで、ふるふると、ほぼ同時に翠とシュラインは頭を振った。
「テストのことはまあ俺もいっぱいいっぱいになった経験はなくはないけど……まあ、あとで、ってことでな」
「そうね、私も勉強見てあげられるかもしれないし」
 翻訳などの仕事もしているシュラインにとっては、英語も日常言語とそう大差ないものである。なんとか赤点から救い上げられるかもしれない。
 が、とりあえずはまず、人形の件の解決が先だ。
「さて。行くとするか」
 その場にいる全員の意識を切り替えるように言うと、唯為は手を伸ばしてインターホンを押した。


<少女と、人形>

 幼稚園に通っているというその子供の名は、奈美、と言った。
 最初はたくさんの大人がやってきたことで緊張していたのだが、箱から取り出した人形を見せると、その緊張はさらに色濃くなった。
 頬を強張らせながら、母親の後ろに隠れようとする。
「すみません……この子、そのお人形さんが泣き出したことで怖くなってしまったみたいで」
 最初は、急にやってきた者たちに驚き、不信感を露わにしていた母親だったが、その中に綺がいたことで、綺が人形の一件の解決のために頼んだ人たちなのだとすぐさま理解し、彼らを家の中へと通してくれたのである。
 困ったように笑いながら、母親は奈美の頭を撫でた。
「なっちゃんが髪を引っ張って抜いたせいだ、お顔に落書きしたせいだ、お洋服破いちゃったせいだ、って」
 だが、奈美の怯えに満ちた眼は、人形だけでなく来訪者たちへも向けられている。
 ……どうやら、奈美が恐れている人形を持ってきたせいもあるだろうが、どうしてこの人形にこんなことをしたのか、と訪れた者たちに怒られるのではないかという恐れもあるようだ。
 ふ、と吐息を零すと、唯為はいつもと変わらぬ口調で奈美に言った。
「やってしまったものは仕方ない。それより、これをどこで見つけた? どういう状態だった?」
 やってしまったものは仕方ない、という言葉で、自分がそのことについて怒られることがないと判断したのか、奈美はおずおずと母親の後ろから出てきて、ちょこんとその傍らに腰を下ろすとゆっくりと話し出した。
「……、見つけたのは……、里の、ゴミ捨て場。ゴミ捨て場の前でね、軽石で道路に絵を描いて遊んでたときに、そのお人形があることに気づいたの。ゴミ袋とゴミ袋の間に落っこちてた」
「ゴミ捨て場……、……ということは、元の持ち主まで割り出すのは無理かしら……」
 人形の頭を撫でながら、シュラインは溜息を吐いた。
 還りたい、というのがどこなのかまだよく分からない今、それが元の持ち主の場所ではないとも言いきれないのに。
「困ったわね」
「この辺で、金持ちの家ってあるか? なんか、偉そうなおっさんがいる家」
 シュラインの溜息を耳にしてどうにかならないものかと思っていたところ、ふと、サイコメトリーで読み取った記憶の中で見た身なりの良い傲慢そうな男のことを思い出した翠は、隣に大人しく座っていた綺に問いかけてみた。
 里の生神的存在なら、里の住民のこともよく知っているだろうと思ったのだ。
 その問いに、綺は少し思案するように視線を落としてから、ああ、と小さく頷いた。
「一軒だけありますよ。会社の社長をされている人の屋敷なんですが、俺の家にも何度か来られたことがあります。でも、特に偉そうだとか言うことはないと思いますが……、……あ、そういえばあの人、美術品を集めるのが趣味だったかな」
 美術品。
 確かに、人形も一種の美術品だ。
「……そいつでビンゴかもしれないな、元の持ち主」
 本当に価値が分かっていて買ったのか、それとも単にステイタスのためだけに買ったのかは分からないが、この人形もその一つだった可能性はある。
「逢いに行ってみるか?」
 唯為の言葉に、でも、と綺が言葉を挟む。
「篠澤さん――その美術品を集めるのが趣味の人なんですが、その人、先日渡欧されましたよ?」
「渡欧? ヨーロッパに行かれたんですか?」
「はい。仕事でヨーロッパに行ってきます、暫く留守にしますのでもし屋敷で何かあったらお世話をおかけしますがよろしくお願いします、と言って行かれたので。帰宅されるのは半年後だとか」
「半年後……」
 もしこの人形が求める『還る場所』がその男の手許だとしたら、この先半年間も人形は泣き止まないままということか。
 自然と、遠夜の唇から吐息が零れた。
 半年は長い。
 それまでに何とかならないものか……。
「……、あのね、綺さま」
「え?」
 憂いがちな顔つきになる遠夜のその横顔をぼんやりと眺めていた綺の手を、いつのまにか近づいてきていた奈美がきゅっと握った。
「……どうしたの?」
「……、あのね、……これ……」
 その場にいるほかの面々の顔を見回してから、奈美はおずおずとポケットから何かを取り出し、綺の手の中に握らせた。
「何だ?」
 横から唯為が覗き込む。その問いに答えるようにゆっくりと開かれた綺の掌には、2センチほどの2つの球状のものが乗っていた。
 唯為が、ひょいと1つを指でつまんで自分の眼の高さまで持ち上げる。
「あ」
 それを見た翠が小さな声を落とした。
「それ、人形の眼だ」
「眼? これが?」
 不思議そうに青い瞳を瞬かせてから、もう1つを指でつまんで全角度からぐるりと眺めて。
「……あ、ホント。眼だわ」
 薄紫色の瞳と思しき部分が見えたことでシュラインも納得がいったらしく、それを綺の手の上に戻して少女へと視線を移す。
「どうして、お人形さんから眼を外していたの?」
 怖がらせないように柔らかな声音で問いかけると、奈美はちらりと一度母親を見てから少し俯き、上目遣いにシュラインを見た。
「……ママのね、大事にしてる指輪についてる宝石に似てたの」
 以前、その指輪で遊んでいたらひどく母親に怒られたことがあったのだと言う。それからずっと、少女は「自分もああいう宝石がほしい」と思い続けていたらしい。
 そして、ちょうどその宝石に似た色をしていた人形の瞳を引っこ抜いたのだ。
「ぎゅってやったら、外れたの。頭のフタ。それで……中を覗いたらおめめが取れそうな気がしたから……ぎゅって引っ張ったら、取れたの」
「……そうだったんだ……」
 一生懸命に話してくれる奈美に頷いてから、遠夜は人形へ一度眼を向けて、それからまた奈美の顔を見た。
「人形って、動かないから心がないと思ってしまうかもしれないけれど……もう分かったね? 言葉を発せなくても、人形も人と同じで、痛いって泣いたりするんだって。優しくしてあげないと駄目なんだって」
「……うん。なっちゃん分かったの。これからはちゃんとお人形のこと、大事にしてあげる」
「うん。いい子だ」
 こくんと頷いた奈美に応じて遠夜も頷き、その頭をそっと撫でてやった。シュラインもその様子を見て微笑んだ。
 これできっと、この子がきちんと反省していることが人形にも伝わっただろう。少しは、その心を鎮めることができるかもしれない。
「じゃあ、眼も見つかったことだし、そろそろおっさんも帰ってきてるかもしれないし、Azに戻るか?」
 窓の外を見れば、もう外は暗くなり始めている。都心からこの里まで少し距離があるため、帰る時間も考慮すればちょうどいい具合かもしれない。
 翠の言葉に、シュラインも頷く。
「そうね。元の持ち主には逢えなさそうだし……だとしたら、今は先にこの子の姿を整えてあげたほうがいいかも」
 言いながら、人形を見る。
 やっぱり、どう見ても痛々しいのだ。
「それに、夜になると泣き出すっていう話だし……もうすぐ日が暮れるっていうことは、話し出すかもしれないでしょ? 霧嶋さんのところでならゆっくり話も聞けそうだもの」
 霧嶋の元でなら、もし何か人形に異変があったとしてもすぐに霧嶋に対処してもらえる。
 そういう意図も少なからずあった。
 そんなシュラインの言葉に誰も異議を答えることもなく、奈美の母親に暇を告げてこの場を辞そうとした、その時。
「……お人形、きれいにしてあげてね?」
 一番最後に立ち上がった唯為に、奈美が言った。立ち上がりつつも手に持った人形の瞳を見つめたままだった唯為が、ん?と視線を奈美へと転じる。
「ああ……、……心配するな。俺は人形が大好きだからな、ちゃんと綺麗にしてやるぞ」
「本当? よかった」
 ほっとしたようにようやく子供らしい笑みを零したその顔を見て小さく笑ってから、唯為はまた手に持っていた人形の瞳へと視線を向ける。
 その、薄紫色の瞳。
 唯為が持っている霧嶋が作った人形『鳩羽』の瞳は、もう少し濃い紫色をしている。
 しかし。
「もう一体……紫の瞳の者がいたような……?」
 碧摩の店で、琥珀の名前を探すために調べた霧嶋作の『白醒』シリーズの人形は、確か、赤が2体、青が2体、緑が2体、紫が2体、黒が1体だったはず。
 としたら。
 もしかしたら、紫の瞳をもつこの人形は、本当に――。
「……、沙倉さん?」
 人形の瞳に視線を落としたまま、なにやら深く思案しているかのような唯為に、そっと綺が声をかけた。はっと数度銀の瞳を瞬かせてから、唯為がいつものように人を食ったような笑みを浮かべて綺を見る。
「早く解決せんと、お前の明日のテストにも本格的に響きそうだな?」
「え? あ……はい、できれば俺も早期解決を願いたいところです。気になってあまりテスト勉強に集中できなかったので」
 素直にそう答えてしまう辺り、相当切羽詰っているんだろうな、と思いつつ、唯為は先に玄関に向かった他の者たちをゆったりとした足取りで追った。


<人形師のアトリエにて>

 空は、闇が支配し始めている。
 そろそろ人形が泣き出す頃だろうか。
 泣きたくなってくる頃なのだろうか。
 愛しい人と恋しい場所を、思い描きながら。

 閑静な住宅街へと向かう通りにある、古びた洋館。
 そこが、人形師・霧嶋聡里のアトリエ兼住居だった場所だ。
 一度、里からAzへと向かったのだが、そこで店長に「霧嶋ならアトリエに戻ってった」と言われて店から出ようとしたところ、「ちょっと今客がいなくて退屈だから誰か私の相手してくれないか? 一人でゲームしててもつまんなくてさ」と子供のようなことを言い出した店長の元に綺を残し(綺が自ら「役に立たない俺が残っておきます」と居残り役を買って出たのである)、その足で今度はこちらに向かったのである。
 が。
「……電気、消えてるみたいだけど」
 洋館から漏れる明かりはないかと視線をめぐらせて、ぽつりとシュラインが言う。
 明かりがついているらしき部屋はない。カーテンで中からの明かりが完全に外に漏れないように遮られているのだろうか?
 そんなシュラインの方を見てから、翠が勝手知ったるといった様子で入り口のドアノブに手をかけようとしたところ。
「花房さん」
 翠がノブに触れる直前、静かに扉が開かれた。
 その向こう――闇の中に、ぼうっと淡く白いものが浮かび上がる。
「……っ、びっくりした」
 突然自分から勝手に開いた扉と、まるで幽霊のようにそこにいる人物に心臓をバクバクさせながら、翠が大きく息を吐いた。白いシルエットの正体が分かったからである。
「脅かすなよ、琥珀」
「すみません」
 白い燕尾服姿で現れた琥珀はいつもと変わらず無表情のまま淡々と謝罪の言葉を口にすると、ふと、その金色の双眸を翠の後ろにいた遠夜へと向ける。
 反射的に、初対面の人間に対応するときのように小さく会釈する遠夜。
 「初めまして」と言えばいいのか「久しぶりです」と言えばいいのか悩むところだった。
 前に逢ったときの琥珀は、まだ『人形』で、人と同じように動ける彼に逢ったのはこれが初めてだから。
 琥珀が前のことを覚えているのかどうかもよく分からなかったため、どう挨拶をしていいのか考え込んでしまったのだが。
「その節はお世話になりました」
 悩んでいるうちに、先に琥珀が頭を下げてきた。それを見、遠夜も頭を下げ返す。
「いえ。あ、榊遠夜です」
「榊さん。あなたが僕の名前を呼んでくれたから、僕は僕の名前とマスターのことを思い出すことができました。本当に、感謝しています」
「あの時のことなら、僕だけの力ではないから。シュラインさんや沙倉さんや、その場におられた方々の力でもある」
 自分だけの手柄ではないと告げる遠夜に、それでもも感謝の意を込めたかのように深々と再度頭を下げてから、ふと、来訪者たちを見て小さく首を傾げ。
「ところで……みなさんお揃いで今日はどうされましたか?」
「相変わらず淡々としているな、琥珀。元気だったか?」
 もう少し出逢えたことで嬉しそうな顔を見せてくれると嬉しいものをと思いつつ、一歩前に進み出た唯為がぽむぽむと、子供をあやすかのように琥珀の頭に手を乗せた。
「ん? 暫く見なかった間に背が伸びたか?」
「いえ、伸びていませんが」
「そうか? まあ……そうだな、お前の背は伸びないほうがこっちとしても都合がいい」
 何の都合だ、と翠が思わずツッコミを入れようとしたが、それより先にそれ以上話が横道に逸れるのを防止するため、シュラインが腕に抱えていた桐の箱を琥珀に差し出した。
「こんばんは、琥珀くん。今日はね、霧嶋さんにちょっと見てほしいものがあって持ってきたのだけど……いらっしゃるかしら、霧嶋さん」
「そうそう。これ、人形なんだけどさ、ちょっと傷みが酷いんだ。だから修復も頼めないかと思って」
 桐の箱の表面を軽くコンコンとノックするように叩いてから、翠はドアと琥珀の間から室内を見やった。
「いるんだろ? おっさん」
「……、……あの……それ、見せていただいても構いませんか?」
 桐の箱に視線を縫い付けたままの琥珀の問いに、一瞬シュラインは躊躇った。
 もう夜だし、綺が置いている封印のための桜の葉を取って箱を開いた途端、人形が泣き出してしまうのではないかと思ったのだ。
 そんな声を、できれば琥珀に聞かせたくなかったのである。
 が、そんなシュラインの思いに気づかず、琥珀がすっと手を伸ばし、人形が収められている箱を取ろうとして。
 ぴたりと。
 急に、動きを止めた。
「……、琥珀?」
 怪訝そうな唯為の声に答えず、琥珀がその眼を見開く。
 と、同時に。
「あ……っ」
 かたかたかた、と箱の中から物音がし始めた。それと同時にシュラインの腕に震動が伝わってくる。
 人形が、震えている?
 そう思った瞬間。

   痛い
   還りたい
   貴方は、何処に?
   何処に、いるの?
   痛い、痛い、痛い、
   還りたい、還らせて、還りたい、
   何処にいるのですか、貴方は、何処に、
   痛い、痛い


 イタ、 イ――――ッッ!!!


「――――!!」
 その場にいた全員が、頭の中に直接叩き込まれる鋭い叫び声に痛みを感じて顔を顰め、耳に思わず手を押し当てた。
 しかし、耳を塞いでも悲鳴は意識の中へと直接響いてくるためまったく効果はない。叫びを『痛い』と感じたのも、肉体的なものではなく精神的なもので、肉体の方には何のダメージもない。
「……、泣いている、というような可愛いものではないなこれは……」
 眉を顰めながら、唯為が一つ大きく息を吐く。
 そうすることで意識を強く保ち、外部からの余計な精神干渉を断つ。
 遠夜も一度強く眼を閉じて、その悲鳴を意識の中から弾き出した。
「お前が還りたいと願うのは、本来の所有者の元か、それとも製作者の元か。……もしお前が話せるというのならば、俺が茶飲み友達になってやってもいい。仲良くやれる自信はあるぞ? まあ、独り言が趣味だというのなら話は別だが」
 唯為の言葉に反応したかのように、ふ、と悲鳴が鋭さを失った。後に残ったのは、痛い、還りたい、何処にいるの、という力のない啜り泣きのような声。
 それは、女の声だった。
 翠とシュラインも、人形が発する痛い悲鳴から解放されて小さく息を吐いた。
「……もうすぐ、痛くなくなるわ……大丈夫」
 さっきの悲鳴を食らった後遺症か、僅かに震える手を動かし、シュラインはしゅるりと桐の箱に掛けられていた紐を解いた。封印として置かれていた桜の葉は、鞄の外ポケットにしまい込む。
「還らせてあげるから……大丈夫、だからもうそんなに泣かないで」
 言いながら、眼で翠に人形の箱を持って、と指示する。それを察すると、翠はすぐさまシュラインの腕の中から箱を抱き取った。
 す、とシュラインの手が、桐の箱の蓋を取り去る。
「……あなたが探している『愛しい人』は、一体どんな特徴を持っているのかしら? とても素晴らしい人なのでしょうね、どんな人なのか知りたいわ」
 少しでも何らかの情報を誘導できないかという思惑が含まれたその言葉。
 それを聞き、遠夜も箱の中でカタカタと小刻みに震えている人形に視線を落とした。
 少しでも、人形から不安や恐れを取り除くために。
「怖がらなくていい、僕たちはきみの望みを叶えに来たんだ。不安に思うことはない、落ち着いて……」
 静かに一つ、深く呼吸して眼を伏せ。
「蓮華の如き麗しき尊に帰依し奉る……オン・アロリキャ・ソワカ」
 左手の指を綺麗に揃え、それを下から右手で包み込むようにして掴むという観世音菩薩印を結びながら、低く落ち着きと温かみのある声で紡ぎ出す、呪い(まじない)。
 心を穏やかにし、鎮める呪。
 できるだけ幸せな夢が見られるように、という遠夜の思いを込めた優しいその術が通じたかのように、さっきまでかたかたと震え続けていた人形は箱の中で大人しくなった。
 ただ、まだ『痛い』『還りたい』『何処?』という声だけは、微かな泣き声と共に小さく紡がれ続けている。
「……少しは落ち着いてくれたかしら……」
 これで何か人形から訊けるかしら、と思い、シュラインが小さく呟いた。
 その時。
「ん……っ」
 人形とは別のところから、微かな声が落ちた。
 それにいち早く反応したのは、唯為だった。ぱっと人形から、苦しげな声を落とした者の方へと視線を転じる。
「琥珀?」
「……は……っ」
 いつもは完全な無表情を貼り付けている琥珀のその顔に、今は苦しさと痛みを綯い交ぜにしたかのような表情が浮かんでいた。
「おい、こは……、っ!」
 片耳に手を当てながら一つ大きく息を吐き出したかと思った途端、いきなり琥珀がその場に崩れ落ちかけた。それを難なく両腕で抱き留め、顔を覗き込む。
「どうした、どこか痛むのか」
 しかし、ここは霧嶋の能力範囲内だ。肉体的な痛みなど感じるはずはなく……加えて、琥珀は元々人形であるため、感覚的な痛みも感じるとは思えない。今までだって、そんなことはなかったはず。
 しかし、現に琥珀は顔を苦痛で歪めている。
「彼女の声が……直接、入ってきて……、……これは、痛い……ということ……? これが、苦しい……ということ……」
 今自分が覚えている感覚がうまく理解できていないのか、半ば独り言のように告げる琥珀。
 それを見、シュラインが心配そうな表情になる。
「琥珀くん、大丈夫? ごめんね、琥珀くんにはこの子の声は聞かせないようにしようと思ったのだけど……」
 人形の入った箱を翠に任せて、そっと琥珀に声を掛ける。それに、琥珀は緩く頭を振った。
「いえ、僕こそすみません……僕が手を出そうとしたせいで、その子に過剰な反応をさせてしまったのかもしれません」
「ううん、思わずそうしようとしてしまった琥珀くんの気持ちは何となく分かるから」
「とりあえずそこの部屋に仮眠用のベッドがあるから寝かせてやったほうがよくないか?」
 二人のやりとりを聞いていた翠が、片腕で箱を抱えながら、もう片手で玄関から奥に向かって伸びる廊下の先にあるドアを指し示した。伊達に霧嶋の弟子などやっていないということだろう、この館の中の間取りなどもよく分かっているようだ。
「なら、俺が連れて行ってやろう。琥珀、瑪瑙も呼んでやれ。お前がつらいなら、きっと瑪瑙もつらいだろうしな」
「はい……、すみません、唯為さん」
 こくんと頷いて素直に眼を伏せる琥珀を、唯為は軽々と両腕で抱き上げた。伏せた眼の奥――意識の中で、双子の妹である『瑪瑙』を呼んでいるのだろう。さっき翠が言った部屋に来るように、と。
「琥珀を運んだらすぐにそっちに行く」
「わかったわ。琥珀くんのことお願いね」
 シュラインに言われ、唯為は一つ頷くと琥珀を抱え上げたまま歩き出した。
 その背を見送ってから、遠夜は一度翠の腕の中にある人形を見る。
 どことなく、琥珀と似ているような気がする、その顔立ち。
「……霧嶋さんのところへ行きましょうか」
 そしたら、全ての謎が解けるような気がした。


<夜啼鳥の籠は……>

 痛い、痛い、何処にいるの。
 そんな人形の声は止むことがなく、確かにこれなら綺が「黙らせてくれ」と言ってしまったのも仕方ないのかも……と思いつつ、翠は霧嶋の仕事部屋の扉を開いた。
 邸内には、普通に明かりが灯っている。それを外部に漏れないようにあらゆる部屋の窓には全てカーテンが隙間なく敷かれ、ガムテープでそのカーテンの周囲をぐるりと貼る、という念の入れようだった。
 それもこれも、霧嶋はまだ行方不明でこのアトリエには戻っていないと思わせるための工作である。
「おっさん」
 声を掛けながらドアを開ける。
 遠夜にとっては初めての、シュラインにしてみたら2度目となるその部屋への来訪。
 白壁の、飾り気のない空間。
 整理整頓が行き届いたその室内の中央にある作業机のすぐそばに、全身黒尽くめの服を痩身に纏った男が立っていた。
「こんばんは、霧嶋さん」
「こんばんは。初めまして。榊遠夜です」
 翠が作業机の上に桐の箱を置いているのを見ながら、シュラインと遠夜がその男に挨拶をする。
 黒い帽子を目深に被っているせいで眼許と表情がよく分からないその男は、机の上に広げていた人形の設計図面らしきものに向けていた顔を3人へと向けた。
「……何か私に用だったか?」
 初めて顔を合わせるというのにまともに挨拶すらせず、どこか面倒くさそうな色を滲ませながら紡がれたその言葉に、翠が桐の箱を顎先で示しながら肩を竦める。
「作業する気になってるとこ邪魔して悪かったよ。でもほら、これ。ちょっと直してやってほしくてさ」
「作った人とか、持ち主とかを探しているの。霧嶋さんだったら何か心当たりはないかしらと思って」
 見てもらえないかしら、という言葉を含めて言うシュラインの方へとちらりと顔を向けてから、霧嶋は広げていた設計図面を半分に折って横へ避けると、その桐の箱を自分の方へと引き寄せて慣れた手つきで中から人形を取り出した。
 そして、淡々と告げた。
「確認するまでもない。これは私の子だ」
「私の子……、ということは、霧嶋さんが作られた人形なんですか?」
「ああ」
 遠夜の問いにもごくあっさりと頷く。
 だが、その場にいる誰もが特に驚きもしなかった。
 もしかしたらこれは霧嶋のものなのではないか、という思いが心のどこかにあったからだろう。
 その考えが的中していただけのこと。
「……でも、製作者であるおっさんのとこに戻ってきても、痛い痛いは続いてるな……」
 帽子の向こうでは悲しそうな眼をしているのかもしれないな、と思いつつ、翠もまたつらそうな顔で人形を見た。
「霧嶋さん。この嘆きを止めてあげたいんです」
 真っ直ぐに自分へと向けられる遠夜の眼差しを感じながら、霧嶋は頷いた。そして壁のそばにある棚を指差して、
「毛束はあそこにある。銀色のものを。スポンジペーパーは向こう。アイサイザーとセラカンナと植毛用縫い針は引き出しの3段目と4段目。パテとグルーガンは棚の下、塗装用具とエアブラシは向こうの机の上」
 一つ一つ、その物がある場所を指で示して言うと、その顔を翠へ向ける。
「何をしている。早く持ってこい」
「え? あ、ああ、わかった、ちょっと待ってろ」
 一瞬何を言われているのか分からなかったものの、それらが全て人形の修復などのために必要な道具なのだと理解すると、すぐさま翠は言われた物を取りに向かった。
 これも弟子としての仕事なのかもしれない。
 いつもはそういった道具の準備は全て琥珀か瑪瑙がやっている。が、今は人形の嘆きの打撃を受けるせいで、2人は席を外している。
 としたら、用意ができるのは自分しかいない。自分の仕事だ。
 ぱたぱたと慌しく道具をかき集めながらも、いつもの使いっぱしりとは違う、直接人形を作成したり修復したりするときに使う道具に触らせてもらえるということに、つい喜びを感じてしまう翠である。
 その間に、霧嶋は立ったままでいるシュラインと遠夜に、机のすぐそばにある丸椅子を顎先で示した。
「……座るといい。茶の用意はしてやれんが」
 勧めに従って椅子に腰を下ろしたところ、琥珀を運び終えた唯為が部屋に入ってきた。
「久しいな、お義父様。琥珀はしっかり寝かしつけてきたぞ。瑪瑙も琥珀と一緒にいい子にしている」
「そうか。ご苦労だったな」
 お義父様、と言われても特に動揺するでもなく答える霧嶋に、つまらんとでも言うように小さく鼻を鳴らしてから、唯為もシュラインと遠夜と並んで丸椅子に腰を下ろす。
「で? その人形の見立てはどうだったんだ。やはり霧嶋の人形だったのか?」
 いつもの癖で煙草を取り出そうとして、すぐに思いなおしたようにポケットにそれを押し込み直しつつ紡がれた唯為の言葉に、シュラインが頷いた。
「そうらしいわ。今から修復してもらうんだけど、確認するまでもなく自分の子だって」
「うちにある『鳩羽』とよく似ているから、そうではないかと思ったんだが、やはりそうだったか」
「はした」
 翠が持ってきたシンナー系の溶剤に綿棒の先を浸しながら、ぽつりと霧嶋が呟くように言う。それに唯為が、ああ、というように頷いた。
「だと思った。俺のところにあるのが『鳩羽』だから、こいつが霧嶋の人形だとしたら『半(はした)』という名だろうなと」
「そういえば、黒以外の色の瞳の人形は2体ずつでしたね。紫と、赤と、緑と、青、……だったかな。紫の瞳は確か、鳩羽と半という名前だった」
 琥珀の名前を探すときに調べた人形の名前のことを思い出した遠夜に、霧嶋は小さく頷いた。
「紫の瞳の2人のうち、鳩羽はその男のところにある。そして、これがもう1人の紫の瞳の、半だ。『白醒』という子供達のうち、初めに作ったのがこの子だった」
「痛いと泣くのは、やっぱり髪を毟り取られたり眼を乱暴に取られたりしたから?」
 丁寧な手つきで、溶剤が染み付いた綿棒の先で人形の顔の落書き部分をなぞっているのを眺めながら、シュラインが問いかけた。
 今もまだ、しくしくと泣き続けている、半。
「修復したら泣きやんでくれるかしら」
「どうして泣くのかは、『白醒』たちと意識を共有できる琥珀になら分かるかもしれないが、私には分からない。……コットン」
 黒革の手袋を嵌めた手を差し出されてその上にコットンを乗せつつ、翠は小さく首を傾げる。
「そういや、愛しいあなたは何処へ、とか言ってるけど、それに心当たりってあるか?」
 霧嶋は、今度はコットンにシンナー系の溶剤を染み込ませつつ、思案するように暫し黙してから、
「……この子には、対になる子がいる」
 呟くように言った。シュラインが一つ瞬きする。
「対になる子?」
「この子は『仕えし者』。そういうコンセプトで作った、女の騎士だ」
「仕えし者……それは霧嶋さんに仕えるということではなくて、製作者である霧嶋さんとは違う、別の『主』がいるということ?」
「そういうことだ」
「あ、でもさっきから『還りたい』って言葉は無くなったんじゃないか?」
 翠の言葉に、一同が人形の嘆きに意識を向けた。
 ……確かに、人形から脳内に直接発せられている声に、『還りたい』という言葉はなくなっていた。今は『痛い』という声と、『愛しいあなたは何処へ』という声だけ。
 これだけ泣いてよく疲れないものだな、と妙に感心しつつ、唯為は顔から落書きが消えてきた半を眺めた。
「ならば、還りたい、というのは作り手である霧嶋の元へ、という解釈で間違っていないようだな」
「でも、『愛しい人』は別の存在ということね。それで、主となる子はどこにいるの?」
 ここに来ても『愛しい人は何処』と泣くということは、ここにもいないということだ。
 そのシュラインの問いに答えたのは、別室で寝ていたはずの琥珀だった。
「半の主は『紫黒(しこく)』という子です。紫がかった黒い瞳を持ち、騎士に守られる王子の姿をしています」
「琥珀……もう大丈夫なのか?」
 白いスレンダードレスのような衣装を纏った瑪瑙と共に部屋に現れた琥珀を見て唯為が座っていた椅子を譲るために腰を上げる。が、琥珀はそこに自分では座らず、瑪瑙を座らせ、唯為に軽く頭を下げた。
「僕はもう大丈夫です、すみません。さっきまでより半の声も落ち着いてきたようですし、僕ももう痛みや苦しさはありません」
 霧嶋の手許にある人形に視線を向ける前から『半』と呼んでいることで、琥珀にはとっくに人形の正体が知れていたことが分かる。
 霧嶋が先刻言っていたように『琥珀は白醒と意識が共有できる』のなら、それも自然なことなのだろう。
 それと同時に、翠がサイコメトリーで視た「黒い瞳」と言うのが、その『紫黒』のものなのだろうと理解できた。言葉がなく、ガラスのような瞳だったというのも、それで納得がいく。
 すっと、唯為は瑪瑙の後ろに立つ琥珀の横に立ち、その頭を軽く撫でてからストレートに問いかけた。
「で、その紫黒は今何処に?」
「分かりません」
 あっさりとした琥珀の答えに、一同は眼を瞬かせた。
「分からない? 売られたとかそういうことなら販売記録とかはないのか?」
「マスターの顧客情報は、『白醒』に限らず全て保存されています。マスターが生み出された子たちを綺麗な状態で保つために、定期的に葉書を差し上げたりしなければならなかったので。ですから、販売されていた場合にはきちんと記録に残っています。もちろん、半の購入者のことも調べれば分かると思います。……ですが、紫黒の販売記録は保存されていません」
「それはつまり、販売されたのではないということですか? 誰かにあげたとか?」
「マスターが唯為さんに差し上げた鳩羽と、他の方に差し上げた『瑠璃』と『萌葱』も、帳簿上では0円にての販売ということにして顧客情報を保存しています。けれど、紫黒にはそういう記入もありません。ですから、紫黒はどなたかに差し上げたものでもないようです」
 丁寧に返された回答に、そうですか、と小さく頷くと、遠夜は霧嶋の手許にある人形を見る。
 大切な主の居場所が分からないのだとしたら、不安を感じながら嘆き悲しむ気持ちも分かるような気がした。守らなくてはいけないものが傍にいないとなれば、守りようもない。自らの存在意義ですら揺らいでしまう。
 それは、とても恐ろしいことだろう。
「ならばせめて、生みの親である霧嶋さんの元で修復されて……主が見つかるまでは心安らかにいられるといいな……」
 呟く遠夜の言葉に、シュラインも頷いた。
「そうね。還りたいと願っていた場所だもの、少しくらいは心が安らかになるといいわね」
 紫黒が今、どこに存在しているかは分からない。
 けれど、これだけ主を慕う騎士がいるのだから、きっといつかは再会できるだろう。
 以前、行方知れずになっていた瑪瑙が、彼女のことを探し続けていた琥珀と再会できたように。
「まあ、今しばらくは生みの親である霧嶋との時間を楽しむのもいいんじゃないか? 騎士としての職務も大事かもしれんが、プライベートもたまには必要だぞ。今のうちに親孝行でもしておいてやれ」
「おっさんも久々に帰ってきた娘を綺麗にしてやれて実は嬉しかったり?」
 唯為と翠の言葉に、霧嶋は修復の手を止めて少し顔を上げてから、また作業へと戻る。
 無言のままだったが、そこに否定的な色はないし、丁寧に修復を進めていく霧嶋の様子を見ていれば答えは言葉にしなくても分かると言うものだ。
「……紫黒のことは、暫く僕の方で調べてみます。みなさん、今日は半をここへ連れて帰ってきてくださってありがとうございました」
 丁寧に琥珀が頭を下げたとき。
 ふ、と。
 それまで聞こえていた半の泣き声が消え。
 その代わりに『ありがとう』という凛とした声が、4人の意識にそっと触れた。
 それは確かに、さっきまで泣いていたはずの半の声。
 だが泣き声とは打って変わった、とても落ち着いた騎士と呼ぶに相応しい雰囲気のその声に、一同は自然と笑みを浮かべて頷いた。
 これで、この人形はもう大丈夫だと思いながら。


<終――あなたに、ありがとうを>

 Azで待っていた綺に、人形が霧嶋作のものだったこと、半という名前だったこと、半と対になる人形があるがそれが今はどこにあるのか分からない、それが半の言うところの「愛しきあなた」という存在だった、だが霧嶋の元に戻ったことで、「還りたい」という嘆きは消え、泣くこともなくなったと伝えると、綺は「そうですか」と少し安心したように微笑んだ。
「よかった。いつまでも泣いてばかりの日々というのはつらいものだから」
「そうね。とりあえず、半の対になる子は琥珀くんが探してみてくれるそうだから」
 自分の手で探してあげられなかったことが気にはなったが、琥珀が探すというのならばきっと見つかるのも時間の問題だろう。
 そう思い、シュラインはさっき自販機で買ったアイスティを口に運んだ。
 舌に感じる、ほのかな甘みと紅茶の味。
「んー、美味しい」
 前までは、霧嶋の『域』の中にいる間は味など少しも感じることが出来なかったのだが、今は、いつもどおりに味を感じることが出来る。
「そういえば、さっき榊くんに勉強見てもらってたんでしょ? 少しは分かるようになった?」
 明日はテストで、英語がかなりピンチだという話だったことを思い出して問うと、綺は小さく笑って頷く。
「なんとかなりそうです。苦手だ苦手だって思ってるのもよくないからって、そういう意識をなくす術も唱えてもらったし」
「そういうのだったら、つ……じゃない、那王さんにもしてもらえそうなものだけど」
「那王さん、そういう術は苦手みたいだから」
「あー、そっか。あの人はモノを吸い込むのと腹黒いのが得意だったわよね」
「腹黒……、……それを言ったらまた那王さんヘコみますよ」
「あの人の場合はちょっとくらいヘコんでたくらいがちょうどいいのよ」
「そうですか?」
「そうよ」
「そっか……じゃあそうですね、きっと」
 あっさりと納得して頷いてしまう綺に、楽しそうに笑うシュライン。
「きっと今頃、那王さんったらくしゃみしてるわよ」
「風邪ひかないようにちゃんとお腹出さないように寝ないと駄目だって言っておかないと。那王さん、すぐ布団蹴るから。夏場とか、冷たいものばっかり食べたり飲んだりするから、それも注意しないと」
「なんか話だけ聞いてると、綺くんは那王さんのお母さんみたいね」
 綺が那王に小言を言っている姿を想像し、思わずくすくすと笑ってしまうシュライン。
 そんなシュラインを見て、つられるように小さく笑ってから、綺は自分の胸許に軽く手を当てた。
「こんなふうに笑っていられるのも、シュラインさんのお蔭ですよね」
「え?」
「那王さんの呪詛を解くときに、俺がしくじって死んでしまって。……そのときに、草間さんに渡していた辞表を受け取ってほしいって言ってたって、那王さんに聞きました。でも、辞めてしまったりされないでよかった」
 そういえば、そんなこともあった。
 随分と昔のことのように感じながら、懐かしく思い出す。
「辞めて、償えるものでもなかったしね」
 ぽつりと言うシュラインに、綺は手許に視線を落としてから頷く。
「そのお蔭で、俺も那王さんも救われたから。たくさん、シュラインさんには救われているから」
 命も、心も。
「きっと那王さんも、口では言わないかもしれないけど、シュラインさんには感謝してると思います。俺や那王さんだけじゃなくて、きっと……たくさんの人が、感謝していると思います」
「綺くん……」
「……なんて、なんだか偉そうなこと言ってすみません」
 苦笑する綺に、シュラインは頭を横に振って、笑った。
「ありがとう、綺くん」
「こちらこそ。ありがとうございました、シュラインさん。今回の依頼も、無事に片付けていただけてほっとしました」
「私も、あの子を泣き止ませることができてよかったと思うわ。泣き続けるのはつらいことだと思うし。あとは大切な人が見つかるのを祈るばかりね」
 言って、窓の外を見やる。
 空には星が浮かび、淡い光を放っている。
 この空の下のどこかに、半の片割れがいる。
 どこにいるのかは分からないけれど。
 逢いたい、という半の願いが叶えられる日が来るのだろうか。
 愛しい人への思いが、愛しい人と離れることなく過ごすことができる日々へといつか繋がっていくのだろうか。
 ――そうなれば、いいと思う。
 そんな日が来ればいいと思う。
 遠くない未来において、そういう現実が描かれる日があればいいな、と。
 そういう幸せな日がくればいいな、と。
 そう思いながら、シュラインは紙コップに残っていたアイスティを綺麗に飲み干した。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 整理番号 … PC名 【性別 /年齢/職業/階級】

0086 … シュライン・エマ――しゅらいん・えま
        【女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
0523 … 花房・翠――はなぶさ・すい
        【男/20歳/フリージャーナリスト時々人形師の弟子】
0642 … 榊・遠夜――さかき・とおや
        【男/16歳/高校生・陰陽師】
0733 … 沙倉・唯為――さくら・ゆい
        【男/27歳/妖狩り】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 かなりの長文でお届けしてしまいましたが……少しでも楽しんでいただけましたでしょうか。

 シュライン・エマさん。
 お久しぶりです、ご参加くださってどうもありがとうございます。
 今回も当NPCに構っていただいて有難う御座います。が、なんか京都に帰っていたみたいでお逢いできなくて残念です。すみません〜っ。
 いつもポイントをしっかり押さえたプレイングも、有難う御座います。人形に対しての女性らしい優しい心遣いが嬉しかったです。その辺り、上手く描写できていたらいいな、と思います。

 本文について。
 アトラス編集部からの依頼でしたが、当異界のNPCとの接触プレイングをかけておられる方が多かったので、異界の方へも足を踏み入れる結果になりました。
 界の詳細な規則等は、気になるところがありましたら異界のほうで確認していただけたら、と思います。同時に、異界に足を踏み入れられたことにより、異界内での「階級システム」が働いており、シュラインさんは今回「力天使」に上がっています。よって「無疲労」の状態から解放されました。これ以降は異界に入ると「疲労」も体に感じるようになっています。
 調査については全共通です。個別部分は序章の次の章と、終章です。
 あまり依頼には関係のないことですが、参加してくださったPCさんの整理番号が皆さん1000番以内の方々ばかりで驚きました(笑)。

 今回は参加してくださってどうもありがとうございました。
 また再会できることを祈りつつ、失礼します。