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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


サムライと肉じゃが

「社長、お客さんです。お約束ではないようですけど……」
「20代から30代前半までの、一流大卒、年収800万円以上の男の人だったら会うわ。それ以外には手が離せないと言って」
 にべもなく、早百合は言い放った。
 しかし、窓を背にしたデスクにおいて、黒澤早百合は忙しそうにはまったく見えない。むしろ退屈そうに、女性週刊誌のページをめくっていたのである。
「……若い男の人には違いないんですけど……学歴とか年収とかいうのはちょっと」
 取り次ぎの女子事務員は困り顔だ。
「じゃあお断りして。……だいたい、多忙な美人社長にアポなしの面会なんて非常識だわ」
「手間は取らせません。わたくしの話を聞いて戴きたい!」
 割って入ったのは、制止を振り切り、ずかずかとオフィスに入り込んできたひとりの男だった。二十代の前半くらいか。
「わたくしは立川紀之介と申すもの。折り入って、黒澤殿にお願いが会って参りました」
 早百合は、ふう、と息をついて、読みさしの雑誌をぱたんと閉じた。
「いやね。かたときのプライベートも許されないのね、セレブって。……5分だけならいいわ。……そちらのソファーへどうぞ」
「かたじけない!」
 強引に押し掛けてきたかと思えば、態度は殊勝だ。
 黒澤早百合と立川紀之介の、それが出会いであった。

「実は、わたくし、みなさまが江戸時代と呼ばれております時代より参ったものです」
「はーい、お客様、お帰りよー」
「ちょ――、話は最後まで聞いてください!」
「誰がのっけからそんな電波な自己紹介聞かされてまともに相手できるのよ」
「信じられぬのも無理はありません。しかしそれがありのままの真実ゆえ致し方ないというものです。……ところでわたくし、裏高野で修行を積み、雷の力を操る術を体得したのですが」
「出口あっちだから」
「最後まで聞いてくださいと!」
「次は何? 宇宙人に誘拐された経験があるとか、さおだけ屋がつぶれないのは政府の陰謀だとか言い出すんじゃないでしょうね。それで一体、私に何の用なのよ?」
「では、前置き抜きにそこのところをお話しましょう。黒澤殿。貴殿がお持ちという雷の力をあやつる剣を、見せてはいただけまいか?」
「……どうしてそのことを」
 はっと、早百合は目を見開いた。
 早百合は表向きは零細人材派遣会社の社長であるが、その裏の顔は暗殺者組織の首領であり、さらには類まれな霊能力を活かした悪霊退治も、そのなりわいであるのだった。そして彼女が霊と対峙する際に使う武器こそ、虚空より召喚される雷の力をもつ霊剣なのであるが、そのようなことを知っているものはいかに東京広しといえども――
「先月号の『月刊アトラス』にて拝読申し上げ候」
「……もしもし、そちら編集部? 個人情報保護法ってご存知でらっしゃるかしら?」
 十分少々、説教と苦情に費やして、早百合は再び、紀之介に向き直った。
 江戸時代からやってきたと主張する若者の真摯な瞳が彼女をまっすぐに見据える。
「それがあなたとどう関係するっていうの」
「それがわたくしの剣かもしれないからです」
「はァ?」
「お仕えしておりました姫君より拝領せし名刀『いかづち丸』。それは雷の気を帯びた希代の霊刀。まさに、黒澤殿がお持ちという剣そのものではありませんか。わたくしはこの時代にやってきたおりに、かの刀を失ってしまいました。なんとしても、それを取り戻すことが、わたくしの責務であり――」
「知らないわよ、『いかづち丸』なんて。あの剣は最初から私のだわ。悪いけど、剣違いよね。さ、もういいかしら。こう見えて、私も忙しいのよね」

 こうして――
 早百合と紀之介の初対面は、早百合にとっては迷惑な言い掛かりをつけてきたヘンな男との一幕に過ぎず、紀之介にしてみれば目的は果たせず不首尾に終わった会見であった。
 だが、早百合はそれ以来、この男の諦めの悪さ――もとい、意志の強さを思い知ることになる。

「社長、あの人、また来てますけど」
「追い払って、塩でもまいといて」
「でも……なんだか、かわいそうですよぅ。『浄化のいかづち』を見せてあげるだけならいいんじゃないですか。見れば納得すると思うし」
 女子社員たちが頷く。
 どうやら、毎日のように足繁く通って来る紀之介は、黒澤人材派遣の社員たちのあいだに同情を集めはじめていたようだ。
「いやよ! ああいう電波な手合いはヘンにかまうと粘着されるの。スルーするに限るわ。スルー、スルー」
 しかし、早百合はあくまで冷たかった。苛立たしげに新聞を広げ、部下の無言の訴えも黙殺する。……と、その新聞にふっと陰が差した。
「……?」
 急に空でも曇ったかと思えば、社員たちが驚いた顔で早百合の背後を指さす。
「!」
 早百合のデスクの後ろを、窓掃除人のゴンドラが降下し、そこには掃除人とともに紀之介が乗っていて(掃除人の迷惑そうな顔から察するに同乗を無理からに頼み込まれたのであろう)、ガラス越しの熱烈なアピールを送っている。
 はらり、と、垂らした掛軸には達筆な筆文字で「何卒、御願い申し上げ候」。
 早百合は唖然としつつも、負けじとばかり、反故になったコピー用紙の裏(黒澤人材派遣ではコスト削減のために、使用済用紙の裏側もコピーやメモに活用することを励行中であった)に「大迷惑。訴えるわよ」と殴り書きをして窓に貼付けた。
 窓越しの不毛な争いに、社員たちは息をつき、早百合の苛々はつのってゆく。

「いい加減、諦めなさいよ!」
「いいえ諦めません!」
「一体どこまで着いて来る気!?」
「どこまででもです!」
「明日も明後日も来るつもり!?」
「命ある限り!」
「……本当にね!」
 言い合うふたりのあいだを、空を切って弾丸が抜けてゆく。
 ふたりは、人気のない真夜中の倉庫街を走っている。後方からどやどやと追い掛けてくる集団の気配。
「もう! あんたが付きまとうせいで、こんなことになったのよ!」
「その点については申し訳ありません! ……が、件の剣を使われては如何でしょう」
「その手には乗るもんですか!」
 銃撃に追われながら、ふたりは夜の街をどこまでも走った。
 そして。
「……ここまで来れば、大丈夫かしら」
 そして路地裏でようやく人心地。
「あんたもしぶといわねェ。……って、ちょっと」
 早百合は、紀之介がじっとうずくまったままなのに眉をひそめる。
「まさか撃たれたの?」
「……いえ」
「ずいぶん具合が悪そうじゃないの。自業自得だけど……何かあったらなんだか寝覚めが悪いわ。医者に行く?」
「……け、結構です!」
 紀之介はぶんぶんと首を振った。
「何よ。でも顔色が――」
 と、そのとき。
 路地裏に響き渡ったのは、まぎれもなく腹の鳴る音であった。
「……お腹空いているの」
「…………はい」
 早百合は、深い深いため息をついて、天を仰いだ。
 ビルの隙間から見えるのは、東京の星も見えぬ夜空であった。

 紀之介は語る。
「見も知らぬ街にひとりで放り出され、大切な剣も失い……途方に暮れるしかありませんでした。知り合いなど一人もおりません。ようやく……ここが江戸の――何百年も後の世だと知っても……もといた時代に戻るすべもわからず……。ただもう、姫より拝領したあの剣を……せめてあれさえ手元にあれば、どうにかなるような、そんな気持ちにすがるようにして、今まで過ごして参りました……」
 黒澤人材派遣の社長室。
 ソファーの上で訥々と語る紀之介の身の上に、いつしか早百合は聞き入っていた。
「そう……。苦労したのねぇ……」
「今は、多少なりとも覚えのある剣を腕を活かして、さる道場の師範代として口を糊しておりますが、稼ぎも思うようにはいかず、ろくに食事にありつけぬ日も……」
「……わかったわ」
 そして、神妙な顔つきで早百合は言うのだった。
「見せるだけよ。でも本当に、あれはあなたの剣じゃないから……残念だけど」
「そ、それはもう……! 本当に――見せていただけるのですね?」
「根負けねぇ……。それによくよく話を聞けば気の毒でもあるし。……小野小町に懸想した深草少将は百日通いの最後の日に死んじゃったのよね。それじゃあんまり可哀想じゃない?」
 自らを小野小町に平然とたとえる早百合も大したものだが、このときの紀之介はそのようなことにツッコんでいるような状態ではなかった。ただもう、いよいよ、探し求めた剣に出会えるかもしれぬという期待に、ぎらぎらと熱っぽい瞳で早百合を見つめているばかりだ。
「……でもその前に、お腹空いてるんでしょ? ちょうど残りものがあるから、まずは食べてからにしたら?」
 早百合がなにやらあやしげなリモコンをいじると、社長室の壁が開いて、キッチンがあらわれた。これこそ「ほら、私って、仕事も忙しいから不規則になるじゃない? お料理しようにも家に帰れるのがいつになるかもわからないし、ここなら、仕事の合間にちょっと思いついたレシピを試してみたりできるでしょ?」 というわかったようなわからないような理由で、社長室を改造してつくられた『さゆりのクッキング・スペース』なるものであることなぞ、紀之介が知るはずもない。
 そして、彼の前に置かれたのは――
「言っておくけど、この肉じゃがは私の一番の得意料理なんだからね」
「…………」
 肉じゃがだ、というのなら、早百合はそのつもりなのであろう。
 しかし、某秘密機関の職員たちのあいだで「宇宙生物?」と物議をかもしたその物体は、紀之介の感性でいえば「魑魅魍魎?」というような有様であって、相当な空腹であるはずの彼にさえ食欲を催させるものではなかった。だが、それでも。
「ありがたく――、いただきます」
 据え膳食わぬは男の恥(すこし意味が違う)、出されたものは残さず食べるがモットーの紀之介である。
 箸をおしいただき、その得体の知れぬものに、果敢に挑むのであった……。


 それから後のことはよく覚えていない。
 ただ夢うつつに、姫の声を聞いたような気もする。
 そして『いかづち丸』の雷光の閃きを見たような。
 自分の下宿で気がついたときには、一週間ほどが経っていた。その後、身体が本調子に戻るまでひと月ばかり。
 それから――
「なによ、剣はもう見せてあげたじゃないの?」
「……いえ、それがその……あまりはっきりとは……見た覚えが……」
「はは〜ん」
 早百合は、あやしげな微笑を浮かべた。
「そんなこと言って。用は口実で、わたしに会いにきたのでしょ。いやねえ、セレブって。ただそこに存在するだけで天体がわたしの周囲を回っているのだわ!」
「いや、あの、そういうわけではないので、剣を――」
「まあ、せっかく来たのだからゆっくりしていきなさいよ。そうそう、『ひじきの煮付け』があるけど、食べる?」
「え」
 食べるわよね?と凄まれて、ただ無言で、ガマの油のような汗を垂らす紀之介であった。

(了)