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記憶の迷宮 1
ある日のこと。仕事の帰り道、草間武彦は、こちらも取材の帰りらしい碇麗香と偶然出会った。挨拶だけで素通りしなければならないほど、忙しくもなかったので、なんとなく立ち話をして、その別れ際のことだ。
「そうだ。これ」
麗香は、バッグの中から何かのチケットのようなものを差し出した。
「なんだ? これ」
草間はそれを見やって、尋ねる。
「今、東京湾の沖合いに、人工島を造ってテーマパークが建設されているでしょう? それの開幕前夜のイベント用の入場チケットよ」
「ああ……。そういえば、あれって、白王社が経営に加わってるんだっけ」
麗香の答えに、草間は新聞やテレビで見た大掛かりなCMを思い出し、うなずいた。
「開幕前夜のイベントって、何やるんだ?」
「ミステリーツアーみたいなものらしいわよ。……テーマパーク全体を使って、与えられたヒントを頼りに宝探しとか、推理ドラマ仕立てで犯人探しとか、そういう感じね」
問われて麗香は言うと、実は自分もよく知らないのだと、笑って付け加えた。ただ、会社の方から、イベントチケットを配るように言われているらしい。
麗香は、彼にチケットを二枚押し付けると言った。
「一枚で三人まで入れるから、他にも人を誘って来てちょうだい。……もし、もっと必要だったら、言ってくれればまた渡すわ」
「へいへい」
草間は適当に答えて、とりあえず、押し付けられたチケットを手に、事務所への道をたどった。
+ + +
数日後。
草間武彦は、零と友人たちを連れて、東京湾の沖に浮ぶ人工島へと向かった。
そして――。
「ここは……どこだ? 俺は……俺の名前……タケヒコ……それが、俺の名前? だが……」
草間は、思わず呆然として呟く。その地で気づいた時、彼は名前以外の全ての記憶を失っていたのだ。その脳裏を貫くように、一つの声が木霊する。
『キングを倒せ』
「キング? キングって誰だ?」
草間は思わず顔をしかめ、尋ねた。だが、それへの答えは返らない。ただ、同じ言葉が繰り返されるだけだ。彼は思わず、顔をゆがめて、頭を押さえた。
ほどなく声は止み、彼は静寂の中に取り残される。ようやくおちついてあたりを見回すと、そこは森の中のようだった。昼間なのか、明るい。彼はとりあえず、人の姿を求めて、歩き出した。
【1】
目覚めた時、シュライン・エマは自分の名前以外、全ての記憶を失っていた。
なぜここにいるのか、自分はどこに住んでいてどうやって生きているのか、どこにもかけらすら残っていない。
倒れていたのは、どこかの森の中だった。あたりはうっそうと木々が生い茂り、その根方は苔におおわれている。彼女は、それらの木々の幹の根元に、寄りかかるようにして倒れていたのだった。
『キングを倒せ!』
突然頭に響き渡った声が去ると、彼女は小さく吐息をついた。
(キングって、男性のこと? それとも、そんな名を冠した物体? 頭に響くってあたり……後催眠でもかけられたとか……?)
今の現象を不安に思いつつも、考えを巡らせる。
それから、ふと思いついて、自分の持ち物を探ってみた。小さなバッグには、携帯電話、サイフ、大型自動二輪の免許証、ハンカチ、ティッシュ、口紅などの化粧道具が入っていた。
サイフには、チケットの半券らしいものと、名刺が何枚か入っている。チケットには、「キングアイランド・特別入場券」と印刷され、スタンプが押されていたが、その日付は薄くて読み取れなかった。また、名刺は彼女自身のものと、「草間武彦」名義のものだ。
彼女はその名刺を、しげしげと見比べた。自分のものは、会社名や肩書きなどは入っておらず、名前と携帯の電話番号、それにメールアドレスだけだ。一方、「草間武彦」名義のものは、「草間興信所 所長」の肩書きが入っている。
(なんでこんなものが……? 私、探偵に何か依頼してたのかしら)
彼女は、思わず眉をひそめた。
その時。ふいにどこからか、人声のようなものが聞こえた気がして、彼女は弾かれたように顔を上げた。
(今の、何?)
軽く目をしばたたいて、耳を澄ませる。途端、彼女は自分の耳が、誰かが草を掻き分けるような音や、かすかな衣擦れ、話し声、土のこすれる音、そして人の心音や息遣いらしいものまで、正確に聞き取れることに気づいた。
(何、これ。……どうして私、こんな……)
思わず目を見張ったものの、今この状況でこの能力は、とても役立つものだとふいに彼女は思い至る。
(よくわからないけど……いつまでもここでこうしていても、どうにもならないし……人がいるなら、そっちへ行ってみる方が良さそうね。ここがどこなのかぐらいは、もしかしたらわかるかもしれないし)
そう決めて、彼女は出したものをバッグの中に戻すと、立ち上がった。そのまま、声のする方へと歩き出す。移動する間は、念のため、目印をつけながら行くことにした。バッグにあったティッシュを、小さく裂いて、それを数メートル置きに小枝に結びつけながら、進む。
しばらく歩くと、木々が途切れて、小さな広場のようになった場所に出た。人声はそちらから聞こえる。一つは太い男のもので、もう一つは幼い感じのする少女のものだ。それでシュラインは、やや警戒気味に木の陰に身を潜め、そこからそっとそちらを伺った。
小さな広場の真ん中にいるのは、がっしりした長身の男と、小柄な少女だった。
男の方は、四十前後だろうか。ゆるいウェーブのある黒髪を長く伸ばして後ろで一つに束ね、顎にも髭をたくわえている。ジーンズといやに派手な半袖シャツを身に着けて、地面に下ろしたリュックに、その周辺に広げたものを収納しているところらしい。
少女の方は、中学生か高校生というところだろうか。黒い髪を長く伸ばし、デニムの七分丈のパンツに半袖のブラウス姿で、こちらも背中に小さなリュックを背負っていた。
一見すると、森へピクニックに来た親子連れのようだ。ただ、二人は親子にしては、似ていない。
「……ええっと、すみません。荷物を点検していたもので。私は、シオンといいます。シオン・レ・ハイ。でもそれ以外のことは、何も覚えていなくて……」
やがて、リュックにそこにあったものを全て収納し終えた男が顔を上げ、少女に言っているのが聞こえた。
「え? おじさんもなんですか? 私も、名前以外は何も覚えていなくて……」
少女が軽く目を見張って、それへ叫ぶ。
「え? お嬢さんもですか?」
シオンと名乗った男も目を丸くし、二人はしばしそのまま見詰め合った。が、ややあってシオンが尋ねる。
「あ……。お嬢さんも名前だけは、覚えているんですね」
「はい。私は、草間零です」
うなずいて答えた少女の名に、聞き耳を立てていたシュラインは、軽く目を見張った。
(草間って、あのサイフにあった名刺の……。これは偶然? それとも、あの少女は、あの名刺の探偵の関係者なの?)
思わず眉をひそめつつ、彼女は更に耳を澄ませる。
二人の会話の内容からすると、彼らも自分と似た状況のようだ。
(おかしな話だわね。森で出会った人間が、みんな記憶喪失なんて……)
そんなことを思いつつ、とりあえず二人に声をかけてみても大丈夫そうだと判断してシュラインは、木の陰を離れた。
「こんにちわ。……私はシュライン・エマといいます。悪いけど、さっきからそこの木の陰で、二人の話を聞かせてもらっていたの。私も、あんたたちと似たような状況なのよ。ここがどこなのかもわからないし……あたりを探索するつもりなら、私もご一緒させてもらえないかしら」
できるだけフレンドリーになるよう気をつけながら、彼女は二人に言った。
シオンと零は、驚いたように彼女を見やって、顔を見合わせる。やがて口を開いたのは、シオンの方だった。
「それはかまいませんが……人数は多い方がいいですし。あの……もしかして、シュラインさんも、聞いたんですか? 『キングを倒せ』って声を」
「ええ」
問われて、シュラインはうなずくと共に、軽く目を見張った。
「じゃあ、あんたたちも?」
「私は聞きました」
言って、シオンは零を尋ねるように見やる。零も黙ってうなずいた。
その二人を見やって、シュラインは再び眉をひそめる。どこだかわからないこの森で、出会った二人の人間は、自分と同じく名前以外の記憶を失っていて、その上、同じ声を聞いたという。それはつまり、この状況が人為的なものである可能性が高いということだ。
(誰かが、そのキングとかいうものを倒させるために、私たちの記憶を奪って、この森に放置したってこと?)
胸に呟き、それにしても、なぜ自分たちなのだろうかと、彼女は小さく首をひねる。
その時、シオンがふいに鋭い声を上げた。
「ど、どうしたの?」
思考を破られ、驚いてシュラインは尋ねる。
「何か、思い出したんですか?」
零も、そちらをふり返って問うた。
それへシオンは、驚いたように小さく目をぱちくりさせながら、慌ててかぶりをふる。
「い、いえ、違います。……もしかしたら、今こうしてお二人と会ったことも、顔や名前も、全て忘れてしまうかもしれないし、どうしたらいいのかなあと考えていて、とてもいい方法を思いついたものですから」
言って彼は、シュラインと零が脱力するのにも気づかず、再びリュックの中を引っ掻きまわして、そこから「落書き帳」と大きく書かれたB5サイズの、レポート用紙のようなものと、鉛筆を取り出した。そして、表紙をめくってそこに、似顔絵を描き始める。
シュラインが覗き込んで見ると、そこには零だと言えなくもないが、彼女を目の前にしたら「別人?」と首をかしげたくなるような、微妙な少女の顔が描かれている。
反対側から覗き込んだ零も、小さく首をかしげていた。
だがシオンは、二人の目を気にすることなく零を描き終えると、その下に「くさま れいさん」と名前を大書し、もう一枚めくって、今度はシュラインを描き始めた。
(私って、あんなに吊り目なのかしら……)
ある意味、特徴を捉えてはいるものの、そこだけ突出しすぎた彼の似顔絵に、シュラインは思わずこっそり、バッグからファンデーションのコンパクトを取り出して、自分の顔を確認してしまった。
だがこれも、シオン当人はとてもよく出来ているつもりのようだ。描き終えると「シュライン・エマさん」と大書して、ようやくそれらをリュックに戻す。
「お待たせしました。これでもう大丈夫です。……それで、どちらの方向へ行ってみましょうか?」
「そうね。まずは、この森を出て、高い所を探してみるのはどうかしら。周辺を一望できれば、人家のある場所とかもわかると思うし」
シュラインは気を取り直して言うと、自分が来たのとは反対方向へ行ってみようと提案する。むろん、目印のことも告げた。
「それはいいですね。目印があれば、一度通った場所に出れば、すぐにわかります」
シオンが、目を輝かせるようにしてうなずいた。
こうしてシュラインは、この二人と共に、森の出口を探すことになったのである。
【2】
出口を探して森を進む途中で、シュラインたち三人は、法条風槻(のりなが ふつき)とササキビ・クミノ、それにタケヒコと名乗る男女と出会った。
風槻は、二十代半ばというところだろうか。長い黒髪と緑の目をした、明るい雰囲気の女性だった。半袖Tシャツの上にジャンパースカートを着て、下はジーンズとスニーカーというなりだ。腰にウエストポーチを巻いている。
対してクミノは、中学生ぐらいだろう。小柄で背が低く、長い黒髪は二つに分けてそれぞれ束ねており、妙に制服めいたスカートと半袖のブラウスという姿だった。体に斜めに、小さなポシェットを提げている。
一方、タケヒコは三十前後というところか。短い黒髪に黒い目の、長身の男だった。夏物らしいブルーグレーのズボンとそろいのジャケットに、柄物の半袖シャツという恰好は、あまり堅気の人間には見えなかった。
もっとも、この三人もシュラインたち同様、名前以外の記憶を失っていて、自分がどんなことをして生きて来た人間なのかを、まったく覚えていないという。また、この森の中で意識を取り戻したおりに、「キングを倒せ」という声が頭の中に響いたというところも同じだ。
それで結局、彼女たちはこの三人も加えて、六人で森を行くことになった。とはいっても、今は少し休憩を取ろうと、それぞれが木の根方に腰を降ろしたところだ。
シオンがシュラインたちに出会った時と同じく、三人の似顔絵と名前を、せっせと落書き帳にメモしている。
それをちらりと見やってシュラインは苦笑し、新来の三人に目をやった。
なんとなくこうしていると、彼女は妙に懐かしい気持ちに駆られる。殊に、タケヒコから香るタバコの匂いには、ひどく慕わしいものを覚えた。
念のためにと、シオンと零にもそれについて尋ねてみたが、シオンは首をかしげただけだった。ただ、零は自分も似た感じを覚えると言う。
「タバコの匂いもそうですし、声にもなんだか、聞き覚えがあるような気がします」
零はそう付け加えて、タケヒコの方をじっと見やった。
その時、クミノが彼女たちを見回して、口を開いた。
「私たちは、実際には顔見知りか、同じグループだったのかもしれないという気が、私にはするのだがな」
そして彼女は、スカートのポケットから、チケットの半券を取り出して見せる。
「持ち物と共に、自分の体を調べたら、これが出て来た。……それに、携帯に登録されている名前と履歴に、『零』『シュライン』という名が登場している」
「私たちの名前が?」
シュラインは、思わず声を上げ、零と顔を見合わせた。そして、慌てて携帯電話をバッグから取り出す。そういえば、持ち物を調べた時、携帯電話の中身までは見なかったのだ。そこにはかなりの数の電話番号が登録されており、その中にはたしかに、零やクミノの名前もあった。それどころか、あのサイフにあった名刺の草間武彦なる人物のものもある。そのことに、シュラインは愕然とした。
(やっぱり私、探偵に何か依頼していたのかしら。それに、零ちゃんやクミノさんとも、知り合いだったわけ?)
思わず呟き、二人に対する呼称が、ひどくしっくり来ることに気づく。
隣では、零も同じく携帯電話を調べて、愕然とした顔をしている。
その彼女たちの前に、半券を差し出しながら、風槻が尋ねた。
「半券の方はどう? ちなみに、あたしの携帯にはここにいる人間の名前は、ないようよ」
「あ……。半券は、ここに」
言われて、シュラインは慌ててサイフの中からそれを取り出す。零も同じものを、リュックのポケットから取り出した。それを見やって、タケヒコも同じものを差し出す。
似顔絵を描き終えて、落書き帳をリュックにかたずけたシオンは、そんな一同を見やってきょとんとした顔になった。が、すぐにその手にあるものに気づいたのか、ジーンズのポケットから、慌てて半券をつまみ出す。
「なんていうか、嫌な感じだな。……たぶん俺たちは、何かの催しだとかなんとか言って騙されてチケットを渡され、ここで記憶を抜かれて放り出されたんだ」
言ったのは、タケヒコだ。
「そういうことみたいね。そして、記憶を取り戻す鍵は、声が言っていた『キング』なんじゃない?」
風槻が、肩をすくめて言う。
「でも、キングってなんなの? 人? それとも、もの?」
シュラインが、目覚めた最初に感じたのと同じ疑問を口にした。
「さあね。……なんにしろ、今は情報が少なすぎるわ。とにかく、この森を出て、そのキングに関する情報を手に入れる必要はあるわね」
また風槻が、肩をすくめて返す。
「えーっと、周辺の地図とかあったら、便利じゃないですか?」
軽く挙手をして提案したのは、シオンだ。
「そうだな。地図があれば、動くのもずいぶん楽になる。……ただ、そう都合良く行くかどうかだな」
うなずきつつも、難しい顔でタケヒコが言った。
なんにしろ、森を出なければ始まらない。シュラインたちは立ち上がり、再び森の出口を求めて、歩き出した。
【3】
どうにか森を出たシュラインたちは、とりあえず小さな川に沿って作られたアスファルトの道をたどることにした。本当は、高い所に登ってあたりを一望すれば、様子がわかるだろうと誰もが考えたのだが、遠くの方に小高い丘が二つ並んでいるのが見えるばかりで、あとはさほど高い場所も建物も、この付近にはないようなのだ。
「いっそ、森の中で木に登ってみればよかったかもね」
風槻が言ったが、太陽はかなり西に傾いており、誰も再び森に戻りたいとは思わなかったので、それは聞き流された。風槻も言ってみただけなのだろう。それ以上のことは口にしなかった。
ただ、川が流れているということは、その周辺に人家がある可能性も高い。
そんなわけで、彼女たちはその道を歩き出した。
途中で休息を取りながら、それでも二時間近く歩き続けただろうか。川の向こうに、木々に隠れるようにして、白い館が建っているのが見え始めた。
「家があるなら、人もいるわね」
シュラインは、さすがにホッとして言う。そのころには、あたりはすっかり夕暮れに包まれ始めており、うまくいけば、その館に泊めてもらえる可能性もあった。
館の数メートル手前に橋があったので、それを使って彼女たちは向こう岸へ渡る。近づいて行くと、館の周囲は木々に囲まれ、うっそうとして不気味な様相を呈していた。シュラインたちは、なんとなく顔を見合わせる。
館の入り口には鉄の門があり、その向こうには庭が広がっていた。そしてその先に、小さなポーチのある玄関が見える。しかし、門はすっかり錆びてしまっており、庭も草が伸び放題で、一見して人が住んでいる気配はない。
「空き家……かしら」
思わず眉をひそめて呟くシュラインに、風槻がうなずく。
「そうみたいね。……それにしても、なんだかホラー映画の舞台みたいね」
「庭の手入れが面倒で、放置してあるだけかもしれませんよ?」
軽く目をしばたたいて言ったのは、シオンだ。
「どうだろうな。まあいい。行ってみようぜ」
タケヒコが苦笑して言うと、鉄の門に手をかけた。門は、錆びてはいるが、鍵などはかかっていなかったようだ。きしみながらも、大きく開く。タケヒコは、その中へと先に立って入って行った。シュラインたちも、その後に続く。
荒れ放題の庭を横切って、彼女たちは玄関ポーチへ足を踏み入れた。再びタケヒコが扉に手をかける。ここも、鍵はかかっていなかった。
「ごめんください。誰かいませんか?」
中を覗き込むようにして、タケヒコが声をかける。しかし、しばらく待ってもなんの応答もなかった。
「やっぱり、空き家だな」
タケヒコが、小さく肩をすくめて結論する。
「何か情報が得られるかと思ったけど、がっかりね。でもまあ、今夜の宿はこれで確保できたんじゃない?」
風槻が、どこか外人ぽい仕草で両手を広げてみせた。
「そうね。……それに、空き家でも、中を調べてみれば何か手掛かりになるものがあるかも」
シュラインもうなずいて言う。
「とりあえず、中へ入ってみない?」
「そうだな」
タケヒコがうなずき、先頭に立って中へと踏み込んだ。
シュラインはその後に続きながら、なにやら奇妙な既視感をさっきから覚えていた。こうしていると、なんとなく、自分はこれまで何度もタケヒコとこうやって、事件や調査に携わって来たような気がするのだ。
(やっぱり私、この人を知っているのかしら……?)
胸に呟いてみるものの、自分がこれまで何をして生きて来たのかを思い出すことは、やはりできなかった。
中に入ってみると、玄関は吹き抜けの天井のある広いエントランスホールになっていた。夕暮れ時のせいか、そこはずいぶんと薄暗い。タケヒコが、ポケットからライターを取り出して明かりがわりにしようとした時だ。クミノが、どこから取り出したのか、大型の懐中電灯をつけた。
「クミノ……。おまえ、そんなものどこに持ってたんだ?」
驚いて問うタケヒコに、彼女は手元を見下ろして、呟くように答える。
「最初に目覚めた時、空中からいろいろ妙なものが湧いて出て来たのでな。明かりが欲しいと願えば、何か出て来るかもしれんと考えたのだが……これが出て来た」
「出て来たって……」
絶句するタケヒコを尻目に、シオンが感嘆の声を上げた。
「すごいですね。もしかして、超能力とかそういうのですか?」
「さあな。自分にもわからない。……なにしろ、記憶がないからな」
ぼそりと返すクミノに、「あ、そうでしたね」とシオンは一人納得したようにうなずく。
ともかく、これで館の中を探索するのも、かなり楽になった。
エントランスホールはずいぶん広く、部屋の隅には壺が飾られたり、ソファが置かれたりしている。壁には何枚か風景画が掛かっていた。右手奥に上へと続く階段があり、その下に扉があった。階段の横に、電灯のスイッチらしいものがある。タケヒコが、それを捻った。だが、電気が来ていないのか、それとも配線に故障でもあるのか、四方の壁に取り付けられた照明器具はまったく反応しない。
どうやら、クミノがどこからか出した懐中電灯でがまんするしかないようだ。
そこで彼女たちは、その奥の扉の向こうをまず見てみることにした。
扉の向こうは、広い廊下が続いており、突き当たりで左に折れ曲がる形のそれに沿って、左右に三つずつ、合計六つの部屋が並んでいた。右手――つまり北側の三つの部屋は、どうやら寝室のようで、セミダブルのベッドが一つと、小さなテーブルに椅子が二脚、あとはクローゼットがあるだけの、同じ作りのものだった。なんとなく、ホテルのシングルルームを思わせる。
反対側は、一番手前が居間で、真ん中が遊戯室、一番奥は食堂で、その奥には厨房もついていた。どの部屋も、長らく使われた形跡がなく、床や照明器具などには、薄く埃が積もっていた。
二階は全体が大きな広間になっており、その周りを囲むように廊下が走っている。広い厨房が別になっている他は、がらんとして何もない部屋だ。
だが、そこの厨房で未使用の蝋燭と燭台を見つけたので、改めて、手分けして屋敷の中をもう少し詳しく調べてみることになった。シュラインが風槻と共に割り当てられたのは、一階の南側に並ぶ部屋だ。
最初に足を踏み入れたのは、居間だった。ずいぶんと広い部屋で、ソファやテーブルなどの家具類はそのまま残されている。隅には書棚があって、ここも書物が詰め込まれたままだった。その大半は英語のもので、ざっと見て神話や民俗学関連の研究書と、催眠術や超能力について書かれた本が多い。
「長く使われた形跡がないのに、家具やこんな書物まで残っているなんて、なんだか変な感じね」
それを見やってシュラインは呟いた。
「ええ。ひどく作為的なものを感じるわ」
風槻は、手にした燭台の明かりで、カーペットの隅やソファの裏側まで覗き込みながら、うなずく。が、やがてシュラインのいる書棚の前へと戻って来た。
「何も手掛かりになりそうなものはないわ。そっちは?」
「ん……」
シュラインは、生返事をしてじっと書棚を見やる。何か違和感を感じるのだが、その原因が把握できないのだ。が、ふいに気づく。書棚の本は、作者別にアルファベット順に並べられているのだが、その中のEの項になぜか一冊だけ、Fで始まる作者名のものが混じり込んでいたのだ。
彼女は、それを抜き出してみた。と、本の間に何かが挟まっている。それは、四つに折りたたまれた地図だった。
「これって……!」
シュラインの行動を興味深く見やっていた風槻が、声を上げる。
「どうやら、私たちがいる場所の地図みたいよ」
シュラインもうなずいて言った。
地図といっても、至って大雑把なものだ。まるで子供の落書きのようにいびつな線で描かれた島の中に、森や川、丘と共に集落や道らしいものが書き込まれている。だが、森の位置やそこから伸びる道と川、そして島の中心にある二つの丘の配置が、彼女たちがこれまでたどって来た道のりや見たものと、まったく同じだ。
風槻は、それを燭台の明かりで照らしてしげしげと見やって、小さく顔をしかめた。
「地図があったのはありがたいけど、なんだかほんと、作為的ね。やっぱりあたしたち、誰かに踊らされているってことかしらね」
「かもしれないけど、記憶を取り戻すためには、それに乗るしかないんじゃない?」
シュラインは言って、地図をもとどおりに折りたたむと、自分のバッグにしまった。
【4】
やがて、遊戯室と食堂、厨房の調査を終えて、シュラインと風槻は集合場所であるエントランスホールへと向かった。結局、収穫は居間で見つけた地図だけだ。
ホールには、すでに他の四人も顔をそろえていた。
「キングっていうのは、どうやら人間らしいな」
全員がそろったのを見て、口を開いたのはタケヒコだ。彼が言うには、他の四人はそれぞれ、キングについて書かれたものを見つけたという。
ちなみに、タケヒコとクミノは二階を、シオンと零は一階の北側の部屋を、それぞれ分担した。
タケヒコとクミノは、大広間の壁に飾られた絵の裏に、キングについて書かれた文章を見つけたのだ。それによれば、キングはこの地の王であり、全ての時間と記憶を操る存在だそうだ。
一方、シオンと零は北側の一番奥の部屋にあった冊子に、キングの名前をみつけた。そこには、この地に外からやって来た人間は、キングに記憶を奪われ、いつしかこの地の者となるのだと書かれていたという。記憶を取り戻す方法はただ一つ。キングを倒すことだけだと。
それを聞いてシュラインは、バッグから居間で見つけた地図を取り出して、彼らに見せた。それへ補足するように風槻が、居間で口にしていた自分の考えを述べる。
「たしかに、何かゲームでもやらされているみたいですよね。……でも、こうなったらこの地図を頼りに、そのキングの消息を求めて行ってみるしかないんじゃないでしょうか」
言ったのはシオンだ。
「ああ。私もそう思う。……それよりも、私が気になるのは、キングについての情報が全体的に妙に抽象的なところだ」
うなずいて、クミノが口を開く。
「キングが人間なのはわかったが、男なのか女なのか、若いのか年寄りかは、まったくわからないままだし、どこにいるのかも不明だ」
「それは……この先へ進めば、情報が得られるんじゃないでしょうか」
シオンが、小さく首をかしげて返した。
「だって、ロールプレイングゲームとかだと、だいたいそうですし……。この地図が本物なら、先へ進めば集落もあるみたいですし、きっとそこで情報が得られるようになっているんですよ」
そして彼は、おずおずと続ける。
「ところでみなさん、お腹空きませんか?」
「あ……」
言われてシュラインたちは、思わず顔を見合わせた。たしかに、ひどい空腹を覚えていたし、喉も乾いている。
「言われてみればそうね。ずっと歩いていたし……お腹がぺこぺこだわ」
半ば苦笑しつつ言ってシュラインは、自分たちが調べた厨房に、缶詰があったことを思い出した。缶切りもあったようだし、賞味期限も大丈夫そうだったから、あれをいくつか持ってくれば、充分夕食がわりになるだろう。
「私も、喉が乾きました」
零が言うのを聞きながら、彼女は缶詰のことを口にしようとした。
その時、シオンが提案した。
「じゃあ、ちょっとここで休憩して、食事にしませんか? 私、バナナとかお菓子とか持ってますし」
「私も、お菓子を持ってます。それに、水筒の中にコーヒーが」
それを聞いて、零も慌てて言う。
(あら。この人たち、食べ物を持っていたのね。……なら、今夜はそれをいただいて、明日ここを出る時に、缶詰を持ち出せばいいかしら)
軽く目をしばたたき、シュラインは胸に呟いた。
そこで彼女たちは、ホールの床に腰を降ろして、食事にすることにした。シュラインはさすがに、そこへそのまま座る気にはなれなかったので、バッグの中からハンカチを出して、それを下に敷いた。
シオンの持っていたバナナは、ちょうど一人一本ずつあったし、菓子はクッキーや一口大のパウンドケーキなどの類だったので、食事がわりにはちょうど良かった。零が持参していたのも、小さな紙のカップに入ったマドレーヌとチョコレート菓子だった。
そうして空腹が満たされると、彼女たちは二人づつ別れて、一階北側の部屋を一つずつ使うことにした。シュラインは、今度は零と共に一番手前の部屋を使うことになった。セミダブルとはいえ、一つのベッドを二人で使うなら、小柄な者とそうでない者の組み合わせの方が、いいだろうということになったのだ。もっとも、そういう選択ができたのは、女性たちだけで、シオンとタケヒコは、体格に関係なく一緒の部屋ということになってしまったが。
ともあれシュラインは、割り当てられた部屋へ行くと、埃まみれの掛け布団とシーツを剥ぎ取った。その下はそれほど汚れていないようなので、ホッとして零と共に、ベッドに横になる。寒い季節でないのは幸いだ。
「私たち……本当に、記憶を取り戻すことが、できるんでしょうか」
目を閉じようとしたシュラインの隣で、零がポツリと呟いた。
「零ちゃん……」
一瞬ハッとする彼女に、零は続けた。
「私さっき、みなさんがそろうのを待つ間、少し自分のことを思い出しかけていたんです。でも、今そのことを考えてみると、またわからなくなってしまった気がして……」
「大丈夫よ。六人で力を合わせれば、きっと記憶は戻るわ」
シュラインはそれへ、励ますように言って、うなずきかける。そして、改めて目を閉じた。昔もこんな会話を、この少女としたことがあったような気がすると、思いながら――。
■ ■ ■
シュラインは、ハッと身を起こして、あたりを見回した。
そこは見慣れた草間興信所の事務所の中だ。
(私……今まで何を……?)
一瞬記憶がつながらず、彼女は目をしばたたいた。
彼女は、事務所の自分のデスクの前に座していて、その上には伝票類が広げられている。パソコンの画面も、帳簿用ソフトのものになっていた。どうやら、伝票を入力している途中で、うたた寝してしまっていたようだ。
それに気づいて彼女は、苦笑する。
(私ったら、よっぽど疲れていたのかしら。……コーヒーでも飲んで、気分転換しよう)
胸に呟き、立ち上がった。台所へ向かおうとして、ふと彼女は立ち止まる。
(そういえば……さっきまで、何かおかしな夢を見ていたような……? 夢……? 本当に……?)
ふっとその眉間にしわが寄せられ、彼女の青い瞳が揺らぐ。何か、足元が砂のように崩れて沈んで行ってしまいそうな、奇妙な心もとなさがあった。
今、自分がいる場所は、本当に現実なのだろうか。こちらが夢で、夢だと思っていたものの方が、現実なのではないか。
ふいにそんな思いが胸に立ち昇って来て、彼女は寒気を覚え、思わず自分で自分の肩を抱く。そのまま彼女は、動けなくなったかのように、ただそこに立ち尽くしていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0086 /シュライン・エマ /女性 /26歳 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【3356 /シオン・レ・ハイ /男性 /42歳 /紳士きどりの内職人+高校生?+α】
【6235 /法条風槻(のりなが・ふつき) /女性 /25歳 /情報請負人】
【1166 /ササキビ・クミノ /女性 /13歳 /殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない】
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■ ライター通信 ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
参加いただき、ありがとうございます。
ライターの織人文です。
さて、『記憶の迷宮』第1回目はいかがだったでしょうか。
何分、OMCで続きものをやらせていただくのは初めてのことで、
最後をそのまま終わらせていいのかどうか、少し悩みました。
それで、こんなふうに、作品自体が夢だったとも、ラストの部分の方が夢とも
取れる形にしてみました。
少しでも、楽しんでいただければ、幸いです。
●シュライン・エマさま
いつも参加いただき、ありがとうございます。
今回は、いかがだったでしょうか。
この後も、引き続き参加していただければ、うれしいです。
それでは、今後とも、よろしくお願いいたします。
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