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眠れる道
相変わらず暇な草間興信所を、一人の宝探し屋−トレジャーハンターが尋ねていた。名を、藤代・柾弥と言う。まだ二十歳には届いていないだろう年頃に見える。
興信所にある綺麗に保たれているがくたびれている感はどうしても拭えないテーブルに、怪しげな物を乗せていた。
「ささ、怪奇探偵。お土産だよ」
「んな事言われてもなぁ・・・・・・」
スポーツ新聞から顔を出した草間は、ちょっと困って頭をかいた。
柾弥が持ってきたものは、“ウシャドの護符”と言う物で、土色をした模様はピラミッドの壁画に書かれている様な絵柄で、しかも目の部分だけが描かれていた。手の平サイズなので持ち歩くには邪魔にはならないと思われる。なんでもエジプト辺りのありがたいお守りらしいのだが、草間はこれだけ怪奇・オカルト現象に見舞われていながらも、お守りの類のご利益を信じていない。だから正直受け取る気は無いのだが、かと言って折角自分のために持ってきてくれたものを受け取らないというのも薄情な気がするので、困っているのだ。
「これ、結構人気なんだよ。だから数は沢山あるけど、結構値も張るし。あ、安心してよ、これ、人から貰ったもんだから。別にわざわざ買ってきたわけじゃないからさ」
「そんな簡単に貰えるモンなのか」
「簡単って言うか、頼まれて発掘作業手伝ったら、相当数の出土品が出てさ。場所を俺が探し当てたから、お礼で貰ったんだ。謝礼はちゃんと貰ったんだけどね」
つまりこの護符はおまけという事だ。
「で、どのくらいの価値があるんだ?」
「えーと、今の相場だと・・・・・・大体五千かな」
「・・・・・・五千円ぽっち?」
高校生のお小遣い程度の金銭的価値で“結構値が張る”とは大袈裟に過ぎるのではないだろうか。トレジャーハンターなんて夢のある職業は、やっぱりあんまり儲からないのかもしれない。
「違うよ、ドルだよ、ドル。だから日本円にすると・・・・・・五十五万八千三百円十七円」
ぶほッ!
草間は飲んでいたコーヒーを思い切りスポーツ新聞に噴出した。それを見て柾弥が「汚ねぇ!」と掛かる距離に居ないのにもかかわらず飛び退った。
「そ、それじゃ、謝礼はいくらだったんだよ」
「確か十五万くらい。ドルだよ」
草間は現在のレートを正確には知らなかったし、知っていてもあまりに細かい計算になるので正確な金額は判らなかったが、単純に計算して、一千五百万相当だとアタリを付けた。
ちなみに正確な金額は、千六百七十五万四百十八円也。一ドル百十一円としての計算である。
「そんなに・・・・・・儲かるモンなのか?」
「貰えるけどさ、殆ど必要経費で取られちゃうんだ。設備投資や維持費も馬鹿にならないし。情報量だって高くつく場合が殆どだしさ」
「でも、儲かる事は儲かるんだな・・・・・・」
半ば呆然としつつ、草間は呟いた。今さっきまで、ノリの軽い今風の少年だった柾弥が急にセレブに見えてくるのだから、人間というものは単純なものだ。
「怪奇探偵、俺達の仲間入りしたいの?」
「別にそういう訳じゃない・・・・・・とは言い切れないな。はっきり言って羨ましいぜ」
「・・・・・・じゃさ、試しに暗号文解いてみる?」
「は?」
「丁度一つあるんだ。俺はもう解いちゃったから、練習問題って事で」
言って、学生服の上から着込んでいるアサルトベストのポケットの一つから、丁寧にたたまれた紙片を取り出して、草間に見せた。
そこには、こう書かれていた。
<Per per cantare, elogiate ed elogiate、Fondazione della Repubblica!
ここが何処だと答えたら、私の命はお終いだろう。
だが敢えて問う、私は何処に眠るのか。私の眠りを妨げ白日の元に照らす為に。
“時間を知らせる鐘が三度鳴った時、二柱の悪魔と同じ数の神が、一羽の不死鳥を四本の薔薇と六つの罪を永遠に眠らせる為に二度裁きを下した。
十一人の旅人は守護するべく聖地を七度訪れる。”
この場所に私は眠る。私の居場所を示す標が眠る。
さあ、私の眠りを妨げる為に、標を探し出すといい。さすれば富と栄誉が手に入る。>
日本語で書かれていた。パソコンで書かれていたものをプリントアウトしたものだろう。角張った字が圧迫感を誘い出している。そもそも、出だしの一文、何語なんだ?
「俺さ、これから日本を離れるんだ。だからそれまでに解ければ、次の探索に連れてってあげるよ。別に誰かと考えてもいいよ」
余裕綽々と言った笑みで草間の手に紙を握らせた。
「お前が考えたのか?!」
「違うよ。とある場所から見つけたんだ」
「ヒ、ヒントないのか。ヒント!」
「そーだなぁ・・・・・・六十年前の六月二日に共和国になった国の言葉・・・・・・って、ここまで言ったらヒントっつうか、答えに近いな・・・・・・」
言い過ぎたぁ、と柾弥は頭をかかえた。本人はそこに辿り着く迄結構苦労したのかもしれない。
「ま、いいや。危なくないだろうし。じゃさ、怪奇探偵、俺今日から三日間日本出るから。帰ってくるまでがタイムリミットだよ。ま、気負い過ぎずに頑張って」
それだけ言って、柾弥は足取り軽く興信所を出て行ってしまった。
残された草間は紙を睨みつけて、必死に暗号を解こうとはじめた。
机に座って、草間は随分長い間―数時間も延々と唸っている。彼の前には程よい温度のブラックコーヒーが鎮座している。それは、事務員のシュライン・エマが根を詰めすぎないように、と頃合を見計らって出されているものだった。
来客用のソファには、ケヴィン・トリックロンドと、白梅・東薫(しらうめ・とうくん)が同じように草間を見つめていた。ケヴィンは愉快そうに、東薫はちょっと心配そうに。
彼らの手元には白い紙が一枚。草間が受け取った、暗号文の手書きの写しがあった。それは先程シュラインが書き写したものだ。
そもそも、草間は序文のアルファベットの羅列が何語なのかで煩悶している。
この場に居る草間と零以外の三人、シュライン、ケヴィン、東薫は、判っている。
それはイタリア語で書かれたものだ、と。
ケヴィンとシュラインは語学堪能でイタリア語もナチュラルに読み書きできるし、東薫もイタリア語は大雑把にしか判らないのだが、ラテン語を正しく理解出来ているので殆ど変わりのないイタリア語も難なく受け入れられている。
シュラインと東薫は唸っている草間に対して、簡単に判っているのが何となく言い出しづらく見つめているのだが、ケヴィンはあからさまに楽しんでいる。この間興信所に来た時はチュッパチャップスを始終舐めていたが、今回はシャボン玉を持参している。しゃこしゃこと音を立ててプラスチックで出来たピンクの小瓶に吹き筒を出し入れさせている。
「・・・・・・イタリア語、ですよね」
「・・・・・・イタリア語、よねぇ」
「イタリア語だよぅ。簡単じゃないの」
シュラインと東薫が草間に気を使ってこそこそと確認しあっているのにもかかわらず、ケヴィンは何も気にせずケタケタと、しかしどこか無邪気に笑う。
草間はちゃんと聞こえていた。自分以外全員知っていたのに結構ショックだったらしい。慌てて受話器を手元に引き寄せ、ジーコロジーコロと番号を回す。
ちなみに、草間興信所の電話がプッシュフォンではなくダイヤル式なのはアナログ気取りなのであって決して新しい電話を買う余裕がないからではない。勿論。
「でも、どんな意味を持っているんでしょうね。っと、歌う・・・・・・賞賛、でいいのかな。それに共和国の創設・・・・・・」
「歌うように褒め称える・・・・・・かしら」
「共和国制定を、ですかね」
「でも後の日本語訳された文章を考えると、あんまり関係性は見えないわ」
「確かに。とりあえず、意味は置いておきませんか。解読すればきっと自ずと意味も見えてきますよ」
「ま、とにかく、60年前の6月2日は国民投票で共和国に制定された日だから、イタリアが関係してるってのは、ガチだね」
何も考えていないように見えるケヴィンだが、月日まで正確に言い当てられるあたり、存外博識なのかもしれない。ケヴィンはシャボン玉を作り出した。それは開けた窓からの風に乗って、少しだけ空を舞い、そして消えた。
「数字だけ見ていると、サマータイムを連想してしまうのよね」
コーヒーを一口飲んで、シュラインはのんびりとした口調で述べた。彼女は草間ほどやっきにはなっていないようだった。ちょっとしたゲーム感覚で参加しているらしい。シュラインは別にトレジャーハンターになりたいとは思わないので、解けても解けなくても困りはしない。
「ほら、3月最終日曜から10月最終土曜まで、8時間の時差が7時間になるでしょう・・・・・・イタリアじゃないから関係ないか」
嘆息しつつ、シュラインは自分の意見を取り下げた。
「共和制の大元は、エマヌエーレ二世だよね。アレだけど。王様だけどさ」
「イタリア王国の初代国王でしたっけ」
「名君とは言えない人だったみたいだけどね」
くつくつと楽しそうに、ケヴィンは笑う。
エマヌエーレ二世は1861年に国王宣言をし、イタリアを統一したのだが、南部の貧困層の生活改善がされないなど不満が残り、大量の匪賊・移民が生み出した。未回収のイタリア領を外国に残し、それが第一次大戦までの禍根を残す事となる。功績の為か権力の故か、彼の名を冠した記念堂やガッレリア(アーケードの事)が多数ある。
「それか、歌と讃えるという所から、“マメーリの賛歌”とかは関係しているのかな」
「なんですか、それ?」
「ん、イタリアの国歌だよ。イタリアの解放への喜びと情熱を歌ったものさ」
「ケヴィンさんて」
シュラインが関心したように、そしてどこか意外そうに、
「結構、物知りでらっしゃるのね」
「まーね〜♪これでも結構長生きしているから」
さらさらと波打つ金髪をかき上げながらケヴィンは答える。その様子は午後の光を浴びて眩しいほどに輝いている。
話し方や態度が無邪気なのでちょっと判り難いが、ケヴィンの今の姿はまるで宗教画の様に優しい笑みををまとっている。
そんなケヴィンを東薫は失礼にならないようにと気をつけながら、まじまじと見つめた。長生きしていると言ったのだが、どう見ても東薫自身と10歳は違わない様に見える。しかしすぐに疑問は捨てた。世の中は広いのだから、多分歳を取らない人間が居る事だってある。自分は歳を取るだけなのだ。
「私は、数字の多さや語句も気になります。ちょっと不自然な感じがしませんか?」
「単語が何らかのヒントになっているのかしら?」
「確かにたくさんあるよねぇ」
コーヒー用のスプーンを咥えたケヴィンが言う。そして紙を暫くじっと見つめる。
「不死鳥はフェニーチェ劇場を連想させるわ。薔薇も、戦争やペストをね。聖地は十字軍かしら・・・・・・。そうなると、イスラエルの辺り?」
「でもそれなら、イタリア語の意味があまり無いと思いますよ?」
「そうよねぇ。なんなのかしら?」
再びシュラインはコーヒーに口を付ける。
「薔薇は色んなエピソードがあるからねぇ。具体的になにを示すかって言うのは、ちょっと難しいかもしれないよ?」
「ケヴィンさんの仰るとおりですね。中世ヨーロッパではバラの芳香が“人々を惑わすもの”として教会によってタブーとされ、修道院で、薬草として栽培されるにとどまったっていうものもありますし」
「ナポレオンの最初の妻は夫が戦争をしている間も、敵国とバラに関する情報交換や原種の蒐集してたと言われているわね」
「イスラムじゃあ、イスラム世界では白バラはムハンマドを、赤バラが唯一神アッラーを表すとされたって言うしね。それと、“Rosa d' oro”って言う言葉があってね。それは教皇から贈られる最高の栄誉なんだってさ。だからキリスト教徒も薔薇は密接な関係があるんだよ」
露骨にウンザリとした様子でありながら、ケヴィンは宗教にはなかなか精通しているらしい。そしてその様子のまままたシャボン玉を作り出す。
「じゃ、推測出来る地名を方角とかに置き換えて、数字を緯度経度に角度等でイタリアの地図に照らし合わせてみる?」
「なるほど、言われてみれば。もしかして、場所からまっすぐ線を引いて、全ての線が交わった所とか、考えられますね!」
東薫が活気付く。思わず立ち上がったので、テーブルに足をぶつけて痛がった。ケヴィンがシュラインにイタリアの地図を催促し、シュラインが自分のデスクの引き出しを開けて地図を探している。
草間は何かボソボソと電話の相手と会話している。シュラインがデスクに居る間、草間はシュラインの様子を伺いつつ電話をしていた。口元も手で覆っている。
恐らく、誰か頼れそうな相手に電話をかけて、文殊の知恵な自分達よりも早く解こうとしているのだろう。
シュラインは苦笑した。
自分は宝を見つけたいとはそれほどは思っていない。それはあれば夢があるし楽しいけれど、誰かを押し退けてまで、という気構えではない。東薫もそんな様子に受け取れる。ケヴィンに至ってはただ状況を楽しんでいる様子だ。
つまり、草間は杞憂しているだけなのである。
地図はイタリア全土がぴっちり掲載されている物はなかったが、主要国が大きく載せられている世界地図があったので、それを手に取った。
「これでどうかしら」
「ありがとうございます」
「どれどれ〜♪」
三人が狭いテーブルに額を寄せ合い地図を覗く。そのまま考えられる地名や施設に印を付けていこうとしたのだが・・・・・・。
あまりに大雑把な単語なので、なかなかはかどらない。シュラインと東薫はそれでもなかなか粘っていたのだが、ケヴィンはさっさと飽きて、草間にちょっかいを出そうとしてかなりの怒声を浴びせられていたが、めげる様子もなくシャボン玉を創り窓の外へと送り出している。
「・・・・・・ちょっと思ったんですけど」
「ええ」
「これ、単語をイタリア語に直してみませんか?それで、その単語の頭から何番目かの文字を抜き出して・・・・・・」
「そうか、数字は単語の場所を示しているのね?」
言うが早いか、シュラインはデスクからノートとペンを持ってきた。一応辞書も探したのだが、生憎草間興信所には和伊辞典はなかった。最近は言葉の意味を調べるのにもインターネットの方が手軽な所為かもしれない。文明が普及すると利便性は格段に上がるが、その分楽が出来すぎていささか良くないとも思う。
シュラインとケヴィンがイタリア語に精通しているし、ネットも使えるので誤った単語を出してしまう恐れは無い。新しいノートパソコンがシュラインの私物で、厚みがあり少しカーキ色に変色している物が興信所の備品である。
「ケヴィンさん、ちょっと手伝って下さる?」
「はいはーい、今行くよ〜♪」
草間は何をしていたのかというと。
電話をしていた。
いや、それは判りきっている事なのだが、電話をした相手は、ササキビ・クミノという女子中学生だった。勿論下心はない。疚しくない下心はあったが、人はそれを下心とはあんまり言わない。底の浅い企みという。
ジリリリリン、という電話そのものと同じ様に時代がかった呼び出しベルが耳の奥で鳴り響く。そろそろうちの電話も買え頃かなぁ、とため息交じりに思うのだが、草間の貰っているお小遣いを振り返るとまだ早いかもしれない。どうせなら最新式でFAXが付いていて、メールとかもできるなんたらモードが付いたやつがほしい。
『もしもし』
「お、クミノか?今大丈夫か?」
『この電話番号は私のものだし、大丈夫じゃなかったら出ない』
無愛想、というほどのものではないが、冷静なトーンの幼さが残る声が届く。間違いなく、ササキビ・クミノのものだった。
『それで、何の用だ?』
「あぁ、イタリア語、判るか、お前」
『イタリア語?』
電話の向こうからの声で、首を傾げているような気がする。
『連絡してきたかと思えば、突然そんな事か?私は現役の中学生なんだぞ、それを何だと思っているんだ?』
「う」
当然のクミノの主張に草間は反論できない。受話器を持ったまま二の句が告げず、暫く二人の間には沈黙が流れる。
『・・・・・・イタリア語は、単語を幾つか知っている程度にしか知らないけど』
「それでも俺よりはマシだろ」
『まぁ、それでいいなら、協力する』
少しだけ照れた様子が電話越しにも伝わる。
クミノは言い方がクールだから誤解されがちだが、無感情ではない。協力を求められるのはクミノにとって喜ばしいことなのだが、暇を持て余しているのではないから無条件では喜べない。
「そう言や、お前今何してんの?ちゃんと学校行ってんのか?」
『この間草間から頼まれた、“掃除”の最中』
草間の動きが止まる。クミノには見えないのだが、笑顔も張り付く。クミノに対して吹かせていた人生の先輩風も止む。代わりに心にブリザードが吹き荒ぶ。
よく聞き耳を立ててみれば、恐らくは銃声と思われる音が響いている。
「お、おい。俺が言うのも何だが大丈夫か?」
クミノの実力は熟知している草間だが、音だけだと流石に心配になる。なんと言ってもクミノは中学生で、草間の半分も生きていないのだ。
それに何より、女の子である。痕に残る様の傷でも付いたら一大事だ。
『別に、大丈夫。この位は大した事ない』
「ならいいんだけど・・・・・・」
『それより、用件は?』
「あ、それがな・・・・・・」
バックコーラスに銃声と振動音がセットされた状態で、草間は暗号文を口頭で伝え、シュライン、東薫、ケヴィンが話していて没になった解読法を伝えた。
途中でケヴィンが絡んできた。シャボン玉を草間の顔に吹き付けてくる。
「Mr.探偵、誰と電話してんの〜?」
「うるっせぃ!暇人は黙ってろっ!!」
怒声をあげて追い払う。シッシッと犬を払う仕草をしたが、ケヴィンは全く答えている様子はなく、相変わらずケタケタと笑いながら、再びシャボン玉の作成に勤しんでいる。
気楽でいいよなぁ、とついつい羨んでしまう。
確かケヴィンは、あの手この手そっちの手を使ったのか、スタンダードに小汚い手を使ったのかは判らないが、今は臨時とはいえ現職の神聖都学園の英語教師を勤めているし、前に少し聞いたのが、戦時中のどさくさに紛れて財を成した貿易商だと言っていたので、小金持ちなのだ。
シュラインにも翻訳家としての収入はなかなかのものらしいし、東薫も大学生だから社会人ほどの生活費は必要としていないだろう。
クミノだって巨大テーマパークへの商品供給契約ほ持っているし、ネットカフェも4つ経営しているのだ。
つまり、貧乏なのは草間だけ。
他人の芝生は青く見えるのではなく、本当に青々と茂っているのだ。
「・・・・・・ってな具合なんだ」
『ふぅん・・・・・・そうだな、私なら』
また銃声。硬いものを蹴飛ばす気配と、着弾の音。同じ様な硬いものが崩される音とそれが地面に落ちていくのが手に取るように判る。
「お、おい。大丈夫か!?」
『大丈夫だってさっきから言ってる。それより、数は単語の頭から何番目かを表し、それだけ取り出して繋げて読む。そういう解放を取る』
「おぉ〜!なるほどな、すごいな、クミノ!で、答えは?」
『そこまでは判らない。調べる暇だって・・・・・・』
爆音。
草間の耳の置くがキーンと高鳴る。タッ、と軽い足音がしてまた着弾の響き。草間は三度冷や汗をかいた。
『そうだな、薔薇はROSAだから、多分A。不死鳥は・・・・・・判らない、英語ならphoenix・・・・・・後はギリシア語しか判らない。同じ語圏だからPでいい?』
「ま、似たようなつづりになるだろうから平気じゃないか?」
実際には全然違うのだが、知らなくてもまあ生活していくのに困りはしないだろうから大丈夫かもしれない。蛇足ながらギリシア語で不死鳥はphoenix、ポイニクスもしくはフィニクスと読む。
『ごめん、後は自分で調べて』
途端に声の調子が下がる。一瞬、流れ弾にでも当たったかと思ったのだが、怪我をしたわけでは無さそうだった。
「何だよ、急に。それに謝る事はないさ、十分なアドバイス貰ったからな」
『でも、結果として時間内にちゃんとした答えを出せなかった。負けなのだ。今忙しいなんて言い訳にならない』
責任感の強いクミノとしては、全然納得できないのだろう。最後にポツリと、
『・・・・・・後でそっちに行く』
そう少し落ち込んだ調子で呟いて、電話は切れた。
そして一方その頃。
シュライン、ケヴィン、東薫は、文中からそれらしき単語をチョイスしていた。
「出だしは、やっぱり時間、でしょうか。鐘よりもなんとなくしっかりする気がします」
「時間はtempo。3度鳴った、だから、Mになるね」
コーヒーカップを高々と掲げて、雫を口にポタポタと入れていく。お行儀が宜しくない。
それを見たシュラインが、台所へと向かう。横目で東薫のカップを見ても、残りはわずかになっていたし、自分の分もすっかり冷めてしまっている。
「武彦さんは何かいる?」
「シュライン」
「・・・・・・え?」
「草間さん、なにもこんな公衆の面前で言わなくても・・・・・・」
「わはははは、大胆だねェ、Mr.探偵〜♪」
さり気無い草間の爆弾発言に興信所は騒然とした。
当の本人は「うん?」と顔を上げて平然とした顔をしている。
「ウチにイタリア語の辞書って、無かったっけか」
「え!?・・・・・・あ、と、無いわ、よ」
「そっか。んじゃ、パソコンで調べるわ。これインターネット使えるよな」
「ええ、大丈夫よ」
サングラスを(草間は室内でもサングラスをかけているのである。トレードマークといえば聞こえはいいが、単に格好をつけているだけである)少し押し上げて角度調節し、カーキ色のパソコンの電源を入れた。
シュラインは嘆息して頭を振った。そして何事も無かったかのように台所へと向かい、4人分のコーヒーを新しく淹れ直した。
東薫は、自身は何もしていないのだが、なんとなく居た堪れなくなって思い切り棒読みな口調で話を戻した。
「つ、次は、“二柱の悪魔と同じ数の神”でしょうか!?悪魔と神の2番目の文字を抜き出してみましょう!」
通常よりも2.7倍程(当社比)の大声で、東薫が言う。
Mの隣にペン先を合わせて、ノートパソコンのキーボードを叩く。
「悪魔はdemonio、神はdioだから、EとIか」
「そういえば、神よね。ディオって」
コーヒーを各々の前に並べたシュラインがポツリとこぼした。
ディオと聞けばついあの人を連想してしまうのも無理は無い・・・・・・と言いたい所だが、あまりシュラインとは縁が無さそうなので、ちょっと知っていることに吃驚だ。
何の事か見当も付かない方はそれでいいと思われる。知らなくても問題の無い事は世の中に沢山あるのだ。
「もし異教の神だとちょっと表現が変わるけどね、どっちにしろ、2番目の文字はIだから平気かな」
さっそく新しいコーヒーに、砂糖ポッドから砂糖をダバダバと注ぐケヴィンを、東薫は脱力しながら見ていた。人の嗜好に口を出すのは行儀が悪い。気持ちを切り替え、ノートにMとEとIをほんの少しだけ文字と文字の間を空けて書き込んだ。
「M E I・・・・・・。メイ、でいいのかしら」
楽しくなってきたのか、シュラインが笑った。コーヒーを先に持ってきて各自に配り、次いでこの間知り合いの編集者から、出張土産でくれたひよこの形をした饅頭を開けた。一番先に飛びついたのはケヴィンだった。気になったらしく、上下左右に見物している。食べたい欲求よりも、形にそそられたらしい。なんだかとても楽しそうだ。
「白梅さんもどうぞ」
「ありがとうございます。頂きます」
シュラインと東薫がほんわかした雰囲気で饅頭を食べている。東薫はそこに居るだけで人を穏やかな気持ちにさせる事ができるようだ。人徳の成せる業だろうか。
もくもくと食べつつ、解読を進めていく。
「不死鳥は、劇場と同じで、feniceで大丈夫ですよね。1羽だからFですね」
そしてまたノートにFと書き込み、そして薔薇のA、と続ける。
「罪は、確か・・・・・・crimineかしら」
「英語のcrimeだしね。condannareもそれっぽいけど、結局6番目にNがくるから、まあダイジョブでしょ」
とうとうひよこ饅頭を口にしたケヴィンが、餡子の付いた指を舐めつつ答えた。ケヴィンは1個目は頭から食べ、2個目は尻尾の方から食べている。
「気になるのは、永遠と、裁き、だわ。二度のすぐ後に裁きが来ているし、文章的に二度の永遠、なんておかしいでしょう?」
「でも永遠という言葉は気になりますよね」
「保留にしておく?後で埋めればいいんじゃないかしら」
「・・・・・・ですね。えと、裁きと永遠の2番目の文字・・・・・・」
eteroとverdettoと、ノートの端に書き込み、その2番目の文字、TとEをまるで囲む。今までの引き抜いた文字の間を他のものよりも空けて、次の単語に取り掛かる。
「旅人でいいわよね。えーと・・・・・・viaggiatore、ね。Eだわ。・・・・・・あら、セールスマンとか、外交員っていう意味合いもあるみたいよ」
インターネットで調べ、日本語訳されているほかの単語を見て、ほくほくとした様子でシュラインは画面を見つめている。
シュラインの言葉を受けて、東薫がEと書き込む。ケヴィンはどんどんとひよこ饅頭を食べながら、草間をチラチラと見ている。何かを企んでいそうな顔である。
草間は非常に苛立っていた。何度もエンターキーを叩いている。別にパソコンが扱えないわけではなく、古すぎて、読み込みが時間がかかっているのだ。その為に苛々しているのだ。
ケヴィンはニヤリと笑い、腰を屈めてそろそろと草間のデスクに近付いていく。髪が膝裏まで伸びているほど長いので、床をこすっている。なので、左手で腰に乗せるようにした。
コンセントをから伸びるコードに手を伸ばし、草間の様子を伺う。ほんの少しの後、草間が破顔した。それを視界に入れた瞬間、ケヴィンはコードを思い切り引き抜いた。
ブツッ。 ぶぃーん。
とても不吉な音がして、画面が漆黒に染まる。草間の手も止まる。
ケヴィンが大口を開けて、いっそ爽快なほどの大声で笑っている。シュラインと東薫はその笑い声に反応して二人の方を見るが、あまり事態が掴めていない。
「ケーヴィーンー・・・・・・!!」
「あっはっはっはっ・・・・・・って、なに、Mr.探偵?」
目じりに涙をためながらケヴィンが草間を振り返る。
客観的に見ると、草間はバックに炎を背負っているかの様な迫力があった。
が。
ケヴィンは草間が怒ってもそよ風程度にも感じないし、シュラインも同様だ。東薫にとっては離れた場所にいるし、まさかハードボイルドを気取っている男がわめき散らすとも思えなかったので、シュラインと東薫は二人を放っておいて解読に戻った。
「最後は、守護かしら」
「聖地7度じゃないでしょうか」
デスクの方から本が投げられる音がするが、二人は無視する。
ケヴィンが笑いながらそれをかわし、草間を余計に激昂させる。
「先程もありましたね、永遠と裁き。どちらにするか」
「そうね。もしかしたら、ある意味、ひっかけ問題的なものかしら」
「ひっかけ、ですか」
今度は先にケヴィンの軽口が聞こえた。それに草間が反応し、ますます怒りを冗長させる。その様子を耳に入れたシュラインの額に“怒りマーク”が見える。東薫は静かに怒り始めているシュラインの迫力に圧倒されて押し黙る。話しかけられる雰囲気ではない。
−Mr.探偵って意外とチキンだね、AHAHAHAHA!うるせぇ、いい歳した男がダラダラ髪伸ばしやがって!そんなの個人の好みじゃーん♪いーや違うね、お前は一昔前のヴィジュアル系バンドの一員か、一体幾つになったんだ、お前はっ!え、僕〜?やだなぁ、レディに歳を聞くなんてマナーい・は・んvって気色悪ぃん・・・・・・
「いい加減にしなさい、あんた達!!」
雷光一閃。
シュラインの一喝に、流石のケヴィンも迫力負けして動きが止まる。慣れている草間は即座に居住まいを正し、頭を下げた。
「すいません、ちょっと調子に乗りました」
「ぅわ、謝るの早、Mr.探偵」
それには東薫も同意見だったが、あの迫力には謝らざるを得ないような気がしてくる。続いてケヴィンも、母親に怒られた子供がする様に背中を丸めて、一応殊勝そうに、
「ごめん、missエマ」
「判れば宜しい。あんまり騒ぐと、他の階の皆さんにもご迷惑でしょう。二人とも、子供じゃないんだから、あんまり騒いでは駄目よ?」
さすがというべきか、一喝しておいた後で、優しく諭す。何故か効き目がいいのをちゃんとシュラインは心得ている。
「とりあえず、今までの文字はどんな感じになった?」
「そうですね。M E I F A T E 、です」
ケヴィンが東薫の肩越しに紙を覗く。草間は気になっているようなのだが、プライドが邪魔して仲間に入れない。
「めいふぁ て ・・・・・・で、いいのかな?イタリアの地名にそんな所あったっけ?」
珍しく真剣な顔でケヴィンは頭を捻る。極楽トンボが飛んでいそうな言動をする時がままあるが、ケヴィンの頭は悪くない。むしろ回転なら結構速い方だ。
「メイファ、で検索してみましょうか。イタリアの地名だったら、ヒットするかもしれませんよ」
東薫はシュラインに一言断り、前を遮りインターネットに接続しようとした。
「でも、日本国内の可能性もあるのではないかしら」
「え?」
検索しようとする手を止めて、東薫はシュラインを見た。何時の間にやら隣にはケヴィンが座っており、最後の一つになったひよこ饅頭の袋を向いていた。それを見た草間が慌てて奪う。どうも草間は一つも食べていなかったらしい。ケヴィンも取り返そうとしたのだが、またシュラインの怒られそうだったので、諦めた。
怖いものなど最早ないと思っていたのだが、よもや自分の1/5位しか生きていない様な“女の子”がこれほど怖いとは思わなかった。普段が親切で気立ての良いシュラインだからこそ、余計に怖かったのかもしれない。
そんなケヴィンのこっそりとした内心を知るはずもないシュラインは、とくとくと話を進める。
「だってほら、文頭以外日本語でしょう?どうしてイタリア語なのかは判らないけど、イタリアにあるのだったら、全文イタリア語で書いてあってしかるべきだと思ったの」
「そうなると、イタリア人が日本に隠した宝、と言う可能性もあるんですね」
ふぅむ、と東薫が眼鏡の位置を正して考え込んだ。
「じゃ、あれだ。電話帳で調べてみたら?メイファなんとか」
「ええ、そうね。じゃあちょっと待ってて、今持ってきます」
シュラインが席を立った直後、草間の背後の窓が大きく開いた。
・・・・・・“外”から。
突然のごうごうとなるビル風を背中に受けて、草間は驚いて振り返った。
そこには人の姿はなかったが、替わりに真横で革靴と床のぶつかり合う音がした。
ツインテールに結ってある艶やかな黒髪が風にさやさやと揺れ、季節に合わない白く品の良いコートがはためく。
ササキビ・クミノだ。
所々煤けてはいるが、本人に怪我はないようだ。
「来た」
「ぉ、おう」
ぱんぱんとコートを叩いて汚れを払う。
「どう?」
「おぉ、おかげでな、まずまず進んでるよ。辞書がないから遅いけどな」
「なら、いいんだ」
言ってすぐに興信所から出て行こうとするクミノは止めたのはシュラインだ。
「あら、すぐに帰る事ないじゃない。待ってて、今コーヒー淹れるから」
「・・・・・・お構いなく」
すとん、とあいているソファに腰掛ける。
「ごめんなさい、白梅さん。その棚の一番下に、確か電話帳あったと思うから、申し訳ないのだけど出しておいて頂ける?」
「判りました。じゃぁ、失礼して」
シュラインの指し示した棚の下段扉を開けると、丁寧に整頓されたファイルが沢山入っていて、その中から黄色い表紙のブ厚い冊子を取り出すのは簡単だった。
「状況はどんな感じなの?」
「取りあえず解析は出来たよ。ちょっと不明な箇所があるんだけど、そう問題にはならないと思う。君も、これを解いたのかい?」
今までとは少し東薫の言葉遣いが違ったが、その分年下に対する慈愛にも似た優しさが込められている。クミノは東薫が敵にはならないと悟ったのか、草間から聞いたことを簡潔に話した。
東薫の隣でそれを聞いていたケヴィンは、あからさまに情けないものを見る目で草間を見て、クミノであれば気絶するのは間違いないであろう甘いコーヒーをがぶ飲みした。
「じゃあ、僕達が出した答えと同じだね」
「そうみたい」
東薫が索引からメイファを引く為にパラパラとページをめくる。えてして電話帳というものはページが薄くてめくり難い。そして右側が徐々に重くなり扱いにくい。
必死で電話帳と格闘している東薫を横目に、クミノはシュラインが淹れたコーヒーを飲んで一息入れていた。ケヴィンもシュラインにおかわりを所望する。シュラインは再び台所に引っ込んだ。
草間が顔を上げたが、何か言いたそうに、しかし結局何もいわずにまたパソコンに向かった。まずは電源を入れなおすところからはじめる。勿論ちゃんとコードはコンセントに繋ぎ直した。
そして草間の隣にアイスコーヒーが置かれる。シュラインがケヴィンの分と一緒に淹れてくれたらしい。
−さすがはシュライン!
実は「俺もコーヒーいる」と言おうとしたのだが、ちょっとタイミングが合わず言えなかったのを、シュラインはちゃんと判っていてくれたらしい。
コーヒーを飲みながら草間はちょっと自慢気だった。
「これでしょうか。メイファンテイ、っていうのがありますよ」
「そうじゃない?メイファ、まで共通してるし〜」
またシャボン玉作りに精を出し始めたケヴィンが電話帳も見ずに答える。クミノはシャボン玉を作り出しているケヴィンをじっと見つめている。こういう子供じみた事をしている大人が珍しいのかもしれない。ケヴィンは一向に構わずに次々と作成して草間に吹き付けて嫌がられていた。
「どんなお店?」
「振り仮名しか書いてないんだ。でも、亭ってある所を見ると、飲食店じゃないかとは思うんだけど」
首を捻ってはみるが、勿論解決策は浮かばない。
東薫とクミノが揃って首を傾げている姿が可愛らしくて、シュラインの頬は自然に緩む。
「とりあえず、電話してみない?お店の方が何かご存知かも」
「じゃあちょっと電話してみましょうか」
携帯電話を取り出し、東薫がゆっくりと電話番号を押していく。
草間は諦めてしまったらしく、4人の側まで来て、煙草を吸い始めた。
電話を耳に当てて3秒しないうちに相手が出たらしく、丁寧な挨拶の後で用件を伝え始めた。暫くの簡単な問答の後、どうやら場所を教えられている様で、文字を書き出していた紙に地図を書き始めた。見ると、近場ではないが、興信所からそれほど離れていないようだ。
やがて、東薫が深々と頭を下げて電話の相手に礼を述べる。
日本人は何故見えない電話の相手に頭を下げるものなのか。だがいざという時頭を下げて挨拶が出来ないよりははるかにましだろう。
「メイファンテイは、アパートみたいですよ。これが地図です」
「あら。私何処かで聞いたことがあるような気がするわ」
「俺もだ」
シュラインと草間が顔を見合わせる。東薫もケヴィンもクミノも全く心当たりがなかったので、全員揃って、意味合いは違うが、同じ様に頭を傾げる。
「じゃぁ、行ってみない?」
ウキウキした様子でケヴィンが提案する。
全員が頷く。
つまる所、メイファンテイに行くより他に無いのだった。
各々荷物を持ち、興信所を出る。零には誰か来ても物騒だから開けてはいけない、と言い聞かせ、シュラインが興信所の鍵を閉める。所長である草間は鍵を持っていない。過去に3度鍵を無くし、その所為で1度空き巣に入られた事があるからだ。勿論、取られた物は何もない。しかし個人情報が出入りする職場であるから、せめて施錠くらいはきちんと出来ていないとマズいので、今ではシュラインが鍵を管理している。
そのシュラインは東薫に地図を見せてもらい、呟いた。
「うーん・・・・・・。この道、やっぱり見覚えがあるのよねぇ・・・・・・」
またじゃれ始めているケヴィンと草間を見て、東薫はクミノと並んで歩いているので、この二人の面倒をみるのはシュラインという事になりそうだ。
そっとため息をついたが、気を取り直してメイファンテイへの道を歩き始めた。
外は熱かった。日本は湿気が多いから、日陰にいても汗が止まらない。
5人はなるべく日陰を歩こうとしていたが、住宅街だったのでいまいち日陰には恵まれなかった。そんな中でケヴィンとクミノはコートをしっかりと着こんでいる。草間はコートの中に冷却装置があるのではないかと邪推している。
「あ、思い出したわ。前に来た事がある」
「メイファンテイにですか?」
「ええ、結構前なんだけれど、その・・・・・・マンドラゴラを捕まえてほしい、っていう依頼があってね、その子が住んでいるのがメイファンテイなのよ」
東薫の問いかけに答えつつ、シュラインはすっきりとした顔で納得している。
「それにしても、ケヴィンもクミノも熱くないのかよ」
すっかり暑さに参っている草間が、前を歩く名を呼んだ二人をうんざりと見る。探偵業にはクールビズは無い。
「何言ってんの、暑かったら脱いでるよ」
涼しい顔をしたケヴィンが答える。クミノも同感と言わんばかりに草間を見つめる。
「あ、あの建物みたいですよ」
地図と実物を交互に見ながら、東薫が額の汗を拭いながら言う。
指し示された木造のアパートの前には、一人の二十代後半の男性がほうきで掃除をしている。落ち葉は見当たらないが、埃の類が溜まっているのだろう。
彼がふと頭を上げたとき、5人に気が付き、温和そうな笑顔で会釈した。5人もそれに倣い、シュラインが一歩踏み出して用件を伝えた。
「ははァ。ウチのアパートにお宝がスリープしているのデは、と」
風通しの良い居間に通され、男性−このメイファンテイ(美鳳亭と書く様だ)の管理人が良く冷えた麦茶を振舞った。
シュラインが手際よく話しを進めたので、管理人はすぐに話を理解した。
「ウーン、デスけど、そんな話しは聞いた事・・・・・・。少ーシ待て下さいネ。思い出してみますカラ」
管理人は立ち上がり、電話代になっているチェストの棚を出し入れして、中の書類を確認している。
どうも知らぬ振りをしている様子には見受けられない。
クミノは麦茶と一緒に出された水羊羹を、ススっとこっそり隣のケヴィンに押し付けた。親切は嬉しいのだが、羊羹なんて食べたら気絶してしまう。クミノの行動はケヴィンには喜ばしい事で、唇を舐めて喜びすぐに口に運んだ。そんな様子を見て東薫がほのぼのと笑う。
「オーウ、コレなんかそんな感じデース」
何処と無くウキウキとして管理人がシュラインと草間に書類を見せた。
「地図ですか?」
「ハーイ。ジィ様から聞いた事アリマス。この美鳳亭ニハ地下道が広がてる聞きました、ソノ中に宝眠てルンじゃナイデショーカ?」
テーブルの上に広げられた地図は、随分古ぼけている。元々は白い用紙だったのかもしれないが、今では見る影も無く黄ばんでいる。書かれている文字は古臭く、昭和の香りどころか明治・大正の雰囲気を醸し出している。
「このアパートにはデスネ、入ってはイケナイ言われている部屋アリマス。ナニも無い部屋なのデスガ、この地図見るト、その部屋に抜け道アルポイデスね」
管理人の言葉を受けながら、5人はしげしげと地図を見た。
その地図はあまりに広大な縮図で、このアパートの近所一帯の地下に地下道が広がっているようだ。それも書かれているだけでも蜘蛛の巣のように道が張り巡らされていて、何の装備も無い今、地下に潜って宝探しをするのは困難だと思われる。
「折角辿り着いたのに、ちょっと残念ですね」
東薫が残念そうに笑う。シュラインもそれと同意見らしく、
「本当ね。でもなかなか楽しかったわ。今時地下道があって、そのどこかに財宝が眠っているなんて」
「でもさぁ、こんな暗号まで用意されてんだから、きっとデカい宝だよ?今度潜ってみない?なにも今日無理やり潜らなくてもいいじゃない」
2個目の羊羹をほうばりつつ、ケヴィンが地図の迷路を指でなぞりながら言った。薬指の繊細な細工の指輪が、午後の日差しを受けて輝く。
「呼んでくれればすぐに行くよ?」
クミノも草間を見上げて答えた。
何のかんの言いつつ、みんな宝探しにはロマンを感じているものらしい。
「そうね、これだけ広ければ財宝が一つきりではないでしょうし」
「楽しみになってきましたね」
雰囲気はもう“近いうちに地下道探索しよう”というものになっている。
管理人もその事については嫌がらなかった。条件が一つ提示されたが、それは土産話を聞かせる事、であったので、問題は無かった。
「あのトレハンのガキは放っておくか」
「仲間外れはちょっと可哀相だけどね。でもプロと競争しても勝ち目は無いでしょうし」
トレハンとはトレジャー・ハンターの略称らしい。そういえば、そのトレハンはとっくに暗号を解いていたようなので、もしかしたら既に何度か潜っているかもしれない。なので、フライングにはならないだろう。
「ジャ、この地図コピーしまショウカ。チョト待ってて下サーイ」
大分おんぼろなアパートだが、コピー機はあるらしい。しかも居間のすぐ側に。東薫の座っている位置からは白いコピー機が見えた。大学にあるような、スタンダードモデルのコピー機だ。
5分もしないうちに、週刊誌の見開き大の地図を5枚持って戻ってきた。
各々手に取る。
原本よりは少し見にくくなっているが、文字が潰れているほどではなかった。
「夜中はチョト勘弁デースガ、イツでも来て下サーイネ」
管理人は楽しそうだ。
「じゃ、アレだ。こっちで探索の目処が立ったら連絡すっから。お前らも何時でも来れる様にしとけよ」
「ええ、大丈夫よ」
「判りました。楽しみですね!」
「まぁ、暇なら付き合ったげるよ♪」
「私も時間が取れれば。興味ないわけじゃ、ないし」
何故か仕切る草間に、シュライン、東薫、ケヴィン、クミノが律儀に答える。
ケヴィンは地図を空にかざしている。
地図は日に透けて道や文字が見えにくくなっていたのだが、考えようによっては、この地図が“隠されていた財宝”とも言える様な、そんな気がした。
一枚の紙になかなかのロマンが眠っているのは、割合楽しいようにも思えた。
一同は管理人に礼を言い、美鳳亭を後にする。
次に来る時は、宝を探しに来る時だと、人知れず宣言しながら。
既に夏になった日の午後はまだ日が高く、茹だる様な暑さが続いていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1166 / ササキビ・クミノ /女性 / 13歳 /殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【5826 ケヴィン・トリックロンド /男性 /137歳 /神聖都学園英語教諭/蟲使い】
【6495 /白梅・東薫 (しらうめ・とうくん)/男性 /26歳/大学院生】
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■ ライター通信 ■
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いつもお世話になっております、そしてはじめまして。八雲 志信です。
今回は謎解きをして頂いて、財宝発掘はまた次回、という事にさせて頂きました。
いつか発掘して頂きたいと思っております。その時はご縁がありましたら、どうぞ宜しくお願い致します。
この度はご参加誠にありがとうございました。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
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