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+ お腹が空いた携帯電話 +
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「で?」
「でって酷いじゃないか。一応調査依頼だよ」
「じゃあ、さっさと話すんだな」
草間はタバコに火をつけながら正面にいる妙齢の女性を眺めた。
彼女……アンティークショップの主人、蓮は自分に笑みながら手の中にある物を草間に向けた。
それはどう見ても近代社会が産んだ文明の利器、携帯電話だ。若干型番が古そうに見えるが、それ以外は特に何も問題なさそうな携帯電話。
「嫌な予感がするが一応聞いておく。その携帯電話もまた何か……」
「曰く付きだよ」
「帰れ。俺のところにそういうものを持ち込んでくるな」
「あんただから持ち込むんだよ。で、本題なんだがね。この携帯には毎日大体夜七時くらいに電話が掛かってくる。……相手? さあ、誰だろうね」
何てことないかのように蓮は言う。
彼女はくすくすと笑いながら携帯電話のボタンをプッシュした。だが、聞こえる音はツーツーツー、のみ。
「電話は受信のみ。リダイヤルも効かない。相手が何をしたいのかもさっぱりだ。ただ、相手が言うことは唯一つ」
草間は眉を持ち上げる。
蓮は紅の引いた艶のある唇をくっと引いた。
「お腹が空いた、だとさ」
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『腹減った携帯電話だと!? 寝惚けたこと言ってんじゃねぇよ、ったく』
「ところが本当にあるんだ」
『そこまで言うなら、見せてもらおうじゃねぇか。今からそっちに行くからな、待ってろ』
「分かった」
ぷつんっ。
通話が切れた電話から草間は耳を離す。会話の相手である門屋 将太郎(かどや しょうたろう)の勢いの良さにやれやれと肩を竦めると、くすくすと笑い声が聞こえてきた。
笑い声の主は興信所の事務員であるシュライン・エマ。
携帯を胸ポケットの中に仕舞いこみながら草間は彼女の腰掛けているソファにどかっと腰を下ろした。
「門屋は来るってさ」
「うふふ。ね、武彦さん、なんだか、こう、携帯の、可愛らしい台詞ね」
「何がだ」
「電話から聞こえてくる声がいかにもどろどろした幽霊的なものなら兎も角、ただ単に『お腹がすいた』だけなんですもの」
「単純な分だけ意図が分かりにくいがな。さて、どうするか……」
草間は筋を伸ばすため真上に腕を持ち上げる。
シュラインは顎に指を当て、んーっと小さく唸りながら何かを考えていた。それから徐に真横……草間の方に手を差し出す。なんだ? と疑問を浮かべた草間に対して「携帯電話を頂戴」と彼女は笑んだ。
受け取った後、二つ折りのそれを開いて適当にボタンを押してみる。だが、画面は電源が入っているのにも関わらず真っ黒のままだ。
「んー、一応充電してみましょう。コンビニに簡易充電器が売ってるからそれを買ってくるわ」
「ああ、すまん。頼んで良いか?」
「もしかして持ち主がこの時間食事なさっていたのかもしれないわね。ああ、この電話自体が充電する時間だったのかもしれないわ」
「なるほど。……しかし、なんでこんな面倒なもんまで依頼にやってくるかな」
「ふふ、武彦さんはそういうオーラでも出しているのかも。あ、ついでに食材買って来て、夕食でも作っちゃおうかな。武彦さんは何か食べたいもののリクエストある?」
「美味いもの」
「……まあいいわ。適当に買ってきましょ」
自分のサイフをカバンの中から取り出し、そのまま手に持ってつかつかと靴音を立てながら出て行く。
そんなシュラインを見送りながら草間は電話を目の前まで持ち上げた。何の異常も見られない……言ってしまえば壊れたという表現が一番近いようなそんな携帯電話。
草間は眉を顰めながらピンっと指先でプラスチックの表面を指で弾いた。
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「で、どう思う?」
「何の変哲も無い携帯電話じゃねぇか。こいつがどうやって『腹減った』って言うんだよ。携帯越しに直接言うとか?」
「依頼人の話によると、毎日きっちり午後七時に電話が掛かってきてそれを取ってみると、『お腹がすいた』と言うそうだ。ちなみに受信オンリーでリダイヤルも利かない」
「んー実際問題どこを弄っても画面は真っ白だな」
手に取ってみた携帯電話を弄ってみても、やはり画面は真っ白のままだ。
門屋は自分の携帯電話番号を打ち込んで通話ボタンを押す。だが、問題の携帯も門屋の携帯もうんともすんとも言わない。
画面が明るくなければ本当に動いているのかすら疑いたくなるほどだ。
「これの持ち主は事故とかで死んだとか?」
「いや、そう言う事は聞かされていないな。依頼人からはお前に話した事柄だけしか聞かされていない。兎に角何とかしてくれ、だそうだ。面倒臭い」
「はっはっは、お前のところはいつもこんな依頼ばっかりだな。この間は式神探しだっただろ? いや、呪い人形だったか?」
「……どっちにしても心霊関係には関わりたくない」
はぁああっと長いため息を吐き出しながら額に手を当ててうなだれる。
門屋は出されたコーヒーを口にしながらしばらく携帯を弄っていたが、やがて壁に掛けられた時計を見遣りつつ顔を持ち上げた。
「毎日夜七時に電話がかかってくるんだな」
「そうだ。ああ、そういえばもうすぐだな」
「分かった。それまで待ってやるよ」
「そうしてくれると助かる」
「俺もちょっとこれには興味があるからな。電話の相手が一体何を求めているのか……結構ネタとしては良いんじゃねえ?」
「電話の相手が生きてるか死んでるかもわからないのに、か?」
「おー、怖い怖い」
門屋は棒読み状態で一応怖がっている素振りをする。
まだ完全には信じ切れていないようだ。無理もないと心の中で草間は苦笑しつつ、時計を見る。
―――― 午後七時まであと一時間。
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「あと一分」
草間は正確な時間帯を知るため自身の携帯電話で時報を聞きながら答える。
念のためにとすでに携帯はシュラインの買ってきた充電器に接続した。電池がないことを訴えているのならば、これで問題は解消されたはずだ。
そんな電話をテーブルの中央に置き、その周りには草間、シュライン、門屋の三人が控える。そんな彼らの目の前にはシュライン手作りの夕食が並べられていた。
おいしそうな香りを漂わせるそれらは人間三人のために作られたものだが、念のためにと一人分大目に作られていた。
「はい、武彦さん。ご飯はこれくらいでいいかしら?」
「サンキュー」
「門屋さんはこれくらい?」
「あ、もう少し多めに盛り付けてくれると有り難い」
「OK」
「えー……後三十秒」
草間の隣の席で近くまで持ってきた炊飯器から飯を茶碗に盛り付けるシュライン。
それを他の二人に回し、自分の分を盛り付けた茶碗を目の前に置く。他に忘れ物はないかチェックした後、満足そうに頷いた。
時報が徐々に七時に近付いていく。
「あと五秒。四、三、二、一……――――」
トゥルル、トゥルル、トゥルル、トゥルルッ!!
標準設定であろう携帯電話の音が鳴り出す。
充電は意味がなかったのかと三人は顔を見合わせる。嘆息を吐きながらも草間は携帯に応答するために手を伸ばす。だが、門屋がそれを遮った。
「もしもし、何か用か?」
―― ……た。
「ん? 何だ?」
―― ……いた。
「『いた』?」
―― お腹がすいた。
門屋が眉を顰める。
声はかなり小さく、また聞き取った音声は抑揚がなく機械的だ。声質から男女の区別もつけられない。例の文章だと目配せで合図をしながら、もう少し何か聞けないかと受話器に耳をくっつける。だが何も変わらない。
シュラインは携帯を頂戴と手を差し出し、門屋は携帯を渡す。
「こっちから何か聞いてみましょう。えーっと、何がほしいの?」
―― お腹がすいた。
「人間の食べ物は食べれるかしら?」
―― お腹がすいた。
「充電じゃ駄目だったの?」
―― お腹がすいた。
「どうすればお腹がいっぱいになるか教えてくれるかしら?」
―― お腹がすいた。
…………。
会話が一向に成り立たない。ひたすらエンドレスリピートされてしまう言葉に流石のシュラインもお手上げのようだ。
「ああ、もう面倒だ! 俺に貸せ」
「武彦さん? 一体何するの?」
「もうその電話切ってしまえ。そうすれば明日まで持つだろ」
「根本的解決になってないわ。何か他に何かいい案を考えましょう」
「充電も駄目、食い物を目の前にしても『お腹がすいた』じゃあ……後は味噌汁ん中にでも携帯を突っ込んでみるか?」
「それじゃあ、携帯自体が壊れてしまうわ。門屋さん」
三人でぐるぐると携帯を回しあう。
だが、受話器からは相変わらず同じセリフが流れるのみ。しかも段々と音量が上がってきている。最初は気をつけないと聞き逃しそうなくらい微かなものだったが、今では部屋中を響き渡らせんばかりの大きな音だ。
―― お腹がすいた。
「ちょ、これマジで五月蝿いっ」
―― お腹がすいた。お腹がすいた。
「でも此処できったら明日も同じことが起こるのよ。少しは我慢しなきゃ……」
―― お腹がすいた。お腹がすいた。お腹がすいた。
「我慢にも限界があるだろう!? もういい、貸せ。切るっ」
―― お腹がすいた。お腹がすいた。お腹がすいた。お腹がす――――。
ぴた。
突然音が止む。
携帯電話は草間の手の中、そして指先は適当に押したボタンの上。一斉にほっと息を付いて胸を撫で下ろす。耳が可笑しくなりそうだと門屋は耳朶を撫でた。草間は電話をテーブルの上にころっと転がし、そのままぐったりとテーブルにうつ伏してしまった。
「あら? 武彦さん、門屋さんこれ見て」
「ん? 何だ?」
「何かあったのか?」
シュラインが携帯電話の画面を二人に見せる。
すると、げっと門屋が小さな悲鳴をあげた。画面に出ているのは数字と簡単な文章のみ。
―――― 上記番号を登録致しました。
「っ〜!! って、これ俺の携帯番号ッ」
「あらやだ、これ最初のメモリー登録みたい。ほら、もう白い画面から変わるようになって色々弄れるようになってる」
「これだともう普通の携帯電話と何にも変わらなさそうだな。……そういや門屋、さっきお前自分の携帯に電話を掛けようとしてなかったか?」
「ちょ、ちょっとまて。ってことはこいつが腹減ったって言ってたのは……」
「携帯のアドレスメモリーだな」
さぁあああ……。
門屋の血が一気に下がる音がする。そんな彼とは反対に草間は携帯を折り畳みながら満足そうな表情を浮かべていた。
「助かったぞ、門屋。多分これで依頼終了だ」
「持ち主がどんな人か分からないけれど、きっと長い間寂しかったのね。もしかしたら店の在庫品だったのかも」
「何は兎も角一件落着」
「明日電話が鳴らなかったら万々歳ね」
問題が解決したと二人同時に微笑む。
が。
「俺は全然万々歳じゃねええええーッ!!」
一人で今回の不安要素を背負い込んだ門屋は自分のアドレスを消すためダッシュで携帯の元へと走った。
……Fin
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【1522 / 門屋・将太郎 (かどや・しょうたろう) / 男 / 28歳 / 臨床心理士】
【0086 / シュライン・エマ / 女 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
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