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<東京怪談ウェブゲーム アンティークショップ・レン>


『蓮の料理は危険な香り?』
◆プロローグ◆
「えーっと……塩を大さじ一杯?」
 料理本片手に、碧摩蓮はお玉に山盛りの砂糖を鍋にブチ込んだ。
「次、は……白ワインを少々、と。コレか?」
 手近にあったお酢を手に取り、逆さにして盛大に注ぎ込んでいく。
「で、アルコールが僅かに香ってきたら取り出して、最後に大根の短冊切りを添えて完成」
 口元に満足げな笑みを浮かべながら、蓮は厚さ二センチはあろうかと思われる大根の板を黒い物体の横に置いた。
「っふー、なんだい。アタシもやれば出来るじゃないか」
 額に珠のように浮かんだ汗を爽やかな表情で拭い去りながら、蓮は左手に持っていた料理本を投げ捨てる。白地に水玉模様のエプロンと、頭に巻いた同じ柄の布を取っていつもの格好に戻った。
 腰までスリットの入ったチャイナドレスと、燃えるような紅い髪。魅惑的な切れ長の目と、唇に引かれた妖しい深紫。妖艶な雰囲気を醸し出した大人の女性は、子供っぽい笑顔で自分の『最高傑作』を覗き込んだ。
「さーって、味見味見っ」
 無数の人形や、闘牛の剥製、ドクロの彫像に見守られる中、蓮は自称『料理』を口に運んぶ。
 次の瞬間、口腔を襲う異世界の魔弾。ソレはさしずめ悪魔の奏でる魔性の不協和音。脳内で鳴り響く警報と共に、目の前が真紅に爆ぜた。
「――ッはぁぁぁぁぁ!」
 生命の危険すら感じ、蓮は黒い肉塊を吐き出す。
 不味い――何てモノではない。牛や豚の方が遙かにグルメに見える。
(人間様の食べ物じゃないねぇ……)
 辟易とした表情のまま肩で息をしながら、蓮は皿に残った地球外物質をゴミ箱に捨てた。
「くそっ!」
 忌々しそうに顔をしかめながら数日前のことを思い出す。

『あーら、蓮じゃないの。五年ぶりかしら。相変わらず無駄な若作りに励んでますわねぇ』

 薬の材料の買い出しにと街中を歩いていた時、五年ぶりに出会った幼馴染みは開口一番挑発してきた。
 蒼風流華(あおかぜ・るか)――蓮とは腐れ縁のお嬢様だ。彼女も自己顕示欲が強く、勝ち気な蓮とは昔から何度も衝突を繰り返していた。そのたびに何らかの形で勝敗をつけ、負けた方が「納得いかない!」と再び勝者に挑む悪循環。
 今のところ五十三勝五十三敗。五分と五分だ。
 しかし五年前に彼女が結婚し、いつまでもこんなコトしていられないと向こうから戦いの幕を下したはずなのだが……。

『さぁ! 勝負ですわ! 五年前の決着をつけるために!』

 離婚したのか、と思ったが口には出さなかった。だが蓮ももう立派な大人。子供の挑発に乗るわけには行かない。余裕の笑みを浮かべて、軽く流そうとした時――

『ああ、目を閉じれば昨日のことのように思い出されますわ。五年前、貴女が泣いて鼻水垂らしながら「お前のじーちゃん、水虫ー!」って負けメスブタの遠吠えを吐いていた光景が』

 ――気が付けば勝負の日程を決めていた。
 種目は『お料理バトル』。日時は一週間後の午後一時。会場は流華の豪邸にある巨大キッチン。勝敗は二人の作った料理を五十人の一般人に食べて貰い、支持率の多かった方の勝ち。
(負け、られない!)
 両目に炎を灯し、蓮は勝利を誓ったのだった。 

◆PC:加藤忍◆
 自分なりに納得のいく形で仕事を終え、そして迎えた休日。
 たまには惰眠を貪るのも悪くないと、昼間から自室のベッドで横になった直後だった。限られた人にしか教えていない携帯が、突然コールを告げる。
『忍かい!? 今からすぐに来な! アンタに頼みたいことがあるんだ!』
 面倒臭そうに出ると、切羽詰まった蓮の叫び声が耳元で響いた。
 正直体は疲れていた。連日の深夜作業で疲労はほぼピークに達している。しかし蓮から頼みたい事があると聞いた途端、重い倦怠感が吹き飛ぶのは何故だろう。
(美人の特権、か……)
 一人苦笑しながら、忍は『アンティークショップ・レン』に向かった。
 そして――
「蓮、さん……。まさか、私を呼びだした理由というのは……」
 不気味な彫り細工の施された、樫の木製の玄関扉を開けた途端、鼻の奥に突き刺さる不快臭。
 それはカウンターの上に並べられた、種々様々な物体から放たれていた。どれもこれも明らかに制作者の意図とはかけ離れた様相を呈しており、見るも無惨な醜態を惜しげもなく晒している。
「待ってたよー、忍ぅー。ちょっとアンタに試食して欲しくってさー」
 いつになく猫なで声で、蓮は上目遣いにコチラを見つめてきた。
 カウンターの隣りに置かれた椅子に足を組んで座り、胸の谷間を強調するように押し上げて目を輝かせている。
「し、しょくって……まさか……」
「アンタの為に、心を込めて作ったんだー。食べてくれるね?」
 子供が親に欲しい物をねだるときの目つき。
 耳元で切りそろえたストレートの黒髪が、あり得ない蓮の態度の不気味さにザワリと蠢く。コレまで蓮の前では決して崩したことの無い紳士的な顔立ちも、さすがに今は維持できそうになかった。
「蓮さん、それ……食べ物なんですか?」
 思わず直球勝負を挑んでしまう。
「何だって?」
 そして眉間を狙ったピッチャー返し。
 蓮の声がさっきまでの高く甘いモノから一転し、低くドスの利いた声へと変わった。
「いいから食べるんだよ! さっさとおし! アタシには時間がないんだからね!」
 他人の権利を鼻で笑い飛ばし、自分の意志を無理矢理押しつける傍若無人さ。これでこそいつもの蓮だ。
 しかしホッとしたのも束の間。気が付くと忍の口の前に紫色のデロデロが持ってこられていた。
「口を開けるんだよ!」
 続けて忍の鳩尾に蓮の拳が突き刺さる。何の前触れもなく突然急所を圧迫されて、忍は堪らず息を吐き出した。口の開いた一瞬の隙を逃すことなく、蓮は内出血を起こした臓腑のような物体を忍の口に押し込む。
 反射的に口を閉じ、前歯が僅かにソレを噛み砕いた。そして口の中に広がる異次元世界。
「ふぐぁ」
 まず両膝が折れる。辛うじて四つん這いの体勢で耐えるが、両手は殆ど言うことを聞かない。すぐに重力に負け、額だけで上半身を支えた。
 蓮からは見えないように口の中のモノを吐き出し、しばらくその体勢のまま呼吸を整える。そして立ち上がろうとした時、忍に衝撃が走った。
(か、体が動かない……)
 あまりの不味さに全身が硬直してしまったのか。それとも、このまま死んだフリをしておけという天からのお告げなのか。
 苦悩する忍を余所に、頭上から蓮のトドメの声が届く。
「うーん、やっぱり隠し味にトリカブトを使うのは危険だねぇ」
 そして忍の意識は暗転した。

「料理バトル……ですか」
 とりあえず目覚めた場所が三途の川でないことに感謝しながら、忍は出されたお茶を片手に蓮の話に耳を傾けていた。
 ここは店の奥にある蓮のプライベート・スペース。壁に飾り付けられた牛の頭に巨大な角を生やしたミノタウロスや、竜の首を象った魔獣の剥製が、不気味な紫色の照明で浮かび上がるように鎮座している。
 部屋自体はそれ程大きくはなく、せいぜい六畳ほどの広さだ。
 その中央で主の如き風格を放つ巨大な安楽椅子に忍は寝かされていた。
「アンタ手先が器用だろ。料理も出来るんじゃないかと思ってさ」
 隣で脚を組み直しながら蓮は瞑目して言う。
 なら最初からそう言ってくれ。もう少しで逝ってしまうところだった。
 胸中で毒づきながら忍はサイドボードにコップを置き、蒼いジャケットの襟元を正して蓮を見上げた。
「で、お相手は?」
「蒼風流華。アタシの幼馴染みだよ」
 蓮の幼馴染み。初めて聞いた。
「お互いの得意料理を他の奴らに食べて貰って、美味いって思った奴の多い方が勝ちさ」
 単純なルールだ。実に分かり易い。
「食材と調理器具は?」
「前日までにコッチが注文すれば、向こうで勝手に集めてくれる」
「会場は?」
「流華の豪邸」
「日時は?」
「五日後の午後一時」
 五日……あと五日しかないのに、蓮のこ壊滅的な料理の腕を何とかしなければならない。
(このまま凝った料理を続けるのは危険だな)
 自分の命も含めて。
 顎先に指を当ててしばらく思索を巡らせた後、忍は意を決して言った。
「蓮さん。『ご飯』と『お茶』。この二品目を極めましょう」
 忍の言葉に蓮は訝しげな表情になり、「頭、大丈夫かい?」と見返してくる。
「この二つは日本の伝統的な食べ物です。故に一般的に広く流布されていますが、本気で美味しいモノを作ろうとするとこれがなかなか難しい。例えば蓮さん、このお茶はどうやっていれましたか?」
 先程サイドボートに置いたコップを指しながら忍は聞いた。
「安売りしてた業務用の麦茶だよ」
 家庭用でもないのか……。
「では、ご飯をお釜で炊いたことはありますか?」
「いつもはコンビニ弁当か、電子レンジでチン出来るヤツだねぇ」
 炊飯器ですらないのか……。
 ある意味予想通りの答えに忍は咳払い一つで自分を落ち着かせ、説得するような真剣な顔つきで蓮に説明する。
「今はマイコン制御の技術が大分発達してお釜での火加減に近いとされていますが、それでも理想にはほど遠いのが現状です。しかし一人前分の小さな釜を使って丁寧に仕上げれば、中の米が一斉に煮沸できて中心部と外側の熱ムラがなくなり、非常に理想的なご飯が出来上がります」
「でもねぇ……一人前ずつって、ちょっとメンドくないかい?」
「料理は愛情です。食べる人のことを心から想い、より美味しいモノを食べて欲しいという強い意志が傑作を生み出すのです」
 熱く語る忍に蓮は僅かな逡巡を見せた後、確かめるように呟いた。
「……それで、流華のヤツに勝てるかい?」
「勿論」
 断言する。キッパリと。でないと話が前に進まない。
 何より「やっぱり豪勢なフランス料理がいい」とか言われたらコチラの命に関わってくる。忍も必死だ。
「分かったよ忍。アタシはやるよ! 流華のヤツをコテンパンにしてギャフンと言わせてやために!」
「その意気です! 蓮さん!」
 蓮のやる気に水を差してはいけないと、取りあえず死語の連発はスルーした。

 近くのホームセンターで一通り道具を揃え、忍と蓮はエプロン姿で厨房に立っていた。
 三口のガスコンロに、強火力の中華コンロ。業務用のオーブンに、ゆとりのある大きな流し台。ビックリするほど充実した設備だった。
 ただし、使われた形跡は殆どないが。
(まぁ、店を建てる時に『何となくカッコイイから』って感じて作ったんだろーな)
 使い初めて三日で飽きた蓮の姿がありありと浮かんだ。
「それじゃ取りあえず、ご飯の釜炊きから始めましょう。まずはお米を洗って下さい」
 洗剤を取ろうとした蓮の手を素早く掴む。
「失礼、言い直します。お米を研いでください」
 どこからか取り出した研磨石を、的確な動きではたき落とした。
「分かりました。今回は私が研いだ米を使いましょう。ではお米を炊いて下さい」
 空炊きされそうになったお釜に高速で水を注ぐ。
「水の量は正確に、です。それでは先程教えたように火の調節を行って下さい」
 カレンダーに目をやる蓮に手刀で軽くツッコミを入れた。
「『日の調節』ではありません。火、炎です。ああそれと、中華コンロをマックスパワーで使ったら間違いなく消し炭になりますから最初に忠告しておきます」
 釜をどこかへ持っていこうとする蓮の肩を強く鷲掴む。
「最初は弱火で釜の中全体に対流が起こるようにします。次に強火で米を煮沸し、米の中心まで水分が吸い込まれたら火を弱め蒸しに入ります。で、最後に一呼吸だけ強火をかけて焼きあげる。ポイントは、煮た後で蒸しと焼きを加えて水分を飛ばしてしまう事です」
 どうせ覚えられないだろうと蓮に渡したプリントを読み上げながら、忍は一つ一つ丁寧に説明していった。
「ああもぅ! さっきからゴチャゴチャとうるさいねぇ! アタシはアタシのやりたいようにやるんだよ!」
 人から命令されることに慣れていないのだろう。それは忍も分かっている。しかし今は時間がない。蓮のことを思うならば、ここは心を鬼にしなければならない。
「では試しに蓮さんの思うようにしてみて下さい」
 と、突き放した口調で言う。
 一度盛大に失敗すれば、嫌でも教えを請うようになるだろう。流華という人物に勝ちたいという思いが強ければ。
 蓮は唇を尖らせたまま釜を中華コンロの上に乗せ、そして一気に火力を最大まで持っていく。
 一瞬で炎に呑み込まれる釜。蓮は慌てて火を消し、驚愕に目を大きく見開いて忍を見返してきた。中華コンロには小さく煙を吐き出す釜がポツンと取り残されている。
「ほーら、これで分かった――」
 勝ち誇った笑みと共に発した忍の言葉が途中で止まった。釜から立ち上った黒い煙は、火を消した後も勢い衰えるどこかどんどん濃さを増していく。そして黒い煙は意思を持ったかのように不気味に蠢き、やがて人型を象った。そして――
「パパラパー! ザ・ジェームズ・ブラックマン、華麗に参上!」
 腕組みし、悠然とコチラを見下ろす黒い男が一人現れた。
 ゆうに百八十はある身長。服の上からでも分かる筋肉質な体つき。墨を流し込んだような漆黒の髪に、同色のネクタイとスーツ。後ろには闇の華を咲かせている。
「この度クラスチェンジして、”ザ”・ジェームズ・ブラックマンになった。以後ヨロシク」
 音もなく床に降り立ち、ブラックマンはニヒルな笑みを浮かべながら銀色の双眸を輝かせた。
「お、お前……」
「ああっ! いいんだ忍! みなまで言うな! 以前嬉璃を取り合った私とお前の仲じゃないか。”ザ”をつけると呼びづらいことは、よく分かっているつもりだ。だから忍、お前は特別に『クロちゃん』と呼ぶことを許そうではないか」
 何か言おうとした忍を遮り、ブラックマンは自分の世界にドップリ浸かったまま早口でまくし立てる。
「このスカポンターン!」
 放心から解けない忍の代わりに、蓮が横から跳び蹴りをブラックマンに見舞った。
「何だ蓮、ヤキモチか? ならばお前は私を『クロっち』と呼んで良いぞ」
 ヒールの部分を根本までこめかみにめり込ませながらも、ブラックマンは平然と言ってのける。
「さて蓮よ、遅れてスマナイ。ちょっと自分の世界に浸っていたら時間を忘れてな。で、私に頼みたいこととは何だ」
 頼みたいこと? 蓮はブラックマンにも声を掛けていたというのか。
「おおっとそうだ。アンタがあんまり馬鹿な登場の仕方するもんだから、すっかり忘れてたよブ男」
「ブ……」
 蓮の辛辣な言葉に思わず絶句するブラックマン。
「ふ……蓮よ。宇宙創世以来の美男子に向かってソレはないんじゃないか?」
 しかしすぐに立ち直ると、気取ったように髪を掻き上げて訂正を求めた。
「何言ってんだい。『ブラックマン』なんて長ったらしいから略っただけだろ」
 『ブ(ブラック)男(マン)』と言いたいのだろうか。ソレにしてはあまりに……。
「いいかいブ男。アンタがすることはこの女の屋敷に潜り込んで、ろくな料理を作らせないようにすることだよ」
 流華の写真を人差し指と中指で挟み、ピラピラと揺らしながら蓮は鋭い視線でブラックマンを射抜く。
「ブ男……ブ男……私を略するとブ男? それはまさか……いいやしかし! ああっ神よ! 私の美貌はそれ程罪深いというのか!」
「いいからとっとと行ってこーい!」
 流華の写真を右のヒールでブラックマンの額に縫いつけ、蓮は力の限り叫んだ。
(蓮さん……見事なストレスの発散っぷりです)
 哀れみの視線をブラックマンに送りながら、忍は苦笑いを浮かべたのだった。

◆PC:ジェームズ・ブラックマン◆
(まったく酷い目にあった……)
 すっかり風通しの良くなった額とこめかみをさすりながら、ブラックマンは渡された地図の示す屋敷に向かっていた。
 蓮は気が立っていて話の出来る状態ではなかったので、概要は忍から聞いた。
(お料理バトル、か)
 蓮の腕が劣悪な事はブラックマンも良く知っている。あまりにも奇天烈な味付けに、危うく躰が空中分解してしまうところだった。だが忍の話では五日で必ず『美味しいご飯』と『美味しいお茶』を用意できるようにするらしい。
(で、私は相手の妨害、と。さすがに陰険……ああいや、さすがに慎重だな)
 勝利の為なら手段を選ばない。それがブラックマンの知る碧摩蓮という人物だ。目を付けられた相手には同情する。
(ココ、か)
 とぼとぼと歩いていると目的の場所に到着した。
 都内の中心地にある大邸宅。それは自分が小人になってしまったのかと思えるほど、冗談じみた大きさの豪邸だった。なにせ外壁がブラックマンの身長の三倍近くあり、横に伸びた端が今いる門の位置から見えないのだ。
(きっと誕生日に「ちょっと看守ゴッコしてみたいなぁ」とか「東京で地平線を見たいのっ」とか言ったに違いない)
 邪推から浮かび上がる流華の性格。
 我が儘、自分勝手、馬耳東風、我田引水、危険物取り扱いに注意。
(さすが蓮の幼馴染み)
 ソックリだ。
 嘲笑を浮かべながら、ブラックマンは城門の隣りにつけられた呼び鈴を押す。勿論アポイントなど取っていない。加えて歩く漆黒の壁と呼ばれる程、怪しさ出血大サービスのブラックマンだ。普通に考えて、まず中に入れて貰えないだろう。
 しかしブラックマンには秘策があった。
『はい』
 くぐもった女性の声。
「ッちわー、三河屋でーす」
『はーい、すぐに開けまーす』
 魔韻を含んだ冥界の呪文を聞けば、並の人間ならブラックマンの傀儡も同然だ。 
 程なくして、重厚な音と共に城門が内側に開いていく。無駄のない挙措で敷地内に入り込み、ブラックマンは玄関扉の前に立った。
「開けー、ゴマっ」
 扱いに超高度な技術を要する波動の術式を口の中で組み上げ、それを鍵穴に適応する。
 すぐにガチャリ、と開錠の知らせがブラックマンの耳に届いた。
 手で押し開けると、荘厳な雰囲気を放つ屋敷が向かえてくれる。上質の樹が放つ独特の自然香が、鼻腔を心地よくくすぐった。
 真紅の絨毯の敷かれた廊下を遠慮なく歩いていると、執事とおぼしき初老の男性がブラックマンに近寄ってくる。
「お前何者だ!」
「オラ、ブラックマン!」
「は。何なりとお申し付け下さい」
 魔王の血を引く者のみに受け渡される禁呪を用い、執事の脳に絶対服従の文字を植え付けた。これで忠実な案内役の完成だ。
「流華の所に通してくれ」
「コチラで御座います」
 かくして、計画通りブラックマンは屋敷の奥へと進んで行った。

「料理の先生?」
 と、紹介されたブラックマンは、とりあえず紳士的な振る舞いで蒼風流華に慇懃に礼をした。
 腰まで伸ばした髪の毛はうっすらと蒼みがかり、毛先で軽くカールしている。二重の黒い瞳はパッチリと大きく、頬は上品な桃色。鼻や口はやや小振りだが、ソレが奥ゆかしさを与え、人妻としての落ち着きを体現していた。
「初めまして。ジェームズ・ブラックマンと申します。執事殿のご紹介に預かり、流華様のお手伝いに参りました」
 低く重みのある声で言い、ブラックマンは柔和な笑みを浮かべる。
「あらあら、ジイも心配性だこと。そんなコトしなくてもワタクシが負けるわけありませんのに」
 キメの細かい絹生地で作られたフリル付きのロングスカートを翻し、流華は腰を振りながら妙に色っぽい歩き方で近寄って来た。
「初めまして、蒼風流華です。ジイの紹介であれば全幅の信頼を置きますわ。それで事情の説明はもう受けてらっしゃいますの?」
 スカートの上裾を指先で軽く持ち上げて一礼した後、流華はブラックマンに聞いてきた。
 当然知っている。蓮からの依頼で流華の妨害をしに来たのだから。
「ええ、先程執事殿から伺いました。碧摩蓮、という悪女と対戦するそうで」
「あーら、蓮が悪女だって事も聞いてらしたのね。ジイもなかなか言うようになりましたわ」
 しまった。つい本音が。
 ブラックマンは咳払いを一つして必要以上に真剣な顔つきになると、少し強引に話を進めた。
「それでは早速ですが、流華様の料理の腕を拝見させていただいてよろしいでしょうか」
「勿論ですわ。ちょうど本番用の料理ができあがったところですの」
 言いながらパチンと指を鳴らすと部屋の奥の扉が開き、白いスーツに身を包んだ男がワゴンを運んで来る。そこには銀のボウルで隠された『何か』が置かれていた。
「さぁ、先生。とくと御覧あれ」
 自信満々と言った様子でボウルを開く。中から現れたのは緑色のゲレゲレだった。なにやらおぞましい腐臭を辺りに放っている。
「こ、これは……?」
「メインディッシュですわ。さ、たーんと召し上がれ」
 そう言われても急速に減衰していく食欲を前に、この得体の知れないモノを口に入れようという発想が浮かばない。
(いや待てブラックマン。落ち着け、クールダウンだ。料理は見た目も重要だが、最も大切なのは味。外見のもたらす先入観で安直な判断を下してしまうのは愚かというもの。至上の宝石は生命の危険を乗り越えた先にある)
 まるで自己暗示をかけるかのように胸中で何度も同じ言葉を繰り返し、ブラックマンは震える手を無理矢理押さえつけてフォークを取った。
「いただきます」
 ぐちょり、と湿っぽい音を立ててフォークの先が緑の魔獣にめり込む。
(よし、経験値ゲットだ)
 すでに現実逃避を始めている脳を置いて手が勝手に動き、小学校の六年間机の中で忘れられていたパンにしか見えない物体を口に運んだ。
「げふぅ」
 一瞬、意識が飛びそうになる。
 ついさっきまで薫風(くんぷう)が舞い心安らぐ草原地帯にいたのに、いきなり魑魅魍魎の跋扈(ばっこ)する阿鼻叫喚の地獄絵巻に突き落とされたような感覚。
 一刻も早くこの場から逃げ去り、安全の保証された場所で温かい毛布にくるまって永遠の眠りにつきたいとさえ思えてきた。
「いかがですか? 先生」
 流華の声が耳鳴りのように不快に反響して、遠くの方から聞こえてくる。それに乗って小川のせせらぎが――
(いかん! そっちに行っては戻れなくなるぞブラックマン!)
 もう少しで三途の川を渡りそうになった自分を、精神力を振り絞って何とか押しとどめた。
「どうかしまして? 先生」
「ああいや、ちょっと亡くなった曾祖母の事を思い出しましてね」
「まぁ、その方の味付けに似てらっしゃったのですか?」
 なワケねーだろ!
 と、心の中で絶叫し、ブラックマンは自己防衛のために大量に分泌した唾液で何とか口の中を潤す。
「流華……確かに君には才能がある」
 殺人料理の才能がな。
「だがコレでは蓮に勝てない」
 フンコロガシにもな。
「そこで私が君に究極の料理を伝授しようと思う」
 生きていることの素晴らしさを分からせるためにも。
「何ですの、それは?」
「『美味しいご飯』と『美味しいお茶』だよ」
 それは蓮と全く同じ料理。日本人の心。
(このまま放って置いても蓮の勝ちは間違いない。忍がセコンドに付いているんだ。いくら品性下劣で極悪非道で冷血悪女の蓮でも人間の食べられる物には近づくだろう。しかし……)
 それでは面白くない。
「かつてのライバルが同じ種目で全力をつくし、互いの力を認めあう。そして芽生える比類無き友情。萌え上がる愛! 『努力・友情・愛』この三つを踏襲すれば盛り上がること間違いなし!」
「ワタクシ、蓮と馴れ合うつもりはありませんわ」
「ほほぅ、私の心を読むとは君もなかなかやるな」
「しっかり声に出ていましたわ」
 自分の世界に浸ると周りが見えなくなるのは悪い癖だ。
「で、やるのか、やらないのか」
「……まぁ、同じ料理で負ければ蓮もワタクシの実力を認めるでしょう」
 そして、ブラックマンの料理教室が開催された。

 流華の屋敷内の一画。使用人が気分転換に使用するスポーツエリア。その中に用意された施設の一つである体育館に、床を叩く大きな音が響く。
「踏み込みがあまーい!」
「はい先生!」
 体操服に着替えた流華は、前傾姿勢を保ったままブラックマンの叱咤に答えた。
「私を呼ぶ時は『コーチ』だ、何度も言わせるな!」
 台の上からバレーボールを宙に浮かせ、手首のスナップを利かせて力一杯前方に打ち出す。ソレを取ろうと必死に床を蹴る流華。しかし追いつくことが出来ずにこぼしてしまう。
「何をしている! そんなことでは蓮に勝てんぞ!」
「す、すいません! コーチ!」
 彼女の言葉が言い終わらない内に、ブラックマンは次のアタックを繰り出す。
 黒い魔球がうねりを上げて、床に吸い込まれた。
「いいか流華! 料理の基本は気力、体力、集中力だ! 味付けは気合いと根性で何とかなる!」
「初めて聞きましたけど、了解ですわコーチ!」
 両目に星を輝かせ、流華はやる気満々で構える。そんな彼女のいる位置から一番遠い所を狙ってアタックを打ち込むブラックマン。
 左から右へ。そしてまた左、と見せかけて右へ。
 流華は広いコート内を縦横無尽に走り回り、あらぬ方向へと軌道を変えるバレーホールを追いかけ回す。
 そして通算五百球目となったアタック。ヘッドスライディングの要領で床すれすれに跳んだ流華の拳が、ついにボールを捕らえた。
「よーし! よくやった流華! 休憩にしよう」
「あ、ありがとう御座います、コーチ!」
 ブラックマンは満足そうな笑みを浮かべて台を降りる。そして弛んだ黒いネクタイを締め直してベンチに座った。
「お疲れさまです、コーチ」
「ああ、君もな」
 ブラックマンの隣りに腰掛け、流華は大業をやり遂げた時のようなすがすがしい表情でスポーツドリンクを飲む。首に巻いたタオルで額の汗を拭きながら、流華はブラックマンを見上げた。
「ところでコーチは暑くないんですか? そんな格好で」
 ブラックマンは熱気の溢れる真夏の体育館で、相変わらず黒いスーツのままだった。しかし汗一つかいていない。
「これはスポーツ用のスーツだ。ちゃんと冷却機能も搭載している。あと入浴用のスーツや就寝用のスーツ、そう言えばトイレ用のスーツ何てのもあったな」
「素晴らしいこだわりですわ。敬服いたしました」
 奇異の視線を向けるどころか感激に瞳を潤ませ、流華は尊敬の眼差しでブラックマンを見た。
「こだわりと言えば流華。君はどうしてそこまで蓮にこだわるんだ」
 聞けば過去に百を越えるバトルを繰り広げているという。ただ蓮を嫌っているというだけでは到底説明のつかない回数だ。
 流華は困ったような恥ずかしそうな表情を浮かべた後、ブラックマンから視線を逸らして俯いた。
「……誰にも言わないで下さいます?」
「私の口は死んだ貝のように固い」
 どこかズレた例え。それでも流華はブラックマンが信頼できると思ったのか、小さな声で話し始めた。
「ワタクシと蓮は小さな頃からケンカ友達でした」
 我が強く自己顕示欲の塊のような二人は当然の如く反目しあった。そしてどちらがより優れているかを決めるために、何度も勝負をして来た。
 最初の頃は、かけっこやジャンケン、かくれんぼや宝探しといった可愛いモノだったが、年経るに従って内容はどんどんエスカレートし始め、綱無しバンジージャンプやノーブレーキでのチキンレース、六発装填リボルバーに五発弾込めした銃でのロシアンルーレットに武者鎧を着た状態での水中脱出、果てには火口でどれだけ日焼け出来るか、なんてのもやった。
「けど……ワタクシが二十二の時、お父様からフィアンセの話を聞かされまして……」
 流華はコレまで会ったこともない男と結婚する事になった。
 男は非常に誠実で実直な人間だった。浮気などせず、いつも流華の事を最優先に考えてくれた。手作り料理も笑顔で食べてくれたという。
(慣れとは恐ろしいモノだ)
 流華もそんな彼を気に入り、出来るだけ尽くそうとした。彼に失望されないように過去の汚点は全て包み隠した。
 当然、蓮と繰り広げた壮絶なバトルなどもってのほかだ。彼に知られれば嫌われるに決まっている。
 元々育ちの良い流華だ。お淑やかにしていれば、お嬢様としての風格は自然と滲みだしてくる。そうして巧く自分をコントロールし、平和で幸せな五年間が過ぎた。
「確かに幸せでした。でも……」
 何かが足りない。何かが違う。
 この五年間、いつもどこかでくすぶり続けていた違和感。原因は分かっていた。ただソレを認めたくなかっただけ。
 刺激が足りない。本当の自分とは違う。
 戻りたい。蓮とバトルしていたあの頃に。心の底から本音で語り合える蓮と対決したい。言葉を交わさずとも互いに分かり合えた蓮と。
(有る物の大切さは、無くなって初めて分かる。ケンカするほど仲がいいとはよく言ったものだ)
 夫婦仲はまだ続いている。ただし今度の料理バトルの審査員に彼を招いている。その時に流華の本性を晒すつもりだった。もし受け入れてくれないならば、しかたない……。
「流華」
 蓮へのこだわりは痛いほどに伝わって来た。流華は蓮の事を大切に思っている。唯一無二の親友として。そして恐らく蓮も同じはずだ。お互いにプライドが邪魔をして素直になれないだけ。
「今度のバトル、勝つぞ」
「はい!」
 戦いで培った信頼関係は何よりも強固なモノになる。上辺だけの薄っぺらい物ではない。五年の空白期間によってそれを再確認した。
 蓮も流華も相手を必要としあっていること。今回のバトルがソレを言い合うキッカケになるかどうか……。

◆PC:加藤忍◆
 試合当日。
 会場はすでに異様な熱気に包まれていた。
 学校のグラウンド程もある大ホール。蒼風家のメインキッチンを一時的に改装した特設会場には、百の釜が二列に渡って横に並べられていた。
 つまり、蓮の釜五十と流華の釜が五十だ。
「なんだい、流華のヤツもアタシと同じモン作ろうってのかい」
「どうやらそうみたいですね」
 まさか同じ料理をぶつけてくるとは思わなかった。目には目をと言うヤツか。
 しかしブラックマンの役割はあくまでも流華の邪魔をし、蓮を勝利へと導くことだ。何か考えでもあるのだろう。
『両者、準備は整いましたでしょうか』
 マイクを持った司会者らしき男が、蓮サイドと流華サイドを交互に見ながら確認してくる。
「いいですか蓮さん。素材も料理の種類も同じなら、後は調理する人の腕次第です。この五日間で蓮さんはご飯炊きとお茶入れの達人になりました。自信を持ってください」
「言われなくても分かってるよ。アタシが負けるわけないだろ」
 チャイナドレスの上から真紅のエプロンを身につけ、更に同色の布を頭に巻いて蓮は自信のこもった視線で流華サイドを見た。
 ずらりと並んだ釜の後ろで、いつもより更に黒いスーツを着たブラックマンと、鮮やかな蒼のエプロンをつけた流華が互いに熱い視線で見つめ合い、「先生!」「愛弟子よ!」と濃いやり取りをしている。
「……この五日間で随分と堅い絆で結ばれたようですね」
「みたいだねぇ」
 ややげんなりといった表情で二人から視線を外し、忍は自陣の釜を見た。さすがに製品の質はいい。黒い輝きが違う。
 用意されたお米や玉露も最高品質の物だ。材料に差を付けて勝利をもぎ取ろうという姑息な手段は使わない気らしい。あくまでも正々堂々、真っ正面から戦う気概が窺える。
『ソレでは制限時間は二時間! お料理バトル、始め!』
 司会者の合図で蓮は米袋を破き、適当な大きさのタッパーに移した。そこから計量カップで正確に擦り切り一杯分を計り取り、丁寧に釜へ移していく。
(いい感じだ、蓮さん)
 練習の成果がきちんと出ている。面倒くさがりの蓮をここまでにするには、忍も骨を折った。しかし目に見える結果として現れてくれれば、その苦労も報われるというものだ。
 そして蓮が十五個目の釜に米を入れようとしたその時、突然何の前触れもなく釜が弾け跳んだ。
『おーッとぉ! 蓮サイド、いきなりトラブル発生かー!?』
 釜は乾いた音を立てて、大理石製の床に転がる。底に穴が開いている。コレでは使い物にならない。
(なんだ、今何が……)
 蓮が「さっさと代わり持ってきな!」と叫び散らす中、忍は釜の置かれていたコンロをじっと見た。何か黒い物が落ちている。
(蝙蝠の羽根?)
 それはミニチュアサイズの蝙蝠の羽根だった。黒い色をしているコンロの中にあるので、かなり注意しないと見つからなかっただろう。
(まさか……!)
 忍の頭に一つの閃き。ソレを確認するために、流華サイドにいるブラックマンに視線を向ける。
 そこには腕組みをし、挑発的な視線でコチラを見下ろす彼の姿があった。私がやりましたと言わんばかりの顔だ。
(そう言うことか)
 どういう目的かは知らないが、ブラックマンは蓮の邪魔をするつもりらしい。
(流華と一緒にいる内に懐柔されたか?)
 ならばコチラにも考えがある。
 忍はポケットに手を入れると中から十円玉を取り出した。ソレを指の上に乗せ、狙いを定めて親指で弾く。十円玉は正確な方向性を持って飛来し、流華サイドの米袋に突き刺さった。
『ああーッと! ここで流華サイドにもトラブル発生だー! お米が大量流出! コレでは五十人分作れない!』
 忍の開けた小さな出口は流れ出る米自体によって広げられ、白い滝を作りだす。
 大切な食材が床にこぼれ落ちる様子を見てあわてふためく流華とは対照的に、ブラックマンは余裕の笑みすら浮かべて指を鳴らした。
『おやー、突然お米の流出が止まりましたねー。これはいったいどーした事でしょうか』
 さっきまで勢いが嘘のように止まり、それどころか米袋が膨らんで元の容量にまで復元された。
(ブラックマン……やはり得体の知れないヤツだ)
 妖術使い? 蝙蝠の羽根を触媒として使うくらいだから吸血鬼か何かか?
 思案していると蓮が戻って来た。どうやら米を入れ終えたらしい。次は水を入れて研ぐ作業だ。蓮は米が割れない力加減で、前に押し出すようにして研いでいく。コレもちゃんと練習の成果が出ていた。が――
「ああっちぃ!」
 蓮の悲鳴が上がる。三つ目の釜に水を入れ、研ごうとした蓮が慌てて手を引き抜いた。
「どうしました! 蓮さん!」
「いや、急に水が熱くなってさ」
 確かに研ぎ水からは、もうもうと湯気が立ち上っている。さっきまで正真正銘ただの冷たい水だったのに、だ。
「蓮さん、もう一度洗い直しましょう。この米は使えない」
 お湯で米を研ぐと糖分が逃げ出してしまい、甘みの無いご飯に仕上がってしまう。それではダメだ。
(おのれブラックマン)
 どうやら向こうは本気で蓮を潰しに掛かっているようだ。ならばコチラもそれ相応に相手しなければ失礼というもの。忍の中で何か得体の知れない物に火がついた。
 こんな事もあろうかと、密かに持ってきた霊刀『夜魔王』を取り出す。そして居合いの構えを取った。
 細く長く息を吐き、神経を手元に集中させる。
「はっ!」
 カッ、と大きく開眼し、忍は刀を鞘内で滑らせて加速をつける。そして抜き放ちざま、刀の流れに逆らって柄部を体に引き寄せた。
 横一文字――熟練者になれば剣先が生みだした真空で相手を斬ることも出来るという。忍の使う小野派一刀流の奥義には含まれないが、八相の構えと切落の動作を応用すれば出来なくはない。
『ここでまたまたハプニングーッ! 流華サイドの釜が一斉にひび割れたぁー!』
 呪術に関して複雑な物は使えないが、真空刃の飛距離を伸ばすことくらいは出来る。
 一気に十以上の釜をたたき壊し、忍は満足そうに小さく笑みを浮かべて『夜魔王』を鞘に戻した。
(十倍返しは基本だな)
 フ、と鼻を鳴らし、着々と作業を続けている蓮を見る。あれから悲鳴は上がっていない。ブラックマンも力の差を見せつけられて大人しくなったのだろう。
『さーて、先に米研ぎが終わったのは蓮サイドだー。流華サイド、交換作業に手間取り大きくリードを許してしまったー』
 蓮はお釜に付いた目盛りまで正確に水を入れ、コンロに火をつける。炎は最大の火力を発揮して釜の中の米を煮立たせていった。
「ああ蓮さん。最初は弱火でじっくりと、ですよ」
「分かってるよ、そんなこと。けど弱火にならないんだ」
「何ですって?」
 蓮に代わって忍はコンロのスイッチを回し、火力を調節する。しかし火の勢いは一向に収まる気配を見せない。それどころか更に大きくなり――。
「おわ!」
 釜全体を包み込んで、中の米を灼き尽くした。
「ふ、ふふ……」
 僅かに焦げた前髪を掻き上げ、忍は目を細くしてブラックマンを見据える。
「どうやら、決着をつけるときが来たようだな」
 忍は『夜魔王』を腰に構えて身を低くし、膝のバネを爆発させて一瞬でトップスピードに乗った。そして二十メートルはある流華サイドまでの距離を一気に詰める。
『こーれはどうしたことだぁーッ! 蓮サイドのセコンド、加藤忍がいきなり飛び出したぁーッ!』
 ブラックマンの手前で大きく跳躍すると、忍は『夜魔王』を抜きはなった。
「小野派一刀流奥義! 『金翅鳥王剣(きんしちょうおうけん)』!」
 自らの体を最大鳥王、迦楼羅(かるら)の如く飛び上がらせ、忍は重力加速度に自重を付加して『夜魔王』をブラックマンに叩き付ける。
 流華が悲鳴を上げる中、ブラックマンは落ち着いたまま何か特殊な発声をすると両腕をクロスさせた。
 金属同士がぶつかり合う激しい音を立て、忍の斬撃はブラックマンの腕で受け止められる。
「貴様! 蓮さんの味方ではなかったのか!」
「味方さ。基本的にはな」
「ならば!」
「だが応用的には敵だ」
 いったい何をどう応用すれば味方から敵になるのか。さっぱり分からないが、一つだけハッキリしたことがある。
(ブチ、殺す!)
 蓮の敵は忍の敵だ。
 ブラックマンの邪魔さえなければ蓮は勝てる。この五日間の血の滲むような努力。それをこんな形で無駄にするわけには行かない。
「おおおぉぉぉぉ!」
 『夜魔王』に更に力を込め、受け止められた箇所を起点として体をブラックマンの後ろへ流す。背中を向けた体勢から体を捻り、その回転力に乗せて斬撃を繰り出した。
「良い力の乗り具合だ。迷いもない。どうやら私を本気で殺そうとしているな」
 片手で白刃取りをして剣の勢いを殺し、ブラックマンは宙に浮かび上がった。
『いきなり始まった加藤忍 VS ジェームズ・ブラックマン! 果たして勝利の女神はどちらに微笑む!?』
 忍は『夜魔王』を鞘に収めて床を蹴って飛び上がり、ブラックマンと高さがあったところで刀を居合い抜く。
「さすがに早いな。だがそれだけでは私は倒せんぞ?」
 光速の一撃を手首で受け止め、ブラックマンは平然と言ってのけた。
「勿論それだけじゃないさ」
 再び『夜魔王』を鞘に戻し、すぐ抜き放つ。ブラックマンの手首に弾かれたところで軌道を修正し、さらに手首を狙った。下に弾かれれば居合い抜き、上に弾かれれば重力に乗せて同じ場所に打ち込む。
 正確で精密な動き。空中に自分の体を固定し続ける程の衝撃をブラックマンに与えながら、忍は神技とも言える作業を淡々と繰り返した。
『これは華麗な空中戦だぁーッ! ジェームズ・ブラックマン、やや押され気味かぁーッ!?』
 ブラックマンの顔色が変わる。
 霊刀すらはじき返す程の頑強さを誇っていた手首が、度重なる斬撃に耐えきれなくなり、ついに斬れ飛んだ。支えを無くした手首から先は無数の蝙蝠となって分解すると、そのまま空気に溶けて消える。
「やるな忍。この私が傷を負ったのは実に三百年ぶりだよ」
「果たして傷だけですむかな?」
 やはりこの男は妖魔の類だ。ならば遠慮は要らない。多分、殺しても死なないだろう。
 久しぶりに本気を出して戦える相手と出会い、忍は言い知れぬ昂揚感に包まれ始めた。
(以前にも異界で不死の眷属を狩った事がある。コイツは、多分ソレよりも強い)
 だが強くなったのは忍も同じだ。以前、『夜魔王』を手に入れるキッカケとなった事件の時とは比べ物にならないくらい腕を上げたつもりだった。
 手首を押さえて落下していくブラックマンを追い、忍は『夜魔王』を振り下ろした。それは寒気がするくらいアッサリとブラックマンの顔にめり込む。
「影だよ、忍」
 更に後ろから低い声がした。目の前で蝙蝠の大群と成り行くブラックマンの体を突き破り、鉤状に曲げられた腕が忍に伸びる。
『なんとぉーッ! 影を残して後ろに下がったジェームズ・ブラックマンの腕が伸びたぁーッ!』
「ちぃ!」
 『夜魔王』を縦に構え、刀の腹を空いた手で支えながらブラックマンの腕を受け止めた。
 一瞬、肩が外れたかと思うほどの強い衝撃が忍を襲う。反動を利用して忍はブラックマンから距離を取り、術的な言葉で脚力を強化する。そして低い弾道で再び間合いを詰めた。(まさかあんな攻撃を仕掛けるとはな……さすがに意表を突かれた)
 口の端に好戦的な微笑を浮かべ、五十メートルはあったブラックマンとの距離を一呼吸で詰める。そして青眼に構えた『夜魔王』の切っ先をブラックマンに向け、直線的に突きだした。
 ブラックマンはソレを受け止めようと掌をコチラに向ける。恐らく、手首同様高質化した掌を。
(かかった)
 思惑通りの行動に昂奮が高まる。忍はブラックマンの眼前で、一瞬にして『夜魔王』を逆手に持ち変えると下から逆袈裟に切り上げた。
 小野派一刀流奥義の一つ『絶妙剣』だ。
『加藤忍、ここでトリッキーな技を放つーッ!』
「何!?」
 狼狽したブラックマンの声。何とか身を引き、斬撃の犠牲をスーツだけに押しとどめる。
 辛うじてやり過ごし、ブラックマンの顔に安堵が浮かんだ。
(本当の攻撃はこれからだ!)
 忍はブラックマンの頭の上で『夜魔王』を順手に持ち変え、左肩を狙って袈裟切りに振り下ろす。
「小野派一刀流奥義――」
 確かな手応えと共に右脇腹から抜けた『夜魔王』。さらに返す刀で右腕の付け根を狙う。
「『払捨刀(ふっしゃとう)』!」
 上に抜けた刀を横にして首をはね、逆三角形を描くように袈裟逆袈裟の二連撃を放つ。更に迅速の刀さばきで縦一文字と横一文字を刻みつけた。
 流れるような神速の八連撃。それが小野派一刀流奥義、『払捨刀』だ。
「ふ……勝った」
 刀を鞘に戻し、勝利を宣言する忍。
『ジェームズ・ブラックマン、バラバラになってしまいましたー。と言うことで勝者は加藤しの……』
 司会者が忍の名前を叫ぼうとした時、鋭い痛みが体中を襲った。
 ブラックマンの体全体が無数の蝙蝠となり、研ぎ澄まされた刃物のような羽根で忍の体を切り刻んでいく。
「くぅ……!」
 両手で目を庇いながら、なんとか急所を外していく忍。目の前の蝙蝠が全て居なくなった直後、後ろで黒い気配が立ち上った。
「や、やるな忍……私をココまで追いつめたのは者は実に五百年ぶりだよ」
 振り返ると、口から血を流し辛そうに立ちつくすブラックマンが居た。
「お前もな……最後の攻撃は効いたぜ」
 対する忍もボロボロだ。青いジャケットは無惨に千切れ飛び、露出した皮膚からは血が滲んでいる。
「あの攻撃は最後のとっておきだったんだ……。私自身もダメージがあるから出来るだけ使わずに済ませようと思ったのだが……お前相手ではそうも言ってられなくてな」
「ふ……」
 ブラックマンは最後の大技を出した。忍も傷が深くて、先程までの素早い動きはもうできない。
 お互いに力を出し尽くしたというわけだ。
「良い戦いだったよ、忍。五百年ぶりに満足できた」
「私もだ、ブラックマン。またいつか本気でやり合おうじゃないか」
 そして二人は堅く握手を交わした。
『皆さん! ご覧下さい! ついさっきまで敵だった二人が今! 固い友情で結ばれました! どうか惜しみない拍手を!』
 まるで空が落ちてきたような万雷の拍手が忍とブラックマンに注がれる。
 会場に居合わせた人達は皆、熱い視線を二人に向けていた。
「ふざけんじゃないよ! アタシ達のバトルはどうなんのさ!」
「そうですわ! こんなに無茶苦茶じゃ何も出来ませんわ!」
 そんな中、蓮と流華の怒声が高々と響き渡る。
「忍ー。アンタが暴れまくってくれたせいで、お釜ぜーんぶ割れたんだけどー」
「先生ー。せっかく美味しいお茶を入れるために沸かしておいたお湯が台無しですわー」
 背後に灼怒の炎を立ち上らせ、蓮と流華はゆっくり忍とブラックマンの方に歩み寄ってきた。
 言われて会場内を見渡すと、確かに調理器具や材料が散乱している。というより原型を留めていない。この惨状が二人の戦いの激しさを物語っていた。
「ブラックマン、ここはやはり逃げるべきか」
「同感だ、忍。気が合うじゃないか」
 二人は顔を合わせて頷くと、脱兎の如く逃げたしたのだった。

◆エピローグ◆
 都心からは少し離れた場所にあるファミリーレストラン。普段ならこういう場所でくつろぐこと無いブラックマンだったが、今日は少々事情が違った。
(これもきっと日頃の行いのたまものだな)
 無料招待券。草間興信所のポストにブラックマン宛で入っていたのだ。
(たまにはこう言うのも悪くない)
 蒼月亭で静かにグラスを傾けるのも良いが、家族の団らんを見ながら珈琲をすするのも一興という物だ。
 茶色の革張りソファーに体を預け、ブラックマンはカップから香り立つ珈琲の豊潤な旨味を感じていた。磨き上げられたガラス窓の向こうではセミの声がしている。外は空調の整った店内とは違って灼熱地獄だ。
 額に汗を浮かべ行き交う通行人達を涼しい場所で見ていると、妙な優越感に浸ってしまう。
「お待たせしましたー。ご注文のお子さまランチでーす」
 普段あまり食べないブラックマンだったが、せっかくタダ券を持っているのだ。人間達の勉強も兼ねて、世俗の料理を食するのも悪くない。
 珈琲カップを置き、小さく盛られた旗付ライスをスプーンで口に運ぶ。
「はぐぁ」
 舌の上に乗せた途端、脳髄を直撃する高圧電流。焼け火箸を眼窩に直接突き刺されたかのような甚大な熱量が、吐き気を伴って躰を蹂躙する。虚無の彼方に葬り去り、憎しみと共に封印したはずの悪しき思い出が鮮明な輪郭で描かれて蘇り、再びブラックマンの理性を駆逐して行った。
(この、味付けはまさか……)
 一度食べたら忘れられない。口の中で繰り広げられる狂葬曲。
 こんな悪魔の音楽を奏でられる人物はこの世で二人しかいない。
「お久しぶりですわ、先生。お元気そうで何より」
「お、お前は……」
 髪の毛をアップに纏めていたから分からなかった。
 少し蒼みがかり、軽くウェイブのかかった長い髪の毛を梳き、蒼風流華は冷徹な視線でコチラを睥睨していた。
「先生にはお世話になりましたから。心を込めて送らせていただきましたわ、無料招待券」
 そうか。あれは地獄への無料招待券だったのか。
「べへぁ」
 視界が歪み、目の前が白み始めたブラックマンの耳に、背後から自分と同じような叫びが聞こえた。
(あの声は……忍……)
「どーだい、忍? アタシの手料理は。遠慮せずに完食するんだよー」
 そして勝ち誇った蓮の声。
 そう。全ては仕組まれていたことだったのだ。
 恐らく忍もブラックマン同様、この店の無料招待券を送られたのだろう。そして蓮の殺人料理を食べさせられた。
「あーら、蓮。そっちはもうダウンみたいですわね」
「はんっ、このくらいで許す訳ないだろ。ほーら忍。あーんして、アタシが食べさせてあげるから」
「まー蓮ったら、お熱いこと。さ、先生。コチラも負けずに見せつけて差し上げましょう」
 頭に冷水をかけられ、無理矢理覚醒させられたブラックマンの口に、流華の手にしたフォークが持って来られる。
(ふ……図らずも二人が仲直りするキッカケを与えてしまった訳か。さすが私だ)
 共通の敵を持つことで生まれた友情。
 きっと二人はこれからも良い関係を続けて行けるだろう。
「流華、先に完食させた方が勝ちだからね」
「分かってますわ。絶対に負けません」
 女同士の人間関係は、それほど単純ではない事を勉強したブラックマンだった。

 【終】

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【5128/ジェームズ・ブラックマン(じぇーむず・ぶらっくまん)/男/666歳/交渉人 & ??】
【5745/加藤・忍(かとう・しのぶ)/男/25歳/泥棒】

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■         ライター通信          ■
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 どーも、こんにちは。ブラックマン様。『蓮の料理は危険な香り?』をお届けいたします。今回はボケ全開で動かしてみました(笑)。水月小織様のノベルでは結構シリアスの役柄が多いみたいですね。まったくのギャク路線でしたが、気分転換になられましたでしょうか。
 結局、勝敗はドローという結果になりましたが、最初のプロットでは「勝者――ジェームズ・ブラックマン!」「なんじゃそりあぁぁぁぁ!」という展開も考えていたりします(笑)。結局私自身が納得行かずにボツりましたが。
 ブラックマン様のキャラは非常に動かし易くて(何でもアリだから?)、結構好きです。これからも少しずつ設定を付加しよう思っておりますので、お気に召しましたなら公式設定として採用して下さい。ではでは。

 飛乃剣弥 2006年6月3日