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<東京怪談ウェブゲーム 神聖都学園>


【溺れた人魚】


◆開幕

 それは誰が決めることでもない
 想像という名の深い沼に
 こぽり、こぽりと
 不規則に泡沫が湧き出るだけ

 怪奇現象の神聖都学園では、ある日を境にこんな噂が徘徊し始めていた。
 きっかけは小学1年生の少女の言葉からだった。
「《ぶくぶく女》ってしってる?」
「ぶくぶく女? なにそれ」
「あのね……わるいことすると、ぶくぶく女にあわにされて、あたまからバクバクたべられちゃうんだって」
「あわって、せっけんとか洗剤とかの泡?」
「うん。だからはやくおうちにかえりたいけど、こわいの……」
 最近では学園周辺で謎の連続失踪事件も多発している。それも決まって日没前後に、である。
 真実を知る者は、未だ現れない。


◆第一幕

 濃紺で始まり橙で終わる空には、半分に割れた大きな蜜柑が浮かんでいた。古城の門であるかのように存在を誇示してはいるが、時を経るごとに漆黒に喰われていく。
 真由は、その蜜柑を眺められるわずかな時間が好きだった。
 夕方4時、小学生達が帰っていく。銀杏の樹からはらはらと葉が散り、地面に黄色の絨毯を敷いていく。
 この時間帯は人通りの少ない閑静な住宅街。電柱に取り付けられた蛍光灯が小道を照らしてはいるが、小学生をひとりで歩かせるには頼りない光だった。
 最近では、近所に「はだかをみせるへんなおじさん」――露出魔が出没したという回覧板が回っている。学校でも担任に毎日注意を促されていた。
 空は大半が濃紺に染まりつつある。蜜柑は四分の一程度に縮小していた。
 いそがなきゃ。へんなひととかぶくぶく女にあうまえに、かえらなきゃ。
 早足だった歩行を小走りに変えて薄暗い小道を駆け抜ける。この突き当たりを左折すれば家に辿り着く。ピンクのゴムで結ったツインテールの黒髪と、背負った赤いランドセルが小刻みに揺れる。
「お嬢ちゃん」
「?」
 突如、背後から響いたねっとりとした男の声が、全身に絡み付いた。
 立ち止まらなければよかった、と後悔する。振り向きたくはないのに、恐怖心に反して好奇心がそれを強いる。
 相手との距離は、真由が大股で歩いたとして十歩程度。かけられた声以上に粘着質な中年の男の笑みが、真由を凝視していた。たとえるなら、雨が降った後ぐちゃぐちゃになった児童公園の土。否、それよりも遥かに質が悪い。
 足の裏から、底冷えじみた震えがナメクジの如く這い上がってくる。喉に石でも詰め込まれたかのように、声が出せない。身体が凍てつく。泣きそうになるのをこらえ、口に固くチャックをする。
 ゆっくりと男が接近してくる。その動作にすら、ねちゃりという擬音が付加されそうだ。
「おじさんと、イイコトしようか」
 言いながら、男がコートのボタンに手をかける。その下に隠されているものを視界に入れぬよう、真由はぎゅっと目を瞑った。
 刹那。

 ――グルルル……!

 地獄の番犬を思わせる凶悪な唸り声が、粘ついた空気を恐怖に振動させた。
 男が真由から視線を上げてその先を見据える。思わず真由も振り向いた。
 微かに残った橙色を背景に佇むのは、コバルトブルーのブレザーと同色のプリーツスカートを纏った少女。脚は白のハイソックスとダークブラウンの革靴に包まれている。ブレザーの下には赤いネクタイと白のブラウス。肩まで伸びた黒髪が微風に靡く。
 その傍らには、不安定に揺らぐ輪郭と無色透明な肉体を持つ、犬と思しきもの。一見、細身のシベリアンハスキーのようだ。低姿勢で構え、攻撃の機会を狙っている様子だった。
「いけませんね……小さい女の子にいたずらしようとするなんて」
 少女の表情は蛍光灯の光の加減で窺えないが、声は穏やかなソプラノだ。
「あなたがしているのは、悪いことです」
 そして真由へ手を差し伸べる。
「もうだいじょうぶよ。いらっしゃい」
 その声で、硬直していた身体が呪縛から解き放たれる。真由はすぐさま駆け寄った。救いの手を取り、息を呑む。
 手を洗ってうがいをする水よりも、夏に食べたアイスクリームよりも、ずっと冷たい。
 少女は真由に微笑んでから、原型無き犬に柔らかく命じた。
「おなか空いてるでしょ? ――食べてしまいなさい」
 吐息混じりのソプラノで、歌い囁くように。飼い主がペットに餌を与えるのと同様のニュアンスで。
 眼前の男を殺せ、と。
 即座に犬が駆ける。その足音は、ぱしゃん、と水が跳ねる音で。しかし疾走は突風よりも鋭く。
 逃げようと試みた男の頭めがけて跳躍し、獰猛に口を開けて齧りつく。同時に、犬は融けて液状に変貌した。
 男の身体は悲鳴を迸らせる寸前、犬だったものに取り込まれる。そのまま頭髪の毛先から爪先まで、瞬きよりも速く。
 ただ無数の泡と化した。
 水が犬の形に戻り、男の纏っていたコートや靴が吐き出された。
 ほんの数秒の惨劇が、真由の目にはコマ送りで投影されていた。これが現実であるとはあまりに信じ難く、漫画かアニメの中の出来事かと錯覚する。脳裏に今朝テレビで観たニュースが映り込んだ。
 ――この連続失踪事件の被害者は、全員衣服や所持品が現場に残されている状態で――。
 れんぞくしっそうじけん。よくわかんないけど、ママもいってた。
 ――ほんと、怖い事件が多いわねぇ。真由も気をつけるのよ。早めに帰ってらっしゃいね。
 そして、つい今まで目の前に居た露出魔は、溺れて泡となって跡形もなく消滅した。
 事実に気付いた瞬間、反射的に少女の顔を見上げる。

 このひと、ぶくぶく女だ。

 少女は満足げに微笑み、帰還した犬の頭を撫でる。それから真由に向き直り、
「怖かったでしょ。さ、おうちに帰りなさい」
 弧を描いた唇が紅く艶めく。
 鹿威しのようにがくがくと頷き、真由は少女の手を振り払ってその場から逃げ出した。
 やがて、世界の色は濃紺から漆黒へと移り変わる。


◆第二幕

 窒素78.088%……以下略という大気成分比と同じものでも、水中にあれば水泡と呼ばれるものになる。その顕在と消滅が如何に唐突に見えても、それはただ観測の仕方の問題で消失するわけではない。観測により確定するのが事実だが、連続失踪事件がこの世の悲惨でしかないならば、時同じく現われた幻想はそれを別の解釈により救う事の出来る福音であるかもしれない。
 ――と、日本国文武火学省特務機関特命生徒、亜矢坂9・すばるは考えていた。あくまで真由の話から導き出した仮定でしかないのだが。
 黒真珠にも似た無機質な瞳を、傍らの少女に向ける。
「ひとつ確認させて欲しい。その《ぶくぶく女》とやらは、犬に人を喰わせたのだな?」
「うん。お水みたいなわんちゃんで、へんなおじさんをたべてあわにしちゃったんだよ」
 真由が大きく頷くと、左胸に安全ピンで留められた名札が微かに揺れた。「1ねん3くみ おぎのまゆ」とたどたどしい文字で名が記されている。
 事件の影響で短縮授業が実施された神聖都学園では、午後3時を過ぎると下校する生徒で溢れ返る。自身が編入した高校でもクラスメイトに噂を聞いていたすばるだったが、より多くの情報を得るため、下校時間を利用して幅広い年齢層の生徒に声をかけたのだった。真由で4人目である。
 3時といえども日暮れは早く、黄色い枯葉を運ぶ風も冷たい。長時間の事情聴取は調査の効率が悪くなると判断し、すばるは真由に――形式上のものではあるが――微笑んだ。
「引き止めてすまなかった。ご協力感謝する」
「ねぇ、おねえちゃんがぶくぶく女をつかまえてくれるの?」
「うむ、そのつもりだ」
 真由のつぶらな瞳に、輝く星がちりばめられた。すばるの右手が小さな両手に包まれる。羽毛のようにあたたかい。
「ほんと!? やくそくだよ!」
「うむ」
 小指と小指が絡み合う。真由の唇から紡がれるのは、契りの詞。
「ゆびきりげんまん、ウソついたらハリせんぼんのーますっ。ゆびきった!」
 じゃあねー、と手を振って少女は元気良く駆けていった。その小さな後ろ姿を見送り、すばるも歩き出す。
(千本……そんな量の針が喉を通るのだろうか……)
 真剣に、しかしぼんやりと考えていると小石につまずいた。身体が傾いた拍子に、前を歩いていた男子生徒の背に激突する。生徒でごった返している校門で引き起こされた悲劇は。
 大規模かつ壮絶な人間ドミノ倒し。
 雪崩めいた轟音と悲鳴の共鳴が場に拡がる。
 ――すばるに搭載された《失敗プログラム》は、今日もすこぶる正常に機能している。


◆第三幕

 夕方5時。太陽は闇の淵へと完全に身を潜めつつある。
 生徒達の証言を元に、すばるは学園を取り囲むコンクリート塀に沿って周囲をぐるりと巡回していた。艶めいた黒髪が秋風に吹かれてさらさらと靡く。人の気配も無ければ不審な点も特には見当たらない。
(ぶくぶく女はこちらが悪事を働けば姿を現す、と仮定しよう)
 《確率改変リサーチャー》により自動的に抽出された最短行動――自らが悪の根源となり標的を誘き出す囮捜査。
(収束ビームアイ、エネルギー充填開始)
 漆黒の瞳に分子レベル質量の光が収束する。
「――発射」

 ズビー! ちゅどーん!

 両目から放たれた光線が、コンクリート塀の一部を見事粉砕。土埃と爆風がもうもうと漂う中、すばるは淡々と呟いた。
「……間違えた」
 少し穴を開ける程度に止めるつもりだったのだが。これもプログラムにとっては想定内の失敗である。しかし『塀の破壊』という悪事であることに変わりはない。結果オーライだ。
 不意に、空気が澱んだ。巨大な石塊の下敷きになったかのように、ずっしりと重い。
 9割の濃紺と1割の橙色を背後に、何者かが佇んでいた。表情は窺えないが、女子高生と思われる少女と犬のようだ。
(少女に生命反応、犬に霊的反応を確認)
 真由の証言と一致する特徴。ぶくぶく女と断定した。
 少女はゆっくりとすばるに歩み寄ってくる。犬もその後に続く。
「いけませんね、公共物破損なんて」
 微笑を含んだ可憐なソプラノに、すばるは冷静に切り返す。
「あなたがぶくぶく女か」
「学園内の噂ではそう呼ばれてるみたいですね。あなたは生徒さんですか?」
「神聖都学園高等学校普通科1年、亜矢坂9・すばるだ」
「あら、じゃあわたしと同じですね」
 何故か少女は嬉しげに微笑む。傍らの犬は何の動きも示さない。すばるが警戒態勢を解除しないのを察してか、少女は「あぁ」と苦笑した。
「安心してください。襲うつもりはありませんから」
「……どういうことだ」
「あなたは人間でしょう? この子――ミズキが攻撃するのは悪霊だけなんです」
 少女のしなやかな手が犬の頭を撫でる。ぱしゃり、と微かに響く水音。
「悪霊……。では、3日前に現れた露出魔というのも」
「ええ、何らかの《力》によって具現化して実体を持った悪霊です。最近騒がれてる連続失踪事件の被害者は彼らなんですよ」
 つまり、彼女は悪霊から学園を守護しているということなのか。
 にわかには信じ難い話だが、ここは超常現象多発地として名高い神聖都学園――大量の悪霊が沸いて出ても不思議ではない。
 冷静かつ慎重に言葉を選択して訊ねるすばる。
「あなたは悪霊を祓う者なのか?」
「はい。最近学園周辺に大量出現する悪霊たちを祓って、個人的に原因を調べてます。日没前後に発生するこの空気も異常ですから」
(霊的反応を確認)
 少女が言い終えぬうちに、背後に気配を感知した。しかしすばるが動くより速く犬が駆け、闇に躍りかかる。
 振り向いたすばるの視界を支配したのは、狂気じみた表情で水に取り込まれるサラリーマンの姿だった。手にはナイフを握っている。ほどなくごぽりと泡に変えられ、絶望の渦に呑まれて消滅した。ナイフと衣服が虚しく地に落ちる。
 犬としての型を取り戻した水は、何事もなかったかのように主人に身をすり寄せる。可愛らしく小首を傾げる少女。
「信用していただけましたか?」
「うむ。今の男は確かに悪霊だった。あなたを一時的に信用する」
 ぶくぶく女は幻想にあらず、しかし事件の主犯であり福音。奇妙な立場の人間だ、と感心する。
「一時的に、ですか。手厳しいですね」
 苦笑した少女は、ふと何か思い出したように「あ」と口を開け、ブレザーのポケットからある物を取り出した。
「これ、露出魔に襲われた子に返していただけませんか?」
 真由の落とした物だろうか、小さな犬のキーホルダーである。
「わたしは顔を見られたと思うので、直接手渡しに行けなくて……」
「なるほど。では預かろう」
 ――すばるが真由と面識があることを知っている。
 なかなかに侮り難い人間だ。どこかの組織に属する者だろうか。
 ところで、と少女が塀だったものを見やる。
「あれは直さないとまずいですよね」
「問題無い。次元断層を縫い直せば復元可能だ」
「それは良かったです。そういえば、あなた下校のときに校門前で派手な人間ドミノ倒しを起こしてましたね」
「……見ていたのか」
 くすり、と少女は純粋に微笑んだ。
「真面目そうなのに、結構ドジでかわいい人なんですね。わたし、あなたとはいいお友達になれそうです」
「……」
(――強敵と書いてトモと読む、という言葉があったな)
 ちゃり、と手の中のキーホルダーが揺れて鳴いた。


◆終幕

 ――ぶくぶく女は連続失踪事件の主犯であるが、被害者は全員悪霊であり、彼女は彼らを祓う存在であった。本名、所属組織、未だ不明。使い魔と考えられる『ミズキ』という犬を使役している。日没前後に学園周辺を包囲する瘴気と悪霊の発生原因については、引き続き調査を要する。
 翌日午後3時。下校のため校門へ歩きつつ、すばるは脳内で仮の報告書を作成していた。
 今日の夕方も、あの少女は悪霊と戦うのだろう。文武火学省特命生徒としては後れを取るわけにはいかない。
「おねえちゃーん!」
 と、背後から明るい声が飛んできた。赤いランドセルを揺らして駆け寄ってきたのは真由だ。すばるを見上げて期待の眼差しを投げかける。
「ねぇねぇ、ぶくぶく女みつかった?」
「うむ、昨日発見したのだが捕らえ損ねた。申し訳ない」
「あー、そーなの? おしいねー」
 悔しげに顔を歪ませる真由に微笑み、そっと落とし物を差し出す。
「これが道に落ちていたので拾った。あなたの物か?」
「あっ! ママにもらったキーホルダーだ!」
 真由の表情から歪みが失せる。芽吹いた花のように瑞々しい笑顔。キーホルダーを大切そうに包み込む幼い両手。
「おねえちゃん、ありがとう! もうみつかんないっておもってた」
「うむ、善いことをした。では、すばるはこれで」
「ばいばーい!」
 真由と話すと身体がじんわりとあたたまる。その心地好さに微笑み、すばるは歩みを再開した――が。
 小石につまずき、顔から地面に直撃し。

 ――ビシリ。

 約2メートル強の嫌な亀裂が土を走る。
 すばるの失敗の上に注がれるのは、生徒達の好奇の視線であった。


【完】





■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2748/亜矢坂9・すばる/女性/1歳/日本国文武火学省特務機関特命生徒


■ライター通信■
ご参加有難うございました!
私にとってOMCでの初仕事でしたので、緊張しながら製作致しました…。
個人的にすばるちゃんのキャラクターがとてもツボだったので、楽しんで書けました。
また、一部プレイングの文章を引用させて頂きましたことを、この場を借りてご報告致します。
よろしければご意見・ご感想等お聞かせ下さいませ。