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<東京怪談・PCゲームノベル>


路地裏のジャム・セッション -Don’t be stupid for love-


 東京場末のジャズバー『Escher』の経営スタイルが気紛れなのは、今に始まったことではない。
「ちょっと店でもやってみるか」的な店長の気紛れで開店し、「本日は私情により閉店」などという張り紙が出されるのは日常茶飯事、営業時間も適当ならライヴのスケジュールまで適当、とにかく適当尽くしの自転車操業ン十年、であった。それで良くこの経済破綻も甚だしい変遷の時代を生き抜いたものである。いや、こんな場末のバーなんぞ日本の経済は相手にしてくれなかったからこそ生き抜いてこれたのかも。言わばアウトオブ眼中というやつで。
 月浦壊璃がパフォーマンスをすることになったのは、そんな店だった。
「大丈夫、なんでしょーね」
 調律が半音ずつ狂っていてもおかしくなさそうなボロいアップライトピアノと、Escherのアルバイト店員・橘夏樹の顔を交互に見比べ、壊璃は不安を拭えずに言った。
「何が?」
 顔の前で手を組み合わせ、にこにこ笑顔で首を傾げる橘夏樹、営業モード。
「いや何がってさ……演奏引き受けるのは良いけど、客は入るんだろうなってこと」
 壊璃は金色に染めたショートレイヤーの髪を、くしゃっとかきあげた。
「心配しないで! この店は、いざライヴをやるとなればちゃんと客は入るのよ! マジで!」
「マジでって、おい」
「まあまあまあまあ、客寄せは店のほうでやるから、月浦君は存分にリハーサルしちゃって? ね?」
 月浦君、と猫撫で声で呼ばれて、内心勘弁してくれよ、とか思う壊璃である。
 名目はジャズバー、実態はジャズ喫茶、客の八割はアルコールより紅茶を好み、酒のつまみよりケーキの売れ行きが良い。Escherはそんな店だった。木目調の内装は、言葉の選択を誤れば「落ち着いている」ではなく「ちょっとボロい」だったし、営業時間中に、少しピアノを触ってみたいという壊璃の申し出を快く受諾するあたり、店を流行らせる気があるのかないのか。
 アルバイトの夏樹は悪い人間ではなさそうだったが、一見お嬢様風の顔立ちに似合わず口が微妙に悪かったりノリが妙だったりと、不安要素は山のようにある。
「ちなみに月浦君は、どんな音楽やるの?」
「どんな、って、ここジャズバーじゃないの?」
「そうだけど、今回ミュージシャンを募ってみたのは、新風を取り入れるって目的もあってね? だからロックでもメタルでもアコースティックでも演歌でも、何でも問題なしよ!」
「……店のポリシーとか、そういうのはないのかよっ!」
「ないない。うちの店長にそんなのあるわけない」
 夏樹は真顔で手を振った。
「まあ、いいけどさ……」
 壊璃は観念して、アップライトの前に腰を降ろした。自分が心配することは何もない、心配するだけ損だ、と悟ったのだ。
 事の発端は……何だったか、友達の友達の友達あたりから演奏依頼が舞い込んだのだった。もちろん形式ばった依頼ではなく、興味はあるか、程度の誘いだ。
 壊璃は実はちょっとした音楽的才能の持ち主だった。音楽に限らず、アートの世界には訓練だけでは如何ともしがたいものがある。音楽の場合は、例えば声質――壊璃はその声に恵まれていた。彼の天賦の才は、喋る声にすら表れている。初対面の人間は大抵、彼の顔に似合わず高めの、しかし耳障りなところのない艶っぽい声に驚かされる。音楽の授業で歌っていた、あるいは休み時間に音楽室で弾き語りをしていたのを誰かが耳にしたのだろう。壊璃の歌は、本人の知らぬ間に有名になっていた、らしい。
「へえ、素敵な声をしてるのね!」
 発声も兼ねて、簡単なコード進行に歌をのせていた壊璃は、鍵盤から手を上げて夏樹を振り返った。
「あ、ごめんね邪魔しちゃって」
 壊璃は首を振った。「別に、ちょっと弾いてみてるだけだから」
「あんまり素敵な声をしてるものだから……。驚いたわ、どうしたらそんな高い声が出るの?」
「まあ、これは……こういう声、っつーか?」
「高音って訓練すれば誰でもある程度は伸ばせるじゃない?」と、音大で声楽を学んでいるらしい夏樹は言う。「でもそれだけ幅の広い声は早々出せるもんじゃないわよね。いいなあ、ソプラノとしては羨ましい限りよ。夏樹さんガラス割れるでしょとか言われるんだから。私は超音波破砕機じゃないっての」
 壊璃はぷっと噴き出した。「橘さんて、何歌うの」
「あ、夏樹でいいわよ夏樹で。私はねえ……やっぱり、ラブソングかしら?」夏樹はうっとりした表情になって、「愛する気持ちを歌にのせて、っていうの? セレナーデよねセレナーデ! どっちかっていうと歌われたいわね!」
「ふーん、そういう人いるんだ、夏樹さん」
「は?」
 一瞬で夢の世界から帰ってきた夏樹は、きょとんと壊瑠を見る。
「だから、セレナーデを歌ってやりたいような、歌ってもらいたいでもいいけど、そういう人」
「…………」
「あ、俺、訊いちゃいけないこと訊いた?」
「……そういう月浦君はどうなのよ」
 夏樹は憮然とした顔で言った。
「俺? 俺はねー」壊璃は悪戯っぽく笑う。「夏樹さんには、内緒」
「あ、いるんだ、いるのね! 『月浦壊璃のワン・ナイト・ショー〜この想い、貴方に届けます〜』」
「何だよそのセンス皆無の文句は」
「宣伝文句よ宣伝文句」
「や、ちょっとそれはどうかと」
「明後日が楽しみねー!」
「明後日ェ!?」
 もしかしなくても、俺早まったかな、と思う壊璃であった。


  *


 夏樹の宣言した通り、いざライヴをやるとなれば客は入る、それがまたこの店でもあった。もっとも客の半分は常連で、今日はやや毛色の違った音楽をやるというので、皆好奇心を抑えられない様子である。
「掘り出し物よ、掘り出し物」と夏樹は言った。「才能って思わぬところに埋もれてるのよねぇ」
「掘り出したのは僕ですから!」と夏樹に食ってかかるのは、壊璃と同年代と思われる少年だ。
 もちろん壊璃は、その少年とは初対面だった。
「で、あんた、誰?」
 壊璃は、ライヴが始まる前特有のやや浮き足立ったような空気に動じることもなく、冷めた顔でその少年に向かって訊いた。
「僕は寺沢辰彦。多分、君の友達の友達の友達の友達くらい」少年こと辰彦は、にこにこしながら名乗った。こいつも営業モードだろうか。「風の噂というやつで、なんか凄い歌を歌う奴がいるって聞いてね? 君のことだったんだね、どうぞよろしく!」
 差し出された右手を壊璃はなおざりに握り返した。
「それで、どんな音楽やるの?」
「まあ、俺一人だから、ピアノと歌だよな。夏樹さんが何でもいいっていうから、自分の曲をやるよ」
「へぇ、そりゃ凄いや。楽しみだな」
「ご期待に添えるかどうかわかんねーけど」
 壊璃は何とはなしに店内を見回した。狭い店はほぼ満員で、壊璃の見知った顔も何人か見受けられた。なんでこんなところにクラスメートが……。なんだか物凄く妙な空間だ。年齢層もばらばらなら、各々が属する社会もばらばら。一体どんな宣伝を打ったんだか。
 ここにあの人がいたらな、ちらと壊璃は思った。すぐにそんな考えは追い払った。
 下らねーこと考えてんじゃねぇよ、俺。
「さて……夏樹さん。そろそろ始めていいんじゃないの」
 壊璃はピアノの椅子に腰を降ろし、夏樹の顔を振り仰いだ。
「そうね、始めましょうか」
 夏樹はバーカウンターに入り、辰彦はスツールに腰を降ろした。準備が整ったらいつでも始めろということらしい。特に開始を宣言するわけでもなく、演奏者の気紛れに始まるセッション……この店らしいといえば、らしい。
 壊璃は鍵盤の重さを確かめるように、そっとピアノを弾き始めた。やかましく自己の存在を主張するような音では決してないのに、彼のピアノは店の隅々まで響き渡り、観客の無駄話は波のように引いていった。
 自身の身体の延長であるかのように、壊璃は軽く、しかし極めて正確なタッチで鍵盤を叩き、音楽を生み出していった。客は一瞬にしてピアノの音色に心奪われ、テーブルの上のアルコールや紅茶に口をつけることさえ忘れて、金髪の少年に見入った。
「……才能よね」と夏樹が辰彦に耳打ちした。その囁きは壊璃の耳にも届いたが、言葉の意味までは注意を払わなかった。
 繊細な壊璃のピアノは、徐々に情熱的なものへと変化していく。
 華やかだが軟派そうな顔立ちからは想像できない壊璃のエネルギー、ひたむきな姿勢、そして――歌声。
 満を持したところで、壊璃はピアノの伴奏に歌声をのせた。張り上げるというわけでもなく、腹の底から声を出しているわけでもないのに、壊璃の声は気持ち良く伸びていった。その声は麻薬だった。

  What is love?
  Is that sweet like a strawberry or what?

 恋って何、苺みたいに甘い味でもするの、と壊璃はその麻薬のような声で歌う。
 情熱的なようでいてどこか皮肉。恋なんて、と鼻で笑うような表情を浮かべながら、一方でその歌声には、何か切実なものがこもっている。相反する性質が同居する、それはまさしく麻薬だった。

  Where are you goin’?
  The end is the same
  No need to be crazy for love
  Don’t be stupid for love
  The end is the same
 
 行き着く先なんて皆一緒だろ、真剣に泣いたり口説いたりする必要がある?
 恋愛に身を焦がす人間を笑いながら、一方では心底恋に飢えているような。
 俺はそんなの要らない、
 俺には見れない夢、
 俺には叶わない夢、
 ――壊璃は歌う。
 
  なんで俺が煙草を吸ってたか
  あんたは知らないだろう
  この口が求めるんだ
  悲しく縋る俺が惨めだから
  煙草なんか吸って誤魔化してる
  それとも
  キスしてくれるとでも言うの
  愛してるって嘘をついて
  キスしてくれるとでも言うの

  What I need is just salvation
I’m crying out for help in darkness
But you’ve never come

 どれだけ叫んでも、どれだけ愛してると叫んでも貴方は来ない、
 決して声を張り上げているわけではないのに、その叫びは痛切に胸を打つ。
 きっとその歌は、彼あるいは彼女に届かないし、見るに見かねて助けに来た他人の手を、壊璃は振り払うに違いない。
 求める人の心には届かないと知っていながら歌うラブソングは、似た感情を知る者達の心を深々と抉る。しかし壊璃の悲しみの深さは、誰にもわからないだろう。
 皮肉たっぷりのラブソングを歌い終えると、壊璃は鍵盤から両手を上げ、さっきまでひたむきにピアノに向かっていたのとはまったく別人のような表情を浮かべ、観客のほうに向き直る。拍手と歓声が上がる。壊璃は短いコメントを入れると、すぐに次の曲へ入る。
 それは、ジャンルという枠を超えた音楽だった。


  *


「いやぁ、思ったよりしんどかったな、一人ライヴ」
 あらかた客の捌けた店内を見渡し、感慨深いというよりは、ただひたすら疲労感を覚えて壊璃は言った。凝り固まった肩を解す。
「すっごいじゃない、大盛況だったわよ」
 夏樹は感極まった様子で壊璃に言った。
「そんな大層なモンじゃねーよ」
 壊璃は肩を竦めると、調子っ外れなアップライトの蓋をそっと閉じた。
「何か飲む?」
「あー、それじゃ、酒」
「未成年でしょうが」
「そう堅いこと言うなって」
 じゃ内緒ね、と片目を瞑ってみせると、夏樹はカクテルを作りに奥へ引っ込んだ。程なくして壊璃と彼女の分のグラスを手に戻ってきた夏樹は、さっきまで壊璃が腰を降ろしていたピアノベンチに座って足組みした。
 最後の客が帰り、店内に残ったのは壊璃と夏樹だけになった。
「また歌いにきてよ」と夏樹。
「構わないけど、ソロは当分勘弁だな。一人で何セッションもやるのは正直きついわ」
「そりゃ、あれだけ真剣に歌ったら疲れるでしょうねぇ」
「別に真剣なんかじゃない」
 壊璃は少し照れくさくなって、明後日のほうを向く。
 アルコールは壊璃の喉を潤し、胃の中にするりと落ちていった。ほろ酔い気分になりながら壊璃は窓辺まで行き、ブラインドを上げて外の景色を見た。都心の明かりは遠く、かといって街中で星空が見えるわけもない。この辺りは夜も更けると随分暗く、壊璃はなんとなく寂寞とした気分になった。
 ライヴ後の昂揚とした空気は店の温度と共に冷めていき、壊璃は、薄暗い闇の中に一人残される。
「いるのね、そういう人」
 夏樹がぽつりとつぶやいた。どういう人、かは言わずともわかった。
「だけどそいつには、既に大切な人がいる」壊璃は皮肉っぽい微笑を浮かべた。「良くある話さ」
 闇の中でどれだけ愛していると叫んでも、あんたは助けに来やしない……それとも声が枯れるまで歌いつづけたら、いつか俺の歌はあんたに届くんだろうか?
 壊璃は小さく頭を振った。馬鹿な考えだ。実体のない愛や恋なんてものに、馬鹿みたいにならないほうがいい。
「……ちょっと、熱くなりすぎたかな」
 壊璃のつぶやきは夏樹には聞こえなかったらしい。え? と訊き返す夏樹に何でもないと返事をして、壊璃はグラスの底に残ったアルコールを飲み干した。
 薄い青色のカクテルは、少し苦い味がした。


Fin.



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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■月浦 壊璃
 整理番号:6318 性別:男性 年齢:17歳 職業:高校生

【NPC】

■橘 夏樹
 性別:女性 年齢:21歳 職業:音大生

■寺沢 辰彦
 性別:男性 年齢:18歳 職業:高校生

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■         ライター通信          ■
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 はじめまして、雨宮玲です。
 Escherにてのパフォーマンス、ありがとうございました。歌詞に込められた思いなど、あれこれ想像しながら書かせていただきました。高い声という設定が意外でした。男性の高くて豊かな声ってセクシーですね! 声という武器に恵まれた人は、音楽をやっていく上では本当に幸せだと思います。壊璃君の歌が、いつか大事な人に届けば良いですね。
 作中の拙い英語についてはご容赦下さい。
 それでは、今回はご参加ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております!