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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


山に潜む悪意




【オープニング】

「……関東の或る山村で、最近子供が消えてるみたいでね」

 ふらりと草間興信所を訪れた白い魔術師、セレナ・ラウクードは依頼内容をそう切り出した。

「誘拐?」
「……でも、要求が無い。親御さんは眼中の外、という訳だ」
 少し妙な話だろう?とセレナが目を細める。
「それなら警察の仕事だろうに」
「うーん……それも正論だ。だが、あの辺には妙な伝承があってね」
「伝承?」
「―――天狗だよ」
「……ああ、成程。つまり、本当に天狗道へ堕ちた悪意などが山に居たら…」
「そうだね、武彦。普通の警官じゃ歯が立たない。戦車か戦闘機くらいは欲しい所だ」
 武彦が目を険しくした。
 ……涼しげに語るセレナの態度程に、楽観できる状況ではない。
「日本の人は言いました。備えあれば、ってね……調査、戦闘。色々だ」
「確かに、状況は何処までも不確定みたいだな」
「理解が早くて助かる」

 そこで。
 前回彼が訪れた時と同じように―――彼はことり、と湯飲みを机に置いた。

「どうも、現在手に入れている情報は良く分からなくてね。攫われたのか?と思い家族が心配したかと思えば、ひょっこりと数日後には当人が帰ってきてしまうケェスもあるとか……多分、現地で話を聞いたり、山の中を調べる必要がある。現時点では犯人像も、その目的も分からない」
「だから、人を紹介してくれ?」

「うん。そういうことで……今回も適当な人、紹介してくれると嬉しいな」


 セレナはそう締め括り、最後にもう一度だけ微笑んだ。






【1】

「よ、良く来てくれた、エマ……ぐふっ」
「た、武彦さん!?」


 依頼がある、と言われて草間興信所に来た彼女。
 シュライン・エマが聞いた草間武彦の第一声は、有り体に言ってしまえばそんなものだった。
「ふ……すまん、心配させたか」
「いきなり崩れ落ちたら心配もするわ……どうしたの?」
 顔色の悪い彼を見ただけで、火急の事態であることは予想できた。
 彼女が怪訝そうな顔で聞くと、武彦は大きく頷いて応接間へ先導する。
「実は……」
 かちゃり、と彼が扉を開ける。


 ―――むっとするようなキムチの匂いが、シュラインを襲った。

「あ、エマ君だ。久しぶりだねぇ」
 狭い応接室のソファに座っているのは、金髪の魔術師……セレナ・ラウクードである。
 テーブルには、何かこの興信所に恨みでもあるのかと言わんばかりのキムチが座していた。
「………実は、セレナが来ていてな」
「……お疲れ様、武彦さん」
「うう……流石に、俺も限界だ」
 ふるふると首を横に振る武彦を宥めつつ、彼女は応接室へ向かう。
 その香辛料で色づけされた匂いに耐えつつ――――セレナが自分を呼び出した用件を聞くために。



「……つまり、子供達の失踪の真相を突き止めるのね?」
「うん、まあ、そういうことだね」
 とりあえず、ということでキムチを冷蔵庫へ封印してから後。
 セレナの用件を聞いて、シュラインはふむ、と息を吐いた。
 ……これも予想はしていたことだが、怪奇が関わっている可能性がある依頼である。
「確かに、現地で調査する必要があるわね。それと伝承も……天狗の属性を知っておかないと」
「悪い奴だったら、犯人の可能性が跳ね上がるからねぇ」
 自分用に確保(死守)したキムチを食しつつ、セレナが相槌を打つ。
 それと交互に、入れ替わるように紅茶を飲みながら(武彦は見ないようにしていた)彼は呟いた。
「それで、その……エマ君は依頼、受けてくれるのかな?」
 前にも聞いたことのある、彼の確認の言葉。
 確か彼の相棒も、同じように訊いて来た気がする―――そんな考えに至り、彼女は小さく笑った。
(妙なところで似ているのね)
 ヘラヘラしているのがデフォルトと見せているのに、妙に律儀な魔術師。しかし誠意の見られない者の依頼など、言うまでも無く願い下げであると彼女は思う。
 ならば―――否、そんな思考をするまでも無い。
 依頼人はある程度の信頼が置けて、そして彼が救おうとしている人々は悩み苦しんでいる。
「断る理由も無いわね。ええ、この依頼、受けさせて貰うわ」
 一瞬で結論を纏め上げ、彼女はこくりと頷いた。レナが、嬉しそうに笑顔を咲かせる。
「ありがとうエマ君、とても嬉しいよ」
 にこにことしているセレナ。
 そして―――――先程の過程が過去の事例に似るのなら。こちらは笑っていられないことになる。
「では……めでたく全てのメンバーが揃ったことを祝して」
 ごそりと、足元のディバックをセレナが漁る。
「武彦さん、貴方は逃げた方が―――」
「お土産のキムチではなく、祝賀用の高級キムチで祝杯でもどうかな?」
 シュラインの警句すらも遅かった。
 どん!とテーブルに置かれるのは、先程駆逐したはずの赤い悪魔。
「俺は……何か、悪いことでもしたのか?」
 呟いて武彦ががっくりと肩を落とす。シュラインは下手な慰めをしない。


 現状において意味が無いからだ。


「……セレナさんって、香辛料の好みでもあるのかしらね。武彦さん」
「……どうなんだろうな」
「わさび系ではなさそうね」
「……ああ」
 いそいそと悪魔の儀式の段取りを進めて行くセレナを見ながら、何処か他人事のように会話する。
 現実逃避ではない。
決して。



「あ、エマ君。登山に必要なもの、何があると思う?」
「……そのキムチでも持っていけば良いんじゃないかしら。天狗にあげたら?」
「おお、それは思いつかなかったなぁ」
「……エマ、どうにかこの修羅場を生き延びるぞ」
 傍で呟く武彦の声に、静かに頷きつつ。
 シュライン・エマは、この地獄を耐え抜いて依頼を解決させることにした。






【2】

「と、言う訳で――――問題の村に着きました、と」
 ぽん、と。微笑を乗せて手を叩く男の声が空の下に木霊した。
 彼の名はセレナ・ラウクード。今回皆に依頼を持ってきた白い魔術師である。
「しかし、想像以上の田舎だったねぇ……バスが一日二本とは、いやはや」
「しかも村の入り口に着くまで、徒歩で小一時間ですからね……ここまで閉鎖された環境が残っていたなんて」
 空を仰げば、太陽は惜しみない微笑み―――否、笑顔を捧げていて。
 そんな環境の中で汗一つ浮かんでいないセレナは人形であろうか?
 何処か不公平なものを感じつつ秋月・律花が村の景観を見て呟いた。
「とりあえず、村で色々と調査しないといけないですね……」
「ええ。伝承に、それと浚われた子供たちについても話を聞かないといけないし……」
 彼女の台詞に、後ろから歩いてきたシュライン・エマが首肯する――どちらも動きやすい軽装である。
「……そういった調査に特化した者が居るのは幸いであったな、魔術師?」
 打って変わって、いつもの通りに黒の服で固めた格好を維持しているのが黒・冥月。
 こちらは――――如何なる奇跡か。汗は無縁であり、皆無であり、無視されていた。
「私は村と山全域を、“探して”おくぞ……尤も、条件としては夜が望ましいのだが」
「それじゃ私も、風の精霊達に頼んでみるわ。少しでも状況を有利にしておかないと」
 言外に、現地調査は他の者に任せると告げつつ冥月が一瞬目を瞑る。
 最後に歩を進めて村に入ったのは、三雲・冴波。ラフな格好で髪をかきあげつつ景観を視界に捉える。
「へぇ。結構良い村みたいね、ここ」
「温泉なんかもあるみたいだね。村興しだそうだ」
「え?でも、バスって一日二本しかありませんよね」
「村人が不便を感じないから放置してるらしいよ」
「観光地としては致命的ね……」
 などなどと会話をしつつ、歩を進める。
 ――――先を行くのは、昼の幽鬼か絶世の美女か。
「おーい、瞳君。そんなに急がなくても温泉は逃げないよ?」
 急いては悪戯に体力を消耗する、と。そんな意を込めてセレナが先を行く「彼女」に声を掛けた。
 振り向く彼女の色は銀のそれ。セレナと同じ、青い瞳がこちらを捉える。
「すみ、ません……でも、子供、達が………心配で」
「君のそういった慈愛は美徳だけどね。とりあえずさ、落ち着いていこう」
「ええ……」
 セレナを見る彼女。流麗な銀の髪が印象的な瞳・サラーヤ・プリプティス。
 蒼の瞳は切たるもので。つ、と村の方角へ投げる視線には、まだ見ぬ被害者達を案ずる光があった。
(……ゼッタイ、無事で、いる……はず……)
 彼女は何処までも真摯に思う。
 無事であると信じたのならば―――あとは、全力で行動するのみだ。
「さて、楽に終わってくれれば最高なんだけどね……」
 気楽に呟いて、セレナは先を行く瞳に置いていかれないよう、他の面々と共に歩調を上げる。



 ―――その時太陽は、いまだ己の存在を誇示する頂点に在った。






【3】

「……天狗様について聞きたい?へぇ、そりゃ若いのに珍しいこって!」
「ええ……お願いします。この村に伝わる天狗の伝承は、古いものなのですか?」
 天狗の伝承について聞かせて欲しい、と。
 訪れるなり頭を下げて頼んだ律花とシュラインを驚きの目で見つつその老人はからからと笑った。
「ええ、ええ!お話しますよぅ、しますとも!……ささ、お上がりなさい!」
「失礼します」
 驚きはしたものの―――往々にして老人とは話し上手で、そしてその行為に対する忌避観は薄い―――その老人は快く二人を迎え入れてくれた。
 ぺこりと一礼をして家に上がり、居間に通される。
「ええと…学生さんか何かかい?ほんに、珍しいこともあるもんだ」
「そのようなものです……それで?」
「はいはい、では始めようかねぇ」
 話の先を促す律花の台詞に、す、と老人が目を伏せた。
 一瞬だけ。その瞳に崇拝対象に対する畏敬と、現状を思い出す不安が交差するのが見えたのは幻か。
「その……身内話みたいで恥ずかしいんだがぁ。お二人さんは、最近この村で起きている事件を知っているかい?」
「……話の概要だけは」
「そうかい。あんたらも若い者だ、気をつけなせえよ……それでな。アレはこの山の天狗様の所為だ、なんて囁く若者に、或いは老人もだが……そんな奴等が居るけどねぇ。私はどうにも信じられんのよ」
「―――天狗が犯人、という部分が?」
 嘆息交じりに吐き出された声に、シュラインが鋭く切り込む。
 絶妙の合いの手は、ああ、ああ!と、老人の話を、口を、舌を、伝承へと滑らせる。
「そうなのさ!まったく、何を考えているんだか……村に伝わる伝承を少し紐解けば、この山の天狗様が悪者じゃないなんてことはすぐに分かるのにねぇ!」
「………伝承について、詳しくお聞かせ願えますか」
 現地でのフィールドワークとは―――


 その土地を知ろうと動き、話を聞き、正確に対象の姿を示さんとする行いである。
 なればこそ、その目的の為に妥協はしない。シュラインと律花は一字一句を聞き逃さない。

「天狗って言うと、傲慢で、悪いこともするみたいに描かれることもあるけど……むしろこの近隣では、山神様として崇められていてねぇ」
「では……」
「ああ、そうだよぅ。人を助けた話とか、大勢救った話とか、そういった話題には事欠かないよ」
 神妙に頷きつつ、律花は脳裏に情報を刻み付ける。
 話を聞いていき、それを信じるなら―――最近住み着いた新参の暴れ者と言うわけでも無いらしい。
「………もしくは、途中で何らかのトラブルの後に違う天狗が住み着くようになった、かも」
「ええ……」
 同じ思考をしていたのだろう。
 あくまで天狗犯人説を採用するなら……そう、考えるのと同時にシュラインが小声で呟いてきた。
 ともあれ―――
「どうせ、子供達も皆いずれ帰ってくるさ。ほら、何人かは現に帰ってきているしねぇ」
「そうですね……」
「そうそう、天狗と言えば死んだうちの婆さんがなぁ……」
 とかく人の話というのは、脱線するものである。




「さて……どう思います?」
 丁重に礼を言って、二人は村一の知識者であると言われている老人の家を後にする。
 宅からやや離れた場所で、二人は意見を話し合っていた。
「うーん……あのご老体の話だけを信じるのは勿論危ういことだけど……天狗犯人説は薄れたかしら」
「確かに…悪者として名を残しているわけではなさそうですね」
 シュラインの意見に賛同するように、律花がこくりと首を縦に振る。
「……他の人たちの情報と照らし合わせてみる必要がありますね」
「ええ。とりあえず、まだ時間はある。聞き込みと、文献資料を出来る限り当たりましょう」
「了解です!」
 手を抜く理由は無い。
 この場において妥協をする意味は薄く、彼女達の矜持はそのような愚考を許さない。
「暑いわ……着替え、持ってきて正解だったわね」
「そうですね……探す候補は?」
「役所、図書館、それと学校……まずはそんなところかしら」
「頑張りましょう。この手のことはフィールドワークで慣れてますから!」
「ええ……そうね、私達が頑張らないと、ね」
 場を和ませるよう努力する律花の冗談を、微笑みながら受け取って。
 うだるような暑さの中、シュラインと律花は長く続く道路へ消えて行った。








「おーい、冥月君。どうだった?」
「……」
 そして―――冥月とセレナである。
 二人は山の入り口。つまり村の外れに佇んで会話に耽っていた。
「妙な感じだな。どうにも、“影”の反応がいつもよりも若干鈍い」
「山自体が聖域と目されることは多いけど……君に多少なりとも干渉できるってことは、かなり強力な結界だろうね」
「誰が張ったのだろうな?」
 答えの分かりきっている顔で、くつくつと冥月が笑う。
「……或いは、本当に天狗かもしれない。こんな広域結界、まず人間の術師じゃ難しいね」
「貴様でも?」
「……長期的に張ろうとするなら、僕でも無理だ」
「無能め」
「うわ、いじめっ子がいる。冥月君は武彦を苛めるだけじゃ足らないんだね」
「ふん」
 交わす言葉は軽く。響きもまた、諧謔を多分に含む。
 だが――――二人の瞳は笑っていない。
「少しばかり、面倒な事件になりそうだな」
「同感だね……とりあえず、戻ろうか?他の人たちが調査を終える頃だ」
 半眼で。
 二人は引き返す直前に、目の前の神聖な山を振り仰いだ。
「……明日は楽しい山登りだ。体調は万全にしないとね」
 その台詞に、冥月は特に反応を示さなかった。








【4】

「それで―――また、奇妙な結果になったものだねぇ」

 その夜。
 村に数件しかない中からランダムに選んだ民宿の部屋で、セレナは腕を組んで声を上げていた。
「……伝承によると、やはり此処の天狗の起源は大分古いですね。そして……」
「悪い噂は聞かないわ。その点を考慮すると、瞳さんと冴波さんの聞き込みとは一致するわね」
 伝承について色々と調べた結果を報告するシュラインと律花の台詞が、口火を切った。

 曰く――――総合的に判断するに、天狗が存在したとして、その本性は悪とは考え難い、と。
 余裕をどうにか作って神隠しの起こった日や場所についても調査したが、まったくランダムに近い。

「私達も、大分話を聞いたんだけどね……悪し様に言う子が居なかったのよ。驚きだわ」
 実際に浚われた子供達の証言を報告する冴波は、感心したような、何処か呆れたような響きで。
 天狗が犯人、と決め付けるつもりは毛頭無かったが……とにかく、興味深い結果ではあった。
「帰ってきた人の共通点は……小さな、女の子?でも、少なくない数の女の子も戻ってきて居ないし……」
「別に犯人が居るということかしら?もしくは、天狗が顔を使い分けているか……」
 思案顔でシュラインが唸る。
 冴波たちの調査に、きっと偽りは無い。
 子供が懐柔されているケェスも考えたが、特に心音にも変化は無く……霊的な作為は認められなかった。
「どちらに、せよ……戻って来ない、人たちは…多い、です…。絶対に、助ける……助けたい、です…」
「うん、つまるところは瞳君の言う通りだ」
 真相は、未だに半分以上闇の中。
 けれど、セレナ達がするべきことは変わらない。
「背景については、大分判ったね……あとは行動だ。冥月君に、冴波君?」
 くるりと、セレナが二人の方へ首を傾げる。
「天狗の存在は、半ば確認できたんだね?」
「ああ……私の「影」の探索を、積極的に忌避する区域があった。間違いなく術的な作為だ」
 窓際で表情を崩さずに立っていた冥月が、ちら、とこちらを見てくる。
「それも、程度の差こそあれ数箇所だ……尤も、それが同一者の所業とも断定は出来んが」
「同意ね……こちらも、風の精霊達が上手く言うことを聞いてくれないような場所があった。そんなことが出来る人間なんてそうは居ないし、居るのが天狗だったとしても驚かないわよ、私は」
「ふむ」
 冥月の台詞に、同じく冴波の言葉。どちらも或る可能性を示唆する代物だ。
「………おぼろげながら事件が見えてきたね。オーケイ、明日はその、怪しい区域へ行こうか」
 ぽん、と手を叩いてセレナが場を締めくくる。
「今日はお疲れ様だったね。助かったよ……明日に備えて、今日はもう寝ようか」
 妥当な方針に、皆が頷く。
「よし、それじゃお休みー。明日は早いからね?」
 ……そして、その場で布団にもぐりこみ始めたセレナを見て何人かが嘆息した。
「セレナさん、貴方の部屋は隣なのだけれど……」
「そんな!僕だけ仲間はずれかい!?」
「………そういう問題じゃありません」
 さもショッキングだ、といわんばかりに肩をすくめるセレナ。
「あの……寂しい、のでしたら……別に、良いのでは……?」
「甘やかしちゃ駄目よ。ほら、さっさと部屋へ戻って頂戴」
「くそぅ、此処はいじめっ子の巣だね」
「何を楽しげに喚いているセレナ。早く寝るべきだと主張したのは貴様だろう」
 埒の明かない会話に、業を煮やした者が二名。
「む?」
「さっさと部屋から出て―――」
 冴波が、何処から出したのかロープで布団に包まった魔術師を縛り―――
「……泥のように眠っていろ!」


 冥月が、部屋から叩き出した。
「……さ、寝ましょうか。私達は何も見なかった」
「そうですね。明日に支障が出たらことですし」
「はい……明日、は……頑張り、ましょう………」




 部屋の外で、セレナの酷いよー、冗談だよー、という声が聞こえていたとかいないとか。
 結局十分ほどで潮だと感じたのか、彼も魔術で布団から脱出して眠りに付いた。


 ――どうでもいいことに時間を浪費するのはやめるべきだ、とは他の者の一致した意見である。




【5】

 次の日の、朝。
 セレナ達は早めに起床をこなし、昨日の冥月と冴波の調査した「怪しい部分」へ歩を進めていた。
 休憩を何度か挟みつつ、時間の流れを自覚しながら一向は進んでいく。

「うーん、晴天かな晴天かな。素晴らしい気分だね」

 先頭を行くのは、白き魔術師セレナ・ラウクード。
 ただしその格好はいつもの白コートではない。もっと異質なそれである。
 そして勿論、彼の奇行を多少なりとも知る者にとっては、嘆息が訪れる。
「……一つ聞くが、セレナ」
「なんだい?」
「あのな、殴っていいか?」

 服装は、何処の密林に出かけるのかと問いたくなるような半袖に、半ズボン。

「随分重そうですけど……中身は?」
「律花君の助言に従い、非常食を十キロほどね」
「……そうですか」

 溌剌とした微笑が、殺意と言うかその類のものを彷彿とさせても仕方はあるまい。

「その、水筒も……重そう、です……大丈夫、ですか………?」
「なに、ほんの五リットルだ。問題ないよ瞳君」
「無理…は、しないで………下さい、ね…」

 ―――ああ、何と言う悪夢。帽子までグレィの色で統一されている。

「あんまり聞きたくないけれど。その杖はなんのつもりかしら」
「実はね、これも冴波君の意見の元に杖を用意しようとしたら、儀礼用のものしか無くてね」
「………薄々気付いていたけれど、貴方は馬鹿ね」


「勿論キムチも持参している次第だよ、エマ君!」
「………わざと話題を振らなかった私の努力も汲んで欲しいわ、セレナさん」




 とにかく、前方に馬鹿な魔術師が一名歩いていた。
 てくてくてく、と。目の前の英国人は日本の雅を喜びつつ山を制していく。
 仲間達も、既にそれに対して言及することは諦めていた。子供達が助け出せるなら過程は捨てよう。
 そして――――やがて、目的地に到着する。
「ここ、かな?僕には良く分からないけど……微妙に雰囲気が違う」
「ああ。此処から先は、なんらかの術的作為で隠蔽が図られている」
「……尤も、その所為で逆に怪しい場所ということになっているんだけれどね。精霊達と連絡を取りながら進んできたし、昨日確認した怪しい場所は此処で間違いない筈よ」
 ――――そこに、目に見える壁があった訳ではない。
 けれど、一線を画する雰囲気が発散されている場所が目の前に存在していた。
 今セレナ達が立っている場所は、清々しいほどに見渡しが良い開けた場所で。その先は、森と見紛うばかりの木々が視界を塞いでいる。
「……ふむ」
 セレナは思案顔で鼻を鳴らし、その「見えざる境」を見据える。
 そして静かに決断した。
「よし、決めた」
「どうするんですか?」
「うん、これはアレだね。先に待っているのは尋常ではない何か、もしかしたら子供達だ」
「なら……早く、いかない、と………!」
「そうね。今でこそ昼だけれど、何が起こるかわからないし……」
 ぽん、とわざとらしく手を打ち叩くセレナに皆が詰め寄る。
 セレナはそれらをまぁまぁ、と受け流し――――背負ってきたディバックに手を入れた。
 ……果たして出てきたのは、可愛らしいランチ・ボックスである。
「殴るぞ?依存は無いな?」
「冥月君、断定系で生きていくのは止めよう。手を下げたまえ」
「暢気ねぇ……」
「いや、歩き詰めだったしさ。ここらで休憩でもどうかなー、とか思う次第なんだけど」
 どうかな?とセレナが小首を傾げる。
 確かに、もっともな理由ではある。一理はあるのだが―――
「いえ……私…行き、ます………」
 瞳は、頑として譲らない。
 その目には不退転。そして、目的を達するために妥協はしないと言う意思がありありと見て取れた。
「行か、なきゃ……いけないんです…。私、絶対に……護る…。護らないと……」
「瞳君……」
「ふん、私も同意見だな。そもそもそこまで疲れてもいない。さっさと終わらせるぞ」
 セレナを追い越し先へ進み始める瞳に、冥月が続いた。
「ちょっと二人とも………!」
「そうですね、まだ余力はありますし…追いかけましょう!」
「仕方ないわね……」 
 言うまでも無く、皆が続く。
 残されたのは妙な風体の、金髪の男が一人きり。
「ふむ……まったく、若いなぁ」
 そんなに年齢は変わらないことを棚に上げ、セレナはぬけぬけと呟きウインナーを一口。
 しかし、そこまで。彼もまた休憩をする意図は無かった。
「いや、健脚だねぇ……もう見えないや。僕に弁解の余地は与えられないのだね」
 ううう、と一人で泣き崩れる真似をしてみる……誰が見ていなくとも、仮面は被るべきだと思った。
 ……先の五人の判断は正しい。セレナは首肯して、木々を薄く睨む。
 無論、追い駆けるには追い駆けるが……
「では……地味な役回りだけど、僕も仕事をしようかな」
 彼女達を信頼するが故に、彼はそう断ずる。
 気楽に呟いて、彼はふらふらと木の密集している斜面へ向かって行った………。






 鬱葱と茂る木々を抜けると、また開けた場所に出た。
「……!」
 俊敏な動きで瞳は足を踏み入れ―――警戒する。
(何、か……居る……!)
 開けた場所は、如何なる作用で形成されたのか一帯だけ。その先にはまた木々が茂っている。
 同時に、此処は冴波や冥月が指摘した通り怪しい場所であり―――山の登頂付近である。
「瞳さん!」
 ややあってからシュライン達が彼女に追いつくが……最初に浮かんだのは不審、そして警戒。
 その違和感を気取れぬ者は、幸いなことに一人も居なかったのだ。
「嫌な空気ね……まるで私達だけに向けられているみたい」
「あながち、間違っていないかもしれませんけどね…」
 冴波の台詞に律花がゆっくりと頷く。目にこそ見えないが―――何かが来る。
 此処が目指していた目的地なのだと、誰もが気付いていた。
「気をつけろ。もう、見えるぞ」
 冥月の台詞が響いたのと同時、前方の木々がざわりと揺れる。
 それが気のせいかどうかを論議する間も無く、やがて小さな影が皆の視界に移った。
「………え?」
 鬱葱とした領域から開けた領域へ進み、日の光でその姿が顕になる。
 ………出てきたのは、何の変哲も無いただの少女だった。
「!」
 そして一瞬の間を置き理解する。
 少女は本命ではない―――目的の対象ではあるが、この時、この状況においてはブラッフに等しいのだ、と。
「あ……」
「あれー?お姉さんたち、こんなところで何してるの?」
 無邪気な声。瞳が思わず安堵のため息を洩らす。
 けれど―――
「油断はしないで……来るわ!」
 す、と。
 その背後から音も無く、新たな影。否、音どころか姿形も無かった筈であるのに―――
 現れる、どう見ても少女とは一線を画するフォルムがあった。
「ふむ……客人か。おうおう、皆が皆特殊な色を持ち合わせているようだな」
 背の高い、男であった。
 流れる長い髪はカラスの濡れ羽。それと同じくらいに黒い瞳がこちらを見詰めている。
「ねー、天狗様。この人たちも遊びに来たの?」
「うむ、そうかも知れんのぉ………なぁ?」
 振り向く少女の頭を優しく撫で、男は微笑みのままにこちらを見た。
「よく来たな、人間共。我が名は梢。見ての通り、天狗の梢よ」
「……!」
「ふ、やはり外道は外道か………」
 その目が、微塵も笑っていない。禍々しい悪意だけが映っている。
 判断材料としてはそれで十分。行動を躊躇する理由は、その時点で無くなった。
(律花さん)
(ええ……!)
 目線を交わしたのは一瞬であり、刹那であり、
 行動をなんら制限するものではない。
「!」
(決めたのなら、躊躇は要らないわよね……!!)
 巨大な力を持つ天狗、その前に居る子供へ向かってシュラインが一目散に駆け出した!
「あ…」
「失礼するわね!」
 流れるような挙動でシュラインが少女を抱え、脇目もふらずその場から離脱を図る。
 それは全力で。背後の天狗など、知ったことではないと全身で主張する。
「愚かな――」
「それは貴方の判断!言葉に出すのは良いけど、押し付けるのはやめて欲しいわね!」
 ゆったりと首を振り、シュラインへ腕を振り下ろす「天狗」。
 割り込むのは同時に駆けていた律花。一瞬で精神を落ち着け、拡張し、行動に踏み切る。
「邪魔をするか、小娘」
「ええ、出来得る限り、最大限の力でね――――!」
 使用する異能は結界形成能力。紋様が中に浮かび、壁が生じる。
「これで………っ!!」
 強固な盾が、梢と彼女を一瞬だけ隔てた。
「ほぅ!?」
「さて――遊び相手が欲しいようだな、天狗殿?」
 子供を手放さざるを得ない結果に終わった彼に、響く声もある。
「己の背後を取るか、女!」
「は―――」
(天狗の鼻は、性格を問わず高いということか?)
 片方は興を覚えて笑い、片方は驚嘆する相手を嗤う。
「面白い!己を滾らせてみろ、人間!」
「貴様も精々努力することだ――!!」
 たん、と軽い跳躍を契機に空へ飛び上がる天狗。
 それを黒・冥月は許さない。彼女の異能、無数の漆黒が空へ踊る――――
「くっ……」
「詰みだ、阿呆」
 周囲から集めた無数の影の槍が、一気に彼を蹂躙する!
 影の引いた空には、最早何も残っていない。勝負は冥月に軍配が上がり、事件が、

「終わったか……?」
「否、一種の意趣返しを、な」
「……貴様!」
 ……終結、しない。
 目を見張る速度で冥月の背後に回り込んだ梢が、手に形成した気弾で彼女を打つ。
 だが冥月は折れない。一瞬の判断でかき集めたありったけの黒が、彼女を護る。
「ちっ……!」
「ふむ、“たふ”な女だのぅ……素晴らしいぞ!」
 無傷ながら、衝撃を殺し切れずに吹き飛ばされる冥月。
(さて、どれを喰らうか……)
 真剣勝負の最中に品定めをするのは、優位者の特権である。
 梢は久々に愉悦を覚えて昂ぶる精神を抑える事無く、視線を滑らせる。

 先程一直線に突っ込んできた女か。

 自分の攻撃に抗し得る異能を展開した女か。

 はたまた、自分に負けない立ち回りを演じて見せた女か――――


「さて、三人の内誰を――」
「……視野が狭いわね」
 その、軽やかに宙に浮かぶ梢へ、一直線に飛んでいくフォルム。 
 風を操り、梢の奇跡を容易に体現した冴波の突進である。
「っ……本当に貴様等、人間か?」
「愚問ね」
 手の中に在るのは風を収束させた剣。堅固なイメージが作り出した強き得物。
「天狗だけあって、風を操るのが得意みたいだけど……!」
「ふっ……!」
 舞うように流麗な冴波の舞を、懐から取り出した羽団扇で辛くも凌ぐ。
「まこと奇怪な世の中よの……!」
 たまらず梢は地へ足を付け、頭上を振り仰ぐ。
 けれど―――冴波は追撃を行わない。ただ、嘲る笑みがこちらへ向けられていた。
 ………それが何を意味するのか、言うまでも無い。
「む……」

 ああ、彼は遅過ぎた。

「たたかうのは……スキじゃ……ない、です」
 一連の彼女達の行いが、連携であり、罠であり、擬似的な詰め将棋であったことに。
 背後には、瞳が近過ぎる間合いに踏み込んできていて。
「でも……貴方が……その気、なら……私、も……たたかい、ます」
「ちぃ……!?」
 きっ、と真正面からこちらを見てくるその一撃は、到底防げるものではない。
 神速で拳を打ち出そうとした梢の勢いを利用して、そのまますれ違いざまに瞳の掌が彼を穿った!
「ぬぅ……」
 脇腹を押さえつつ、梢が大きく跳ぶ。
 最早窮鼠が猫を噛む、どころの話ではなかった。
「……やるな」
「さて、そろそろ貴方の意図を教えて貰えるかしら?」
 子供を庇いつつ、膠着した状況にシュラインが言葉を紡ぐ。
「それは―――何故、己がお主等を殺そうとしているか、か?」
「いいえ。そもそも、貴方が本気で邪悪な存在なのか、ね」
「……」
 こともなげにあっさりと言うシュラインの反応を、梢は予想していなかったらしかった。
 きょとんとした顔で、こちらを見てくる。
「少しばかり、わざとらしい部分が目立ちました」
「そうかのぅ?ただの、主観の相違から来る問題だと思うが……」
「もしも貴方が本気なら、冥月さんはあそこで追撃もしたでしょう。冴波さんは地上へ足を付ける暇を与えなかったでしょう………そして、瞳さんが狙ったのは腹部ではなく頭部だったでしょうね」
 シュラインの台詞を引き継いで、すらすらと告げるのは律花。
 その背後で立つ冥月、冴波、瞳は、既に戦う姿勢を解いている。
「結果、どちらも無事では済まなかった筈……そうでしょう?」
「は………はははははははは!!!!!これはこれは!!!!!」
 それを見て何を思ったか、梢は弾けた様に笑い始めた。
 こちらが看破したなら演技も要らないということか―――最早何の気概も見られない。
「ふ、ふふっ……仲間と示し合わせて、一気に死地に飛び込む度胸!そしてそれをすかさず補助する者に、見事な連携でこちらを防ぐ後続の者達!面白い、本当に愉快な気分よ……いやはや、長生きはするものじゃて」
 暫くして平静を取り戻した梢は、こちらを見て首を傾げてくる。
 そこに敵意は無い。また、天狗らしく悪趣味な試験を課した罪悪感は微塵も見られない。
「いやいや、宜しい。我が領域に立ち入ることも許そうぞ……それで、何の用だ?」
「ええ、実は……」

 そして、手短に事情を説明する。
 村を騒がせている誘拐事件のこと。
 大勢の子供達が浚われ、或いは消えて、何の沙汰も無いこと。
 そして、その内の数名は天狗と関連があるらしいこと――――


「ふむ……成程。確かに、その内の数件は己の関わった事件のようだ」
 話を聞いて、顎を摩りつつ梢が口を開く。
「やっぱり……何人かの少女ね?」
「うむ。己は愛らしい少女が好きでな。故に男に関しては知らん」
「………成程」
 聞き捨てならない言葉が漏れた気もするが、精神衛生上宜しくないので無視する。
 何にせよ、彼が犯人でないことは理解できた……これが全て虚偽なら、相当の役者だろうが。
「それじゃ、別件に関しては他の犯人か……ねぇ、何か心当たりはない?そうね、例えば此処から東に一キロ行った辺りの区域とか、同じくらいにある南の一区域とか………妙な作為を感じるけど」
「それと、西に一・二キロ行った辺りの洞窟のようなものも、だな。どうにも嫌な感じがする」
「むぅ?いや、己はそのようなところに術を使った記憶はないが……」
 冴波と冥月の台詞に、訳が分からないといわんばかりの顔で梢が首を傾げた。
「……ああ、しかし。散歩の折、その辺で人間を見た記憶はあるな。少しくらいは腕に覚えのある術者であったようだが……なに、先程の貴様等に比べると歯応えも薄かったろう。故に無視したが」


 そして、聞き捨てならない台詞を口にした。
「それは村の人!?」
「いや、ここらの者共はあのような服はまず着ないであろうしなぁ……妙に辺りを気にしておったが」
「それ、です……この、事件…の……犯人、は……!」
「む?」
 いまいち反応の鈍い――興味の無いことは考えないらしい――梢の台詞の意味を読み取り、瞳が目を伏せる。

 やはり、ある程度皆が予測していた通り人為的な犯行。

 少しばかり寂しがり屋の天狗が犯した行いと時を同じくした故、少しだけ背景が見難くなっていた――

「その……人、達は……何処で、見ました……か?」
「うむ、確か此処から南の……」
「そうか……急ぎましょう!事件が起こってもう一週間以上経っているわ!」
「脅迫でないとしたら、目的は……「その子達自身」にある、ということかしら」
「……否定は出来ませんね」

 なんにせよ、天狗の意図を暴き、情報を新たに手に入れた。
 確実に―――真相に近付き始めている。
 冷静に思考すればそれは当然の話。天狗の怪異でなければ、悪質な人の手である可能性は十二分である。
「梢さん、だったかしら?どうもありがとう!その子は後で無事に送り届けて貰えるかしら!」
「う、うむ……それは勿論」
「それじゃ宜しくね!それと、意図はちゃんと親御さんに伝えないと駄目よ!」
「そ、そうか?」
「ふぅ……疲れたー。邪魔な結界は全部除去できたねー」
 互いに目線を交わして、シュラインと冴波が口早に。
 そこへよろよろとセレナが歩いてきて、それを冥月が捕まえた。
 ……格好良く、天狗と対峙して会話する暇も無い。完全に邪魔者扱いであった。
「え?あれ、あそこに居るのは天狗だよね冥月君?」
「ああそうだ。貴様は肝心な時に役に立たんな……行くぞ!」
「え、もう行くの?っていうか僕の仕事は無駄?」
 がし、と。猫を片手で掴むが如く冥月がセレナを固定して、もと来た道を戻り始める。
 シュラインと冴波も続き、律花は少しだけ名残惜しそうに梢を見て口早に別れを告げた。
「それじゃ梢さん、失礼します!今度知っている伝承とかあったら教えて下さいね!」
「ああ、勉強熱心なのは良いが……なんだ、もう出発か?」
「ええ!」
「どう、か……その……子は…ちゃん、と…送り届けて、あげて……ください」
 場を締めくくるのは、礼儀正しい瞳の一礼。
 優雅に、何処か素朴にぺこりと礼をして、彼女も道を引き返していった。
 時は、一刻を争うのだ。
 



「……いや、賑やかであった」
「あのお姉ちゃんたち、格好良かったねー。天狗様、もっと遊んで貰えばよかったのに」
「それはそれで魅力的だが……過労で死にそうだな、己が」

 嵐の如く過ぎ去った訪問者達のことを思い返しつつ。
 確かに紛らわしい行いをしてしまったか、などと他人事のように考える梢であった。

「親の許可無しに、数日子供を借り受けるのは拙いのか………しかし」

 呟き、見た先にはオレンジ色の空。
 いつしか日は傾き、夜が来ようとしている時刻である。
「現代の人間と言うのも、中々に面白い。また逢いたいものだ」


 ……吐息と共に吐き出した声が風に乗り、流れて。
 そして、間も無く下界を騒がせている事件は終わるのだろうな、などと思いつつ肩を竦めて消えた。






【6】


 そして、山に夜が訪れた。
 文明の光など微塵も射さない、本来的な静寂だけが場を包んでいる。
 それは言及するまでも無く、昔も今も変わらぬ一種の聖域であり、安寧である。
 しかし……その中でも、忙しなく動く人間が居た。
「……おい、連れてきたぞ」
 粗野な感じが外面からでも読み取れる、世辞にも綺麗とはいえない男である。
 彼は獣道の先にポツリと建っていた掘っ立て小屋の扉を叩き、中に入る。
「おう、遅かったな」
「すまん、少しガキが暴れてな……これでめでたく十五人目、ということだ」
 時代錯誤も甚だしい刀を構えて小屋の中に座しているのは、同じく粗野な男達。
 そして――――縄で縛られ、自由を奪われた子供達が転がされている。

「しかし、よくよく考えてみれば悪くない手だな。こんな辺鄙なところなら、上手く立ち回れば……」

「ああ。老人どもは訳の分からんことをわめいてやがる。全く、天狗だの何だのと」

「……しかしそろそろ潮だぜ?上の組織から、俺たちに対する追手がかかりつつあると連絡が来た」

 彼等は陽気に会話をする。
 傍らの哀れな子供達に対する慈悲はない。ただ己の利益を笑い、追手に怯えるのみである。
 ………最早、言うまでも無い。
 天狗でも何でも無い、欲に塗れた彼等こそ、この事件の黒幕である。
「なあ三島、アンタの魔術とやらはどうなんだ?」
「……」
 話題を振られ、部屋の奥の男――三島と言う男だろう――がのそりと頭を上げた。
 手前の男達よりは、幾分理性的な瞳。しかし彼もまた人道の外にいるのに違いない。
「……潮と言う意見には賛成だ。追手の実力も、規模も未知数だからな。冒険はすまい」
「オーケイ、それなら撤退だ!早くな!」
 その言葉は、彼等の未練を断ち切る刃であったのだろう。男達は頷き、子供を抱えて小屋を出ようとする。
 しかしまさにその時―――――外で、爆音が轟いた!
「なっ……何だ!?」
「落ち着け!たとえ俺たちに関係ある事柄なのだとしたら、一層平静でいなければなるまい……」
「だとしたら狙いは俺たちの「金の元」だ!三島、此処を頼んだぞ!」
 誰しもがそれなりに腕に自身があるのか。
 臆する事無くそれぞれの武器を手にして、外へと駆け出していく。
「……やれやれ。最後の最後で面倒だな」
 三島と呼ばれた男は短く嘆息すると、立ち上がり剣を取る。
 銃は無い。そもそもがして、自分には不要なものだ。
「さて……敵の手並みは意見か。興醒めしなければ良いのだがな」
 ニヒルに笑い、神経を集中させる。魔術師に敵うものなど居る者か。
「さあ来い……格の違いという物を思い知らせて、」
「口数の多い男だな」



 ―――最初に、口を塞がれた。

「!?」
 もう、その事実だけで彼は平静を崩した。
 呪文は唱えられない。手足は―――ああ!いつの間にか拘束されている。
(何だこれは!?)
「……つまらん。魔術師といってもピンキリなのだな」
 ぞくりとする。
 誰もいないはずの背後から、つまらなそうな女性の声。
「ああ、憶測は意味が無いぞ。貴様はすぐに『そんなことも』出来なくなる」
「!………!」
「喚くな三流……不幸中の幸いは、既に今日、強者と出会えていたことか」
 はぁ、と嘆息する声。どうやら自分は―――失望されている。
(くそっ、ふざけ)
「では御機嫌よう。貴様の仲間も、じきにお前と同じになる」
 激昂して自己満足を与えられる暇も無い。
 ………三島と呼ばれた魔術師は、その力の片鱗も見せる事無く意識を失った。
「……凄まじく興醒めだな、これは」
「冥月さん、上手く行ったみたいですね!」
 気難しい顔で掘っ立て小屋に光臨し、つまらなそうに子供達を睥睨する。
 ああ、彼等はきっとケレン味たっぷりの救出劇でも望んでいたのだろうか?だとしたら、不幸なのか。
「皆、落ち着いてね………良い子なら推測できるかもしれないけれど」
 遅れて入ってきた律花が、冥月とは対照的な笑顔で少年少女達に告げた。
 すなわち、精神の解放をする一言である。




「正義の味方の到着よ。残念ながら、変身はしないけどね」

「レーザーやらビームも出さないがな」









「……この辺だった筈だが」
「ああ……」
 レーザーやビームを出さない正義の味方が、子供達を救出した頃。
 自分達の計画が破綻したことも知らないままに、山の中を歩く男達が居た。
「へっ、これさえ終われば大金が手に入る。さっさと片付けちまおうぜ」
「ああ……」
 浮かれ気味の彼等は、夜の森の不利に気付かない。
 子供住人を誘拐しただけであるのに、彼等はその過程をして自分達が有能であると酔っていた。
「……おい、見ろ」
「うん?」
 やがて彼等は、前方に人影を認める。
「ん……」
 背の高い、細身の女だった。切れ目が涼しげな美人である。
 何処かおどおどとした態度で、彼女はこちらを見つめてきていた。
「……女。何をしている」
「え、ええと……」
「さっさと答えろ!」
「………ふぅ」
 一括して縮み込むと思った対象は、何故か嘆息を洩らしてきて。
「ああ、もう駄目。面倒だからお願い、お二人とも……私を基点に五m先、二時方向、十時方向に三人ずつ」
「ええ、任されたわ」
「分かり……ました」
 ざっ、と。影が二つ。女の後ろから増えた。
 ……最早、言うまでも無く。
 あまりの小物振りに怯えた演技を中断したシュラインに、冴波、そして瞳である。
「て、手前等!」
「悪いわね。激闘を演じるには役者が足りな過ぎるわ」
 音も無く冴波の手に現れた風の剣が草木を揺らし、敵を斬り。
「貴方達が、その気、なら……これからも、子供に、ヒドいこと……する、なら……」
「なんだ、手前も何を言って……」
「私……たたかい、ます。子供達の、ために……そんなこと、やめて、もらえる……ように……」
 静謐な言葉に、最後の敵が気圧される。 
 それは抱く意志の強さの差であり――――激突の結果は、見るまでもなく。
 瞬く間に敵を打ち倒し、再び森に静寂が訪れた。
「ふむ、これで終わったみたいだね……」
 最後に出てきたのは、丁寧にも小枝や草葉でカモフラージュなどをしているセレナである。
「っていうか……今の戦闘、最初の爆音役にしか僕の出番が無かったよね?」
「それを言うなら、天狗との戦闘の時も、ね」
「そもそも、今回セレナさんは役に立っていない気がするわ」
「次……は、頑張り……ましょう…?」
「うう……満場一致でそんな意見かい」
 あれ?と疑問符を浮かべたセレナに三連続の追い討ち。
 冴波とシュラインの半眼に始まり、瞳の善意が彼の無能であった事実を抉った。
「律花君と冥月君が居たら、これが二人分増えていたんだろうねぇ……」
「いや、今から合流するから確実に言われると思うんだけど」
「……残酷な現実をありがとう、冴波君」
 何処か遠い目で朝日野で方向を見つめるセレナ。あと数時間は出そうに無かったが。
「……まあいいや。たまにはそういう役回りも悪くない」
 いっそ清々しい諦観の念の後に、一転して彼はいつもの微笑を取り戻す。
 ……最後の意地だろうか。
「さて、それじゃ皆お疲れ様。なんとか事件も解決できたよ……天狗とは、ちょっと違う黒幕だったけどね」
 暗闇ではっきりとは見えないが―――彼はいつもと変わらぬ笑顔でいるに違いない。
 先に小屋へ向かった冥月と律花は、まさか失敗していないだろう。何も問題は無かった。


「本当に感謝する。では、村に戻って温泉にでも入ろうか?」


 奇跡的なまでに古い形式を保ち続けた村の神隠し。

 その真相を暴き、子供達の救出も滞りなく行われて。

 ――――天狗の騒ぎと目された此度の騒ぎは、こうして問題無く集束したのであった。
                    
                                  <END>









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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【6157 / 秋月・律花 / 女性 / 21歳 / 大学生】
【2778 / 黒・冥月 / 女性 / 20歳 / 元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒】
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳  / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【4557 / 瞳・サラーヤ・プリプティス / 女性 / 22歳 / ウェイトレス 】
【4424 / 三雲・冴波 /女性 / 27歳 /事務員】



・登場NPC
セレナ・ラウクード


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■         ライター通信          ■
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 シュライン・エマ様、こんにちは。ライターの緋翊です。
 この度は「山に潜む悪意」にご参加頂き、どうもありがとうございました。
 もっと早くお届け出来る予定だったのですが、遅れた納品となりましたことをお詫び申し上げます。
 誠に申し訳ございませんでした。
 字数が初期段階では洒落にならない量であったため、必死に軽量化を試みてこの装いと相成りました。それでもやや長めの文となってしまいましたが……(苦笑)
 尚、構成としては最初の部分が個人個人で完全に違い、【3】がメンバー毎に違う場合が用意されております。お暇でしたら、他の方の部分を覗いて見るのも一興かと存じます。

 綿密に練られたプレイング、今回も大変感心致しました。
 今回はセレナの依頼でしたが、前回の巴と同じく常識人のエマさんはまたまたツッコミ役に回っておりますね。天狗=犯人という図式で終わらない形となった今回の事件でしたが、如何でしたでしょうか?



 並びに、ファンレター有難うございました。この場を借りてお礼申し上げます。
 わざわざお手紙を下さった御配慮に感謝します。理解は正しかったようで安心しました。
 NPCとの関係なども含め、出来得る限り参加して下さったお客様には文章を楽しんで頂きたいと思っておりますので、こちらで工夫して注文を反映できるところは、最大限反映して行きたいと思っております。私の力不足の所為で至らぬ点もあるかと思いますが、これに懲りずまたご参加頂ければ、私としてはとても幸いであります。



 さてさて。今回も楽しんで読んで頂けたなら、これほど嬉しいことはありません。

 それでは、また機会がありましたら宜しくお願い致します。

 ノベルへのご参加、どうもありがとうございました!