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週末のバトラーR(リターンズ)
■□起□■――開店前の舞台裏――
〜in【アトラス編集部】
「おお、聖人。ここにおったか。探したぞ」
「弁天さまじゃないか。こんなところで遭うなんて珍しいな」
「ほっほっほ。いつ見てもわらわのストライクゾーンど真ん中のいいヒゲじゃのう。さ、共に井の頭公園に帰ろうぞ」
「何でいきなり。わけを言えわけを」
「これから執事喫茶の開店準備なのじゃ。パティシエがおらぬでは困る」
「……またやるのか。アレを」
「厭とはいわせぬ。どうしても拒むというなら、おぬしに正式な交際を申し込むぞえ〜?」
「……それだけは諸事情があるんで許してくれ。何でも協力するから」
〜in【熊太郎派遣所】
「これ、そこなテディ・ベア所長。相変わらずもふもふで可愛いのう。どうじゃ、わらわと正式交際を始めぬか?」
「僕は、はぐれテディであることを選択した身ですので。……ところで弁天さま、何の御用ですか?」
「はっ。つい、おぬしの魅了に幻惑されてしもうた。実はのう、所員の野田灯護を派遣して欲しいのじゃ。ちと公園で、企画ものの店を出すゆえ」
「……また執事喫茶ですか」
「うむ。なんならおぬしもどうじゃ? 魅惑のテディ・ベア執事! お客様の視線を釘付けじゃぞ?」
「遠慮しておきます」
〜in【tailor CROCOS】
「たのもー!」
「何だ弁天さまか。悪い、ちょっと今、仕事が立て込んでて手が離せないんだ。あとで連絡するから帰ってくれ」
「ふっ。そのクールなところがまた、わらわのストライクゾーンに剛速球なのじゃ。それはともかく、アンケート結果を教えてもらおうか?」
「弁天さまのストライクゾーンはかなり広いんだよな。アンケートって何の?」
「とぼけるでない。おぬしが、草間興信所やアトラス編集部の関係者を対象に、好感度な執事服についての独自調査を行っていたことはまるっとお見通しじゃ。さあ、きりきり白状せい! そしてわらわに協力せいっ!」
「あれは、純粋な職業的興味であって、弁天さまとは無関係……」
「お黙り。早々にその結果を、新装開店の執事喫茶に反映させるのじゃ。さもなくばおぬしに正式交際を申し込むぞっ」
■□承□■――ご帰宅を待ちわびて――
「お願いしますー」
「ぷぎゅ。ぎゅー(訳:お願いしますー)」
わずかに雲が切れ、ひとすじの陽光がこぼれる梅雨時の週末。
京王井の頭線「井の頭公園駅」に降り立ったひとびとは、まんべんなく、怪しいチラシを渡された。
チラシを配布しているのは、『井之頭本舗』のロゴ入りエプロンをつけた和装の蛇之助である。その肩の上には、薄茶の毛並みの可愛らしい子うさぎが、まるでアシスタントのようにちょこんと乗っていた。
「あら、蛇之助さん。アンリ元帥と広報活動? 珍しい」
シュライン・エマは、ふふっと笑い、自ら近づいてチラシを受け取る。
「アンリ元帥がそばにいてくださると私のモチベーションが向上するので、無理にお願いしたんです。ところで、シュラインさんは、今、お忙しいですか?」
「んー。今日は調査依頼で、吉祥寺にきたのよ。草間興信所で顔を合わせた桜子ちゃんと一緒にね」
シュラインは、改札口を振り返る。見れば、セーラー服姿の京師桜子が、精算を終えて出てくるところだった。シュラインと話している蛇之助を見て、「どなた……?」と小首を傾げる。薄紅のレースのリボンを編み込んだおさげ髪が、可愛らしく揺れた。
あまりこの近辺には縁がないという桜子に、蛇之助は手短に自己紹介をし、頭を下げる。
「依頼遂行中でいらっしゃいましたか。それでは、お客様になっていただくわけにはいきませんね」
「でもね、至急というわけではないの。だって事件っていっても『吉祥寺教会マリア像連続お供え物事件』なんだから。ねえ、桜子ちゃん?」
「あ、はい。若いシスターさんからのご依頼で。何でもここ最近、吉祥寺教会のマリア像に、草もちとかお団子とかあんみつとか、謎のお供え物が置かれるようになったそうなんです」
――迷惑というわけではないんです。だってそのお供え物、すごく美味しいですし。でも、いつの間に、どなたがくださるのか、とっても不思議で。できれば御礼を言いたいのですけど……。そんなに急ぎませんので、お手透きのときにでも調べていただけませんか?
「……という内容だから、寄り道しても平気。それに、場所が場所だから弁財天宮にも寄ろうとは思ってたのよ。吉祥寺教会って井の頭公園のご近所でしょ。弁天さんが何かご存じかも知れないし」
「弁天さまはお役に立てそうもないですけどね……。今、ものすごくハイテンションになってますから」
「……でしょうね。また執事喫茶を営業しちゃってるってことは」
シュラインは、そっとチラシに目を落とした。
◇────────────────────────────────────────◇
週末のバトラーR(リターンズ) 〜幻の執事喫茶を、井の頭公園にて再現〜
◇────────────────────────────────────────◇
お仕事にお疲れのお嬢様。
勉学にお疲れのお坊ちゃま。
人間関係にお疲れの奥様。
人生にお疲れの旦那様。
どうぞ、くつろぎのひとときをお過ごしくださいませ。
私どもはいつでも、貴方のご帰宅をお待ちしております。
◇───────────────────────────────────────────◇
パティシエTより:新作のデザートをご用意しました。宜しければおためしください。
テーラーIより:執事服を新調しました。ご感想をお聞かせ願えれば幸いです。
フットマンNより:お気が向かれましたら、お顔を見せてくださいね。
フットマンDより:真心のこもったおもてなしを心がけております。
執事長Bより:戦闘の危険性は最小限に抑えてますので、ご安心くださいませ。
◇───────────────────────────────────────────◇
「とっても、前の企画が気に入ったらしいことが伝わってくる文面ね。それで、蛇之助さんが『井之頭本舗』スタイルなのはどうして?」
「厨房を含めた後方要員というか、雑用係なもので。井之頭本舗の建物を臨時改装して使ってるという事情もありますしね。私の他に、ファイゼさんやポールさんや鯉太郎さんもこんな感じで厨房にいますよ」
「あ、あの。私にもそのチラシをくださいますか?」
そっと手を伸ばした桜子だったが、チラシを見るなり、頬をぽっと朱に染めてしまった。
(『R』ってもしかして……! きゃああ〜! 桜子ったら恥ずかしいっ)
清楚な少女の動揺に、蛇之助はおろおろする。
「どうなさいましたっ? このチラシに何か問題でも?」
「いえ……(心の声:だって……R指定だなんて……そんなアダルトで妖艶で大人の階段を駆け上がっちゃう世界………)」
何となく桜子の気持ちを察したシュラインは、その肩をぽんと叩く。
「大丈夫よ桜子ちゃん。執事喫茶は全年齢対象よ」
しかし、端からはおっとり考えごとをしているだけに見える桜子の脳内に於いて、めくるめく妄想はいっそうのスパークを開始していた。
(執事喫茶って、ホストクラブみたいなものかしら……? 素敵な殿方がたくさんいらして、蝶よ花よと接待してくださってどきどきロマンチックな夢のひとときが……っていやだ! 私ほすとくらぶなんて知りません、聞いたこともありませんわ〜〜)
情報化社会に生きる女子高生の例にもれず、桜子は耳年増であった。その様子から、やはり心中を察したアンリが耳を上げ下げしながらフォローする。
「ぷぎゅっ。ぎぎゅ。ぷぎゅぎゅぎゅ(訳:これこれお嬢さん。ホストクラブとは、華やかな恋の夢を売るところ。執事喫茶とは、健全な妄想空間に他ならぬ。似通った部分はあるが、趣旨は全然違いますぞ。さ、店はあちらの方向だ)」
† †
実はそれまでは、通りすがりの人々には胡散臭い目で見られるだけで、チラシも受け取ってもらえなかったのである。
しかしシュラインと桜子が呼び水となったのか、その後、改札口から出てくる美女や美少女たちは、それぞれに興味を示してくれたのだった。
「こんにちは、蛇之助くん。前にアトラスに顔出ししたとき、弁天さまから聞いたわ。執事喫茶ですってね」
「これは遊那さん。わざわざありがとうございます」
羽柴遊那は、コンセプトを知ったうえで訪ねてくれたと言う。黒地に金の縁取りのある、ノースリーブのシルクチャイナシャツ、裾にフリルがあしらわれたスリット入りの黒いシフォンスカートに、ミュールを合わせた優雅な姿は、付け焼き刃の英国風疑似屋敷にはもったいないほどである。
「そういうの、好きだから。本当は後方でヘアセットとかやりたかったんだけどね」
「れでぃですっ。れでぃがいるのでぇす」
蛇之助の耳元で、可愛い少女の声がした。いつの間にやら右肩(アンリが乗っかっているのは左肩)に、黒いフリルとレースの塊にしか見えない、体長10cmくらいの物体がしがみついている。
「えっと、どちらさまで……?」
「都会のしんきろうのようなびぼーのふぇありぃ、よじれた時間をもとにもどして幾星霜、時計屋ノルニルの主こと露樹八重でぇすよ」
「ああ。弁天さまからお伺いしたことが。ケーキをたくさんお召し上がりになる『不条理妖精』の八重さんですね」
「むぅう。今日は『れでぃ』を目指すつもりで来たのでぇす。ちょっぴり背伸びすれば、あたしもこんな感じになるはずなのでぇすよ。はわぁ、きれいなのでぇす〜」
遊那の、ブルーグレーのストールを、雫型のトパーズのシルバーブレスレットを、ローズがかったシャンパンゴールドの爪を、結い上げた髪を彩る青バラのヘアコサージュを、黒のゴスロリ姿(よくよく見れば八重の衣装は、袖部分とスカート部分に3段切り替えの白いフリルレースがあしらわれた黒いギャザーレースのツーピースに、白黒ツートンカラーのリボンレースヘッドドレスまで着けた、凝ったものであることがわかる)の小さな妖精は食い入るように見つめる。どうやら、お手本とすべきレディだと思ったようであった。
「ブランシュ。私にもチラシをくれないか?」
改札口を颯爽と抜けて、つかつかと近づいてきたのは、すらりとした長身を、ややゴシックテイストのパンツスーツで包んだ津田香都夜であった。れっきとした美女であるはずなのに、その端正な雰囲気は、スタイリッシュな青年にしか見えないから不思議である。
「お久しぶりです、香都夜さん。そういえば、ゲームの中でお会いしたのが一番最近でしたっけ。……ええと、取りあえず、今の私はナースではないです」
「……そうか。あれは女性化した姿だったな。弁天も私には、シヴァのイメージの方がまだ強い」
「改めてご指摘を受けると、お恥ずかしい限りで」
「戻ってからはちゃんと、女神の仕事をしているのか?」
「…………このチラシをお渡ししながら、『はい』とは言いにくいですねぇ………」
うなだれる蛇之助をよそに、香都夜はさっと案内図を一瞥し、すたすたと歩き始める。
「もしや香都夜さん。お客さまになってくださるんですか?」
「ああ。たまには遊び歩きでもしないと、やってられない」
「な、何かストレスでも?」
「あいつが……どこかの誰かが構ってくれないからな。いや、何でもない」
一直線に目的地へ歩む香都夜の後ろ姿を見送って、アンリは呟く。
「……ぷぎゅ〜(訳:どなたにも、いろんな事情があるらしいな)」
† †
そんな彼らの動向を、ケヤキの木陰から、シャープなスーツ姿の女性警部補が覗っていた。
警視庁捜査一課特殊犯所属の、神宮寺夕日である。
彼女は先刻、別件で、井の頭弁財天社の守護寺『盛大寺』を聞き込み調査かたがた訪れ、公園を突っ切って帰ろうとしたところであった。途中、和風店舗であったはずの『井之頭本舗』が、にわか作りの洋館に変貌しているのに首を捻っていたのだが、何やら答を見つけたような気がする。
そして、漏れ聞こえた『執事喫茶』という言葉は、刑事の本能&心の奥底に秘めた乙女心を爆発させるに十分であった。
(和洋折衷な建物になってたのは、イベント用店舗だからなのね。執事喫茶……って、今話題のアレかしら? なんでも、執事さんが上げ膳据え膳でお嬢様扱いしてくれるとかなんとか……)
まるで畳の毛羽立ちをむしるように、夕日はケヤキの幹の皮をほんのちょっぴり、ぺりっと剥がす。
(こ、これは是非とも行かないといけないわよね! そうよ、私は警察官なんだから、違法行為がないか確かめないと!)
さらに、葉っぱも2、3枚むしりつつ、
(オーナーが女神さまってことは、そんなに物騒なお店じゃないわよね、きっと。弁天さまって単に嫉妬深いだけだっていうし)
弁天が聞いたらいきり立って抗議しそうなことをさらっと考え、
(お帰りなさいませ、お嬢様……なんて言われちゃうのかしらぁ! きゃあ、どうしよう! ……はっ、平常心平常心)
――結局、向かうことにしたのだった。
潜入捜査の大義名分を掲げながら、なぜか足取りも軽快に。
† †
一方。
執事喫茶『への27番+スペシャルα(弁天がうっかり「への16番」と書いてしまったのは赤字訂正してある)』では、スタッフ一同が、ご主人様がたの到着を今か今かと待ちわびていた。
店内をうろうろと行ったり来たりしているのは、男性化も完了し、髪をひとまとめにしてテイルコートを着込み、準備万端な弁天執事長である。
「開店準備はばっちりと整ったというのに、ひとりも来客がないとはどういうことじゃあ〜〜〜」
「事前広報が不足していたからだろ?」
「事前準備に要する時間もな。……ったく、三日三晩徹夜させやがって」
パティシエ田辺聖人とテーラー糸永大騎は揃って腕を組んだが、前回同様にすっかり手順を飲み込んでいる野田灯護は、テーブルを飾る花の位置など直しながら、にこにこと言う。
「蛇之助さんたちがチラシ配布に走りましたから、もうすぐ効果が現れますよ」
「ああっ、私の執事魂が燃えさかっています! 早くご主人様にお仕えしたいです!」
テイルコートに蝶ネクタイ、色ベストという規定の制服を着込んだシオン・レ・ハイは、胸の前でしっかと両手を組み合わせ、青い瞳を星のように輝かせる。
彼は、店が混み合うのを想定していた弁天が、急遽フロアスタッフのメンバーを募集し、それに応募してきたひとりであった――というのは建前で、実は、公園のベンチでお腹を空かせて横になっていたところを、三鷹銘菓『キウイゼリー』をちらつかせて勧誘したのだった。
シオン的には、慢性的な生活費不足のため、仕事があるのは願ったりかなったりと、自ら執事マニュアル本を読んで勉強したらしい。
「シオンさんはとても努力してて、立派だよね」
同じく執事服を身につけた藤井葛が、きびきびと調度品の配置をチェックし、椅子とテーブルのバランスを確かめる。彼女も、スタッフ募集に応募し、即採用になっていた。さらさらの髪を後ろできりっとひとまとめにした姿には、女性執事のすがすがしい品位がある。
「いえそんなっ。葛さんこそ、てきばきと手順が良くていらっしゃいます! 私はただ、このマニュアルどおりに、滝にうたれて瞑想したり、手を兎耳のように頭において神社の階段を兎とびで往復したり、『執事養成ギプス』を装着して特訓したりしただけですから!」
「……これシオン。その愉快なマニュアル本を見せてみい」
暇を持てあました弁天が、シオンが持参していたマニュアル本をぱらぱらとめくる。
「『完璧な執事になるための実践的ストラデジー/白王社・改』? 聞いたことのない出版社じゃのう。いつどこで買った?」
「店頭売りはしてないそうですよ。白王社ビルの裏手の路地裏で、無料配布してたのをもらったんです」
「……ほほう。後日、追求してみると面白そうじゃの」
「ところで弁天さま。私たちはすぐに採用していただきましたが、募集要項にはたしか『面接あり』となっていたような」
これまた、あつらえたように規定の執事服が似合うジェームズ・ブラックマンが、厨房の状況などをさりげなく確かめてからフロアに戻ってきた。一挙手一投足がきちんと絵になる身のこなしである。
「ん? 面接ならちゃんと遂行したぞえ。単におぬしらが5秒で合格しただけじゃ」
「採用基準は何ですか」
「顔」
「……ははあ」
「美形なら良いというものでもない。ご主人様の信頼と安心を得ることのできる、包容力のある容姿が肝心なのじゃ。……いやもちろん、個人的には、おぬしもシオンも葛もばっちり美形じゃと思っておるが」
「なるほど。そう仰る弁天さまも、男性になられても見目麗しい……」
弁天の手を押しいただくように取り、ジェームズは床に跪いた。
「ぬぉ〜! 何をするぅ〜!」
いつもなら大喜びの体勢のはずだが、男性化時の弁天は根っからの女ったらし体質になるため、男性に触られたら(本心とはうらはらに)寒イボが立ってしまうのである。
気の毒なジェームズは、顔面ど真ん中に蹴りを入れられ、どう、と、後ろ向きに倒れてしまった。
「……はっ? そんなつもりではなかったのに。すまぬ、ジェームズ。執事の命たる顔に、何ということを」
消えやらぬ寒イボにも構わずに、弁天はジェームズを抱き起こす。ジェームズはめげずに、そっとその手を握りしめた。
「どうか、お気になさらずに。あなたのご尊顔まで曇ってしまっては、営業にさしつかえます」
「ううう〜〜。ジェームズぅ。しっかりせい〜〜」
「失礼します。以前、蛇之助どのからいただいた痣取り効果つきの傷薬が、もしかしたら有効かも知れません」
いったん後方に姿を消したデュークが、青い小瓶を持って現れた。ジェームズのそばに片膝をつき、顔にくっきりとついた弁天の足型をなぞるように、丁重に薬を塗っていく。
――すると。
みるみるうちに、足型の痣は薄れた。痛みも消えたらしく、すぐにジェームズは起きあがることが出来た。
「ありがとうございます、ミスターアイゼン。助かりました」
今度は、デュークの両手をしっかりと握りしめる。
「どう……いたしまし……て。……おや?」
むげに振りほどけず、手を握られたままにしていたデュークの耳は、微かな物音を聞きつけた。
誰か、若い女性がエントランス付近で、入ろうか入るまいか逡巡している気配がする。
「執事長どの。お客様です。まだ迷っておられるようですが」
「うむ! 皆の者! さっそくシャイなレディをお出迎えするのじゃ!」
† †
「「「「「お帰りなさいませ!」」」」」
強引に店内に引きずり込まれ、何重もの、歓声に近い出迎えの言葉を降り注がれて、法条風槻は目を白黒させた。
「あの……? ここってお蕎麦と甘味処のお店じゃなかったっけ……?」
「おお、お嬢様。それは仮の姿でございます。こちらはあなたさまのお屋敷で、私どもは、ずっとご帰宅をお待ち申し上げておりました」
お荷物をお預かりしましょう、と弁天に言われるままにバッグと上着を預け、喜び勇んだシオンにうやうやしくテーブルに案内されて椅子を引かれ、座るなり、革張りの豪華なメニュー(紅茶・珈琲用とアフタヌーンセット・スイーツ用の2種類)を渡されて、風槻は引っ込みがつかなくなってしまった。
週末のこの日、風槻がここに足を向けたのは、あくまでも『井之頭本舗』が目的だったのである。蕎麦打ち名人徳さんの手打ち蕎麦と、店主みやこ特製の葛切りを食べたかったのだ。
(ううん〜。なんかイベント中なのか……。でも入っちゃったんだからしょうがない、ご飯でも食べて帰りますか……。あーでも、お茶とかケーキとかのメニューばかりだな)
「どうなさいましたお嬢様ッ! 私めに何か不手際でも?」
風槻の困惑を見抜いたシオンが、取りすがるように目を潤ませる。
「取りあえず、『お嬢様』は勘弁。今は仕事時間外だから。あたしの名前は風槻」
「はいっ。それでは風槻様とお呼びいたします」
……仕事時間中に『お嬢様』と呼ばれる職種とは一体何ぞや? という疑問は、執事魂の権化であるシオンの心には浮かばない。
風槻は動揺から立ち直り、メニューの中から食べられそうなものを冷静に物色しはじめた。
(今度こそ蕎麦を食べる為に、予測立ててた方がいいかな……。ん〜統計とっても無理か。いろいろ突発で起こっちゃう感じだから)
† †
風槻と同じように、高遠紗弓もまた、通りすがったところを引き込まれた。
カメラマンであるところの紗弓は、連日連夜、仕事に追われ続けている。アトラス編集部からの、心霊写真撮影依頼を受けるようになってからはなおさらだ。常ならぬものを撮すことの出来るカメラマンというのは限られており、需要も多いため、仕事が集中してしまうという事情もある。
そんな毎日を送ってはいるものの、たまの週末くらいのんびり公園でも散歩しようと思い立ち、ここに来たのだ。息抜きをしなければ、文字通り、火を噴出してしまいかねない日々だったのである。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
その声は、どこか遠い場所から響いてくるように聞こえた。翠色の瞳が印象的な、きびきびした感じの女性執事にがっつり手を握られ、「段差がありますので、足もとにお気をつけくださいませ」などと誘導され、気づいたときには、テーブルを前に、飲み物のメニューなどを広げていた。
(……ん? 私はここで何をしているんだ? たしか、お帰りなさいませ、とか言われて、そして)
「ご主人様のようなお美しいかたには、『パールティ』など如何でしょう? 真珠のような白銀色に輝く新芽を、半発酵の烏龍茶に仕上げたものです」
執事長らしき、長身二枚目の青年が恭しく聞いてくる。その隣では、フットマン一同がそれぞれ頷いている。
(執事さん……のようなひとが、何人もいるような気がする……。いかん、連日の仕事疲れでとうとう幻まで見える様になったか……)
「あー。じゃあ、それ、アイスで」
「かしこまりました」
クリスタルグラスに入れられ、パールティーは運ばれてきた。手を添えれば、グラスの硬質な冷たさと、烏龍茶の香ばしいかおりが伝わってくる。
(うーん。五感に訴えてくるとは、昨今の幻は良く出来てる……じゃなくて!)
ひとくち飲んで、紗弓はようやく我に返った。どうやら、疲労蓄積による幻影ではなさそうだ。自分の着ている服も、黒いシャツと黒いジーンズに銀の逆十字のネックレスを合わせた、いつものお気に入りである。
(そうか、ここは喫茶店。それも執事の喫茶店か……。ふむ。では暫しの間、ゆっくり過ごすとしよう)
† †
「やられたっ! 騙された!」
エントランスで白いサンダル履きの足をはたと止め、しばし茫然と立ちつくしてから、浅海紅珠はそう叫んだ。
真っ白なキャミソールワンピースの上から、真紅の瞳によく映える、赤いシフォンの袖なしカーディガンを羽織った、たいそう可愛らしい姿である。まるでお嬢様がミニチュアダックスを散歩させているかのように、紐に繋いで連れてきたのは、ペットでもあり使い魔でもある子どもの水竜だった。紅珠に同調するかのごとく、子水竜も「ぴぎゃ〜!」と鳴き声を上げ始める。
紅珠が「騙された」と言っているのは、彼女の先祖で師匠でもあるところの某マッドサイエンティ……もとい、神秘的な魔法を使う人魚のことだ。
「レディの勉強だって言われてっ、頑張ってきなさいっていうから来てみれば……! 執事喫茶って何さっ」
そう、今ならわかる。お師匠さまは、井の頭弁財天が執事喫茶を臨時OPENするという情報を前もって知り、面白がって紅珠を送り出したのだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
エントランスの気配は、中にも伝わってしまったらしい。
ゆっくりと扉が開き、テイルコートの男性が現れた。紳士的な仕草で紅珠をエスコートし、鳴き続けている子水竜をなだめるように抱き上げる。
「お嬢様の担当をさせていただきます、ジェームズ・ブラックマンと申します。どうぞ何なりとお申しつけのほどを」
「え、あ、うっ、ん」
慣れない扱いにおろおろしながら、紅珠は右手と右足を同時に出し、ぎくしゃくと歩く。ジェームズがタイミング良く椅子を引いてくれたので、ようやく席につくことが出来た。
執事長からメニュー2種類を渡されたところで、鳴き止んだはずの子水竜が、ジェームズの腕の中でもがき始めた。びぎゃ〜ふぎゃ〜と鳴きながら、いやいやをするように、首を横に振る。
「ぴぎゃ〜! ぱぁぱ」
「おや……。まだ小さな水竜ですね」
近づいたデュークが声を掛けると、水竜の瞳が喜びに輝いた。小さな前足をデュークに向かって差し伸べる。
「ぱぁぱ〜っ!!!」
「……えっ?」
「ぱぱー! ぴぎゃ〜!!!」
「……ミスターアイゼン。まさかあなたは、この水竜の……」
「そんなっ! 誤解です」
「隠し子であろうとそうでなかろうと、お嬢様のお連れ様がデュークに懐いているのは疑いようがない。ここは子守をせずして何とする! これ、大騎。出番じゃ。至急、おんぶ紐を作成せい」
「何の出番だよ。人使いが荒いなぁ」
「お子様にもデュークにも負担がかからず、フットマンとしての業務にも支障のない、デザイン性が高く機能的なおんぶ紐じゃぞ!」
† †
ともかく採寸しないとな。すまんジェームズ、この水竜を支えてくれ。こうですか、ミスター糸永? ぴぎゃぁ〜〜!! 待ってくださいその子は私が抱いていないと。
「ええっと。蛇之助たちは遅いな」
「ですね。そろそろ、戻られてもいいころですけど」
聖人と灯護は何となく顔を見合わせる。
フットマン3名が寄ってたかって子守をするという、優雅と阿鼻叫喚を兼ね備えたフロアから離れ、ふたりは外の様子を見に行くことにした。
――と。
ぱからっぱからっ。
ぱからっぱからっぱからっ。
「蹄の音?」
「どなたか、馬でご帰宅なさった……ということでしょうか」
ふたりの判断は正しかったが、しかし、避けるのが一瞬遅かった。
「うわぁぁぁ〜〜!!!」
「あ〜れ〜〜〜」
その白馬は、エントランスで行儀良く止まった。
……聖人と灯護を、豪快に蹴り飛ばしてから。
幸い、ツツジの植え込みがクッションの役割を果たし、ふたりの怪我は擦り傷程度で済んだ。
「ごめんなさいなのですー。空間を繋げる場所を、うっかり間違えたのです」
白馬に乗っていたのは、乗馬服姿のマリオン・バーガンディであった。おりからの陽光を背に受けて、それはあたかも、本物の貴族の子弟が、乗馬のついでに立ち寄ったという雰囲気である。
どうどうと馬を落ち着かせ、にっこり微笑むマリオンに、フットマン2名も体勢を立て直して頭を下げる。
「……お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」
「ただいまなのです。それで、馬はどこに繋げばいいでしょうか?」
■□転□■――アフタヌーンティーをどうぞ――
やがて、蛇之助とアンリは、新しくご帰宅あそばされた面々から少し遅れて戻ってきた。
フリーでご帰宅くださった、風槻(風槻様)、紗弓(ご主人様)、紅珠(お嬢様)、マリオン(お坊ちゃま)に、井の頭公園駅前でチラシを受け取ってから来てくれた、シュライン、桜子、遊那、八重、香都夜、そして建前は潜入捜査であるところの夕日を加え、総勢10名の「ご主人様」に、バトラーたちは恵まれることとなった。
新たなご主人様のおもてなしをするべく、担当バトラーが次々にお出迎えに行く。
「お帰りなさいませ、旦那様……で良かったかのう、シュラインや」
「取りあえずは。ところで弁天さん、執事服似合うけど、ちょっと残念」
「それは何故じゃ?」
「『ばあや』とか呼ぼうと思ったのに」
「……そんなに言うなら、次はばあやコスプレをしても良いぞ。その時は執事喫茶でなく『けも耳ドジっ娘メイドカフェ』とかどうじゃろう?」
「もう、次の企画があるの?」
「今、思いついただけじゃ。で、担当バトラーの希望はあるかえ?」
今ひとつ行き当たりばったりな弁天執事長に、シュラインは頬に手を当てて、フロアを見回す。
「こんなにお客様がいらしてるんだから、フットマンを増やした方が良くない? フモ夫さんは厨房にいるんでしょ? 細やかな気配りの出来るひとなのに勿体ないわ」
「しかし、それでは厨房が手薄に」
「フモ夫さんの抜けた穴には、私が入るから」
「ならばむしろ、おぬしがフロア担当になれば良かろうに」
「ん〜。せっかく糸永さんが仕立てた制服に、手を通したいのはやまやまだけど……。今は辞退するわ。後で着てみてもいい?」
「それは構わぬが。予備は多めに用意してあるはずじゃし――他に何か気づいたことはあるか、シュライン主任?」
すっかり、頼れる後方スタッフにされてしまったシュラインは、今度はバトラーたちに視線を走らせた。
「思ったんだけど、今回も全体的に若めね」
「若め……か?」
先刻、マリオンの馬に蹴られたとき、髪についてしまったツツジの花がらをシュラインに取ってもらいながら、聖人は憮然とする。
「21歳の野田くんや22歳の葛くんや、見た目の若いデュークやフモ夫はともかく、俺は36歳だぞ」
「俺だって36歳だ」
大騎も腕を組み、
「はーい。私など42歳(自称)です」
シオンが片手を上げ、
「私は666歳ですよ」
ジェームズがふっと微笑む。
口々に高年齢ぶりを主張し始めた男性フロアスタッフ(30代後半以上)を、弁天はまあまあと手を広げて押しとどめた。
「シュライン主任が若いと仰るからには若いのじゃ。すまぬのうシュライン、ぴちぴちの永遠の少年ばかり取り揃えてしもうて」
「あ、不満があるわけじゃないのよ。ただ、ひとりくらいはご年配のかたがいると、年齢的にメリハリがあっていいかなあって」
「ふむ。その気持ちはわからぬでもない。ロマンスグレーな執事に心当たりがあれば、召還するにやぶさかではないが……『への27番』在住者は、外見年齢が若い騎士ばかりじゃからのう」
「じゃあ、アンリ元帥はどうかしら? 人型に変化したら、素敵なオジ様になりそう」
「……ほう。ナイスアイディアじゃ!」
† †
「そういうわけで、元帥閣下。ぜひともご尽力願いたい」
「ぷぎゅーっ! ぎゅっぎゅ。ぎゅーっ!(訳:おまかせあれ。シュライン嬢の要請とあらば、全力全開で執事を務めさせていただこう)」
厨房にいたアンリは、ふたつ返事で了承したが、蛇之助は顔を曇らせた。何故ならば、蛇之助とのチラシ配布は友情協力により無償であったが、弁天からの正式要請となれば、そういうわけにはいかないからである。
「あの、瑣末な問題で恐縮ですが、協力費はいかほどに……?」
そっと差し出された電卓を、アンリは可愛い前足でぴっぴっと叩く。
「ぷぎゅ(訳:ま、こんな感じで)」
「むぅ〜。もうちっと何とかならぬかのう」
「ぶぎゅぎゅ〜(訳:弁天どのにかかってはかないませんな。それではこんなところで)」
「……む。この辺で手を打とうか。どうせじゃから、執事長は元帥閣下が務めてくれぬか? 人型になったときは、現代日本語をお話になれるのであろ? われは男性化を解いて、女性フットマンになろうほどに」
メンバーチェンジした執事長を、男装のフットマンが紹介したとたん、フロアは騒然となった。
――なぜならば。
58歳のアンリ(しかもモノクルつき)が、人型に変化して執事服を着用した姿は、中世英国のバトラーはさもありなんという風情であったが、それにも増して――
「うさ耳?」「うさみみが見える。これはやっぱり幻か?」「わ。うさ耳だ!」「うさ耳なのです」「まぁ……。うさ耳ですわ」「あら、うさ耳執事ね」「うさ耳でぇすか?」「……………(うさ耳)」「ううううさ耳ですってぇ?」
それぞれ順番に、風槻、紗弓、紅珠、マリオン、桜子、遊那、八重、香都夜、夕日の台詞である。
そう……。
完璧なバトラーに扮したアンリの耳には、うさぎ型幻獣の名残があったのだ。
から〜ん。
桜子のティースプーンが、思わず落ちる。
ファイゼ(既にシュラインと交代し、フロアに出ていた)が、すばやく、替えのスプーンを持って走り寄る。
受け取ろうとしたその瞬間に、つと、手と手が触れた。
「まぁ……。ごめんなさい」
「お気になさいますな、姫。こちらこそ、失礼いたしました」
(そんなっ。姫だなんて桜子恥ずかしい〜。そういえばこのかたは、騎士風のイメージでいらっしゃるわ。そうだわ、仮面舞踏会にお忍びで来ていた王家の姫と身分違いの恋に落ちて、だけどこのかたには幼なじみの可愛い許婚者がいて、間に挟まれてお悩みになるんだわっ。ああ……忠実な騎士様に全てを裏切って恋を選べだなんて、私って何て悪い女……!)
「……姫? どうなさいましたか? おや、紅茶がすっかり冷めてしまいましたね。すぐに別のものをお持ちいたしましょう」
夢見るように遠くを見つめて微笑んでいる(ようにしか見えない)桜子に深々と一礼し、ファイゼは注文を伝えるために後方に去った。
隣のテーブルでは、まじまじとアンリを見つめている遊那のそばで、静かにデュークが控えていた。なお、背中には子水竜を背負ったままであるが、大騎特製のおんぶ紐のおかげで、特に業務に支障はない。子水竜は、鳴き疲れてすやすやと眠っている。
「宜しければ、遊那様の担当として、アンリ執事長をご指名いただくことも可能ですが」
「あら。私はデュークさんに担当をお願いしたいわ」
「……えっ」
「もちろん、他のかたに先にご指名されているのなら、あきらめるけれど。そういえば、身体の調子は良くなられて?」
「はい。おかげさまで――何か、お持ちいたしますか? 紅茶でも?」
「そうね。ダージリンを。それから……。スイーツのメニューを、見せていただけるかしら。田辺さんの新作を、楽しみにしてたのよ」
「どうぞ、こちらです」
「たくさんあるのね。デュークさんのおすすめはどれ?」
「そうですね……。旬の桃と野いちごを使った、ピーチベリーケーキはいかがでしょう? 新鮮な桃のムースと桃風味のスポンジ、野いちごのムースが3層になっています」
「おいしそうね。それにするわ」
「これっトーゴっ! あだくしもあちらさまのれでぃがご注文あそばされたけぇきを食べたいでございますでぇすよ!」
とんっ、とテーブルに乗った八重は、小さな両手を腰に当て、きっ、と、担当であるところの灯護を見上げる。
「……大奥様ぁ。無理して気取った言い回しをしなくてもいいんですよー。ボロ出まくってるし」
「何でぇすとーっ?!」
「そうそう、おぬしは見かけこそキュートな小妖精じゃが、実はもう910歳であろう? 少しは大人の女として落ち着いたらどうじゃえ?」
横合いからひょいとやって来た弁天は、その手にもう、ピーチベリーケーキを携えていた。
「れでぃに何しつれいなこというですかー! そういう弁天さまだって、待ったなしでお客さんを引き込んだりして、ちょっとどうかと思うでぇす!」
憤慨して言い返していた八重であったが、ケーキがテーブルに置かれたとたん、怒りを忘れて目を輝かせる。
「……ももの匂いがいいかんじでぇす」
「飲み物は、独断ですが、セイロンディンブラの水出し紅茶とか、どうですか?」
八重の代わりにメニューをめくり、灯護は白い手袋をした指で示す。
「苦しゅうないでぇす! どんどん持ってくるのでぇす」
「いちどきに食べたり飲んだりして、お腹をこわすでないぞえ?」
「ふみぃ〜! 大人のおんなを子どもあつかいするのはやめてほしいでぇすよ〜〜〜」
「いろいろ矛盾しておるところが可愛いの。また日を改めて、大人の女同士膝を突き合わせて語り合いたいものよのう〜」
「ここのスタッフは、何か一定の法則のもとに採用されているのか?」
パールティに合わせる形で、『アップルマンゴーとココナッツのケーキ』を追加オーダーし、紗弓は、担当の葛に聞いた。なお、注文のケーキは、メニューの但し書きによれば、アップルマンゴーを裏ごししてムースにし、ゴールデンパインとココナッツミルクで仕上げたものであるらしい。
「法則というほどのものはないはずですが……」
「そうか。私の考え過ぎか」
「何か、気になることでもありますか?」
「いや……ただ、スタッフの人の名前が……」
「名前?」
「ああ。まず、あの、黒い眼帯の人」
紗弓はデュークの方を見る。遊那のテーブルでは、まるでそこだけがハイソサエティ空間であるかのように、淑女に仕える執事の世界が展開中だ。
ご主人様の意図はまだ読めず、葛は首を傾げる。
「デュークが何か?」
「それと、あの若い人は、トーゴと呼ばれていた」
八重のテーブルの灯護を指し示してから、紗弓はおもむろに言った。
「デューク・トーゴ……」
しゃきーん!
確かに、一歩間違えば、超有名どころの固有名詞になってしまう。狙撃成功率99%以上を誇る世界最高のスナイパーを、お嬢様は連想してしまったらしい。
お嬢様のボケに律儀に突っ込むべく、葛はすちゃっとハリセンを構え……たが。
横合いから弁天が、その手を押さえた。
(おぬしの気持ちはよぉくわかるが、しばし待て)
(だって)
(……ボケているのではなく、素かも知れぬ)
(ええっ?)
(お嬢様は、仕事続きで大層お疲れのご様子じゃ。ご自分が面白いことを仰っているのにすら、お気づきではなかろうて)
(……そうか。そんなに疲れてるのか……。大変なんだな。俺より若い、女の子なのに)
ハリセンを引っ込めて、葛は紗弓の横顔を覗う。
(肩でも揉んで差し上げようかな?)
「担当というのは、決まったテーブルのお客の面倒しか見ちゃいけない、というものでもないんだな」
それぞれ担当がついているはずのご主人様がたに、あちこちちょっかいを出して回っている弁天を見ながら、香都夜は呟いた。
「そうですね、担当はあくまでもメインのおもてなし役、というほどの意味合いです。ですから随時、他のフットマンが補佐に入ることもありえますよ、お嬢様」
香都夜の担当となっている大騎が、ポット入りアールグレイ・グランドクラシックをティーカップに注ぎながら答える。
「んむ〜? 聞こえたぞ香都夜。さてはわらわをご指名じゃな〜? いやいや、大騎の言い回しは堅苦しくていかん。久しぶりじゃのう」
弁天はいそいそとテーブルにやってきた。香都夜はもの珍しそうに『男装の女性』であるその姿を、しげしげと見た。
「シヴァ……じゃないんだな。女性の姿は目新しい」
「ほっほっほ。どんな格好をしてもばっちり決まる我が身が恐ろしいぞえ。今日の香都夜はこれまたオトコマエじゃの〜」
ちゃっかり香都夜と話し込む弁天を、大騎がちらっと横目で睨む。
「接客態度と言葉遣いがガタガタになってるぞ、井の頭くん。ちゃんとお嬢様とお呼びしないと」
「いや……」
香都夜は片手を上げて、軽く横に振る。
「私は女だ……が、お嬢様と呼ばれるのは抵抗がある」
「それじゃ、香都夜様と呼ぶことにしようか」
「おぬしも地が出てきたぞ、大騎。微妙に偉そうじゃ」
「仕方ないだろう。フットマンは本職じゃないんだから」
「本職は、テーラーだそうだな。その執事服の仕立てが、素晴らしいとは思っていた」
紅茶をひとくち飲み、香都夜は少し考える。
「私に何か、服を一着、仕立ててもらうことは可能だろうか? 素材やデザインはまかせる」
大騎は微笑み、慇懃に礼をした。
「喜んで、香都夜様。おんぶ紐作成に比べれば、おやすい御用です」
(きっと、この紅茶、美味しい……んだろう、な、ものすごく)
しかし……緊張のあまり、味がよくわからない。
(くっ。もったいない!)
紅珠は、担当のジェームズが勧めてくれた、シッキム・テミ茶園のオレンジペコを、非常に難しい表情でちびちびと飲んでいた。
「お気に召しませんか?」
心配そうに聞いてくるのも、何だか申し訳なく、紅珠はうなだれた。デュークに背負われてすやすや眠っている子水竜が、いっそうらやましい。
「気軽にぐーっと飲めばよいのじゃ」
「あの……?」
「ほれほれ、ぐいっとな!」
見かねた弁天が声を掛けてきた。が、紅珠はむしろ、警戒警報発令中の表情になる。
弁財天は水の女神であるから、本来は相性がよさそうなものだが、何となく……お師匠と同じ「喰えない」感じが共通しているのだ。
(うわっ苦手なタイプっ。うー、でも緊張したまんまってのも、しゃくだよなっ。このまんまじゃ、帰らないぞ)
「弁天さま。お酒勧めてるわけじゃないんですから。それにまだお嬢様は小さいんですし」
苦笑いするジェームズの袖を、紅珠は、つんつんと引っ張った。
「どうなさいましたか?」
「厨房に、行く!」
「それは、どのような御用で?」
「魚がいるって聞いたから。魚と話したいっ」
「鯉太郎のことかえ? しかし、何もレディが後方へ行く必要はなかろう。希望であれば、呼び寄せるぞ?」
「いいじゃありませんか、後方見学も。お嬢様のご要望とあらば……どうぞこちらへ。ご案内いたしましょう」
「特にご希望がないようでございましたら、私めがお嬢様の担当を承りますが、お許しくださいますでしょうか?」
かしずくような仕草でアンリに言われ、夕日は食べかけの『さつまいもプリン』を、あやうく喉に詰まらせかけた。ちなみにこのスイーツは、見かけはシンプルながら、熊本のブランドさつまいも『ほりだしくん』を裏ごしして3時間じっくりと蒸し焼きにして仕上げた、パティシエ渾身の逸品である。
「え? ええ、もちろん構わなくってよげほっごほ」
咳き込む夕日の背中を、うさ耳をゆらしながら、とんとんとアンリが叩いてくれた。ひとごこちついたところで、飲み物のメニューが広げられる。
「それでは僭越ながら、お嬢様にふさわしい紅茶を選ばせていただいても?」
「お、お願いするわ」
「世界3大銘茶のひとつ、キームンは如何でしょうか? その中でも、女王陛下のお誕生日を祝う紅茶『クイーンズキームン』が宜しいかと」
「クイーンズキームンね。わかったわ、受けて立とうじゃないの!」
なぜか勇ましく、夕日は胸を張る。
「おまちどおさまです!」
間髪を入れず、紅茶を運んできたのはシオンだった。エレガントに(というか、エレガントを極めすぎていろいろ超越しているというか)トレイを持ったまま、テーブル付近でくるくると4回転半ジャンプしたあと、流れるような仕草でティーポットとカップ&ソーサーを夕日の前に置く。
「あり……がとう……」
その燃えるような執事オーラについ気圧されてしまい、額に汗が滲んだ。バッグからそっとハンカチを取り出す。
しかし、汗を拭く間はなかった。夕日の額は、アンリがどこからともなく取り出した、薔薇の香りつき総レースのハンカチで、そっと押さえられたからである。
(……あ、あら。本当のお嬢様になった気分……)
「今日のおすすめスイーツは、他に何がありますか?」
にこにこにこにこと、満面の笑顔をマリオンは見せる。
当然といおうか、担当フットマンはパティシエ田辺聖人である。
遊那や八重のテーブルに運ばれていたピーチベリーケーキや、夕日と八重(八重は連続オーダーである)が注文したさつまいもプリンは、マリオンもとっくに食べ終っていた。さらに、紗弓と八重(八重は連続/以下略)が頼んだ、『アップルマンゴーとココナッツのケーキ』も、桜子と八重(八重は/以下略)のオーダーによる、特製アイスを詰めたシュークリームに、オレンジ風味のチョコレートをかけた『プロフェッテロール』も、マリオンらしく、まぐまぐと食していたのだ。
「そんなに食えるんなら、いっそ、アフタヌーンティーセットを頼んだらどうだ、お坊ちゃま?」
聖人はもう、呼びかけ以外の演技をうっちゃっていた。ご主人様がたが、特にマリオンが聖人に求めているものは、執事的対応よりはパティシエとしての実力であろうと思うからだ。
「アフタヌーンティーセットですって!? それって、あの、乙女の憧れの三段重ねよね! ……あら失礼」
心ときめく響きに、かたーん! と椅子を蹴倒しそうな勢いで立ち上がったのは夕日だった。お嬢様が転ばないよう、さりげなく椅子を直し、アンリは弁天に目配せする。弁天は心得たとばかりに大きく頷き、後方に走る。もちろん、夕日お嬢様のご注文を伝えるためだ。
「素敵ね。私もいただこうかしら」
窓際のテーブルで、紅茶を片手に持参の洋書を広げ、淑女の優雅な昼下がりを楽しんでいた遊那は、控えているデュークを見上げた。デュークは無言で一礼し、遊那様のオーダーを伝えるために後方に下がる。
「聞き捨てならないのでぇす! 当然、いただいてしまうのでぇぇぇす!」
「まだ食べるんですか大奥様〜!」
小さな身体のどこにどうやって、かくも膨大なスイーツが収まるのかというのは、決して追求してはならぬ謎であろう。ともあれ灯護は、八重大奥様のご希望に添うべく動くのみである。
「アフタヌーンティーセットか……ふむ、そういうものを頼めば、日頃の疲れが取れるのかな」
「それならお嬢様も注文しましょう! そうしましょう!」
ずっと紗弓の肩を揉んでいた葛は、お嬢様のより一層の癒しのために、やはり後方へ向かう。
「アフタヌーンティーセット……」
ほわりと、桜子も、視線を宙に彷徨わせていた。
(緑あふれる森の湖に面して立つ古城……蔓薔薇のアーチと大きな噴水がある中庭に置かれた、白い大理石のテーブル。愛する騎士様と差し向かいで過ごす、午後のひととき……きゃあv 桜子ったらどうしましょう〜〜〜)
「……姫もご希望でいらっしゃいますね。かしこまりました」
お心の内はよくわからないながらも、担当者の勘で微妙〜に察したファイゼも、桜子姫のためにオーダーを伝えるのだった。
なお、6名様よりご注文いただいたアフタヌーンティーセットの、三段重ねティースタンドの内訳は以下のとおりである。
・下段……特製ピクルス添え3種類のサンドイッチ(旬の果物を使ったサンド、サーモンと卵のバジル風味サンド、ハムとルッコラとドライトマトのサンド)
・中段……3種類のフィンガータルト(カルダモン風味のチョコレートタルト、シナモン風味のかぼちゃのタルト、ラズベリーとブルーベリーと甘夏のタルト)、焼きたてスコーン(クローテッドクリームとアカシア蜂蜜、白桃のジャム添え)
・上段……5種類のプチフール(30種類から自由にチョイス)。
※お飲み物はお好きなものを選択可能(おかわり自由)。
やがて、ワゴンに乗せられたティースタンドが、ご主人様がたのテーブルに運ばれた。
それぞれのテーブルで、楽しげな歓声が上げる。
そんな中、風槻担当のシオンは、思いっきり哀愁を漂わせた瞳で、物陰から(特に隠れる必要はないのであるが)ご主人様を見つめていた。
ジェームズに伴われて後方見学中の紅珠や、大騎に服を仕立ててもらうことになり、採寸のために別室に移動した香都夜以外で、アフタヌーンセットに興味を示さなかったのは風槻だけなのである。
そもそも風槻は、店内に足を踏みいれて以来、飲み物以外の注文をしていない。
シオンが耳をそば立てて、ひとりごとを聞き取ったところによれば、
「……うーん。あまり食べられるものがなさそう。お蕎麦と葛切りが良かったんだけどな……」
ということなので、どうも風槻様のお目当ては、蕎麦打ち名人『徳さん』の手打ち蕎麦と、井之頭本舗店長みやこ特製の葛切りであったようなのだ。
しかし、本日はイベント店舗となっているため、徳さんはスタッフには加わらず、鬼鮫としてミッション遂行中ということであるし、みやこは水棲生物のお嬢さんズとともに、泊りがけで蛍ウォッチングの旅行に出かけてしまっているらしい。
風槻様に少しでもお楽しみいただくべく、手品で、薔薇の花束や、純白青い目の子うさぎ(『ろの13番』在住者とはまた別の魅力を持つタイプ)を出したりしてみたのだが、その努力も空回りしてしまっている。
「執事長閣下〜〜〜。私は一体、風槻様のために、何をして差し上げれば宜しいのでしょうか〜〜」
思い余ってシオンは、物陰からアンリを手招きし、涙目でその足元に取りすがった。
「うむ。思うにあのかたはどうやら、間違えて、ここにいらしてしまったらしい。だが、ご帰宅いただいた以上は、大切なご主人様だ」
「そうなんです!」
「風槻様は空腹でいらっしゃる。そして、蕎麦と葛切りをご所望なさっている。プロフェッショナルとして、どう応じるのが良いと思うか?」
「それは当然、どうにかしてお蕎麦と葛切りをお出しするのが一番だと思います。ですがご主人様は、『井之頭本舗』が通常営業しているのを前提として、いらしてくださいました。なので、蕎麦打ち名人『徳さん』の蕎麦と、みやこ店長の葛切りじゃないと納得なさらないのではないでしょうか?」
「よくぞ申した。私もそう思う。みやこどのの葛切りの味は、田辺どのであれば再現できるであろうが、問題は」
「『徳さん』の方ですよね。でもまさか、ミッション中の鬼鮫さんを呼び戻すわけには」
「何事も、やってみなければわかるまい。鬼鮫どのには、連絡ならば取れる」
「そうなんですか? さすがは執事長閣下。でもいったいどうして?」
「鬼鮫どのとはメル友なのでな」
「じゃあ、アドレス教えてくださいっ。私からお願いしてみます」
――かくして。
きっかり20分後。
井の頭公園上空に、ヘリコプターの轟音が響いたのである。
ヘリは、にわか作りの洋館の前に着陸し、
ざる蕎麦(大盛り/蕎麦湯つき)を乗せたお盆を片手に、
ミッション遂行中と同様のいかめしさで現れたのは、
テイルコートに蝶ネクタイ、色ベストを身に着けた、
鬼鮫……いや、蕎麦打ち名人兼フットマンと化した、『徳さん』であった。
もっとも徳さんは、慇懃な身のこなしで、盛り蕎麦を風槻ご主人様のテーブルに運び終わると、
「お待たせして、申し訳ございやせんでした」
という言葉とともに、再び、ヘリで去っていってしまったのだけれど。
† †
「よく、似合ってる」
「そう……か?」
店舗の2階に臨時に設けられた、『tailor CROCOS井の頭出張所』。
姿見には、黒いドレスを着た香都夜が映っている。
生地は上質なサテン地。肩を綺麗に見せるボートネックの、シンプルなAライン。
「だが、まだ仮縫い以前の段階だ。調整のために、後日改めて店のほうに出向いてくれ」
「営業が上手いな、テーラー」
「そうでもない。俺は客を選ぶから」
† †
「おーい。ジェームズ。おにぎり足りねぇぞ。梅とわさび海苔追加な」
「葉とうがらしもー! あとね、番茶おかわり!」
「ははは。鯉太郎くんも紅珠お嬢様も食欲旺盛でいらっしゃいますね」
厨房に顔を出すやいなや、紅珠は打って変わっていきいきと活気づいた。鯉太郎から、「おまえ、お嬢様やらされてんのか? 大変だなぁ。甘いモンの匂いばっか嗅いでるとさ、塩っ気のあるものを食いたくならねぇか? 腹減ったろ?」などと言われ、ちょうど後方スタッフが交代で小休止を取っていたところだったので、まかないに便乗しているところだった。
……畳敷の控え室に並べた座布団に、ちゃっかり座って。
なりゆきで、ジェームズは厨房の手伝いに入っている。
「まかないは私が作るから、ジェームズさんもひと息ついて一緒に食べたら? 紅珠ちゃんがここにいる以上、フロアに戻る必要はないんでしょ?」
「よっ、シュライン主任、日本一! わらわは牛肉しぐれ煮入りおにぎりを所望するぞえ」
「あら。どうして弁天さんまでここにいるの?」
「ほっほっほ。紅珠お嬢様ともっと打ち解けたくてのう〜」
「おかまいなぐっ!」
わさび海苔入りおにぎりをもぐもぐと食べながら、紅珠はびくっとして弁天を見る。
「うむうむ。水を得た魚のようじゃの。自然体が一番じゃ。婚約者も惚れ直すぞ?」
(何で知ってるんだろう? やば、引き裂かれるっ?)
「こらっ! おぬしの心はお見通しじゃぞ。ちょっとそこに座りなさい」
「もう座ってる」
「こほん。ではわらわ直々に、立派なレディになるための講義をしてしんぜよう……む? ジェームズや、また何を作っておるのじゃ?」
「味噌ラーメンですよ。ちょっと食べたくなって」
「わらわにもお寄こし〜〜!」
■□結□■――いってらっしゃいませ――
――そんなこんなで。
後方に詰めた人々が、各種おにぎり添え味噌ラーメンを食べ、番茶をすすっている間にも、フロアでは、ゆったり優雅だったり疾風怒濤だったりする、ティータイムの時間が流れ――そして。
ご主人様を送り出す時が、やってきた。
「うううう〜お出かけの時間でございます風槻様〜〜! お名残り惜しいです〜」
急遽、エントランスに運ばれたグランドピアノで、シオンは、お出かけする風槻様のため、ショパンの『別れの曲』を華麗に弾きこなしていた。
「お世話さま。お蕎麦と葛切り、美味かったよ」
さわやかに、風槻は去っていく。
シオンは空を見上げた。こみ上げる涙が、こぼれないように。
「お仕事のお時間でございます、遊那様」
腰をかがめ、デュークは丁重に一礼する。ずっと背中におぶっていた子水竜は、今は紅珠が抱いていた。
「素敵な時間をありがとう。……行ってくるわね」
ふっと目を細めた遊那は、すでにフォトアーティスト『Show』の顔になっていた。洋館が本来の住まいであるかのように、自然に歩き出す。
「どうぞ、お気をつけて。ご活躍を、お祈りしております」
「お出かけの時間です、ご主人様」
葛が深々と頭を下げる。紗弓は安堵の表情になった。
「……ああ、良かった」
「……?」
「お仕事のお時間でございます、と言われたら、どうしようかと思ってた。……たく、いつまで続くんだろう、この仕事ばかりの日々はっ」
「宜しければ、いつでも肩を揉みますよ。そのときは、執事じゃないと思いますけど」
「ありがとう」
「香都夜様。そろそろ、彼氏と仲直りのお時間でございます」
「どういう意味だ」
「……新しい服が、新たな魅力を引き出すことができればと、テーラーは願うのみですので」
「近いうちに、店に行く」
「お待ちしております」
「大奥様。いいかげんにお出かけしたらどうですか? 甘いものたべてばっかりだと太りますよ。運動しないと」
「こらっトーゴ! ふっとまんたるもの、その送り出しの言葉はなんでぇすか!」
「はは。親しみを表現してみました」
「う」
「おや、八重大奥様が口ごもってしもうた。やりおるな青年」
「弁天さまは送ってくれなくていいのでぇす!」
「お嬢様。とうとうお別れのときが来てしまいました」
「う、うん?」
完璧な仕草で、ジェームズは肩膝をつく。
その紳士的な様子は、ついさっきまで、味噌ラーメンのトッピングはもやしにするべきかそれともキャベツにするべきか、チャーシューの素材はバラ肉か肩ロースかと、弁天と真剣に討論を繰り広げていた人物と同じとは思えない。
「貴女のような素晴らしいレディの御心を射止めた婚約者がうらやましい。せめて陰ながら、見守らせていただくことをお許しください」
大仰な言い回しは、かえって紅珠の笑顔を誘った。
あはは、と、小さな人魚はカーディガンをひるがえす。
「またね。おにぎりとラーメン作ってくれて、ありがと」
馬丁よろしく、ポールが白馬を引いてくる。ちなみに馬は今まで、ボート乗り場横のカエデの木に繋がれていた。
「お坊ちゃま。乗馬のお時間でございます」
マリオンの手を取り、聖人は、お坊ちゃまが馬に乗るのを手助けした。これは聖人的に、超大サービスである。
「ごちそうさまなのです。美味しかったのです」
ぱからっぱからっぱから。
颯爽と去っていくマリオンお坊ちゃまと白馬を見送って、聖人はさらに声をかける。
「間違った空間に出ないように、お気をつけてくださいね」
しかし……言うや言わずのうちに、いずこからともなく、うわー! あ〜れえ〜! という叫びが聞こえてきのだが、それはまあ、気にしないことにした。
いったいどういう言葉であれば、夕日お嬢様を気持ちよく送り出すことができるであろうか。
さすがのアンリ執事長も、全身全霊をかけて悩み抜き……そして出た結論は。
「お嬢様。国際テロ集団一斉摘発のお時間でございます」
「よぉ〜〜し! まかせなさい!」
すっかりリフレッシュした夕日は、気合を十分チャージできたようであった。アンリの送り出しに、陽気に敬礼をする。
「警部補神宮寺夕日、行ってまいります!」
「はい。東京の平和のためにご尽力くださるそのお姿こそ、私めの喜びでございます」
「姫。調査にお出かけの時間でございます」
ファイゼは、前もってシュラインから、桜子たちが、吉祥寺教会がらみの調査依頼を受けていることを聞いていた。従って、送り出しの言葉はこのようになったのだ、が。
しかし、である。桜子姫のミラクルロマンティックイリュージョンは、絶妙な脳内変換を行ったのであった。
(ええっそんなっ! ふたりっきりで教会に出かける時間でございますだなんて桜子どうしましょう。そんな突然のプロポーズ、まだ心の準備がっ!!!)
「……姫?」
「……お受けいたします」
「何が? 何を? あああの、姫〜〜〜?」
おっとり微笑んで頷くやいなや、ファイゼは手首をぐっと掴まれた。薙刀の使い手たる力強さで押さえられ、引きずられて行く。
実際には、引っ張られているのはファイゼの方なのであるが、傍目には、桜子がいかにも恥ずかしげに、エスコートに応じているように見える。
救いを求めて、ファイゼは振り返る。だがしかし。
「姫のご要望とあらば、どこまでもお供するのが務めだ」
「どうせ吉祥寺教会までは徒歩3分の道のりじゃ。きちんとお送りしてから、戻ればよかろう」
アンリと弁天は、揃って白いハンカチを振るのみであった。
† †
「フモ夫さんが戻ってこないんだけど……。やっぱり、私も桜子ちゃんと一緒に出れば良かったかしら……」
ご主人様がたの送り出しを終えたあと、臨時バトラー&後方スタッフ一同は、後片づけかたがた、簡単な打ち上げを行っていた。
シュラインは、すぐに桜子の後を追って吉祥寺教会へ行こうとしたのだが、弁天に無理に引き留められてしまい、ジェームズの入れてくれた珈琲を飲んでいるところであった。
聖人のスイーツも、スタッフ用にふんだんに振る舞われている。業務中は心で血涙を流しながら、お菓子に気を取られないようにしていたシオンと葛も、今はとても幸せそうにプチフールを頬張っていた。
「瓢箪から駒で、桜子姫と電撃挙式に走ったやも知れぬぞ。まあそれはそれで、フモ夫の人生じゃ」
「まさか。一番可能性が高いのは、幻獣ライターとして、なしくずしに調査依頼に加わった、というあたりなんじゃない?」
(あのージェームズさん、葛さん。私思うんですけれど、『吉祥寺教会マリア像連続お供え物事件』の犯人は、案外、この公園の関係者なんじゃないでしょうか?)
(そうだね、シオンさんの言う通りかも。お供え物は和風スイーツばっかりだったみたいだし、もしかしたら、今旅行中の、井之頭本舗の女の子たちかも知れない。あ、でも、動機が不明だな)
(弁天さま以外の聖なる女性に、たまには救いを求めたい、というところでしょうかね)
腕利きの調査員でもある週末のバトラーたちは、珈琲とスイーツの香りが立ちこめる中、弁天に聞こえぬよう、小声で推理を展開していた。
弁天はといえば、すっかり上機嫌で、
「ほっほっほ。楽しかったのう。して、シュライン主任。『けも耳ドジっ娘メイドカフェ』はいつ頃開店すれば良いと思うかえ?」
などとぶち上げ、子うさぎに戻ったアンリを肩に乗せてしみじみ珈琲を飲んでいた蛇之助を、思い切り青ざめさせたのであった。
===== CLOSED === ===
執事喫茶『への27番+スペシャルα』
=================
またのご帰宅を、お待ちしております。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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(週末のご主人様がた)
【0187/高遠・紗弓(たかとお・さゆみ)/女/19/カメラマン】
【1009/露樹・八重(つゆき・やえ)/女/910/ 時計屋主人兼マスコット】
【1253/羽柴・遊那(はしば・ゆいな)/女/35/フォトアーティスト】
【3164/津田・香都夜(つだ・かつや)/女/26/喫茶店従業員】
【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女/23/警視庁所属・警部補】
【4164/マリオン・バーガンディ(まりおん・ばーがんでぃ)/男/元キュレーター・研究者・研究所所長 】
【4859/京師・桜子(けいし・さくらこ)/女/18/高校生】
【4958/浅海・紅珠(あさなみ・こうじゅ)/女/12/小学生・海の魔女見習】
【6235/法条・風槻(のりなが・ふつき)/女/25/情報請負人】
(週末のバトラーズ)
【1312/藤井・葛(ふじい・かずら)/女/22/学生/紗弓お嬢様担当】
【3356/シオン・レ・ハイ(しおん・れ・はい)/男/42/紳士きどりの内職人+高校生?+α/風槻ご主人様担当】
【5128/ジェームズ・ブラックマン(じぇーむず・ぶらっくまん)/男/666/交渉人&??/紅珠お嬢様担当】
(週末の後方スタッフ主任)
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
(スタッフ一同)
【田辺・聖人/四つ辻茶屋より/パティシエ兼フットマン/マリオンお坊ちゃま担当】
【野田・灯護/熊太郎派遣所より/フットマン/八重大奥様担当】
【糸永・大騎/tailor CROCOSより/テーラー兼フットマン/香都夜様担当】
【デューク・アイゼン/『への27番』より/フットマン/遊那様担当】
【ファイゼ・モーリス/『への27番』より/フットマン/桜子姫担当】
【アンリ・オーギュスタン/『ろの13番』より/うさ耳執事/夕日お嬢様担当】
〜その他、井の頭公園内より(元)執事長とか後方・厨房・雑用担当とかetc.
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■ ライター通信 ■
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こんにちは。
あんまり変わりばえしない〜とか言っておきながら、未だに納品一覧で自分の名前を見るたびに、「だ、誰?」とか呟いてしまう神無月まりばなです(どうでもいい)。
この度は、執事喫茶シリーズ(えっ?)にご参加くださいまして、まことにありがとうございました。ノリの良い皆さまに恵まれ、またWRの暴走も加わり、これこのとおりでございます。OP公開段階では登場予定に入ってなかったアンリ元帥ですが、某さまの素敵プレイングにより、執事として召還させていただきました(うさ耳執事のキャラデザは、meg絵師の発想に基づいております)。
うさ耳執事はイベント要員ですので、普段は裏に隠れてますが、イラストサイド募集時には、皆さまのお目に止まる場所に出しておきますね。
ノベル反映後、meg絵師の【tailor CROCOS】にて、異界ピンナップを募集予定です。宜しかったら、想い出のワンシーンをアルバムに加えてみませんか?
□■シュライン・エマさま
シュライン主任には、いつもいつも(エンドレス)お世話になりっぱなしで。フロアスタッフの年齢層アドバイスには、素で目ウロコでした。アンリ元帥召還、ありがとうございました!
□■高遠紗弓さま
初めましてお嬢様! ゆっくりお過ごしになられましたでしょうか? 10代にして仕事漬けの日々を送っていらっしゃるお嬢様が、せめて火を噴出なさらないよう、ささやかな癒しになりましたら幸いでございます。
□■露樹八重さま
初めまして大奥様! 物陰からこそっと前回の異界ピンを拝見し(ストーカー?)、あまりの愛くるしさにさらって逃げたくなりましたよ(問題発言)。スイーツは、ご満足いただけましたでしょうか?
□■羽柴遊那さま
いつもありがとうございます遊那様。おおぅ……。これは……。いつにも増して何と麗しい。レディのお手本を見せていただき、ありがとうございました。
□■藤井葛さま
『ハリセン執事』の称号(称号って)をつけさせていただこうかと思ったのですが、作中では思いとどまっていらっしゃいますものね。でもおそらく、後方で弁天に何度か炸裂したのではないかと。
□■津田香都夜さま
ゲーム世界以来でございますね香都夜様。大騎さんとの掛け合いは淡々とクールなのですが、服の仕立てというのは、それだけで、そこはかとなくセクシーさが漂い、WRはときめきましたです。
□■シオン・レ・ハイさま
おお、二度目ましてー。シオンさまのお姿も異界ピンで拝見し、胸の動悸を押さえるのに苦労しましたことよ。『執事養成ギブス』、激ツボでございました。
□■神宮寺夕日さま
初めましてお嬢様! お嬢様のことは前々から気になっておりまして、フォークダンスDVDでお見かけしたときはドキドキでした。テロ摘発、頑張ってください(違
□■マリオン・バーガンディさま
いつも大変お世話になっておりますお坊ちゃま。馬にお乗りあそばしての登場シーン、さすがです! 書きながらくすくす笑っておりましたよ〜。
□■京師桜子さま
初めまして姫! 姫の妄想、もといロマンティックイリュージョンはとても素晴らしゅうございます。フモ夫はお好きになさってください。1、2本、髪の毛(羽毛)を引っこ抜いておくと、あとあと重宝しますよ。
□■浅海紅珠さま
こちらの方が先のお届けになりますが、依頼では初めましてお嬢様! 最年少のご主人様でいらっしゃいますな。レディ修行はなさらなくても、十分魅力的だと思いますですよ。
□■ジェームズ・ブラックマンさま
初めまして! ご活躍はかねがね、物陰から拝見しておりました。いらしてくださって嬉しゅうございます。お料理上手なのをいいことにまかないまで作らせ……(げほんごほん)
□■法条風槻さま
初めまして風槻様! お蕎麦を食べたくて入ってしまったというプレイングが、さりげなくも秀逸で、ついつい鬼鮫さんを召還してしまった次第です(おい)。沈着冷静なご様子に、大物の風格を感じました。
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